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天道公平の「社会的」参加 https://blog.goo.ne.jp/koheitendo550815

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡で

天道公平の「社会的」参加
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2016/05/09

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  • 追悼:安倍晋三氏が凶弾に倒れた!!

    身延山、久遠寺、前庭にある山百合(?)です。私には、安倍氏に対する供花に思えました。法華経の総本山を訪れるのは久しぶりのことです。安倍氏の冥福を祈るとともに、わたし自身の社会人として、日本国に対する使命を果たす、お約束を申し述べました。********************************安倍晋三氏が、なくなった。路上で、テロリストに、犬のように撃ち殺された。私たちは、決して忘れないだろう。令年4年7月8日のことを。私は、午前11時過ぎに、友人のSNSの画面で見た。デマかもしれないと思った。NHKを観たが、テロップすらなかなか出ない。奇妙な静謐が漂う。元首相のテロリストによる、襲撃は、国民にとっては、心配でしょうがないが、NHK(他の放送メディアを含む。)には他人事なのか。そのうち、「事実」の報...追悼:安倍晋三氏が凶弾に倒れた!!

  • 「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」のバカバカしさ(学齢期ワクチン接種という愚挙) 緊急質疑

    この、フードポストの存在が、何度もいうが、悔しくてならない。資源の無駄を避けるため、余った商品を、足りないところで、助けあう。ウソを、つくな。行政が、なぜ、こんな偽善に手を出すのか?多くの市民が、私たちの父母が、決して私たちに見せなかった、裏の貧困が、かつては、いくらもあったことを覚えている。現在、国も、県も、市も決して、その理不尽な、その事実を認めない。頑として、認めない。資源のむだつかい、そんなものはない。私の行くスーパーなど、食料品など、その日でも、最期は半額でうるぞ、それに、群がる老人、貧困所帯たち、私だって、並ぶ。社会的な要請には従わずには、いられないと思われる、流通業者たちも、さすがにあきれたか、行政を嗤っただろう。その程度の、デフレと、賃金低下に痛めつけられた大多数国民の苦衷がわからない人間...「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」のバカバカしさ(学齢期ワクチン接種という愚挙)緊急質疑

  • 高市早苗議員に諫言する

    **************************************************************************************私は、今、自民党安倍晋三氏に近い、山谷えり子議員候補の応援をしています。そうです。あなたの総裁選の、最初の推薦者になられた方です。当時、私は入院中でしたが、長年雌伏されていた、あなたが、止むもやめられない、ご自身の真情で、総裁選に出馬されたことをよく覚えています。当時、私は年相応に保守になりはしましたが、小選挙区制度のもとで、地方区のほとんどの自民党議員が世襲制になり、政策論議も、相互競争もない、自民党の腐った政治状況に絶望していました。典型的な世襲候補、河野候補、岸田候補は別にして、自己の政治理念として、国家、国民をまずおもい、出馬を...高市早苗議員に諫言する

  • 岸田首相は変節したのか又は本当に愚かで日本国民の敵なのか?

    2021年当時の、総裁選の写真です。皆、私より、年少なのが気になりますが。**********************************************************************************************************このたび、2022年参議院議員選挙投票日を目前に上記について考察したい。自分では、結論が出ているような気がするが、再度、岸田文雄という首相を検証してみたい。それが、今後の、民族国家、国民国家である、日本国の浮沈を賭けた闘いの序章になるように思えるからだ。たとえ、岸田首相がダメだろうと、私たち、日本国民は、生きていかなくてはならない。それがどんなに厳しい道行きであろうともである。したがって、個人的に、ダメになる政治家と、今後、...岸田首相は変節したのか又は本当に愚かで日本国民の敵なのか?

  • 2022年参議院議員選挙を契機に、高市早苗議員を応援しよう(山谷えり子候補、山田宏候補など)

    *****************************************************このたび、山谷えり子候補の支援をしようとしたことに、ついて、以下のように説明していきます。私のブログに読者の方は、どんな方たちか決めかねていますが、読み、考え、書くことを好まれる方々とは認識できます。私は、50歳前からブログを始めました。書くことの、楽しみは覚えましたが、書くことの厳しさには、いまだになかなかたどり付けません。すなわち、学生時代から冷めやらぬ、ある型の典型的なオヤジです。そうです。私は、学生当時から、大学がミッション系だったので、キリスト教関係のサークルに居ましたが、サークルの中では典型的なアジテーターと言われました(笑い)。とてもイデオローグ(理論的指導者)などという、偉いものではな...2022年参議院議員選挙を契機に、高市早苗議員を応援しよう(山谷えり子候補、山田宏候補など)

  • 香月康男美術館来訪記 その1

    ******************************************山口県の宿泊施設振興に係る、県民割のクーポンが利用できるのは、当初、本年三月末であり、それで完了するものと、考えていました。しかしながら、私たちにとって、うれしいことに、当該クーポンの給付が延長となり、段階的に、5月末までに延長され、このたび、6月末までに再度延伸されたようです。私は、引退後、待っていたような闘病生活に入って以来、さすがに、うっくつする日も続き、移動に負担がかかりにくい、県内に、容易に旅行ができるのは、私たち夫婦にとって、まことに喜ばしい事です。また、その利用が、昨年一昨年と続いた、ゴー・ツー・トラベルのキャンペーンが、ともすれば高級(?)旅館利用に、偏っていたのに対し、安直で、気の置けないホテルまで、利用...香月康男美術館来訪記その1

  • 日々是れ戦い

    画伯は、野草を描くのも好きなようで、左手は、素描「つゆ草」(水を張ったコップに入れているだけで成長します。)、右側は、溝蕎麦(溝蕎麦:ミゾソバ:油絵)二つとも、田んぼの畔に生えるような野草です。画伯は、こんな平凡なしかし自立した花が好きだったのでしょう。マチエールは、おなじみの、黒と茶の二重だと思われます。*******************************この五月末、10年ぶりくらいに、長門市の香月泰男美術館に行きました。その内容については、再度、稿を改めたいと思います。画伯の主な画業は、シベリアシリーズとして、山口県立博物館に遺贈され、ここは、彼が愛した郷里(大津郡三隅村:現在は長門市三隅)に遺族の希望で作られた、公立の美術館です。田舎にある美術館は、展望台からの借景を含め、田植えどきの緑が本当に...日々是れ戦い

  • わが闘病記(広島大学病院に入院して)その4

    泊りがけの通院から帰ってくると、テーブルの上に、ぱっとしない色の折鶴が、二つおいてある。どうしたんだと、妻に尋ねたら、うちの孫(6歳)が、「じじのために」、どうも、じじの病気の、快癒のため、保育園で、先生に教わり、教わり、とうとう、折り上げたそうだ。私は、生来の不器用で、幼稚園の工作にも、なかなか、ついていけなかった。やっこさんは折れたが、鶴はとうとう、最後まで折れなかった。皆に侮られただろうし、できの良いこどもとして、先生にかわいがられたこともない。ましては、他人のために、鶴を折るなど、生まれてから、したこともない。このたび、孫が、折ってくれた、鶴を見て、こどもを持って本当に良かった、と、心から思った。うちのうえの孫は、結構むつかしい男である。ジジイによく似ている。自分の気の向かないことは、決してやらない。そ...わが闘病記(広島大学病院に入院して)その4

