今日一日、機嫌よく生きようと、不機嫌に生きようと、時間は確実に、過ぎていきます。どうせ過ぎていく時間なら、僕は、死ぬ最後の瞬間まで、毎日を、ずっと上機嫌で生きることに、決めています。さて、沖縄旅行の二日目は、宿を出ておもろまち駅へ。旭橋で降りて、バスター
定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。
20代の頃の漠とした不安、30代の頃の定職のない焦燥感、と絶望感、40代の頃の高揚感、そして、50代の頃の諦観、が、僕のざっくりとした精神史。で、60代の今が、一番幸せなのかもしれない、と。以下は、PGF生命が今年還暦を迎える1962年生まれの男女2000名に行った「2022年の
もう一年半以上、楽天モバイルを使っていて、ずっと零円行進を続けていたのですが、初めて料金が発生したので、お知らせします。これは、ナビダイヤルにかけたのが原因。まあ、必要経費というか、求人先の電話がそれだったのですよ。今、交通誘導の警備の仕事をしている会社
63歳にもなって未だに住宅ローンを払っているお前が言うな、と言われそうですが、僕が、介護が必要になって、マンションを売却し、自宅に戻ったのが53歳で、そのマンションを買ったのが40歳、35年払いでした。つまり、完済は、75歳。今思っても、おそろしさで身震いします。
昨日は、伊勢崎市で40.2度、桐生市で39.8度、そして鳩山町で39.2度と、6月としてはかなりの高温。やはり、冷房をつけないと、やばいと思ってつけました。さて、昨日は、無職のドラ息子が月3万のたばこ代、という話をしましたが、僕もかつては、たばこを吸っていた時期がある
昨日あたりから急に暑くなってきて、今日は、38度予想。窓を開けていられるのも朝のうちだけかもと思い、開け放っています。老後2000万円問題ですが、問題を抱えた家だと、それだけあっても足りないケースもあります。問題がなければ、貯金1000万円で楽勝、でしょう。さて、
僕が交通誘導の警備の仕事をしている会社は、未だにお給料は現金手渡し。そのため、電車に乗って、前の週の分の賃金を貰いに行っています。昨日は、座席のゆったりした電車に乗れてラッキーでした。一つ手前の上福岡で下車し、やよい軒へ。うーん、この高菜が、食べたかった
傍を楽にするから働くという、ということを、聞いたことがあります。頑張って働くことにより、傍、つまり、周りの人が楽になる、と。介護職などは、まさにその典型。介護職員の献身的なお世話により、介護される人、傍、が、楽になるのですからね。さて、僕は現役時代、長く2
安易に結婚できる人は、勢いがあるか、性欲が勝っているか、後先考えていないか、超楽天的なのか、何も考えていないのか、とにかく、イージーモードなのですよねえ。多少なりとも自分が見え、現実が見えていれば、妻帯などは二の足を踏むもの。でも、妻子がいたら、頑張るし
ローコスト生活は良いことずくめ。まず、低支出で暮らせるため、そんなに稼ぐ必要がない。そんなに稼ぐ必要がなければ、あくせく働かなくてよい。 稼ぎが少なければ、税制面で優遇される。非課税世帯になれば、お金をもらえることさえある。最大ネックの国民健康保険税も7割
僕も、今年の6月から実際に年金をもらうようになって、年金の有難味を実感。友人たちの半分ほどの額だとは言え、あんなに転職ばかりして、働いていない時期も長かった僕が、人並みに年金をもらえるようになるとは、当時は考えもしませんでした。ネットで、正社員と非正規の年
昨日は、大宮で金城君と飲んだ話をしたのですが、彼が興味を持っていたのは老後の年金額と老後生活。僕は、自分のブログ記事を見せて、こんな感じだよ、と説明したのですが、そんな額だと生きられない、とは、彼の弁。いやいやこれは、特別支給分で、65歳の満額ならば、ほぼ
昨日は久しぶりに大宮まで行って、飲み友達と会ってきました。その友人、金城君は、沖縄糸満市出身の55歳。出会ったのは、お互い20代の頃。彼は、川口市に住んでいるので、よく行くのは赤羽だったりしますが、赤羽もディープですが、大宮もなかなかのもの。 金城君に、今聴
幸せに生きる方法は極めて簡単で、それは、自分主体で生きること。自分主体と言っても、わがままに好き勝手に生きて他人の迷惑も顧みない、ということではありません。自分主体とは、別の言い方をすると、他人や環境など、他者の所為にしない生き方のことです。では、どうす
僕が介護離職した時はホテル勤務、そしてその前職がビル管理会社で、3つの現場を経験。で、ときどき補勤というのがあり、つまり、人手の足りない他所の現場に手伝いに行くのですが、そこで知り合ったFさんは、当時から株式投資をしていて、よく、知っとぉ? と話しかけてき
