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2016/03/27

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  • この世の常識への

    「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」 今日の福音(ヨハネ13.1-15)で

  • 二人の自分が

    一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。 今日の福音(マタイ26.14-

  • ペトロの姿は

    ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」 今日の福

  • 裁きより哀れみを

    わたしたちの王である主よ、わたしたちの過ちをあわれんでくださったのはあなただけです。 今日の詠唱はこのように歌われます。人間の常識では、過ちを犯した人は裁きの対象と見なされるでしょう。 しかし、神は過ちを犯した人を哀れんでくださる方です。そ

  • 他人を救ったからこそ

    同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」 今日の福音(マルコ15.1-3

  • 遠い地の果ての民だから

    わたしたちの救い、わたしたちの神よ、あなたは地の果ての望み、遠い島々の希望。わたしたちに答えて救いを現し、驚くべきしるしを行われる。 今日の詩編(詩編65.5,6)はこのように歌われます。イエスが活動していたパレスチナからはるか遠い地で、二

  • この地上で

    主に向かって歌い、主を賛美せよ。主は貧しい人の魂を悪事を謀る者の手から助け出される。 今日の第一朗読(エレミヤ20.10-13)にはこのように書かれています。この言葉は、貧しい人の救いを神頼み、神任せにしているのではないのだと思います。 神

  • 苦しみの中だからこそ

    神を捜し求める者よ、心から喜べ。神にその力を求め、いつもその顔を慕い求めよ。 今日の詩編(詩編105.3b+4+5,6+7+8a+10b)はこのように歌われます。これは、神に出会った人が喜ぶ歌ではありません。神を捜し求めている人に「喜べ」と

  • 聖なる神殿の中で

    あなたの栄光、聖なる神殿の中であなたに賛美。すべてにまさりあなたは代々にたたえられ、あがめられる。 今日の詩編(ダニエル補遺・アザルヤ29,30+32)はこのように歌われます。聖なる神殿で神を賛美することの中には、もちろん、教会で神に祈りを

  • 神の家

    幸せな人、あなたの家を住まいとし、絶えずあなたをたたえる人。 今日の詠唱はこのように歌われます。「あなた」は神のことですが、「あなたの家を住まいとする」とはどのような意味でしょうか。教会に住み込めばいいのでしょうか。 もちろん、そういうこと

  • 裁き、閉ざすのではなく

    悪を行う人が死ぬことなく、神に立ち戻って生きることを神は望んでおられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。善を行う人、すなわち愛に生きている人は、神と共にあります。それは、すでに救われているということです。 神は、すでに救われている人とだ

  • イエスに仕える人のいる所なら

    「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる」 今日の福音(ヨハネ12.20-33)で、イエスはフィリポとアンデレに

  • 偶像のイエス

    イエスの言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖

  • なぜ、虐げられている人を虐げるのか

    主はしいたげにあう者のそばにおられ、失意の人を支え、主はそのしもべの魂をあがない、より頼む人を滅びから救われる。 今日の詩編(ヨハネ7.1-2,10,25-30)はこのように歌われます。神は弱い人、虐げられている人と共におられる。そのような

  • 唯一の望みは世界中に

    神はわたしの唯一の望み、わたしはあなたにより頼む。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神が唯一の望みというのは、教会に行くことや、祭壇の前で祈ることの中にしか望みがないという意味ではありません。 神との出会いはこの世界のあらゆる所にあり

  • 信じているからこそ

    神の行われることはすべて正しく、そのわざはいつくしみに満ちている。助けを求めるすべての人、心から祈る人のそばに神はおられる。 今日の詩編(詩編145.13cd+14,17+18)はこのように歌われます。しかし私たちの人生には、神の正しさなど

  • 愛に清められて

    神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたの救いの喜びをわたしに返してください。 今日の詠唱はこのように歌われます。清い心で生きることは、喜びや楽しみに背を向けた苦行のような生き方ではありません。 そもそも、神の前で清い心を持つ人とはどんな人

  • 自分が思う善ではなく

    生きるために悪ではなく善を求めなさい。主はあなたがたとともにおられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。善ではなく悪を求める人はほとんどいないでしょう。悪人ではなく善人でありたいと願うのが自然な感情ではないでしょうか。 しかし、何が善で何

