昔 といってもつい最近まで 人間の感性って自然にかなり近かったようだご法話で北陸のある地方の漁村に伺ったことがある70代ほどの古老の漁師さん 船着き場に立って風を浴びて 「今日は雨になりそうだね」と一言晴れた朝だったのでまさかと思っていたら
神奈川の田舎寺の僧侶が、日頃の出来事をつれづれなるままに綴った日記ブログです。
主催者は、親鸞の教えに生きる平凡な僧侶。日常の出来事や、ニュース、ご門徒とのコミュニケーションで見えてきたことなどを、筆に(キーボードに)まかせて綴った随筆ブログです。 楽しく、時にはうーんと唸りながら読んでいただけたらと思います。
なむあみだぶつには ほとけの体温が宿っている・・・(*^。^*)
ひだまりが恋しく感じられる。寒い朝 庭掃除している手がかじかむ。 11月も今日で終わり。立冬からも三週間が過ぎ 冬の気配が濃くなってきている。 けれど 寒さはまだ序の口。 1月2月の寒さに比べたら。 体がまだ秋
僧侶って ほんとうは「晩ご飯」を食べちゃいけない。 そんなきまりがある。 えっ? と思われるかもしれないが これは事実。 あなたが東南アジア たとえばタイなどに旅行する時 現地のワットのビクが 正午以降 固形物をいっさい
季節の変わり目。 そんなことを意識する瞬間がある。11月から12月に移る時季って まさにそんな感じ。 立冬は過ぎても まだ秋を引きずった感じの11月。それが終わり 名実ともの本格的な冬になってゆく12月。 まさに今の時季
社会防衛論。 そんな考え方・とらえ方がある。 人権の保護 それは大事 でも。人に迷惑をかける者 公共の福祉を乱す者 犯罪を為す者・為した者。そういう者に 普通人のような人権を認めていいのかというとらえ方。 早い
1千425万。 これって 何の数字かおわかりだろうか? 鶏が殺された数(2020年度の数値)。しかも 病気だとか生産性の落ちる欠陥があるという理由ではない。単に 卵の供給過多を防ぐため それによって卵の価格下落を防ぎ 業
寺の報恩講が無事に終わった。 多くの方たち ご門徒さんだけでなく地域の女性の方たち そういう方たちの理解と協力を得てのこの行事。毎年 それを通して 寺って多くの人たちに支えられてあるものなんだって 思いを新たにさせられる。&nbs
夕方の日暮れの景色が美しい。 今の時季 空気が乾いていて だから夕方の日の沈む光景が 最高にいい・・・(*^。^*) 黒と青・紫 そして オレンジ・白のグラデーション。大自然の芸術だ (#^^#) 一日が終わっ
働くことって 人間生活の基本。 生活・生産のいとなみって ぼくら人類が人間に進化する前の段階においても 生きることのもっとも大切な柱だった。 動き 働き 獲物を採る。いのちって そんな風にして紡がれてゆく。それは今のよう
宗教二世問題。昨年からの旧統一教会をめぐって そういうことが社会的に浮上してきた。 従来から潜在的にあった問題 トラブル。それが 安倍氏銃撃に端を発した旧統一教会問題を契機に 噴き出していったのだ。 多くが寄付をめぐる問
美しい夕空・・・(#^.^#)空気が澄んでいるから 遠くまで見渡せる。 秋の空には 夏にはない奥行き感が楽しめる。 どこまでも澄んだ空。 そこにけし粒みたいなジェット機が 白い線を描きながら すーっと飛んでいく。&nbs
11月下旬の週初め。ひんやりとする朝。 気持ちが凛と張りつめる。 今週は勤労感謝の日がある。 その11月23日は同時に うちの寺の報恩講の日。一昨日も書いたけれど 寺の最大の年中行事であり 一年の行事の結びみたいな意味もある。&n
変化が早い。 国に勢いがあると そういう傾向がはっきり見えてくる。 そんなことを思う。 国民・市民のニーズ。 それにすばやく適切に応じ 自分を変えていこうとする柔軟さ。 そういう柔軟さって 国に勢いをなくし旧態
