過去の放送に対する思いから、放送法4条に関する意見を書いてみました。
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ノンフィクション【プロ野球・スカウトの死】集 #16までのまとめ記事です
note記事。#16まで、まとめました。
noteで、野球関連記事を書き始めました。https://note.com/anchor888
阪神 サイン盗み疑惑問題は矢野監督の説明で一件落着。あとは、もう一つのサイン盗み問題の行方(1)
阪神の矢野燿大監督(53)が1月31日、沖縄でのキャンプイン前日の全体ミーティングで今季限りで退任する意向を全選手に伝え、メディアに対しても伝えました。このことで、ネットニュース、snsなどでは、色々な意見や憶測が飛び交っています。私は、それらの情報から、サ
阪神 サイン盗み疑惑問題は矢野監督の説明で一件落着。あとは、もう一つのサイン盗み問題の行方(2)
【21年前には、ペナントレース直前に阪神社長交代劇】2001年3月8日ー高田社長退任2001年3月8日、突如、阪神タイガースの高田球団社長が退任し、野崎社長に就任しました。2001年3月9日スポーツ紙は、異例として報じました。(スポーツニッポン)同日1998年8月31日に、阪神の
新庄BIGBOSS語録から 日本ハム10代目監督の場合 ピッチャー3人、タレント化にー結果は?
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新庄BIGBOSS語録から 【ピッチャー出来たら3人。野手で4人、タレントを作りたい】★ビックリした~勝つための手法を凄く考えてる!
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新庄BIGBOSS語録から キャンプ中の選手の心★日本ハム10代目監督を真似してみて~
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新庄BIGBOSS語録から 日本ハム10代目監督を真似してみて~2
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天国の父から、日本ハム監督就任の新庄剛志さんへ声援メッセージ
日本ハム監督就任が決まった新庄剛志さん。天国の父は、さぞかし、喜んでいるでしょう。もし父が生きていれば、新庄さんにどんな言葉をかけるのか。声援メッセージを考えた動画を作りました。
【阪神スカウト違反問題】問題を語る前に、阪神スカウト変遷から
2020年、阪神の往年の名選手である吉田義男氏は、阪神が弱く、有能な選手が出ないのは、「スカウト編成部の人事に問題あり」と、YouTubeの番組で発言された。https://youtu.be/3HxuwKqSuws私も、吉田義男氏の考えと同感で、阪神のスカウト編成部の人事に問題が出てきたのはい
【阪神スカウト違反問題】問題を起こしたスカウト。阪神との契約違反では?阪神は温情からか契約解除しない方針
阪神のスカウト編成部に問題が出てきたのはいつからなのか。まず、スカウトの変遷から見てみたい。スカウトの変遷1956年7月27日に、各球団のスカウトがコミッショナーに登録されることになった。(スカウト登録制)この当時、阪神のスカウトは、青木一三氏、浅野秀夫氏、奥
戦力外通告なしー【阪神お家騒動のはじまり】 「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(12)
藤村排斥事件(1956年)から42年経過した1998年8月31日。父は、阪神タイガースでスカウト職に就く中、何者かにビルから投げられて、この世を去りました。亡くなった直後、葬儀の手伝いをする阪神タイガース職員の対応に不自然な点が多かったことから、遺族は、日に日に、阪神
父の「納棺の儀」はおかしかった!ーコロナ死の葬儀事情から思い出したこと
コロナに感染して亡くなった人は、遺族が対面できないまま、医療関係者、葬儀社関係者の手で、荼毘に付されるとのことです。これって、コロナにおける非常措置だと思うのですが、父が亡くなった時にも、これとほぼ同じようなことがありました。いわゆる「納棺の儀」を私たち
http://www.m-tigers.net/koyuroku/s1001.html