  • 「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」のバカバカしさ(学齢期ワクチン接種という愚挙)緊急提言

    周南市が、「こども部」を作った以上、私は、虐待問題、貧困問題を本気で取り組むことと思っていた。県が、貧困所帯に対する食材提供を、貧困所帯に対する支援と、決して認めず、期限切れ食材の有効活用とすり替える以上、周南市として、勇気をもって、貧困所帯に対する支援体制を作り上げると思ったのだ。しかし、それは、あてが外れた。標記写真は、周南市鹿野地区の、社会福祉法人山口県共同募金会の、貧困家庭(決して認めない)への、ボランティア支援事業で、啓発のため、一般市民に配布されたものである。デフレ、コロナの併存、外国人労働者の恣意的な導入のもとで、日本国の中小企業労働者は、貧困にあえぎ、フルタイムの仕事どころか、自己のこどもに対する食事も十分に用意できない。貧困の中で、虐待が起きるのも、当然の帰結である。啓発ビラはいただいて、カン...「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」のバカバカしさ(学齢期ワクチン接種という愚挙)緊急提言

  • わが闘病記(広大附属病院に入院して)その3

    例のバビロン屋上公園から見た、梅のつぼみです。色々、すこしづつ、時間は動いていきます。***********************************入院検査・治療から、通院治療になって、色々疑問だったのだが、その後一定期間の治療を通じ、このたび、なんとなく、私にも伝わってきたことがあった。それに、ついて考えてみたい、結果、それが、自分の首を絞めることにならねば良いが。私の、病棟での主治医は、○○先生という。昨年10月、検査・治療入院が終わり、第一次(私はそう考えた。)の治療方針が決まり、退院後、私は、本来、外来の先生に引き継がれるはずだったらしい。大学病院は、ただでさえ、たくさんの患者を抱えているだけ、それでないとやっていけないだろう、とその時はそう考えていた。病棟での先生が、患者の引継ぎするにあたり、...わが闘病記(広大附属病院に入院して)その3

  • 若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その6)(あらゆるところで猛威を振るうコロナファシズム迷走とどう戦うのか。)

    遅ればせながら、令和4年正月の、妻の心尽くしです。昨年は、色々なことがあり、この日がよく迎えられた、と二人で、安堵しました。*****************************************以前この件について、コロナを契機にした、かつての仲間との決別のいきさつを書いた。「若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その5)(あらゆるところで猛威を振るうコロナファシズム迷走とどう戦うのか。)」2021.3.25付け読み返してみて、当時のブログ原稿と、現在の状況が、ほとんど変わっていない、いや、ますます悪くなっていることに、愕然とした。それは、職場における、「コロナ」解釈の食い違いによって、「見えない関係が見え始めた」ことに気付き、私の、仲間グループ(英会話同好会)の解散を...若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その6)(あらゆるところで猛威を振るうコロナファシズム迷走とどう戦うのか。)

  • トランス・ジャパンアルプス・レースについて(その2)

    *********************************************************お正月の、茶の間で、スポーツ番組をみるのは、それなりに根拠があるものかも知れない。初詣も、寒くていやだ。それなら、あったかいところで、他人が、困難な状況に立ち向かうのを見ているのが、私にとって、ずっと、ましである。かって、表記の、本当に個人的な、変わったレースを見て、私は、いたく感動した。二年に一度の開催と聞いていたが、コロナ変則開催となり、昨年は、3年ぶりに、8月7日に開催されたという。レースは、南糸魚川市から出発し、身一つで、北・中央・南アルプスを縦断登山し、最後は、太平洋の海浜に至るレースである。「名誉や栄光のためでなく」、では、なく、ほぼ不眠不休で、3000メートル級の高山を縦断するタイムレ...トランス・ジャパンアルプス・レースについて(その2)

  • わが闘病記(広大附属病院に入院して)その2

    診療棟の屋上に、日本庭園が設置されていた。植え込みと、ハーブやつつじが植えられ、患者たちの憩いの場であったことは確かである。雀がやってきたので、よく、えさをやっていた。庭園は、自省を強いる。しかし、決して、今世と隔離した場所でなく、時に、鳥の羽毛が散乱していた。ここは、修羅場でもあったのだ。雀を横目に、カラスも、パンを求め、屋上で待機していた。娑婆も、なかなか厳しいところである。*********************************************************どうも、皆、ありがちなことかもしれないが、私も、60歳を超え、生き急いでいるような、気持ちに襲われる。精神的にも、「わかものたちの未来のために死ぬのは私たち老人たちの使命ではないのか」とか、思うようにもなった。どうも、一昨年...わが闘病記(広大附属病院に入院して)その2

  • わが闘病記(広大附属病院に入院して)その1

    萩市のシャッター商店街で見た、政治報告会のポスターである。奇しくも、本日、権力闘争で敗れ、衆議院選候補の立場を失った、二階の番頭といわれた、河村健夫議員の(お礼)演説会があるそうである。私が、広大附属病院に入院していたとき、自民党の総裁選挙が行われ、高市早苗候補の、見事な公約とスピーチは、国民にとって、パラダイムシフトといっていいものだと思った。要は、ファンになった。その反面、小泉進次郎の浅薄さと脱原発の考えの思慮のなさ、女性問題ばかり連呼する野田聖子のポピュリズム政治家ぶり、河野太郎の一族を挙げての中共癒着ぶり、が顕著だった。今回のゲストは、小泉進次郎と、野田聖子である。悪く言えば、負け犬連合の報告会である。写メールを取ろうとしたら、親父が嫌な顔をした。本当は、ポスタ掲示などしたくもなかったのかも知れない。河...わが闘病記(広大附属病院に入院して)その1

  • 「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ(徳山大学公立化という愚挙)その4

    ようやく、今になって、市政を私物化する、下衆な市長に対して、対抗勢力が出てきたらしい。それはそうだろう。形式的に、七月に、議会を開き、シャンシャン大会で終了し、来年の3月に、開学するというのだから、あまりにも、市民をバカにした話だ。市民不在の、利権市長は、泥臭かろうが、恥知らずだろうが、当面の自己の野望と自己と仲間の利害と、利権のためには、なんでもするのであろう。また、できる人なのだ。噂では、工事が間に合わないので、議決以前に、今年度の初めから、校舎工事に着手していたと聞いた。事実なら、議会もなめられたものだ。そうだろう、議会も、市政を私物化する共犯者であろうから。当然、調べていただきたい。こんな体たらくだから、市長追及どころか、先に、百条委員会を開いても、結果も出ない。とんだ、茶番と、卑劣な話に、コロナの追い...「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ(徳山大学公立化という愚挙)その4

  • 「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ(徳山大学公立化という愚挙)その3

    ***********************************************とうとう、周南市長藤井律子が、どさくさ紛れに、「徳山大学公立化という愚挙」議決をやってくれた。つくづく下衆な女である。この、コロナの混乱を狙って、市民への背信と世紀の犯罪のような詐術において、積極的に加担した、初代ポピュリズム市長、現市議会議員、島津某、それに加担した、建設業利権屋、商工利権屋たちを、私は決して許さない。個人的に、島津某の市長時代の言動をここに列記していってもいいのだが、無駄だと思うので、今のところ、記さない。市長に加担した、ほかの市議も同罪である。それにつけても、もう少しまともかと思ったが、周南市議会も、バカなものである。いくら、徳山大学OBが多いにせよ、市民の利益側に立てない、というのは、政治家とし...「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ(徳山大学公立化という愚挙)その3

