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Wind Letter https://blog.goo.ne.jp/3908kimi

移りゆく季節の花の姿を 私の思いを 言葉でつづりお届けします。 そっとあなたの心に添えてくださ

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2016/05/04

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  • 私の四季

    桜が散り我が家の庭もあわただしくなってきました。次々に咲きだす花を追っかけるように眺めています。待ち人が来るような楽しさです。花が一斉に咲きだすと今年も出会えた嬉しさで気持ちも弾んでゆきます。花の力は遠いどこからか私に運んでくれる今日の命のありか知らせてくれているようです。私の四季

  • 私の四季 木瓜が満開です

    この暖かさで木瓜の花が満開です。ご覧ください。私の四季木瓜が満開です

  • 私の四季 木瓜が咲いて

    春が手招きして木瓜(ぼけ)の花が咲きだしました。ミモザが終わり、そして木瓜が咲きだすと本当に春が手招きしているように思われ、庭に出ることが楽しくなります。木瓜は果実が瓜に似ているから木になる瓜として木瓜といわれているようですが、実際はバラ科だそうです。我が家の木瓜は義母が盆栽として愛でていたものです。義母が盆栽をすることができなくなってからを庭に植えました。もう25年ぐらいになりますが今年もたくさんの花をつけてくれました。種類は「日月星」と「東洋錦」です。一輪の枝に複数の花色で咲くのです。「日月星」は赤、白、白に赤の絞り「東洋錦」は赤、白、ピンクと咲き、まさに春にさきがけ、マジックにかけられたような鮮やかさです。「これだけは残してほしい」といった義母の気持ちがわかる思いで眺めています。義母の年齢と私の年齢...私の四季木瓜が咲いて

  • 浅春

    高安ミツ子冬の寒さにむずかっていた光にくすぐられたように紅梅の蕾は2月の風に咲き始めました余った寒さを余白にして蜜を求めるメジロのうぐいす色の翼と紅梅は春の訪れの近さを私に知らせてくれました今日の紅梅は幼子がふふふふと笑ったように青空いっぱい満開に咲いています鮮やかな紅梅のまぶしさに義姉がみまかりもう1か月が過ぎたことが蘇り消えることの重さを感じながら気配を捜すように散っていく花弁を見つめています幼いころ生母を失い姉が抑えていた悲しみが紅梅の花びらにあてどなく見え隠れているようにも思えますが義姉の命の終わりを明るく頑張った人生であったと讃えているようにも思えるのです別れの寂しさがその姿が思い出されます義姉のすべてを分かっていたわけではないけれどもう聞くことはできない義姉の声が浅春を巡っています浅春の日差し...浅春

  • 私の四季

    2月は一番寒い季節のはずですが気候が安定していません。冬の寒さが安定しないと植物や農作物にも影響するのではないかと案じています。。春といえば桜が一番です。桜も寒い日々を越してこそ美しい花が咲くと聞いたことがあります。今年の桜の開花の塩梅が今から案じられます。それでも春を待つこの心境もなかなか楽しいものだと思えます。庭に出た春一番のフキノトウを2回ほどてんぷらにして食しました。それは、それは口中が春の香にあふれ、苦みはさらにうまさを増し一足早い春の絶品を味わいました。おいしさの押し売りになってしまいましたが、平和であるからこそ過ごせる贅沢な日常に感謝したい思いがますばかりです。2月下旬に咲いている我が家の花です。ご覧ください。2月下旬の花私の四季

  • 私の四季

    2月に入り雪だよりも届く寒い日を迎えています。北陸の地震の様子を聞くたびにこの寒さを乗り越えるには身体も精神も並大抵のことではないでしょう。月並みな言葉しか見つかりませんが一日も早い復興を願うのみです。そして、日常をつつがなく過ごせる有難さを感じる2月を過ごしています。冬枯れの庭でも春を待つ花々の気配が感じられ、78回目の春を待っています。人生100年とお祭り騒ぎの掛け声がきこえてきますが、誰しも生きられることでもありません。それでも春を迎えようとする気持ちには何かに期待したい思いに駆られてきます。春待ち時に味わう思いかもしれません。いま椿が咲き水仙が咲き紅梅が咲きだし、そしてミモザが間もなく咲きだすでしょう。春を待ちながら草花の世話をしていると庭の花々は私を待っているような思いに駆られてきます。営みの中...私の四季

  • 北陸の街

    2024年1月11日(木)明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。元旦から石川県に起きた大地震には驚かされました。石川県の地形のなせる被害状況を知るたびに胸が痛くなります。早い復興と被災者の皆様の日常が戻られることをそして、心の安寧を願うばかりです。これからの寒さをどう乗り切ればよいか案じられます。輪島の朝市の街が延焼してしまった悲しい知らせを映像で見ました。天災の被害による人間の悲しみを言葉で拭うことはできないかもしれませんが輪島の旅を楽しませていただいた御礼に、その時書いた詩作品を掲載したいと思います。高安ミツ子時の嵐に壊されることなくその歳月を共に語れる喜びを二組の夫婦は老いる思いを後ろに回し旅の風に愛おしさを結びながら粉雪が舞う北陸の街に下りました雪に包まれた町も山も海も静...北陸の街

  • 「さよならこむぎ」

    高安ミツ子ダリアが咲き冬コスモスが咲きだした十一月八日こむぎは旅立ちました十九歳と十か月でしたこむぎは生後一か月で捨てられ拾い主の次男が我が家につれてきたのですタオルを持ってきて引っ張りっこ投げたボールを拾ってくわえ家の中を走り回りいつも遊んでほしいかわいい子犬でした私たちはこむぎに振り回されながらも愛おしさが積もっていきました自分の居場所を家中に作りマッサージチェアーに仏壇の前の布団に応接間の椅子の上にとろりとろりと居眠りしながら得意な鼻と耳で我が家の歴史を味わっているようでしたしかし眠っていても来客がインターホンを押す前にすばやく吠えるのです家を守るのは僕だからと言わんばかりです人の言葉がわかるようになり私がこむぎを抱いて庭の花を見せながら話しかけると分かっているよと目を何回もしばたかせるのですこむぎ...「さよならこむぎ」

  • 「また 明日」

    高安ミツ子冬の朝日は家並を照らし太古から続くイチョウを金色にして大樹の記憶を蘇らせながら昇ってきました慈しみの光の中で私の意識は飛び交い生きる喜びを手繰り寄せようとしています窓ガラスが温まるころになると意識のままに体は動いてくれません体は後姿を見せたまま坂道を降りていきます意識と体が離れていく気配には夭折画家が描いたような激しい哀しさではないけれどむなしさが線描画になって沈んでゆくのです過ぎた時間をいっぱい膨らませて今日の時間を図ろうとすると紙風船が舞い上がりますひいふうみいよお懐かしさがこぼれてきます二人だけになった庭に山茶花が咲きななやあこことおおやおや紙風船が連れてきたのか翼に白の紋付きを付けたおしゃれなジョウビタキが庭を歩いては小枝に停まり時と風と光に輝いています子供のころの遊びの終わりはいつも「...「また明日」

  • 「私の四季」アサガオ「天上の碧」が見事に咲きました。

    10月の花10月も終わりになりました。空気が澄んで涼やかになると花々の色が濃くなり鮮やかに咲いています。朝顔の「天上の碧」、「夕顔」、「ダリア」も秋を満喫させてくれます。夏は朝と夜しか開花を見られなかった酔蝶花も色が鮮やかです。夕顔も夕方から見られ楽しませてくれます。夕顔の種もみっしりと出来上ました。ご覧ください。「私の四季」アサガオ「天上の碧」が見事に咲きました。

  • 私の四季 「夕顔が咲きました」

    高安ミツ子あの猛暑はどこへ行ったのかと思えわれるくらい涼しくなりました。我が家の花も秋風によって少しずつ風景が変わりつつあります。中秋の名月には庭に咲く花を飾り名月を眺めました。日常の中で花たちが作る穏やかな時間とは実に心豊かになるものです。今は夕顔祭りです。今年は,撒いた種からたくさん夕顔が育ち近所の方々に苗を分けて差し上げましたがそれでもたくさん残り紫陽花や「ナニワイバラ」の近くにも植えましたところ育ちがよく蔓を伸ばし其々に絡まり庭のあちこちに純白で咲きだしました。紫陽花や「ナニワイバラ」にはすまない気持ちですが1日合計すると50個ぐらい咲いております。夏のころは夜半しか見えないのですが涼やかになると夕暮れ前から咲きだします。まさしく夕顔祭りです。夜半になると咲いた夕顔に敬意を表して一つ一つ数えて眺め...私の四季「夕顔が咲きました」