昨日は、人生初の年金支給日でした。喜び勇んで下ろしに行きたかったのですが、午前も午後もアルバイト。午前は交通誘導の警備員、午後は、請負の検針員。 一日に、ふたつの貌を持つ男。そのため、昨日は通帳を見ることはできませんでしたが、入金額は通知が来ていますので
軍需産業の闇、医療業界の闇、などなど、実に闇と名の付くものは、いたるところに存在しているのですが、今、ウクライナは、古い兵器のごみ捨て場状態。在庫一掃セールではないですが、それは、ロシアも同様で、ただ、違いはと言えば、倉庫から古い兵器を引っ張り出すことは
僕自身、60歳を過ぎてもなお、住宅ローンを抱えていて、それが、稼がねばならない理由の一つにもなっているのですが、世の中には、身の丈に余る住宅ローンを抱えて老後生活を送っている人も、一定数いるようです。ネット記事で、6000万円で購入した物件が、売却時はその5分の
僕は、風俗は、40歳のときに卒業しました。理由は、マンション購入。まあ、そのマンションも、親の介護が始まって売却し、その後実家に戻って、実家を建て直ししたのは、古くからのこのブログの読者ならば、耳にタコの話。で、先日、僕がメインに通っていた風俗店を検索し
僕は、ゆるゆるとですが、労働をしています。これによって得られる功徳は、お金を大切に使おうという心理。以下は、「リチャード・セイラーの理論」からの抜粋。 自分の力で稼いでいない、いわゆるあぶく銭は、遊びやギャンブルで使い果たしてしまうことが多いという。 こ
こちらのブログでは、株式投資のことを書くこともほとんどなくなったのですが、来週15日に初の年金支給があることもあり、今日は少し、お金の話を。僕の株式投資額は、わずかなもので、今日のタイトルの通り。日本株に300万円、アメリカ株に90万円。そして、現金、つまり預貯
6月と言えば、ボーナスの季節。社畜が、つかの間、喜びを感じる季節。思ったよりボーナス貰えたI got a bonus more than I expected.という人ばかりなら良いのですが、そうでもない人はがっかりしたりして、事程左様に、お金で一喜一憂するのが凡人。ネットサーフィンをして
6月1日から始めたアルバイトですが、昨日が3回目の勤務でした。メインでやっている請負アルバイトよりも、1か月の稼ぎはこちらのほうが多いのですが、危険もあります。昨日は、現場近くの解体中のビルの足場の囲いの一つが落下。アスベストの飛散防止だとかで、足場だけでな
親の介護が必要になり、実家を建て直して、この6月で9年になります。9年前はまだ正社員として働いており、往復4時間のサラリーマン生活をしながらのダブル介護。忙しいなどとは言っていられないほど、必死だった日々。あれから、もう9年が経ったのかと思い、いつしか自分も63
お金に困ったときの最終兵器がカードローン。僕も会社員時代、業者から作るように勧められたことがあります。断る僕に、彼らは、お守り替わりですよ、と。一昔前は、ギャンブルや風俗などで散財し、カードローンへという話が多かったのですが、今は、生活費が足りないケー
....The paradox of our time in history is that歴史の中で、私たちが今いる時代の矛盾。それは、we have taller buildings but shorter tempers,ビルは高くなったけれど 人の気は短くなり、wider Freeways, but narrower viewpoints.高速道路は広くなったけれど 視野は狭
僕が継続的に読んでいるブログは、労働に疲れて逃げるようにリタイアし、その後、節約生活で生き延びる的なものが多いのですが、ikinobiyou194さんのブログもその一つ。 社会生活並びに会社生活に馴染めず、リタイア後は極貧とも呼べる生活ながら、穏やかな日々。心の平安こ
ゆるーく働く予定がいきなりの連勤で、これはオーバーワークだと認識した僕は、すぐに軌道修正。一応仕事も覚えたし、もう、会社の要請で連勤することはありません。週1日勤務も可、と言うから、応募したのですからね。さて、ゼンショーホールディングスが、また、やらかしま
一昨日の6月1日が、新しいアルバイトの初日、でした。まあ、半日勤務なので、緊張の中、何とか勤め上げたのですが、その日の午後に会社から電話が。急遽2日の木曜日も出てくれませんか、と。まあ、仕事も早く覚えたいし、ちょうど予定もないし、ということで承諾したため、い
今日から6月。そして今日は、新しいアルバイトの初日。緊張からか、朝早く目が覚めてしまい、出勤前にこれを書いています。今現在は、僕はまだ年金をもらっていませんが、もうすぐ、厚生年金の特別支給があるので、今後のことを考えてみました。63歳から貰える特別支給分は、
「ブログリーダー」を活用して、tao313さんをフォローしませんか?