戦力外通告なしー【阪神お家騒動のはじまり】 「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(11)
年末には、優勝の功労金、10年間同じ球団に在籍した選手が貰える10年選手のボーナスを頂きました。年俸以外にまとまったお金が手に入ったのです。その時は、母のかねてからの希望であった自宅の建て替えを行うことになりました。すぐに、業者に見積もりを頼み、万が一、
戦力外通告なしー【阪神お家騒動のはじまり】「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(10)
父は、シーズン終了後、この時の賞金とそれまでの預貯金を合算して、墓石を購入し、実家(愛媛県西条市)近くに建立したいと言い始めました。 母は、住んでいる家(藤村監督排斥事件がきっかけで購入の中古物件)が、なにしろ古い家屋で、雨漏りがしたり、不便が生じていた
戦力外通告なしー【阪神お家騒動のはじまり】「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(9)
昭和35年の年俸は、前年と同じ312万円(26万円×12カ月)で契約しました。 9月26日、後楽園球場の対国鉄23回戦で登板し、巧みなピッチングを見せ、5安打こそ許しましたが、最後まで三塁を踏ませず、5回三宅さん、ソロムコさんの連安打と、この二人を迎え入
戦力外通告なしー【阪神お家騒動のはじまり】「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(8)
戸沢社長の素早い計らいで、昭和32年3月、開幕前に、甲子園球場近くに家を見つけてくれました。その家は、甲子園8番町という場所で、町内には阪神パーク(現・ららぽーと甲子園)がありました。土地の広さは約70坪で、建坪は20坪。売買代金は、140万円でした。父は、仕事場で
新庄剛志さんが6月12日、高田文夫さんがパーソナリティを務めるニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(毎週月~金曜、午前11時30分~午後1時)にゲスト出演し、お父さん(渡辺省三)のことを言っていたよ!という情報をいただきました。ネットでその内容がニュース
今や、YouTubeの時代。長年、父のプロフィールをホームページを作って掲載していたが、近く、ホームページは閉鎖しようと思っている。ホームページに代わるものとしてはYouTube。YouTubeで発信していくことに決めた。
阪神の昔話がヤフーニュースに掲載されていた。父のことも書いてありました。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191026-00000005-baseballo-base&p=2
渡辺省三の遺族の立場である私は、末永氏のすぐそばにいた。末永氏は、電話を切ったあと、「今、阪神交通社からの電話でした。まぁ、これは言わないでおきましょう」と言った。私は、末永氏のその言い回しが、何やら意味深に思えたが、その場で、その真意を確かめることはし
話が前後するが、総務次長から、末永氏に送られてきた書面の中で出てきた「故渡辺氏」とは、末永氏がスカウト職に就いた1987年当時、既にスカウト歴15年のベテランスカウト、渡辺省三のこと。そのベテランスカウトが、1998年8月31日、午前10時ごろ、自宅近くの阪神交通社に
末永氏が、関連会社に出向して、一年半が経過したころ(2002年8月)。末永氏の出向先に、阪神タイガースの総務次長から郵便物が届いたという。内容は次のようなものだった。ーーーー平成14年(2002年)8月26日(月)末永部長殿◾️送信内容書籍 「タイガースの闇」の件◾
末永氏は、着々と自己流のスカウト稼業を身につけていったようだ。何年かして、チーフスカウトのポストにつき、1998年には、編成部長の座を掴んだ。末永氏、51歳の時である。定年(65歳)まで、編成部長を務めたいと思っていたに違いないが、2000年12月、突如、球団から解雇
1987年にスカウト職に着任した末永正昭氏は、現役引退後、一軍、二軍のマネジャーなどを歴任。球団職員として10年の時間を経て、スカウト職に就いた。末永氏は、主に外国人選手の獲得に尽力。末永氏がスカウト職に就いた以後の外国人獲得状況と在籍期間は以下の通りだ。野手
