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白隠和尚
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2015/10/31

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  • 鰻の来た日

    〈今日は鰻だった〉今契約中の弁当屋は弁当箱を受けとるまでの手順が仰々しい。先ず配達人は私が「本人」である事を確かめる。私以外の誰がここに住まっていると思っているのか!私はまるで居ながらにして採血待ちをしている気分である。次に弁当受け取りのサインをする。これはさすがに最初だけにしてもらった。ただし、献立が気に入らないからといって弁当の受け取りを断ったことはない。きっと難しいことになるだろうな・・・弁当の受け渡しは直接手渡しでなくてはいけない。以前パソコンの手が離せなくなったとき玄関の適当なところへ置いてと云って、注意されたこともある。弁当の配達は後期高齢者の副業になりつつあるかも。最近新顔の爺さんが加わったお見受けしたところ元気そうだが、私より年長85才だろうか、私は爺さん程の腰は曲がっていないからきっと私の方が...鰻の来た日

  • 法隆寺の帰り道

    〈五重の塔〉法隆寺の次は何処に回るのがお勧めだろうか。私の子供達が案内して呉れたのが「安部の文殊院」だった。法隆寺の隣の桜井市に有るミニ古墳だったが、息子に考古学の興味が有るとは思えんから、ここは夕食までの時間稼ぎをする作戦だと思った。〈古墳の入り口〉古墳の中は三畳ほどの広さで古い石仏が祀られていた。陽がだいぶん傾いた頃、長谷寺に寄った。奈良に向かう道で途中下車したような参詣だった。〈長谷寺の本堂〉長谷寺の噂は少しは聞いていたが今日が初めての来観である。麓の山門とおぼしき辺りから中腹の本堂まで真っ直ぐに石段が400段ある。途中に息継ぎをするところがないから、四国の金比羅さんに負けないくらいの険しさである。が不信心者には麓から本堂まで軽自動車で昇降してくれるのが嬉しい。本堂には「西国三十三所」の幟も読めた。境内か...法隆寺の帰り道

  • 法隆寺の 仏像(国宝)たち その 2

    〈薬師如来座像〉耳の病を直してくれる仏〈薬師三尊像〉〈行信僧都座像(ぎょうしんそうずざぞう)〉〈道栓律師座像〉〈救世観音〉〈釈迦三尊像〉〈伝橘夫人念持仏(でんたちばなぶじんぶつ)〉〈伝法堂の仏たち〉おわり、今度法隆寺見学するときは予め宝物の収納先を調べて無駄足しないようにする積もりです。疲れました。法隆寺の仏像(国宝)たちその2

  • 法隆寺の仏像(国宝)たち その1

    〈聖徳太子座像〉〈百済観音像〉〈九面観音像〉〈夢違観音像〉祈れば悪い夢も良い夢に変えてくれると信心された〈地蔵菩薩像〉〈五重塔の宝物(塔本塑像)〉塔の東西南北それぞれの入り口から見ることの出来る宝物涅槃像土〈北の入り口〉釈迦の入滅を嘆く弟子達写実性を重んじた天平時代に作られた阿弥陀像土〈南の入り口〉分舎利仏土〈西の入り口〉維摩詰像土(ゆいまきつぞうど)〈東の入り口〉今回掲載した写真のその殆どはNHKの番組から引用しております続きは「その2」で・・・法隆寺の仏像(国宝)たちその1

  • 奈良へ一泊旅行 ~法隆寺の建築物~

    子供達が誘ってくれたので出掛けた。1泊では正直物足りないないが何分にも障害者の身分だから贅沢は言えない。車に二日分?の酸素ボンベとして7本積んだ。途中で酸素が不足したら自分で酸素ボンベのバルブを加減して生き延びる積もりだ。〈酸素ボンベ〉昼少し前に法隆寺に着く。法隆寺は603年に聖徳太子が仏教研鑽の場として発願された寺という。世界最古の木造建築物として、1993年に我が国最初の世界文化遺産に登録された、〈南大門〉〈五重塔と金堂〉〈西円堂〉〈大講堂〉〈食堂〉〈綱封蔵〉〈東院鐘楼〉〈夢殿〉〈東院伽藍〉お断り:此処に載せた写真の多くはNHKの制作番組から引用しております。つづく奈良へ一泊旅行~法隆寺の建築物~

