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  • 市貝町の芝桜は咲き始めだった

    先週の日曜日。栃木県那珂川町からの帰路、市貝町の芝桜公園に立ち寄った。すでに夕暮れ時だったためか、駐車場を入ると交通整理のガードマンは大勢いたが、客は数人しか見えず閑散としていた。芝桜は駐車場沿いの一画は開花していたが、ほとんどはまだこれからという状態だ

  • 岩槻城公園の桜(令和6年)

    岩槻城公園に立ち寄った。駐車場からすぐの所も、シートを敷いて花見している人で賑わっていた。一回りしようとしたら、急に雨が降り出した。以前来た時より、桜が幾分減った感じがしたが天候のせいだろうか。着いてすぐだったが、雨の中散策する気にもなれず、駐車場の出口

  • 近くの公園の桜

    近くの公園の桜。一気に満開になった感じ。コロナ禍の時は、遠出を自粛してこの下にシートを敷いて花見している人を見かけた。それ以前は、散策がてらといった感じで、シートを敷いて花見している人がいたか覚えていない。もしいたとしたら、違和感があって記憶の片隅に残っ

  • うえまる花の丘庭園(那珂川町)

    いわうちわ群生地の受付の人が、第二駐車場の近くにこの庭園があると教えてくれた。第一駐車場はもう車は無くなっていたが、第2駐車場にはまだ数台止まっていて、人の行き来もあった。車を置いて坂道を登る。鮮やかな黄色い花が出迎えてくれた。レンギョウというらしい。坂を

  • いわうちわ群生地(那珂川町)その2

    高山の岩場に咲く花と言われているが、八溝山系のこの山は標高はそれほど高くないし、岩場も見当たらなかった。同じような写真だが、実はこの時はまだ他にも見学者が下の道を歩いていた。屋上から通行人を見下ろした感じに見えたので、山の急斜面を表現するにはちょうどいい

  • いわうちわ群生地(那珂川町)

    栃木県の那珂川町に、いわうちわの群生地があるというので立ち寄ってみた。「イワウチワ」はその名の通り高山の岩場に咲く花らしいが、ここは群生地としては「日本一」の規模なのだそうだ。訪れたのは閉山の時刻が迫る夕刻。帰る車が多く、駐車場は空いていた。時間短縮のた

  • 那珂川町のホテルの温泉へ

    栃木県那珂川町にあるホテルの、日帰り温泉とグランドゴルフができるペアの利用券を貰ったので行ってきた。ホテルは高台にあるのでくねくねした結構急な道を登っていく。入り口は城門のような感じ。門をくぐると色んな建物が散在している。フロントで受付を済ませ、グラウン

  • 近くの公園の桜

    今年はまだ咲いていない。写真は2022年3月29日の物。珍しく開花後に雪が降ったので写真を撮りに行った。この公園で花見をする人はいなかったが、コロナ禍で自粛の時、たぶん近所の人なのだろうが、シートを敷いてささやかに花見しているのを見かけた。

  • 長泉寺の三重塔・那珂川町

    国道294号線は千葉県柏市と福島県会津若松市を結ぶ道路だが、その栃木県区間は何度となく利用している。その道路わきに三重塔の案内板があるのも知っていたが、そこに行ったことはなかった。夕暮れだったが、ちょっと寄ってみる気になった。人けは全くなかった。門前に車

  • 大前(おおさき)神社

    この神社も何度か参拝している。近くに撮影スポットがあるので、撮り鉄がてら立ち寄ったこともある。今回訪れた時は、駐車場にガードマンがいた。何かあるのか分からなかったが、境内に入ると蚤の市が開かれていた。3時頃になっていたので、そろそろ終わりという感じだった。

  • 長蓮寺・真岡

    真岡の長蓮寺に参拝するのは3度目になる。1回目は観光パンフレットを見て。2回目は最初に訪れた時肝心の物を見落としたため。そして今回はツレが未訪問だったため。この寺は真岡市の中心部にあり、駐車場も近いので立ち寄りやすい。1297年開山。本尊は阿弥陀如来。中央の入

  • 三谷(みや)草庵

    専修寺のパンプレットに三谷草庵が載っていた。専修寺建設中の親鸞の仮住居と伝えられているが、そこも国の史跡に指定されている。東方2㎞にあるらしい。せっかくだから立ち寄ることにした。ナビをセットしようとしたが、拡大してもそれらしきものは出てこない。パンプレット

  • 専修寺(その2)

