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聖書を読んで感じたことを書いています。興味を持った方は順に読んでみてください

10年も毎日読み続けるなんてよっぽど聖書が好きなんでしょうね。だいたい1章読むのに2時間は必要です。なお、聖書は新共同訳を使っています。

よなたん
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2016/05/14

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  • おしまい

    Yahooブログがおわりということで、 ここにいつまでいるのか つぎはどうするのか、 いろいろと悩んだのですが、 結局 しばらくお休みすることにしようと思います。 また、気が向いたらどこ...

  • ギタンジャリ7

    わたしは歌うことに対し、誇りを持つことをやめました。 誇らしい衣装も着ませんし、装飾で飾り立てることもやめました。 それは誇りや飾りがわたしとあなたの間の結びつきを弱めることに気づいたからです。 飾りや誇りは「わたし」と「あなた」の間に割り...

  • 29純粋で真実のパン⑥(Ⅰコリント5)

    わたしたちのからだの中には イエスさまに変えられた自分自身をささげたパンと、 パン種となるイエスのみことばが宿っています。 受けた真実のパンは、司祭の祝福を受けて大きく膨らみます。 わたしたちはそれを糧として、神の国を作るために働くことがで...

  • 29純粋で真実のパン⑤(Ⅰコリント5)

    主日の朝、わたしたちはどんな自分をミサで捧げようとしているでしょうか。ホスチアをチボリウムに移すところからミサは始まっています。奉納の時、自分が捧げられるのを目撃します。聖変化の時、自分自身が変えられる瞬間を見ているのです。そこには自分自身...

  • 29純粋で真実のパン④(Ⅰコリント5)

    わたしたちは神さまのみこころを行う者として、ちゃんと働いているのでしょうか。 神さまの恩恵を受けることばかりを考え、頂いた恵みを神さまのために使うという本来の目的を忘れてしまっていないでしょうか。 神さまと自分自身の関係をちゃんと見直してみ...

  • 29純粋で真実のパン③(Ⅰコリント5)

    わたしたちが週ごとに与っているミサもまた同じです。 自分自身の代わりに種なしのパンを祭壇に捧げ、イエスにキリストに変化しご聖体となった自分自身を頂くのです。 イエス・キリストを体の中に収めたわたしたちは、以前のわたしたちとは違うはずです。 ...

  • 29純粋で真実のパン②(Ⅰコリント5)

    ですから、過越祭の時に、種なしのパンを食べるのは、 「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい」と言う通り、 神の業を思い起こしながら、自分の本質を確認するということなのかもしれません。 信仰を取り去って...

  • 29純粋で真実のパン①(Ⅰコリント5)

    パウロはわたしたちに、「純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか」と勧めます。 「わたしたちはパン種の入っていない者」だと教えてくださっている通り、種なしのパンはわたしたちの姿を表しています。そこにパン種が入れば大きく膨らみ、形も感...

  • 28⑦足を洗う(ヨハネ13)

    人間は弱い生き物です。いついかなる時も神さまのことを思い、みこころを理解し、実行するというわけにはいきません。時にはペトロのようにイエスさまのことを知らないと言い、時にはトマスのように、イエスの復活を信じないと言います。場合によっては、イス...

  • 28⑥足を洗う(ヨハネ13)

    そんな弟子たちが、清い道のりを歩んできたとはとても思えませんが、彼らはイエスが足を洗ってくださったことを覚えていました。いつもイエスが自分たちの足を洗われたことを覚えていたはずです。いろんなことがあったにせよ、彼らはそれぞれの役割を持って、...

  • 28⑤足を洗う(ヨハネ13)

    もう一度イエスの弟子たちのことを思い出してみましょう。弟子たちはイエスに足を洗っていただいた後、イエスが捕えられて、連れて行かれるや否や、逃げ出しました。イエスが復活するまでの間、部屋に鍵をかけてだれも入れないようにし、怯えながら暮らしてい...

  • 28④足を洗う(ヨハネ13)

    わたしたちは歩みを清めなければなりませんが、ミサの始まりに行われる回心がその清めにあたります。そして、その中の、「兄弟の皆さん」という呼びかけは、「互いに」と言うイエスのことばと一致します。ミサは私たち参加者自らを神さまに捧げるものです。神...

  • 28③足を洗う(ヨハネ13)

    わたしたちは共同体の中で活動しています。 わたしたちひとりひとりは完全ではありませんが、共同体を形成することで、完全な者になることができます。(すくなくともそうであってほしいと思います)。 そして、イエスさまのみこころを伝えるために、共同体...

