「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」 今日の福音(ルカ10.38-42)でイエスは、友であるマルタにこのように言います。
「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力
「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架に
神よ、あなたはわたしの希望、わたしはいつもあなたをたたえる。 今日の詩編(詩編71.3b+4+5a,6b+15+16)はこのように歌われます。私たちは日常生活の中で、どのような時に神をたたえているでしょうか。祈りの中で神をたたえることが多い
「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちてい
聖なるものが現れるとき、神をおがめ。世界よ、神をおそれよ。 今日の詩編(詩編96.11+12,9+13)はこのように歌われます。聖なるものが現れるとは、聖母や天使の出現を目撃したり、不思議な奇跡を体験したりすることだけを指すのではないと思い
神の名をたたえてうたい、日ごとに救いを告げ知らせよ。すべての国にその栄光をかたり、すべての民に不思議なわざを伝えよ。 今日の詩編(詩編96.1+2,3+4)はこのように歌われます。神の存在を、自分が神から救われていることは信じていても、不思
そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」 今日の福音(ヨハネ6.60-69)にはこのように書か
フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「
神のいつくしみをとこしえにうたい、主のまことを代々に告げよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。人の命には限りがあります。自分一人だけでは神の愛を代々に告げることはできません。 自分が生きている時代だけを考えても、一人できることには限
神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。 今日の詩編(詩編51.12+13,14+15)はこのように歌われます。私たち人間は、自分の力では自分の心を清くすることさえできません。人間の心を清くするこ
「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。
「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 今日の福音(マタイ19.23-30)で、イエスは弟子たちにこのように言います。しかし、イエスを慕う人々の
あなたが悪に目を留められるなら、だれがみ前に立てよう。しかし、あなたのゆるしのために、人はあなたをおそれ尊ぶ。 今日の詩編(詩編130.3+4,7a+8)はこのように歌われます。神は裁く方ではなく赦す方です。裁くだけの存在は恐れしか生みませ
神は悩みのうちにある者を支え、倒れる者をすべて立たせてくださる。 今日の詩編(詩編145.10+11,13ab+14,15+16)はこのように歌われます。聖書に描かれているのは、弱い立場の人、苦しんでいる人が神と出会い、癒やされ、救われる場
「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」 今日の福音(マタイ19.13-15)でイエスは、ご自分のもとに子どもを連れてこようとする人々を叱る弟子たちを、このように諭します。
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたに宣べ伝えられた福音は、永遠に留まる神の言葉。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。福音とはイエスの教え、イエスが説いた愛の教えです。その教えを宣べ伝えるのは、イエスの友であり、弟子であ
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」
「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 今日の福音(マタイ18.15-20)で
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」 今日の福音(マタイ18.1-5,10,12-14)でイエスは、「いったいだ
アレルヤ、アレルヤ。福音によって神は私たちを召し出し、主イエス・キリストの栄光にあずかる者としてくださった。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。福音、すなわち、イエスによる良い知らせ、愛の知らせは、一部の人ではなく
主はわたしたちの祈りに心を留め、すべての恐れを遠ざけてくださる。 今日の詩編(詩編34.2+3,4+5,7+8)はこのように歌われます。しかし、どんなに祈っても不安や恐れが消えないこともあるでしょう。神が、不思議な力で私たちの心から不安を消
「皆さん、惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」 今日の福音(マタイ16.24-28)で、イエスは弟子たちにこのように言います。イエスにとって十字架とは、全ての人の罪をその身に背負い、全ての人の身代わりと
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間では
イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あな
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」 今日の福音(マルコ9.2−10)にはこのように書かれています。ある時イエスは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登り、3人の前で真っ白に光
