昔 といってもつい最近まで 人間の感性って自然にかなり近かったようだご法話で北陸のある地方の漁村に伺ったことがある70代ほどの古老の漁師さん 船着き場に立って風を浴びて 「今日は雨になりそうだね」と一言晴れた朝だったのでまさかと思っていたら
神奈川の田舎寺の僧侶が、日頃の出来事をつれづれなるままに綴った日記ブログです。
主催者は、親鸞の教えに生きる平凡な僧侶。日常の出来事や、ニュース、ご門徒とのコミュニケーションで見えてきたことなどを、筆に(キーボードに)まかせて綴った随筆ブログです。 楽しく、時にはうーんと唸りながら読んでいただけたらと思います。
大人の子ども化? 何かそんな感じ。 最近の成人 とくに20代から30代ぐらいの人たちを見ていると 何か未成熟さを覚えてしまう。 それは ぼくが彼らよりずっと年上だからというだけじゃない。あえて言えば この国の大人たちすべ
霜が降り始める時季。 二十四節気では 今の時季を そういうそうだ。 霜降。 その時期は10月23日から11月6日まで。 それが過ぎると冬至。 暦の上での冬に入る。 今はその直前の時季。 樹々
憎らしい相手への罵りことばが なぜ「豚野郎」なのだろう・・・?
「この豚野郎!」 ある吹き替えの外国映画を視ていたら そんなセリフが出てきた。 pig・豚って 人をののしることば? そういえば。 先のあの東京オリパラの準備段階で 開会式の演出責任者が タレントの渡
今はまだ5時前。さすがにこの時季の早朝は 真っ暗。 そして静かだ。 何回か書いていることだけれど。 気温の寒さと朝の静寂度って 比例する。気温が寒い季節ほど 朝は静か。 その静寂がいい。 でも その静けさが淋し
ひんやり感って 疲れを落す。 夏のむせる暑さって 疲れを倍増させる。 疲れの本質って熱なのかな? 少なくとも暑さって 疲れを増幅させる。 けれど その暑さが引いた今の時季って 疲れが溜らず また少し前までのあの
今年の秋は 日中と夜の寒暖の差が大きかったせいだろうか。 柿がみごとに色づいている。 例年より少し早い色づき? そうでもないか・・・。 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 正岡子
子どもたちの食が劣化してきている。 育ち盛りの 他の年代より多くの栄養を摂取しなければならない児童たち。 その食が今 危機に瀕している。 学校給食が業者の経営難で停止を余儀なくされている。三食がまともに食べられ
研究論文の公開。 それが進められようとしている。 政府の総合科学技術・イノベーション会議の有識者会合が19日 研究論文をインターネット上で公開し閲覧可能にする「オープンアクセス(OA)」をめぐり 公的資金が投入された研究
歴史的な「被害者意識」って 人をどこまでも残忍にする。 そして 過去の歴史の遺恨って どんなに封印しても ほんとうにふとしたきっかけで蘇生する。 そんなことを 見ていていつも感じる。 パレスチナの紛争。&nbs
工場制畜産は 産業として行き詰まっている。そんなことを このブログでもたびたび紹介してきた。 一定の畜舎に 動物たちを詰め込めるだけ詰め込んで どこまでも人間目線・効率性や利潤性を優先した管理飼育システム。 それは 動物
碍は衆生に属す 光の碍にはあらず そんなことば(曇鸞『浄土論註』)が浮かんだ。 ほとけの光。 それが到り届いていることが実感できない。けれど 光は常に照らし続けている。 それを遮断するのは人間の自我。 ほと
世の中って循環している。 すべては回り合い 支え合い 調和とバランスを取り合っている。 世界って そういうバランスの上にある。 だから ぼくらが環境をだいじにすることで 環境もぼくらをだいじにしてくれ ぼくらが