  • 28②足を洗う(ヨハネ13)

    わたしたちは生きています。一人ひとりが、自分の人生を歩んでいます。しかし、その道は良いことばかりではありません。きれいな道ばかりではなく、汚い道も歩かねばなりません。時には、意図的に泥道を通り、水溜りの中に入り、わたしたちの歩みは清いとは言...

  • 28①足を洗う(ヨハネ13)

    イエスさまは弟子たちに「互いに足を洗い合いなさい」と命じました。どうして互いに洗わないといけないのでしょう。ペトロはイエスさまに足以外も洗って欲しいと願いましたが、聞き入れられませんでした。どうして洗うのは足だけなのでしょう。 <つづく>

  • 27⑦隅の親石(ヨブ記38:6)

    わたしたちの中に存在している親石を発見することは難しいことかもしれません。まず、わたしたちの中に神さまが据えられた親石が存在することを意識しましょう。そうすれば、その上に造られている自分自身を発見することができるはずです。その自分自身が神さ...

  • 27⑥隅の親石(ヨブ記38:6)

    わたしたちが神さまの中で共に生きるために、わたしたちが今、この世界に存在していることを理解しているでしょうか。何の目的もなく、この世に生まれてきて、暮らしているわけではありません。 今は分からないかもしれません。 もしかしたら一生かかっても...

  • 27⑤隅の親石(ヨブ記38:6)

    わたしたちは自分自身の中にその親石を見いだすことができるのでしょうか。心の土台になっているイエスさまをわたしたちの中に発見できるでしょうか。そのためには信仰が必要です。そのためには愛が必要です。そしてそれらを形として表すために行動しなければ...

  • 27④隅の親石(ヨブ記38:6)

    神さまが宿ったわたしたちが行動するのは、神さまのみこころを行うためです。みこころを行うために集まり、共同体を形成します。さらに共同体が集まって神さまの御国を作り上げ、そこでわたしたちは神さまとともに暮らすことになります。その行動の原点は神さ...

  • 27③隅の親石(ヨブ記38:6)

    わたしたちはなにもかも自分自身で考え、自分自身でやり遂げているようなつもりになっていますが、あれこれ考える心の土台は神さまが作られ、わたしたちの奥底に据えられています。神さまが留まるわたしたちの肉体もまた神さまが創られました。神さまのみここ...

  • 27②隅の親石(ヨブ記38:6)

    親石とは土台になるべきものだと考えたらどうでしょう。私たち人間を組み上げるためにも親石となる土台が必要なのです。わたしたち自身の器とか、信念といったものの土台が親石なのかもしれません。 ペトロは教会の礎となりましたが、イエスさまはわたしたち...

  • 27①隅の親石(ヨブ記38:6)

    「誰が隅の親石を置いたのか」(ヨブ記 35 : 6 )という言葉が目に留まりました。 神さまが置いたものに間違いはないでしょうが、神さまは何のために置かれたのでしょう。そしてその上には何が建っているのでしょう。神さまが創られたこの世界のこと...

  • ギタンジャリ6

    またまた、ギタンジャリです。 まずは翻訳した詩を この小さな花を摘んで、あなたの元へ連れて行ってください。 時間がありません。花の盛りは短いのです。 萎れて、塵にまみれてしまわないうちに。 あなたの花の髪飾りには、もはやこの小さな花を飾る余...

  • 26⑥ミサと共同体

    ミサは共同体で思いを一つにし、その思いをご聖体に込めて分かち合います。その分かち合った結果を持って帰り、福音宣教を行うのです。そこから得られるものは、イエスさまの力や勇気だけでなく、共同体の結束力や風土も大きな要素となっているのです。 ミサ...

  • 26⑤ミサと共同体

    いろんな人間が集まって、いろんなことを話しあい、いろんなことを考えて、いろんなことを行うのです。そうすることによって、いろんなことを成し得るようになるのです。二人は一人の二倍以上の能力があります。 100 人はひとりの何百倍もの能力がありま...

  • 26④ミサと共同体

    神さまは取るに足らない小さな力しか持っていない私たちを呼び集められ、共同体を造り上げて、神の御国の建国を成し遂げようとしておられます。一人でキリストのからだをつくりあげ、奉献することはできないのですから、共同体の一人ひとりが協力して御心を行...

  • 26③ミサと共同体

    神さまはわたしたちが手を取り合い、協力して、神の御国を作り上げることを望んでいます。一人で神の御国を作り上げることができないことは明らかですから、共同体がその仕事にあたらないといけないのです。 都合があって、同じ場に集うことができないかもし...