  • 最も恐ろしい誘惑

    「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」 今日の福音(ヨハネ3.14-21)でイエスは、ファリサイ派で最高法院の議員でもあるニコデモにこのように言います。ここでイエスが言うように、神は裁く方

  • これまでよりこれからを

    「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のよ

  • いつかではなく今

    「神に立ち戻りなさい。神の国は来ている」と主は仰せになる。 今日の詠唱はこのように歌われます。これは、「世の終わり、終末が近づいているから、その準備をしなさい」と警告している歌ではないのだと思います。 確かに、形あるこの世界には、いつか終わ

  • 海も陸も

    海は神のもの、神に造られたもの。陸も神のもの、神に形造られたもの。 今日の詩編(詩編95.5+6,7+8)はこのように歌われます。この歌は、単に海も陸も神がお造りになったという事実を伝えたいわけではないのだと思います。 神に造られたものには

  • すでに出会った私たちは

    神はほかの民にまだ示されず、そのおきては知られていない。 今日の詩編(詩編147.12+13,20+12)はこのように歌われます。この歌が作られた時、イスラエル民族は、自分たちが神に選ばれた民であると考えていました。この歌にもその誇りが込め

  • 最も恐ろしい誘惑

    心からわたしに立ち戻りなさい。わたしはいつくしみと恵みにあふれる神。 今日の詠唱はこのように歌われます。これは、どんな罪を犯しても、何度も神に背を向けても、神は必ず私たちの罪を赦し、迎え入れてくださるという意味でしょう。 心から神に立ち返り

  • 待ち望む時間を

    わたしは神を待ち望み、その言葉に希望をおく。神はいつくしみと救いの恵みに満ちておられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。私たちは、この地上でも神の声を聞くことができます。耳で聞くことはできなくても、祈りの中で、そして、人々との会話の中で

  • イエスの心を知るために

    イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イ

  • 罪を赦し、怒りを鎮める方

    あなたのような神がほかにあろうか、咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に、いつまでも怒りを保たれることはない。神は慈しみを喜ばれるゆえに。 今日の第一朗読(ミカ7.14-15,18-20)にはこのように書かれています。

  • 嘆きの時も希望を

    あなたは嘆きを喜びに変え、あら布を晴れ着に替えてくださった。 今日の詩編(詩編30.2b+4,11+12)はこのように歌われます。私たちが喜びを味わうためには嘆きの時が、晴れ着を着るためにはあら布を身にまとう期間が必要なのかもしれません。

  • 愛を行わなければ

    「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできもの

  • あなたこそわたしの神

    神よ、わたしはあなたにより頼む。「あなたこそわたしの神。」 今日の詩編(詩編31.4+5,15+16a+17b)はこのように歌われます。「あなたこそわたしの神」という言葉の元々の意味は、「数ある宗教の神々ではなく、あなただけを神であると信じ

  • 傲慢の誘惑

    「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」 今日の福音(マタイ23.1-12)で、イエスは群衆と弟子たちにこのように言います。どんなに地位があっても尊大な態度の人は周囲

  • どちらの側にいるだろうか

    「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。」 今日の福音(ルカ6.36-38)で、イエスは弟子たちにこ

  • 生も死も

    神を敬う人の死は、神の前にとうとい。救いの杯をささげ、神の名を呼び求めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。死とは人生の完成の時です。死はそれ単独で存在しているのではなく、生とつながっています。生の反対が死ではないのです。 神を敬う

  • 一人旅ではなく

    神よ、あなたのことばはわたしの足のともしび、わたしの道の光。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。この歌で例えられているように、人生とは道であり、旅のようなものなのでしょう。望む、望まないに関わらず、私たちは一つのところに留まり続けること

  • 裁きの世界の中で赦しを

    主は言われる。「悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。彼の行ったすべての背きは思い起こされることなく、行った正義のゆえに生きる。わたしは悪人の死を

  • 教会の礎は

    「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」 今日の福音(マタイ16.13-19)で、イエスはシモン・ペトロにこのように言います。ペトロは元々、田舎の漁師です。学があるわけで