  • 東京オリンピック(2020年)をきちんと評価しましょう。

    ただ一人、民族衣装で、入場行進した、トンガ王国オリンピック代表選手、ピタ・タウファトファ選手である。彼は、グローバリズムの渦中で、政治的・経済的に翻弄される、小国トンガの唯一の代表選手である。こどもたちに、「あきらめず、希望を失わない」ことを示すために、必死で、競技を選び、オリンピックに参加する、と聞いた(NHKの番組である。)。自国の文化や、伝統・言語を奪われ、貧困にあえぐ子供たちのために、オリンピックを目指すという。NHKは、なぜ、国家が貧困なのか触れないが、私の友人が、同じイギリス連邦フィジーに技術指導に行った際、伝統・食文化を失い、印僑などに経済的な基盤を支配され、貧困と、将来への絶望により、治安が悪く、ガードマン警備が続く毎日であった、と述懐していた。弱い国は、グローバリズム支配の中で、他国に支配、統...東京オリンピック(2020年)をきちんと評価しましょう。

  • 「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ(地方私学徳山大学公立化という愚挙)その2

    我が家の近隣、柳井市にある某菓子屋のアジサイ園の群生アジサイである。説明看板で見たが、日本アジサイの花言葉は、「団結」というそうだ。私も、いまさら、イデオロギーに振られることはないと思うので、小林秀雄のように、「常識」をたっとび、自己の「フリーダム」実現に自分を賭けることとしたい。よりよい「国民国家日本」の護持のため、私たちは、不可避的に戦い、団結したいものである。****************************これから、私の、職員生活を通じた、具体的な話をしよう。まず、再度、この計画の、合理性、妥当性、周南市及び周南市民に対する影響の理非曲直を考える。そうして、なぜ、あの市長が、正常人ならだれも思いつかないような、いわば地方の程度の低い私学を、公立化しようと思ったか、その動機を考察してみたい。まず、も...「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ(地方私学徳山大学公立化という愚挙)その2

  • 東京オリンピックを成功させよう(東京オリンピック開催は日本国にとって非常に重要な戦いである。)

    ここ、ここにきて、売国奴・パヨクメディアのオリンピック妨害工作が、本格化しています。朝日、毎日は、言うにおよばず、楽天など、総動員で、中共に使そうされた、あるいは、グローバリズム及び中華帝国・中共と、利害の合一と、目的を同一にする勢力が、コロナ利用をその象徴として、あらゆる手段を講じ、日本国の凋落をめざして、総攻撃をしています。私は、運動神経もなく、妻には、神経そのものがないと、酷評されますが、しかし、スポーツを見るのは好きです。しかしながら、プロ野球あるいはサッカーなど、ほとんど興味がありません。なぜなのかなあ、と考えてみれば、近頃の私は、日本人が活躍する、国際的なスポーツが好きなのであることが、判明しました。まあ、そういいつつも、ひと昔も前、プロテニスの、フレンチオープンなどの、全盛期のナダルと、天才フェデ...東京オリンピックを成功させよう(東京オリンピック開催は日本国にとって非常に重要な戦いである。)

  • シン・エヴァンゲリオン私見(中二病の発展的終焉)

    テレビ版の、最終回からです。シンジの回想(夢想)シーンですが、私が世界の中心であったら、なんと幸せだろうということでしょうか。彼の気持ちはよくわかります。*****************************************************新世紀エヴァンゲリオンの完結編が完成し、封切られると聞いたのはずいぶん以前のことのように思います。その後のコロナパニックで、それこそ、オタク、中二病文化の担い手たちが、社会的活動を制約された中(国民皆制約されたというかもしれないが)で、封切られるのは、興行的には、大変お気の毒な話である。しかしながら、コアなファンはありがたいもので、「この時期に」と危ぶまれたにもかかわらず、映画館は盛況だった(4月11日までで、74億以上売り上げ、観客484万以上、シリーズ...シン・エヴァンゲリオン私見(中二病の発展的終焉)

  • 「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ(地方私学徳山大学公立化という愚挙)(その1)

    上記の、令和3年5月1日号の、周南市広報を見ていると、藤井律子市長が、徳山大学公立化をまったく、あきらめて、いないことがよくわかりました。真摯に、「おやめなさい」、と報告してくれた、「徳山大学公立化有識者検討会議」の忠告を、まったく、無駄にしています。殊に悪質なのは、報告の、危険性や、デメリットについてのまっとうな助言に、何も言及もせず、まったく無視していることです。それについて何も触れないのは、彼らの努力をおとしめ、ないがしろにしているとしか、言いようがありません。広報の書き方では、当該報告が、市長の背を押す、報告であったとすり替えています。報告は報告で、「諮問」ではない、遵守も、拘束もない、居直るのかもしれません。鉄面皮とは、こんな人をいうのでしょう。市長及びそれに組する行政職員たちが、これだけ、恥知らずと...「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ(地方私学徳山大学公立化という愚挙)(その1)

  • 「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ並びに(一部の)大衆への失望(その2)

    当該記事写真は、2019年6月、就任当時の広報の見返しである。「市民に寄り添い、市民の声を聞き市民と分かり合える市政の実現」、とまったく、ポピュリズム政治家の真骨頂である。せめて、「聞く」を、「聴く」に改める見識はなかったか。市民の現実(自分では言い表せない内面の考えや本音)を、自らの市政に反映する経路もなかったか。市民大衆は、自己の経済的基盤の安定と、自分の安心・安全くらいしか、政治には求めない。それが「健全」というものだ。それこそ、「政治の幅は、生活の幅ほど広くはない」のである。この人には、「目先の人気取りしかない」、それ以外いうべき言葉もない。それが、多くの地方政治の現実でもある。***************************************************************...「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ並びに(一部の)大衆への失望(その2)

  • 「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危うさ並びに(一部の)大衆への失望(その1)

    このブログ原稿は、平成30年12月、書いたものです。したがって、私が触れている内容及び人物は、その当時のものです。そのまま、ボツにするつもりでしたが、当時以上に、現在の、地方自治のどうしようもない頽落ぶり(国政のダメさ加減とまさしく符号しています。)を見ていれば、私の身近なケースを取り上げるのも、また、意味があるのではと思いかえし、このたびアップします。当該てんまつは、今後も続けます。**************************************わが元勤務先、周南市では、前市長の方針で、市民の中から沸き起こった、「周ニャン市」呼称・周知キャンペーンを採用し、シティプロモーション事業(市のイメージ向上事業というのだろう。)として位置づけ、様々なキャンペーンを行っておりました。それは何を隠そう、「周南...「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危うさ並びに(一部の)大衆への失望(その1)

  • 若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その5)(コロナファシズムとどう戦うのか。)