  • 6②ミサと共同体

    ミサは一人ひとりとイエス・キリストとの関係を深めるものではありません。ひとりだけが特別に神さまとの関係を深めることができたとしても、御国の建設には何の役にも立ちません。ひとりでキリストのからだを作り上げることなどできるはずがありません。わた...

  • 26①ミサと共同体

    カトリックでは毎週日曜日になるとミサを行います。プロテスタントだと礼拝と呼ばれています。ミサと言う言葉になじみが薄ければ礼拝と読み替えていただいても、祈りと読み替えていただいても結構です。 共同体としてミサを捧げることに意味があります。ひと...

  • 25⑦キリストのからだを作り上げる(Ⅰコリント12:27)

    わたしたちはキリストのからだをつくらねばなりません。 そのためにはわたしたちが神さまの思いを理解しなければなりません。 それを実現するために、努力しなければなりません。 努力するよりも前に、そこに尽力する決心を持たなければなりません。 そし...

  • 25⑥キリストのからだを作り上げる(Ⅰコリント12:27)

    わたしたちはキリストのからだを造り上げようとしているのでしょうか。自分がキリストになろうとしていないでしょうか。キリストのからだとはいったいどういうものなのか考えてみる必要があります。キリストの体を造り上げるためにわたしたちは何をしないとい...

  • 25⑤キリストのからだを作り上げる(Ⅰコリント12:27)

    わたしたちはそのことを本当に理解してミサに与っているのでしょうか。わたしたちは理解して礼拝しているのでしょうか。自分が幸せになるためにミサに与っていると思っていると、自分が幸せになるために祈っているのだと思うと、世の中に出ても何もいいことは...

  • 25④キリストのからだを作り上げる(Ⅰコリント12:27)

    ミサが教会をキリストとして作り上げるものであるなら、思いを一つにしてミサに参加し、キリストの一部とならねばなりません。礼拝が教会をキリストとして作り上げるものであるならば、思いを一つにして礼拝で心を合わて祈ることが大切なのです。ミサでご聖体...

  • 25③キリストのからだを作り上げる(Ⅰコリント12:27)

    わたしたちはキリストの教えがすばらしいものであることを伝え広めなければなりません。それは難しいことではないはずです。自分の言葉で伝えられない人であっても、態度で伝えることもできるのです。苦しい時でも明るい顔で人々に接し、耐えられる人は福音を...

  • 25②キリストのからだを作り上げる(Ⅰコリント12:27)

    カトリック教会の中で中心的な位置づけにあるミサについて考えてみましょう。ミサの中では自分の心の中にあるものを御前に出すことから始まります。回心し、みことばの食卓に与り、そのみことばは、わたしたちの心に沁みわたっていきます。この沁み渡ったみこ...

  • いつまで

    3月31日 ナイスができなくなる。美味しいブログ おわり、ポイント山分けもおわり。 5月9日 移行ツール提供(アメーバ、ライブドア、Seesaa) 7月上旬 移行ツール提供(はてな) ただし、移行ツールは本文のみで、コメントは不可、書...

  • 25①キリストのからだを作り上げる(Ⅰコリント12:27)

    わたしたちはキリストのからだであり、一人一人はその部分です(Ⅰコリント 12:27 )。わたしたちが集まって教会を成し、キリストのからだを作り上げ、その教会がキリストとして働くのです。 そこで少し考えてみましょう。キリストのから...

  • 24⑦自分中心でないコミュニティ(イザヤ13)

    わたしたちはみんな同じ人間であり、対等な関係で関わっているのです。バビロンの人々は全ての人が対等な関係にあることを忘れてしまっていたのかもしれません。それを神さまはバビロン捕囚と言う苦難の形で教えられたのではないでしょうか。 わたしたちはど...

  • 24⑥自分中心でないコミュニティ(イザヤ13)

    自分が中心ではなく、同じ目標をもった仲間のコミュニティを作るのがよいだのろうと思います。それも一つではなく、目的に応じてたくさん作るのがよいかもしれません。自分が中心にならない社会は他者に依存する社会のことを意味していません。樹種的に活動し...

  • 24⑤自分中心でないコミュニティ(イザヤ13)

    ただ、「自分を中心に置かない」ということはそれほど簡単なことではありません。ついつい自分を中心に同心円を描いて世界観を作ってしまうからです。自分に近い人、遠い人という尺度を入れた途端、自分が中心になっているのです。自分に関係する人と自分とを...