ひんやり感 それが寒さに変わり さわやかさから苦痛にとなり始めるのが 大体11月末から12月上旬ごろにかけて。 その時季は 親鸞聖人のご命日のつどいである報恩講の期間と重なる。 だから 報恩講って 秋から冬への季節の変わ
たばこは「合法的な毒物」 ぼくはほんとうにそう思う・・・(-_-)
「合法的な毒物」。 たばこってそういうものだと ぼくは思う。 たばこの煙には 大量の発癌性物質が含まれる。たばこは 血管を収縮させ血流を悪くさせる。喫煙は万病のもと。 脳卒中 心臓疾患 糖尿病・・・ そうしたすべての生活
・・・ずっと憧れてきた山頂 それを目指して歩み出した登山。 天候もよく 周囲からも祝福され 幸先のいい登山・・・ と思いきや 山のこと 突然雲行きが変わり 激しい突風と雨。 このまま進めば がけ崩れや滑落のリスクが。&n
ちょっと前までは 日ざしを避け 外を出歩く時には麦藁帽を被ったりしていた。 なのに 今はその日ざしが恋しく感じられるほど 日中でもひんやりし 日射の勢いも弱くなってきている。 考えてみれば あとひと月ちょっとで冬至。 太
ダイアベティス。 そんな呼称に変えようという。 日本糖尿病学会と医師・患者でつくる日本糖尿病協会が 従来の「糖尿」という言葉に懸かる固定概念がこの病の本質を誤解させる恐れがあるからと 病名を英語表記のこの語に変更したい。そんな案が
晩秋の空気っていい (*^。^*) いつもこの時季になると思う。 暑くもなく かといってまだ寒いというほどでもない けれどひんやりしたこの空気って 全身の感覚を凛とさせ ここちよい緊張感の中に研ぎ澄まさせてくれる。&nb
(文中やや残酷と思われる情景描写が含まれます) 動物たち ぼくらに食を供してくれている鶏たち 豚たち 牛たち そのほか多くのいのちたち。その過程で 彼らに負わせる痛みや怖れ 苦しみを 少しでも軽減させたい。 これは 普通
今日は11月11日。 1が四つ並ぶ日って 不思議と なんか特別な日って感じがしてくる。 記念日ってある。 ・・・あるいは何かが始まった日とか 歴史的にそれに関わることが起きた日とか 月日の数字がその
次元が違う そんな印象を受けた。 国立科学博物館。 上野の山にあるこの歴史ある博物館には だれもが一度は訪れた経験があるだろう。 日本の科学レベルを象徴する優れたコレクション。その刺激を受けて 科学者の道を歩ん
極端な右派。 それが国家を牛耳り 世界を危険に陥れているパターン。 そういうパターンって 少し前の世界ではあり得なかった。 右派に対抗する左派勢力がそれを抑止できたし 国民もそんな極端で危険な候補者に票なんか入れなかった
低温が ここちよさから不快に感じる境目の時季。 それがほぼ11月なのではないかと ぼくは思う。 これまで鬱陶しいと感じていた日ざしが 恋しく思えてくる そんな境目が11月初旬。 日射が きつさから柔らかさに変わ
寒さが身に応える。 病み上がりの体には。 明日が立冬。 気候の上ではまだぎりぎり秋のはず。 でも 今まで暑さに馴染み 暑さモードになり切っている体には ちょっとした低温も寒く感じられてくる。 要するに 人間って
朝晩と日中の気温差が大きいせいか 季節の変化に体が追いついてゆかぬせいか どうもここ数日 体調が思わしくない。 体の丈夫さのみが取り柄。 そんなぼくが こんなことになるなんて 今までなかったこと。なので 一時的な不調だろうと軽く見
破格的に安いもの。 そういうものをしばしば見つける。 スーパーで ディスカウントストアで 百均で。 そんな時ぼくらは 往々にして「やった! ラッキー」と大喜びしたりする。 通常 500円のものが 300円以下で