    先に、NHKの将棋早指し選手権の決勝を見ていましたが、今年は見事に、昨年の決勝敗退者、稲葉陽(あきら)8段が優勝しました。本人も、また、対戦者の斎藤慎太郎8段も、順位戦で、プロ棋士で10人しかいない、A級バリバリの人です。殊に、斎藤8段は、今期の順位戦で高い勝率であり、稲葉8段にも勝ちこしています。私の記憶では、昨年の決勝の際、稲葉8段は、対戦相手のベテランの深浦康市9段に、もろくも(?)敗れ去ってしまいました。当時の私の個人的な印象で、彼は、勝負師として人が良すぎるのではないかと、思われました。それのせいなのか、過去において、なかなか、タイトルに手が届かなかったところです。彼は、今年の同番組の、将棋講座の講師をも勤めており、地味ながら、丁寧で、親切な教え方は、しろうと目にも、謙虚で好ましいものでした。今年も決...若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その5)(コロナファシズムとどう戦うのか。)

  • 大瀧詠一の名曲、松任谷由美の名曲から、罵倒に、妄念を膨らます。

    昨年末、Gototravelの最後で、松江に旅行した時、なじみの(?)和菓子屋の「一力堂」によりました。松平不味公以来の菓子のメッカ松江ですが、文化と伝統は、まことに心地よいものです。毎度、店の商品を順繰りに、ふるまっていただきますが、伝統の味といい、松江城といい、掘割・宍道湖といい、水の都、松江は、とても好ましいところです。わが夫婦の合意で、今は取りやめておりますが、一日でも早く旅行がしたい、本音です。********************************先日から、大瀧詠一氏の復刻ベストアルバム(「EachTime」というタイトルです。)を聴くことがあり、なつかしいことは確かなのであるが、そこはそれ、若い時とは違う感興もあり、今更ながら、いいうただなあ、と思いました。当然、松本隆作詞、大瀧詠一作曲の...大瀧詠一の名曲、松任谷由美の名曲から、罵倒に、妄念を膨らます。

  • 「共同幻想論」先崎彰容(NHK「100分で名著」)を観たことについて(敵はどこなのか?)

    大学のサークルの文集です。よくも悪くも政治的な時代でありました。政治的な発言を辞めたという糸井重里が、下駄ばきの学生が機動隊に石を投げる姿にあこがれ、東京の大学に行った、と、昔日、月間プレイボーイ誌のインタビューに答えていたことを、思い出しました。**********************************************若者(何を以て若者かというのは難しい。当面、生理的に私より若いものとして考える。)と会話する機会は極めて少ない。また、私にとっても、彼にとっても「意味のある」(互酬がある)話をするのはもっと難しい。そうでなくとも、コロナ戒厳令下で、そんなチャンスはますます限られてしまう。まさしく、現在の私たちは、社会的な関係(対他人間的な交流)の貧困なのだ。たとえていえば、現在の私たちは、監獄...「共同幻想論」先崎彰容(NHK「100分で名著」)を観たことについて(敵はどこなのか?)

  • 別府旅行記追記「中共語化(朝鮮語化)は更なる愚民化=奴隷化」である(西日本高速道路運営会社にもの申す。)。 (罵倒編12のその2)

    このたび、再度、別府に行った。例の、「GOTOトラベルキャンペーン」を利用しての話である。近頃、人性の黄昏時(本当はよくわからないが)に差し掛かったせいか、妻が、生き急いでいる。それは、自分がどこまで元気で動けるか、という危機意識である。彼女には、もともと、引退したら、外国旅行をする、という宿願がある。自身の学友たちは、おしなべて奥様になり、ほしいままに、海外旅行等行っていて、なぜ懸命に働きつづけた私は割を食うのか、というのがその主張である。うちのパートの従業員も同様にしている、という。「本当にそうなのか」と、こちらが疑義や理屈を説いても無駄である。私は、今まで家族の犠牲になった、この際、つけを返してもらう、という。いわば、これはルサンチマンのようなものであろうか。また、その姿は、名著「オニババ化する女たち」(...別府旅行記追記「中共語化(朝鮮語化)は更なる愚民化=奴隷化」である(西日本高速道路運営会社にもの申す。)。(罵倒編12のその2)

  • ねこ騒動てんまつ、併せ、ものの美醜を問う

    ひょんなことから、我が家に、のら(だと思う。)ネコが居ついたが、家族の反対により、エサやりだけやっている。どうも、人間以上に、ペットも、その面貌(アウトルッキングというやつです。)が、やはり、その性格より、外見で判断されるようだ。ねこ嫌いのうちの妻ですら、かわいい幼猫は構いたがる。「かわいくないねこ」には、気の毒といえば気の毒であるが、そこはそれ、われわれと同様に、ねこにとっても「運命」というものですね。お定まりの脱線だが、例のLGBT運動や人権擁護運動に、醜女と醜男の支援という項の新設はないのだろうか、と思った。人はその生まれに責任を持たない、したがってもって生まれた当該醜貌の優劣(?)により差別を受けるのは、どうも社会的に許されない、したがって、ブス又はぶ男の人権を守れ、と。性的し好の尊重なら、ぶさいくな人...ねこ騒動てんまつ、併せ、ものの美醜を問う

  • 別府旅行記追記(罵倒編その12)文化と伝統を破壊するグローバリズムとどう戦うのか(西日本高速道路運営会社にもの申す。)

    私が利用する、地場のスーパーの店頭に、とうとう、フードポストが登場しました。ものごころついて以来、60数年のうちで、こんな光景を初めて見ました。小浜逸郎氏のブログ、「ことばの闘い」、「安藤裕衆議院議員を自民党総裁に」中で、いかに日本国が凋落の状態であり、大多数国民・弱者・子供たちがいかに窮乏しているかということで、年代比の資料が引かれてあり、その中で「こども食堂」は2012年ごろ開設、2016年319箇所であったものが、2019年3700箇所とあり、目を疑うような数字です。こどもに満足に食事が与えられない家庭とはなんと悲しいものでしょう。ましては、他人の善意にすがらなければならないということは。他にも、当該ブログでは、ため息が出るくらい、ダメになった日本の現実が、何十も列記されます。ところで、注意してみていると...別府旅行記追記(罵倒編その12)文化と伝統を破壊するグローバリズムとどう戦うのか(西日本高速道路運営会社にもの申す。)

  • 「別府旅行記」(文化と伝統を破壊するグローバリズムとどう戦うのか)(あらゆるところで猛威を振るうコロナファシズムとどう戦うのか。)(その5)

    宿の部屋から、ぼうっとして、庭を朝方眺めていましたが、水盤に小さな水連が浮かんでいるのが目に入り、可憐な白い花が咲いています。「花があるな」という認識です。夕暮れになってふと目をやると、あの花々が皆スーッとしぼんでいます。ああ、良いものを見たと思いました。こんな体験をするため、私たちは旅立つのではないか。世の中には夏の七草というのもあって、夏花の一つは、羊草(ひつじぐさ)、水連の花だそうです。良い名前です。昔の大島弓子の作品にそんな名前があった覚えがあります。後で、仲居さんに聞くと、先に大女将が植えた花で、「ががぶた(鏡蓋)」というそうです。**************************************************************************************...「別府旅行記」(文化と伝統を破壊するグローバリズムとどう戦うのか)(あらゆるところで猛威を振るうコロナファシズムとどう戦うのか。)(その5)

  • 若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その4)(あらゆるところで猛威を振るうコロナファシズムとどう戦うのか。)