  • 花の 金曜日

    今朝も背中が痛くて暗いうちに目が覚めた。寝返りを繰り返しているうちに外が明るくなったので起床。餅を焼いて食べた。今日は訪問看護師もホームヘルパーも来ない日、ヘルパーのB子さんが「今日は和尚さんの花金ですネ」と言って笑った。当たってる。午前中は録画しておいた小津安二郎監督の映画「お茶漬けの味」を見て過ごす。昭和27年の作品、小生がまだ小学生の頃の映画だ。映画は戦後復興期の都会の中流家庭の暮らしを淡々と描いた佳作である。その頃、市井の人は食べるのが大変だった。我が家も母が大勢の子供を抱えて借家を転々と転々とし、食うや食わずだったことをふと思い出した。寝そべって昼が来るのを待つ。テーブルの上のボトルの数がまた増えている。ちょっと壮観だ。娘は私に寝ているだけでも脱水症になるとかいって私に水分補給をペットボトルで促してい...花の金曜日

  • ヘルパーさんと私 いい関係

    わが家に来るヘルパーさんは40代の女盛りのお母さんという感じだ。どちらも細身のスラリした姿が若々しい。きっとダイエットで身体を作って居られるのだろう。お世話になりもう半年になる。今はお互いに角が取れて友達同士のよう、私のくだらない話にも声を出して笑ってくれる。彼女達は「今日は顔色がいいですね」とか「今日は息づかいが静かです」「和尚の膝頭は艶があってまだお若いですよ」とか変な世辞を交えて私を苦笑させておいて連絡帳に私の健康状態をメモしている。当然ながら彼女達は笑ってばかりではないのである。彼女達は老人を励まし元気づける術を何処か身につけておられるようだ。折角来てくれたのだ、茶の一杯でも差し上げようと思うのだが、彼女達は処女の如く私の申し出を固辞する。彼女達はテイッシュペーパー1枚も受け取らないと言うから見事である...ヘルパーさんと私いい関係

  • ~ 元気な寝たきり老人 ~ (後半)

    囲碁にもテレビも飽きるとまた、長椅子に寝そべる。時刻は10時少し前"今うたた寝すると夜寝られんぞ"と自分に言い聞かせるものの、眠くて堪らん。10時をだいぶ過ぎた頃に弁当が届く。近くの老人ホームの自家製弁当だ。献立も味つけも何となく老人食っぽい。煮物は形が崩れているし、卵が多すぎる、私は卵がどうも苦手だ。昼を食べ終わると眠気が不思議に消えて外出したくなる。娘を始めとする「私の守り人達」は揃って私の車の運転に反対する「危ないから乗るな、乗るなら近くの買い物だけ、高速道路絶対反対」と声を揃える。私の運転歴60年の輝かしい経歴も彼女達の前ではまるで見えないらしい。彼女達にとって私は病弱な後期高齢者の一人にしか見えないのだ。娘は私の周りをドリンクや食糧で囲み「足りない物はないはずだから」と食糧による「格子なき牢獄」を築で...~元気な寝たきり老人~(後半)

  • ~元気な寝たきり老人~ (前半)

    最近は体の調子が良いせいか何を食べても美味しいのが嬉しい。昨日食べた鰹のたたきの旨さは当分忘れないだろう。私の朝のお目覚めは7時頃、眠りにつくのは1時頃である。昼間のうたた寝の多少で寝起きはバラバラである。起き出してトイレを済ませたら長椅子に場所を変えて何物かを腹に詰めて食べ終わった後は静かに身体を長く伸ばす。退屈な長い一日の始まりだ。天井を仰ぎ見る。煙草のヤニで煤けた壁と天井に囲まれた部屋に掛け時計とクーラー、セザンヌの複製画が目につく。薄汚れた部屋であるが。ヘルパーさんも「何処のお宅もこんなものですよ」と言ってくれるからまあいいか。同じ姿勢でじっとしていると背中の何処かが「痛い痛い」と言い出したら起き上がりテレビかパソコンだ。体調の良い今日は囲碁をする。ご存知のように囲碁は始めると次第に頭に血が上るから関脇...~元気な寝たきり老人~(前半)

  • "背中" 終わりの見えないたたかい"