    引き続き専修寺を。総門前にある欅。樹齢800年、親鸞聖人お手植えといわれ、県の天然記念物になっている。鐘楼堂。江戸の門徒から寄進された。御影堂。国の重文。歴代上人像がまつられている。如来堂。これも国の重文。1701(元禄14)年建築と言われている。御本尊は天拝一光

  • 専修(せんじゅ)寺

    真岡市にあるこの寺は、今回で2度目の参拝になる。真宗最大の教団「高田門徒」が兵火で衰退し、中心は伊勢国に移ったが、江戸時代に復興後は「本寺」と呼ばれている。現在、境内は国指定史跡になっている。総門は国の重文。茅葺の棟門で柱は親鸞建立当時の物。手水舎と後ろは

  • 清水川せせらぎ公園・那須烏山

    清水川せせらぎ公園の岩場を撤去し、親子連れや高齢者に配慮した公園にする方針だという記事を見た。ユニバーサルデザインの観点からの再整備だという。この公園から岩場がなくなるとすれば、まったく景観が変わってしまうのだろうと思い、思い立ったときに写真に撮っておこ

  • 烏山城三の丸の梅

    烏山城三の丸は上下2段になっている。上の段には地面に栗のイガが落ちていた。下の段には梅が咲いている。どちらもその一画にという感じで密集はしていない。南北西には一部に竹が密集している。人々の生活の残り香が漂っている雰囲気がある。

  • 烏山城は冬に行くところ

    烏山城跡の長者峰にたどり着くことができて目的は達成された。やはり未踏の通路をたどり、西側防御の腰曲輪などがどの程度見えるのか確かめながら、西城を経由して帰ることにした。長者峰を振り返ると、下に水たまりが見えた。烏山城は井戸がたくさんあったらしいので、ここ

  • 烏山城は見所が西側に

    烏山城址にはこの冬2度程行って、その5城3廓を一通り回った。ところが地図上気になる場所があった。地図には名前が載っていないが、大きな平坦地がある。たぶんヤブで覆われているのだろうとは思ったが、確かめてみたくなった。烏山城址は、メインのルートでさえ人と会うこ

  • 烏山城城下・元町・田町

    十文字の東が鍛治町とこの前書いたが、西は元町になる。元町の手持ちの写真はこの1枚しかない。マキが積んであって、いかにも昔からのお茶屋さんといった風情なので写真に収めた。マキはお茶と関係があるのだろうか。この前ここを通りかかったとき、家はリニューアルされてい

  • 烏山城下・鍛治町・日野町

    関街道(旧国道294号線)は烏山城下、中町で東西道と交差し、そこは十文字と呼ばれていた。十文字から東が鍛治町だった。文字通りかつては7軒の鍛冶屋があったほか桶屋、傘屋など主に職人の町だったらしい。十文字のすぐ東は昭和の雰囲気があるたたずまい。鍛治町は商家も並

  • 烏山城城下・金井町

    烏山城下の宿町(赤坂町・中町、金井町)の南北端に寺があったことは、前回書いた。この3町の中では金井町が最も新しく、それまでは中町の南端に結界としての寺があったという。その寺、極楽寺は1864年に焼失した。極楽寺の跡地。この大谷石の蔵の後方に清水川が流れ、そ

  • 烏山城城下・中町

    那須烏山の市街地を南北に貫く旧国道294号線は、かつては関街道と呼ばれていた。その両側に連なる街並みは、北から赤坂町、中町、金井町の3町で宿町を構成していた。宿町の北端には大宝院、南端には妙光寺があり、街道にはそれぞれ木戸が設けられていた。大宝院があった

  • 信号待ちで車窓からLRTを

    栃木県に行くときは、たいてい新4号を使う。最近は上三川から右折し、真岡から新しく開通した道を使うことも多くなった。信号が圧倒的に少ない。その道を行くと、宇都宮でLRTに出くわすことがある。信号待ちの時、車窓から。

  • 烏山城釜が入り口

    烏山城は昨年12月に訪れ、その時廻りきれなかった西側の西城などには1月になって改めて訪れた。それぞれの写真については、すでにいくつかに分けてブログに載せてきたが、未掲載の物をまとめてみた。今回西側に行くルートは、車橋から本丸桝形までは前回と重なる。前回もここ

  • 東武線の結節点春日部には何がある

    東洋経済オンラインに「東武線の結節点春日部には何がある」という記事があった。小学校では今も春日部はタンスの街と習っているのだろうか。春日部に観光で行ったことはないので、手持ちの写真は2種類しかない。冒頭の記事に関しては、頭の中ですぐ反応した。春日部にはシャ