  • 随筆「8月の思い」

    高安ミツ子異常気象が続いた八月が終わりました。日本の季節が変わってしまうのではないかと危惧するくらいの猛暑は続き、体調も疲労感が増すばかりでした。それにつけても、猛暑と同様に社会の動きが暑苦しく感じます。ウクライナの戦争は続き、テレビの情報は稚拙で品位がなく、CMは人の欲望を煽っているように思えてなりません。欲望の追及は人に幸福感をもたらせるものなのかと問うてみたくなるのは私の年齢からくる所以でしょうか。変わりゆく時代の中で私の八月を記してみたいと思います。我が家の八月は猛暑と愛犬「こむぎ」の介護と草花の水かけの日々そして私がインフルエンザにかかったことでした。愛犬「こむぎ」は一九歳と八か月が過ぎ、何とか頑張っています。今は歩くこともままならずおむつを付けた状態です。横になったまま足をバタバタさせたとき、...随筆「8月の思い」

  • 「私の四季」8月最後の花が咲いています

    。猛暑の中、花の葉がやけどをするくらいの日々が続いています。それでも少しずつ変化を見せながら庭の花たちが咲いています。「夕顔」も暑い日のため蕾を持っても咲ききれず散ってしまうものが多くありますが夜半になると純白の美しさを見せてくれます。ただ闇に咲いていますのでライトで照らさなければ見られません。その香りの良さは猛暑を忘れさせてくれます。涼風が吹くようになると夕方から見られ、今日はいくつ咲いたか幼児のように数えながら楽しんでいます。万葉植物の「檜扇」「南蛮ギセル」は強いから生き残ってきたのでしょうか。元気に咲いています。ちなみに「南蛮ギセル」は万葉のころは「思い草」といったようですが南蛮人が吸っているキセルに花の形が似ていることから名前が「南蛮ギセル」に変わったようです。個人的には「思い草」のほうがよいと思...「私の四季」8月最後の花が咲いています

  • 私の四季

    高安ミツ子烏瓜の花を捜しに行きました。秋になると山間や藪の中に、赤い実をつけた烏瓜が見られます。その烏瓜の花は夏の夜咲くのです。まるで人に見られるのを嫌って咲いているようにさえ思います。花は幻想的で妖艶さがあります。烏瓜の実を見た場所を予想しながら夫と出かけました。しかし暗闇に咲く烏瓜の花を懐中電灯では見つけるのは難しく、一枝だけようやく見つけることができました。花には品種改良されていない原種の誇りがあって息をのむような美しさでした。暗闇を幻想的に咲く花、秋空を鮮やかに実る烏瓜の実、その想像しえない落差にとても不思議さを感じる花です。私の四季

  • 桐の花

    高安ミツ子「この木でお前のお嫁入りの箪笥を作るんだよ」と父が植えた桐の木を見あげた頃父は優しく大きく見え桐の木は不安なく青空に伸びていきました首飾りを作るためにいくつもの桐の花を拾いました勾玉や貝殻を身につけていた女性の意識が幼い少女の首飾りにもとまったのでしょうか紫色の桐の花はなぜか大人の雰囲気がして子供の色ではないように思えたのですいくつもの季節が桐の木をゆすると日常を踏みはずした父の惑いが私の記憶から桐の花を消してゆきましたまたいくつもの季節の風が吹きいまや残照を歩く私の日常には雨宿りした風景は遠のくばかりです歩き疲れて立ち止まると日暮れの澄んだ空気が突然風化して行く過去からぽっと桐の花を蘇らせたのです紫色の桐の花むらさきむらさきすると父の哀しみが瀬音のように聞こえてきます転がる時が私を振り向かせた...桐の花

  • 私の四季 風蘭が咲きました

    高安ミツ子猛暑日が続いています。子供のころこんな暑さはなかったように思えます。それでも庭の花たちは咲いてくれます。今は朝早く起きて花たちに水をあげる日々です。涼やかさを感じる風蘭が咲きました。香りが気品があってその純白の花を見ると涼やかさを感じます。また酔蝶花が咲きだしました。今は朝夕しか花が見られんません。日差しが強い時期は花はしおれてしまいますが秋口になると色が鮮やかになり日中も咲いてくれます。今年に庭のいたるところに種をまきましたので楽しめそうです。また詩集を出版した際お祝いに胡蝶蘭をいただきました。感謝の気持ちで何とか育てようと冬の時期を悪戦苦闘して育てましたところ戴いてから2年ぶりに咲きました。とても感動しています。涼しさをお届けできればと願っています。ご覧ください。私の四季風蘭が咲きました

  • 私の四季 「7月の花」

    高安ミツ子梅雨明け宣言はまだですが毎日猛暑が続いています。この暑さで庭の花々も日中は熱中症にかかったようにぐったりとした花もあります。ですから。早朝と夕方の水やりは欠かすことができません。花たちの命にかかわってくるので「早起きは三文の徳」と思いながら朝のみずみずしい花たちを眺め雑草を抜いたり、庭を掃いたり、枯れた葉や咲き終わった花々を切ったりといそがしい朝を過ごしています。中でも夏らしい花の一つに「かんぞう」があります。夕方になるとしぼんでしまう一日花です。野性を帯びた百合のような花でそのオレンジ色は実に鮮やかです。万葉集では「わすれぐさ」としてうたわれたようです。聞くところによるとこの花を持っていると、辛いことを忘れることができると信じられていたそうです。花物語を知ることも実に楽しいことでもあります。時...私の四季「7月の花」

  • 6月の詩作品 「鶯のさえずり」

    高安ミツ子日常の図柄を弱くしたコロナの暴走は生活様式をがらんと変えてゆきましたそんな折孫とのリモート授業が始まりました笑って映る孫のパソコン映像には救いがあり頼まれた時間は一輪の花をみる楽しさでしたあなたの学校生活でもコロナの影が歩いていましたが今日の出来事をあなたは若さの早口で話します数学の授業は後回しにしてばあばは今日の出来事を聞いています育ちゆくあなたとの最後の時を感じますがいっぱいいっぱい聞いて庭に咲く花と一緒に花瓶に飾ることにしました少しの間二人で会話遊びしましょうよ正二十面体の中に潜り込み転げまわりましょうか止まることのない時間を感じますがそれでも雨上がりに見つけた木苺を二人でつまんだような気持になるのです思い出歌を口ずさみ紡いだあなたとの三年間は風のようでしたそして命の重なりを感じばあばは死...6月の詩作品「鶯のさえずり」

  • 「私の四季」 6月の紫陽花

    雨に濡れた紫陽花は6月の庭をゆっくりとやさしい風景にしてくれています。梅雨の季節に咲く紫陽花は色も鮮やかで、そのみずみずしさは心の底に眠っている思いが蘇ってくるような気持にさせてくれます。抒情があってとても人の心をひきつける花だと思います。美しい花を見た感動はなかなか言葉にはなりません。「ああ」とか「うわあ」とかそんな言葉が最初に漏れます。しばらくして花物語や花言葉やそれぞれの人生と重なっていくように思えるのです。紫陽花の青は人の物語を吸い込んでくれるような色合いに思えるのは私の感情移入の多さでしょうか。江戸時代オランダ商館の医師として日本に来た「シーボルト」もこよなく紫陽花を好み,本国に帰り、紫陽花の花の命名に関して、シーボルトの日本人妻であった方の名前を付けようとしたとも聞いたことがあります。それほど...「私の四季」6月の紫陽花

  • 随筆 「思い出の絵画」

    高安ミツ子庭の花々の世話で飽きることのない日常を過ごしていますが、先が見えないコロナ禍の三年間は内省することが多くなり、そのうえ老いへの更新は止まることがありませんでした。日々私のどこかが削られていく思いがありました。私の立ち位置から考えても未来を想像することより、過去の時間が多い所以でしょう。年齢を重ねた特権でしょうか数々の思い出が蘇ってくるのです。自己の感傷かもしれませんが、一枚の写真のように心の底から浮かび上がってくるのです。それは一種の懐かしさをさ迷い歩くような思いにもなります。日常の合間に、季節の彩の合間に、私の心模様によっても思い出は蘇ってくるのです。私の心が漠然とした寂しさを感じるとき蘇る一つの絵画があります。日本画家横山操(よこやまみさお)が描いた「瀟湘八景」(しょうしょうはっけい)そして...随筆「思い出の絵画」