    「お父さんどうしたの」の声に目が覚めた。気がつくとベッドの上で頭を足の方にして寝ているのだ。また娘に醜態を見せてしまった。娘は「散歩に出ているのだと思った」といって笑った。私は前夜から背中の激痛で七転八倒したらしく、のたうち回っているうちに安眠出きる位置を身体が探し当てたのだろう。まあベッド落ちなくて良かった。娘は当然のように整形に行こうと言うが私は気が進まない。初めて此処で診察受けた日、医者は「肩甲骨の捻挫を治す方法は無いよ」と素っ気なく言い痛み止め注射を打った。注射の効果でその日は痛まなかったが、翌日になると痛みは激痛となってぶり返したのだ。堪らずまた再診を受けたら「頑張って直しましょうね」に変わった。頼りなのである。それを言うと娘は「お父さんは文句が多いと叱られるのだが」そして昨日である。昨晩は良く眠れた..."背中"終わりの見えないたたかい"

  • 三人の娘さんと会話する

    始まりリハビリセンターのインストラクターと「どんな連休だったの?!」「京都の友達の所に行って京都見物して、家に帰って来て次の日は近郊の遊園地や名所めぐりをして夜は友達と飲みに行きました。田植えも少し手伝いました」「ヘエー、田植機が運転できるの?!」「いいえ、父が運転します。機械の入れない田んぼの隅っこの方を私が手で植えます」「田んぼに素足で入るんだ、感心したよ」「うーん何ともないです。昔から田んぼで遊んでいたので全然平気ですよ」二人目スタバのA子さんとそうーと近付いて来るなり「ねえねえ、和尚さん聞いて、私また出来たみたい」「えツ何が出来たの」「彼です」※彼女から昨秋ボーイフレンドと別れたと聞かされていたのです「それは良かった。今度は上手くいくといいね」なんと言う陳腐な相槌、もう少し気の利いた事が言えないのかと自...三人の娘さんと会話する

  • 続 " 大人げな い話 "

    隣町に日本海で獲れた魚介類を直売するスーパーが開店したと聞き早速出掛けた。噂は本当だった。深海魚のような見かけない魚も、ホタルイカも並んでいた。威勢のいい呼び込みの声が飛び交い新装開店らしい活気があり、レジのおばさんも酸素ボンベを曳く私にニコッと愛想笑いをしてくれた。ここまでは良かった。私がレジの前で財布を出して小銭を探していると、くだんのおばさんが私の横に立ち小声で何やら呟いているなと思ったら、やおら私の財布に指を入れてコインをつまみ上げ上げて精算機械に入れたが、そのはずみに1円玉が足元に落ちてコイン探し騒動になった。私の「探さなくても良いから」と言う制止を無視しておばさんはあちらこちらと探し始めたからレジに客の渋滞が起きた。結局コインは近くのお客さんの足元で見つかった。レジのおばさんは客に丁寧に頭を下げて礼...続"大人げない話"

  • " 大人げない "

    昔の職場仲間の訃報を幹事役が知らせてきた。20年以上も疎遠にしている同僚の長話にいささかうんざりしつつ付き合っているうちに、相手は私の近況を知りたがっているのだと読んだ。テキ(幹事役の事)はと言えば、富士五湖湖畔のホテルの予約が取ってあって、連休を利用して孫と娘夫婦総出で出掛けるといい「お前はどうだ」と言うわけ。何とも羨ましい話に加えて「何処に出掛けるにも混むし、疲れに行くようなもの」と贅沢を見せびらかされてついカチンときた。大人げないと思ったが「ああ、俺も出掛けるつもりだ」と切り返したものである。私の「ちょっと外出」とは旅行でも何でもなく、隣町の大型ショッピングモールの床屋にいくだけの事(病身の私には大事である)だから今思い出しても赤面物である。振り返ってみれば去年の五月は良かったなー。国内、海外旅行と続いて..."大人げない"

  • 背中が 火事だ

    今年は私の厄年の様な気がする。昨年秋から慢性肺気腫を患い酸素ボンベ無しでは息も出来ない状態に加えて、正月からずっと引きずっている背中の筋肉痛が重症で右腕を動かすと患部が疼き、痛くて酸素ボンベを満足に曳くことも出来ない。みかねた娘の勧めに従って整形外科で診て貰ったら「肩甲骨の内側の関節の捻挫」だと言われた。そんな身体の奥に関節があるという説明に驚いたが、医者が治ると言わないのが私は面白くない。医者は匙を投げたと思った。それでも処方された痛み止めの絆創膏を貼ったら痛みは少し痛みが和らいだが、絆創膏は乾くと猛烈に痒くなり、「孫の手」を脇において痒い所だけを掻く作戦にしてみたが、この方法も失敗で背中全体に引っ掻き傷模様が出来て、ヘルパーさんさんから今日は「塗りますか」「貼りますか」と迫られる始末。「弱り目に祟り目」の諺...背中が火事だ