お隣の国 でも 関係は芳しくない。 中国 ロシア 韓国 北朝鮮・・・。 日本を取り巻く国 日本と国境を接する国。 そういう国がいくつかあるけれど 概して それら国と日本との関係って よくない。 最近
この所の涼しさのせいだろうか 境内の草の伸びのペースがやや落ち 草取りが若干ラクになった感じ。 けれどその一方で 落ち葉がすごい。 境内の樹は ほとんどが落葉樹。 樹々も葉の入れ替わりの時季。掃除が大変だ・・・(^^;)
自分の良心にうそをついている人の顏 自分を偽っている人間の風貌。そんなふうに ぼくには見えてしまう。 自民党の杉田水脈衆院議員。 56歳にもなるいいおばさん。それが ブログでアイヌや朝鮮の人たちの人権を茶化し
食べることって 人間生活の基本。 そもそも働いて生きることを「食べていく」という。 生き働くことって 食べることに裏打ちされる。 あるいみ人間って 食べることを軸に生活を創造している。 そんなふうにいうこともで
動物愛護法(「動物の愛護及び管理に関する法律」)の年度内の改正が 今進められているようだ。 従来 イヌ・ネコ 特にペットのそれに重点が置かれ(前回改正ではそれらへのマイクロチップ装着や生後間もないイヌ・ネコの販売禁止 殺傷した場
10月も半ばに来ると 夜はさすがに寒い。 報恩講シーズンまっさかり。 うちの宗派ではそういう。 10月も半ば過ぎると・・・。 もってのほかの大事 この上なくだいじなこと そう
地元の大地で育ったさつまいもは やはりおいしい・・・(*^。^*)
農家のご門徒さんから たくさんのさつまいもをあげていただいた。 さっそく本堂にお供え。 おさがりは焼き芋に。 折しも庭の樹々は落葉の時季ではあるけれど 近年は消防法の規制が厳しくなって 境内の落ち葉焚きも自粛さ
「発見」という概念。 初めてそのものを確認するといういみ。 だれによって? 人類によって。 宇宙の新惑星発見なんて そんなふうに使う。 けれど逆にいえば。 人間以外の者 たとえば動物や鳥がそ
「産湯と一緒に赤子を捨てる」。 そんなことばを思い出した。 汚れた産湯を捨てなければならない。でも誤って捨ててはならない赤ん坊まで一緒に川に流してしまう そんなような感じ。 埼玉県自民党県議団が4日に提出した
不登校・いじめのが過去最多になった学校環境に思った・・・(-_-)
子どもは 社会の鏡。 そんなことを思う。 子どもの感覚ってまだ社会に汚されず 社会や家庭の姿を正直に映し出す。鏡みたいに。 だから 子どもを見れば 彼らを取り巻く環境の歪みが見え また広く社会のひずみや濁りも映し出される
短期的成果のみを要求し基礎研究を疎かにする 日本の文部科学行政
遊びのこころってだいじ。 どこにたどり着くかわからない好奇心。でも。 歴史に残る大きな発見や発明って そのそぼくな好奇心から起こっている。 そんなことを思う。 遊戯神通利衆生
1億1千万羽。 これが 年間に殺処分 というよりつぶされ 闇に葬られ 「生ごみ」として処分されるおすの鶏のひな(ひよこ)の数。 ただしこれは あくまで把握されているめすのひなの数から推定された数(一般財団法人日本種鶏孵卵協会の推計
盗難防止の日 そもそも「盗難」ってと考えてみる・・・(‘ω’)
私有財産の感覚。 そういうものに人類が目覚めたのって いつごろだろうか。 狩猟採取から 農耕・食糧生産の技術を覚え 人間が移動しなくてもよくなり 定住し始め 家をもち私有物の概念が生まれ そんな中で これは自分のもの こ
やはり淋しい。 今の時季 気温が少しずつ下がってくる そんな日中 ひとりでお茶を飲んでいると ふっとそんな愁い感を覚えた。 夏の猛暑が跡を引いたうっとうしさ。早く涼しく 秋の気候になってほしいとあれだけ思っていたのに。&