  • こむぎの日記 「僕の終章」

    高安ミツ子僕は一九歳と四ヵ月になりました後ろ足が痛くて力が入りません足が流れてへたりこむのですわかっています僕の時間は限られていることをそれでも好きな朝の空気を吸いたいのです歩き出すとしゃがんでしまうのですがお父さんと家の前でうろうろと庭でとぼとぼと今日の命を知るのです餌台の雀が僕を意識しながら餌を食べています僕はちらりと鷹揚なそぶりをしますがやはりよろよろです家の中ではおむつをつけてよろろりとへたりますお母さんは「こむぎはえらいね」と褒めてくれますお父さんは「我が家に来て19年ありがとう」とお礼を言いますお母さんは僕を抱いて毎日縁側から心地よい庭の風景を見せてくれます視力が弱った僕に咲いた花の名前を教えてくれます今年の春は急ぎ足です僕が目覚めるたびに風景が変わっていくのです利休梅も終わりつつじが咲き牡丹...こむぎの日記「僕の終章」

  • 「私の四季 」 つつじが咲き,牡丹が咲き春の輝きが増しています

    4月の風景は鮮やかです。なにもかもフフフフと笑っているようにさえ思えます。庭ではいそがしく春の花々が咲いています。つつじが咲き,牡丹が咲きそして薔薇が咲きだしました。なにわいばらが今はみごとに咲いています。いそがしく眼を動かさなければ、花は散ってしまうので日々気をもんでいます。私の1日のスタートは庭を眺めることから始まります。毎日水をあげ、肥料を施しあるいは植え替えを行い、花々と一体になる喜びを感じています。シジュウカラの囀りが心地よさを増してゆきます。「春眠暁を覚えず」といいますが朝の訪れが早くなり、そして日差しのかがやきが楽しい季節です。穀雨という穀物を潤す春の雨が降る季ありますが、春は生きている喜びを感じさせてくれます。我が家の4月の花々をご覧ください。「私の四季」つつじが咲き,牡丹が咲き春の輝きが増しています

  • 「私の四季 」木瓜(ぼけ)が咲きました

    春が忙しくやってくる3月ですが、その3月も終わろうとしています。まるで春風がそれぞれの花々の頭をなでて走り回っているかのように思われます。我が家の庭の花は次々に咲きだし色鮮やかな庭になりました。「世の中は三日見ぬ間の桜かな」と言われます。世の変化も早いのでしょうが、桜と同様に毎朝眺める庭の花々の変化には驚かされます。木瓜の花が2,3輪咲きだしたかと思うと瞬く間に、満開になり、気づくと木瓜の花にメジロが来て蜜を吸っています。その景色は平和な安らかなひと時を味わわせてくれます。万葉集にも野の草花や花木をうたったものがたくさんあるようですが人の心に寄り添ってくれる草花の癒しは時代を越えて日本人の中には流れていることを感じます。昨年花友達が若くして逝ってしまいましたが、花を見るたびに友と語った思い出がよみがえりま...「私の四季」木瓜(ぼけ)が咲きました

  • 随筆「よもぎ摘み」

    高安ミツ子寒さの中でも、少し暖かい日があって、紅梅が一二輪咲きだし、庭に萌黄色のふきのとうを見つけると春の前触れを感じます。「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ」と百人一首の歌が思い出されます。我が家(夫と二人)の春を呼ぶイベントによもぎ摘みがあります。摘む場所は義母の生家の方が教えてくれました。犬も人も入らないよもぎ摘みに最適な場所でした。摘んだよもぎのごみを取り,茹で、蒸したもち米と混ぜ餅つき機に入れます。つきあがると草餅が出来上がります。草餅を丸めますが、形は一定にはいきません。それでも、草餅は春の色合いと香りをもたらせ華やいだ気分にさせてくれます。出来上がった草餅は春便りと称し子供や兄弟に送っています。終わるたびに、来年は無理かもしれないと言いつつ新しい春を何回か迎えてきました。...随筆「よもぎ摘み」

  • 「私の四季 」 寒さの中でも咲きだした2月の花々

    寒い2月も終わりに近づきました。風は冷たくほほを打ち我が家の庭もひっそりと春待ち顔です。それでも少しずつ春が近づいていることを花々は教えてくれています。庭の餌台には大きなヒヨドリが一番手でやってきますが、雀もおどおどしながらも餌を食べに来ています。気が付くと餌はすべてなくなっています。2月の花々をご覧ください。「私の四季」寒さの中でも咲きだした2月の花々

  • 詩「十枝の森は落ち葉の小径」

    森は百年単位の時を数えています落ち葉の小径がそこかしこへと広がり最後の当主を失っても樹木は生命を語り続けているのです大干ばつに苦しむ農村を救うために両総用水の実現に生涯を捧げた父を母をそして兄を見送り血縁の思い出が深いこの屋敷を樹木を必死に守りぬこうとした最後の当主の声がいたるところに散らばっていますあるがままの自然を守ろうとしたのはあるがままの生き方を求めた当主の願いでしょうか森の落ち葉の小径は迷路のようです屋敷は400年を越えたクスノキを先頭に南天の赤い実が歴史を語るように鮮やかですいろは紅葉が初冬の風を飲み込んで色付き悠久の美しさを語るようです森は当主のたたずまいのように凛としています義母と幼なじみであった最後の当主十枝澄子さん私は電話での声しか知りませんが恵まれた村長の娘から屋敷を買い戻そうと歩ん...詩「十枝の森は落ち葉の小径」

  • 詩「初冬の風」

    高安ミツ子時代の笑みを浮かべ百歳の旗を掲げた押し売りが生き方ビラを届けようと玄関チャイムを鳴らし続けています私はためらいがちに我が家のチャイムは遥か遠くから私の思い出を連れてくる人への目印なのでそのチャイムで私を呼ばないでください私は髪を染めることを辞め一と自分だけしか割ることができない素数のようにただ私の運命を歩こうと思っているからですごみ箱に捨てられたように玄関チャイムは止みました思い出は簡素なものだけれど蘇る幾つもの風景幾人もの声は後悔や懐かしさで時を越えて私の心をめぐっていきますふとひたひたと感じられる今日の風は私の人生のどこで会ったのか思い出せないけれど情感にあふれた微笑は温かいのです鮮やかに色付いたカラマツやハゼの小径ですれ違った人なのかもしれませんみやると冬空に皇帝ダリアが咲きネリネも鮮やか...詩「初冬の風」

  • 「私の四季 」 皇帝ダリアやネリネが咲き晩秋を感じる季節になりました。

    11月も終わり近くなり1年の速さを感じます。我が家の愛犬「こむぎ」は12月でまる19歳になります。犬付き合いが悪くて家族以外はあまりなつきませんが、とてもやさしくて律儀な犬です。慣れないのは捨て犬であったからかもしれません。目も悪くなり、この頃は散歩も家の周りだけで後ろ脚の筋肉が弱っているため餌を食べる時、後ろ脚が滑ってしまいます。寝ていることが多くなり立ち上がるのも大変そうです。毎日「こむぎ」を抱いて庭の景色を見せてあげると嬉しいのか私の顔をペロリと舐めます。以前はうれしいときは猫のようにゴロゴロと感情を表現しましたがこの頃はできなくなりました。家の中でそそうをすることも多くなりました。しかし、家族として、どんなに癒されたかしれない愛犬です。別れの覚悟はしなければならない時期に来ていますが、今日も庭の花...「私の四季」皇帝ダリアやネリネが咲き晩秋を感じる季節になりました。

  • 「私の四季」朝顔「天上の碧」が10月中旬から咲きだしました

    朝顔「天上の碧」秋の深まりが感じられます。朝顔「天上の碧」が見事に咲きだしました。息をのむような碧の色彩で、さらに朝だけでなく夕方まで咲いています。今朝の朝顔の咲き具合はどうか、確かめるのが目覚めの楽しみになっています。日本画家鈴木基一が描いた朝顔の絵のようです。梅の木の枝に絡まり、まさしく名前の通り「天上の碧」洋名(ヘブンリーブル―)です。昨年弟の家であまりにも見ごとに咲いていたので苗をもらい植えました。心待ちにしていた10月の朝顔です。気温が下がってきたからでしょう、他の花々も色鮮やかで秋のページをめくっています。「私の四季」朝顔「天上の碧」が10月中旬から咲きだしました

  • 随筆 「逝ってしまった花友達への手紙」

    高安ミツ子最近、私の周辺で逝去される方が多く、残された者の寂しさを味わっている矢先でした。花の好きな私の友が突然、旅立ってしまわれました。数日前、電話で友の悦子さんは「病名が分かったので高安さんのお家に今まで通りには伺えない」と話されました。私は「それでは、私が庭に咲いた花を届けます」と話したばかりでした。耳元に残る最後の会話が蘇り、とても逝去の知らせは信じられない思いでした。現実を受け止めなければならないのですが、虚しさが内部から突き上げてきて、もう共有する時間がない寂しさを深く感じました。悦子さんは私よりも年下で、しかも六十代の若さでこの世を去られたのです。私の心は真夏の落とし穴に落ちてしまったような苦しい思いがしました。けれど、棺の中の悦子さんは、いつものように穏やかなお顔でした。止まった時間を受け...随筆「逝ってしまった花友達への手紙」