  • 初夏 初めての冷奴

    〈冷奴〉今日は週に一度の配達弁当を食べない日、自分の好きなものを食べると決めた日だ。さて何を食うかとぼんやり考えていると娘が唐揚げ弁当を提げてきた。一目良い色に揚がった唐揚げを見て、よし昼は唐揚げ弁当に決まり。昼寝から覚めて今夜の献立を想う。まず思い浮かんだのが「冷奴」だ。もう長いことご無沙汰だし、今日の陽気にぴったりだ。今晩は冷奴だ。豆腐に生姜をチョイと載せただけのシンプルな味わいが私は好き。よしと気合を入れて早速外出。当地も少し前から気温が爆発的に上昇して、今日も窓を少し開けて車を走らせる。テレビが80代の爺さんの暴走事故を惹き起こして大勢の死傷者が出たと頻りに流していた。他山の石と銘すべし。対向車の目線に注意、運転は臆病なくらいで丁度良い。和尚あんたももうすぐ80だ。他者の運転技術を信じるな。年寄りの運転...初夏初めての冷奴

  • W・チャーチル著 「第二次大戦回顧録」を読む

    〈私にルーペは必携品長い時間使用すると目が疲れます〉公立図書館でチャーチル(1874ー1965)の大著「第二次世界大戦回顧録」(抄本)と劉暁波(りゅうぎようは)の「天安門事件から(08憲章)へ」を借りて読む。回顧録の原著は7冊、日本語訳は24冊だそうだ。我が地元の図書館の蔵書は殆ど散失していてまともなのはこの抄本だけだった。私には読み頃の一冊だ。以下に印象に残った箇所を拾い出してみた。[回顧録拾い読み]◆ヒトラーは下層階級の出身。若い時は宿賃にも事欠く暮らしで、食うためには何処にでも、共産党にでも転がり込んで録を食む男だった。◆共産党を大戦中から嫌い、特にスターリンを警戒して彼を「掴んだ領土は決して手放さない男」と書いている。ソ連に関する記述が少ないので既に「鉄のカーテン」が降りていたのかも。◆ルーズベルト米大...W・チャーチル著「第二次大戦回顧録」を読む

  • ボンベよ 今日もありがとう

    昨秋退院した日から私は酸素ボンベを使うように主治医から指示があって「身体障害者手帖」をいただいた。こうして私は重病人の仲間入りをした。この先再び肺炎にかかったら私の人生は終わりだと思う。私の持病の肺炎はタバコの吸いすぎが原因、身から出た錆である。現在は24時間酸素ボンベからチューブに繋がっており、自由を奪われた囚人のような生活であるが、正直を申し上げるとチューブを外したら即あの世行きというほど病状は深刻ではない。短い時間ならチューブが鼻から外れても大丈夫である。ただし、鼻からチューブが外れているところをヘルパーさんに見られると些か面倒だ。連絡帳に書かれて仲間内に噂になって広がるとやがて〇〇マネジャーから注意をされる。ことと次第によっては「身体障害者手帳」を取り上げられたらまた一大事である。そう言うわけで私はヘル...ボンベよ今日もありがとう

  • ひとり者の花見

    日中の気候が春めいてきたのでストレスを仕舞おうか迷っている。今日はリハビリの日、ダウンジャケットを脱いで春用ジャンパーに着替えて外出、序でに帽子もハンチングに変えた。控えめに春の装いに変えた積もりである。私のお洒落は妻から直伝である。リハビリセンターでは孫より年若な女性インストラクターのお出迎え「和尚さんお似合いですワニマークですね」とジャンパーに世辞を云った。マッサージしながらインストラクターは前夜の夜桜見物の様子を話した。屋台が沢山出ていて賑やかっだた事や烏賊の姿焼きが食べたかったがゲソで我慢した、等の他愛のない話で笑った。私も桜が見たくなってお気に入りの散歩道に向かう。満開だった。滅多に人の通わない堤防の上で今年もひっそり咲いていた。花の付きも貧弱で勢いがない感じ。一通り写真を撮って直ぐ引き揚げた。玄関先...ひとり者の花見

