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2015/12/13

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  • 2人目諦めました

    ログインするのが久しぶりすぎてパスワードを忘れて一苦労しました(苦笑) しばらくこちらは離れておりましたが元気にやっております。2017年に産まれた娘は現在2歳7ヵ月、おしゃべりが楽しい時期です。父が亡くなって2年が経ち、突然のことに一時はかなり不安定になってしまった母はまだ安定剤を服用していますが、だいぶ落ち着いてきました。 2016年に採卵して余っていた二つの凍結胚の保管期限が2019年9月で、2人目を…

  • 凍結胚の更新

    おととし採卵したときに凍結した2つの胚盤胞の更新期限がきたので、娘を夫に預けて、不妊治療でお世話になったクリニックへ行ってきました。約一年ぶりのクリニック。外観や内装に大きな変化はなくて、あまり久しぶりな感じはしませんでした。 こちらのクリニックでは、更新のみでも診察を受けなければなりません。担当医は選べず、今回は副院長先生でした。残っている胚盤胞は2つ。グレードは3ccと4cc、とても低いで…

  • 別れの時

    父が緩和ケア病棟に入院して5日目。今思えば虫の知らせでしょうか、この日のお昼頃、父の姉である伯母がアポなしで突然病室に現れました。私も小さい頃から可愛がってもらっていた馴染みの伯母です。似た人が緩和ケア病棟の廊下をウロウロしていて、よく見たら本人だったので驚きました。父はずっと目を閉じているのですが、「おばちゃんが来てくれたよ」と話しかけたら分かったようでした。 伯母が来てくれたことで、この日…

  • 緩和ケア病棟

    12月24日、朝。前日の夜に、朝が来る前に亡くなってしまってもおかしくないと訪問看護師さんに言われたので気が気じゃありませんでしたけど、父の呼吸は落ち着いていて、無事に朝を迎えることができました。緩和ケア病棟に電話して今から入院したい旨を伝え、救急車を手配。まだ一般の受付が閉まっている時間帯で電話に出たのは守衛さんだったのですが、最初話が通じなくて困りました。 救急車には母と弟が乗り、私と夫と娘は…

  • 穏やかな日々、そして再び入院へ

    娘は先月1歳になり、最近歩き始めてますます目が離せずブログを更新する余裕がなかなかないのですが、父の記録を続けます。 父が家に帰ってきてから、父の姉夫婦や、父と30年以上親交のある友人夫婦が訪ねてきてくれました。おそらく生きて会うのはこれが最後だとみんな感じていたと思いますが、重苦しい空気はなく、みんな笑顔で父に接してくれて、父も嬉しそうでした。 私達家族と弟は実家に泊まり込んでいましたが、12…

  • 退院

    介護保険の申請をして介護ベッドや簡易トイレ、歩行器などの準備を整え、12月14日、父が家に帰ってきました。父はこの日までの退院を望んでいました。というのも、12月15日が母の誕生日だったんです。もうこの頃には父はあまり会話ができなくなっていたのですが、「奥さんの、誕生日」と、退院したい理由を病院側に伝えていたと知って、泣きそうになりました。病院ではなく家で一緒にお祝いしたかったみたいです。 父はもう歩…

  • 年を越せるかどうか

    肝臓がんと分かってから2度目の入院生活。1度目は検査と抗がん剤治療の時でした。そのときの症状は食欲不振くらいで、普通に会話できたし、食べることも歩くことも、身の回りのことも全部自分でできていました。その時からまだ一ヶ月と少ししか経っていないのに、今回の入院生活では殆ど寝たきりで、会話をするのもしんどそうな感じになってしまっていました。 ここにきて一気に症状が出てきた感じでした。最新の検査結果は大…

  • 顔つきの悪い癌

    自宅療養中だった父が夜に家で吐血し救急搬送され、私は生後5か月の娘を1人残していくことも一緒に連れて行くこともできないので、夫が仕事帰りに病院へ寄ってくれました。吐血と聞いていたため気が気じゃなかったのですが、夫の報告によると、父は吐き気でしんどそうではあるけど、普通に会話できたそうです。吐血は吐きすぎたため食道が切れたのかもしれないと言われたとのことでした。たまたま当直の先生が父の主治医の先生だ…

