京葉線が地下を通っているせいか、開発が進まなかった廃線跡。専用線が繋がっていたタンク施設はマンションに変貌。貨車入換用の引上げ線に挟まれていた豊洲方面への線路だけが取…
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
通路側は元の窓配置だった、のびのびカーペットのオハ14-512。片方のドアが埋められて、用途の割に大がかりだった改造車。
のびのびカーペットに改造されたオハ14-515。2段化で特徴的な窓配置になり、座席扱いなので指定席よりも人気でした。
夜の札幌駅で出発を待つオハ14-508。長距離列車の最終でもあった寝台急行「はまなす」の出発は22時過ぎ。人が減った駅に響いていた…
中 中間の自由席スハフ14-551。床下電源のあるスハフ14は自由席に設定されていたため、自由席は指定席を挟んで分散し…
自由席としてほとんど原型で保たれていたオハ14-535。折戸から引戸に改造された500番台が北海道に渡り、急行で使われていた旧型客車…
中間に組み込まれたスハフ14-557。床下電源のないオハフ15を電源搭載改造した550番台。30年余りの歳月を北海道で過ご…
寝台急行「はまなす」の指定席はドリームカーが標準。青森往復を支えた座席車オハ14-507。
札幌駅に止まる座席車スハフ14-502。床下に電源を積んだスハフ14の比率は本州より高く設定されており、中間に組み込…
夕方に札幌駅を出発する寝台特急に対して、寝台急行「はまなす」は夜の出発。夜の駅にエンジン音を響かせていたDD51-1140。
北の大地、客車の前にはいつもあった青い姿。札幌駅で出発を待つ、DD51-1093。
本線系統がステンレス車に置き換わった後も8000系で残る亀戸線。地下鉄へ直通する10両編成と対照的な2両編成。
東武伊勢崎線・亀戸線・京成押上線の三角地帯に残る錆びた鉄橋。
曳舟駅に到着した東急8500系。 浅草駅へ入れない10両編成は曳舟駅や業平橋駅で折り返しとなっていましたが、地下鉄半蔵門線接続後は直通する急行に統一。曳舟駅では浅草行の各…
浅草方面・押上方面の分岐点に変わった曳舟駅。駅の片隅に亀戸線が到着。創成期の短期間に本線だった亀戸線ですが、2両編成のみで直通運転もなく、曳舟駅へ来てはすぐに折り返し…
入り組んだ高架橋を通る区間急行。業平橋駅からシンプルな複線で坂を上っていたのは昔。業平橋駅の端に位置する押上駅から地上へ出る線路が新設されて、大きく変わった曳舟駅。
地下鉄半蔵門線の押上駅ではホーム外側2本が東武伊勢崎線直通用で、内側2本は折り返し用。住吉駅に有楽町線への延伸計画があったように、押上駅も千葉県北部への延伸計画が存在。…
6+4両となっている伊勢崎線用30000系。東上線用は10両固定なので、運転台が向き合うのは少数派の伊勢崎線用のみ。固定編成ばかりとなった地下鉄では珍しくなった、貫通路で繋がっ…
新しいホームドア、両側には一時代前のステンレス車体。
割と新しい押上駅。止まっているのは半蔵門線とともに生まれた東急8500系。
彼方から轟音が響く単線シールド。東武伊勢崎線への直通用に延伸された半蔵門線。
石炭産業が終焉し、交替で始まった蒸気機関車の保存運転。北海道の鉄道とともに生まれ、100年の歳月を歩んだ幌内駅。
幌内駅の先へ続く線路。民営化直後に幌内線が廃止されるまで、石炭車が通っていたガード橋。
炭鉱の駅で保存されている石炭車セキ6657。 セキ6000は代表的な石炭車セキ3000を台車改造したタイプ。元は道外で幹線を通…
整備されて綺麗になった有蓋車ワム66172。1961年から製造されたプレス構造と全溶接のワム60000。1962年には17t積に…
90年前の三等荷物合造車オハニ30から改造された救援車スエ30-41。戦前の旧型客車は木造から鋼製車体へ、17mから20mへ、明かり窓のあるダブ…
操重車ソ81と随伴用長物車チキ6147。 操重車は資材を積んだ客車改造の救援車と組んで列車事故の復旧に備えていました。65t対応のソ80は代表的な操重車…
北国のラッセル除雪車キ274。蒸気機関車の時代が終わった後もディーゼル機関車の後押しで活用されていました。
国鉄末期に登場した郵便荷物合造車スユニ50-505。 客車急行に併結する旧型荷物車が老朽化したため、新製荷物車マニ50…
原色で残る急行型気動車キハ56-16。まだ東海道新幹線も開通していない1961年から急行で使われた北海道用2機関型の初期型。北海道では最…
原色で残る急行型気動車キハ27-23。 本州のキハ58よりも早い1960年から製造開始の北海道用1機関型。最盛期には10両以上の長編成で急行…
特急型気動車の食堂車キシ80-31を再利用した軽食堂。
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京葉線が地下を通っているせいか、開発が進まなかった廃線跡。専用線が繋がっていたタンク施設はマンションに変貌。貨車入換用の引上げ線に挟まれていた豊洲方面への線路だけが取…