イエスは洗礼者ヨハネが死んだことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。 今日の福
耳で聞いて知ったこと、先祖がわたしたちに伝えたこと、神の誉れと力、その行われた不思議なわざを、わたしは子孫に隠さず、次の世代に語り告げよう。 今日の詩編(詩編78.3+4,23+24,25+54)はこのように歌われます。旧約の時代から今に至
わたしに近づき、わたしを助け、はむかう者から救い出してください。 今日の詩編(詩編69.19-30,31+33)はこのように歌われます。私たちにとって、はむかう敵とは何者でしょうか。直接的に私たちに危害を加えてくるような存在のことでしょうか
神よ、いつくしみ深くわたしにこたえ、あわれみ深く顔を向けてください。あなたの顔をしもべに隠さず、悩むわたしにすぐに答えてください。 今日の詩編(詩編69.14,17+18)はこのように歌われます。どんなに神に語りかけても、神は全く答えてくだ
心を尽くして神をたたえよ。いのちのある限り神をたたえよ。 きょうの詩編(詩編146.1+2+10a,5+6ab)はこのように歌われます。人生には痛みの時も悲しみの時もあります。「いのちのある限り神をたたえる」とは、そのような時であっても神を
「ブログリーダー」を活用して、U.Zさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」 今日の福音(ルカ10.38-42)でイエスは、友であるマルタにこのように言います。
すべてを治められる主に感謝せよ。 今日の詩編(詩編136.3+4+5+6,16+23+25+26)はこのように歌われます。私たちは日常の中で、全ての物事、全ての出来事を神と結びつけて考えているでしょうか。神と関係があるのは、信仰や教会に関係
神が与えてくださったすべての恵みに、 どのようにこたえようか。 今日の詩編(詩編116.12+13,17+18)はこのように歌われます。私たちはどんな時も神の恵みを受け、神に愛されて生きています。 愛は自分が受け取って終わるものではありませ
神をさがし求める者よ、心から喜べ。神にその力を求め、いつもその顔を慕い求めよ。 今日の詩編(詩編105.1+2,3b+4+5)はこのように歌われます。もし、探し求めている物が見つからないならば、その人は喜ぶことはできないでしょう。 神を探し
神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。 今日の詩編(詩編103.3+4,6+7)はこのように歌われます。神にとっての「正義のわざ」とは、常に虐げられている人、弱い立場の人を守るためのものなのでしょう。実際、イエスはそのように
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神に対しても人に対しても、自分では心を閉ざしていないつもりでも、実際には閉ざしていることがあると思いま
イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 今日の福音(マタイ10.34-11.1)にはこのように書かれています。イエスはいつも弟子たちに付きっきりでいるわけではありません。むしろ、弟子たちを方々に派
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 今日の福音(ルカ10.25-37)は、有名
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたの父は天におられる方、ただひとり。あなたがたの師はキリストただひとり。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もちろんこの歌は、自分の親を親とは思うなとか、師を持ってはならないと言っている
「実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である」 今日の福音(マタイ10.16-23)で、イエスは使徒たちにこのように言います。神は私たちの心に語りかけます。しかしそれは、言葉として耳で聞こえたり、文字とし
行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。 今日の福音(マタイ10.7-15)で、イエスは使徒たちにこのように言います。天の国とは、神の支配、神の思いが行き渡った状態のことです。つまり、このイエスの言葉は、世の終わりを予言するようなもの
アレルヤ、アレルヤ。神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。このような歌は、「世の終わりが近づいたから、それにふさわしい準備をしなさい」のような、終末論やカルトに利用されがち
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 今日の福音(マタイ9.32-38)にはこのよう
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,14+15)はこのように歌われます。これは、神は
「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」 今日の福音(ルカ10.1-12,17-20)でイエスは、七十二人の弟子たちにこのように言います。現代の日本では、キリスト者であるというだけで、危害を加
「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」 今日の福音(マタイ9.14-17)で、イエ
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 今日の福音(マタイ9.9-13)にはこのように書かれています。聖書には、イエスが罪人たちと交わる場面がたくさんあります。この