  • 誰もが清く、新しくされる

    神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。 今日の詩編(詩編51.12+13,18+19)はこのように歌われます。神は、私たち人間の心を清くし、強め、新たにすることができます。 その恵みは、選ばれた

  • 信頼に応えて

    そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。 今日の第一朗読(イザヤ55.10−11)には、このような神の言葉が書かれています。神の言葉が

  • 開かれた心に

    「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」 今日の福音(マタイ25.31-46)で、イエスのたとえ話の中に登場する王はこのように言います。もちろん、この王とは父である神のこ

  • 形あるものの中にも愛が

    人はパンによるだけではなく、神の言葉によって生きている。 今日の栄唱はこのように歌われます。これは格言としても用いられる有名な言葉ですが、元は申命記8章に書かれているもので、マタイ福音書4章では、荒野で断食しているイエスがそれを引用して、悪

  • 愛だけが輝きを

    飢えている人に心を配り苦しめられている人の願いを満たすなら、あなたの光は、闇の中に輝き出で、あなたを包む闇は、真昼のようになる。 今日の第一朗読(イザヤ58.9b-14)にはこのように書かれています。人間は栄光を求めます。光り輝くような存在

  • それは愛のために

    「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与えさまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜し

  • それぞれの十字架

    「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」 今日の福音(ルカ9.22-25)で、イエスは弟子たちにこのように言います。「自分を捨てる」とは、自分を無にするとか、自分らしさを捨てるということで

  • 愛に立ち返る

    「皆さん、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」 今日の第二朗読(�コリント5.20-6.2)で、パウロはこのように書いて

  • 噛み合わないことのないように

    そのとき、弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていない

  • 嵐のような心には

    いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。 今日の第一朗読(ヤコブ1.1-11)にはこのよ

  • 神の栄光を現すために

    「皆さん、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」 今日の第二朗読(�コリント10.31-11.1)で、パウロはこのように書いています。「何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさ

  • 日常の中の神のわざ

    神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ 今日の答唱詩編はこのように歌われます。「神のわざ」を聖書に書かれているような、人間の理解を超えた奇跡のことだと考えるなら、そのような体験をしたことがある人は、ほとんどいないでしょう。 しかし、私た

  • 出会うことによってしか

    人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。 今日の福音(マルコ7.31-37)には

  • イエスを想う

    そのとき、イエスはティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。 今日の福音(マルコ7.24-30)にはこのように書かれています。この時のイエスは、なぜご自分がそこにいることを誰

  • 従うことは支えられること

    神に従う人は神に支えられる。 今日の詩編(詩編37.5a+6b,17b+18b)はこのように歌われます。これは、神に従えば、その褒美や報いとして神が支えてくださるということではないように思います。 むしろ、自分の弱さを認め、神の支えを受け入

  • 神のうるわしさは

    すべてを治められる神よ、あなたの住まいはうるわしい。 今日の詩編(詩編84.2+3,4)はこのように歌われます。ここで歌われている「あなたの住まい」とは、もちろん天の国のことなのでしょう。 しかし、この地上の全てのものもまた、神によって「よ

  • 全世界の全ての人に

    アレルヤ、アレルヤ。全世界に行き、すべての人をわたしの弟子にしなさい。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。この歌詞は復活したイエスが天に帰る直前に弟子たちに残した

  • 出会いのきっかけとなるために

    朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する

  • 聞き分ける心を

    「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」 今日の第一朗読(列王記上3.4-13)で、「何事でも願うがよ

  • 異邦人を照らす光

    アレルヤ、アレルヤ。異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの光栄。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスはユダヤの民だけでなく、異邦人、すなわち、ユダヤ人以外の人々、ユダヤ教を信じない人々に救いをもたらすために

  • 心と体だけで

    そのとき、イエスは十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じら

  • 待ち続ける

    わたしは罪をあなたに表し、わたしのとがを隠さずに言う。あなたはわたしの罪をゆるし、わたしのとがを清めてくださる。 今日の詩編(詩編32.5abef,7)はこのように歌われます。神は全能です。私たちが告白しなくても、神は、私たちの良い行いも、