  • Bさん "あんたが一番好きです"

    我が家には4,5人のホームヘルパーさんが週に2度交代でお見えになる。部屋の掃除や洗い物、私の着替えの手伝いから私の健康状態のもろもろを連絡簿に記してお帰りになる。お陰さまで私は家事一切に関わらずに暮らせている。有り難いことである。私はホームヘルパーさんの一人B子さんが好き、毎回でも良いから来て欲しい人である。彼女はいつも穏やかで飾らない人柄の笑顔を絶さないお母さんという感じの人だ。彼女が帰った後、玄関のスリッパと履き物がきちんと揃えて有るのを目にすると彼女の気持ちの細やかさが見えて私は嬉しいね。なあーんて私が思っていることを彼女が知ったら気持ち悪いはずだから内緒、ホント、彼女は高齢者に待ち遠しいと感じさせる魅力があるよ。そんな訳でヘルパーさんがお見えになる火曜日と木曜日は私は朝から落ち着かない。もし、Bさんが玄...Bさん"あんたが一番好きです"

  • 招かれざる客

    チャイムが鳴ったので玄関に出てみるとやっぱり老友O氏だった。見知らぬ老人と二人で立っている。O氏から再会しようと電話が有ったとき私は「元気になったらこちらから連絡する」と断っていたのに・・・鼻にチューブを差した姿を自称85才のO氏に見せたくないからなのだが、それでもO氏は押し掛けてきた。O氏は「まだ元気だね」と妙な言い回しで私の健康を喜びながら綺麗にかたずいた部屋を眺め回した。私がヘルパーさんに身の回りの世話を頼んでいることをご存じないのだ。彼は私が元気にしているのを不思議そうに眺め、病気の事や入院生活、酸素ポンベのことなど細々聞いてくるので些か閉口したし疲れた。我々は暫く雑談したがそこは老人同士(私が一番年少の積り)聞き取りにくい声でボソボソと話しをし時々声にならない声で笑った。私には重苦しい時間が過ぎて、O...招かれざる客

  • マリア・カラス "讚"

    〈映画冊子より〉テレビで映画「フイラデルフイア」を観た。2回目である。あらすじはエイズ感染者(トム・ハンクス)に対する社会の偏見、不当を敏腕敏腕弁護士(デンゼル・ワシントン)が法廷で糾弾するという硬派の映画である。この映画のBGMの一部にM・カラスの唄うオペラのアリア「マッダレーナのアリア」が用いられているがここは絶品だ。エイズ感染者のトムが歌声に誘われて次第に幻想の境地に引き込まれるシーンは観るものをも同じ世界に引き込まれるような魔術的なエクスタシーを感じてしまう。私はM・カラスの歌唱のうち特に高音域の声の美しさに鳥肌が立つよう思いがする。良くまあ喉を傷つけずにあの高い声を息継ぎも見せず、たよやかに発声出来るものだと・・・正に至芸、驚嘆するばかりである。この正月には『私はマリア・カラス』という映画も観た。こち...マリア・カラス"讚"

  • またまた 便秘との闘い

    確か2週間ほど前にも酷い便秘してもう2度と繰り返さないと誓った筈なのにまたやってしまった。ダメですねえ私は・・・昼食を済ましたら急に激しい便秘を感じた。今日は一気にけりを付けてやるぞ意気込んでトイレにタブレットを持ち込んで長期戦に備えた。例によって気配はあるが進展はない。今日は重症の予感がしたので、中座して薬を買いに走った。家に戻り早速赤い米粒位の下剤を1粒飲む。椅子に腰掛けて下腹に触れてみるとパンパンに張っている。訪問看護師がいつも聴診器を当てる訳が分かった。下剤はなかなか効いてくる様子がない。1錠では足りないのかとイライラ、便秘特有の痛さと苦しさに波状的に襲われて苦しみ続けて4時間ほど脂汗を流した頃、漸く解放された。ちょうど大関「栃の心」の取り組み中だった。闘いが済めばそれまでの苦しみが嘘のように消えて楽に...またまた便秘との闘い