    4歳の孫が蝉取りにはまり、酷暑の中で、朝晩、蝉取りに行っています。私のこどもの時に、写真のニイニイゼミはとてもポピュラーであり、小さなこどもでも、てづかみで、容易に捕まえらえました。その後、数が減ったのかほとんど見なくなり、今回、晴れて孫と一緒に、成虫と抜け殻を採取しました。蝉の羽化を見るのが、昆虫好きの定番と思っていますが、老境にはいり、再体験することは幸せです。もし、私が施設に入っていれば、こんな感動も味わえなかっただろう、そのような、同胞老人の方はお気の毒です。*******************************************************妻の母に会えなくなって久しい。現在、彼女は滞在型の老人施設に入所している。要は、自分で、排出、入浴など、日常生活での重要な行為を在宅で、反...若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その4)(あらゆるところで猛威を振るうコロナファシズムとどう戦うのか。)

  • 若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その3)(あらゆるところで猛威を振るうコロナファシズムとどう戦うのか。)

    さしものわけぎも根あがりし、プランターに妻が、青じそを植えました。田舎者ですが、私は青じそを、からむしと見間違えてなりません。とんでもない、田舎者です。**************************************************************************わが郷里、下松市(「くだまつし」と読みます。)の公立図書館も、コロナ下のもとで永く閉館し、5月末から、ようやく開館しました。しかしながら、開館営業時間は縮減されたままであり、10時半から17時半までです(現在、検索してみると、現在(R2.6.23現在)は、正常どおり、営業しているようです。)。ただし、利用者に対し、マスクの着用は厳しく定められています。いなかでは何もかも終了時間が早く、近隣の他市の図書館は、通常17時...若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その3)(あらゆるところで猛威を振るうコロナファシズムとどう戦うのか。)

  • 若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その2)(NHKのコロナ取り組みについて)

    6月14日、先ごろ(5月と言っていた。)から中断していた、NHKEテレの、NHK杯将棋早指し選手権を見た。従前から、コロナ戒厳令のもとで、日常生活の娯楽さえ奪われた、国民大衆のため、なぜ、NHKは、せめて社会的引きこもり(?)である視聴者の無聊を慰める(?)良質な番組を、なぜ、追加作成しないのか、と思っていた。それこそ、肉体のぶつかり合いどころか、究極のボードゲームである日本将棋の放映をなぜやめたのか、と不審に思っていたのである。そもそも、限られた人数しか存しない、スタジオ録画で、出演者・スタッフ相互で感染が生じるかどうか疑わしいにも拘わらず、勝手に放映を休止し、国民の意欲低下に、また、将棋ファンへの裏切り行為に、なぜ、公共放送として、加担するのか、不思議にも思っていた。公益社団法人日本将棋連盟の思惑もあり、調...若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その2)(NHKのコロナ取り組みについて)

  • 若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか

    今年もJAの直販店で、ラズベリー(私は色や艶からブラックべりーではないのかと思っている。)を見つけた。心なしか、今年はちょっと酸っぱいと思える。世相のせいだろうか。先に、下の孫に、近所の空き地に生えていたキイチゴをたらふく食べさせてやれた。赤いイチゴも、黄色いイチゴもたくさんあった。腹を壊した、とか言っていたが、じじの知ったことではない。身の回りに、受けいれ、楽しむ自然があるのは、大変重要なことである。**************************************************先に、文芸評論家浜崎洋介氏の「「過剰自粛」の不条理と戦うために――敵は「コロナ」ではない「過剰自粛」である」(2020.5.6)を読んだ(https://the-criterion.jp/category/mail...若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか

  • 我々は乞食ではない。(国民を馬鹿にするな。私は日本国民であることが心底恥ずかしい。)

    私が、職命で、やむを得ず職場で着用しているマスクである。職命でありながら、自分で調達という理不尽な話であるが、世の生活者は、理不尽の中で、同調圧力というか、関係の絶対性により、外部のみならず、家庭でも、マスク着用を義務付けられているのかもしれない。理不尽は世の習いなのか。たいがいにして欲しい。仕事を離れれば、マスクを外すことも多いが、実のところ、いつか、こらえ性のない兄ちゃんに殴られるかもしれないと恐れている。うちの孫は、マスクを当てろというと、苦しいのか、鼻の部分を外して、スーハーしている。笑えるが、これで、口呼吸が治っていいものかもしれない。*************************************************************我々は乞食ではない。中共のようなファシスト、全...我々は乞食ではない。(国民を馬鹿にするな。私は日本国民であることが心底恥ずかしい。)

  • 「国民の安心と安全」を守るのは政府ではなかったのか(私たちは中共政府及び中共民の奴隷なのか)?

    私たちは、日常の中では、一人の「生活者」としてあるしかない。すなわち、「生活の幅は政治の幅ほど狭くない」のである。日々、私たちはその生活のために、自分に仮託された、その社会的な、家族的な役割を果たしていくのがいっぱい、いっぱいである。人は、それぞれ、関係に強いられたものか、自己に強いられたものか、選べなかった場所の中で、日々のために、精一杯苦闘するしかないものである。そうであれば、私が、国家の中の一人とすればどうなるだろうか。私は、国民国家日本国のうちのただの一人であり、頼りにするべき国民国家がどうもあてにならず、他国に媚び、無考えであり、わが国が近代国家になって以来の営々と築いた国富を、差し出すものであれば(いわば自民党の多数が目指すグロ-バル政策を信奉・実行するのであれば)、私の命運は一体どうなるのだろうか...「国民の安心と安全」を守るのは政府ではなかったのか(私たちは中共政府及び中共民の奴隷なのか)?

  • 人間関係の貧困とその対処について(地銀Y銀行の窓口職員にかかる思い出)

    自分自身が、年を重ね、それなりに社会生活が狭まるようになると(生活の幅が狭くなる、でもいいです。)、それは年経ても、寂しいものであります。そうではならぬ、と自分で思いつつも、人間関係(社会的関係)に前向きになる、ことは、おっくうなものです。逆にいうと、閉ざされた環境で、人間関係がせばまれば、私の若いころでいうと、「屋根裏の哲学者」や、今でいうと「社会的引きこもり」などに陥ることもあるかもしれない。また、社会生活の貧困や、自ら引き寄せたような閉ざされた関係と心理に安住すると、根拠のない、被害者意識や、選民意識を持つかもしれない、人間とはバカな存在であります。自分の思考や、意識的に環境を変えるように働くことで、その閉ざされた状況が変わるものであれば、自分で、意識的に外部に働きかければよいものである、どの「生活者」も...人間関係の貧困とその対処について(地銀Y銀行の窓口職員にかかる思い出)

  • わたしたちは、日本企業を支援し、応分の消費を行い、GDP(国内総生産)の増加に組みすることといたしましょう(ニコンの顧客サービスについて)。

    このたびブログの更新を怠っていたことを、衷心から、お詫び申し上げます。本日は、台湾の総統選挙の当日と聞き及びます。中共政府、その便乗同伴者を含め、覇権国家、中共の野望が、くじかれることを強く望みます。*****************************************************************************************************************************************************私、つまらないほどに文系であり、理系の妻には、折にふれ、様々な局面で、憫笑(びんしょう)あるいは、嘲笑(ちょうしょう)されています(ああ、なんと悲しいばかりの文系素養であろうか)。現在、世には、便利なことばで、「女子力」、...わたしたちは、日本企業を支援し、応分の消費を行い、GDP(国内総生産)の増加に組みすることといたしましょう(ニコンの顧客サービスについて)。