  • 「私の四季」 夕顔が咲いて そして9月の花

    高安ミツ子猛暑が終わるころになると夕方から早朝にかけ咲きだすのが「夕顔」です。ちなみに、この夕顔は「源氏物語」に出てくる夕顔とは違い明治になり外国から輸入された花だそうです。純白で大輪に咲く花です。一度見たら記憶に残る花と言えましょう。その香りはほんのりと気高さがあって宵闇に見る夕顔は息をのむような美しさで魅力的な花です。毎年、夫が種を傷つけ5月に蒔き本葉が出ましたら近所の花好きな方々に差し上げています。花好きなうちのおひとりで、とても夕顔の好きな花友達がいました。花の香りを掌で包むように顔を着けて花を愛おしんでいた様子が思い浮かびます。花を通し生活や今の自分の思いを互いに語る楽しい時間がありました。その友が突然60代の若さで亡くなられました。突然のことで信じられない思いが続いています。しかし、現実は会え...「私の四季」夕顔が咲いてそして9月の花

  • 立葵の別れ

    高安ミツ子弱った蝶が命の厳しい連鎖で夏の終わりを知らせていますふと逢えないままの君の顔が蘇りそぞろ心の私を横切っていきますまん丸眼の君は幼いながらはぐれることへの恐れを感じるのか我が家に来てから母の姿ばかりを追って泣きました自分の運命を感じているのか聞き分けがよすぎるからか愛おしむように父は胡坐に君を座らせていました母の慈しみで元気に育っていった君ですが君の父親が迎えに来た時母の手を振り切って飛びついていきました君の思慕の深さを知り父母の眼は濡れていましたすでに君の消息は絶えたまま成長した姿はわかりません幸せであってほしいと願いながら君の姿はあの時のままで止まっています立葵の前で笑みを浮かべた君の一枚の写真に半世紀過ぎてもあやうい君の幼い姿を何故か夢想してしまうのは私がかすかな時の中にいるからでしょうか晩...立葵の別れ

  • 「私の四季」酔蝶花が咲き、風蘭が咲きました。

    猛暑の夏は植物たちもくるしげですが、それでも夏の宵から翌朝にかけて酔蝶花は鮮やかに咲きました。そして風蘭が木陰で涼やかに咲き見るたびに心が踊ります。西洋蘭のように華やかではないなりに美しさの余韻が残ります。「私の四季」酔蝶花が咲き、風蘭が咲きました。

  • 「私の四季 」紫陽花が咲きました

    高安ミツ子紫陽花が咲きだしました。庭中をいろどっています。種類により紫陽花の咲く時期は多少のずれがあります。しかし、実に梅雨に似合う花だと思います。早く咲くのは従来あるマリンブルー色で手毬のように咲く紫陽花と純白に咲く柏葉紫陽花です。それから額紫陽花が咲き他の紫陽花もつぎつぎと咲くこの時期は、目覚めるのが楽しみになります。更に家中が紫陽花づくしになります。仏壇や居間や玄関、はたまたトイレまでそれはそれはうれしく思います。ご近所のお花が好きな方々にも差し上げています。7月になったら翌年咲いてもらうための枝切の世話をしなければなりません。そんなときは体力の衰えを感じながらも来年咲いてほしい一念で作業にいそしみます。コロナ禍で人との交流が少なくなり、寂しく思われるときもありましたが庭に咲いている花々でどんなに慰...「私の四季」紫陽花が咲きました

  • 詩 こむぎの日記「僕は90歳」

    高安ミツ子僕は90歳のなりました目覚めるとお父さんと家の周りを散歩します遠くには行きませんだって無理なのです。後ろ脚の筋肉がなくなり氷の上を歩いているように滑ってしまうからです鶯が朝のグラデーションを描くように鳴いています四十雀が体を揺らして囀っています朝の空気は格別なのに僕は僕の命を何故か悲しく感じます毛並みも落ちて自慢だった尻尾も今は古びた箒のようで自慢するものは何もありませんこの頃は目が悪く時々外の塀にぶつかります散歩の後は眠るだけなのですお父さんとお母さんは「こむぎはりっぱだね」とほめてくれます僕が家で粗相をしても叱りません90歳だから許してくれるのです僕が食べられるように餌も考えてくれますお母さんは僕を抱っこして庭の風景を見せてくれます僕は弱ってしまったけれど深い青と純白に咲いている今日の紫陽花...詩こむぎの日記「僕は90歳」

  • 「私の四季 そして詩」 薔薇が次々と咲き、庭の花たちは忙しそうに5月を咲いています

    怖さも悲しみも知らないころ父が撮ったモノクロ写真弟と私はつるバラの前で笑っています薄くルージュを引くころになると哀しみを知りました別れがありました私の心はがらんどうのまま赤いつるバラをすっかり忘れていました私にとって忘れることが生きることでしたバラを漢字で薔薇と書こうと思ったころ風景が少し動きだしました私と夫の手にぶら下がり見上げる幼子の問いかけに愛おしさが溢れだし私の風景は穏やかに弾みバラを花瓶に活けるようになりました今は巣立った子供たち残された時間鮮やかに咲いたバラの前で呑みこんだ時間をまさぐるようにまた弟と並んで写真を撮りましたバラの輝きとまぶしさに二人とも心はゆらゆら揺れていつか消えていく命を覚悟しながら照れ笑いをした二人の影法師はあのときのモノクロ写真にかさなりバラの香りは遠い記憶をやさしく包んでいま...「私の四季そして詩」薔薇が次々と咲き、庭の花たちは忙しそうに5月を咲いています

  • 私の四季 麦なでしこが咲いています

    麦なでしこ忘れていた恋しい思いを連れてきては鮮やかに今年のワルツを踊っている麦なでしこ風に揺れ私の思い出をたくさん集め70を越えた私の哀しみに寄り添って今日の楽しさを私に手渡してくれています日差しは私と麦なでしこをやさしく包んでいます私の四季麦なでしこが咲いています

  • Wind Letter 詩「 願成就寺の桜」

    高安ミツ子み寺の風景が目覚めたように枝垂れ桜がそして染井吉野が今年を約束したように勢ぞろいして境内で咲き誇っています長い歴史の境界線をついばむように頭上から鶯の囀りが聞こえてきます鎌倉幕府の滅亡から激動の時代を歩いてきたみ寺土気城主の酒井定隆による「上総七里法華」なる法華宗への改宗とみ寺は受け止めた運命を桜と一体になって今の時間を染めています生命の果てがあることを桜は知らせていますが何故かこの淡い花々に明日への願いがかすかに湧いて桜を愛でた定家の歌が蘇りますみ寺の歩いた歴史が何故か人の悲しみに重なり花吹雪となって舞い散っているようにおもえますああ突然古木の枝垂れ桜が人族の愚かさを切断するように大きく揺れましたそして生きるための折り合いを捜している私を飲み込んでゆきました鶯の囀りが地方の歴史を背負ったみ寺と青空を...WindLetter詩「願成就寺の桜」

  • 私の四季 3月22日の庭

    3月22日の庭の花高安ミツ子3月といえども寒い日があって気候はなかなか落ち着きがありません。それでも庭の花々は咲きだし、春の知らせを運んでくれています。人との交流が少ないコロナ禍であっても庭の花々は色彩豊かに生きる喜びを伝えてくれています。私の四季3月22日の庭

  • 随筆 「コロナ禍の日々」

    高安ミツ子コロナ禍で生活していると外とのかかわりが少なくなるので自分の心探しをする時間が増えていくように思える。思い出巡りが格好の時間となっている。私の年齢になると思い出が多くなり、その中でも覚えているものと忘れているものがまじり合って時は過ぎている。しかし、ふとした出来事で、過去が私に握手をしてくるような思いに駆られることがある。その一つの出来事を記してみたいと思う。歌舞伎役者の中村吉右衛門が昨年の11月に逝去された。ほぼ私と同世代の77歳であったことを知った。まさしく、吉右衛門の死は私の思い出の一つを蘇らせてくれたのである。~太宰治の作品集より~「太宰治の生涯」と銘打った、作品を通した太宰の生涯の芝居を東京の芸術座で見たことがふいに思い出された。昭和四二年の公演で太宰治役は中村吉右衛門であった。演じる役者は...随筆「コロナ禍の日々」

