山道の途中にある踏切。青海川を挟んで採石場と工場を結ぶ専用鉄道。青海駅とも繋がっていた山間の輸送網。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
電気機関車が廃車になった1986年、同時期に開業した日光線の杉戸高野台駅。もう動かない錆び付いた運転台の先には、地下鉄へ直通する銀色の車体。
杉戸高野台駅近くの公園に置かれたED5020と車掌車ヨ126。蒸気機関車が全廃される前後に量産された私鉄向けD級電気機関車。 ガラスは板で塞がれ、パンタグラフも壊れているもの…
東武動物公園駅近く、役場の公園で保存されている蒸気機関車40号機。1966年の電化完成まで都内の入換でも明治中期の古典機が活躍。専用線まで電化されたため、ディーゼル機関車で…
途切れた側線、新設された跨線橋。駅の変化から取り残されたホームの水道。 今はまだ変化の途上にある東武動物公園駅。
歴史ある通勤電車が到着。8500系が乗り入れた頃には再開発が始まっていた東武動物公園駅。
新設された南栗橋車両管区に出入りする回送電車が通過。野田線用に装いを変えた10030系。
半蔵門線乗り入れ後も続く日比谷線乗り入れ。世代交代が進んだ各駅停車の旅路。
外されたレール部品の横を通る、乗り入れてきた半蔵門線8000系。東武動物公園駅の移り変わり。
再開発で造られた駅前広場。奥で途切れた跨線橋は杉戸工場を跨いでいた西口の跡。変わりゆく鉄道の街を象徴するように設置された線路のオブジェ。
分断された側線。草に埋もれた側線。各線の貨物列車に都合の良い位置だった杉戸機関区。もう消えてしまった電気機関車。
駅の横に広がる草原。杉戸工場の建屋やレールは全て消えて、再開発まで束の間のやすらぎ。
駅の西側に残る側線。電気機関車の拠点だった杉戸機関区は貨物輸送の減少で移転。長い歴史を持っていた杉戸工場も車両整備が車両基地に統合されて廃止。今は日光線の分岐点がある…
1899年に開通した東武鉄道は北千住・久喜間のみの地方鉄道でしたが、1947年までに数多の会社を吸収し続けて巨大化。そんな東武鉄道の要衝として開業した伊勢崎線の杉戸駅は、観光…
林になった敷地。この辺りには他の要衝と同じように転車台が民営化後まで残っていました。上越線は1947年に全線電化しており、蒸気機関車の出番は早い段階でなくなりましたが、除…
石打駅から少し北にあるガード橋。引上げ線は貨物入換用を兼ねていたので坂になっており、手前の本線と段違い。引上げ線の末端が川にかかるので、珍しい行き止まりのガード橋が造…
石打駅の外側にある、車庫として重宝されている雪国の検修庫。分断された線路が放置された広い敷地は、貨物輸送が縮小された国鉄末期の主要駅に似ていて、何とも言えない侘しさを…
敷地がほとんど草に埋もれている石打駅。かつては補機で使われていた電気機関車と越後湯沢駅を発着する電車の駐泊で忙しく、10本以上の側線が並んでいましたが、今あるのは電車用…
越後中里・越後湯沢・石打とスキー場最寄り駅が並んでいる上越線。首都圏からスキー臨時列車も運行され、風雪除けのついた改札から多くの人が降り立った石打駅。
上越新幹線開通で特急ときがなくなった頃から使われなくなった1番線。長らく放置されていたレールが撤去され、場所はあっても使い道がない虚ろな空間。
長距離列車にも対応していた長いホーム。優等列車もなくなり、通過する北越急行方面の単行快速には大きすぎる駅。
使われなくなって草に埋もれた側線が残る石打駅。水上駅との間で補機の連結が行われていた上越線の要衝で、EF58・EF15・EF65がEF16・EF64と重連で客車急行や貨物列車を引いてやっ…
緑を背に。雪国の夏。
