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相撲史に関心・興味のある方どうぞ https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948

江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。

 去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。

相撲史研究者・田中 健
フォロー
住所
長崎市
出身
長崎市
ブログ村参加

2015/12/21

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  • 江戸期、横綱・大関の初顔15番

    昭和以降の記録を専門とする元N銀行員M氏が珍しく江戸寶暦年間から「異色調査」を『大相撲』誌へ…━題して「横綱・大関の初顔…」また、他人の受売りで恐縮だが、寶暦~幕末の記録を転載してみたい。寶暦14・3⑧大童子━大綱明和1・10⑧大灘━都嶋〃2・3⑧都嶋━大嶋〃4・10⑨冨士ヶ嶽━大海〃5・11⑧岩根山━大矢嶋〃6・4⑧達ヶ関━生駒山〃6・11⑧東森━達ヶ関安永1・11⑧不動堂━恵蘇ヶ嶽〃3・4⑧駒ヶ嶽━比良山〃4・10⑨虹ヶ嶽━大木戸註=達ヶ関は後横綱谷風。天明6・3⑩谷風━白滝〃8・11⑩九紋龍━筑紫泻寛政10・10⑧雷電━木幡山文化10・11⑩鳳━鉄石安政5・1⑨雲龍━猪王山江戸時代は以上15番であった。明治以降については、後日の機会に…。江戸期、横綱・大関の初顔15番

  • “大頭”(おおがしら)出羽ノ花

    ※昨日までのトータル訪問者数1,013,029大正十年夏場所、東幕下筆頭出羽ノ花〔後武蔵川理事長の“先代”〕●小田ノ山(幕下6)や●青葉山(幕下3)や●潮ヶ濵(幕下12)=後幕内や●太刀錦(幕下16)や●眞砂岩(十両12)や5番相撲の相手も同成績の4戦全敗の星で対戦。尚、この出羽ノ花は関取になれなかった。“大頭”(おおがしら)出羽ノ花

  • 藤原銀次郎の『力士雷電』

    昨日づけS紙『南と北の島物語━樺太と南洋統治』に「藤原銀次郎」なる人物名が眼についた。手許の日本人名事典に拠れば、明治二年生れで昭和三五年歿。大正・昭和期の実業家・政治家。明治末期に王子製紙の最高首脳、昭和八年、富士製紙と樺太工業を合併、洋紙業の独占的地位に…。昭和十八年、東條内閣の国務相に就いた。昭和十三年、“同郷”の誼を以て『力士雷電』を自費出版の非売品を……。でも、フィクションの講談ネタを記載したりで、あんまり価値はないみたい。門外漢だから致し方ありませんな。雷電爲右エ門と云えば、幕末の元横綱陣幕が別人の絵を雷電の錦絵として出版している。彼は、元大関大内山とか最近逝ったアントニオ猪木の如く、顎が長い容貌だったはず。藤原銀次郎の『力士雷電』

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日の閲覧…447・訪問者…254トータル訪問者数1,012,824百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行の天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 幕内最多勝利数の軌跡 その159

    天保十五(1844)年春場所。昨冬まで111勝で首位独走の関脇武隈(元大関湖東山)は、もう勝越すだけの力は低下したのか…3勝3敗2預りの星━入幕以来の通算勝利数は114勝を記録した。彼を追っている大関5場所めの劔山(←鰐石)は、序盤戦を休んで〔理由不明〕、四日目から出場、3勝1敗1引分けの成績で、通算白星は91勝止り━“二桁”の大台へ到達するのはいつのことやら…見当もつかない。尚、当場所も欠場力士が続出し、幕内力士24名中、九日目まで「皆勤」はひとりもいない。尤も、東小結の鏡岩や西関脇の岩見泻は「1休」なので、現代の如く「不戦勝」制があれば、実質的な皆勤と思われる。幕内最多勝利数の軌跡その159

  • 105年前の相撲記事から

    ※昨日までのトータル訪問者数1,012,570拙稿「大正期の新聞記事から」は、大正8.5.21づけ『東京日日新聞』の転載が終って、大正7.5.24づけ『國民新聞』の相撲記事を採りあげて…。それから一部分を抜萃━。錦島が彼の偉大な體格と非凡の力量を持ちながら兎角捗々しい成績の揚らぬのは柄にもない小器用な相撲を取つて樂に勝たうとする飛んだ穿き違へで〔後略〕年寄名錦嶋とは元関脇の大蛇泻粂藏のことである。平成・令和の現代力士だってさ、「楽に勝とうとする」相撲がすくなくないね。105年前の相撲記事から

  • 187年前、3大関が出現

    133年前の明治二十三年夏…と、云えば「横綱」の名称が初めて本場所の番附に記載━東方欄外の「西ノ海」だが、このとき大関も定員枠を超えて3名━東に小錦、西に大鳴門、西張出に劔山。でも、実質的な「3大関」は、既に江戸時代に出現していたのである。187年前の天保七年冬場所、東方の大関が小柳(→手柄山→湖東山)、西方は追手風(←黒柳)、そして番附に記載されてないが、横綱免許の稲妻が「大関格」として番附外で出場している。187年前、3大関が出現

  • 266年め「大関消滅」の危機?!

