「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」 今日の福音(ルカ10.38-42)でイエスは、友であるマルタにこのように言います。
神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、いつわりのない祈りに耳を傾けてください。 今日の詩編(詩編17.1+2,3+5)はこのように歌われます。自分から神への訴えが正しいと自信を持って言える人がどれだけいるでしょうか。そもそも、その訴えが
そのとき、ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪
あなたのわざをわたしたちの上に、あなたの輝きを子孫にあらわしてください。 今日の詩編(詩編90.11+12,16+17)はこのように歌われます。神の輝きを子孫に現す、イエスの教えを語り継ぐには、神への祈りが欠かせません。人の力だけでできるこ
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」 今日の福音(ルカ9.18-22)にはこのように書かれています。もしイエスが神の子ではなく、ただの人間だったとしても、優れた思想家
朝ごとにあなたのいつくしみを注ぎ、日々わたしたちに、喜びの歌を歌わせてください。 今日の詩編(詩編90.1+2+14,4+5c+6)はこのように歌われます。私たちの毎日は特別なことばかりがおこるわけではありません。多くの人にとって、ほとんど
十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。 今日の福音(ルカ9.1-6)には、十二使徒がイエスに派遣され、出かけていく様子が描かれています。聖書には、イエスや弟子たちが不思議な力で病を癒
そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。 今日の福音(ルカ8.19-21)にはこ
神よ、あなたの幕屋に泊まる人、あなたのとうとい山を住まいとする人はだれ。それはとがなく歩み、正義を行い、心からまことをかたる人。ことばで人をきずつけず、悪を行わず、隣人をはずかしめない。 今日の詩編(詩編15.1+2,3+4a+6)はこのよ
「上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません」 今日の第二朗読(ヤコブ3.16-4.3)にはこのように書かれています。現代社会で、ここに書かれ
そのとき、イエスは通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子
「そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」 今日の第一朗読(�コリント15.12-20)で、パウロはこのように書いています。もし、キリスト教が倫理や道徳であるならば、大切なのはイエ
「そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」 今日の第一朗読(�コリント15.1-11)で、パウロはこのよう
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」 今日の第一朗読(�コリント12.31-13.13)で、パウロはこのように書いています。信仰、希望、愛は「信望愛」と一揃えで語られる、キリスト
「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆
ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうして
わたしは神を愛する。神はわたしの声を聞き、日々、祈り求めるわたしに心を留めてくださる。 今日の詩編(詩編116.1+2+3+4,5+6a+7b,8ab+9)はこのように歌われます。私たちは、神からの癒し、神からの救いを求めて、日々祈りを捧げ
民よ、わたしの教えを聞け。わたしの語ることばに耳をかたむけよ。 今日の詩編(詩編78.1-4,32-35)はこのように歌われます。神の語る言葉に耳を傾けるとはどのようなことでしょうか。聖職者の言葉をよく聞き、聖書を欠かさず読むことでしょうか
「皆さん、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」 今日の第一朗読(�コリント9.16-19,22b-27)で、パウロはこのように
「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」 今日の福音(ルカ6.27-38)で、イエスは弟子たちにこのように言います。
「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。 今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」 今日の福音(ルカ6.20-26)で、イエスは弟子たちにこのよ
そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。 今日の福音(ルカ6.12-19)にはこのように書かれています。昼間は自分の時間が無いほどに忙しいイエ
「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、
心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」 今日の第一朗読(イザヤ35.4-7a)にはこのように書かれています。私たちの勇気の源は、自分自身の
神を愛する人はすべて神に守られ、神に逆らう者は退けられる。 今日の詩編(詩編145.17+18,19+20)はこのように歌われます。しかし実際には、神を愛するための行動のために苦しみを背負うこともあるでしょう。反対に、神に逆らう生き方をして
「わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁く
(イエスは)話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師
神を王としていただく国、神のものとして選ばれた民はしあわせ。神は天から目を注ぎ、人々をすべて見ておられる。 今日の詩編(詩編33.12+13,14+15)はこのように歌われます。神はどんな時も私たちを見守ってくださいます。しかし、神が見守り
神は悩みのうちにある者を支え、倒れる者をすべて立たせてくださる。 今日の詩編(詩編145.10+11,13cd+14)はこのように歌われます。悩みのうちにある時、逆境にあって倒れてしまった時は、より強く神の愛、神の癒しを感じられる時でもあり
「兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」
「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません」 今日の第二朗読(ヤコブ1.17-18,21b-22,27)には
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「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」 今日の福音(ルカ10.38-42)でイエスは、友であるマルタにこのように言います。
すべてを治められる主に感謝せよ。 今日の詩編(詩編136.3+4+5+6,16+23+25+26)はこのように歌われます。私たちは日常の中で、全ての物事、全ての出来事を神と結びつけて考えているでしょうか。神と関係があるのは、信仰や教会に関係
神が与えてくださったすべての恵みに、 どのようにこたえようか。 今日の詩編(詩編116.12+13,17+18)はこのように歌われます。私たちはどんな時も神の恵みを受け、神に愛されて生きています。 愛は自分が受け取って終わるものではありませ
神をさがし求める者よ、心から喜べ。神にその力を求め、いつもその顔を慕い求めよ。 今日の詩編(詩編105.1+2,3b+4+5)はこのように歌われます。もし、探し求めている物が見つからないならば、その人は喜ぶことはできないでしょう。 神を探し
神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。 今日の詩編(詩編103.3+4,6+7)はこのように歌われます。神にとっての「正義のわざ」とは、常に虐げられている人、弱い立場の人を守るためのものなのでしょう。実際、イエスはそのように
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神に対しても人に対しても、自分では心を閉ざしていないつもりでも、実際には閉ざしていることがあると思いま
イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 今日の福音(マタイ10.34-11.1)にはこのように書かれています。イエスはいつも弟子たちに付きっきりでいるわけではありません。むしろ、弟子たちを方々に派
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 今日の福音(ルカ10.25-37)は、有名
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたの父は天におられる方、ただひとり。あなたがたの師はキリストただひとり。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もちろんこの歌は、自分の親を親とは思うなとか、師を持ってはならないと言っている
「実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である」 今日の福音(マタイ10.16-23)で、イエスは使徒たちにこのように言います。神は私たちの心に語りかけます。しかしそれは、言葉として耳で聞こえたり、文字とし
行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。 今日の福音(マタイ10.7-15)で、イエスは使徒たちにこのように言います。天の国とは、神の支配、神の思いが行き渡った状態のことです。つまり、このイエスの言葉は、世の終わりを予言するようなもの
アレルヤ、アレルヤ。神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。このような歌は、「世の終わりが近づいたから、それにふさわしい準備をしなさい」のような、終末論やカルトに利用されがち
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 今日の福音(マタイ9.32-38)にはこのよう
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,14+15)はこのように歌われます。これは、神は
「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」 今日の福音(ルカ10.1-12,17-20)でイエスは、七十二人の弟子たちにこのように言います。現代の日本では、キリスト者であるというだけで、危害を加
「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」 今日の福音(マタイ9.14-17)で、イエ
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 今日の福音(マタイ9.9-13)にはこのように書かれています。聖書には、イエスが罪人たちと交わる場面がたくさんあります。この