  • 「 お若いですネ 」

    人は誰も若く見られたい、若く美しく在りたいと思うは古今を問わず人間の性、健康に暮らせていることの証であろう。しかし、齢80を超す老人には「お若い」より「お元気で」と言われる方が真実味がこもった褒め言葉である。私も時々お若いと言われる、ただし「お年の割りに」と枕詞が付くことが常、チョッと癪である。若いと若いとおだてられてその気になった失敗した事・・・何時だったかスタバのスタッフひとり、笑い上戸のお母さんに「私は幾つでしょう」とクイズもどきに質問したらなんとお母さんは真顔で「85才位?!」と答えた。私は思わず質問した事を後悔した。あんたは何処を見ているのと腹の中で憤ったがすぐ反省した。きっと、お母さんの目には高齢者は皆同じ後期高齢者に見えるのだと・・・それにしても85才は私が少し可哀想。ホームヘルパーさんにも誉めら...「お若いですネ」

  • 只今 リハビリ中

    私は月曜と木曜日の午前中にリハビリに通っている。リハビリで体のどこかを改善しようという崇高な動機から始めた訳でもなくて、只毎日家でごろごろしているよりリハビリに通ってみたらという、女性群の談合の結果である。今日が5回目。専任のトレーナーが出迎えてくれる。彼女は22才と我が孫よりお若い。まだ化粧もしていないが十分美しい。匂うような若さがある。聞けば今年一人立ちしたばかりで最初の患者がこの私だという。私も少し緊張した。ベッドに横になりマッサージを受けているうちに私は次第に身も心もリラックスして普段の図々しさを取り戻して、彼女との雑談を楽しむ余裕ができたので、現在の若者気質を聞いてみると「普段は遊びの計画を考えることや友達とお喋りが楽しくて堪らない。今年初めてスノーボードを始めました。ゴルフも面白そうですねー。食べる...只今リハビリ中

  • 某月某日 "どうして懲りないのだ"

    訪問看護師が私のお腹に聴診器を当てて(訪問看護師は下腹部にも聴診器を当てるのである)「少しガスが溜まっていませんか?」と遠回しに便秘を告知した。私はすっかり忘れていた。もう何日も用を足していない事と、1年前の真冬の凍えるような日の朝、便秘と戦った悪夢のような苦々しい30分を・・・看護師の診断は正しかった。あくる日の午前中に漸く陣痛を催した。私は今日中に決着をつけてやるぞと早々に便座に腰掛けた。形容しがたい苦痛に声を出してうなり呻き(誰も聴いていないから)苦闘したが進展せず。予想外の延長戦にとうとう玄関のチャイムが鳴った。弁当屋の爺さんが弁当を届けにきたのだ。間の悪い時に来るものと私は挨拶もそこそこに弁当を受け取り試合再開。ところが中断したのが幸いしたのか、腸の躍動が活発になったのか今までの苦痛が嘘のようにあっさ...某月某日"どうして懲りないのだ"

  • "お母さん背中掻いて"

    正月過ぎた頃から右腕の肩甲骨の内側に筋肉痛らしき痛みを感じている。くしゃみや咳をすると飛び上がるほど痛い。まず、くしゃみを予防せねばと娘に相談したら、くしゃみが出そうになったら鼻を摘まむと良いという。お父さんのくしゃみは大きいから私もびっくりするよともいった。相撲取りが貼っている大きめの「痛み止めテープ」を貼ってみた。手が届かない場所だけにヘルパーさんに2日毎に張り替えて貰っているのだが一向に痛みが取れない。それどころか何度も貼っているのでテープで皮膚が被れて痒くなってきた。「孫の手」で間を措かずポリポリやっている内に痒みは増殖して今や背中全体に広がった。ヘルパーさんによると引っ掻き傷やみみず腫れが沢山出来てますがどうしましょうかとなった。大事だ。妻がいてくれたらこうなる前に何とかなった筈。「おいちょっと」と声..."お母さん背中掻いて"

  • ドナルド・キーン氏の死を悼んで

    キーン氏が亡くなられた。彼は日本人以上に日本を知り日本という国を愛し、日本人になった人だ。私が最初に読んだのは『日本人と戦争』だ。第二次世界大戦でわが国の敗戦が色濃くなっていくなかで国民は世相をどのように感じていたかを、当時の作家の日誌を集めて編集して考察を加えた作品だ。私はキーン氏は作家でなく文芸評論家、歴史家と知ったのは少し後だ。彼の日本文化や日本文学に対する並々ならぬ造詣の深さと驚嘆すべき徹底した調査と洞察力をもとに、平易な言葉で坦々と記述する力量はまさに学者研究者のスタンスでいつものブレがない。私は彼の著作を読むときはいつも辞書か参考書の類いを側においた。ドナルド・キーン氏は私に浅学非才を思い知らせると共に、知ることの喜びや楽しさを教えてくれた巨星の一人である。鬼怒鳴門さんありがとうドナルド・キーン氏の死を悼んで