北越急行用に0番線が造られた一方で、使われなくなった4番線。特急も急行もやって来ない上越線。
上越新幹線開通前から雪国の駅を支えてきた古レール。かつて181系や165系が発着していた長いホーム。
国鉄車が消えた越後湯沢駅。115系よりも前、吊り掛け駆動の旧型電車で使われていた塗装をイメージしたラインカラー。
中川を渡るスカイライナー。先代のスカイライナーは地下鉄乗り入れを計画していましたが、実現しないまま姿を消しました。押上線には入らない、今の白い特急車。
中川橋梁の脇にある途切れた高架橋。京浜急行からの乗り入れは一部が青砥駅止まりで、3階から2階へ降りる独特な折り返し線が使われています。
街の頭上にある重層構造の青砥駅。京成本線と押上線が合流し、上りは2階、下りは3階。北総開発鉄道の接続が決まっていたため、過密状態だった青砥・京成高砂間の改良工事が1986年…
錆び付いた架線柱の隣には諏訪神社。いつか終わりが来る下町の一コマ。
複数の私鉄が接続するため、使われる電車も様々な意匠。対照的にかつての姿を留めてきた京成立石駅。
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山道の途中にある踏切。青海川を挟んで採石場と工場を結ぶ専用鉄道。青海駅とも繋がっていた山間の輸送網。
駅の南、青海川沿いに広がる電気化学工業青海工場。専用線の跡は鬱蒼とした草の中。
セメント・石灰石輸送に特化していたため、貨物輸送の終了がそのまま駅の機能を止めてしまいました。左に曲がっていたのは、既に線路がない電気化学工業の専用線。
幅広い架線柱ですが既に架線は撤去済み。大きな駅に市街地のような橋上駅舎。貨物列車の発着は無くなり、ホームも1本しか使われなくなってしまいました。
草に埋もれて広々とした駅、通過する国鉄生まれの電車。糸魚川駅とともに地域産業の拠点だった青海駅。
新潟県内を結ぶ観光列車。変わり続ける北陸本線。
終点の糸魚川駅へ到着する大糸線キハ120-354。キハ52に替わって姫川沿いを走る軽快車。 1915年に開業した信濃鉄道が松本盆地北端の大町まで到達、ここから糸魚川に向かうので…
糸魚川駅のすぐ近く、小学校で保存されてきたC12-88。学校内に置かれていたものが整備されて公園に。大糸線の歴史を物語る小さな蒸気機関車は、貨物施設が無くなって目…
糸魚川駅の下には資料館と観光施設。入口に飾られた小型蒸気機関車は明星セメント専用線の分岐点近くから北に向かっていた東洋活性白土の専用鉄道で1982年の廃止まで使われた…
新幹線の高架橋が造られて大きく変わった糸魚川駅。出口がなかった南側、貨車が並んでいた側線は無くなり、機関庫の壁が復元された駅前。 国鉄の代表的な一般形気動…
糸魚川駅から西へ、大糸線に続いて南に分かれていた明星セメント専用線。田園を横切る築堤にはもう繋がっていないレールが残されたまま。
新幹線が開通した後も以前の雰囲気を残している糸魚川駅西側。交流60Hz区間の北限で、交流機EF70が国鉄末期まで活躍していた北陸本線の拠点。デッドセクションに向けてパンタグラ…
フォッサマグナの北側、山に囲まれた糸魚川駅。急峻な北陸本線沿線で新潟県に入って最初の大きな街。この先にある交直デッドセクションを通過する関係で、新たに導入された車両は…
荷物電車クモニ143から牽引車に改造されたクモヤ143-52。 荷物電車には吊り掛け駆動の旧型電車に新製車体を組み合わせた改…
篠ノ井線経由で貨物列車を引いてやって来たEF64-1027。勾配用電気機関車EF62やEF64-0番台が歩んだ道を支えてきたEF64-1000番台にも交代の時が迫って来ました。