  • BSテレ東「ワタシが日本に住む理由」で見た古民家ホテル

    3週間ほど前のこの番組は、那珂川町の古民家ホテルのコンシェルジュとして働くアメリカ人の女性についてだった。那珂川町は栃木県でもとりわけ過疎化、高齢化が進む町なのだが、その町の活性化に奮闘している姿が映し出されていた。那珂川町には何度も行ったことがあるが、そ

  • 烏山城三の丸再訪

    国道から三の丸を望む。左中央が三の丸。奥は筑紫山。北側から三の丸へ。この坂道を登って左が三の丸だが、突き当りの1段高い所にも曲輪があり建物があったらしいが、今は藪に覆われている。三の丸を下から。三の丸は上下2段になっていて、上段は今は寿亀山神社、下段は梅林

  • 烏山城北城から十二曲口へ

    北城は城の北端にあり、南は搦手口の十二曲口に面していて、中城とともにその抑えの役割を担っていた。虎口は南東に1か所。もともとは展望が開けていたのだろうが、ここも植林に閉ざされている。東側には階段状に帯曲輪があり、その統括の役割も担った。西側から北辺にかけ

  • 烏山城大野曲輪再訪

    西城の北側に道があり、そこを北に向かう。丁字路に突き当たり、左は大野曲輪(図8)、右は北城(図4)になる。正面にくぼ地が見える。表示はないが井戸曲輪だろう。他の山城で見た井戸と雰囲気が似ている。表示がないのは、発掘調査未実施のためらしい。丁字路を左に折れて

  • 烏山城西城初見

    烏山城を初めて訪れたのがいつだったか覚えていない。伸び放題の木々が日差しを遮り、周りは藪だらけだった印象はある。そのころと比べると、所々間伐され、藪も取り除かれて、人の手が入った感はある。それでもまだ鬱蒼としている。ここを何度か訪れているが、ここで人と出

  • 烏山城若狭曲輪

    烏山城を訪れるのは冬に限る。蚊などの虫にまとわりつかれることもなく。スズメバチや蛇の心配もない。国の史跡に指定された年内に訪れようと思って冬を待ち、12月に行ってきた。ただその時は全体を廻りきれず、烏山城を最も特徴づけると思われる西側が残ってしまった。今回

  • アド街ック天国に出てきた岩槻

    昨夜のテレビ東京のアド街ック天国は岩槻だった。そこに出てきた場所の写真があるので、いくつか掲載してみたい。岩槻は人形の街として知られている。この光景が登場した。ひな祭りの時、愛宕神社の石段にひな人形が飾られる。愛宕神社は平地の中で不自然に小高い所にあるが

  • 山裾の蕎麦屋(那珂川町)

    この蕎麦屋に初めて入ったのは何年も前のことになる。記憶が正しければ、その頃はそば打ちを趣味とする有志が、土日だけこの店を開いていた。ソバはこしが強く、かき揚げはカラッとしていて、漬物もうまかった。その後、何度かこの店に立ち寄ったが、ここ何年かご無沙汰にな

  • 上三川城址再訪

    上三川城址はこの前訪れたばかりだが、南側半分を見ただけだった。何度も通り抜けたことのある道路の南側にある公園が、上三川城址の北端だと思い込んでいたので省略した。ところが後日ネットで確認すると、これらはかなり離れていてそれぞれ別の公園であること、北側には幅

  • 毘沙門山

    烏山城址に登るには遠回りになるルートだが、毘沙門山の遊歩道から行くことにした。築城600年を記念して、毘沙門山に新たにブロンズの毘沙門天が建立されたらしいので、一度見てみたいと思った。緩急の違いはあっても延々と続く階段。覚悟はしていたが、途中で足が張って

  • 烏山城の登城証明を貰った

    烏山城の本丸まで登ったことを証明すれば、証明書をもらうことができる。国の史跡に指定された同じ年に証明書をもらおうと思っていた。下城してその足で市役所に手続きを取りに行った。登城前に那珂川の対岸から撮った城山の全景。鉄塔があるのが筑紫山でその右側杉で覆われ

  • 烏山城三の丸

    車橋跡まで戻り、そこを過ぎて今度は七曲口を下る。砂防ダムと舗装された水路が見え、そこからは直線の道になり、左手に三の丸の表示が見えた。表示の脇を入ると、小さな神社があった。寿亀山神社。老中を務めた烏山藩主大久保常春を祀った神社で、束帯姿の座像が御神体とさ