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 今日の福音(ヨハネ20.24-29)で、復活したイエスは弟子のトマスにこのように言います。イエスがてんに帰った後の世界に生きている私たちは、生身のイエスに出会うことはできま
主は貧しい者の叫びを聞き、悩みの中から救い出し、主をおそれる者に使いを送り、支えとなって守ってくださる。 今日の詩編(詩編34.7+8,9+10)はこのように歌われます。神が送ってくださる使いとはどんな存在なのでしょうか。実際に、背中に羽の
神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、いつわりのない祈りに耳を傾けてください。 今日の詩編(詩編17.1+2,6+7)はこのように歌われます。自分の訴えや叫びが正しいか間違っているのかを判断するのは、簡単なことではないと思います。そもそ
神の恵みといつくしみに生涯伴われ、わたしはとこしえに神の家に生きる。 今日の詩編(詩編23.2+3,4,6)はこのように歌われます。私たちの人生の中には、神の恵みやいつくしみを感じられない時も、神の家に住んでいるとは思えない時もあるでしょう
神よ、あなたの顔の光を、わたしたちの上に照らしてください。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。誰でも、よく晴れた日には体いっぱいに太陽の光を感じることができます。 もちろん、曇りや雨の日でも、日光は地上に降り注いでいます。曇り空の屋外は
神よ、あなたは死の国からわたしを引き上げ、危ういいのちを助けてくださった。 今日の詩編(詩編30.2b+4.11+12)はこのように歌われます。この歌を聞いてどんな事を思い浮かべるかは、人によって違うのではないでしょうか。 ある人は、文字通
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」 今日の福音(マタイ11.28-30)で、イエスはこのように言います。これは、教会の掲示板やウェブサイトの目立つ所に書かれていることが多い言葉です。まだ教会を訪れ
「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」 今日の福音(マタイ11.25-27)で、イエスは弟子たちにこのように言います。私たちは、信仰さえも知性の営みと
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。ミサに与っている時や、祈りを捧げている時は、どこに心を向けるかは分かりやすいと思います。 しかし、神の声
イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 今日の福音(マタイ10.34-11.1)にはこのように書かれています。イエスは、多くの人に教えを告げ知らせるために、旅から旅への生活を送っていました。一つの
いつくしみとまことはめぐり合い、正義と平和はいだき合う。まことは地から芽ばえ、正義は天から見守る。 今日の詩編(詩編85.9,10+11,12+13+14)はこのように歌われます。この歌だけでなく、私たちは日頃から、正義と平和を一組の言葉と
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」 今日の福音(マタ
主の道は正しい。神に従う者はその道に歩み、神に背く者はその道につまずく。 今日の第一朗読(ホセア14.2-10)にはこのように書かれています。私たちは、最初から行き先が分かって道を選んでいるでしょうか。神に背く道を歩んでしまう人も、その道が
「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい」 今日の福音(マタイ10.7-15)で、イエスは使徒たちにこのように言います。この言葉は、神からただで受けた恵
神が行われた不思議なわざを思い起こせ、救いのしるしとさばきのことばを。 今日の詩編(詩編105.3b+4+5,6+7+8a+10b)はこのように歌われます。神の不思議なわざを思い起こそうとして、思い当たることがある人はどれほどいるでしょうか
あなたが悪に目を留められるなら、だれがみ前に立てよう。しかし、あなたのゆるしのために、人はあなたをおそれ尊ぶ。 今日の詩編(詩編130.3+4,7a+8)はこのように歌われます。神は人間の罪をとがめ、裁くことよりも、赦すことを選ぶ方です。そ
イエスが話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」 今日の福音(詩編145.8+9,10+11)にはこのよう
「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」 今日の第二朗読(㋥コリント1
神は平和を約束される、その民、神に従う民に、心を神に向ける人に。 今日の詩編(詩編85.9,12+13+14)はこのように歌われます。この歌を、神は、ご自分に従う人にだけ平和を与えるという意味に読む人もいるでしょう。 決してそうではないのだ
そのとき、イエスは通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子
イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。 今日の福音
すべての国よ、神をたたえ、すべての民よ、神をほめよ。 今日の詩編(詩編117.1+2)はこのように歌われます。全ての国、全ての民が神を褒め称えるためには、その人々が神を知らなければならないでしょう。 実際には、この地上の多くの人はまだ神と出
アレルヤ、アレルヤ。神はわたしの希望、わたしの望み。わたしはその言葉により頼む。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。現代の日本では、日頃は特定の宗教を信じていない人でも神により頼むことはあるでしょう。 しかし、その