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2015/11/15

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  • シン・ゴジラ感想 - 兵棋演習とファンタジーの裏表

    ネタバレです。未見の方は回れ右。

  • 人間の経済性と生存の原則について

    【やまもといちろう氏 特別寄稿】相模原の障害者19人刺殺は思想犯と言えるのか|みんなの介護ニュース 誰にも正義は押し付けられない:日経ビジネスオンライン この事件については真剣に考えておかないといけないように思う。 容疑者個人よりも、彼が結果的に提示した思想が問題。「社会的に貢献できない個体は社会において死ぬべきか」という命題について。 誰しも明日交通事故に遭って全身麻痺に陥る可能性はゼロではない。そうなれば容疑者の思想でいうところの抹殺対象である。 誰にとってもこの事件は人ごとではないし、私たちは理路整然とこの思想を棄却できなければいけない。 人間の経済性 大きな問題は、この思想が経済的観点…

  • 時間の空きを見つけては発達障害関係のテキストを読み漁っている。 恐らくそういう傾向があるという程度のことはこの場でも以前に書いた気がするけど、調べれば調べるほど傾向も何もど真ん中大当たりなのではといった様相。 自分の歪みの方向性が自己矯正的に機能していたがために今まではやり過ごせていただけなのだ。 そろそろ根本的な理解と受容と、それを踏まえた自分というものの取り回し方の見直しが求められている気がする。 発達障害というワードに辿り着いたのは3年ほど前で、それ以前にもアダルトチルドレンがどうとかパーソナリティ障害がどうとか、生きづらさの原因を外部の何かに求めて調べ回ってはいた。 一方で、この種のラ…

  • 抜け殻と蛇

    インターネットにおける自分を動物に例えるならトカゲや蛇だろうなと思う。 ネットの世界に片足を踏み入れてから、いくつもの匿名のアカウントを作っては熱中し、どこかで糸が切れたかのように執着を失って切り捨ててきた。トカゲがしっぽを切るように。蛇が皮を脱ぎ捨てるように。 そのアカウントでの活動に嫌気が差したり疲れを覚えたわけではなく、一時の多忙さや他の熱中対象にかまけてやむを得ずしばらく視界から外したケースがほとんどだけれど、時間ができたからといって戻ってこれるケースは少ない。期間が空くと、その場で行った活動のすべてが、なにか取るに足らないものであったり、見るに耐えないものであったような気がしてくるの…

  • #四発しか入っていない銃で五人以上殺すにはどうすればいいですか

    #四発しか入っていない銃で五人以上殺すにはどうすればいいですか— ニンパイ(typical) (@shinobuk) 2016, 2月 14 表題のタグでの大喜利のようなものがTwitterで流行っていて、ふと興味を持ってハッシュタグからいろいろな人の解答を辿っていた。 シンプルなようでいて、解答者のセンスが如実に出る設問だと思う。 ちょっと思うところあって、この問題に対する様々なTwitterユーザの回答をざっくり分けて、個人的に面白いと感じた度合で並べて整理してみた。 先に書いてしまうけど、自分は面白くない方に分類してる平凡な答えしか思いつかなかった。 別に読者の人に問いたいわけではないけ…

  • 他人の舵に触れてはいけない

    自分が好きなのはものごとにきちんと向き合って悩んでいける人で、言いかえれば自分の頭でものごとを考えていける人だ。 そうした人々に相対する場合に限って言うなら、「誰かのために」行うアドバイスなんてのは誰のためにもならないのだな、と思うようになった。 彼らの舵は彼らが握っている。彼らには志向する針路があって、そのために自らの責任の下に一つの船を引き受けている。 舵取りというのは基本的には中長期の予測に基づいて行うものだと思う。とはいえ、非決定的な世界の流れを前もって完全に把握することはできないので、各々が持つ情報、知識、勘、その他いろいろによってあいまいに先のことを妄想していくことになる。 そうで…