  • 急変

    手術の可能性がゼロになって落ち込んでいた父は現状を受け入れ、目標を治すことではなく少しでも良い状態で長く過ごすことに切り替え、抗がん剤治療の他にも何か出来ることがあればと自分で調べたり、医師の知人にアドバイスをもらったりしていました。母は相変わらず不安定だったので、私や弟はちょこちょこ実家に帰って、特に何をするというわけではないけど、なるべく一緒に過ごしました。 父はもともと体を鍛えていたので…

  • 腹水が溜まり始める

    カテーテルによる抗がん剤治療を終えて退院してからしばらくして、父の身体に異変が。腹水が溜まり始めました。お風呂に入っていて、おへその横がブヨブヨしているのに気が付いたそうです。それまで自覚症状と言えば食欲不振程度だったのですが、初めて現れた肝臓がんの典型的な症状でした。 病院の先生方も不思議がっていたんですよね。こんなに肝臓の数値が悪いのに、腹水も溜まっていないし黄疸も出ていない、どうしてなの…

  • 抗がん剤治療

    父の肝臓がんは転移が見られなかったため、動脈にカテーテルを入れて、肝臓へ抗がん剤を投与することになりました。この方法だと副作用が少なくて済むんだそうです。 抗がん剤って言うと髪の毛が抜けたり吐き気がひどかったり、辛い副作用を想像してましたが、父はそういった副作用は出ませんでした。投与した日にちょっと発熱したのと、もともとなかった食欲が更に減退したそうですが、ベッドから起き上がれないということは…

  • 検査入院

    肝臓がん、ステージ4でググると、5年生存率がとても低いということがすぐに分かります。データと先生の説明で父の癌がどれだけ深刻なものかが分かって、母は激しく狼狽していました。 地元の総合病院の先生は優しく患者さんに寄り添ってくれるおじいちゃん先生で、状況は厳しくても決して患者さんを絶望させるようなことはなく、最善を尽くしましょうと言われてとても救われたそうなのですが、大学病院の先生は若くて事実を…

  • 大学病院へ

    地元の総合病院から紹介状をもらって、父は都内の大学病院へ。紹介された大学病院の先生は週に1回しか外来に出ていないのですが、運が悪いことにその前日が貴重な週に一回の外来の日でした。既に告知から1週間経っていたので、更に6日間待たされることになり、計2週間近く何もしないことになります。一刻も早く治療を始めてほしいのに、こうしている間にも癌がどんどん進んでしまうんじゃないかと、すごく不安でした。 父は廃…

  • 転院

    かかりつけ医での検査で父が肝臓がんと判明し、すぐに地元の総合病院へ紹介状を書いてもらったそうです。総合病院の予約は週明けだったので、週末に私達夫婦は娘を連れて実家に顔を出しました。弟夫婦も来ていました。 母は告知当日と翌日は狼狽したり泣いたりしていたけど、その後は病気と闘うモードになっていて、私達が会いに行ったときは意外と元気でした。父は病人モードになっていましたが、食欲がないと言っても全く食…

  • 訃報

    前回の記事を更新してから父のがんは更に急速に進行し、年末に亡くなりました。最後は緩和ケア病棟に入院していたのですが、穏やかに眠るような最期で、家族みんなで看取ることができました。 年末年始は火葬場が休みだったので、葬儀は年明けになりました。ついこの前まで現役だったこともあり、たくさんの方が参列してくれました。父の闘病の記録も残しておきたいと思っているので、またぼちぼち更新していきます。 2017…

  • 告知直後のこと

    2017年10月、肝臓がんと発覚したその日のうちに父は廃業を決意、週末に関係各所に電話して事情を説明し、40年近く続けてきた事業をスパッとやめました。土日で80人くらいに電話したとか。母も父の事業を手伝っていたので、本来は父と母で分担して電話するところなのですが、母はとても事情を説明できる精神状態ではなく、父が1人で全員に電話したそうです。ある人は電話口で絶句し、ある人は泣いて泣いて会話にならず、父と長い…

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36歳からの不妊治療及び末期がん父の記録
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36歳からの不妊治療及び末期がん父の記録

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