  • 「ウイグル人に何が起きているのか」(PHP出版)(福島香織著)について

    私たちの世代(ポスト団塊世代)は、最期に、サヨク幻想の破綻に立ち会った世代ということができるかもしれないところです。同時にそれは、団塊学生たちによる、サヨク政治運動とその帰結に深く絶望した、ということです。レーニン-スターリン主義への幻滅と没落、毛沢東民族主義の実態と幻滅、そして現在の覇権軍国主義への転換、その他にも、キューバ革命、ポルポト暴力革命事件、人類を死滅させるような悪質ウイルスのように、急速に、数限りなく後進農業立国に伝播していき、その結果として悪質な独裁政治国家を生みました。その中で、ことに性質(たち)が悪いのが、毛沢東民族覇権主義です。私たちの学生時代、中共は未だに実態がよくわからず、学生たちも文化大革命など、うさんくさい運動と認識しつつも、私たちの隣接のサークルにもまだシンパが残っており、その偏...「ウイグル人に何が起きているのか」(PHP出版)(福島香織著)について

  • グローバリゼーションの現実から旅館業務(日本人顧客サービス)を健全なナショナリズムの立場で考える その2

    先日、国内旅行について論じましたが、また、このたび秋の旅行(10月4日、5日)に行くことが出来ました。いろいろと、ありがたいことです。このたびは、隣県の、広島県の廿日市市です。私は、兼ねてから折に触れ申しあげているとおり、隣県広島県に良い印象を持っておりません(広島県人が山口県に良い印象を持っていないとしてもそれは自由です。)。しかしながら、特に、特定の広島県民に、個人的に被害を受けたことはないところです。学生時代、学生寮に住んでいた(すなわち当時のパヨク運動に組した)、私たちに比較的友好的(?)なサークルの中に、広島県民の知り合いは居りました。彼の問わず語りによれば、彼らも一年中、闘争(?)をしているわけではなく、京都の春の宵に浮かれ、桜の名所、銀閣寺道あたりに、皆カストロジャンパー(例の緑色のやつです。)な...グローバリゼーションの現実から旅館業務(日本人顧客サービス)を健全なナショナリズムの立場で考えるその2

  • 「天気の子」を見て、併せ「異常気象(?)」 について考える

    今年も分葱を植えました。残念ながら、植え方が悪いと指導を受けましたが。雨が降り続けば、やはり、ネギが芽吹くことはないんじゃないのか、と思われます。******************************************歳若い友人の勧めで、新海誠監督の標記のアニメを見に行きました。前作の「君の名は」というアニメの出来が良かったので、その後の、新海監督の新作アニメも見てみたい、と思ったわけです。前作の「君の名は」については、先にブログでも触れましたが、かつての、多大な犠牲者を出した、東北大震災にかかわる多くの国民の切実な記憶と、もしそれが防げていたならば、という、切ない試み・仮想を背景につくられていました。東京と被災地(設定では彗星の落下により町全体が破壊され巨大なクレーター状になった場所)に居住してい...「天気の子」を見て、併せ「異常気象(?)」について考える

  • グローバリゼーションの現実から旅館業務(日本人顧客サービス)を健全なナショナリズムの立場で考える

    最近、国内旅行をすることが多くなり(それは外国旅行をすることがとても多くそれに慣れているということではまったくありませんが)、先ごろから、わが家により近い、九州地方を旅行することが多くなったところです。当該旅行は、妻が、ネットサーフィンに拠って、安い時期の出物(?)を探します。「質と値段の均衡」をいかに追求するかを、その努力と工夫を、「いかに賢く優れた選択であるのか」を、あらかじめしっかり立案していただき、私に説明してくれます。先に、私が選んだ、湯布院の「中共国経営・日本旅館」(「おもてなし」から「えせおもてなし」に及ぶ(罵倒シリーズその11))で痛い目に遭ったので、私に是非はなく、妻の目を信用することにしています。いつぞやは、「私にあなたにはもったいない(世が世であればあんたの妻になるようなことはなかった。)...グローバリゼーションの現実から旅館業務(日本人顧客サービス)を健全なナショナリズムの立場で考える

  • 宮藤勘九郎の出自を言祝ぐ(ことほぐ)ことについて

    妻によれば、本年のNHKの大河ドラマの視聴率が低く、宮藤勘九郎ドラマが苦戦しているという話を聞きました。実は、私、この番組を、最初は見ていましたが、ビートたけしを見るのが嫌で、いつの間にか見なくなっていました。かつての、NHKの朝ドラ「あまちゃん」は、ほぼ欠かさず見ていたので、心情的に、「悪かったな」とか、「義理を欠いた」ようなところです。このドラマは、彼が属する劇団「大人計画」の怪優(?)たちが大挙出演しており、最初は、実際のところ、誰が、誰の役をするんだろうと、興味深く見ていました。NHKは、どうも、この劇団と相性が良いらしく、先に、NHKは、「朝まで大人計画」という、深夜から早朝までの6時間を超える番組があり、劇団の主催者の松尾スズキの俳優・劇作家としての出発からの顛末を、宮藤の入団から、劇作家としての独...宮藤勘九郎の出自を言祝ぐ(ことほぐ)ことについて

  • 8月は死者について考える(香月泰雄シベリアシリーズ再考)その2

    上記は、シベリアシリーズのうち最後の作品、「渚<ナホトカ>」という作品です。短かかった著者の晩年、死に至るまで書き続けられたもので、復員船を待つ最期の夜、ナホトカの海浜砂地に戦友と共に皆で寝た、との記録があり、「死者たちが一緒に寝ているように思えた」、という著者のコメントがされ、シリーズの絶筆となりました。原画をみれば、褐色の顔が、死者の顔が、黒い砂地の中に数限りなく浮かんできます。2年弱の、苛酷な強制労働・収容所生活の中で、彼は何人の戦友たちを見送ったことでしょう。「・・・・・・。最もよき私自身も帰ってはこなかった」(石原吉郎)という言葉は、どうも、香月氏にも同様であったようです。*****************************************************************...8月は死者について考える(香月泰雄シベリアシリーズ再考)その2

  • 年若い友人と共に考えたこと

    農協の市場で購入した、ラズベリーです。日本国のキイチゴに似た、ラズベリーを生食で楽しんでいます。「ブラックべリーとどう違うの?」と友人と議論しましたが、やはり、違うようです。蒸し暑い時節柄ですが、来年も、手に入ればいいな、と思います。********************************************************先に、年若い友人と、バスによる団体旅行をしました。彼は現在40歳であり、私は、彼の父親のひととなりも一応は知っております。彼の、ご父君は早世され、私と彼の年齢差を考えれば、歳若い父親とその子くらいの年齢差があります。彼は既婚者であり、幼児のこどもを持っているそうです。いわゆる、自分の職責(地方の消防職員)を通じた悩みや、こどもを育てる、また家族を維持する悩みや、対社会的な...年若い友人と共に考えたこと