文化 教育 科学って 大事な要因。 ぼくらが相互に理解し合い 支え合い 交流し合い 世界を平和に導いていく上で。 さまざまな支援がある。 水 食糧 インフラ整備など。 でも その中で 教育を施すことって 際立っ
日本の文化・学術って これからどうなっていってしまうのだろう・・・
文化の日って もと(戦前)は 明治節って呼ばれていたそうだ。 明治天皇の誕生日。 それが11月3日だった。けれど戦後 それが廃され 同日は文化の日という国民の祝日になった。 祝日の趣旨には 「自由と平和を愛し 文化をすす
町内放送。 市内△△にお住まいの○○さん80歳が 今朝7時に家を出たまま帰ってきません。 ○○さんの身長は・・・。 服装は・・・。 お心当たりのある方は お近くの交番 または警察署までご連宅を・・・。 そんなアナウンスが
何千億も万博に投じる一方で 給食費さえ払えぬ家庭がある国って
霜が降り始める月。11月を霜月というのは そういうことからだろう。 10月〜11月の時間って なぜか慌ただしい。 気温も 10月初めはまだ夏の余韻が残っている。 けれど10月下旬〜11月になると いっきに冬のそれを感じさ
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昔 といってもつい最近まで 人間の感性って自然にかなり近かったようだご法話で北陸のある地方の漁村に伺ったことがある70代ほどの古老の漁師さん 船着き場に立って風を浴びて 「今日は雨になりそうだね」と一言晴れた朝だったのでまさかと思っていたら
社会は進歩していくものそういう感覚を ぼくらは小さなころから教えられ 感じてきた人権 民主主義 差別の撤廃 戦争や核の廃絶は 時間とともに進展していくのだというような・・・けれども現実の今の社会 この数年の世界の動向は それと正反対の方向に
朝のひんやり感 今の時季 一日でいちばん過ごしやすい時間帯って朝日の出前後の時間 夜のひんやり感がまだそのままで 空気が温まっておらず 大気中の湿気が露になり あるいは霧になって草の葉に降り注ぐ そんな時間帯
7月のお盆も過ぎ いよいよ夏も本番 子どもたちも夏休みが近いらしいご門徒さんのお宅の高校生も 週内に期末試験が終わると言っていた 今年は空梅雨で 雨が少なかった 水不足が心配されるし また夏の後半の台風シーズン
熱中症ギラギラ照り付ける日をイメージしがちだが ほんとうは曇って湿度が高い日が意外と危ないのだとかこれからは台風のシーズンということもあり 湿度がマックスな状態になる時季だから適度にエアコンをかけ 食べ物などの衛生管理はきちんとして食中毒な
昨日から7月のお盆期間 お盆は7月に勤める所と 旧暦に則って8月に勤める場所とがあるうちの寺でも 地域によって7月8月まちまちだ 農村部では概して8月が多く 都市部のエリアでは7月が多い一応そんな区分けはできるけれど か
凶悪な事件が起きる そんな時世間はその容疑者に 厳しい眼を向ける その人の成育歴 仕事の状況 人間関係 それに通院歴 病歴などまでもが 洗いざらい暴露され 少しでも非難されることがあれば まるで鬼の首を取ったように 針小棒大にはや
基本的には テレビを見ずラジオを聴く生活そんな生活パターンがぼくにできたのは いつごろだったかふり返ると 大学に入って独り暮らしを始めたころから もう40年以上前からだったと記憶するラジオを主体とした生活テレビは視覚をともない だから「なが
毎年夏になると このブログで書いていることだけれど 夏という季節には どこか儚さが漂う その無常感にはいろんな要因があるけれど ひとつにはそれが 戦争のイメージと強くかかわっていることがあるようにぼくには感じられる&nb