  • 苦しみさえも共にして

    アレルヤ、アレルヤ。主はわたしたちの病を身に負い、わたしたちの苦しみをになってくださる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスは多くの人の病を癒やしました。その多くは、当時の医学では不治の病と考えられていたり、

  • 招きは様々

    イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」 今日の

  • 勧めはするけれど

    「このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです」 今日の第二朗読(�コリント7.32-35)で、パウロはこのように書いていま

  • 信じる心が消えてしまう前に

    救いの喜びをわたしに返し、あなたのいぶきを送って、喜び仕える心を支えてください。 今日の詩編(詩編51.12+13,14+15)はこのように歌われます。私たちは、神に様々なことを祈り、願います。自分のすべきことや、自分自身の弱さを支えていた

  • 新しい喜び

    新しい歌を神にうたえ。世界よ、神に向かって喜びうたえ。 今日の詩編(詩編96.1+2,7+8)はこのように歌われます。毎日神に祈りを捧げていると、その内容はあまり変わらなくなってくるものです。毎日、生活に大きな変化があるわけではありませんか

  • 誰も滅ぶことがないように

    そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」 今日の福音(マルコ16.15-18)には、復活したイエスが弟

  • イエスの声が

    そのとき、イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。 今日の福音(マルコ4.1-20)にはこのように書かれています。この

  • 愛は結びつけるもの

    大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの

  • 理解を超えたことを

    そのとき、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。 今日の福音(マルコ3.22-30)にはこのように書かれています。「あの男」はイエ

  • 与えられた今日を

    「世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」 今日の第二朗読(�コリント7.29-31)でパウロはこのように書いています。初代教会の誕生直後、多くのキリスト者たちは、イエスの再臨や終末は

  • 想像や理解を越えて

    イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。 今日の福音(マルコ3.20-21)にはこのよ

  • 招きの理由

    そのとき、イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。 今日の福音(マルコ3.13-19)には、イエスが使徒たちを召し出す場面が描かれています。イエスが十二使徒

  • 死と命を黙想する

    アレルヤ、アレルヤ。わたしたちの救い主イエス・キリストは死を滅ぼし、福音によって生涯を照らしてくださった。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。私たちは生物として、肉体的には死を免れることはできません。人生の中には、

  • 祈りの模範として

    神はわたしの砦、わたしの岩、わたしの救い、身を避ける岩、わたしの神、わたしの盾、わたしのやぐら、救いの力。 今日の詩編(詩編18.3,47+50)はこのように歌われます。詩編には、神が砦や盾となって人間を守り、救ってくださるよう願う歌が多く

  • 希望を生むのは

    アレルヤ、アレルヤ。主イエス・キリストの父がわたしたちの心の目を開き、わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神が私たちの心の目を開き、希望を示してくださるのなら

  • 断食

    そのとき、ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 今日の福音(マルコ2・1

  • 言葉では表せないような

    イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ、ーー『先生』という意味、ーーどこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行っ

  • 愛の食卓、信仰の頂点

    イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。 今日の福音()にはこのように書かれています。この直前には「アルファイの子レビが

  • 思いが一つになって

    イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 今日の福音(マルコ2.

  • 囚われるということ

    恐れにとらえられるとき、わたしはあなたにより頼む。 今日の詩編(詩編56.2+3,4+10)はこのように歌われます。人間であれば誰でも、恐れや不安の感情はあるでしょう。それは自然なことです。 しかし、恐れや不安に囚われてしまうと、私たちは、

  • 僕は聞いております

    主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」 今日の第一朗読(サムエル上3.1-10,19-20)にはこのように書かれています。後に預言者と

  • 喜びおどれ

    わたしの心は神のうちに喜び、その救いに喜びおどる。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の救いと聞くと、人生を変えるような大きな出来事や、常識では説明できない奇跡を思い浮かべる人が多いかもしれません。 もちろん、そのような劇的な神の救い

  • 見いだしうるときに

    主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。 今日の第一朗読(イザヤ55.1-11)にはこのように書かれています。この言葉は、神を見いだしうる時、神が近くにいる時は希だから、その機会を逃してはならないとも読めます。