  • 随筆 「若木山」作品との出会い

    随筆高安ミツ子日本画家若木山「芙蓉」私は昨年の九月に「今日の風」と題した詩集を発行しましたが、発行にあたり日本画家若木山氏の作品「芙蓉」を表紙絵に使わせて戴きました。使用にあたり、ご遺族であるお嬢様道守友視さんからは快いご承諾の賜り、心から感謝したい思いでおります。作品「芙蓉」は嘗て義父が若木山氏から直接購入したもので、私が結婚した当初から我が家に飾られておりました。我が家には若木山氏の作品が三点あります。一点は夫高安義郎が出版した詩集「母の庭」の表紙に使わせていただいた「紺春」と題された絵で、二本の木蓮の花の背後から白や桃色や赤の椿がこぼれんばかりに咲いて、輝くように咲く春のまぶしさが表現されています。二点目が「芙蓉」で、夏の日差しを浴び、風を受け花よりも花らしくと思えるほど夏を鮮やかに咲いています。三点目は...随筆「若木山」作品との出会い

  • 郷愁の秋

    詩集「今日の風」第4章春夏秋冬より高安ミツ子父母が亡くなり伯父がそして叔母が亡くなり車窓に映る故郷への道は細くなるばかりです故郷への思いは秋の風が吹くたびに私の心の深い吹き溜まりに懐かしさと置き忘れたものが混じり合いハゼの葉が赤く色づくように蘇ります車窓に映る信州の山々は龍の小太郎伝説があるように天に昇っていく山霧に龍が隠れているように思えます龍は尾をゆすり全山の木々を撫(な)でカラマツを桜をもみじを銀杏をそして野草をも全ての物に息をかけて秋色に染めています赤く熟した柿は山霧に巻かれるたびに甘さを増し深まりゆく秋を私に知らせています私の楯になってくれた人の声が故郷では聞こえなくなり山霧の向こう側に消えてしまったかもしれないがこの空気とこの風と山並みはあの時のままです突然車窓の秋の紅葉はグラデーションをもった旋律...郷愁の秋

  • 私の四季 10月の花

    中秋の名月も終わりすっかり秋の気配を感じます。私は詩集を出してから少し疲れを感じますが多くの方々からお便りをいただき感謝の気持ちでお返事を書く1か月となりました。我が家の庭もすっかり秋の気配で移りゆく季節を楽しんでいます。咲いている花の写真をご覧ください。私の四季10月の花

  • 詩集「今日の風」発行される

    Amazonから9月8日発売長らく詩を書いてきましたが、体力的にも衰えを感じるようになりました。そのため第2詩集以後の作品をまとめ最後の詩集として出版することにしました。ご高覧いただければ幸甚です。Amazon紹介文より第2詩集を出版してから長い時が経過しました。日々の生活や仕事に追われながら、少しずつ書いてきたものが今回の詩作品です。この間に家族を慈しんでくれた義父母が他界し、二人の子供も家庭を持ち気が付いてみれば我が家は夫婦二人と老犬のみになっていました。私の詩作品は未来を切り開こうとする力も、時代を先取りしようとする物でもありません。ただ、私の人生に寄り添ってくれた作品ばかりです。その意味では単なる言葉遊びにすぎないもしれません。それでも書くことは私の心の在りようを知ることであり、私にとって生きる力になる...詩集「今日の風」発行される

  • 夏の大樹

    樹齢数百年の欅は今年の命を鳴く蝉を抱いて夏空の下大らかに立っています自らの命をひたむきに鳴く蝉に悲しいうねりが感じられ生きるとは幾つもの哀愁の花を手折ることだと思えてきます深い年輪の大樹は記憶を呼び寄せるのでしょうか今は亡き人の面影が蘇りゆるやかに私の心を横切っていきます目を閉じると蝉時雨は私の心をからめ夏空に帆をあげるヨットの心地よさで思い出と共に大空に昇っていきました大樹の欅は天の高低を測るようにさわさわと枝を揺らし揺るぎなくあるがままの姿で立っています老いていくこの命変わりゆく時代蝉時雨に似たはかなさを背負った今の私私は胸いっぱい日差しいっぱい夏に挑むように心の舵をきりましたすると大樹は私のつぶやきを一気に集めて涼やかな力で空を背景に風を呼び大樹の果実になれるように私を包んでくれました今年の命を鳴く蝉を抱...夏の大樹

  • 私の四季

    お盆を迎えましたが、今年はコロナのため寂しいお盆となりました。毎年盆棚を作り、ろんなお供えをして先祖を迎えます。今年は子供や孫たちはリモートでの焼香となりました。雨が降りお盆の雰囲気はないお盆となりました。今月の我が家の花をご覧ください。私の四季

  • 私の四季

    四十雀(しじゅうから)が梅雨を運んできたようにさえずっています庭の紫陽花は雨にぬれて誰かにことづてを伝えるようにいっぱいいっぱい咲いています今日の紫陽花は私の機嫌をくすぐり私の物語をつなぎあわせとっておきのショパンを聞かせてくれます6月は紫陽花が咲き庭もさることながら家中紫陽花づくしです。仏壇をはじめどこの部屋にも紫陽花を飾り楽しんでいます。我が家の6月の花をご覧ください。私の四季

  • Wind Letter

    高安ミツ子切通坂を登っていくといっせいに木々の梢は天女にでも触られたような輝きで頭上高く初夏に揺れていますそれは悠久を歌う重みの声で初夏の足音は命の蔓となって崖から空に延びています人影のない切通坂苔むした岩間からの絞り水は坂道をぬらし水と羊歯と樹木は急な勾配を縁取るように続いています日付のない日記の寂しい気持ちを優しく包んでくれるのは太古から続く季節の唄なのでしょうか切通坂の生命の響きは水彩画のようにたっぷりとした愛おしさで今を生きよと私の耳元でささやいています重たく歩む私の意識はそれでもか細い一本の木立ちのように風景に染まっていきました切通坂は街並みをつなぐように忘れられた私の若さと私の老いをひっそりとつないで喜び悲しみの清い思いのかなたに蝶が飛び交っていると思わせるような私の鏡になっていきました切通坂は初夏...WindLetter

  • 私の四季

    コロナ禍ですが、日常の生活は流れています。朝、目覚める時、鶯の鳴き声がしてとても幸せな思いになります。鶯も場所により鳴き声が違うことを知りました。子供の住まいで聞こえた鶯の鳴き声は「ホーホケキヨ」キとヨが強く聞こえます。家では「ホーホキョ」ケの音が聞こえません。市の在のほうで聞いた鶯の鳴き声は「ホーホケ」とキョをを省いて鳴いていました。知り合いに言わせるとこれは鶯の方言だということでした。何か、とても楽しくなる出来事です。コロナ禍でも自然の移り変わりは人よりも大きな力で人の心のありようを知らせてくれているように思えます。我が家の庭に咲いた花々です。私の四季

  • 私の四季

    高安ミツ子コロナウイルスの蔓延で多くの人々が閉塞感の中で生活していると思われます。この時期だからこそ、日々の暮らしの中で、生きることの何かを問いかけられているように思えます。体力のありようや心の持ちようをどうしたいのかも考えさせられます。個人的には私は昨年の八月から体調の悪い日が続き、コロナと私の体調にはどんな因果関係があるのだろうかとすら思う日々でした。いま、庭にはミモザが咲いています。春をいち早く知らせて咲く花です。洋画家三岸節子の描いたミモザの作品に感動して、小さな苗を購入し鉢植えにしたものですが、二十年以上我が家で毎年咲いてくれます。コロナ禍の日々でも、ミモザは房状の花をつけて、その黄金色の色彩は目を見張るものがあります。三寒四温の中でも、その大らかさに心が洗われ、喜びは自らが作り出さなければならないこ...私の四季

  • Wind Letter

    高安ミツ子冬空を鮮やかに彩っていた皇帝ダリアが一晩の内に霜枯れてしまった朝義母は静かにみまかりました冬が南天の赤い実に寒さを結んでいくように沢山の思い出を私に結んだまま義母は永久の眠りにつきました最後は自分が誰であるかも生きている風景も見えなくなってしまった義母の寂しさを思うとまだ暖かさが残る義母を何かで包んであげたいと思っても私は自分の顔を重ねて泣くことしかできませんでしたあなたと最も近しい距離にいられたはずの時間は別れの深さを伝えていました夫と二人で見送った朝義母から託された約束のナデシコの浴衣を義母に着せましたそしてお化粧をすると昔の義母の面影が蘇り義母は安らかな顔になりましたここ数年義母をつなぎ止める言葉が見つからず波がひいていくように私たちから遠のいていきましたそれは誰かが大きなヤツデの葉を振り払って...WindLetter