近所の福祉会館でアイマスク歩行の体験会があった 視覚障がい者になった場面の疑似体験コースアイマスクをして 付き添いの人の合図で歩いてみる体験 視覚が取れないでもリードしてくれる相方が 「そこに段差がありますよ」とか 「右
夜の静寂感 憩いの雰囲気夏ってそんなものをひとしお感じる 日中の猛暑外歩きしているとすごい疲れがたまる体が暑さに対する防御をしているのか細胞が必死に 蓄積された熱を外に放出させようとしているのか 一日が終わると かなりの
ものすごい雨が降った朝けれどそれが通り過ぎると 茂みで鳥たちの声がする せみの声がする 何もなかったように いつもと全く変わらぬ様子で ぼくらは ちょっとした雨でも動揺するまして大雨で宿る所がなければ おろおろし大騒ぎす
7月7日七夕の日の朝 どんより曇った天気今夜は天の川が見られるだろうか? この時季は水っぽい 大気中の水分が多くなる時季なので ちょっとした気温の変化でも結露しやすいだから窓なんかでも びしゃびしゃになったりす
以前 伊勢神宮に行ったら 境内で鶏が飼われていた 神官の方にうかがうと 鶏は神の使いとされ「神鶏」と呼ばれているという 日本の神話に出てくる神様って大体 使いとしての動物(神使)をもつ(よく知られているのは稲荷神の狐だが
日中は猛暑 けれど そんな一日が終わった夕刻の涼しさよ 一日のしんどさも何も すべてこの一瞬のためにあるのではないかと思えるような夏の夕刻の涼風にはそんな憩い感がある 夏の夕刻や夜の楽しさや憩いのひととき&nb
電力の消費量がマックスになる時季がきた 電力会社や政府は節電を呼び掛ける けれど連日の猛暑エアコンの付けっぱなしで 今年も電力消費量はかなり高まりそうな雰囲気だ 電気のない生活 現代のぼく
蒸し暑い7月の日の午後 冷蔵庫で冷やした梨がおいしく感じられる 梨と言えば二十一世紀梨がまず思い浮かぶ 現在は鳥取 長野が名産地とされるこの梨実はそれとは離れた千葉県松戸市(かつての八柱村)がその発祥の地だという&nbs
人生の一日一日は 喩えて言えばランニングの一歩一歩 7月の初めは一年の中間点 つまり折り返し地点だ 正確には 昨日の24時あたりがちょうど真ん中だったらしい 毎年おきまりの感慨だが・・・ あっという間
今日から7月 一年の後半に入ったそれだけのことなのに 何か空気が新鮮なものに入れ替わったような感覚を覚える 不思議なことだ 7月の旧名は ふみづき もっとも旧暦なので 今の7月終わりから9
梅雨前線が表れては消えたり今年の梅雨は不可解 そんな感じ 長雨のじめじめは確かに鬱陶しい けれど・・・降るべき時に降らないと困る人たちがあり 困る草花や野菜がある そもそも 日本の農作業のスケジュール自体 梅雨の降雨を前
伸びきった夏草を草刈り機で刈る一気に刈り倒されたその切り株を見ると 小さな虫たちがうごめいているのが見えるぼくら人間にとってはうっとうしく煩わしく感じられる草も 地面に生息する虫たちにとってはなくてはならない生態系の一部草が影を作ることで地
日本人は英語を 学校で6年以上学ぶ けれども 普通の会話やヒアリングさえほとんどできない なぜなんだろう? ずっと疑問に思っていたお隣の韓国や中国では ある程度学べば会話や聴き取りができるようになるようだ&nb
7月もなかば過ぎ 例年なら梅雨の末期だけれど 今年の波動も関東地方はどうも空梅雨で終わりそう 最も先日の雨で愛媛では土砂災害があり 山口とか九州も大変だったけれど 雨がないのはいいこと ぼくら一般人
人間って恐怖に駆られると極端に走る 振り込め詐欺が無くならない 詐欺の犯人も それに引っかかる被害者も これだけ世の中が 詐欺の手口を紹介し気を付けなさいとか 不審があったらすぐ通報しなさいとか&n