    ※昨日の閲覧…575・訪問者…273トータル訪問者数1,012,352吾輩が大相撲担当記者だったら、春…千穐楽打出し直後、相撲協会幹部━理事長や審判部長に“直質”したい。もし、夏…に「角番」貴景勝が負越し〔この場合、初日から7連勝し中日から休場━不戦勝制確立前とちがい、「や」は「●」と同一視される。〕大関から陥落が確定し、初11勝・春12勝の霧馬山が9勝止りで終った場合、「大関零」の番附をつくるのか━と。119年前の明治三十七年春、史上初めて東西「大関」皆無の番附が…。でも当時横綱が大関以上の最高「地位」と確定前。大関は零だが、史上初の3横綱鼎立を現出した。大正七年春、関脇で4勝3敗…の九州山(十郎)が夏は大関に昇進。世間はあっと驚くなんとやら━吃驚仰天だったみたい。横綱が東西に揃っていれば大関皆無でも前...266年め「大関消滅」の危機?!

  • 百余年前の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行の天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799百余年前の絵葉書を廉価で

  • 春の“7人衆”なで斬り帖

    ※昨日までのトータル訪問者数1,012,079勝手に選抜した「7人衆」〔前回と同じメンバー〕の春相撲を滅多打ち?西前頭五枚目〇翠富士10勝5敗10連勝後5連敗はまさに「竜頭蛇尾」そのものじゃぁないか。でも、「肩透し」がたった1番なのは評価したい。同十五枚目●王鵬7勝8敗千穐楽の「給金相撲」で負越してしまった。本年中の三役入りは、ちと難しいかも…。十両五枚目〇炎鵬9勝6敗もう1つ白星が多かったなら「再入幕」の可能性が…。夏は、うまくいけば“貧乏神”〔十両筆頭の隠語〕だろうが、二~三枚目も想定内か。幕下筆頭●照強3勝4敗元幕内力士(最高位前頭三枚目)だが、関取復帰さえ難しくなってきたか……。三段目七八枚目〇翔傑5勝2敗3番相撲から5連勝には吃驚。「未だ・未だ若いもんには負けられん」気持みたい。同九十枚目●石浦...春の“7人衆”なで斬り帖

  • 相対的に霧…は大関適格だ

    恒例の夏…の私製番附━かつて讀賣…『大相撲』誌は「私製…」と称していたのに、いつの間にやら「予想…」に“堕落”してしまった。『相撲』以上に協会“迎合”的色彩を強化した恰好だった。閑話休題。最近3場所の地位・成績を勘案して彦山光三流儀の三役番附です。横綱<該当力士なし>東大関霧馬山31勝14敗西大関貴景勝27勝10敗・8休東関脇若元春30勝15敗西関脇大栄翔29勝16敗東小結豊昇龍29勝16敗西小結阿炎29勝16敗同成績3力士は、本年初・春の2場所を重視すれば上記の如し。尚、「横綱空位」で差支えないけれどもその場合、「大関」は2人絶対必要━江戸寶暦以来の“伝統”なのである。相対的に霧…は大関適格だ

  • 江戸幕内本場所“最後”の再戦

    ※昨日までのトータル訪問者数1,011,837“相撲の殿様”酒井忠正もと農相の大著『日本相撲史』㊤109頁に「…引分または預りとなつた場合、日をあらためて取直すことがあった…」とある。文化十四(1817)年春場所、東前頭七枚目、荒灘の星取表。や<入れ掛け>〇松嶋(幕下)✕縄張(前五)●玉垣(大関)〇鳴滝(関脇)✖髙根山(幕下)〇龍門(前四)●鼓ヶ滝(同二)●髙根山〔再戦〕やその後、大正末期に至るまで……“再戦”は記録されていない。〔但し、序二段乃至三段目あたりでも全然例がないのか未確認。〕江戸幕内本場所“最後”の再戦

  • 104年前、取組編成で元常陸山を批判

    104年前の大正八年五月二十一日づけ『東京日日新聞』は、相撲協会の取組編成を痛烈に批判している。▲手加減の取組出羽の海の專恣十日目の取組の所大錦の相手たるべきものは大潮なりとは角通の悉く豫想するところであつた然るに大潮より一枚下の黑瀨川と顏が合つて大潮は源氏山と對戰する事となつた、潮大を大錦に合はせるよりも源氏山と取組ませた方が興味ありとは協會の辯明であるが大錦が鳳に敗れた爲め万一十日目大潮に敗れんかこゝにも亦橫綱の權威に關する非難起るべきより錦に取つて比較的安全なる黑瀨をして對戰せしむる事としたのでこれ全く出羽の海が門下を庇護する手加減から出でたので彼の專恣を憤る聲が好角家の間に多かつた黒瀬川は当時34歳、大潮は26歳。前日の九日目までの星は同じだったが、対戦成績の記録で、大錦は黒瀬川に8勝零敗、大潮と...104年前、取組編成で元常陸山を批判

  • 炎鵬、10勝→再入幕は…? !

    ※昨日までのトータル訪問者数1,011,604小兵・軽量級の人気力士たる元幕内炎鵬が昨十三日目でめでたく勝越しを決めた。彼の目標は8勝じゃぁなく、“二桁”に載せて「再入幕」を確実にすることのはず。難敵━身長で24cm高く、体重は117㎏も重い元関脇である。「横向き」にさせて…土俵の砂上に「這わせる」ことが絶対不可能とは思えないが、勿論容易ではない。まぁ…「奇蹟的」な技能相撲━真っ向勝負で超重量級を倒して、明日の楽日は十両陥落候補の幕内力士を撃破すれば、再入幕の“道”が拓けてこよう。但し、最近の炎鵬の相撲ぶりでは、再入幕しても勝越すのは簡単じゃぁない。1場所で“逆戻り”の可能性が50%以上と予測する。炎鵬、10勝→再入幕は…?!