阪神タイガースが開幕直後に、単独最下位に転落していることが話題になっている。夕刊フジの記事によると、単独最下位の責任の所在を夕刊フジ公式ツイッターで緊急調査したところ、フロントの責任を問う書き込みが目立ったという。「阪神「単独最下位」責任の所在 夕刊フジ
「タイガースの闇」出版から6ヶ月経過したころ、「タイガースの闇」の出版に関わったジャーナリストから、インターネットでホームページを立ち上げてはどうかと提案された。私は、その頃、インターネットには詳しくなく、ホームページをどのようにして立ち上げたらよいのか、
過去記事ー『「仰向け」転落遺体は他殺?ー飛び降り自殺?』のアクセス数が多いので
過去記事の『「仰向け」転落遺体は他殺?ー飛び降り自殺?』のアクセス数が多いので、父の転落現場についてまとめたユーチューブ動画をこちらで紹介します。
私が「薬物」ー覚醒剤のキーワードを検察(神戸地検)に話したのは、1999年だった。あれから20年。20年を振り返ると、長いようで、あっという間の20年だったように思う。▪️「タイガースの闇」には、父の不審死に関係すると思う人を、あえて実名で記載した。実名で記載され
ジャーナリストによる「薬物」というキーワードが出たのは、2003年の終わりころであるが、私が「薬物」ー覚醒剤のキーワードを検察(神戸地検)に話したのは、1999年だった。今から20年前のことである。(この本には、そのことは書いていない。)
このように、私は、3人のジャーナリストらに取材を受け、各々が記事にしたというわけだ。その間、別のジャーナリストが月刊「サイゾー」に、タイガースの危ない話として、次のような記事を書いている。「阪神は以前から、暴力団対策を専門としてきた警察OBを顧問に据えるなど
ジャーナリストは、一年後に、「タイガースの闇」という本を上梓した。その際、著者名は、自身の名前を伏せて、私の名前にした。
作家は、約3年の取材を重ねた上、2004年初め、小説宝石に「誰かが殺した」というタイトルで、ノンフィクション小説として発表した。
2 兵庫県警が動き出した~「覚醒剤所持疑い 毎日新聞常務の妻を起訴」の情報から
新聞報道などによると、神戸地検は2月27日、自宅で覚醒剤を所持した疑いで兵庫県警に逮捕された東京都新宿区の会社員増田ルミ子容疑者(46)を、覚せい剤取締法違反(所持)の罪で起訴したという。さらに、捜査関係者によると、尿検査で覚醒剤の陽性反応が出ており、県警は近
兵庫県警が動き出した~「覚醒剤所持疑い 毎日新聞常務の妻を逮捕」の情報から
新聞報道などによると、自宅に覚醒剤を隠し持っていた疑いで、毎日新聞社の常務取締役の妻が、兵庫県警に現行犯逮捕されたという。現行犯逮捕の経緯は、兵庫県警が覚醒剤の密売グループを捜査していたところ、インターネットで注文した客の1人として、増田容疑者が浮上した
週刊文春2001年3月22日号阪神スカウト自殺 再捜査長女が検察に訴えた「犯人像」私ども家族には、父が自殺する理由が全く思い当たりませんでした。警察には何度も再捜査をお願いしたのですが、聞き入れてもらえなかった。そこで私は現場近くでビラをまき、改めて目撃者を募っ
いかにせん、野崎社長の意に反して、関東のマスコミがこの件を報道したのです。この報道を受けて、週刊誌「週刊文春」、ジャーナリスト、作家が、詳しく取材したいと申し出がありました。私は、3者とも、平等に、取材に応じました。週刊文春作家ジャーナリストそれぞれの取材
「ダメ虎を変えた!」阪神社長に会社法違反(特別背任)ある?ない?(2)
2001年3月9日、検察審査会の不起訴不当の議決を受けて、マスコミは、翌日の新聞に掲載した。2001年3月10日朝日新聞毎日新聞神戸新聞デイリースポーツサンケイスポーツ名古屋タイムズ日刊スポーツスポーツ報知◾️このマスコミ報道から、私の自宅に、テレビ局が取材に来ること
「ダメ虎を変えた!」阪神社長に会社法違反(特別背任)ある?ない?(1)
「ダメ虎を変えた!」(朝日新聞出版)の著者で知られる、元阪神タイガース球団社長、野崎勝義氏は、1996年、阪神タイガースに球団常務として出向され、2001年から2004年まで球団社長を務めた方である。(参考)野崎氏が社長職を務めた2001年から2004年までの間、野崎氏
阪神 「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(11)
