小梅日記
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ハンドル名
小梅日記さん
ブログタイトル
小梅日記
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/koume87
ブログ紹介文
主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解きます。
自由文
旅日記や万葉集、百人一首などもあります。
更新頻度(1年)

42回 / 317日(平均0.9回/週)

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小梅日記
  • 五月二十三日

    五月二十三日快晴する。昼頃、有馬武右衛門が何かの挨拶だとかで来る。あり合わせの酒を出す。上九(仕出しや)へ雄介が行き鯖と二本取口三鉢持ってくる。昼過ぎに帰った。その後へ督学が挨拶にと来られたが直ぐに帰られた。夕方、遠くで雷鳴。主人は諸処へ挨拶や見回りに行く。五月二十三日

  • 五月二十二日

    五月二十二日天気よし。三浦公(三浦長門守・家老・学問所掛かり)へ備後の木下から嫁御が来るというので人々が見に行く。当方の主人もお祝いに行った。督学へもこの間の礼に行く。仕廻清吉へも行く。提灯を借りて帰った。岡野氏へ教えに行く。気分が悪くなって人参入りのえきしとうを取ってきた。為之助は故郷に帰っている。三浦公の嫁は海上にいて今日は着かない。五月二十二日

  • 五月十九日、二十日、二十一日

    五月十九日終日、小雨が降り続く。五月二十日ようようと日が当たる。糊(布類に)をする。山本樟亭の三回忌の逮夜で呼ばれる。四時前から八時すぎまで。左氏の会があったがいつもより少し始めた。五月二十一日また曇る。岩橋からはすいもをとりにきた。提灯を返す。布安染物へ紋書で持参。まわし地五尺五寸、一匁一分。緋縮緬一尺、一匁三分。これは梅本分。太平御覧初一冊、合へき字類十冊を岩橋に使いに返えさせる。二十一日は三浦殿へ九州の方から嫁御の道具がくるらしい。まだ詳しいことは知らない。三浦公の家人の岡田志津摩から、明日は縁女引越につき稽古お断りという手紙が来る。五月十九日、二十日、二十一日

  • 五月十八日

    五月十八日雨で風も少々あり。主人は学校当番で合羽菅笠で行く。学校へは一人も来ないので帰ろうと申し出るとお目付役の中島十郞右衛門がまだ誰か来るかもしれないと言うので見合わせていた。そのうちに岩橋から酒や肴が出されたので夕方まで帰宅せず。家では案じて雄介が迎えに行って8時過ぎに帰った。大降りで雨は盆をかえすが如し。植えてあるものがみなこけた。山本彦十郞殿からお茶の葉が届けられた。樟亭主の三回忌とのこと。逮夜(命日の前日に行う通夜)は二十日だそうだ。五月十八日

  • 五月十六日、十七日

    五月十六日今日は忌み明けだ。主人はあちこちへ礼に行く。学校帰りに岩橋と呑む。山本らへも行く。富永が雨具を返しにきて提灯を持っていく。五月十七日朝のうちは日が当たったが、また降り出した。夜は大雨であがるようすもない。主人は三浦公へいき夕方帰る。五月十六日、十七日

  • 五月十四日、十五日

    五月十四日山中よりかき判を取りに来る。木村清吉から手紙。五月十五日曇りがちなり。昼前に山本謙二郎が見回りに来た。羊羹二本持参。安兵衛が来る。古帷子を下取りに出し、代わりの一反を買う。代金は四十三匁五分。しかし下取りがあるので二十二匁五分の足しだ。絹の羽織が染め上がってきたので紋書きにやった。二時過ぎに善之助主が見回りがてらきた。富永と山本ばかり居る。栗山へ本を取りに雄介が両度まで行く。差し支えがあるとかで不出来。雨が降り出す。一盃だし、夜は合作で、家内みな出て遊んだ。下駄、傘で帰った。内田から米三斗を持たせてきた。傘を貸す。遠くで雷鳴がした。五月十四日、十五日

  • 五月十二日、十三日

    五月十二日山中の家来の晴吉がつき判のことでくる。五月十三日昼過ぎに山中家の家来に判を取りに寄越した。即渡す。今日は学校でせきてんがあるがこちらは忌中なので出席せず。しかし、うちで一盃食べた。混ぜ寿司を作り出口に送った。隠居はものもらい(目)さそうだ。遠いので久野を見舞いに遣わす。薩摩寒天を作り菓子も持たせた。夕方に帰った。小重に詰め替えた金山寺味噌にアジサイの花を添えて持ち帰った。木村晴吉からまた手紙が来る。今ひとつ外に咲いてるゑびねをくれという。五月十二日、十三日

