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対話空間_失われた他者を求めて https://dialogue-space.hatenablog.com/

このブログは、思想・哲学に興味を持ち、読書会活動をしている者たちが運営しています。

哲学、思想、芸術、時事等の記事が書かれています。

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2016/04/24

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  • 心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part6)

    ※part1~5はこちら dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com <第二章 心と有視点性 の続きから> (2)状況把握について (ⅲ)状況把握としての感覚 「感覚」という語の意味を劃定させていくにあたって、ここで「感覚」と「知覚」の関係性について少し検討しておきたい。一般に感覚というものは、しばしば知覚の基礎的契機と考えられていると思われ…

  • 心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part5)

    ※part1~part4はこちら dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com <第二章 心と有視点性 の続きから> (2)状況把握について (ⅱ) 他者の感覚について 以上の分析を踏まえ、ここで「感覚」という語の意味を検討しておくことにしよう。感覚というのは、一般には大体次のように解されていると思われる。すなわち、「外界からの刺激によって引き起こされ、その刺激の受容者の心の中に現れるもの」というような…

  • 心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part4)

    ※part1~part3はこちら dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com <第二章 心と有視点性 の続きから> (2)状況把握について ここまで見てきたように、質感的なものを含めた諸事物の相貌とは、その都度の状況から遊離した意識主観内部に現れる印象などではなく、その当人が今身を置いている状況のもとでの事物の様相である。一方このことは同時に、事物の相貌把握には、いつもその都度の状況のコンテクストについての了解が(たとえ非主題的にではあれ)含まれているというこ…

  • 心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part3訂正版)

    part3 をほんの一部訂正したので、再投稿しておきます。ほとんど変わっていないので、以前のを読まれた方はスルーしていただいて問題ないと思います。 ※part1, part2はこちら dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com 第二章 心と有視点性 科学的認識の努力は、客体的事物としての物質とその連関仕方とを発見するわけだが、そのように発見され規定された世界には、もはやどこにも「心」なるものは見当たらない。そこでは、「心」という語自体が意味を失ってしまうのである。尤もその意味では、「心など実在しない」という主張はそれな…

  • 日本神話の起爆剤 モーセの六戒からのアプローチ

    ・日本神話の“起爆剤”~モーセの“6戒”からのアプローチ~ はじめに1. あなたは、わたしのほかに、神としてはならない。2. あなたは、自分のために、刻んだ像を作ってはならない。3. あなたは、あなたの神である主の名を、みだりに唱えてはならない。4. 安息日を覚えて、これを聖とせよ。 5. あなたの父母を敬え。6. 殺してはならない。7. 姦淫してはならない。 8. 盗んではならない。9. 隣人に対して偽証してはならない。10. 隣人の家や、妻を欲してはならない。 モーセの十戒は、天地を創造した神がイスラエルの民(ユダヤ人)に、モーゼを通じて伝えた十つの戒めです。この10つの戒めは大きく分けて…

  • アキレスは亀に追いつけない?〜無限と世界の解釈〜

    今からおよそ2400年ほど前、南イタリアのエレアという古代ギリシアの植民市にゼノンという哲学者がいて、彼は義父であり、学問の師匠であり、また愛人でもあった(当時男色は珍しいことではなかった)パルメニデスの哲学上の論戦を擁護する際にいくつかの運動の例を提示した。それらはゼノンのパラドックスとして後世に伝わっているのだが、その話のひとつに『アキレスは亀に追いつけない』というものがある。これを紹介しよう。彼の挙げたパラドックスは(彼にそんな意図はなかっただろうが)われわれの無限、ひいては世界の一般的な捉え方に一石を投ずる議論であるように思われる。 アキレスは亀に追いつけない。いかなることか。アキレス…

  • 心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part3)

    訂正版を再投稿しました。 dialogue-space.hatenablog.com ※part1, part2はこちら dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com 第二章 心と<その都度>性 科学的認識の努力は、客体的事物としての物質とその連関仕方とを発見するわけだが、そのように発見され規定された世界には、もはやどこにも「心」なるものは見当たらない。そこでは、「心」という語自体が意味を失ってしまうのである。尤もその意味では、「心など実在しない」という主張はそれなりの権利を持つであろう。僕自身もある意味においてはこの主…

  • ポリフォニーの世界(前編その3)

