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元36万双の日記 http://ex36man.blog.fc2.com/

元統一教会信者(36万双)の回想録です。離教後の新しい生き方についても書いていきます。

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2016/01/22

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  • アダムの気質

    アダムの気質マーク・トウェインに、『アダムとイヴの日記』という、一風変わった作品がある。アダムとイヴ、交互の日記の体裁なのだが、二人の関係は自由で、西洋的な雰囲気を感じさせるものだ。エデンの園でのイヴはまるで植物学者のように描かれていて、「彼女を納得させるものがあるとすれば、それは実物教育だけだ。実証されていないような理論は、彼女の性(しょう)にはあわないのだ。」と、じつに活発に行動している。アダ...

  • アダムの見た世界(「二元論の原罪」)

    アダムの見た世界(「二元論の原罪」)エデンの園には木が生えていたのだから、時々雨も降ったのだろう。その時、偶然雨粒がアダムの眼に入ったなら、眼球が水滴で滲み、今まで見ていた景色が少し歪んで見えたはずである。アダムはその瞬間どう思ったのだろう、景色そのものが歪んでしまった、と驚いただろうか?それともこれは見間違い、あるいは錯覚であると冷静に考えたのだろうか……。この問いを創造原理的に考えてみたいと思う...

  • 期間限定の摂理(名称変更の本当の理由)

    期間限定の摂理(名称変更の本当の理由)狂言に「附子(ぶす)」という演目がある。 用事で外出する主人が、太郎冠者と次郎冠者に留守番を言いつける。主人は二人に、桶にはたいへんな猛毒である「附子(ぶす)」が入っているから決して近づいてはならない、と釘を刺して出かけていく。なにしろ附子のほうから吹く風にあたっても死んでしまうくらいの猛毒だというのである。最初おびえていた二人だが、好奇心に負けてふたを開け、...

  • 二性性相と甘エビと、LGBT

    二性性相と甘エビと、LGBT甘エビの寿命は約10年であるが、生まれてから3年ほどは性別が存在せず、4年目に「オス」になり、そして、メスと交尾した「オス」は5年目~6年目から今度は「メス」として生きる。性転換するのである。これは自然現象であり、当たり前だが、べつに甘エビが堕落しているわけでもない。 スピノザの『エチカ』の定理すべて在るものは神の内にある、そして神なしには何ものも在りえずまた考えられえない(...

  • 「原理」の確実性の問題

    「原理」の確実性の問題「今、自分が「現実」と思っているものは、じつは「夢」なのではないか」── 近代哲学の父といわれるルネ・デカルト(1596-1650)は、この世界の「最初の土台」となる絶対確実な真理を求め、ありとあらゆるものを方法的懐疑の櫛にかけてゆく、最初に自分の感覚を疑い、そして次に見ている「現実」もそのように疑っていったのである。そして、これはよく知られていることだが、デカルトの懐疑は佳境に入ると...

  • 原理の神はいらない

    原理の神はいらない神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。(『原理講論』第一章創造原理1‐1)(原理本体論では神は男性格主体凸?)「人間は、あくまでも論理的であると同時に、実証的なもの、すなわち科学的なものでなければ、真に認識するという...

  • 呪いの説教

    呪いの説教自分について多くを語ることは、自分を隠す一つの手段となり得る。(ニーチェ『善悪の彼岸』)内田樹氏(現代思想)の著書『子どもは判ってくれない』に、ハラスメントの問題を扱う章(第三章大人の作法)があるのだが、最初ハラスメントについて考察していたものが次第に「呪い」についての考察へとつながっていくという、意外な展開になっていて、おもしろい。わたしなどは最初これを読んで、すぐに文鮮明のあの長たら...

  • 太極旗柄の眼鏡

    哲人の中のだれが我々の苦悶を最終的に解決してくれたであろうか。聖賢の中のだれが人生と宇宙の根本問題を解決し、我々の歩むべき道を明確に示してくれたであろうか。彼らが提示した主義や思想は、むしろ我々が解決して歩まなければならない種々様々の懐疑と、数多くの課題とを提起したにすぎなかったのである。(『原理講論』総序)読む度思っていたが、この「我々」とは一体誰を指すのだろう。抽象的な人生の真実を求める人、苦...

  • 世界は矛盾があって、生成される。

    たとえば光。よく知られているように、光そのものは光らない。光ってみえるのは、光を反射するモノあってのことだ。光ることは、光をとりまく環境の二次的帰結ではあっても、光そのものの特性でも本質でもない。だから、さえぎるものひとつない空間に光を投射してみても、黒い線分が虚空を駆けるだけである。たとえば真空の宇宙空間。太陽級の星がゴロゴロしているのに、宇宙は漆黒の闇夜である。つまり、光は見えない。光そのもの...

  • 統一原理は功利主義である

    統一原理には、(倫理面では)功利主義の傾向がはっきりとある。功利とは快を求め、苦を避ける人間の性向のことで、それは総序冒頭で、「人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている」と、言ってる通りである。功利主義とはこれを価値の原理とする思想のことである。功利主義の究極目標は幸福であり、その功利主義を代表するベンサム(法学者、倫理学者1748-1832)の思想では、幸福は欲望(...

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