  • 五月十一日

    五月十一日晴れ時々曇りこぬか雨が時々降る。母君は昨日の代わりに金比羅へ参詣し喜多村に寄る。三宅弥太郎が二十三石に跡立とのこと。山中大輔は八百俵お取り上げ。作兵衛殿は蟄居。隠居となり牛町の休息所もお取り上げだという。七山省安から返事が来る。安兵衛も来てゴボウの葉をこしらえて、酒一升取る。五月十一日

  • 五月十日

    五月十日こぞりよるあんどの影のうすぐらさにふと吹上の菊をば宇治の賤の女が移せばゑみの草はえとなる吹上の菊をば宇治にうつしうへて色香はあらでゑみの草はへ吹上の菊をば宇治にうつせども色も香もなきゑみのくさはへ頼もしと思ひよるべのあんどうの影うすくして光とどかず影頼むあんどうの光うすければいっそ寝て待て果報こぬらん五丁目の者が盆を持ってきた。一匁五分。細工銀一両。彫り賃二朱と箱入り羊羹、菓子を合わせて二十一匁五分になる。両人は四時過ぎに梅本へたいや参りして八時前に帰る。高柳と富永が見回りに来る。夜になって大いに雨が降った。五月十日

  • 五月九日

    五月九日雄介が清吉の家へ行く。酒券ひとつ渡すなり。昼頃に野呂清吉がきた。京都へ状を送ることを頼む。一匁で魚を数十求めて出す。その後、刑部が暇乞いに来た。絵を渡した。梅本平七に香典を送る。酒券三と椎茸数十。二匁は卒塔婆料だ。万次郎にことづける。岡本から菊の苗が届いた。夕方に皆でそろって植えた。五月九日

  • 五月八日

    五月八日おおいに晴れる。主人と雄介は四時頃畑屋敷の梅本に行く。今晩は平七殿の葬送。小梅は梅本の内室と連れだって四時頃から行き葬列を見送った。おおいに盛大だった。浅之助が駕籠で見送り、こちらも主人が供を四人、雄介は一人と都合五人雇う。代六百文。槍、提灯も借りあわせ安兵衛へも心付けを渡す。風もあり至極極上の天気也。葬式の鑓も死者ともに八本あった。平七殿は大変幸せな人だ。八〇歳。病もなく眠れるごときの臨終だった。五月八日

  • 五月六日、七日

    五月六日おおいに快晴する。今日から五日間休業。長太郎が本代を持参した。五月七日天気良し。四時頃に刑部来る。すぐに昼飯をと混ぜ寿司を作っていると梅本でも一杯出すとのこと。こっちには来ず主人と母君も呼ばれた。夜。藤助どのがこられた。見舞いだという。精進物で一盃出す。安兵衞は提灯の貼り替えに行く。二匁入りの火袋は一匁六分にまける。五月六日、七日

  • 五月五日

    五月五日快晴する。鳥谷が礼に来た。筆一本を持って来た。その他秋月や山本らも礼に来る。弘太郎に野呂が一冊本を売る。沼野章七がお重に寿司を入れて送ってきた。その一重を主人が松下へ持って行った。御切米のこと頼む、寿司を早々に食べているところに畑屋敷から大切な報せが来た。直ぐに行く。(平七殿=豹蔵の父の兄)昼頃に楽入候とのこと。夜には母君と梅本の妻が行く。さびしい。五月五日

  • 五月四日

    五月四日今日は学校当番とのこと。あとで鉄之助が為輔殿が勤めにこられて誠に言語にたえないと申しきた。夕方から小梅は畑屋敷の梅本へ行った。平七殿は相変わらず老体ゆえにひどく危うい。何も言わずしきりにたばこをのんでいた。五月四日

  • 五月三日

    五月三日少々くもる。魚九にて肴を取る。ひらめ2,えび1で四匁八分。それを内田に送る。畑屋敷の梅本から今日は有馬の初幟(鯉のぼり?)で客を招くそうだ。祝い酒を二時頃からおこなうという。奥さんもと招かれたが小梅は断って主人と雄輔が行く。しかし、平七の八十才の祝いも申しきたので二人とも先にそちらへ行った。主人は先に帰って有馬へ行く。八時過ぎに帰ってすぐに有馬へ行った。十二時頃までで、皆が寝たのは二時過ぎだった。客は六十人以上でおおいに盛り上がったとのこと。五月三日