今日一日、機嫌よく生きようと、不機嫌に生きようと、時間は確実に、過ぎていきます。どうせ過ぎていく時間なら、僕は、死ぬ最後の瞬間まで、毎日を、ずっと上機嫌で生きることに、決めています。さて、沖縄旅行の二日目は、宿を出ておもろまち駅へ。旭橋で降りて、バスター
僕は、自分の年金額を、写真付きで公開しています。そして、平均よりも、はるかに少ない年金で、幸せに暮らしています。先日、友人のAさんと、電話で話す機会があり、少ない年金で旅行しているのは、何か裏があるのではないかと、疑う人もいるのでは、とのアドバイスをいた
7月になった早々、鳩山町で、38.1度を記録。確か7月1日の、全国最高気温だったのではないかと思います。暑いので有名な、岐阜県多治見市もびっくりの気温でしたけど、鳩山町が38.1度の時は、隣接する僕の住む町も同じ暑さということ。で、7月7日から10日まで、暑い埼玉県から
飛行機に乗るのは7年ぶりでしたが、なんかいろいろ変わっていましたね。まず、二次元コードで、搭乗できるようになっていることを、知りませんでした。だからなんか、少し、不安でしたね。でも、慣れてみると確かに楽。今回は、松江市の同じホテルに3泊し、羽田と出雲空港の
今、大阪で万博が開催されていますが、彼が日本文化に出会ったのも、ニューオーリンズの万博でした。小泉八雲こと、ラフカディオハーンは、ギリシャ生まれ。その後、アイルランド、イギリス、フランス、アメリカ、さらに、カリブ海の島へ。 「古事記」の英訳を読んで、日本行
僕の生活は、メリハリがはっきりしていて、お金を使うところには使う、そして基本は、質素で素朴な生活。お金を使うところは旅行と外食、それ以外は、ほとんどレジャー費がかかりません。だから、少ない年金でも、何とかなっているのかな、と。ということで、少し遅くなりま
境港を歩いているときに、思ったこと。それは、スローペースで生きていく、ということ。強い日差しに、ややぐったりしながらも、街歩きを終え、米子経由で松江に帰り、早めの夕食後、宍道湖に行くと、すでに日は沈んだ後でしたが、夕焼けは見ることができました。その翌日は
同じ日に、日本神道の霊域から、妖怪界隈へ行くこととなった僕は、風の時代の風通しのよさを感じていました。出雲大社に行った日に、妖怪神社にも行った、と。でも、これこそが、風の時代。この地上世界だけでなく、霊界も、実は、風通しがよくなっています。水木夫妻の銅像
出雲大社にも、ずっと以前から行きたかったように、一畑電車にも、ずっと以前から乗りたいと思っていました。電車に揺られながら、宍道湖を眺めたいなあと、思っていたのです。ホテルを6時前に出て、始発の一畑電車に乗ると、さすがに乗客は少ない。通勤の高校生がいるくら
6月16日に、羽田から出雲空港に行き、17日の早朝に、出雲大社に参拝に行きました。長い参道を歩きながら、心をのびやかに広げていきます。出雲大社は、ずっと行きたいと思っていた場所。うさぎ君たちも、勉強をしたり、信仰心があって、素晴らしいねえ。まだ朝の時間だ
これはある程度個人差のあることではありますが、自分のペースで生きられるか否かが、ストレスに大いに関係するのではないか、と。僕などはまさにそれで、会社員生活がつらかったのは、他者のペースに合わせねばならなかったから。営業目標にせよ、納期にせよ、生産の効率化
函館には大宮から新幹線で行ったのですが、行きは4時間弱かかりました。これは、盛岡から先が、各駅のようになったため。帰りの新幹線は3時間半くらい。新函館北斗を出ると、新青森、盛岡、仙台、大宮と、これは速かったですね。二泊三日だったので、同じホテルに連泊。では
会津藩の要請により発足した新選組の、主な任務は、京都における反幕府勢力の取り締まりでした。その新撰組最後の地が、函館にあります。路面電車の終点、函館どっく前駅のすぐそば。今は、公園になっています。土方歳三は、新政府軍に囲まれた弁天岬台場に、救援に行く途中