  • 正月2日の夜の初詣

    さすがにもう混んではいないだろうと出かけた白岡八幡宮。意外にも誰もいなかった。正月らしい気配りの手水舎。地元の高校美術部が例年奉納する巨大な絵馬。場所を独り占めしてぜいたくな気分で参拝。

  • 烏山城(中城・北城ほか)

    前回の本丸から、堀切を渡り古本丸へ。南に虎口、櫓があったらしい。本丸と古本丸の間から東を見る。古本丸から中城へ。虎口は食い違い。大野曲輪は北西にある曲輪だが、すぐ下に道路があったのが意外だった。狭くあまり利用されていない感じだが舗装されていた。中城から大

  • 2024年元旦2つめの神社

    元日の夕刻、近くの神社に初詣に出かけた。ちょうど家を出ようとしたとき、スマホから地震警報があった。直後に揺れを感じたが、しばらくして収まったのでそのまま出かけた。天満神社。街はずれの鎮守様といった感じの小さな神社なのだが、近くに大規模な住宅地があるせいか

  • 烏山城・本丸

    前回の常盤曲輪から今回は本丸へ。正門跡。正門をくぐって2回曲がる間の空間。内桝形。石垣と土塀に囲まれていた。正門から1回曲がる場所の石垣。上は切込みハギ。下は野面積み。崩れかかっている個所と崩れ落ちた個所が。空堀。写真では伝わりにくいが、この深さと規模が烏

  • 烏山城跡・常盤曲輪

    令和5年3月、烏山城が国の史跡に指定された。年内に訪れようと思ったが、鬱蒼とした山城なので虫や蛇のいない冬を待ったが、押し詰まった年末に実現した。遠回りになるが、延々と続く毘沙門山の石段を登り、筑紫山を経て、城山にたどり着くルートをとった。まずは5城3廓で構

  • 山間で見つけた日本橋仕込みの味

    この店に入るのはこれで2度目になる。初めて食べた「四季彩御膳」の味が忘れられず、再訪となった。今回頼んだのは「天ぷら和定食」。天ぷら、さしみ、焼き魚など。焼き魚の隣のサツマイモの上にはクルミが載っている。デザート。どれもレベルお超える味で2200円。今回

  • 那須烏山のイルミネーション

    ボランティア有志15人の作だとか。山あげ会館の公園を彩る4万個のLED。

  • 「メグロ」ブランドの復活

    今年の3月、愛知に旅行した時に、足助屋敷で偶然メグロのバイクを見た。バイクに興味がある訳ではないが、その時は片隅に置いてあるバイクをなんとなく見に行った。そしてメグロのマークがあるのに驚いた。メグロは何十年も前に消滅したメーカーだった。後でネットで検索して

  • 上三川城址公園

    上三川城址公園の北側の道路は、今まで何度も通り抜けたことがあり、城址であることは知っていた。車窓からの眺めは芝生の公園という感じで、立ち寄ったことはなかった。この日は、なんとなく立ち寄ってみるかという気になり、駐車場をセットすると南側の住宅街にあった。車

  • 紅葉の永源寺へ

    常陸大子駅を見下ろす高台にある永源寺に向かった。橋を渡るとT字路を右に曲がる。左は駅の裏手にあたる生活道路のようで、今日は鉄道ファンを規制するためかボランティアらしき人が立っていた。永源寺はもみじ寺とも呼ばれる紅葉の名所として知られている。1446年創建。本堂

  • 2023メグロキャノンボール那須烏山

    メグロのマークを付けたバイクがずらりと並ぶめったに見られない光景。手前のバイクはメグロのマークとロゴがついているが、どう見ても昭和前半のバイクとは思えない。メグロ聖地のロゴが入ったバイクもいくつかあった。高齢の人が何人か古いバイクをチェックするように見て

  • メグロのバイク、聖地に集結

    11月12日、日本各地からメグロのバイクが、その聖地栃木県那須烏山市に集結した。目黒製作所は、かつて日本有数のオートバイメーカーだった。設立は1925年、1944年に東京から那須烏山に疎開した。1964年、ホンタ等の戦後派メーカーの勃興により、大型バイクのメグロは経営破

  • 日本橋散策

    暇なときはブログを書く。とは言っても何を書くか困ることが多い。そんな時は過去のこの時期のことを書く。という訳で今回は日本橋。訪れたのはコロナ以前の2018年。東京駅八重洲口から北に向かう。地下通路から地上に出て一瞬方向感覚がマヒした。自分を信じてそのまま進む

  • 笑う閻魔の西明寺

    栃木県益子町にある西明寺にはすでに2~3回参詣したことがあり、その都度ブログに載せてきた。5年くらいブランクがあり、今回写真も撮ってきたので、新たにまた載せてみたい。境内はいかにも山奥の寺という雰囲気だが、車だとそれほど時間がかからずここまでたどり着ける。