  • 五月二日

    五月二日のち8時過ぎに雨があがる。お城当番だ。雨具置き場に困るので安兵衞を連れて行く。しかし段々と雨が上がって合羽は不用なので昼頃に帰った。室内膳の母が病死したとの廻状を受け取り、すぐに安兵衞を戸田藤左衛門へ持たせやる。三宅弥太郎から跡目についての手紙がきた。今は20人ほどいるが、先日8人、そのほかもいろいろあったようだ。宮崎は沙汰が悪いが一向結構な様子。隠居が倅の正作に跡目を継がせると仰せつけた。元は800石だったが寄り合いで450石と決められたとのこと。榎本直之助はそのまま学校へ罷り出るとのこと。八百輔は有馬のために来る。明日は皆来るようにと言う。みなは断り主人と雄輔だけが行くという。三浦に行き、清吉方に寄る。五月二日

  • お芝居のご案内

    平成が去り令和がやってきました。急速に変わっていく世の中に昭和生まれのおっさんたちはとまどっています。そんなおっさんたちの生き様をおもしろおかしく描いてみました。小倉祇園太鼓も応援してくれます。晴れるといいな。お芝居のご案内

  • 五月朔日

    五月朔日晴のち曇八幡へ雄輔が為之助を連れて参る。夜、千太郎と畑屋敷へ見回りに行く。ぶしゅかん酒を少々持たせた。帰りに大雨となり裸足で帰った。留主の中林一平太がきた。宿へ帰って持って来たとソラマメを二升くれた。庭から帰った。有馬へ酒二升おくった。五月朔日

  • 四月晦日

    四月晦日暑い。昼頃に善之助がきた。あり合わせで酒販をだした。喜多村がサバを二本くれた。お金を伊勢屋にやる。六尺松江行きの割合を寄越す。酒はあり合わせの切手で二升取り寄せた。ぶしゅかんとシソ酒を作る。2時頃、丸栖から酒二升届く。一升が一匁五分だとのこと。吉田庄太夫の子ら三人連れで柏餅を持ってきた。絵を二枚あげる。夕方に岩吉が魚三尾と内田からの寿司一重を持参。これは後ほど内田の隠居と奥方や久野らが来ると言うことで掃除して待っていたら夕方に来たので寿司や魚で酒を出した。味醂を取り寄せる。主人はそこいらへ行きあわびを買うだけで12時頃帰ってきた。雄輔は昼頃に善之助主と一緒に栗山へ行くはずで出かけたが一平太方に寄ったら善之助主が来ていたので連れ立って富永会に行ったそうだ。栗山ではおおいに接待されたようだ。四月晦日

  • 四月二十九日

    四月二十九日大いに晴れる。暑い。守谷から内祝いの柏餅を送ってきた。松下八百輔も持参した。さて、昨日の八時頃、安藤殿が江戸を出立したそうだ。とても立派だという。昨夕、榎本半助、野沢次郎右衛門らは中村九郎兵衛宅で仰せつけられる。「其方、不心得の義有りにつきお役召しはなし。刑は両人共に小普請を仰せられる。渥美は同じくにて隠居を仰せられた。家督は(名は忘れたり)1300石を500石と仰せられる。ほかにもあったが詳細は不明。宮崎もなんとかなる様子。主人は2時過ぎから岡野へ行く。行きがけに市川へ向かい二朱と羊羹一箱を持参した。これは、先年に御天守で活字判摺立ての時に、日勤しおる時に毎日使用したケヤキの枠をいただいたのだが、置きっ放しにしていたので底をつけて梅の絵と彫り物を梅庵へくれてやれよと言い渡したそうだ。八匁二分八厘を...四月二十九日

  • 四月二十八日

    四月二十八日快晴する。二時頃、親子(主人と雄輔)連れだって学校へ行く。母君は朝、鷺の森へお参りし、お金の家に行く。お金はすぐに来て夕方に帰る。風呂を焚く。四月二十八日