  • 救いの道具として

    主は助けを求める名もない人と、見捨てられた人を救われる。貧しくふしあわせな人をあわれみ、苦しむ人に救いをもたらされる。 今日の詩編(詩編72.2+4,7+8,10+11,12+13)はこのように歌われます。この歌は、ただの神頼みの歌として終

  • 愛を託す

    神は地に向かって仰せになり、そのことばは、すばやく走る。 今日の詩編(�ヨハネ5.5-13)はこのように歌われます。しかし、実際には、神の言葉、神の思いが、世界中の人々の心に直接届くことはありません。神はそのような奇跡を用いることはないので

  • 命は愛のため

    「わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです」 今日の第一朗読(�ヨハネ3.11-21)にはこのように書かれています。表現の強い言葉ではありますが、私たち

  • 悪を滅ぼすため

    罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。 今日の第一朗読(�ヨハネ3.7-10)にはこのように書かれています。神の子、すなわちイエスが人としてこの世に生まれたのが

  • 愛の賛歌

    世界よ、神に向かって喜びの声をあげ、賛美の歌で神をほめよ。たて琴をかなでて神をたたえ、その調べに合わせてほめうたえ。 今日の詩編(詩編98.4+5,6+7b+8b)はこのように歌われます。神は愛です。ならば神を讃える歌とは、愛を讃える歌でし

  • 人として生まれたからこそ

    「愛する皆さん、偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです」 今日の第一朗読(�ヨハネ2.22-28)にはこのように書かれています。この言葉は、他宗教の人々へ

  • 主があなたを祝福し

    主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らしあなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けてあなたに平安を賜るように。 今日の第一朗読(民数記6.22-27 にはこのように書かれています。これはイス

  • 無名という栄光

    親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた 今日の福音(ルカ2.22-40)にはこのように書かれています。イエスの地上での生涯は三十三

  • 偉大な光は今日も

    アレルヤ、アレルヤ。偉大な光がきょう地上に下り、聖なるこの日はわたしたちを照らした。諸国の民は来て主を礼拝せよ。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。これはもちろん、神の子イエスが幼子としてこの地上に生まれたことを讃

  • 兄弟を愛する

    「兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。」 今日の第一朗読(�ヨハネ2.3-11)にはこのように書かれています。この言葉は、いつも仲良く平和に過ごしている様子だけを表しているのではないと思います。 イエスが説

  • 十字架の問いかけ

    「わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪

  • 交わりの中に

    わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。 今日の第一朗読(�ヨハネ1.1-4)にはこのように書かれ

  • 悪が悪であると気付けるように

    あなたの手にわたしの生涯をゆだねる。わたしの敵から救い出してください。 今日の詩編(詩編31.2+6,15+16)はこのように歌われます。自分の生涯における「敵」とは誰か。これは決して簡単な問題ではありません。 ほとんどの人が真っ先に想像す

  • 招かれた誉れ

    羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 主の降誕、朝のミサの福音(ルカ2.15-20)には、幼子イエスに出会い、喜びのうちに帰っていく羊飼いたちの様子がこのように描かれていま

  • 今この瞬間に燃えるから

    神のいつくしみをとこしえに歌い、主のまことを代々に告げよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。とこしえに歌うことも、代々に告げることも、一人で、一代でできることではありません。神の教え、神の愛が次の世代にも伝えられて行くからこそ、それ

  • 数え切れないほどの呼びかけが

    見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる。 今日の第一朗読(マラキ3.1-4,23-24)にはこのように書かれています。神の使者との出会いと聞くとどのようなことを想像するでしょう

  • 魂が、霊が

    そのとき、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 今日の福音(ルカ1・46-56)には、エリザベトの挨拶を受けた直後にマリアが神を讃える姿が描かれています。 マリアは、「わたしは」ではなく「わ

  • 愛しいと思う時

    恋しい人の声が聞こえます。山を越え、丘を跳んでやって来ます。恋しい人はかもしかのよう、若い雄鹿のようです。ごらんなさい、もう家の外に立って窓口からうかがい、格子の外からのぞいています。 今日の第一朗読(雅歌2.8-14)にはこのように書かれ

  • 考え込む

    天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 今日の福音(ルカ1.26-38)には、数多くの名画に描かれている受胎告知の場面が描

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