干潮で潮が引くと そこには汚物やらごみやら こんなものがと思うような汚いものがあちこちに眼に入ってくる まるでそんな感覚かな。 最近のニュース。 このところひっきりなしに 学校教師とか塾講師とかの 子どもへの性加害のニュ
影を通して形を知る そんな感じかな。 旧統一教会の問題。 ほんらい 人をやすらかにし迷いや囚われから解放すべきはずの宗教。その「宗教」が人を損ない 家庭を壊し 社会に明確な害を及ぼす そんなパターン。 まさに
福島「海洋放出」以上に 原発依存のエネルギー政策に眼が向けられるべきだ
福島の 「核の汚染水」海洋放出の第二段が まもなく再開されるという。 福島の放射能漏れ事故という禍根。 地震による津波という不可抗力があったとはいえ 原発という施設そのものが孕む問題それ自体に立ち入った視座から この「海
夏の湿気の落ちた秋の涼風が 何ともここちいい・・・(*^。^*)
ここちよい・・・(*´ω`*) 朝起きて 境内を歩く。 少し前までは汗が出てべとべとになった。 けれども 月が変わって 風がさわやかに 空気から熱や湿気が落ちた。 たったそれだけで こん
いのちって つながっている。 眼に見える形 見えない部分で ぼくらはいろんないのちとつながり合い 自然環境・地球環境ともつながり合っている。 これが 今の最先端のいのちの認識。 そういえるのではないかと思う。&
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昔 といってもつい最近まで 人間の感性って自然にかなり近かったようだご法話で北陸のある地方の漁村に伺ったことがある70代ほどの古老の漁師さん 船着き場に立って風を浴びて 「今日は雨になりそうだね」と一言晴れた朝だったのでまさかと思っていたら
社会は進歩していくものそういう感覚を ぼくらは小さなころから教えられ 感じてきた人権 民主主義 差別の撤廃 戦争や核の廃絶は 時間とともに進展していくのだというような・・・けれども現実の今の社会 この数年の世界の動向は それと正反対の方向に
朝のひんやり感 今の時季 一日でいちばん過ごしやすい時間帯って朝日の出前後の時間 夜のひんやり感がまだそのままで 空気が温まっておらず 大気中の湿気が露になり あるいは霧になって草の葉に降り注ぐ そんな時間帯
7月のお盆も過ぎ いよいよ夏も本番 子どもたちも夏休みが近いらしいご門徒さんのお宅の高校生も 週内に期末試験が終わると言っていた 今年は空梅雨で 雨が少なかった 水不足が心配されるし また夏の後半の台風シーズン
熱中症ギラギラ照り付ける日をイメージしがちだが ほんとうは曇って湿度が高い日が意外と危ないのだとかこれからは台風のシーズンということもあり 湿度がマックスな状態になる時季だから適度にエアコンをかけ 食べ物などの衛生管理はきちんとして食中毒な
昨日から7月のお盆期間 お盆は7月に勤める所と 旧暦に則って8月に勤める場所とがあるうちの寺でも 地域によって7月8月まちまちだ 農村部では概して8月が多く 都市部のエリアでは7月が多い一応そんな区分けはできるけれど か
凶悪な事件が起きる そんな時世間はその容疑者に 厳しい眼を向ける その人の成育歴 仕事の状況 人間関係 それに通院歴 病歴などまでもが 洗いざらい暴露され 少しでも非難されることがあれば まるで鬼の首を取ったように 針小棒大にはや
基本的には テレビを見ずラジオを聴く生活そんな生活パターンがぼくにできたのは いつごろだったかふり返ると 大学に入って独り暮らしを始めたころから もう40年以上前からだったと記憶するラジオを主体とした生活テレビは視覚をともない だから「なが
毎年夏になると このブログで書いていることだけれど 夏という季節には どこか儚さが漂う その無常感にはいろんな要因があるけれど ひとつにはそれが 戦争のイメージと強くかかわっていることがあるようにぼくには感じられる&nb