    その1とその2の記事はこちら ポリフォニーの世界(前編その1) - 対話空間_失われた他者を求めて ポリフォニーの世界(前編その2) - 対話空間_失われた他者を求めて 前回のおさらい 私たちは、有視点把握と無視点把握という二つの世界把握の様態を携えて生きている。有視点把握とは主体のあり方と関わっている世界把握であり、無視点把握とは主体のあり方に関わらない世界把握であった。有視点把握は無視点把握なしでは有視点把握として成立しないし(無視点把握がなければそれは秩序なき混沌に過ぎない)、逆に無視点把握は有視点把握に依存しているということを述べた。 W=f(o,s,b,m) さて、今回は初めに世界が…

  • ポリフォニーの世界(前編その2)

    前回の記事はこちら dialogue-space.hatenablog.com 前回のおさらい 多くの人が想定してしまう意識の繭(まゆ)とはどのようなものだったか。それは外界と隔絶された、私に閉じられた意識であった。それは繭の外界にある物それ自体が表象する場所であった。意識の繭に生まれる表象は、外界の物それ自体とはどれだけ詳細に観察しようが原理的に完全に一致することはない。また、その表象は見間違えのように、物それ自体とは全く一致しないこともある。さらにそれは、幻覚や幻聴のように、外界にはないものを全くでっち上げてしまうことすらある。意識の繭とはそのようなものだった。しかしこの意識の繭なるものは…

  • ポリフォニーの世界(前編その1)

    序 先日、『心という難問 空間・身体・意味』(野矢茂樹著)という昨年出版されたばかりの新しい本を読み終え、その内容に感銘を受けた。この感銘を動機としてこの記事を書いてみようと思う。 本記事の内容であるが、まず野矢氏の主張を紹介し(前編)、その後、その中でも特に相貌論における「物語」という概念について取り上げ、私自身の今抱いている考えを述べるつもりである(後編)。おそらく一つの投稿にしては読む方にしても長くなるだろうし、私も途中まで書いて何らかの理由で放棄して全部駄目にしてしまうかもしれないと思ったので、その日に書けたところまで分割して投稿していくことにする。今の極めていい加減な見立てでは前編と…

  • 心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part2)

    ※part1はこちら dialogue-space.hatenablog.com <第一章 自然科学と心 の続きから> (2)機能主義 (ⅰ)機能主義における心の定義について ところで、心的なものを脳の物理的機能へと還元するような発想法は、心の哲学(philosophy of mind)や認知科学、またAI研究において主流となっている「機能主義」の立場にも顕著に現れていると思われる。機能主義とは、心的なものを、それがどのような因果的役割を果たしているかという観点から定義しようとする立場のことである。つまり、心がどのような原因によって引き起こされ、どのような結果を引き起こすかというところに注目す…

  • 心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part1)

    ※この記事は現在執筆中のため未完結です。かなり長くなる予定なので、続きを書け次第分割投稿していきたいと思います。(挫折する可能性あり) 心脳問題とは、「心と脳との関係は?」というきわめてシンプルな問題だ。けれども、哲学者の中には、哲学史上最大の難問だと言う者もいる。簡単そうに見えて、考え出すと実に厄介な問題なのだ。なお、伝統的には心身問題、つまり「心と身体との関係は?」という問題であるが、現代においては「心の座は脳である」というのが通念になっていることを踏まえ、また、こうした通念からくる脳中心主義的、脳還元主義的な発想法を問題視したいため、この記事では「心脳問題」という表題を選んだ次第である。…

  • 「流れる時間」という壮大な錯覚

    科学の発達した現代において、占い師や宗教家たちの予言を信じる者に対し冷ややかな目を向ける者は少なくないだろう。わたしもそのひとりである。 もっとも、予言を信じると言っても彼女たち(女に多いのでこの代名詞を用いる)がごく軽い気持ちで、例えば神社の初詣でおみくじを引くぐらいの気持ちで、ほとんどただ無邪気に楽しんでいるだけならばまだ馬鹿らしいという非難めいた気持をわたしに起こさせることはない。けれども彼女たちの迷信がもし大真面目に占い師や宗教家の予言を信じるという段階まで進んでいるようならば、安易に安心を求めるあまり真実を犠牲にしていると批判的な判断を下さざるを得ないだろう。ここまではこれを読む大部…