地方線近代化で身延線に115系と共に導入された郵便・荷物電車クモユニ143-1。登場があまりに遅く、国鉄末期に生ま…
高架下を走る115系。北陸新幹線が造られた後も信州で第二の人生を歩んでいる近郊形電車。
長野工場で入換を続けてきた小型ディーゼル機関車DD16-11。余剰化したDD16を工場の入換機に使う動きは国鉄末期からありましたが、11号機は現代まで稼働し続けてきた小さ…
最後まで残った石油輸送は奥にあった油槽所へ。北館林荷扱所から分かれていた専用線は更地に変わりましたが、工業団地は貨物輸送廃止時よりもむしろ拡大。旺盛な需要の隣、物を言…
専用線がなくなって、貨物駅だけが残された北館林荷扱所。東武鉄道で最後の貨物輸送があった拠点に並ぶ、行き場を無くした電車。
東武鉄道が蒸気機関車の運転で使う客車よりも早く旧型客車のような塗装を採用。北の大地に残ったスハフ14-507。
国鉄時代は札幌運転区の所属。民営化後に道内の寝台急行がなくなって函館運転所、さらに旭川運転所へ。急行列車がなくなった頃、再び函館駅へとやってきたオハ14-526。
有蓋車の代用で蒸気機関車の部品を運んだ長物車チキ6366。コンテナ車から長物車に改造された後、再びコンテナを積む事になっ…
イベント用で残っていた車掌車ヨ4647。展望デッキのような使われ方をしていた黒い二軸車。
函館駅のオハ14-519。特急電車に似た車体構造の客車は流転の末に旧型客車の塗装で。
寝台急行「はまなす」廃止で廃車が進んだ中、それよりも前に蒸気機関車運転用に改造されて残ったスハフ14-505。函館駅に止まるあずき色。
旧型客車淘汰と鉄道縮小の狭間に生まれた普通列車用50系の北海道仕様51形客車。ディーゼルカーに改造される車両が多い中…
広大な北の鉄路に砂利散布を続けてきたホッパ車ホキ881。古き伝統を感じさせる黒い貨車。
函館駅に隣接する函館運転所はいつしか運輸所に名を変えて。電車・気動車・客車・貨車が詰め込まれた港町。
対岸の青森駅と同様に連絡船が保存された函館駅。函館山が見下ろす、もう使われていない岸壁の摩周丸。
あおなみ線はさらに南、廃線跡ではない新規の用地を通って金城埠頭へ。工業地帯の中、貨物列車が通らない高架橋。
野跡駅から南へ向かう高架橋。北側は高度成長期の頃から団地でしたが、駅が出来たのは半世紀も後の事。ここから南側は再び工業地帯の様相で、西名古屋港駅から分かれた貨物線はこの辺りで道路…
西名古屋港駅跡を離れたあおなみ線はさらに先へ。稲永東公園の南側にある入江の築堤は西名古屋港駅から西へ分かれていた貨物線の跡で、車両基地への分岐点から先の高架橋もここまでと同じく廃…
歩道部分に残る斜め踏切の跡と専用線のゲート。再開発が進む埋立地に残る、数少ない記憶。
割と新しい強固なコンクリート舗装の道路。斜めに曲がった側溝はかつて踏切があった頃の名残。
西名古屋港駅から南の埠頭へ斜め踏切が3箇所連続していた道路。現代でも石炭埠頭は操業中ですが当時を偲ぶ物は少なくなりました。
西名古屋港駅の跡地を再利用して造られた名古屋臨海高速鉄道の車庫。民営化後も残った貨物駅の西名古屋港駅でしたがコンテナ扱いがなく、コンテナが積まれた港との関わりは段々と失われていき…
車両基地へ降りる高架橋が分かれて地上へ。西名古屋港線の終点、貨物駅の西名古屋港駅があった場所。埋立地が拡大したりしたものの、倉庫の佇まいなど周囲はそれほど変わっていません。
あおなみ線の電車が荒子川公園駅へ。荒子川公園は運河が荒子川に合流する予定地だった場所で、2km東にある名古屋港線が橋を渡っていた港北運河の延長。戦後に建設が始まった運河は先に造られ…
荒子川のガード橋は西名古屋港線のもの。1950年の開通時は周辺に農地が広がっていました。