  • 百余年前の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行の、明治十七年三月十日に行れた天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799百余年前の絵葉書を廉価で

  • 後横綱 玉錦5━0元関脇 三杉礒

    ※昨日の閲覧…464・訪問者…250トータル訪問者数1,011,381大正~昭和のパーフェクト記録をひとつ採りあげてみた。①大正十五年春場所初日東前頭二●三杉礒(寄倒し)玉錦〇西前十三②同十五年夏場所十一日目(楽日)西前頭三●三杉礒(外掛け)玉錦〇東前頭六③昭和二年春場所十一日目(仝)西前頭三〇玉錦(寄倒し)三杉礒●東前頭四④同二年京都場所六日目東前頭筆頭〇玉錦(寄倒し)三杉礒●東前十二⑤同三年春場所十一日目(楽)東張小結〇玉錦(打っ棄り)三杉礒●西前十三元関脇三杉礒の贔屓筋が玉錦に対して八百長の申込み━「贔屓の引倒し」だが、玉錦は断乎拒否して平幕Vを逸してしまった。すると次に相撲協会へ抗議━優勝者には「不戦勝」があり、不戦勝のない10勝1敗の三杉礒の優勝が穏当だ━と主張した。当時まだ、不戦勝力士は土俵上...後横綱玉錦5━0元関脇三杉礒

  • 93年前の平幕全勝V

    昭和五年夏場所、東前頭五枚目山錦善治郎〔元関脇〕の星。〇若葉山(小結)押出し〇豊國(大関)押倒し〇玉錦(〃)〃〇能代泻(関脇)寄切り〇雷ノ峰(前七)…捻り〇朝潮(同一)押出し〇古賀ノ浦(同八)押切り〇眞鶴(同五)〃〇若瀬川(同十二)寄倒し〇宮城山(横綱)押切り〇劔岳(前十一)〃当場所の改革。土俵上に坐って観客の邪魔になりそうな勝負「検査役」を土俵下へ降した。横綱常ノ花が九日目(不戦敗)限り引退したので、終盤に横綱と対戦することに…。当時、「嶽」の文字は“敬遠”されていたのかも知れない。理由は、釋迦嶽・駒ヶ嶽・出羽ヶ嶽…どうも「挫折」的なイメージの雰囲気が無きにしも非ず❔「鬼・異能」の若乃花(二子山)の一番弟子だって「二子岳」(←若二子)だった。93年前の平幕全勝V

  • 4連敗後、11連勝

    ※昨日までのトータル訪問者数1,011,131昭和二八年夏、東十両十二枚目後幕内出羽ノ花好秀の星取表。●泉洋(十両12)●豊ノ花(〃17)●玉風(〃13)●二豊山(〃14)〇美楯山(〃11)〇愛知山(〃3)〇鬼竜川(〃1)〇平鹿川(〃15)〇神雷(〃18)〇大瀬川(〃4)〇七ッ海(〃6)〇前ノ山(〃20)〇双ッ龍(〃3)〇白雄山(〃9)〇櫻國(〃10)或る名力士が「序盤戦なかなかエンジンがかからない」とぼやいた話があった。尚、上記相手力士のうち入幕していないのは、豊ノ花・玉風・二豊山・美楯山・神雷・白雄山の6名である。4連敗後、11連勝

  • 相撲史&残骸

    明治三十九年夏場所東横綱梅ヶ谷〇〇〇〇〇〇〇✕や西横綱常陸山〇〇〇〇〇〇〇〇や東張横綱大砲ややややややややや東大関國見山〇〇✕〇〇〇ややや西大関荒岩〇〇ややややややや九日目には、横綱・大関陣が不在になってしまった。鳥渡ばかり「文字数」が少ないので、大相撲から離れてみたい。日本海には、北…からのミサイルの“残骸”が海の底に沢山…。我が日本のEEZ(排他的経済水域)内に落下したもののそれを「水中用ドローン」を使って、回収し、その部品にmadeinJapanのやつが使用されていないか徹底的に検証すべきじゃぁないか。相撲史&残骸

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日までのトータル訪問者数1,010,926百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 次号 冒頭連載記事 進捗状況

    やっと拙稿「“時代”を超えた力士たち」━明治→大正篇の執筆が一段落したところ。①明治15年選手のⅡ梅ヶ谷本文は30行②常陸山は悪戦苦闘?本文は20行③小結1場所の緑嶋本文は14行④太刀山鎧袖一触的相撲は何%?本文は24行⑤46年ぶりの“1字名”甲本文は14行⑥酒に溺れた駒ヶ嶽本文は19行以上で、3ページ半を脱稿したことになるが、当初4頁を予定していた。その4ページ下段をなんとか埋めなくちゃぁいけない。兎に角、旧稿との“重複”をなるべく回避したいと思っており、苦心惨憺…なのである。悲運の大関駒ヶ嶽。仔細に調べてみたら優勝は疎か、「優勝同点」だって皆無だ。楽日に宿敵の太刀山に負けて8勝1敗1分の好成績の翌場所、3勝5敗…と負越してしまった。次号冒頭連載記事進捗状況

  • 大正末期、引分け再戦

    ※昨日までのトータル訪問者数1,010,694興行日数が従前より一日延長され、「晴雨ニ不関十一日間」の大正十二年夏、東関脇清瀬川の星取表である。〇司天竜(前七)●柏山(同五)〇東雲(同三)や●大ノ里(前一)✕鶴ヶ濵(小結)●常ノ花(大関)〇阿蘇ヶ嶽(前四)〇綾鬼(同八)〇福柳(関脇)●鶴ヶ濵〔再戦〕引分け・預りの原則的廃止のため已むを得ず引分けになった場合は、千穐楽(十一日目)に取直すことが決ったのだが、その基準は曖昧であった━終盤の引分け相撲を楽日に取直すのは、“物理的”に難しそうだ。大正末期、引分け再戦