  • 薬師寺八幡宮・下野市

    下野市は、宇都宮と小山に挟まれた市で、それぞれのベッドタウン的な感じの市だが、薬師寺や国分寺の史跡があるので、かなり古くから開けた街なのだろう。その下野市にある薬師寺八幡宮。社伝では875年の創建という。下野薬師寺の鎮守の役割を担った神社。1056年、源頼義

  • 将軍の休憩所

    先日、慈眼寺の写真を撮ったので、ブログに載せるにあたり検索した。すると、同じ名称の寺が全国に実に多く存在することを知った。写真を撮ってきたのは下野市にある慈眼寺。1196年に新田氏によって開基されたという。江戸時代は、将軍の日光社参の小休所とされた。山門。山

  • 「埼玉県で最も注目されている街」ランキング2位の川越

    「生活ガイドcm」がアクセス数から作成したランキングによると、1位はさいたま市、2位は川越市だったとか。街並みや雰囲気、店の充実、交通の便などの指標からの集計らしいが、さいたま市の街並みといっても、具体的なイメージが湧いてこない。さいたま新都心あたりだろう

  • 東武アーバンパークライン岩槻駅から都心直結

    今朝の「東洋経済」に、埼玉スタジアム線を岩槻まで延長し、都心に直結させようとする動きに関する記事があった。岩槻から都心に行くには、大宮からJR線に乗り換えるか、春日部から東武スカイツリーラインを利用するかが現状だ。直結になれば、東武としては痛手だろうが、岩

  • 橋の吊り上げ。東北自動車道通行止め

    昨夜3日21時から、東北自動車道の架橋工事が実施された。わざわざ見に行くかどうか迷ったが、めったにない機会なので、出かけることにした。野次馬はそんなに多くはないだろうと思ったが、予想ははずれた。現場近くの駐車場に車を止めようとしたが、入り口に警備員が配置さ

  • 那須神社

    大田原の道の駅。駐車場の一画に那須与一の像が。那須といえば、今では観光地として有名な温泉がある栃木県北部のイメージが強いが、古代の那須国は栃木県東部に位置する一帯をいった。那須温泉一帯は、開拓で人の手が入るまでは未開の地だった。那須与一の生誕地は現在の那

  • 鹿島神宮と塚原卜伝

    何日か前のヤフーニュースに「茨城鹿島神宮幻想的な池の写真が話題に」という記事があったので、今回はそれに便乗して。その記事は早朝だったが、私が訪れたのは黄昏時。せっかくの機会だからと鹿島神宮にも足を延ばすことにした。時間を考え、いったんは「自宅に帰る」にセ

  • 千鳥ヶ淵は水不足対策?

    今朝見た記事の中に、皇居のお堀に関するものがあった。内容をかいつまむと「家康が江戸入りした当時、江戸城の周りは葦が生い茂る湿地だった。城に石垣は無く、芝土居には木が茂っていた。城下の宅地は狭く、家臣は寺や町屋を借りるなどして住んでいた。家康が最優先したの

  • 山あげ祭・神輿の違和感

    祭3日目の夕刻、祭りの間御仮殿に遷座していた神輿が八雲神社の鳥居に向かう。いつもは御仮殿脇の辻でひともみするのだが、すんなり去って行った。鳥居の前でお飾りを外し、「暴れ神輿」になって屋敷町を含む旧7町を廻る。違和感は担ぎ手の少なさだった。還御の神輿は翌年の

  • 山あげ祭の屋台は2輪

    山車の祭りは全国津々浦々にあるようだ。車で出かけると、轍で舗装が傷ついている道路に出くわすことがある。山車のほとんどは4輪だと思うが、山あげ祭の屋台は2輪になっている。2輪なので止まっている時は支えが必要になるが、方向転換は楽に行える。2輪が影響しているのか

  • 光丸山法輪寺

    昼間通りかかった時に見えた茅の輪が気になって、すでに暗くなってはいたが帰路立ち寄った。大田原市佐良土にある光丸山法輪寺。開山は860年と言われている。鳥居のある神仏混淆の全国でも珍しい寺で、高さ2.14メートル、重さ1トンの日本一の天狗面を所蔵している。脇の立て

  • 黒羽城址公園の紫陽花

    黒羽城址公園の紫陽花はもう終わってしまったかもしれないとも思ったが、ダメもとで行ってみた。紫陽花祭りの幟旗が立ち並び、駐車場には誘導員がいた。まだ祭りの期間中だったようで、ラッキーだった。車を降りて二の丸から本丸に向かう。本丸の紫陽花空堀の紫陽花空堀の東