  • 私の四季

    明けましておめでとうございます。昨年からコロナのため家にいることの日々でしたが、その延長の新年を迎えました。子供たちや孫たちも今年はお正月には来ないため静かな、少し寂しいお正月となりました。大変な中で人々はいろんなことを考え乗り切ろうとしています。私も今自分ができることをと思いながら過ごしていますが昨年から体調を崩し何もできず、足の痛さと血圧の不安定と息苦しさに見舞われてきました。ここへきて、やっと足の痛さ以外は落ち着いたところです。新年を迎え輝く朝日を見ながらコロナが一日も早く収まることを祈りました。過去の歴史の中でもおそらく疫病に見舞われ苦しんでいた人は今の私たちの思いと何ら変わりがないものだったのでしょう。文明の進歩はあっても人の感情は何ら変わらないことを改めて感じています。本年も宜しくお願いいたします。...私の四季

  • Wind Letter

    こむぎに日記16もうすぐ僕は17歳この頃の僕は自慢のふわふわした尻尾も顔の周りの毛並みも削がれたように衰え自慢するものがなくなりましたでもお父さんとの毎日散歩では自慢のしっぽを揺らす思いで僕は軽快にいやいや元気が出るのです近所の犬の「やまと」も「あき」も亡くなりました「さくら」は毎朝断末魔の声をあげ苦しそうで胸が痛くなりますあまり犬慣れしない僕ですがやはりいのちの終わりを考えます老いた僕は鼻先で風の流れや気温を測り廊下のいすや応接間のソファーやはたまた仏壇の前の座布団へと移動してほとんど寝ています僕には手の届く家族の心地よさがあるから過ぎ去った僕の華やかな時間を思い出せますそして誰にも邪魔されない時が過ぎていますしかしですねこの家には僕だけが見える水脈があるのです家中をたゆまず流れているのです家のいろんな匂いが...WindLetter

  • 私の四季

    高安ミツ子コロナのため家にいる日々ですが、庭の花々は季節を知らせてくれます。すっかり秋の庭になりましたが、夏の猛暑のため咲ききれなかった夕顔が夕方になると毎日13個くらい咲いて私を驚かせてくれます。花々をご覧ください。私の四季

  • 初秋の組曲

    高安ミツ子夏空のもとテントウムシを見せてくれたお隣の幼子の片言交じりの言葉は胸を熱くしていきました語りすぎない生きることの澄んださえずりのように猛暑の夏私に麦わら帽子をかぶせてくれたようでした急に夏と秋の境界線を引くように台風が運んできた秋風は入道雲をイワシ雲に変わらせ雨や風を伴い足早に彼岸花を咲かせていきました夏の忘れ形見のように痛んで咲いている花々は秋の声に包まれだしススキも穂が出吾亦紅アメジストセイジーが鮮やかな色になり痛んだ水引は秋色に染まっていきました彼岸を迎えおはぎを作り仏様にあげて手を合わせ掛け軸も秋草に変えたときふと歳月には慈悲があることに気づかされました人に会うことが少なくなった日々庭の花々と私は過ぎ去った家族の嵐や凪いだ海のできごとをまさぐりながら心静かに蘇らせていますそしてそれらは初秋の組...初秋の組曲

  • 私の四季

    猛暑が続き我が家の花々も暑さにだいぶやられてしまいました。夕顔は暑さのため蕾を持っても咲ききれなく散っていく様子を見ると、とてもやりきれない思いになりました。今年の猛暑の苦しさを示しています。お彼岸が終わり涼やかな風が吹く日が来ましてほっとした思いでおります。自然の厳しさの中で変化しながらも生き延びて咲く花々に心よせるのは、尊いものと思えてきます。長い歴史のなかで四季の移ろいに心を重ね、生きることのやさしさを日本人は身に着けていったと思えてきます。そこには日本人独自の精神文化がが潜んでいると思えるのです。コロナの影響で家にいる日々ですが庭の花を見ることでどんなに心が救われたかを感じています。秋を迎え移り行く今を味わっています。9月の花々をご覧ください。私の四季

  • 流れ星

    高安ミツ子窓をたたく風の音に目覚めてしまったすると瞼の裏の思い出が一人歩きだし満天を走る流れ星を連れてきたあれはどこからの帰りだったのかそれともどこかへ行く時であったのか山と川に挟まれた暗闇の道を闇の底を見ているような気持ちで私は父の自転車の荷台に乗っていただんだん夜の景色に慣れてくると私は風にになった思いになってきた急に父の自転車が傾いたとき満天の星空を金粉をふりまいたような輝きで勢いよく星が落ちていった流れ星を見ると誰かが死ぬと知らされていた私は無言で父の背中につかまりそうでないことを黙って祈っていた悲しみの輪郭を初めて知った時だった今宵ひらりと時間が止まり私の夜話は夜半に咲く花々のようにあふれてくるせきたてられないこのひと時はもしかしたら老いていくことへの流れ星がくれた命のくつろぎだろうか明日の予報は見え...流れ星

  • 初夏のレストランひとり

    高安ミツ子高層ビルのレストランから見下ろす林立したビル群は人の英知が作った高さで並んでいるビルは風の気配さえも気づかず乾いた姿で雨の中にあった束ねた年齢が重くなったからだろうか外の風景に結べない私の心せめて一本大きな山桜が眼下に広がり揺れていたらとむしょうに命ある花々が恋しくなるレストランは都会の絵の具を絞り出し時代背景をなぞっているように華やいだ人物を描いているテーブルは若さのドレスに包まれ鮮やかな小旗がこぎれいに揺れている満ち足りたこの空間に座りごこちの悪さを感じながら私の小旗を小さく振っているとふと私の涙を結ぶことが出来る記憶の風景悠久さをみせた川や川辺に咲くニセアカシアが蘇ってきた人が涙を結べる記憶の風景は粉雪ような淡い生き物になってこの国には長い間降り続けている誰の心の片隅にもそして私にも届いていて心...初夏のレストランひとり

  • 私の四季

    コロナ騒動で出かけない日々が続きますが、私は退屈することなく静かに過ごしております。見えない不安や日常の不便さはありますが庭の花々に心が癒されています。実際に手に触れる花々は考える時間と生きる力を知らせくれるように思えるのです。アメリカの絵本作家で自らが住む広大な庭に季節の花々を育てた「ターシャー・チュダー」の言葉がふと思い出されます。「みんな本当に欲しいのは物ではなく心の充足です。幸福になりたいとは心が充たされたということでしょう」庭の花の世話をしているとふとそんな言葉が思い出され、花々の彩に心が充たされます。今年も咲いた紫陽花の花を眺めながら人や家族や夫婦の時間に感謝したい思いが自然と湧き上がってくるのです。我が家は仏壇や床の間や各部屋が紫陽花尽くしとなっています。移り行く季節の中で6月の花は春の輝きとは違...私の四季

  • 今日の風

    母さんが生まれた時もやはり今日の風が吹いていたでしょう生きていくことはいつも今日の風を迎えています戦後をひたすら生きる父母の姿にも遊びの楽しさの幼い日々にもやさしい今日の風がありましたそして、眠る際に見た闇に輝いていた山の月に今日のおしまいを感じたものでしたいくつもの季節が廻りいくつもの時間が過ぎても同じ風は決して吹いていませんいつも新しい今日の風が母さんを包んでいました一人の男性と出会いあなたたちが生まれうれしい風が吹いたり悲しい風が吹いたり不安の風が吹いていました今日の風には名前のない強さがありました愛おしさと親のエゴを重ねながらも母さんは夢中であなたたちの育ちゆく姿を追いかけましたが何を伝えたかも覚えていません大小の悲哀はあっても日常生活の延長の営みを想像していましたが想像しないことが起きうることを今日の...今日の風

  • 私の四季

    我が家の庭に咲く高安ミツ子私の四季

  • ~私の72~ 寒九の雨

    高安ミツ子(撮影鷹取敏秋氏)新しい年の寒さは紫陽花の葉をカサカサと枯らしかすかな生命をのぞかせた水仙を時間が止まっているように包んでいます冬の歩みは遅く私の歩みも遅くなっています裸木の隙間から見えるどんよりとした空案じられる友の病のようです老いていく寂しさがあなたの心を壊したのか見える風景は同じはずなのにあなたの心の磁石はぐるぐる回って方向が見えないまま激しさとなって不安の楔(くさび)を打ち込んでいるのでしょうかあなたと4人で詩を書いたあの青春はいくつもの時間に上書きされても記憶の奥に今でもしっかりと座っています時代の勢いの中でもまれながらもあの青春は指先でさえ記憶している場所でしたお伽噺のように私が竜や白鳥になってあの時の風景に連れていきたいけれどあなたに手渡すものがないまま時は過ぎていますふいにジョウビタキ...~私の72~寒九の雨