  • 後小結 琴錦、序二段全勝V

    昭和十四年夏、東序二段三五枚目琴錦登〔後小結、佐渡ヶ嶽〕の星。〇勝鹿(序二段37)〇荒雄川(〃38)や〇竜ヶ﨑(序二段41)や〇越ノ里(序二段18)や〇鉄山(序二段15)や〇矢留石(序二段34)や〇陣錦(序二段28)やや〇三根山(序二段50)=後大関当時、「入営」や「応召」の力士が多く、終盤に全勝同士で対戦させるのは容易ならざる…。三根山は6番相撲で黒星を喫していた。後小結琴錦、序二段全勝V

  • 106年前、世紀の“珍”相撲

    ※昨日の閲覧…583・訪問者…311トータル訪問者数1,010,458大正六年夏、西十両十五枚目(どん尻)男嶋〔元幕内〕の星取表である。〇外ヶ濵(幕下1)や●友ノ山(幕下8)や●時ッ風(幕下7)や●太刀嵐(十両8)や〇花ノ山(十両5)や三日目の友ノ山との相撲で男嶋の前廻し〔通称前袋〕が外れ落ち「全スト」になり行司団扇は友ノ山に…。まさに世紀の“珍”勝負━溜り席の観客老人曰く「流石、男嶋と名乗るだけあって…雄大なのをもってましたねぇ。」尚、当時の『野球界相撲號』の星取表で「〇友の山」とか「時の風」とか誤謬なので注意を要する。106年前、世紀の“珍”相撲

  • 百余年前の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行の天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまにお譲りいたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799百余年前の絵葉書を廉価で

  • 後関脇 出羽錦、幕下V逸す

    ※昨日の閲覧…497・訪問者…268トータル訪問者数1,010,147昭和十九年夏、東幕下二九枚目小倉〔後関脇出羽錦〕星取表。〇岩平(幕下30)=後小結若葉山〇柏農山(〃26)=後幕内〇朝ノ海(〃19)〇一錦(三段目1)=後十両〇武蔵海(幕下18)当場所の幕下優勝は、幕下十三枚目力道山だった。後関脇出羽錦、幕下V逸す

  • 「心」と「体」に問題点

    周囲━殊にマスコミを中心に…綱とり・綱とり・綱とり━と耳に胼胝ができるほど騒がれて、表面的には「平常心」を装うけれども、内心━深層心理的には相当な圧力片仮名で云うプレッシャーを撥ね返すほどの“胆力”がなければ横綱としての資格・器量に懐疑的なるのは寧ろ当然であろう。体の方は如何。かつて大横綱の双葉山とも対戦した照國・東冨士両横綱の体格は━。照國萬藏174cm・162㎏東冨士欽壹179cm・178㎏彼らは勿論入門のときから“重量級”じゃぁなく、上位進出に比例して増量した。肝腎な急所は、一時は猛稽古によって無駄な贅肉・脂肪を絞り込み一時的に“減量”を体験したのである。〔但し、戦時中の「食糧難」の影響を否定はしない。〕ところが、現代力士の多くは、「栄養過多」と「鍛錬不足」に因る「異常肥満」体になって大怪我のリスク...「心」と「体」に問題点

  • 横綱・大関の不在は117年ぶり

    ※昨日までのトータル訪問者数1,009,879日本国技大相撲は、昭和初期にはじまったんじゃぁないのに…、横綱・大関の不在興行の本場所が「昭和以降初めて」と云って、それ以前の記録を穿鑿しようとしない記者の姿勢は本当に駄目ですよ。大正時代の東京角力協會の本場所28回を一応調べたがそんな事例は皆無━横綱力士を濫造し、大関を3人以上こしらえている場所が多く当然かも知れない。明治三十九年夏場所、三日目から大関荒岩が休み、七日目から大関の國見山も休んで、横綱陣は古豪大砲は初日から欠場、八日目まで出場していた梅ヶ谷・常陸山の両横綱も…九日目前者休場のため遂に大関以上の力士が不在となってしまった。【追記】現代ならば常陸山の「不戦勝」で、土俵上で勝名乗りをうけるため、「不在」とは云えない━だが「仮定」の話であり、「史実」は...横綱・大関の不在は117年ぶり

  • 関取試験を4度も…

    昭和三十一年夏、西幕下二枚目松錦の星取表である。〇松葉(幕下3)や〇黒田山(十両22)や〇能登ノ山(幕下7)=元十両〇高葉山(〃17)やや〇明ノ海(十両23)〇立武蔵(幕下25)や〇剣龍(十両22)やや〇森ノ里(十両19)丁度半数が十両との対戦だったが、決定戦で下位の富樫(後横綱柏戸)に幕下Vをもっていかれてしまった。関取試験を4度も…

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日の閲覧…511・訪問者…257トータル訪問者数1,009,647百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行の、明治十七年三月十日に行れた天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書同様9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は、『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 悲運の名大関 駒ヶ嶽

    拙稿「“時代”を超えた力士たち」━━は、明日から悲運の名大関、駒ヶ嶽國力を採りあげる所存。もう何十年も昔の話だが、東映映画『宮本武蔵』のリバイバル上映を観るため福岡市まで出かけた。武蔵を中村錦之助(→萬屋…)、佐々木小次郎を高倉健〔故安倍首相から「文化勲章」だかうける場面を覚えてる〕が扮したもの。既述したが小次郎の方が恰好よかった。相撲の話題に戻る。武蔵と小次郎は「宿命の対決」だが、かつて角界でも宿命の好敵手━太刀山と駒ヶ嶽である。幕内太刀山─十両駒ヶ嶽が1番あるので、太刀山からは9勝3敗・6分1預り、駒ヶ嶽からは3勝8敗・6分1預りだ。兎に角、駒ヶ嶽は横綱になったら…同郷の偉大な醜名「谷風」を襲名する予定になっていたそうな。負ける→呑む→負ける→吞む…の「悪循環」に陥り、現役急逝となってしまった。悲運の名大関駒ヶ嶽