  • 日本一の剣がある神社

    数週間前、テレビの路線バス乗り継ぎ番組にこの神社が登場した。この辺りは、何度も通ったことがあり、神社の存在は知っていたが、立ち寄ったことはなかった。番組の中で、日本一の剣が祀られていると紹介されて話題性があるので、今回立ち寄った。栃木県上三川町にあるこの

  • 白岡忠恩寺

    平地なのにくねくね曲がっていて、たぶん古くからある道なのだろうとは思っていたが、寺の山門脇にある解説版を見て、それが鎌倉街道であることを知った。白岡市にある忠恩寺。1054年開基。岩付太田氏に庇護され、江戸時代は家光以降8将軍から朱印状を得た寺だという。山門は

  • 日本の公園の父

    菖蒲支所の展望室は、エレベーターを降りてから更に階段を上った所だった。エレベーターを降りた階に本多静六記念館があった。展示室に入ると、日比谷公園の模型があった。本多静六は、埼玉出身の林学者であることは知っていたが、日比谷公園を設計した本人だとは知らなかっ

  • 花立峠のツツジは終わっていた

    那須烏山に行ったついでに花立峠のツツジを見に行った。ところが、もうほとんど散っていて、わずかに所々にポツンポツンと咲き残っているだけだった。周りには誰もいなかった。今年はどこも開花が早かったので、散るのも早かったようだ。4年前に訪れた時は満開だったのだが。

  • 常陸国出雲大社境内からの山笑う眺め

    この季節、晴れた日の山々はまぶしい。新緑が目に染みる。国道50号を通る都度、気になっていた出雲大社。時間に余裕があった時、立ち寄って参拝した。その境内からの眺め、山桜が堪能できる。拝殿。しめ縄は本家より太いらしい。しめ縄に硬貨が刺さるとご利益があるとか。

  • 古河公方公園の花桃

    古河と桃の木との縁は江戸時代初期に始まる。当時古河藩主だった土井利勝は、成長が速い桃ノ木から薪と果実が得られることに着目し、植樹を奨励した。明治時代には、花見シーズンに花見列車が運行されたという。今でも開花の時期は交通渋滞になる。古河公方公園は、鎌倉公方

  • 茂木城山公園の寒緋桜

    枝垂れ桜とともに寒緋桜も咲いていた。茂木城は中世の城なので、建物は残っていないが、堀切などの遺構はきれいに保存整備されている。本丸跡の広さは目を見張るものがある。  

  • 古河ネーブルパークの八重桜

    子供が小さかった頃、ここから車で20分くらいの場所に住んでいたので、この公園にはだいぶお世話になった。何より広々としていて、気分転換にもなった。駐車場の近くに染井吉野が咲いていた記憶はあるのだが、それ以外の花についてはあまり覚えていなかった。写真は、たぶん

  • 栃木県・茂木城山公園の枝垂れ桜

    茂木城は中世の城で、宇都宮氏の支族茂木氏の居城だった。鎌倉御家人八田知家が茂木の地頭職に補任され、三男知基が茂木氏を名乗って築城した。1610年廃城。 

  • 犬山城(令和5年)

    犬山城は、現存12天守、国宝5城の一つ。天守のみが現存し、城跡は国の史跡に指定されている。犬山城の入り口の写真。入るとき人が映りこんだので、帰りがけに撮りなおそうとした。この外人の二人連れ、写真を撮ろうとしてしばらく待ったが、立ち止まったまま動こうともしない

  • 那珂川町の水芭蕉

    気分転換のために、栃木県那珂川町の日帰り温泉に出かけた。午前中は所用があって、家を出るのが午後になってしまった。温泉に着くのは夕方になるが、もうすぐという所で、以前何度か行った蕎麦屋を思い出した。確か土日の昼食時しか営業していない店だったので、閉まってい

  • 犬山・三光稲荷神社と針綱神社

    犬山城にはだいぶ前に来たことがあって、天守閣については覚えているのだが、その周りについては全く記憶が無くなっていた。この神社についても、その時参拝したのかどうか、今回が初めてなのかはっきりしない。歩き疲れていたが、もう少し頑張ってみることにした。神社の名

  • 犬山城下町散策(その2)

    足助や有松の伝統的な町並みを堪能してきたが、犬山はそれらとは違った雰囲気があった。レトロな町並みでは共通するものの、平日にもかかわらず人が多いという点では、川越に近い雰囲気。食べ歩きの若者が多いという点では、谷中銀座の雰囲気がある。本町通りと寺内通の交差