人は疲れてくると なぜか海を見たくなる ぼくの住んでいる地域は 神奈川でも内陸だが 寺の仕事の合間のオフの日などには よく車を走らせ 湘南の海岸に行く 海岸に行って 何をするわけじゃない 浜辺に腰を掛け 目を閉
ぼくらは子どものころから 食前に手を合わせて「いただきます」という習慣を親や教師から教えられてきた この「いただきます」って 食膳に供されるいのちに対して「いただく」ということぼくら自身のいのちをつなぐために 他のいのちを「いただ
うちの寺のある地域では お盆はほとんどが8月に勤められる でも 中には7月の今の時季に勤められるお宅もある お盆って佛教行事(もともと佛教でなかった祖霊信仰を取り入れたという部分もあるけど)でも 季節の行事で
今日は12日 関東地方は一般に7月にお盆をする家が多い 明日13日が そのお盆の始まりだ うちの寺でも 昨日あたりからちらほらお参りの人が増え始めた もっとも 農村地帯なので お盆のお参り(お盆経)は
鳥たち 虫たち そして時々顔を出すけものたち・・・ うちの寺の境内には そんな生き物たちがいる 庭の樹の梢に くさむらの大きめの石の下に 墓地の奥の茂みに 彼らは強い そんなことを時々思う
ぼくは 年に二〜三回ほど地方に行った時などに温泉に入る 寒い時季の温泉ってたまらない 体の芯から温まるって感じ・・・(^◇^) 温泉の記号って ♨だ ちょうど くらげをひっくり返したような形昔 学校
パソコンの動きが悪い・・・”(-“”-)” 古い型の端末 なので 時々フリーズしたり 動作が重くなったり そんなことが起こる 知り合いのパソコンショップの人に尋ね
人は夢を見る さまざまな可能性に自分を託しその可能性の中に夢を見 それを人生の杖とする 辛いとき 苦しいとき 行き詰った時すらその夢を思い出して がんばりの杖とする でも 人生って時に そんなぼくの
安らかな死って すべてのいのちの理想 死に際に苦痛や心配事がなく 穏やかな気持ちで往きたいってどんな存在 どんないのちでも思うもちろん 人間でも いわゆる癌などの病名を隠したりするのも その配慮だろう・・・ 命
人間って不安な存在 どんな地位をもち どんな財産をもち どんな人間関係をもっても どこか不安をかかえる 不安の救いやはけ口をもとめている そう 虎視眈々とね 人間って不安をかか
・・・よろずやは雑貨や生活用品を扱う店 都市郊外のその地は開発がまだ進んでおらず のどかな田舎の雰囲気が残っていただからお客は地元の農家の人たち 主人とはまったくの顔なじみだ この街に鉄道の駅を造るという計画
寝ている自分に蚊が飛んでくる夜中 起きて蚊取り線香を焚く 昼間の疲れの中に寝入るぼくに その安眠をさまたげる蚊ほど煩わしいものはなく 起きて明かりをつけ 部屋の中を見回す修羅の形相のぼくがいる&nbs
地域のこどもに安価で食事を提供する子ども食堂 現時点で 全国に7万か所以上開設されているという 子どもの貧困率が6人に1人といわれるこの国 10年ほど前に子ども貧困対策法が施行され その後 社会的に
7月に入り 夏休みが近い 海に山に 楽しい旅行を計画! どこへいこうか 海なんかいいかもしれない そうだ ネットで検索してみよう! さっそくスマホで「神奈川の海 旅館」を検索する
人間って 安易な道に落ちやすい ここちよく 耳あたりがいい世界 得する 儲かる 自分が守られる そんな世界に 狡猾に 老獪に世を渡ろうとする者は そういう人間の弱さに たくみに取
以前 伊勢神宮に行ったら 境内で鶏が飼われていた 神官の方にうかがうと 鶏は神の使いとされ「神鶏」と呼ばれているという 日本の神話に出てくる神様って大体 使いとしての動物(神使)をもつ(よく知られているのは稲荷神の狐だが