  • 昭和32年、師弟の対話

    ※昨日までのトータル訪問者数1,009,390某日におけるA・Bの師・弟の「対話」を一席。横綱Bが「やっと30貫(112.5㎏)になりました。」と、A師匠に報告すると、A親方曰く「体のなかに“汗”がたまってるんだよ。」流石の力士Bも返す言葉がなかった。〔漫画的に表現すれば、Bは「ぎゃふん」…となりそう。〕Aとは当時相撲協会の取締春日野剛史こと元横綱栃木山守也、Bは名横綱の栃錦清隆。扨て、この話はいつ頃のことか、古雑誌『大相撲』で調べてみた。昭和三十二年の「春場所特集」号収載「…略歴表」では、栃錦は体重「二九、〇」となっていて、未だ30貫目に達していない。ところが、同誌同年の「夏場所特集」号のそれは「三一、〇」と記載されている。凡そ2箇月ばかりのあいだに7.5㎏も増量して上記の報告になったみたい。尚、当時『...昭和32年、師弟の対話

  • 1字名の甲は「小結キラー」

    拙稿「“時代”を超えた力士たち」━━明治→大正篇は、①梅ヶ谷②常陸山③緑嶋④太刀山─以上を脱稿し、⑤の甲(かぶと)も近日脱稿予定となった。その1字名の甲は、実は「小結キラー」であることに気づいた。明治三六年春場所二日目東小結●荒岩(はたきこみ)甲〇西前頭九同三六年夏場所三日目西小結●若湊(うっちゃり)甲〇東前頭四同三七年春場所初日西小結●朝汐(?)甲〇東何枚目格張出同三九年春場所三日目東小結●谷ノ音(?)甲〇西前頭七尚、最高位関脇の谷ノ音とは3勝2敗1預りの対戦成績が記録されている。1字名の甲は「小結キラー」

  • 幕下に●で三段目V逸す

    ※昨日までのトータル訪問者数1,009,151昭和十七年春、東三段目二十枚目石狩岩〔後幕内緑嶋英三〕の星。〇陣錦(三段目21)〇玉風(〃25)や〇大久保(三段目28)や〇大塚(三段目18)=後横綱栃錦や〇竜錦(三段目16)やや〇室戸海(三段目33)〇高瀬川(〃19)や●明瀬川(幕下56)=後幕内や新十両のとき師匠立浪の現役名を貰ったのだから…有望視されてた?彼は、前場所も三段目で全勝を逸していた━。尚、当場所の三段目優勝は、全勝の後関脇力道山であった。幕下に●で三段目V逸す

  • 大正期の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」が発行した明治十七年三月十日挙行の天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名様に譲渡します。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛お送りいただければ、折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799大正期の絵葉書を廉価で

  • 大関、全勝Vだって横綱見送り

    ※昨日の閲覧…440・訪問者…257トータル訪問者数1,008,915大正十年夏場所、東方大関常ノ花〔後横綱=出羽海理事長〕の星。〇琴ヶ浦(前三)浴せ倒し〇阿久津川(前十)突出し〇太刀光(前六)寄切り〇若葉山(前二)渡込み〇紅葉川(小結)突出し〇鞍ヶ嶽(前五)上手投〇清瀬川(関脇)浴せ倒し〇千葉ヶ﨑(大関)寄倒し〇阿蘇ヶ嶽(前四)送出し〇矢筈山(前十二)凭れ込み初優勝を“全勝”で飾った。前場所も楽日黒星の9勝・1敗だから、「連覇に準ずる」好成績と云えるが、横綱を見送られている。大関、全勝Vだって横綱見送り

  • 47年ぶり“1字名”の甲が入幕

    120年前の明治三十六年春場所、東・西の前頭九枚目に入幕したのは東方が後横綱の太刀山、西方は醜名が“1字名”の甲(かぶと)であった。明治になって1字の醜名が番附最上段に現出したのは、初めてである。その“前例”は、幕末の安政三(1856)年冬場所、西前頭七枚目へ入幕した殿(しんがり)勝五郎だが、『日本相撲史』は殿リ━不要な“送り仮名”を入れている。それで、念のため当方所蔵実物大複写番附で確認━「殿」と「勝」とのあいだが約1.5cm空白━丁度1字ほどあけて書かれているのだ。〔漢和中辞典だって「殿」で「しんがり」と読ませている。〕ところが、翌場所番附で「肥後」の右側に「殿り改」不知火光…との記載はいただけません。47年ぶり“1字名”の甲が入幕

  • 後大関…、序二段V 逸す

    ※昨日までのトータル訪問者数1,008,658昭和二九年秋、東序二段五四枚目山田改め北葉山〔後大関〕星取表。〇松ノ川(序二段53)〇髙ノ花(〃50)や〇里見山(序二段59)や〇手塚(序二段64)や〇三﨑山(序二段47)や〇潮若(序二段40)や〇橋立(序二段39)や〇新川(序二段34)=後幕内玉響や当時の取組編成、十二日目の相手は前日まで4勝・2敗であった。上位の同じ時津風部屋力士に優勝をさらわれてしまった。〔決定戦制なし〕後大関…、序二段V逸す

  • 太刀山「突放し」15番=鎧袖一触?!