  • 24④自分中心でないコミュニティ(イザヤ13)

    権力の頂点にいる人たちの図式では全ての人が自分の周りに配置されています。しかし底辺にいる人たちは自分を中心に世界を描くことができません。そういう世界の考え方をすると、自分一人が孤立した寂しい世界観になってしまうのです。神さまはそういう人たち...

  • 24③自分中心でないコミュニティ(イザヤ13)

    人間が滅びないためには罪悪を断ち切らねばなりません。すべての人が永遠の命を得て、神の国を造りあげるために、悪を滅ぼさねばならないのです。悪を断ち切る方法は自分が世の中の中心ではないことを認識することです。人間は自分のことしかわからないので自...

  • 24②自分中心でないコミュニティ(イザヤ13)

    人間を苦しめることが神さまの目的ではありません。神さまは人間を何よりも尊いものだと考えています。人間が最も価値あるものとみなしている純金よりも、オフィルの黄金よりも人間の存在は貴重なものなのです。 でも愛しているからこそ行わなければならない...

  • 24①自分中心でないコミュニティ(イザヤ13)

    イザヤ書 13 章はバビロンの審判について書かれています。 その 2 節では「彼らに向かって大声を上げ、手を振り、貴族の門から入らせよ」と言うのです。 滅ぼすためにやってくる軍勢を迎え入れることができるでしょうか。大きな苦しみが音を立ってや...

  • ギタンジャリ5

    まずはTryしてみた訳です。 ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ あなたのそばで、しばらく気ままに過ごさせてください。 やりかけになっている仕事は後で仕上げますから。 あなたの御顔が見え...

  • 23⑥犠牲

    神さまは人間が神さまの方を向いて生きることを喜ばれます。そこに時間を割くことが必要なのです。人間は神さまが創られたのですから、神さまの方を向いて生きる必要があります。特に困ったとき悩んでいる時には力になってくださる方です。また、人間は神の似...

  • 23⑤犠牲

    犠牲とは物を献納することだけではありません。神さまのために時間を使うことも犠牲の一つかもしれません。与えられた力を自分以外のために使うことも犠牲かもしれません。欲しい物を手に入れずに、我慢することも犠牲だと言えるかも知れません。持っているも...

  • 23④犠牲

    神さまの求める犠牲とはいったい何なのでしょう。自分が神さまから頂いたものの一部を神さまにお返しするというように考えてみたらどうでしょう。例えば、苦しみの中にある人たちのことを思い、その人たちの苦しみを少しでも理解しようと思って、神に犠牲を捧...

  • 23③犠牲

    神さまは人間の望みをかなえるために代償を求めるのでしょうか。神さまは贖罪の献げ物を求めましたが、これは罪の代償ではなかったはずです。神さまの御前に立ち、罪を告白し、天に昇る煙を見ながら、人間と神とのつながりを確認して、回心するための行為であ...

  • 23②犠牲

    願いを叶えてくれる神さまを勝手に造りだし、その神に、自分のもっているものを捧げて願いをかなえようとする人間の姿は滑稽にさえ見えてきます。神さまは偶像崇拝を禁止しましたが、偶像崇拝によって、人間は徐々に捧げものをエスカレートさせてしまい、しま...

  • 23①犠牲

    旧約聖書の中で出てくるもので「うっ」と思うことの一つが生贄です。犠牲を払って生贄を捧げるということにどれほどの意味があるのだろうかと悩んでしまいます。 イスラエルの民が異教の神に犠牲を捧げたのも、自分自身の願いを叶えてほしいからでした。財産...

  • 22⑦共同体で自分の価値を見出す

    共同体でなくても同じことだと思うのですが、自分自身の価値を集団の中で見出すためには、まず周りにいる人の価値を見出して、その価値を認めなければなりません。そして、自分のやっている役割との関係を見つける必要があります。時には共同体として進む方向...

  • 22⑥共同体で自分の価値を見出す

    勝ち負けに拘わらず、周りを見回してみると、いろんな人がいて成り立っていることがあることが分かります。いろんな人のいろんな賜物が関わることで共同体が成り立っているのです。とても自分ひとりではできないことばかりです。損得も忘れて、周りを見回して...

  • 22⑤共同体で自分の価値を見出す

    共同体の中で役割を考えて共同体のパフォーマンスを上げることを考えればよいのに、その中で勝ちあがろうとすると、最終的にはその共同体の中に居場所がなくなることになります。勝ち上がって居場所がなくなった時、別の共同体を探しても関わりたい共同体がな...