  • ~私の72候~ 祈りは秋雨にぬれて

    八十八歳になった自分の年を三十七歳といい季節は晩春だったり初夏だったりとつながらない時間を抱え義母は現実から妄想への橋を渡っていきましたどこにたどり着こうと徘徊するのか怒りは何を訴えているのかあなたの暗号を解けないまま私はずぶぬれになっていきましたあなたが施設に入所する朝残されたわずかな意識に最後の思い出を重ねようとあなたに見せた海の景色にあなたは異様にはしゃいでいました辛いページを繰るように私はあなたの手をそっと離しました熟するはずの生命の大樹から虫食いリンゴのように落下してしまったあなたの生命の悲しさは私に老いていく辛さを告げています生年月日はと聞かれると「今は忘れましたが昔は大正三年九月の八日といえたのに」と無意識に口走る自分の誕生日も認識できないけれど自分の名前はわかるのです名前はきっとあなたが帰れる場...~私の72候~祈りは秋雨にぬれて

  • 私に四季

    高安ミツ子私に四季

  • 晩夏

    高安ミツ子朝もやは山を遠くにみせています夏の終わりを知らせているのでしょうか葛(くず)が人の心を呑みこむように空き家に絡まっていますこの町も多くの時が流れ消えゆくもの生まれ来るものを時代のペンキはテカテカ光らせ人々の噂は忍び足で夏の終わりを歩いています見やると秘めやかに露草が咲いています目立たない風景で現実を縁どるように露草は咲いて人々のため息や緩やかな感情とともにやがて空気となり見えない歴史となって町を包んでいくのでしょうか昼になるとしおれてしまう露草にモンシロチョウが命の確かさを舞っています生命の愛おしさがこみあげてきます今日の露草は遠い思い出をも引き寄せて静かに生きる道しるべのように私という一枚の絵を染めていきますふと今宵分厚い思い出をくすぐりながら1枚の絵をなぞるように夜想曲が聞きたくなりました見上げる...晩夏

  • 私の四季

    今咲いている我が家の花々です。今年は夕顔は気候の関係か遅く咲きました。私の四季

  • 私の四季 7月の花

    私の四季7月の花

  • ~私の72候~ しめやかに降る雨

    高安ミツ子雨が降っています眠りのカーテンをそっと開け遠くへ行ってしまった人を呼ぼうとするのは梅雨寒の今日の一日が淋しく思えるからでしょうか今日の雨音はそれぞれの運命を生き切ったわが家の祖先の足音のようです慈しみにあふれたこのやさしい時間は微熱のある私にみえる夢でしょうかやがて庭に咲いているいくつもの花が物語を語るようによぎります義母が植えた純白の桔梗が凛として美しく義父がキャンバスに描いていた風に揺れるのうぜんかずらがカサブランカの香りを含んで眼の奥で懐かしく揺れています浅い眠りの私に一群の花びらが頭上から落ちてきます生きる連鎖を知らせるように五感を巻き込み私の沈黙を染めてゆきます季節の病は季節の彩りに包まれ皆が歩いた明暗の風景を私も歩いていくのでしょう今日の風景を花束にして優しい雨音になれるように梅雨明けの虹...~私の72候~しめやかに降る雨

  • ~私の72候~ 紫陽花の坂道

    高安ミツ子暮れゆく浜辺の切なさを残しあなたは黙って逝ってしまいました『緑に包まれていないと私は生きられないの』病弱だったあなたの言葉が蘇ってもあなたの死を受けとめられない私はいまだに送る言葉が見つかりません雨が少なかった今年の梅雨に紫陽花が日差しを受けて咲いていますあなたが呑み込んでいった哀しいつぶやきが坂道に咲く紫陽花の花影からこぼれますあなたの面影は紫陽花の小さな炎の集まりなのか青く染まって今日の私をあなたから遠く引き離していきます見あげる坂の曲がり角に青い花は手まりになって雪崩(なだれ)ます雪崩は私とあなたの境を寂しくきわだたせてゆきました風が背後から吹き抜けましたあなたが重荷を下ろしたように紫陽花の群生をゆすり私の心をも揺らしていきます降り出した小雨が私とあなたの思い出を潤(うるお)しています別れの深さ...~私の72候~紫陽花の坂道

  • 私の四季

    わが家の6月の庭は紫陽花づくしです。私の四季

  • 私の四季 5月の花

    わが家に咲いている5月の花々です。私の四季5月の花

  • 桜舞う旅

    高安ミツ子満開の桜はお国なまりに包まれて晴れやかです人の視線は柔らかく人の心も弾んで桜は風にゆれてゆれています四組の兄弟夫婦の今年の旅はそれぞれが過ぎた日々の物語を掬(すく)い年月の風に慎ましく吹かれていますどんな時をくぐろうともどんな美酒を味わおうとも今は誰もが花びらの行方の奥に潜む虚しい伴奏を近くに聞きながら老いた分だけ血縁の陽だまりのような安らぎにいやされています花吹雪は命の伝達式のように空に舞い上がり花霞を突き抜け春の弱い陽ざしに踊りながらぐんぐん空に昇って行きました旅の証のように皆の肩にも花びらが舞い落ちています湖に舞い落ちた花びらは花いかだになってたゆたっています鶴が頭上を飛びたったように見えたのは花吹雪が私達を湖の伝説に誘っているのでしょうかそれとも木漏れ日からのぞく空の青さに五人の子供を育てた義...桜舞う旅

  • 私の72候 春の幻想

    春は忙しそうですが私は急ぎませんここちよい風に吹かれてゆっくりと春の幻想に酔いしれたいのです校舎の窓から見下ろした10代の景色がふと蘇(よみがえ)りますひと組の男女が歩いていく後ろ姿を菜の花が優しく包むように咲いて春は大画面にねそべっています色の白い女学生が学生服に寄り添って歩いていますうらうらした思いがうらうらした感情がみえていました何故か女学生の右足は細く歩くたびにスカートが激しく揺れるのは足が悪いからでしょうか陽炎のように遠のいていった二人の姿映像を切り落としたような二人の春の輝きに南風が運ぶオカリナの音色が聞こえ春に潜む哀しさを知りました過ぎて行く時をはかるように陽ざしは校舎を明るく包んでいましたが私の未来は見えないままでした町を囲む連山は二人の恋心を包んでくれたでしょうか遠い時間の二人の姿が今も美しく...私の72候春の幻想

  • 私の四季

    高安ミツ子3月に咲いたわが家の花達です。眺める側にもそして花達にもそれぞれの生へのドラマがあります。ご覧ください。私の四季

  • 私の七十二候 雪

    高安ミツ子見上げる空から私を包むように数えきれない雪が雪が舞い降りてきます私は日常を越えて雪景色の奥へと染みこんでいきましたハイヒールの若やいだ靴音が遠くから蘇り忙しい時間を両手に抱えて走りまわり何を追いかけているのか見えなかった日々がしおりを入れたページのように開きますゆっくりと街角を曲がり見上げた夕焼けの美しさが私の生きてきた証におもえて涙がとめどもなくあふれた日も想いだされます今日の雪は私の人生とまじりあい私の心をさすってくれているのでしょうか雪は天からのことづけを伝えるように懐かしく安らかに舞い果てのない空へ私を吸い込んでいきますヒヨドリが椿の蜜を吸っています雪に縁どられた椿が赤く咲いて何処かで行き交ったような恋情が胸にせまってくる景色ですひたひたと押し寄せる私の寂寥に雪は私に舞い下りていますそれでも心...私の七十二候雪

  • 詩作品 「冬の森」

    高安ミツ子冬の森の道には人影がありませんスギ林は陽ざしを遮(さえぎ)りアオキが冬の命をまばたいています仙人草が木にからみつきススキも寒さに枯れて樹木は静かに耐えていますが森の命は根っこで繋がっているのです息切れしながら上り坂を歩くたびに森は私をむかし話の中のわらしにしてくれるので赤い実をつけたアオキまで手招きしているように思えるのです冬の森は倒れた裸木が幾つもあり春の入り口への遠さを示していますふと立ち止まると忘れ去られたように庚申塔(こうしんとう)が今も人の願い背負ったまま立っています昔人の体内にいる三尸(さんし)を天に昇らせないため人々は庚申の夜を眠ることなく祈りの祭事を行ったといわれています風雨にさらされた塔に触れてみると石の冷たさの奥からうっすらとした素朴な願いが伝わってきます積もった木の葉に包まれた庚...詩作品「冬の森」