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 今日の福音(ヨハネ20.24-29)で、復活したイエスは弟子のトマスにこのように言います。イエスがてんに帰った後の世界に生きている私たちは、生身のイエスに出会うことはできま
主は貧しい者の叫びを聞き、悩みの中から救い出し、主をおそれる者に使いを送り、支えとなって守ってくださる。 今日の詩編(詩編34.7+8,9+10)はこのように歌われます。神が送ってくださる使いとはどんな存在なのでしょうか。実際に、背中に羽の
神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、いつわりのない祈りに耳を傾けてください。 今日の詩編(詩編17.1+2,6+7)はこのように歌われます。自分の訴えや叫びが正しいか間違っているのかを判断するのは、簡単なことではないと思います。そもそ
神よ、あなたの顔の光を、わたしたちの上に照らしてください。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。誰でも、よく晴れた日には体いっぱいに太陽の光を感じることができます。 もちろん、曇りや雨の日でも、日光は地上に降り注いでいます。曇り空の屋外は
神よ、あなたは死の国からわたしを引き上げ、危ういいのちを助けてくださった。 今日の詩編(詩編30.2b+4.11+12)はこのように歌われます。この歌を聞いてどんな事を思い浮かべるかは、人によって違うのではないでしょうか。 ある人は、文字通
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」 今日の福音(マタイ11.28-30)で、イエスはこのように言います。これは、教会の掲示板やウェブサイトの目立つ所に書かれていることが多い言葉です。まだ教会を訪れ
「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」 今日の福音(マタイ11.25-27)で、イエスは弟子たちにこのように言います。私たちは、信仰さえも知性の営みと
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。ミサに与っている時や、祈りを捧げている時は、どこに心を向けるかは分かりやすいと思います。 しかし、神の声
イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 今日の福音(マタイ10.34-11.1)にはこのように書かれています。イエスは、多くの人に教えを告げ知らせるために、旅から旅への生活を送っていました。一つの
いつくしみとまことはめぐり合い、正義と平和はいだき合う。まことは地から芽ばえ、正義は天から見守る。 今日の詩編(詩編85.9,10+11,12+13+14)はこのように歌われます。この歌だけでなく、私たちは日頃から、正義と平和を一組の言葉と
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」 今日の福音(マタ
主の道は正しい。神に従う者はその道に歩み、神に背く者はその道につまずく。 今日の第一朗読(ホセア14.2-10)にはこのように書かれています。私たちは、最初から行き先が分かって道を選んでいるでしょうか。神に背く道を歩んでしまう人も、その道が
「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい」 今日の福音(マタイ10.7-15)で、イエスは使徒たちにこのように言います。この言葉は、神からただで受けた恵
神が行われた不思議なわざを思い起こせ、救いのしるしとさばきのことばを。 今日の詩編(詩編105.3b+4+5,6+7+8a+10b)はこのように歌われます。神の不思議なわざを思い起こそうとして、思い当たることがある人はどれほどいるでしょうか
あなたが悪に目を留められるなら、だれがみ前に立てよう。しかし、あなたのゆるしのために、人はあなたをおそれ尊ぶ。 今日の詩編(詩編130.3+4,7a+8)はこのように歌われます。神は人間の罪をとがめ、裁くことよりも、赦すことを選ぶ方です。そ
イエスが話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」 今日の福音(詩編145.8+9,10+11)にはこのよう
「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」 今日の第二朗読(㋥コリント1
神は平和を約束される、その民、神に従う民に、心を神に向ける人に。 今日の詩編(詩編85.9,12+13+14)はこのように歌われます。この歌を、神は、ご自分に従う人にだけ平和を与えるという意味に読む人もいるでしょう。 決してそうではないのだ
そのとき、イエスは通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子
イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。 今日の福音
すべての国よ、神をたたえ、すべての民よ、神をほめよ。 今日の詩編(詩編117.1+2)はこのように歌われます。全ての国、全ての民が神を褒め称えるためには、その人々が神を知らなければならないでしょう。 実際には、この地上の多くの人はまだ神と出
アレルヤ、アレルヤ。神はわたしの希望、わたしの望み。わたしはその言葉により頼む。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。現代の日本では、日頃は特定の宗教を信じていない人でも神により頼むことはあるでしょう。 しかし、その
ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」 今日の福音(マタイ8.18-22)にはこのように書かれています。