  • 人工知能と心

    人工知能の未来 最近の人工知能の開発は驚異的だ。今年の3月、囲碁でスーパーコンピュータのアルファ碁が世界のトッププロに勝ったというニュースは、囲碁愛好家の私にとって衝撃的であった。10年程前に将棋のプロがコンピュータと対戦して破れたことが話題になったが、囲碁の場合は盤面が広く手数が長いために、コンピュータがプロ棋士と対等に戦えるのは、どんなに早くても10年以上は先になるだろうと考えられていた。毎年コンピュータ同士による囲碁の世界大会があり、それに優勝したコンピュータがプロ棋士と対戦する場合、今でもコンピュータの方が3子か4子先に置いてちょうどいい勝負であり、プロと対等ではとても歯が立たないくら…

  • 奇跡ということ

    ずっと不思議に思ってきたこと 「不思議だなあ」って思うことはたくさんある。その中で僕が高校の頃からずっと、特に不思議に思ってきたことを二つ紹介したい。その一つは、「宇宙が有限であるならばその外があるはずだ。宇宙の外はどうなっているのだろう」ということだ。高校の頃私はまだ哲学書を一冊も読んだことがなかったが、このことについて自分でいくら考えても納得のいく答えはまったく得られず、この問題を前にして唯々「不思議だなあ」という思いを抱き続けてきた。「宇宙の外はどうなっているんだ」という質問を、私は父や高校の時の教師、大学の先生や友人に繰り返した。しかし誰一人この問題について一緒に考え、答えを返してくれ…

  • 人工知能が意識を持つとしたら?

    この記事の目的は、このブログ上でなされたuedaさんとkuboさんの議論について、ハイデガー的視点からの総括を試みることです。 私は同じ読書会の一員として、uedaさんとkuboさんの議論の帰結を残念に思います。けれども、二人の議論の過程を尊重し、その結末がものわかれに終わったことについてもひとまずこれを受け入れたいと思います。議論に限らず、人間同士のかかわりが常に好感を持って終わるべきだとは思いません。わけもなく不快な思いをさせるのはおろかなことですが、だからといって他者との不快な関わりから目をそらしてはいけないと思います。少なくとも、そうした関わりを「失敗」として排除するような態度は、哲学…

  • 人間は意識を持つか?

    「人工知能は意識を持つか?」と問われれば、私は(この問いがカテゴリーミステイクであるかどうかはともかく)「もちろんない」と答えるだろう。ただし、それは「人工知能」を「人間」に置き換えても同じように答えるであろうという意味で、ということを断っておかねばならない。このブログではたびたび人工知能にかんする問題が提起されているが、「人間は意識を持つ」という強い条件のもとでしか議論されてこなかった。私にはこれが不思議でたまらない。6月17日に発売された永井均氏の『改訂版 なぜ意識は実在しないのか』は次のような書き出しで始まる。「心は、心の中でも特に「意識」と呼ばれるものは、じつは存在しません。これは、誰…

  • 人間力という言葉に抱く嫌悪感について

    人間力という言葉が嫌いだ。 何故ならこの言葉は独善的である。人間とはかくあらねばならぬという無神経な押し付けである。悪いことに、この言葉の使用者たちはそれと意識することなしにこの暴力的な押し付けを行なっている。無自覚な分タチが悪いといえる。 人間力という言葉の意味 人間力という言葉は今きわめて多義的に使われている。 それ以前にも言葉としては存在していたようであるが、この言葉が一般的に普及しはじめたのは2000年頃だろう。2003年に発表された内閣府の人間力戦略研究会の発表(ここで行政は人間力という言葉をはじめて使用した)にははじめに人間力という言葉をこう説明している。 文部科学省は、近年の教育…

  • 清原和博氏のセカンドキャリアについて

    私は野球にあまり関心がない。「清原」の名前も聞いたことはあったが詳しいことは何も知らなかった。しかし、覚せい剤所持の現行犯として逮捕されたのち、そのセカンドキャリアと薬物依存の関係をめぐるいくつかの報道に接するうちに、とても他人ごとではいられない気持ちになってしまった。 正直なところ、私は清原氏が苦手である。体格がよく、大柄で、大胆で、乱暴で、豪放磊落に「男道」を語り、目立ちたがりで、すべてを「結果」で挽回しようとする。これが、清原氏に対する私の偏見である。もちろん、その攻撃性は心理的な弱さ(気弱さ、気恥ずかしさ、孤独への弱さ、他人への依存)を乗り越えるためのものだった、という面はあるように思…