  • 自分は意識的に無宗教のスタンスをとっていて、神も心霊も信じてないし、葬式や初詣に出るのは会社でスーツを着る程度の致し方ないしきたりだと思ってる。顰蹙を買わないなら全部キャンセルしたい。 仏壇を捨てようが聖書を焼こうがお守りを切り刻もうがなんとも思わない。必要なときにやれと言われたらなんの罪悪感もなしにやると思う。もちろんそれを信仰してる人の心情には配慮したいから、現実にはよほどのことが無い限り避けはするけど。 ただ、無宗教的スタンスはとっているとはいえ、もし死んだじいちゃんの位牌を踏めと言われたらそれだけは勘弁してくれと頭を下げる気がする。正直想像するのも嫌だ。 別にその中にじいちゃんは居ない…

  • 「意識が高い」の分類

    「意識が高い」という形容がここ数年で一気に市民権を得たような気がする。 ネットの人なら把握してるだろうけど、この言葉は婉曲な侮蔑語としての役割を持っている。「意識が高いなあ」という感想は、「高尚そうなことをやって悦に浸っているなあ」と読み替えることができる。 人によってこの言葉の使い方に結構ブレがあって、純粋な褒め言葉としての用法から上記のような辛辣な皮肉としての用法まで、観測範囲だけでもさまざまな運用がなされているように思う。 もはや気軽に使える表現ではなくなってしまった感があって、誤解があると面倒だし普段はこの言葉を使わないようにしている。 この「意識が高い」の皮肉的用法については、それが…

  • 親指に熱湯をかけてしまって軽いやけどをした。 水ぶくれになる程度の深さはあるけど、大きさがせいぜい一円玉の半分程度なのでまあ取るに足らない軽症だ。 怪我の程度としてはなんてことはないんだけど、これがまた集中を阻害する。こんなちっぽけな面積の皮膚が、絶え間なく頭に痛覚を送り込んでくる。 わかってるから。別に知らせなくていいから。損傷したのは気づいてるし対処の仕方も理解してるし、2週間ぐらいかけて水泡が膨れてちぢんで剥がれて綺麗な皮膚に戻るのも知ってるから、そのシグナル送信をやめてくれと言いたくなる。不要な痛覚がマニュアル操作で切れたら人類の総幸福量はずいぶん上がるんじゃないかとか、くだらないこと…

  • 似非科学と信仰について

    いわゆるニセ科学がなぜ嫌われるのかという話。 自然に対するあらゆる主張は、「科学」と「信仰」の2種類で色分けできるのではないかと思う。 「科学」によって示されるのは、妥当な手続きによって示された、ある体系の中での事実。これは一般に現実においても、事実であるかあるいは事実とみなして支障がない。基本的に語り手の属性を無視して受け取ることができる。 「信仰」によって示されるのは、ある個人が科学的な裏付けなしに真実とみなしている主張。現実においては正しいことも、誤っていることもある。検証されていないので正しいとも間違っているとも断言できない。言ったもの勝ちである。 「科学」と「信仰」は裏表の関係にある…

  • 年末だし今年読んで面白かったブログの棚卸しでも。と思ってたんだけどやめた。 何かジャンルを絞ってその道を突っ走ってるブログを紹介するならいいんだけど、今自分が購読してるブログはジャンル不定の雑記系ブログ、特にその人が日々考えてることをそのままアウトプットしたようなものが結構多い。 これを評論してしまうとブロガーさんの人格の品評会のような感じになりそうで、それはさすがによろしくない気がする。 基本的にはベタ褒めになるんだろうけど、それでも。心の中にとどめておくことにする。 最近たまにテレビを見ていると、外国人を引っ張ってきて日本の良い所を褒め称えさせる番組がよく放送されている。 あれは作り手が受…

  • 2015年の私的な振り返り

    月並みに今年一年を振り返ってみる。匿名でやっている都合上、心の中の動きとブログの話しか書けないのがあれだけど。 今年の思考の動きの概括 年始めはかなり鬱々としていて、自己認識の見直しみたいなことを延々やっていた。 これまで努力のために自己否定をして、こんなダメな自分は人より頑張らないと人並みにならないというロジックで這い上がろうとしてたんだけど、ここ数年でそれに限界が来て、徐々に軌道修正していた。今年になってようやく着地した感じ。 「なんとなく」の排除と徹底的に考えること ひとまず何事についても納得がいくまで事前に徹底的に考えておくべきだ、という結論に達した。 自分は瞬時に妥当な答えを出すタイ…