  • こむぎの日記9

    高安ミツ子僕はもうすぐ15歳になります毛並みも悪くなり日がな一日寝ていることが多くなりましたでも朝の散歩は元気ですだって僕の眼が一番輝くときだから今朝も道ばたに子供が名付けたに違いない赤まんまが色鮮やかに咲いていましたおままごとをする子供の脇に僕がいるようなあどけない気持ちになりましたやはり初冬の匂いは僕にはわかるのです随分歩いた散歩道も大分風景が変わりました消えていくもの生まれて来るものの連続が時代なのかと思えるのです僕の命の連続はあるのだろうか僕はどんなさよならをするのだろうか「こむぎは自然界では生きていけないな」と散歩するお父さんは僕の傍らでいいました山道には野生の「むらさきしきぶ」や「葛」が二人の心を清々しくしてくれます僕とお父さんは影法師になってそれぞれの命の地図を歩いています僕が言葉を話せないから寄...こむぎの日記9

  • 私の四季

    今年は大型台風があり多くの花々が塩害の被害にあいました。植物の葉は火傷をしたように枯れてしまい、見るのも痛ましい思いがしました。楓は今もって色づくことがない個所が眼に入ります。小さな庭ですが自然とはこのようなものだと現実を知らされた思いになりました。秋の山が紅葉する様を「山粧う(よそおう)」というそうですが我が家の庭の花々も秋から初冬に向かい色鮮やかに粧(よそお)いを始めました。私はこの1カ月は体調が悪く花々の写真を更新することができませんでした。ふと、縁側から体調の不安を抱えながら庭を眺めているとターシャの庭で有名な絵本作家のターシャ・チューダーが思い出されます。世界中のガーデナーがあこがれるというターシャの庭の自然とターシャの生き方にふと緩やかに立ち止まりたくなります。庭の花々は、そんな優しさが伝えてくれて...私の四季

  • 私の七十二候

    高安ミツ子今年の猛暑を拭うように不意に秋を知らせて彼岸花が咲きだしました飛沫のような花びらが私の心を絡めてゆきます幼い頃彼岸参りをした墓地の周りには死者を照らすかがり火ように彼岸花は朱色で咲いていました葉なしで咲く彼岸花の激しさが怖くて黙って通りすぎようとしたとき母の微かなため息を聞いたような気がしましたそのため息は私の知らない母でした母のアルバムには海軍服を着た男性の写真が1枚ありました母と結婚を約束した人だと知りました男性が戦死したという間違った知らせの先に私が生まれたと思うと子供心に私がいることの不安があって写真がいまだに残されていることから母の心のかけらを見た思いになりこちらを向いてない母へのジェラシーが湧きました彼岸花は母の恋心の証だったのでしょうか私もいくつもの角を曲がって今まで生きてきたように思え...私の七十二候

  • 私の72候

    (すいちょうか)高安ミツ子夏空の綿雲やイワシ雲が見えなくなる頃酔蝶花は夕闇から夕闇へと手を広げるように咲いています酔蝶花は深い闇の伝説を語るようにどこからか吹いてくる風のそよぎに微かな香りを混じらせていきますすると大分過ぎてしまった時計がまわりだし消えていた私の悲しさや淋しさの匂いが酔蝶花の傍らに漂い始めあの時の後ろ姿がひとしお蘇ってきます故郷を離れた夜の深い哀しみ行き先の不安を感じるような全山を包む漆黒の中無情なほど進むことを拒んだ山霧あの時の峠が迫ってきました夜はひっそりと心の波紋を広げていきます今宵の月明かりはひらりと昼間を飛び越えてひらりと過去を押しやって夜は静かにたゆたゆと流れています酔蝶花の蜜を吸うように虫たちが飛びかい命をつないでいますいくつもの思いを背負った私の心歌は命をつなぐことはできたのでし...私の72候

  • 私の四季 夏

    五行詩ほおずき蝉の鳴き声にほおずきはだんだん赤く色づいていきますいっぱいいっぱい夏色に染まった時仏さまの道案内が待っています今年もお盆がまぢかですのうぜんかつらのうぜんかつらが夏に絡まり遠い記憶を咲いている優しい身振りのゆらぎにも母の独り言が思い出されてくる花影からあふれてくるあなたの声を私は糸状に手繰って手まりを作っていくと見えなかったあの頃のあなたの気持ちが年齢の時報を知らせるように汗ばんだ沈黙の中に落ちてくる思い出橋を渡っていると蝉時雨は夏の原色で私を包み母の声は日輪に染まっていたが何処までいってもあなたは母のままのうぜんかつらの花を模して静かに赤く揺れていた五行詩檜扇(ひおうぎ)いったい誰を待っているのでしょう万葉の頃からずっとけなげに咲き続けていますめまいが起こりそうなこの猛暑とっておきの緋色は夏の恋...私の四季夏

  • 梅雨の幻想

    高安ミツ子フェルメール・ブルーに咲いたあじさいは限りなくやさしい水面の鏡のようです見上げると雨上がりの虹が青空に橋をかけています下り坂の私の風景にも虹が見えると神様が虹を渡ると思えるほどの無邪気なひとときが流れます通り過ぎた風景をはかるように日常の針を動かすと生きるために呑みこんだあまたの感情が虹色の付箋を付けて私の物語ににじんでいますまいまいつぶりが私の心を描くようにあじさいに揺れています今日の愛おしさを小さな虹にしてコーヒーに溶かしてみたくなりました梅雨の幻想

  • 私の四季

    我が家の庭は今紫陽花に包まれています。仏壇をはじめ各部屋は紫陽花づくしです。紫陽花は梅雨に似合う花だと思います。雨にぬれた紫陽花を見ていると眺める人の物語があふれて来るように思えます。紫陽花の花びらに見える部分はガクで中央の丸い粒が本来の花だそうです。中央の花を囲むように咲く「額咲き」と丸く咲く「てまり咲き」の2種類が目に入ると思います。日本の紫陽花の原種は青色の額紫陽花です。西洋紫陽花のようなボリュームや華やかさはありませんが、和の佇まいが感じられます。梅雨に咲く紫陽花は、忙しい時間を横切る人々の心をふと立ち止まらせてくれるやさしい花のように思えます。万葉集にも紫陽花の歌があります。(あぢさゐの八重咲くごとく彌つ代(やつよ)にをいませわが背子(せこ)見つつ偲(しの)はむ(橘諸兄たちばなもろえ)内容はあなたもい...私の四季

  • 私の四季

    今年は桜が早く咲いたためか庭の花々もせわしなく咲きだしました。例年よりどの花の開花も早めとなりました。我が家のバラ達も咲き誇っています。近頃オープンガーデンが行われているようですが我が家のばらたちをご覧ください。私の四季

  • ~私の72候~ 5月の風景

    高安ミツ子怖さも悲しみも知らないころ父が撮ったモノクロ写真弟と私はつるバラの前で笑っています薄くルージュを引くころになると哀しみを知りました別れがありました私の心はがらんどうのまま赤いつるバラをすっかり忘れていました私にとって忘れることが生きることでしたバラを漢字で薔薇と書こうと思ったころ風景が少し動きだしました私と夫の手にぶる下がり見上げる幼子の問いかけに愛おしさが溢れだし私の風景は穏やかに弾みバラを花瓶に活けるようになりました今は巣立った子供たち残された時間鮮やかに咲いたバラの前で呑みこんだ時間をまさぐるようにまた弟と並んで写真を撮りましたバラの輝きとまぶしさに二人とも心はゆらゆら揺れていつか消えていく命を覚悟しながら照れ笑いをした二人の影法師はあのときのモノクロ写真にかさなりバラの香りは遠い記憶をやさしく...~私の72候~5月の風景

  • 私の四季

    移りゆく季節のなかでひたすら我が家の庭に咲きつづける花々をご覧下さい。義母は40年以上盆栽を作り、草花を愛でてきました。義母にとって盆栽は生涯で一番の楽しみでした。しかし、アルツハイマーという病にかかり、記憶がなくなり、好きだった草花を愛でる事が出来なくなりました。私は、残された盆栽の一部を庭に移植し、義母の草花を引き継いで育てています。義母の人生を重ねた草花を受けつぐことに、私はある種の喜びを感じています。それは、義母の思いを託された気がするからです。少しでも多くの方々にこれらの花々を見ていただきたく、ここに掲載する事にしました。2005年12月11日義母は逝去しました。亡き義母の思いは、今もなお我が家の庭に季節を知らせてくれています。今年の春の庭は忙しく花々が咲きだしました。つつじ、山芍薬、牡丹がさき毎日違...私の四季

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