  • なぜ旅行したいか

    <モロッコのカスバ街道にて> 先月の4週間日本を離れスペイン、ポルトガル、モロッコを旅してきた。これを書いているのは帰国して一週間ほど経った頃だが日本の落ち着いた生活をしみじみと有り難く感じている。 行った所を時系列順に述べると、スペインはマドリード、トレド、ポルトガルに移りリスボン、シントラ地区、再びスペインに戻りバルセロナ、バルセロナからアフリカ北西部のモロッコに飛び古都フェズ、サハラ砂漠の玄関口メルズーガ、観光都市マラケシュ、モロッコ最大の経済都市カサブランカである。 スペイン、ポルトガルのヨーロッパに2週間、アフリカ大陸のモロッコに2週間滞在したことになる。 帰ってきた今、良くも悪くも…

  • アニメ『響け!ユーフォニアム』の魅力について―感想と考察

    最近、ある友人からの薦めで、一年ほど前に放映されたTVアニメ『響け!ユーフォニアム』を観た。このアニメは、高校の吹奏楽部を題材にしたいわゆる部活ものなのだが、これが想像していた以上に新鮮で素晴らしく、色々と思うところのある作品だったので、今更だがこの作品について僕の考えたことを書いておきたい。ちなみに以下の考察は、基本的には既に本作を観ていることを想定の上で書くつもりであるが、一方で本作を知らない方にその魅力を紹介したいという思いもあるので、未見の方が読んでもそれなりに分かるようには配慮したいと思う。(ただし、ネタバレ等に関しては一切配慮しない。そもそも本作はネタバレを気にするようなタイプの作…

  • 死へ臨む不安

    肺がんの告知を受けて 僕が肺がんと診断されたのは昨年の10月8日であった。職場での胸部のX線検診で再検査を言われたのが3年程前である。そのときは異常なしであったが、その後何回か再検査をして胸部のCTも受け、昨年の9月に肺がんの疑いがあると言われた。9月30日に大阪鉄道病院で検査入院をし、内視鏡で肺の組織検査を受け、10月8日に肺がんと診断された。当時僕はある公立高校の非常勤講師をしていたのだが、その高校は二学期制で、後期の僕の最初の授業が翌日の10月9日だったので、その準備をするために、検査報告を受けたその足で昼過ぎに学校へ行った。肺がんの診断を受けるまでは、その可能性を心配してはいたとはいえ…

  • 清原和博氏の逮捕について

    最近世間を賑わせた話題といえば、元プロ野球選手の清原和博氏が覚せい剤所持の現行犯で逮捕されたことである。 周知の通り、覚せい剤はその使用者の心身を蝕み、社会的な死をもたらす。人は悲惨な将来が待ち受けていることをおそらく頭では理解していながら、どうしてそれに手を染めてしまうのか。 ごく簡単に言ってしまえば、その理由は気持が良いからだろう。覚せい剤使用者は、快楽に抗うことができないのである。 そしてその快楽ということについてである。覚せい剤の快楽のみならず、快楽は一般的に言って、忘我(我を忘れること)と切り離すことができない。快楽がゆえに我を忘れるのではなく、また逆に、我を忘れるがゆえに快楽を得る…

  • 好きの反対は嫌いか?それとも無関心か?

    常識的に言って、好きの反対は嫌いである。しかし、それを否定するような、ある広く知られた格言がある。 『The opposite of love is not hate, it’s indifference.』 (訳:愛の反対は憎しみではなく、無関心なのです。) これは、日本ではマザー・テレサの語った言葉だと信じられているが、それは事実ではなく、本当は、エリ・ヴィーゼルというアメリカのノーベル平和賞を受賞した作家が残した言葉のようである。しかしその取り違えはともかく、この格言をはじめて耳にした者は、どこか、ふと目を開かされたような思いになるのではないだろうか。いかにもなるほどという言葉だ。 しか…