  • 「あるくない?」と方言の醸成について

    若手のブロガーさんの文章の中に、「あるくない?」という言葉が用いられているのを目撃して驚いた。 「~ってあるくない? みんなはどう思う?」のような使い方がされている。どうやら「あるんじゃない?」と等価な表現らしい。 初めは方言の類かと思っていたが、調べてみると「若者言葉」と評されている。 吉本さんの日記 : とびまわる言語学者~パート3~ 若者言葉で「あるくない?」や「知ってるくない?」等の言葉を... - Yahoo!知恵袋 ブログでこの表現を用いていた方も、標準語の書き言葉の中でこの言葉を使っているあたり、この用法で利用可能だと認識しているようだ。 この表現はいったいどこから来たのだろう。…

  • 同性婚問題と婚姻のかたちについて

    なぜ前回の記事を書いたかというと、「LGBTの先」を論じた記事があったから。 『LGBTの次は「ポリアモリー」』とのこと。まあ「多様な愛の形」から考えるとそうなるわな… - 見えない道場本舗 あとはこのあたりのやりとりも同じトピック。 タブーとは何か。 - Togetterまとめ 【アメリカ】同性婚認めたから「一夫多妻も認めろ」と結婚届提出 ~コリア-さんらは、拒否された場合は訴訟を起こす構え [H27/7/4] : アメリカンニュースログブログ いくつかある論点を箇条書きすると以下。 同姓婚が許容されるなら: 一夫多妻制、一妻多夫制も許されるべきではないか 重婚も許されるべきではないか 近親…

  • LGBTに関する考え方

    自分自身はいわゆる一般的な異性愛者で、現在身の回りにもLGBTに属する人はほとんどいない。(いるのかもしれないが、少なくともカミングアウトされてはいない) ネット上でよくこの手の話題を見かけるようになったので、現時点での自分の考えをメモしておく。 LGBTであることは誰にも止められないし認められるべき これについてはもうだいぶ社会的に浸透した見方だろうしあえて言うまでもないけど、そのような志向性を持つことは認められるべきだと思う。 生まれ持ってそういう思考を持っているんだから、それを禁止するというのはその人格の存在を認めないことにすら近い。思想の自由を持ち出すまでもなく、人として当然の権利。 …

  • ブログに書く文章を少し綺麗に整えたいなと思い始めた。 自分が何故だらだらと長くテキストを書くかというと、読み手の背景知識による影響をなるべく少なくしたいから。 まともに書くと専門用語がずらずら並びそうな面倒くさいトピックを論じるとき、それぞれの語に関する読み手の事前知識を前提にすれば確かに短く簡潔に書けるけど、大多数の人にとっては意味不明な文章になってしまう。 もっと一般的に考えても、言葉を使って意味を制約するほどその言葉が意味する範囲は狭まっていく。 誤解の余地のないように、誰が読んでも比較的同じように「わかる」ようにするためには、なるべく言葉を尽くして「あれでなく、それでもないこれである」…

  • ひとつ前の記事が難産だった。ふと思いついたことをがーっと書き出すのは楽なんだけど、トピックが先にあって、そこから論を構成するのはまるで違った難しさがある。 元々自分の脳内のストックにはなかった論なので、調べ物もずいぶんしないといけないし。それだけ勉強にはなるんだけど。 職業ライターの人は大変なんだろうなと思う。 書いていて、自分が興味を持っているのはまさに「表現」なんだなあ、と強く感じた。 こんな服を買いましたとか、PVがいくらになりましたとか、偉い人は○○と言っていましたとか、そういう事実の伝達に終始する記事にはほとんど興味を持てない。 書き手の心の中で何が起きたのか、その体験こそが知りたい…