  • 阿部真央作「いつの日も」などを聞いて涙したこと

    私、いなかに住んでいるので、恒常的に、車による移動をしています。運転する際に、全く無音であるということでは、落ち込んでしまうこともあり、まず絶え間ない状態で、車に附置のナビのハードディスクにCD音楽の取り込みをしたり、携帯のブルーツースを利用した、音楽サービスを利用します。昔、懐かしい歌はもちろんのこと、あたかも、加齢に追われ、義務感(?)(焦燥感か?)に狩られるように、新しい歌も聴きます。しかしながら、若いときのように、のめりこむように、新たな音楽に引き込まれるかのような体験はだんだん少なくなり、近頃は、加齢による感覚(感性)の鈍磨というものはあるものであろうか、と思われます。友人に聞くと、彼は、最近演歌を聞いたら、「いい」と思えるようになった、ということであります。もともとは、ロックのプログレッシブを愛好し...阿部真央作「いつの日も」などを聞いて涙したこと

  • 「おもてなし」から「えせおもてなし」に及ぶ(罵倒シリーズその11) その2

    臼杵市の摩崖仏です。引き続き、湯布院町宿泊について言及します。このたびは、ひさしぶりに、山歩きをしようと思い、九州で、まだ登っていない由布岳を登山する予定をしていました。そのつもりで、隣接の湯布院市に、一泊する予定にしていました。そこは、日本旅館でしたが、連休料金になる、と言っており、まあ、繁忙観光地でもあるので、仕方がないか、と思っていました。実は、事前に、由布岳の登山について、当該旅館に問い合わせをしていましたが、どうも返事がはかばかしくなく、なぜなのかと、疑問に思っていました。別府から、由布院に抜ける県道11号線を走っていたとき、たまたま、由布岳の登山道(中央)を見つけ、妻との協議の結果、そのまま登ることにして、早速登り始めました。由布岳の標高は、1583メートルであり、当該登山道の始まりが600メートル...「おもてなし」から「えせおもてなし」に及ぶ(罵倒シリーズその11)その2

  • 「おもてなし」から「えせおもてなし」に及ぶ(罵倒シリーズその11) その1

    日本国を衛護する八幡宮のもとじめ、宇佐八幡宮です。先の大型連休に、九州北東部方面(大分県)に旅行しました。「超」大型連休ということで、久しぶりの自分の車での旅行で、少しビビッていましたが、幸い無事に帰ってこられたのは重畳でした。そういえば、妻から旅行に誘われるのは、ありがたいことである、と近年、思えるようになり、いろいろ留保はありますが、まあ、幸せなことです。このたび、連泊で別府市に二泊し、湯布院に一泊しました。昨年末、別府に宿泊し、それは妻の選択した旅館であり、昭和初期建築という、古いながらもとても印象がよかったので、変化を好まない私とすれば、季節を替え、同じ宿をこのたび再度おとずれ利用したかったところです。前回は、お初の利用だったというのか、庭付きの続き部屋を用意してもらい、このたび、電話予約で、当該部屋を...「おもてなし」から「えせおもてなし」に及ぶ(罵倒シリーズその11)その1

  • LGBT問題から国政罵倒に及ぶ(罵倒シリーズその10)

    わたくし保守的な人間であり、また「世間」を狭く生きており、しかしながら、妻にいわせれば余剰な「言葉」だけについては敏感なので、ことあらば、他人の話していることばなどには、興味があり、関心があります。比ゆで言えば、火星人の話すことばも、意味がわかれば興味がわきます(言語の解析などはムリですが)。ということで、うちの職場の若い衆(女性)が、「「LGBT」問題で、実務上困りますよね。」としゃべっておりますが、私は意味がわからない、殊に、現在英文字の略称は適応不全なので、調べてみました。すると、「LGBT」というのは「レズビアン(女同士の同性愛嗜好)、ゲイ(男同士の同性愛嗜好)、バイセクシャル(同性愛異性愛並存嗜好)、トランスジェンダー(自己の諸属性を超える性的嗜好)(カッコ内は私の命名)という意味であり、どうも、少数...LGBT問題から国政罵倒に及ぶ(罵倒シリーズその10)

  • 「出さずに済ますはずの手紙」の話(「思い出すことなど」番外篇)

    長門市の「元乃隅神社」です。日本海に開け、西欧人など、異様に鳥居を好みますが、海とのコントラストといい、とても美しい景色です。私に言わせれば、南鮮も北鮮も見えず(海中には潜んでいるかもしれない。)、心晴れるような、心持になります。*****************************************人性のいかなる時期においても、折に触れ生じる「自己の感情の動き」というものは、他者には説明しがたいものである。それは、わたしたちが「関係存在」(人間存在は自分以外の他者、外部世界と関係して生きていく。またそうであるしかない。)であるしかないことにその原因があるのであろうか。長い人性のうちで、時間を経て、各人の相互関係といきさつの中で、よくも悪くも、大きな直接体験を媒介にして、人間の感情はいかようにも醸成さ...「出さずに済ますはずの手紙」の話(「思い出すことなど」番外篇)

  • 背負子(しょいこ)礼賛及び乳児ホルダー(だっこ紐)をめぐるクロニクル

    乳児を抱えた母親が、乳児を胸の前に抱いている光景を見始めたのはいつのころかと思い浮かべます。世情に疎い私にとっても、1990年(平成2年)のあたりではなかったかとおもい浮かべます。うちの子の乳児期子育て(1985年から1990年あたりまで)時期に、抱っこ紐(いわゆる胸に抱くタイプの乳児ホルダー、以下「乳児ホルダー」と称します。)が、私には一般的であったとはどうしても思えないのです。うちの娘が、こどもを持ち、支援を求めたとき、私は、背負子(しょいこ)(背中に負ぶるタイプの抱っこ紐、以下「背負子」と称する。)を買ってくれと強く主張しました。しかし、娘は頑として応じず、ついに、私が自腹をきって買いましたが、結局、ほとんど、使うことがありませんでした。同志(?)である、うちの妻に、「なぜ、背負子を使うように言わないのだ...背負子(しょいこ)礼賛及び乳児ホルダー(だっこ紐)をめぐるクロニクル

  • 「白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻」(2007年作品)を観て

    BS放送NHKの朝番組に、渡邊あゆみアナウンサーをMCとして、「NHKプレミアム・カフェ」という番組があります。過去放映した番組の中で、人気のある番組について、要望された番組を再放送する番組です。わが拙いブログでもそのうちいくつかについて触れたことがあります。この番組のMC(司会・進行者)の渡辺アナウンサーは、かつて黒田あゆみさんと名のっていたように思われます。それは、仕事(職場)名なのか、彼女は、良い時代のNHKアナウンサーの系譜を引いているようで、自分を目立たせず、上手に、番組とゲストとそれにかかわる逸話を導きだしているようです。その中で、折にふれ、何度も見かえしている番組の一つに、標記の番組があります。夫婦の登山家(登山家相互夫婦というべきかも知れない。)が、未踏峰の、極北のグリーンランドの巨大な岩塊に登...「白夜の大岩壁に挑むクライマー山野井夫妻」(2007年作品)を観て

  • ユニセフはカルトなのか?(罵倒シリーズその9)