昭和37年は、前年、最優秀選手賞を頂いた功績を認められ、年俸は前年より月7万円(年俸84万円)アップし、年俸420万円(35万円×12カ月)を頂くようになりました。 この年、阪神タイガースは、優勝しました。優勝までには、険しい道のりがあったようです。『「
阪神 「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(7)
父らは、それぞれ個別に会社に条件を付けました。父は、いろいろ考えた末、「体が続く限り、阪神で仕事がしたい。そうさせてくれるなら、藤村監督が辞任しなくても、僕は来季の契約を結びます」「今、結婚して、甲子園球場から遠い(大阪市西区)6畳一間の借家に住んでいる。
阪神 「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(6)
父が結婚式のため帰郷した後の12月4日、球団は、藤村監督の留任と、金田正泰さん・真田重蔵さんと来季の契約を結ばないことを発表しました。12月8日の挙式当日には、内紛問題で大変な中、小山さんらがわざわざ愛媛県西条市の式場まで来てくれて、挙式に列席してくれま
阪神 「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(5)
12月1日(昭和31年)から、契約更改がはじまりました。この日は、父、小山さん、吉田さん、大崎さん、田宮さんが、戸沢代表と下林常務に、大阪梅田の球団事務所に呼び出されました。外には新聞記者が待ち受けていました。会社側は父ら選手を一人ずつ呼び、「藤村監督の引
阪神 「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(4)
マスコミは、野田社長に解決策について、取材しています。(以下、昭和31年11月20日付け「スポーツニッポン」記事より抜粋)記者「青木スカウトの解職で、反主流派の選手たちの態度が硬化しているが、こういう措置は紛糾解決のためには、良策だったと思われるか」野田
阪神 「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(3)
球団側は、11月中ごろ、その青木さんに、まず、解雇通告したんです。当時、父(渡辺省三)、小山(小山正明)、大崎(大崎三男)が、阪神のエース・トリオと言われていました。マスコミが、この問題について、父らに取材を求めてきたんです。昭和31年11月20日ごろの
阪神 「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(2)
8月10日には、巨人に3.5ゲーム差をつけ首位に立ち、優勝できる意気込みでした。9月に入ってあと16試合で勝負がつくというころ、9月5日付けのデイリースポーツ一面には、「リーグ随一の防御率 20勝へ ともにあと一歩」と題して、優勝に込める記事が掲載されています。
阪神 「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語(1)
父が入団後、思わぬ「事件」があったんです。62年前のことになります。この事件には、「藤村排斥事件」と名前がついています。1956年(昭和31年)11月上旬に、父ら一軍選手12名とマネージャー兼スカウトをされていた青木一三さんが「藤村監督退陣要求書」という書面を
「金本監督続投方針で注目集める「阪神監督1年契約」の伝統」ーNEWS ポストセブンの記事が、金本監督が来季も続投の方針であることに絡み、不振時の阪神監督の契約状況を記事にしている。記事は、1949年に2リーグ分裂以後、1978年まで、最下位はなく、この年、最下位で、監督
新聞報道などによると、阪神は8月14日、元球団非常勤顧問(スカウト)の岡田悦哉氏(87歳)が11日に肺炎のため、東京都三鷹市内の病院で死去したと、発表した。 岡田氏は、2003年に星野仙一監督(当時)に誘われて阪神入団。非常勤顧問(スカウト)として、鳥谷の
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過去の放送に対する思いから、放送法4条に関する意見を書いてみました。
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