近所の福祉会館でアイマスク歩行の体験会があった 視覚障がい者になった場面の疑似体験コースアイマスクをして 付き添いの人の合図で歩いてみる体験 視覚が取れないでもリードしてくれる相方が 「そこに段差がありますよ」とか 「右
夜の静寂感 憩いの雰囲気夏ってそんなものをひとしお感じる 日中の猛暑外歩きしているとすごい疲れがたまる体が暑さに対する防御をしているのか細胞が必死に 蓄積された熱を外に放出させようとしているのか 一日が終わると かなりの
ものすごい雨が降った朝けれどそれが通り過ぎると 茂みで鳥たちの声がする せみの声がする 何もなかったように いつもと全く変わらぬ様子で ぼくらは ちょっとした雨でも動揺するまして大雨で宿る所がなければ おろおろし大騒ぎす
7月7日七夕の日の朝 どんより曇った天気今夜は天の川が見られるだろうか? この時季は水っぽい 大気中の水分が多くなる時季なので ちょっとした気温の変化でも結露しやすいだから窓なんかでも びしゃびしゃになったりす
以前 伊勢神宮に行ったら 境内で鶏が飼われていた 神官の方にうかがうと 鶏は神の使いとされ「神鶏」と呼ばれているという 日本の神話に出てくる神様って大体 使いとしての動物(神使)をもつ(よく知られているのは稲荷神の狐だが
日中は猛暑 けれど そんな一日が終わった夕刻の涼しさよ 一日のしんどさも何も すべてこの一瞬のためにあるのではないかと思えるような夏の夕刻の涼風にはそんな憩い感がある 夏の夕刻や夜の楽しさや憩いのひととき&nb
電力の消費量がマックスになる時季がきた 電力会社や政府は節電を呼び掛ける けれど連日の猛暑エアコンの付けっぱなしで 今年も電力消費量はかなり高まりそうな雰囲気だ 電気のない生活 現代のぼく
蒸し暑い7月の日の午後 冷蔵庫で冷やした梨がおいしく感じられる 梨と言えば二十一世紀梨がまず思い浮かぶ 現在は鳥取 長野が名産地とされるこの梨実はそれとは離れた千葉県松戸市(かつての八柱村)がその発祥の地だという&nbs
人生の一日一日は 喩えて言えばランニングの一歩一歩 7月の初めは一年の中間点 つまり折り返し地点だ 正確には 昨日の24時あたりがちょうど真ん中だったらしい 毎年おきまりの感慨だが・・・ あっという間
今日から7月 一年の後半に入ったそれだけのことなのに 何か空気が新鮮なものに入れ替わったような感覚を覚える 不思議なことだ 7月の旧名は ふみづき もっとも旧暦なので 今の7月終わりから9
梅雨前線が表れては消えたり今年の梅雨は不可解 そんな感じ 長雨のじめじめは確かに鬱陶しい けれど・・・降るべき時に降らないと困る人たちがあり 困る草花や野菜がある そもそも 日本の農作業のスケジュール自体 梅雨の降雨を前
伸びきった夏草を草刈り機で刈る一気に刈り倒されたその切り株を見ると 小さな虫たちがうごめいているのが見えるぼくら人間にとってはうっとうしく煩わしく感じられる草も 地面に生息する虫たちにとってはなくてはならない生態系の一部草が影を作ることで地
日本人は英語を 学校で6年以上学ぶ けれども 普通の会話やヒアリングさえほとんどできない なぜなんだろう? ずっと疑問に思っていたお隣の韓国や中国では ある程度学べば会話や聴き取りができるようになるようだ&nb
7月もなかば過ぎ 例年なら梅雨の末期だけれど 今年の波動も関東地方はどうも空梅雨で終わりそう 最も先日の雨で愛媛では土砂災害があり 山口とか九州も大変だったけれど 雨がないのはいいこと ぼくら一般人
人間って恐怖に駆られると極端に走る 振り込め詐欺が無くならない 詐欺の犯人も それに引っかかる被害者も これだけ世の中が 詐欺の手口を紹介し気を付けなさいとか 不審があったらすぐ通報しなさいとか&n
