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  • 明易し

    『芭蕉の風景 下』 小澤 實著 いよいよ芭蕉の最晩年である。 元禄七年春、芭蕉五十一歳。最後となる春を江戸で過ごし、初夏、西を目指して旅立つ。同行は身辺の手助けをする少年次郎兵衛のみ。途中名古屋に足を止め、古い門人の荷兮らと歌仙を巻くが、どうもしっくりこない。かつて共に『冬の日』を巻いてから十年。芭蕉の新しい試み「かるみ」を彼は理解できなかった。実際に読んでいないので何とも言えないが、小澤さんによれば、この時の歌仙は雑でちぐはぐ、駄作だということだ。 世を旅にしろかく小田の行戻り 「この世を旅に過ごしている私の生涯は、農夫が代掻きをして、田を行きつ戻りつしているのと、変わりません」(小澤訳) …

  • 柿若葉

    『芭蕉の風景 下』 小澤 實著 やっと下巻の三分の二あたりまで読了。 「おくのほそ道」から帰った芭蕉は、その後郷里伊賀や大津、京都と関西で暮らす。関西から江戸に帰って五十歳までの五年間、小澤さんはこの間を「上方漂白の頃」と名付けて一章とされている。 「行春を近江の人とをしみけり」 「木のもとに汁もなますも桜かな」 芭蕉にとっては上方の親しい人々と交流、「かるみ」という新しい境地も見出した時期である。「かるみ」とは何か。「『かるみ』とは日常の世界を日常のことばを用いて、詠むこと」と小澤さん。古典主義を廃し、日常を詠む今の俳句に繋がる境地である。ところが、今にすれば当たり前のことだが、芭蕉の時代に…

  • 風薫る

    『芭蕉の風景 下』 小澤 實著 下巻の前半分弱は『おくのほそ道』の句を辿る話である。 芭蕉が陸奥へ旅立ったのは「更科紀行」から帰りて半年後、春三月のことである。四十六歳、百五十五日、2400キロの長旅である。同行者は曽良。彼が後に幕府の巡見使として壱岐で亡くなったことから、この旅にも幕府隠密説などもある。小澤さんも読み進むうちにそんな気もしてきたと書いておられる。もっともそれでこの文学作品の価値が損なわれるものではないとされているが、全くそのとおり。 単なる紀行日記でもない。推敲に推敲を重ねた文学作品であることは、初稿の句と推敲後の句の大きな違いでも明らかだ。 例えば、 「閑さや岩にしみ入る蝉…

  • 若葉雨

    『芭蕉の風景 上』 小澤 實著 上巻の残りを読む。紀行文『笈の小文』の部分である。芭蕉四十四歳、伊賀上野から伊勢に参り、吉野、和歌浦、奈良、明石須磨と巡る旅。米取引で罪を得て逼塞中の杜国を誘っての旅でもある。 折々の俳句が先人たちの古歌を踏まえているのに驚く。そういう教養の乏しい身はいつも底の浅い解釈で読んできた。 芭蕉の句の中で一番気に入っている句がこの部分に出てくる。 「蛸壺やはかなき夢を夏の月」 明石の浦での句である。「砂地に沈められている蛸壺に身を入れて、ゆうゆうと眠る蛸。その肌にあわあわと差している月の光を幻視しているのである。」と小澤さん。明日をも知れぬ命を知らず月の光を受けて眠る…

  • 夏草

    『芭蕉の風景 上』 小澤 實著 前々から気にかかっていた本を読み始める。まずは上巻の半分、芭蕉四十代初めのころまでである。伊賀上野から江戸に出てきて日本橋辺りから深川に住み替え、野ざらし紀行に出かけるまで(芭蕉四十一歳から四十四歳)。この間の俳句を味わい、その背景の地を訪ねるというのがこの本の趣向だ。 小澤さんの解説によれば、この時期の芭蕉は、初期の談林俳句の言葉遊びを抜け出し、俳句に自分を詠み始め、取り合わせ俳句を発明し、さらに一瞬の感動を詠んだ。これが今につながる大きな試みにもなった。さらに名古屋の門人と五歌仙を巻きあげ、新風を興したのもこの旅のこと。 芭蕉の句で一番人口に膾炙している「古…

  • 走り梅雨

    『やさしい猫』 中島 京子著 たまたまこの本の名前が出てきた時、旧友は「たいした本じゃないけど」と言ったのだ。予約を入れていた私はそのまま借りたが、期待しないで読み始めた。だが、実に面白かった。複雑な心理描写もなく読みやすかった。最後がハッピエンドだということも勿論いい。(三島はハッピエンドでないと騙された気分になるといったらしいが。)逆に旧友が好評価をしなかったのはそのあたりかもしれないとも思った。 スリランカ人のウィシュマさんが名古屋出入国在留管理局で収容中に亡くなったというニュースは、確か去年のことであった。この問題はいまでも裁判で係争中と思うが、以前から日本の非人権的入管行政は問題視さ…

  • 植田

    蒲生野と近江八幡 「こころ旅」を見ていて、近江行きを思い立つ。近江は何度も訪れてはいるが、まだまだ見たいところは多い。今回は「近江の国宝建築巡り」と称してプランをつくる。 まずは名神高速の蒲生ICで下りて苗村神社へ。延喜式神名帳にも名のある古い神社である。 道路を隔て西と東に分かれており、西本殿が国宝、東本殿が重文である。もともとの産土神は東に鎮座されている由。ナムラとはもとはアナムラで日本書紀の新羅神アメノヒボコ伝承と関係があるという。かってこの地方に多く移り住んだという渡来系の人々の祖神であろうか。西本殿の御祀神は勧請した神である。 重文の楼門。 室町期のもの 門前の神田 伝承の雨乞いの掛…

  • みどり

    『スットン経』 諏訪 哲史著 「ちっとも読めない」と愚痴っていたら、古友達が「面白かったよ」と薦めてくれた一冊。連休があったり、気がのらなかったりと何日もかかって読了。たまにはなにか書かないとお客さんが皆無になりそうで、意味もない感想を少し。 諏訪さんは芥川作家だがこてこての名古屋人。以前朝日新聞で名古屋弁のバアサンたちの話に大笑いした記憶がある。(ちゃんと『アサッテの人』も読んでます)このエッセイ集も中日新聞と毎日新聞・東海版に掲載中のもので、昨秋までのまとめらしい。 話は、諏訪さん自身が躁鬱病と公言しておられる病の辛さに触れたもの、名古屋弁やらローカルな話題、不寛容な差別な社会や地球温暖化…

  • 桜海老

    『NHKスペシャル 見えた 何が 永遠が 立花隆最後の旅』 この4月30日は立花さんの一周忌に当たるらしく、親交のあったデレクターによる追悼番組である。死の半年後、知の巣窟ともいう「猫ハウス」の書棚が、きれいに空になっていた。それに驚いたところから話は始まる。 「知の巨人」といわれた立花さんは、生涯をかけて何を知ろうとしていたのか。ある人はそれは「見当識」だという。つまり我々人間はどこからきて、今どこにいて、どこに行こうとしているのか。この問いを追究するために彼は宇宙を対象とし、人間と猿を、生と死を、文明と非文明を対象とした。「ビックバンから始まる歴史を全部書きたい」そう語る姿も紹介されている…

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