  • 表現の自由と暴力の狭間

    表現の自由に関する試書 - tsukaki1990@blog この記事から色々と考えたこと。元記事とは重なっている部分もそうでない部分もある。 現実に理想的な表現の自由が体現されていることはほとんどないし、それは自由と暴力が紙一重だからだよなあという話。 表現とは何か 以下の論では表現を、「個人の思考によって生まれた何かを他者に伝達する営み」として定義したい。 たとえば、「本日X時にYでZがありました」と表明することは表現ではないと思われる。 これは事実の伝達にすぎない。起きた事実をそのまま伝えようとすれば、誰が書いてもこのようなテキストになる。 しかし、「本日こういうことがあって、素晴らしい…

  • なぜ数学が必要か―数年前の自分に宛てて―

    数年前の自分は少なくとも周囲の人々と比べて数学というものが苦手で、でもそれを使わないと事が前に進まずに悶々としていたんだけど、最近はいくらか慣れてきて心持ちも変わった。 (それでもまだ得意とはいえないが、必要最低限についていける程度にはなった) どうしてあの人たちはあれほどまでに数学的にしか議論を受け入れてくれないのか、とか、それってほんとに生産性に繋がってるのか、とか。 そういう疑問が当時はあった。最近は、こうした問題にもある程度納得がいくようになってきた。 「数学語」の存在 われわれは日本語を日常的に用いて、相互にコミュニケーションをとっている。なにをもって日本語の実体とするかはともかく、…

  • 面白いとか惹かれるなと思ったブログをひたすらRSS登録していくと、定期的に発達障害の話題が舞い込んできていろいろ考えてしまう。 診断を受けたわけじゃないけど、自分も多かれ少なかれ引っかかるだろうなとは常々思っている。恐らく自閉傾向がある。 今は社会生活が困難とまではいかない、やや変わり者程度の扱いで踏みとどまれている気がする。 これが生まれつき偏りの程度が軽かったせいなのか、自覚がなかった頃に必死で自分を殺して周りに適応しようとした努力の結果なのかはわからない。 思い返せば、小中高あたりまでの記憶は暗澹たるものである。 頭の中は常に「このままじゃだめだ、自分を変えなきゃ」ばかりで、行動を起こし…

  • 思考と多様性

    ただ、思考だけが在る場所へ - deschooling web http://deschooling.hatenablog.com/entry/2015/11/16/012632 人間の思考は多面的で、ときとして一貫性を持ちません。しかし、現実での人間の発言には一貫性を求められます。さらにはその人の一面にしかすぎない価値観や属性(男女、右翼左翼、職業などなど)に矮小化されることもあります。統一的な自己でなければならないという現実の要求が、実は考えるということを脅かしている、と私は考えています。 社会的な属性がその人の思考の発露を制約しうるというのは常々感じていて、だからこそこういう場で語ること…

  • 国立電子図書館を作るとどうなるか

    図書館なんていらないよね。国立電子図書館を作ればいいじゃん。 怪盗ぶらり団 図書館を全廃して電子化し、一元管理する国立電子図書館を作り、定額で閲覧させるというアイデア。 非難轟々だけれど、誰しも一度は考えそうな構想ではあると思う。具体的にこれの何がまずいのか、ちょっと考えてみた。 最大の問題は出版市場が立ち行かなくなることであるというのは容易に想像できると思う。これについては元記事も考慮している。 コンテンツの摂取だけ考えれば全て定額の電子的な貸し出しで済むので、本を買う必要がなくなる。その結果、出版社は採算が取れなくなる。 じゃあどうすればいいかというと、国が出版社を買い上げればいいとい…

  • 思ったことを素直に書いても殴られるのは自分の人格だけで済む場所が欲しくて、新しくTwitterアカウントとブログを作った。 数年前まではそういう場がTwitterだったんだけど、Twitterアカウントとひも付けて色々活動をしているうちに現実で面識がある人とも繋がる羽目になって、さらにはTwitterアカウントを仕事がらみのポートフォリオとしても利用するようになって。滅多なことは喋れなくなってしまった。 チラシの裏のつもりで使っていたものが、気づけば名刺になっていたらしい。 ネットで喋れないでいる間にも色々と心の葛藤があって、心持ちもずいぶん変わった。 どうも自分は対人関係の構築能力に欠陥があ…

  • 目次

    過去記事のまとめ。随時更新。

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