おもしろきこともなきよをおもしろく、と、句の冒頭を言い残して死んでいった高杉晋作ですが、四面楚歌の状況で、ただ一人立ち上がり、伊藤博文のみが賛同し、情勢を見て後から加わった山形有朋らの押しもあり、不利な状況をひっくり返してからの快進撃は、一瞬の花火を見て
若いころに転職を繰り返していた僕にとって、仕事はどこも長く続くものではなく、それでも生きていくために働いていた職場で、当時は週休二日の会社も少なく、だとしたら、土曜日だけが楽しみで、特に仕事を終えた土曜日は、唯一のウキウキする時間だったことも。それが今は
ドラマ、「しあわせは食べて寝て待て」の影響を受けて、函館に行った時も、坂の途中にあるカフェで、薬膳ランチをいただきました。もやし入りつくねのキノコあんかけ、厚揚げと春雨のオイスターソース炒め、レンコンとピーマンのなめ茸和え、はんぺんのマグロたたき軍艦、切
失われた30年が、ぼやぼやしていると35年になろうかという状況下、5月21日、22日、23日の三日間、函館に行ってきました。幕末に活躍した人物で、僕が尊敬しているのは、吉田松陰、小松帯刀、渋沢栄一で、感銘を受けるのは、その影響力の大きさ。この三人は別格で
年をとればとるほど、住むところの快適さが、日々の暮らしに与える影響は、大きいと思っています。住環境、もしくは、職場も含めた自分のいる環境が、快適であるほど、相対的に幸福度は上がっていく、と。世間の評価ではなく、自分にとっての快適さ、ですけどね。前記事で、
人生に意味はあるかと問われれば、あるとも言えるしないとも言える、と。若い頃の僕は、人生の長さを思ってうんざりし、途方にくれたものです。それと言うのも、すぐに会社を辞めるため、家にいて、ぼーっとしている時間が長く、とりとめのないことを考えていたから。この先
お金がいくらあっても、仕事のノルマや、その他もろもろに追い回されていたら、心に余裕はありません。年金の実入りは少なくても、有り余る自由時間を好きに使えれば、自分次第でいくらでも、日々の生活を天国にできます。今日のタイトルを書きこんだときに、時代は今、とい
6月に新潟に行ったとき、新潟市そのものは、初めての場所ではなかったため、少し近隣にも足を延ばしてみました。まあ、新潟市は広いので、市内ではあるのですが、それは豊栄図書館。旅先では、必ず図書館を覗くのが、僕のソロ活の一つ。涼しげなクマさんがいる図書館。図書館
長らく勤め人をしていると、経営マインドとは無縁の暮らしになりがちですが、本来人は誰でも、自分の人生の経営者。 会社が破綻しそうになったら、それを、建て直すのが良い社長。人の一生も同じで、人生の激流に晒されながら、誰もが日々を生きています。人生は、事程左様に
4月に富山に行き、6月に新潟に行って、気づいたこと。旅行も、しんどい。ありえねーって、50代の僕なら、思ったでしょうね。海外に行きまくった30代。国内の温泉旅行に嵌まった40代。まだまだ旅行熱が盛んだった50代。温泉は、親を連れて行くのがメインでしたから、トータル
コップの中の水、という有名なたとえ話が、ありますよね。コップの中に半分ほど水が入っていて、もう半分しかない、と見るか、まだ半分もある、と見るか。その見方によって、見る人の心持ちは、大きく変わってきます。その理由は、豊かさは、その人の潜在意識と、繋がってい
すでに65歳を過ぎ、年金受給している僕にとって、大切なことは、毎日を可能な限り楽しんで生きること。ところが、世間の風潮はと言えば、老後不安をあおる記事が多い、と。すでに老後生活を送っている僕にとって、言えることは、老後は、そんなにお金を使わないよ、というこ
若い頃にイケメンでも、年を取るにつれて、卑しい顔になっていく人がいます。これは、美女も、同じ。造形美が、本質を糊塗できるのは、若いうちだけ。加齢とともに、内面が、外に現れてきます。つまり、その人の人生模様が、顔に出る、ということ。
7月7日の日曜日、20時になったとたんに、小池百合子の当選表示が。そうなりましたか、ということで、都民ではない僕は、チャンネルを変えた、と。シュールレアリスムの画家たちを、特集していた番組を、お隣でやっていたので見ていると、ダリではなくて、誰だったか、画家の