    拙稿「“時代”を超えた力士たち」━━明治→大正篇━は、①Ⅱ梅ヶ谷②常陸山③緑嶋につづいて④太刀山を近日脱稿予定。当方所蔵資料に拠って、大関昇進後=旧國技館における太刀山の白星115勝の「極り手」を分析することにした。その33%にあたる38番が「突出し」だった。流石、一突き半=「45日」との評判どおりだ。2番めに多いのは現協会がカットした「突放し」で15番も記録されている。彦山光三の「175技絵とき」の解説で「突放し」━猛烈に突きまくって相手を土俵の外まで大きくふっとばす。━まさに「鎧袖一触」そのものじゃぁないか。尚、明治四四年春の五日目、対八嶋山戦が「突き飛ばし」と二つの資料に…。この名称は彦山選抜175に入っておらず、「突放し」と“同義”と判断して差支えあるまい。太刀山「突放し」15番=鎧袖一触?!

  • 明治天覧相撲「絵葉書」を廉価で

    ※昨日までのトータル訪問者数1,008,440百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が明治十七年三月十日挙行の天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名様にお譲りします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲「絵葉書」を廉価で

  • 安易に横綱をつくるな !

    去る平成三年九州場所、布哇出身の大関小錦が2度めの優勝を果した直後、当時の相撲批評家No.1小坂秀二氏が月刊『大相撲』誌において翌新年号連載46の「相撲探求」のタイトルが「小錦は横綱にふさわしいか!?」で、その劈頭見出しでは「軽々しく横綱・横綱というな!」とある。すこしばかり抜粋してみたい。〔前略〕今回のテーマの小錦の横綱問題など、本当なら話題にはならないものなのだ。ところが、すぐに「連続優勝なら横綱」とはやしたてる。周囲が無責任に騒ぐのは構わないが、本人や横綱審議会などまでその気になってしまう。〔後略〕次に、同誌に「読者の意見」が掲載、平成五年初場所の予想番附で、「横綱小錦」との回答は6名、「大関小錦」の侭なのが2名となっていた〔文章だけの稿を除く〕。矢張り、予想は難しいものだ。安易に横綱をつくるな!

  • 北の洋5━4清水川

    ※昨日までのトータル訪問者数1,008,247昭和戦後の好取組とその結果を…。①昭和三十年春場所七日目西前頭六〇北ノ洋(打棄り)清水川●東前頭九②同三十年夏場所八日目東前頭九●北ノ洋(寄切り)清水川〇東前十五③同三十年秋場所十日目西前十二〇北ノ洋(下手投)清水川●東前十六④同三一年春場所十三日目東前頭八●清水川(寄切り)北ノ洋〇東前頭九⑤同三一年夏場所八日目東前頭八〇北ノ洋(上手投)清水川●東前頭九⑥同三二年秋場所千穐楽東小結●北ノ洋(寄切り)清水川〇東前頭筆頭⑦同三三年初場所十一日目東小結●清水川(外掛け)北ノ洋〇西前頭筆頭⑧同三三年春場所三日目西小結●北の洋(寄切り)清水川〇西前頭筆頭⑨同三三年名古屋場所十一日目西前頭二〇清水川(外掛け)北の洋●東前頭四清水川は、師匠の元大関清水川元吉ゆずりの「上手投...北の洋5━4清水川

  • 理事長と審判部の齟齬が…

    嘗て、日本相撲協会の内部において、当時の北の湖理事長(元横綱…)と審判部長とのあいだで横綱推薦基準・条件をめぐって「齟齬」が表面化していた。理事長は、準優勝とか優勝とか━殊に、「連覇に準ずる」成績が曖昧模糊として、具体的“数字”を推薦ライン━最低線が13勝ならば、準優勝でも第3位だってOKと解釈されていた━と、思える。いや、解釈の“幅”を狭めるならば、2場所連続13勝以上の場合、準優勝じゃぁなくったってOKと云う感じではなかったか。ところが、当時の審判部の陣容が誰だったか失念したが、横審の内規をほぼ尊重する姿勢だった。「準ずる成績」がいくらでも「拡大解釈」できるので、横綱の“安売り”になってしまうのだ。北の湖説は、「相撲内容」よりも「数字至上主義」に陥りやすいのが難点・問題だ。大関以下ならば、相対的な星の...理事長と審判部の齟齬が…

  • 関脇 北の洋━小結 清水川の間隔対戦

    ※昨日までのトータル訪問者数1,007,999「間隔対戦」の事例をひとつ…。昭和十八年夏場所九日目東幕下40●北ノ洋(?)鉾錦〇東幕下44その11年10箇月後の同三十年春場所七日目西前頭六〇北ノ洋(打棄り)清水川●東前頭九尚、拙作『相撲史発掘』では原則的に「幕内記録」を主体にしているので、採りあげない所存。関脇北の洋━小結清水川の間隔対戦

  • 珍しい絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」と称する組織が発行した明治十七年三月十日開催の明治天皇の天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡します。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…宜しくお願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799珍しい絵葉書を廉価で

  • 彦山翁らしくない発言

    ※昨日までのトータル訪問者数1,007,799元N銀行員M氏の『大相撲』(読売新聞社刊)昭和四十年五月号の記事より抜萃━。三月場所三日目結びから三番目、三の字づくしの土俵に登場したのは東荒波─西佐田の山。片や上位に躍進して初めて横綱と顔を合わせる新鋭、此方いまや日の出の勢いの新横綱。〔中略〕荒波左から強く張って出たが、佐田の山はこれをものともせず応戦、突き押しに徹する相撲ぶり、特に左筈の威力は素晴らしく、決めの一押しに荒波は赤房下に吹っ飛ぶ。この頃、幽明の境をさまよいつつあった“角界の彦左、横綱のお目付役”彦山光三老人に一目みせたいような天晴れの横綱相撲だった。〔後略〕鷹派・硬派彦山光三の彦山光三に因る「彦山翁らしくない」鳩派・軟派発言を同年の新年号「展望座談会」より抜萃せずにいられない。九州場所の大鵬─...彦山翁らしくない発言