  • 犬山・町歩き

    今回の旅行の目的地はすべて回り終えた。だいぶ歩いて、疲れがたまっていたので、早めに帰ろうかとも思ったが、迷った末、折角来たのだからもう1つどこかに立ち寄ることにした。頭に浮かんだのは犬山。犬山城は、以前訪れたことがあるので、今回は予定に入れてなかったが、城

  • 令和5年4月1日の桜は1分落ち

    今年は桜の開花が異常に早かった。コロナ禍の規制が解け、花祭りの予定期間まで花が持つかどうか心配していた目黒川はどんな状況になったのだろうか。去年は花見も自粛で、遠出は控え、近所でささやかにという雰囲気だった。近所のこの公園にもシートを敷いて花見している家

  • ひと休みもできない熱田神宮

    熱田神宮の境内に入って最初に目についたのが巨大な灯篭。佐久間灯籠というらしい。信盛のいとこの盛次が1630年に寄進した。鳥居をくぐって拝殿へ。訪れたのは昼過ぎ。午前中目一杯散策して足が棒のよう。一休みしようと見まわしたが、座れる場所が見当たらない。ツレが御朱

  • 有松の伝統的町並み(最終回)

    こちらは服部幸平家住宅倉。井桁屋の分家で、屋号は井桁一。2階建切妻造。白漆喰塗籠造で腰壁はなまこ壁。県指定文化財。右の建物は、有松山車会館。山車の展示と祭り文化の紹介をする施設らしいが、平日は閉館とか。やはり松が印象的。服部家住宅(井桁屋)の屋根両妻にあ

  • 有松の伝統的町並み(その3)

    駅前通りを渡って東側にも、東海道に沿って伝統的な建物が続く。中濱家住宅。江戸末期創業の絞商。屋号は山ヨ。主屋はつし2階建。切妻造。1階は木格子。2階は虫籠窓。黒漆喰の塗籠造。主屋は明治中期ごろ建造。国登録の文化財。有松の名前通り立派な松がある。服部家住宅。17

  • 屋根の上に並ぶひな人形

    有松の町並みを散策していると、前方に結婚式衣装のカップルが塀の屋根に手を向けてポーズをとり、写真屋がそれを撮影しているのが見えた。その場所に近づくと、屋根の上にひな人形が並んでいた。カップルは、有松の伝統的な町並みを背景に、結婚の記念写真を撮っているらし

  • 有松の伝統的町並み

    3月上旬に旅行した記事を、負担にならない程度に小分けして書いてきたが、もう3月も過ぎる時期になってしまった。3月で終えるつもりが、無理になった。そうは言っても、長い記事を書くのはやはり手間なので、引き続き短めの記事になってしまうが。有松の一里塚。今まで見た

  • 有松の町並み・観光案内にない家々

    有松は、東海道で繁盛した商家の街並みを今に伝えている。昔からの街道らしく道幅は狭く、曲がりくねっている。今は一方通行の生活道路になっている。江戸時代の面影を伝える街並みは、重要伝統的建物群保存地区に選定されている。いくつかの建物は、観光案内でも紹介されて

  • 日本遺産・有松の町並み(その1)

    愛知旅行を思い立つまで有松の存在を知らなかった。観光情報をネットで見て、ぜひ行ってみたいとリストに加えた。名鉄名古屋本線の有松駅を出ると、広い道路に出た。近郊の住宅地の雰囲気と、観光地の雰囲気がある。5分も歩かないうちに交差点があった。東海道だ。趣のある建

  • 名古屋の四間道(しけみち)その2

    四間道は、堀川の西側に名古屋城築城に伴って造られた商人町で、現在の景観は1740年頃に形成されたという。この地方独特の屋根神。先ほど、一見してこの一角の住人という感じの人とすれ違ったが、この路地でまた見かけた。突き当りの祠にお参りして、掃除するのが日課のよう

  • 名古屋の四間道(しけみち)

    泊まったホテルからの名古屋の朝の眺め。夜景は窓の灯りが青くきれいだったが、疲れていたせいか写真を撮る発想がなかった。名古屋で初めに行く所は、四間道。(しけみち)名古屋にこんな一角があるとは,思ってもいなかった。平日の朝。通勤の人があわただしく通り過ぎていく