  • 22④共同体で自分の価値を見出す

    パウロは共同体の中に、いろいろな務めがあり、いろいろな働きがあるのだと説きます。その働きが一人ひとりに現れて、共同体に益がもたらされるのです。その能力は一つの霊が分け与えられています。ユダヤ人やギリシア人のような自由な者であっても、奴隷のよ...

  • 22③共同体で自分の価値を見出す

    そのグループからも抜けなければならない日が来るかもしれません。その時はどうしたらよいでしょう。もう一度、周りを見渡してみましょう。自分の関わっているグループはたくさんあるはずです。自分自身が勝つことを考えているから場がなくなるのです。チーム...

  • 22②共同体で自分の価値を見出す

    競争の中にいると、勝てなくなる日が必ず来ます。 勝てなくなったその日が来たらわたしたちはどうしたらよいのでしょう。グループとしてのパフォーマンス向上という観点で考えればまだまだできることがたくさんあるはずです。経験を形にすることで、グループ...

  • 22①共同体で自分の価値を見出す

    そもそも、一人の人間が出来る事には限りがあります。どんなに勝ち続ける人であってもすべてを一人で準備し、一人で戦っているわけではないのです。グループとしてのパフォーマンスが重要なはずです。そこでも身体的能力や手先の器用さ、記憶力、思考力などい...

  • ギタンジャリ4-2

    昨日、ギタンジャリの4編を勝手な訳で紹介しましたが、 もう少し、感想も含めて書き綴ってみます。 「わたし」は神なる主が宿るこの身体を清く保っておきたいと考えました。「あなた」は命の源なのです。 その「あなた」が「わたし」の手先に触れています...

  • ブログでルビを打ってみる

    ご要望にお応えして、前日の冒頭の部分だけですが、Yahooブログでルビを打ってみるとこんな感じになります。 小さな文字だと読みにくいので、少し大きめの文字にしておきます。 人間 ( にんげん ) 関係 ( かんけい ) で 鬱陶 ( うっと...

  • ギタンジャリ4

    2枠空いたので、またギタンジャリのご紹介です。 わたしの生命の中に、あなたが吹き込んでくださる生命 その生命を保つために、わたしは体をいつも清く保っておくことにしましょう。 あなたの生命が、わたしの手先から足先に至るまで いたるところに触れ...

  • 21⑤共同体の井戸端会議(ヨハネ4)

    人間関係で鬱陶しいとか、面倒くさいとか思うこともあるかもしれませんが、お互いに相手を受け入れあうために、相手に興味をもって観察するところから共同体は始まるのですから、その気づきに対する分かち合いが井戸端会議なのです。それでも井戸端会議をする...

  • 21④共同体の井戸端会議(ヨハネ4)

    とにかくサマリアの町の人たちは井戸端会議を通して彼女を受け入れるための準備をしていました。彼女が心を開いてくれるのを辛抱強く待っていたのです。「その時」はイエスさまが準備してくださいました。彼女が町へ走っていったとき、町の人たちが即座に反応...

  • 21③共同体の井戸端会議(ヨハネ4)

    悪口を言う人は、その人の悪い部分が見えたから悪く言うのですが、なぜその人にだけ分かったかと言うと、自分の悪さを重ねて見ているからです。いつも自分自身が嫌だと思っていることがその人の中に見えてしまったので悪く言うのです。言い換えると、一番の理...

  • 21②共同体の井戸端会議(ヨハネ4)

    彼女が今どういう状態にあるのだろうか、本当に手を貸さない方がよいのだろうか、彼女はどんな人なのだろうか、どんな付き合い方なら喜んでくれるのだろうか、彼女はどんなことがすきなのだろうか、どうしたら彼女は喜ぶだろうか、というような話をしているの...

  • 21①共同体の井戸端会議(ヨハネ4)

    ヨハネによる福音書の4章。サマリアの女の話が書かれている箇所です。 サマリアの女は人を避けて生きてきたので、町の人たちは毎日井戸端で彼女の様子を噂しています。噂はその当人にとってあまり気持ちの良いものではありません。自分のことをほめてくれる...

  • 20⑦共に祈る日(申命記5)

    確かに、神さまは安息日に働いてはいけないと命じたかもしれませんが、 それは皆が心を一つにして祈るためなのです。 皆で心を合わせて神さまを賛美するためなのです。 誰かが祈りに集中できないのなら、みんなでその原因を取り除かねばなりません。 集ま...

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