  • 新入幕で大活躍の…

    大正五年春、東前頭十三枚目源氏山〔後Ⅲ西ノ海〕の星。●浦ノ濵(前二)吊出し〇大鳴門(同三)寄倒し〇八甲山(同十一)押出し〇玉椿(同十三)叩込み〇玉ノ川(十両4)突倒し〇寒玉子(前十五)…捻り〇紅葉川(十両3)突出し〇敷嶋(〃2)寄出し〇黒瀬川(前四)仝〇鶴渡(同十二)吊出し初日は、新入幕の“初陣”で過度の緊張で…。四字熟語の「竜頭蛇尾」━元横綱が引退後終身「平年寄」で。新入幕で大活躍の…

  • 序二段陥落の元十両…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,007,570大正九年春場所、西序二段筆頭四賀ノ峰〔元十両〕の星取表。や●秩父嶽(序二段7)や〇大倉山(三段目49)や●高ノ矢(三段目33)や●廣瀬山(三段目52格)や●浅ノ川(三段目33)元関取だから“格上”の三段目との対戦を多く組まれたのか…。尚、文政年間の江戸大関四賀峰〔四賀ノ峰は誤謬〕は「よつがみね」と読み、上記は「しがのみね」と読む。最後に土俵へ上った本場所記録であった。序二段陥落の元十両…

  • 取組や番附の編成を批判

    先場所、幕下十五枚目格の番附外附出し──落合の星取表を…。や□王輝(幕下16)や〇瀬戸の海(幕下15)や〇明瀬山(幕下13)〇大成龍(〃10)や〇時疾風(幕下6)や〇颯富士(幕下23)や〇風賢央(幕下40)やや①7戦全勝と云っても1番は不戦勝だ。②幕下ひと桁との対戦は1番だけだ。兎に角、「関取試験」的取組なんかない。82年前の昭和十六年夏、西幕下二枚目の東冨士の星取表を御覧ください。〇大和泉(幕下1)〇北ノ花(仝)〇岸本(幕下9)=後大関汐ノ海●廣瀬川(十両14)=後幕内ややや〇葦葉山(十両12)=後幕内や〇因州山(幕下22)=後幕内や〇駿河海(幕下14)=後幕内〇平戸灘(十両9)〇郷錦(十両14)や1番余分に取らされ、十四日目●の場合「幕下優勝」の行方は…?でも、既に関取昇格は確定しており、そっちの方が...取組や番附の編成を批判

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日までのトータル訪問者数1,007,416大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した明治十七年三月十日挙行、明治天皇の天覧相撲──「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名様にお譲りいたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛て御送付いただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 124年前、後小結緑嶋 屈辱の全敗

    双葉山・羽黒山・名寄岩の所謂「立浪三羽烏」の師匠━元小結緑嶋。その明治三二年春、東幕下十二枚目対戦相手地位つき星取表である。や●照日山(幕下18)や●荒鷲(幕下4)や●最上山(幕下6)や●栄鶴(幕下5)や●嵐山(幕下20)嵐山は、明治十九年夏に入幕した後小結の嵐山捨吉とは無論別人。最上山も明治初期に同名の幕内力士がいたが現役で急逝してしまった。尚、番附で「鶴」の“鳥”をカットしているかも知れない。124年前、後小結緑嶋屈辱の全敗

  • 一昨年からの旧号あります

    ※昨日までのトータル訪問者数1,007,233拙作&私家版『相撲史発掘』のバックナンバーが下記のとおり在ります。第96号(令和3年2月刊)〇改名の嫌いな力士たち㊥●天保十年冬場所〇明治大正の新聞記事から●大分県出身入幕力士一覧〇大関追手風喜太郎の詳細星取表第97号(令和3/6)●改名の嫌いな力士たち㊦〇天保十一年春場所●明治大正の新聞記事から〇横綱稲妻雷五郎相手地位付星取表●愛媛県出身入幕力士一覧第98号(令和3/10)〇全勝力士が消えた星●天保十一年冬場所〇明治大正の新聞記事から●昭和二十年代の軽量力士〇高知県出身入幕力士一覧第99号(令和4/2)●全勝力士が消えた星〇天保十二年春場所●明治大正の新聞記事から〇昭和二十年代の重量力士●島根県出身入幕力士一覧創刊100号記念号(令和4/6)〇日本國技の洋風...一昨年からの旧号あります

  • 序二段で全勝した後小結…

    今夜は久しぶり郷土力士の登場。昭和十六年春、西序二段四三枚目松竹〔後小結五ッ海〕星取表。〇北野(序二段45)や〇伊勢曻(序二段46)や〇八尾山(序二段46)〇峰風(〃54)や〇土山(序二段59)=後幕内双子岩やや〇豊ノ花(序二段53)や〇三重桜(序二段10)〇鯱ノ海(〃41)や全勝したけれども序二段優勝は、同部屋の上位、山本〔後小結大起〕にもっていかれてしまった。序二段で全勝した後小結…

  • 横綱 常陸山は悪戦苦闘…??