  • 岡崎まち歩き

    大樹寺の隣にある神社。観光案内には載っていなかったが、何となく立ち寄った。岡崎公園のからくり時計。何となく人が集まってきたなと思ったら、突然大きな音がして、からくり時計が動き出した。観光案内所でおすすめスポットを尋ねた時、ここもリストアップされた。夕暮れ

  • 伊賀八幡宮・岡崎

    前日、大樹寺への往復のバスの車窓から伊賀八幡宮の隋神門は見えたのだが、時間の関係で下車はあきらめた。そしてこの日、豊田から愛知環状鉄道で岡崎に向かう途中の駅からも、歩いて行けることが分かり、下車した。4時に門が閉まるので、間に合いそうもなかったが、折角近く

  • 幻のメグロのバイクが現に

    足助屋敷を散策中、工人館の片隅にバイクがあるのが見えた。バイクに興味がある訳ではないが、その時は何となくバイクを見に行った。バイクのマークを見て驚いた。メグロの文字が見える。メグロは、かつて日本に存在していたオートバイメーカーで、大型オートバイを得意とし

  • 足助散策・八幡宮

    香嵐渓。本来ならこのバス停で降りるのが正解だったが、終点まで行ってしまった。まず初めに観光協会に行ってマップを貰う思惑が崩れてしまった。バスを降りて、周りに何もないので困惑した。少し戻らなければならなかったが、伝統的建築物群の町並みにたどり着けた。町並み

  • 足助屋敷から香嵐渓へ

    前回に引き続き足助屋敷。こちらは工人館。中では明治から昭和初期にかけての山村の生活の中での、何かの工作が体験できるらしい。藍染とか竹とんぼとか?こちらは篭屋だったか。こちらは土蔵。足助屋敷を後に、再び香嵐渓を歩く。紅葉の時季にはかなりの賑わいとなるのだろ

  • 足助屋敷

    香積寺を出て石段を下り、さらに下った所に足助屋敷がある。ネットの観光案内で見たときは、どんな施設なのかよくわからなかったが、目的地の一つとしてリストアップした。どうやらテーマパークらしい。帰宅後、改めて検索すると「中山間部の農家の暮らしを再現」と出ていた

  • 足助・香嵐渓の香積寺

    足助城からタクシーを呼び、香嵐渓の入り口まで行く。短距離で心苦しかったが、おかげで時間の節約になった。運転手は来た時と同じ女性。紅葉の季節はかなり混雑するという。川沿いの道を往くと、そうなんだろうなとイメージがわいてくる。巴川に沿った道を歩いていくと、右

  • 東京ドーム・WBC日本・イタリア戦

    東京ドームに侍ジャパンの試合を見に行った。正直、あまり気乗りしなかった。家でテレビ観戦で十分だと思った。球場の席の狭さを思い出すだけで辟易する。4時間前後じっと座っているだけでも苦痛だし、真ん中の席だと出入りに苦労する。通路に近い席だと人を通すのがしんどい

  • 三河足助城・本丸へ

    いよいよ本丸へ。右端は、標高301mの山頂に建つ高櫓。江戸時代の天守閣に相当する。安助の町並み。街道は信州に続く。本丸腰曲輪から見た西物見台。高櫓から見た足助の町並み。街道は名古屋に続く。左は西物見台。高櫓から坂を下る。それにしてもアンテナが目障りだった。何

  • 三河足助城・南の丸へ

    昨日に引き続き足助城。南の丸の入り口。ちょっと意外だった。その先は西の丸。南の丸のかまど。南の丸の屋内。南の丸の建物。屋根の上に石が載っている。空堀を越えて本丸に向かう。  

  • 安助城散策・南の丸と西の丸

    観光案内所で聞くと、足助城に行くにはタクシーか歩くしかないという。中世の城なので、もちろん当時の建物は残っていないし、タクシーを使ってまで往復する見どころがあるのか、躊躇した。時間のロスを考えれば、歩くのは論外だ。どうするか迷ったが、もうわざわざ来る機会

  • 足助のひな祭り

    足助の町並みを散策した日は、まだひな祭りのイベントが継続中だった。「中馬のおひなさん」というイベントで、商家ごとにそれぞれお雛様が飾られていた。中馬とは、伊奈街道で運搬に従事していた人のことで、三河から塩、信州から米、たばこなどの交易の地として栄えた。ひ

  • 足助ぶらり旅・街道の商家の町並み

    岡崎から足助に行くには2つのルートがあるらしい。1つは電車で豊田を経由するルート、もう1つは岡崎からの直行バスで行くルート。直行バスはクネクネの山越えになるのか気になった。足助の観光協会に電話で確かめると、普通の道だというので、このコースを選ぶことにした

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