かつて悩み苦しみの中にあったとき、ふと聖書を開くと、そのときに相応しい言葉が、与えられたものです。たとえば、以下のような。「だから、明日のことまで思い悩むな. 明日のことは明日自らが思い悩む。 その日の苦労は、 その日だけで十分である。」 マタイによる福
定年まで数年を残して介護離職し、父を自宅で看取ったとき、父の年齢は89歳でした。男7人女一人の8人兄弟の、父は四男。その父が、今でいう中学生の時に、口減らしのために、親戚筋の家に奉公に出されます。 父は大正15年生まれであり、同時に昭和元年だか2年だか、ちょうど
天国は、死んでから行くものだと思っている人がいますが、それは間違い。まあ、間違ってもいいんですよ、ノープロブレム。人は、何回も生まれ変わって、魂修行していますからね。今、わからなくたって、良いんです。天国って、今天国にいる人が行くもの。わかりにくいですか
父の介護が必要になり、介護離職する前ですが、まだ新宿のホテル勤務時代、一通の葉書が。それは、消えた年金に関するお尋ね。何しろ古い話なのですが、戦前戦中に、父がまだ北海道の伊達市にいた頃の年金。支払った期間もわずかだったらしいのですが、父に訊くと、確かに支
ときどき、テレフォン人生相談というのを、聞くことがあるのですが、回答者の先生でいちばん好きなのが、三石由起子先生。この人は、威勢がいいというか、発破をかけるのが上手。世の中には、実に多くの悩みがあるものだと、感心しつつも、その大半は、人間関係の悩み。自分
僕の軽自動車は、そのクラスの中でも、最下位のもの。理由は、シンプルなものは、壊れないから。上位クラスになるほど、付加価値がついて、高くなりますよね。たとえば、ドアミラーが、ボタン操作で動いたり、とか。でも、それって、必要ですか。僕の軽自動車のドアミラーは
いくつか前の記事で、写真付きで年金額を公開したように、月5万5千円ほどの年金と、アルバイト収入で、僕の暮らしは、成り立っています。そんな低所得生活ですが、年に一度は旅行にも行くし、外食も大好きです。それを可能にしているのが、日々の自炊力。また、友人関係にも
お金を使うときには、喜びの波動で支払うことが肝要。このお金で、相手も潤い、自分も潤うという意識。この、良い富の循環は、螺旋状に舞い上がるように、発展していくベクトル。僕のことで言えば、年金も少ないし、預貯金も、多いほうではありません。だけど、とても豊かに
僕がいちばん好きな歌謡曲は、ちあきなおみの喝采なのですが、その不動の1位は横に置いておいて、小学生の頃、初めて好きになった歌謡曲があります。それは、隣の家のお兄さんが、ベンチャーズを聴いていて、お姉さんが、当時はやっていた、黛ジュンの天使の誘惑を、僕に聴か
四面楚歌の状況というのがありますね。にっちもさっちも行かない、と言うか。でもそんなときこそ、次元上昇のチャンス。僕の人生を振り返ってみても、それは言えます。だって、四方に行き場がないんですから、上に行くか下にもぐるしかない、と。潜るったって、モグラじゃな
人生の残り時間を予想したときに、長くて30年、短ければ20年という感じ。 まあ、その真ん中を取って、僕としては、あと25年くらいは、生きるつもりでいます。一人暮らしのせいもあり、物価が上がっているとは言え、相変わらず、安い生活費で、済んでいます。ネット環境があれ
二つ前の記事で、写真付きで年金額を公開したように、僕の年金は、僕世代の人たちの平均の半分以下。いくつか前の記事で話したように、池袋で友人二人と会ったとき、イタリア料理店で会食時、支払いは8000円。年金をたっぷりもらっている、その二人の友人には、日常の出費で
僕の父が世界救世教の信者だったため、僕も自然に教祖の岡田茂吉さんを、メシアとして崇めていました。その後、二十代で、統一教会に。 ここの教祖は、勿論、悪名高き文鮮明。その後、三十代の時に、幸福の科学へ。教祖は、地球神であり、宇宙創造の根本仏とされる大川隆法