  • ネタバレを避ける者とそれに無頓着な者との相違について

    先の読書会において、作品のネタバレの話題が盛り上がった。ネタバレというのはネットで主に使われ、現在では日常でも使用されはじめた俗語であるが、物語のとりわけ核心的な筋を、これから観たり読んだりしようとしている者が何らかのきっかけで知るという事態をさす。一例を挙げれば、ある映画の結末でヒロインが死ぬことになっていて、そのことを週末にでも観ようかと楽しみに計画していた者が何気なくネットをみていたところ偶然知ってしまったというような状況である。特にネットではこのようなネタバレを避けるために、ネタバレの情報が含まれている場合は、「以下、ネタバレ注意」などと喚起されている場合が多く、これはネタバレを嫌がる…

  • 知覚の現象学と芸術への問い

    <遅ればせながら、僕も読書会の総括文を投稿させて頂きます。> 読書会にて一年以上親しんできたメルロー=ポンティの『知覚の現象学』を振り返ってみれば、僕がそこから受けた影響はあまりにも絶大であり、この著書によって世界の見方が変わってしまったと言っても過言ではない。その中でも特にこの著書は、僕の「芸術観」を一新するものであった。そこでこの記事では、芸術活動の意味を問うにあたって、如何にこの著書が重大な示唆を与えてくれるかを書き記しておきたいと思う。 その前に少し私的な話をすると、僕は中学生の頃に始めた作曲を今でも続けており、そのためずっと以前から芸術活動というものへの強い関心があった。けれどもある…

  • ぼくらはみんな生きてる。生きているから歌うんだ。

    読書会の発端について このブログは、昨春に立ち上げられた読書会の参加者複数人によって運営されています。僕はその会の発起人のひとりです。発起人のひとりと述べたのは、この会は、もっぱら誰かひとりの意志によって立ち上げられたというわけではなく、三人の相互作用によって発足されたからです。その経緯は以下の通りです。 僕と、僕の高校の後輩(K君)と、彼の父親(Kさん)の三人は、大阪京橋の串カツ屋で飲食していました。その会話のなかで、父Kさんがメルロー=ポンティの『知覚の現象学』を僕と息子K君に推薦しました。どんな会話の流れでそうなったのかは記憶が確かではありませんが、僕とK君は創作に関わる者として、主に芸…

  • 「からだことば」と知覚の現象学

    「からだことば」とは、例えば「頭が痛いことだ」、「胸が張り裂けそう」、「腰を据えてかかる」、「消化できない」などといったように、身体の状態を語る言葉で心の状態を表現するものである。英語でもこうした表現はあると思うが、日本語には特に多い。その理由は、おそらく西洋の思想がデカルト以来「心身二元論」に基づくのに対して、日本の思想は「心身一如」という表現に見られるように「心身一元論」に基づいていることによると思う。上記の「からだことば」は、身体の一部の状態を指したものだが、身体全体を「身」という言語で表現したものとして「身が縮む」、「肩身が狭い」、「身持ちが悪い」などといった表現がある。哲学者の市川浩…

  • 知覚の現象学と無の存在論

    メルロー=ポンティとサルトル 『知覚の現象学』は1945年、サルトルの『存在と無』(1943年)を追うように刊行された。この記事では、両者を対照させながら『知覚の現象学』について論じていきたい。 まず大づかみに、『知覚の現象学』を母性的、『存在と無』を父性的、とくくってみる。哲学書をこのように分けるのは卑近だが、多少の指針にはなると思う。ユング派心理学者の河合隼雄は、父性と母性の原理を次のように対比している。 母性の原理は「包含する」機能によって示される。それはすべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包み込んでしまい、そこではすべてのものが絶対的な平等性をもつ。「わが子であるかぎり」すべて平等に可…

  • 同情と共感

    このブログ上では最近、「人工知能」についてのコメントが行き交っており、私も興味深くそれを読んでいるが、ここではもっと身近な人間的事象である同情と共感について私の思っていることを述べたい。 手元にある国語辞典で調べてみると、同情とは「①他人の境遇を理解してその人と同じような気持ちを自分の心に感じること。②他人の不幸を思いやっていたわること。おもいやり。」となっており、共感とは「他人の意見・論説や行動などを、その通りだと感じること」となっている。この辞典では共感の説明が不十分すぎる。これでは「共感」ではなく「同感」の説明でしかない。 次に臨床心理学者の山口創氏の著書『子供の脳は肌にある』に書かれて…

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