    先に、「国境なき医師団」に対し、社費を流用した、理不尽な拠出に無思考、無原則に加担した、私企業ジェイシービーの拙速について、言及(拙ブログ、「拝啓ジェイシービーEC・ソリューション開発部様(あなた方の「不道徳性」について)」)しました。このたび、欧米発、第二次世界大戦の勝ち組の国家連合(以下「国連」と称する。)傘下のユニセフによる、目に余る、弱者(時に頭の弱い弱者です。)の煽動・そそのかし行為を、民放衛生放送で見ましたので、再度、告発します。そのコマーシャルにおいて、まず最初に、戦後学校給食に供された、脱脂粉乳を飲んで育ったという、上品で、お人よしそうなおばあさんが登場します。それはどうも、退職後間もないあるいは間際の団塊世代前後を、その射程においているのでしょう。彼女の問わず語りで、敗戦後(大東亜戦争によるも...ユニセフはカルトなのか?(罵倒シリーズその9)

  • くるくる(回転)寿司(「くら寿司」)罵倒(非常に不快である。)

    わが町、地産地消の「のんた鮨」(甲評価)のメニューです。後方、左手より、アジしょうがの巻物、右手さんまあぶり握り、前方、わが愛食する、生イカ梅巻きです。本日は、巻物を中心に、構成してみました。********************************************************山口県に存するわが町は、地方都市ですが、商工業都市という位置づけになっており、したがって、周辺からの買い物客が多く、そして、路線に沿って、外食レストランが林立しています。それはそれで、店舗の早い回転でレストランの有為転変もあるのですが、同じ場所で長期間延命していくのは大変なようです。私は「美食をしたい」とはあまり思わないのですが、皆と同様で「高くてまずいもの」は願い下げです。それなら、年金受給者とすれば、「自分で...くるくる(回転)寿司(「くら寿司」)罵倒(非常に不快である。)

  • 「福澤諭吉しなやかな日本精神」(小浜逸郎著)(PHP新書)について考える(または最終案内)

    かつて、著者の労作、「日本の七大思想家」において、著者は、日本の近代以降登場した、日本国のみならず、国民国家を超え、世界につながる、思想家、文学者、哲学者などを扱っていた。その中に、福澤諭吉(以下「福沢諭吉」と表記する。)も登場してきた。無知(恥)な私にとっては、予備知識もないような哲学者なども登場したが、既存の日本の近代以降の、従前の偏った歴史観、思想史研究の流れ、そして、その帰結と不可分である現在の混迷した時代情況に言及し、それを相対化し、総括しようとするかのような試み(私見です。)に、実際のところ、多大な共感をした。それは、あたかも、わがことのように、真剣に読めたところである(かの3.11後に出た本で、小浜氏は今何を考えているのだろうと考えていた、私にとって待望の本であり余計に思いいれがある。)。今思えば...「福澤諭吉しなやかな日本精神」(小浜逸郎著)(PHP新書)について考える(または最終案内)

  • 「人間としての尊厳」、「やさしさ」(ある程度、限定します。)について考えてみる

    うちの孫の好きな新幹線です。キティちゃんバージョンです。**************************************先に、友人のIさんという方と、それぞれの仕事にかかわることについて意見のやり取りをすることがありました。Iさんは監護職(私は広い意味で看護等と理解している。)であり、私もサービス業の一人です。Iさんは、自分の職責に、「人間としての尊厳」への配慮、という理念規定を挙げておられました。それに比べれば、私の仕事は、とりとめのない、その場限りである散文的な仕事であり、そこまで、厳しく、自分を律することはないのですが、考えてみれば、仕事に対する、理念というものは、私自身にも位置づけておく必要があるとも思われ、下記のとおり、お話しつつ、考えてみました。その際に、医療従事者、介護従事者などによく...「人間としての尊厳」、「やさしさ」(ある程度、限定します。)について考えてみる

  • 中也追慕

    (毎年4月29日に、山口市の中原中也記念館において、「中原中也賞」の授賞式とともに、「中原中也生誕祭」が行われます。その、公式行事として、一般の人を対象にして、申し込み順で、詩の朗読会があります。そのテーマは、中也の実作でも良いし、オマージュでも何でも自由らしいところです。今年、たまたま、その紹介番組をテレビで観ていましたが、どこかのじじい(蔑称)が、つまらない、政治的デマゴーグを読み上げ(あれは、バカサヨクではないのか。)、当方、赤面逆上し、中也になりかわり(?)、憤りを覚えました。やむなく、山口県在住のじじいの一人として、下記のとおり、つたない詩作をしたわけです。)私はかの写真を二葉見たことがある。一葉はあのお釜帽を被りランボオを気取ったような写真であるたとえばフランス名家のディレッタントとは当時このような...中也追慕

  • 「看護のための精神医学」(中井久夫著)について考える

    かつて読んだ本の中で、「私は大家(たいか)のように語ることは出来ない、普遍的に語るしかない」、というエピグラフがあり、当時、なるほど、と思ったことがありました(当該大家とは、文脈では、「小林秀雄」であったと思います。))。しかしながら、このたび、滝川先生の著作で紹介されて読んだ、かの「中井久夫」氏とは、本当の「大家」ではないかと思い至りました(私が「大家」と言うのもおこがましい話です。)。まず、巻頭に「(この世に治療できない病気はあるかも知れないが、)看護できない患者はいない。」、これこそ、まさに、大家の発言ではないかと思い至りました。すばらしい、箴言(しんげん:教訓、戒めとなる言葉)ですね。また、文中で、監護の業を、古代のシャーマンとの類比がされ、実際のところ、当時の部族祈祷師(?)も、命がけで(即座に鼎の軽...「看護のための精神医学」(中井久夫著)について考える

  • 「子どものための精神医学」(滝川一廣著)(「ショートピースの会」の活動に触発されて)について

    ********************************上記が、「発達の分布図」となります。このたび、勧められて、また、必要があり(「ショートピースの会」の定例会に参加させていただきました。その際、晴れて滝川先生が出席をされたわけです。)、上記の本を読みました。医学書院という専門的な出版社の本であり、典型的な文系である私とすれば、少しちゅうちょしたわけですが、決して「専門白痴(これは差別語か?)」ではない、滝川先生の他の著書も知っていたので、このたび、読ませていただきました。昨年(2月)出版以来、すでに、専門書として異例の8刷まで推移しているとのことであり、また、出席した方に、優れた著作物に与えられる高名な賞を受賞されているとも聞きました。この本について、詳しそうな友人にもいろいろ聞いてみましたが、結果...「子どものための精神医学」(滝川一廣著)(「ショートピースの会」の活動に触発されて)について

  • 「香月泰男」についての私的な思い出

    県外の友人から、世間話で、文学とか芸術とかで、山口県出身の天才といったらだれかなあ、と聞かれ、私がちゅうちょなく答えたのは、詩人の中原中也、画家の香月泰男(かづきやすお)(1911~1974)でしょう、と即答しました。どうしても、この点は譲れないところです(しかしながら、後者については、私には絵画に係る素養がないことはここで断言いたします。)。中原中也は、少なくとも、近代の、全国区の詩人ですが、絵画に趣味も教養もない私にとって、香月泰男を知ることが出来たのは、僥倖(ぎょうこう:偶然に得るしあわせ)であったというべきものかもしれません。学生時代、名著「生き急ぐーースターリン獄の日本人」(内村剛介著)(絶版)に出会い、その扉の裏面に、「運ぶ」という、香月の油絵の写真が載っていたのです。私の大学入学時(1974年)、...「香月泰男」についての私的な思い出

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