    ※昨日までのトータル訪問者数1,007,081「角聖」と尊称される横綱常陸山。多くの強敵と対峙したため、「連勝」など続けるのに甚だ不利だった━と云う説・論があるけれども、果して本当にそうだったのか。はっきり鋭く指摘しておきたい。常陸山は、小錦・錦洋改めⅡ西ノ海の両横綱とか、Ⅰ朝汐・駒ヶ嶽・朝嵐改めⅡ朝潮の3大関とは全然対戦していない。〔巡業等非本場所は寡聞にして知らない。〕もう鳥渡ばかり具体的に列記すれば…。明治三三年夏~三四年春東方横綱小錦、関脇常陸山。同三四年夏~三六年春西方正大関常陸山、張出大関朝汐部屋系統は違っても、「東西制」なる取組制度の所為で、強敵との対戦を回避される“恩恵”に浴していたのである。横綱常陸山は悪戦苦闘…??

  • 百余年前の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した明治十七年三月十日の明治天皇の天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまにお譲りいたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799百余年前の絵葉書を廉価で

  • 60年前の或る変化…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,006,952日本相撲協会が毎本場所千穐楽の直後発行する「勝負星取表」に或る“変化”が起って…鳥渡ばかり吃驚したことがある。それは、60年前の昭和三十八年、春から夏にかけての話だった。春場所星取表では、横綱柏戸の5勝1敗(=不戦敗)9休が「勝越四」、大関佐田の山が零勝5敗(内不戦敗1)に「負越五」、更に裏面「幕下以下成績表」の某力士の初日白星、あとは「や」印なのに末尾に「●一」とある。翌場所、同年夏場所のそれは、幕内下位の豊國が6勝6敗3休で従前「五分」と記載するのに、左上にはなにも記載がなくなった。幕下以下の場合も全休は「──」だが中途休場は記載なし。60年前の或る変化…

  • 「角聖」常陸山の連勝記録

    拙稿「“時代”を超えた力士たち」━明治→大正篇のトップに登場する2代め梅ヶ谷の項━本文30行に脱稿した。明日から1年遅れて入幕の常陸山を採りあげる。〔前号までに既述分との“重複”はなるべく回避する所存。〕常陸山の「連勝記録」32連勝は、明治三七年春の七日目から、同四十年夏五日目まで━勿論、「完全連勝」には程遠い━全休2場所など挟んでいる。上記は「幕内記録」だが、入幕の前・後に、同じく「32連勝」を果しているのに気づいた。明治三十年夏〔幕下番附外附出し〕千穐楽〇同三一年春〔東幕下筆頭〕〇〇や〇〇〇〇〇〇✕同三一年夏〔東十両筆頭〕〇〇〇〇〇〇〇〇〇✕同三二年春〔東前頭四〕〇〇〇〇✕〇〇〇〇や同三二年夏〔東前頭筆頭〕病欠のため全休同三三年春〔東前頭筆頭〕〇〇〇〇〇〇●「角聖」常陸山の連勝記録

  • 幕下全勝でも…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,006,720大正六年春、西幕下三七枚目若常陸〔後幕内〕の星取表。や〇湖(幕下37)や〇都石(幕下54)や〇中ノ山(幕下29)や〇火打洋(幕下51)や〇東雲(幕下22)=後小結当該地位で全勝し、翌場所は十両昇進を果している。尚、当場所の幕下優勝は10枚ほど“上位”の後十両浦ノ花だった。幕下全勝でも…

  • 初土俵以来、初の負越し…

    昭和三十年秋、東三段目六二枚目富樫〔17歳=後横綱柏戸〕の星。●常晃(三段目63)や〇五ッ岩(三段目62)や●林(三段目63)や●峰ノ海(三段目66)●片山(〃68)やや●潮若(三段目70)や〇總登(三段目67)や〇橋立(三段目74)初土俵以来はじめて負越してしまった。尚、対戦相手8力士に関取昇格はいないみたい。初土俵以来、初の負越し…

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日までのトータル訪問者数1,006,531百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」が発行した、明治十七年三月十日に行なわれた明治天皇の天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまにお譲りいたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手をお願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 2代め梅ヶ谷のパーフェクト記録

    梅ノ谷音松改め2代め梅ヶ谷藤太郎。引退は大正初期だが、明治本場所を15年=30場所も幕内力士として活躍━「持久力」も相当なもの。各力士との対戦成績をピックアップ。対横綱小錦4勝・零敗最高位関脇浪ノ音8勝・零敗〃小結尼ヶ﨑7勝・零敗平幕止り大蛇泻(大五郎)6勝・零敗稲瀬川(栄治郎)6勝・零敗小柳(芦太郎)6勝・零敗大湊6勝・零敗当時、引分け・預り制度が存在するのでパーフェクト記録は、容易じゃぁない。尚、苦手がひとり。玉竜改め大見﨑に1勝・3敗だった。2代め梅ヶ谷のパーフェクト記録

  • 相撲史発掘 No.102 頒布中

    ※昨日までのトータル訪問者数1,006,357拙作&私家版『相撲史発掘』第102号を御希望の方に洩れなく進呈しております。(題簽は元大相撲立行司40代・式守伊之助氏)〇“時代”を超えた力士たち(第2回)●幕末→明治篇㊦◎鶴ヶ滝から磐石まで〇江戸大相撲熱戦譜(第82回)●天保十三年冬場所◎幕内略歴・関係勝負&星取表〇大正期の新聞記事から(第14回)●『國民新聞』・『東京日日新聞』〇昭和二十年代の長身力士●大内山から時津山まで〇広島県出身入幕力士一覧●要石から豊桜まで〇小結錦木塚五郎の相手地位つき星取表〇「花見宴」の制作は149年前の…?〇古今平幕最優秀力士星取表●昭和9年~14年春頒布を御希望の方は、94円乃至120円切手を同封のうえ…〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104...相撲史発掘No.102頒布中

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