人は疲れてくると なぜか海を見たくなる ぼくの住んでいる地域は 神奈川でも内陸だが 寺の仕事の合間のオフの日などには よく車を走らせ 湘南の海岸に行く 海岸に行って 何をするわけじゃない 浜辺に腰を掛け 目を閉
ぼくらは子どものころから 食前に手を合わせて「いただきます」という習慣を親や教師から教えられてきた この「いただきます」って 食膳に供されるいのちに対して「いただく」ということぼくら自身のいのちをつなぐために 他のいのちを「いただ
うちの寺のある地域では お盆はほとんどが8月に勤められる でも 中には7月の今の時季に勤められるお宅もある お盆って佛教行事(もともと佛教でなかった祖霊信仰を取り入れたという部分もあるけど)でも 季節の行事で
今日は12日 関東地方は一般に7月にお盆をする家が多い 明日13日が そのお盆の始まりだ うちの寺でも 昨日あたりからちらほらお参りの人が増え始めた もっとも 農村地帯なので お盆のお参り(お盆経)は
鳥たち 虫たち そして時々顔を出すけものたち・・・ うちの寺の境内には そんな生き物たちがいる 庭の樹の梢に くさむらの大きめの石の下に 墓地の奥の茂みに 彼らは強い そんなことを時々思う
ぼくは 年に二〜三回ほど地方に行った時などに温泉に入る 寒い時季の温泉ってたまらない 体の芯から温まるって感じ・・・(^◇^) 温泉の記号って ♨だ ちょうど くらげをひっくり返したような形昔 学校
パソコンの動きが悪い・・・”(-“”-)” 古い型の端末 なので 時々フリーズしたり 動作が重くなったり そんなことが起こる 知り合いのパソコンショップの人に尋ね
人は夢を見る さまざまな可能性に自分を託しその可能性の中に夢を見 それを人生の杖とする 辛いとき 苦しいとき 行き詰った時すらその夢を思い出して がんばりの杖とする でも 人生って時に そんなぼくの
安らかな死って すべてのいのちの理想 死に際に苦痛や心配事がなく 穏やかな気持ちで往きたいってどんな存在 どんないのちでも思うもちろん 人間でも いわゆる癌などの病名を隠したりするのも その配慮だろう・・・ 命
人間って不安な存在 どんな地位をもち どんな財産をもち どんな人間関係をもっても どこか不安をかかえる 不安の救いやはけ口をもとめている そう 虎視眈々とね 人間って不安をかか
・・・よろずやは雑貨や生活用品を扱う店 都市郊外のその地は開発がまだ進んでおらず のどかな田舎の雰囲気が残っていただからお客は地元の農家の人たち 主人とはまったくの顔なじみだ この街に鉄道の駅を造るという計画
寝ている自分に蚊が飛んでくる夜中 起きて蚊取り線香を焚く 昼間の疲れの中に寝入るぼくに その安眠をさまたげる蚊ほど煩わしいものはなく 起きて明かりをつけ 部屋の中を見回す修羅の形相のぼくがいる&nbs
地域のこどもに安価で食事を提供する子ども食堂 現時点で 全国に7万か所以上開設されているという 子どもの貧困率が6人に1人といわれるこの国 10年ほど前に子ども貧困対策法が施行され その後 社会的に
7月に入り 夏休みが近い 海に山に 楽しい旅行を計画! どこへいこうか 海なんかいいかもしれない そうだ ネットで検索してみよう! さっそくスマホで「神奈川の海 旅館」を検索する
人間って 安易な道に落ちやすい ここちよく 耳あたりがいい世界 得する 儲かる 自分が守られる そんな世界に 狡猾に 老獪に世を渡ろうとする者は そういう人間の弱さに たくみに取
以前 伊勢神宮に行ったら 境内で鶏が飼われていた 神官の方にうかがうと 鶏は神の使いとされ「神鶏」と呼ばれているという 日本の神話に出てくる神様って大体 使いとしての動物(神使)をもつ(よく知られているのは稲荷神の狐だが