京葉線の地上出口が建設されたのは貨車の検修庫があった場所。貨物輸送があった頃の面影はほとんど見られなくなった住宅地。
汐見運河に浮かんでいた材木は姿を消し、貨車の姿もなくなってディーゼルカーが止まっているだけ。岸壁に面した越中島貨物駅の今。
今はもうやって来ないEF64-1027。勾配用の国鉄機が広く走り回っていた頃。
新小岩駅の横を通って機回しするEF65-2091。貨物列車の折り返しが続く街。
都心に残っていたディーゼル機関車の舞台。国鉄時代には北の大地にいたDE10-1704。
新小岩信号場の景色。待機していたDE10も今は懐かしく。
特急電車485系の姿が印象的だった東北本線。東北新幹線開通から歳月を経て、電車の姿が変わっても花は咲き続けています。
東北路を北上し続けるEH500-63。桜前線を追い越した貨物列車が札幌貨物ターミナル駅に着くのはずっと後。
花に彩られた船岡城址。急行型や寝台特急電車581系改造車など、様々な国鉄電車で運転されていた仙台近郊の普通列車。今使われているのは民営化後のステンレス車のみ。
重連のED75に代わって東北本線を駆け抜けるEH500-78。静かに咲き誇る桜の花。
桜に彩られた東北本線。交流電気機関車ED71-37が保存されている船岡駅。
何も来なくなって久しい昭和町駅。建物の張り出し屋根がタンク車の荷役設備だった場所。もう、私有タンク車の存在すらも消えてしまった工業地帯の片隅で。
草に埋もれたレール。錆び付いた転轍機。パイプラインの横で眠り続ける線路。
静かな港に埋もれた線路。途切れた先に続く昭和町線。
化成品を運ぶタンク車が消えて、閉じられたままのゲート。荷役設備を避けて右側を通る線路が昭和町線。後に敷地内の線路が撤去されたため、再開出来なくなってしまいました。
名古屋臨海鉄道の東港駅から西へ伸びる支線。昭和町線は専用線と一体で東亜合成の敷地を通り抜けています。
現役なのか廃線なのかもわからない線路。分断された箇所もあり、すぐに再開は出来ないようです。
名古屋臨海鉄道の東港駅から南西へ伸びる支線。汐見線は湾の中央にある埋立地へ向かう貨物線でしたが開店休業。石油・自動車輸送の需要がありましたが、何も運行されていません。
東名古屋港駅を過ぎると非電化の貨物線に。左の駐車場は倉庫街だった場所で、多くの有蓋車が並んでいた側線跡。周辺の専用線も早くに姿を消し、ほとんど跡が残っていません。 …
劇的な変化を物語る新鶴見機関区の新顔EF210-343。EF65・EF66を淘汰し始めた勾配補機。
花筏の見沼代用水西縁を越えて。晴れた日のEF65-2080。
開発が規制された芝川河川敷ならではの広い空。音を響かせる貨物列車。
段々と希少になっていく私有貨車。春を迎えた石油以外を運ぶタンク車。
コブシの咲き誇る公園。鮮やかなアクセントのEH500-33。
桜が咲き始めた武蔵野線。開けた河川敷を駆けるEF210-163。
1910年開業の東京砂利鉄道に続いて、1917年に開業した多摩鉄道。東京砂利鉄道は国鉄に買収されて下河原線に、多摩鉄道は西武鉄道に買収されて多摩川線に。多摩川の砂利採取が終了…
宅地化が進んだ沿線。残された数少ない原風景。
中央本線の武蔵境駅から分岐する西武鉄道の多摩川線。他の西武鉄道と接続せず、3扉車が残る短い支線。
中央本線と並ぶ国分寺線に対して、国分寺駅の北口に直交する多摩湖線の国分寺駅。かつての駅は左の雑居ビル裏手を曲がって奥のマンション部分にありましたが、国分寺駅の再開発に…
国分寺線の東側を平行する多摩湖線。所沢方面へ北上する川越鉄道を乗り越し、西へ向かう多摩湖鉄道が由来。池袋線となる武蔵野鉄道と合併した後、川越鉄道を中心に成立した西武鉄…
支線でも少しずつ進む世代交代。今の主役は4扉の通勤型。
1973年に国鉄の武蔵野線が開通して新秋津駅経由に変わる以前、貨物列車の連絡経路だった国分寺線。F級電気機関車E851型も通っていた緑の道。
中央本線の国有化前、甲武鉄道と川越鉄道の頃から接続していた国分寺駅の線路は既に分断。短編成の電車が区間運転している国分寺線。
中央本線と並ぶ西武鉄道の国分寺駅。新宿線から国分寺駅へ向かう支線のような国分寺線ですが、川越鉄道が1894年に開通させた西武鉄道で最も古い路線です。
南千住駅で常磐線に入った貨物列車はすぐに隅田川へ。武蔵野線開通で新宿駅を通らなくなった中央本線の貨物列車。工場が消えて団地に変わった街を今日も。
隅田川駅の隅で使われなくなった線路。様々な貨物用に一通り揃っていた設備は次々と消えて、コンテナホームだけになってしまった貨物駅の裏側。
隅田川駅の折返線から出発するEH200-15。南松本駅までは7時間の道のり。
すっかり景色が変わった隅田川駅。タワーマンションがなかった頃から各地を渡り歩いてきたEF65-2057。
次々と進む、貨車の入換と機関車の交代。夕暮れ時のEH500-60。