明治後期、東京大相撲は「梅・常陸時代」で江戸期寛政の「谷風・小野川対立」以来の“興隆”…にも拘らず、力士たちの「待遇改善」は、“東洋一の大鉄傘”たる國技館建設の「債務処理」が済んでいないため充分に出来なかった。では、102年前の大正十二年勃発の紛擾である「三河島事件」の要因はなんだろう…?ずっと以前から脳裡にあるのは、大正十一年六月十九日の“巨星墮つ”━「角聖」やら「御大」と尊称される元横綱常陸山の出羽海谷右衞門が満48歳5箇月の働き盛りで急逝してしまった。この不幸が三河島事件の“遠因”で間違いあるまい。即ち、角界一の権力者たる彼、出羽海は、出羽海部屋は無論のこと、出羽海一門━否、東京大角力協會全体を“支配”していて実際、「不満分子」を無言の圧力でおさえつけていたわけ。因みに、横綱大錦卯一郎が突如廃業した...巨星墮ちて半年後「三河島事件」