  • 四月二十七日

    四月二十七日今日も雄輔が三浦へ勉強の断りに行く。為之助を連れて行った。主人は、明日、同僚の松江灯籠堂あたりで集会があるらしい。しかい、片頬の腫れが引かないので中止の相談だ学校まで行った。昨日は学校当番だった。浅之助に頼まれた四つ切りの書画を持って行く。松の詩と菊の画だ。本人はお役者の某…名前を忘れた。畑屋敷平七が何も食べないとのこと。夕方に清吉の妻が来た。遅れて清吉も。寿司をとり酒を出す。松魯の詩集を幾冊も持参していた。主人は大いに酔って帰ってきた。四月二十七日

  • 四月二十五日、二十六日

    四月二十五日快晴。主人は頭痛がするというので薬屋で風邪薬を三服とる。会があって富永、栗山、山本が来る。酒を出し夕方に帰った。四月二十六日大いに快晴する。真善が今日の会を断りに来た。主主人も頬が腫れているので断りに千太郎を行かせた後に真善が来たのだ。夜に内田から使いが来て初幟祝儀の寿司一重を持参。皆で食べる。虎之丞は家へ帰って居らず、雄輔は野呂宅へ行って留守。四月二十五日、二十六日

  • 四月二十四日

    四月二十四日大いに快晴する。主人は岡野へ行ったが、四時頃から少々気分が悪くなったらしい。内田から祝い餅を送ってきた。久野はさっぱりとしてなかなかいい。京都への書状を送るについて清吉に手紙をやるが返事がない。雲蓋院の隠居が病死したのでこれから出かけるとのこと。漬けた真菜を少々送った。四月二十四日

  • 四月二十三日

    四月二十三日快晴。昼前から雄輔、虎之丞、為之助が高野御寺へ参詣。夏目楠蔵も誘った。酒一升を取り寄せて瓢箪に入れて持参したが、瓢箪の紐が切れて割れたらしい。慈光寺で介石の画会があるのでそれにも行ってみる筈が道が違いいけなかったようだ。桃井隼人がきた。酒券一枚持参。夕方、楠蔵が玉子を九つくれた。貴志の隠居がついに病死の由、提灯を出す。岡崎長屋の子供を長にやとい30文渡す。主人は彦坂へ行く約束だったが断った。お金が来て帯の代金三渡した。四月二十三日

  • 今年の運勢?

    近所の氏神さまの境内に立っていました。参考になるでしょうか。今年の運勢?

  • 四月二十二日

    四月二十二日晴朝の内に小雨が降った。主人は三浦公の所に行く予定だったが、飛騨守が来られていて稽古はなし。帰りがけに深津によって酒を出されたそうだ。出口から使いが来て柏餅をもらう。内田からは麦粉と梅漬けが届いた。四月二十二日

  • 四月二十一日

    四月二十一日まあまあの天気。今日は八幡神社で馬駆けがあるとのこと。しかし詳細がわからないので、まず4時過ぎから虎之丞と為之助らが行った。が、雨が降り出しこよし宅で傘を借りてきた。安兵衞は大師へ参るそうだ。出口は田中へくらかけ一つ返しに行く。これも同時に帰る。そこらまで傘を持っていきじきに帰る。主人も久しぶりに無沙汰で村井多右衛門宅へ行き雨具を借りて夕方に帰る。8時頃、市川梅庵、野口三伯、三木俊庵らがきた。梅庵は頼んでおいた盆に彫り物して持参した。酒や取口を取り寄せる。誰かが持参したさまつ(早松茸)2本を吸い物にして出した。四月二十一日

  • 四月二十日

    四月二十日朝から浅之助に頼まれた合作を四枚全紙に絵を描く。左氏の会に10名ばかりきた。主人は二日酔いで気分が悪いようだ。早々に廻状が来たので岩橋へ回す。23日から150回ご法事のこと。火の手元がぶれて御名を忘れてしまった。四月二十日

  • 四月十九日

    四月十九日学校当番で主人は出て行く。風呂を焚く。いさが2時頃から出口の内田へ久野の見舞い。筍を五、六本づつ分けた。和田安太郎がタコを三つ持参。それを夏目へ送り本を返した。京都の前田から書状がくる。主人は岩橋に行く。西川へ礼に行く。辻野へも行き善之助も来て一緒に酒を吞んだそうだ。提灯を借りて10時過ぎ帰宅。安兵衞はいっときばかり働く。夜、浅之助が来た。合作を持参したが、これは江戸の人に渡すので明日の10時頃までに書いてくれとのこと。四月十九日

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