  • 某月某日 ~ 女性がいっぱい

    旅友ミーコさんからネパール便りが届いた。〈ヒマラヤアンナプルナ峰〉今日は終日、大勢の女性の訪問があった。朝一番に娘が来て挨拶もそこそこに私の出したゴミを抱えて仕事場に戻っていった。私はリハビリステーションに向かって外出。専任トレーナーの指導でマッサージと体力づくりだ。トレーナーは青リンゴのようなフレッシュな娘さんで好感が持てる。私はついつい良いとこ見せようと60分頑張った。午後、弁当を買って家に戻ったところへ保健師さんから今からお邪魔しますと知らせてきた。彼女は私にとって健康査察官なり。笑顔を絶やさないが鋭い質問と的確な指摘に私はたじたじである。私はとぼけた返事を返しつつ、彼女は独身かなそれとも既婚だろうかと観察するうちにお帰りになった。一息つくまもなくチャイムが鳴った。てっきりセールスマンだと思い玄関に出てみ...某月某日~女性がいっぱい

  • 文字の四方山話

    東京・上野の国立博物館で特別展「顔真卿展王義士を越えた名筆」がまもなく終わる。台湾の故宮博物館が貸し出した肉筆だという、観たかった。日本では綺麗な文字を書ける人が何かにつけて有利だ。私の現役時代は手書きが普通だったから文字の巧拙は丸見えだった。意地の悪い上司は私の文を一瞥すると「君これは何と読めば良いの!」と分かっているのに嫌みに聞いた。隣席の後輩にはさらに意地悪く「清書して出しなさい」とあからさまに言って自尊心を傷つけ打ちのめした。今いうところのパワハラで我々に時代にも存在し耐えぬいてきた。その後ワープロやPCの登場は我ら悪筆組にとって受難からの解放だった。欧米では昔から美しい文字を必要とされず、むしろIQが低い人と見なされるといい、親も教育の現場も美しい文字を書くことに熱心ではないそうだ。英語は文字数が52...文字の四方山話

  • 寝てばかりいないで・・・

    最近は身体の具合も良いし何を食べても美味しい、今の悩みは夜半まで寝付けないことである。夜10時のNHK「国際報道2019」の終わりは私の睡眠解禁時刻であるが、全然眠くない。眠気は私を布団に誘いその気にさせておいて私を裏切る。私は常用の睡眠薬を飲む。薬が効いてこないと分かると次は羊を数える。「羊が1匹羊が2匹羊が3・・・」数えているうちに別の雑念が頭の中で沸いて膨らみ頭が冴えざえとしくるともう失敗だ。焦れて次はとうとう布団を抜け出してPCのネット囲碁に繋ぐ。〈棋聖戦第4局の終局図〉対局する。深夜、私のぼんやり頭と寝ぼけ眼では勝負はぼろ負け。またランキングを下げてしまった。しかし、対局して生欠伸が出始めたら眠くなった前触れ。漸く睡眠努力が報われる時を向かえたのだ。夜更かしした朝も起床は8時前。眠くて堪らんがお腹を満...寝てばかりいないで・・・

  • 勘違い 過ぎたるはボケの始まり

    昨日、断ってあるのに弁当が届いた。先週に続き又かと思った私は「お宅は先週も違ったでしょ、しっかりして下さいよ」と言ってお引き取りを願ったのだが、勘違いは私の方、今朝、娘に云われるまで間違いに気づかなかった。あの配達してきたお爺さんには生意気を言ってしまい申し訳なくて恥ずかしい。今度顔を合わせたらしっかりお詫びしたいと思ったが、肝心の相手のお顔を思い出せない。配達の人は毎回顔が変わるし、一人ひとり聞くわけにもいかず、う~ん困った。私は若い頃から人の顔を覚えるのが苦手で、特に男性の顔が覚えられず恥を掻いたり失敗した。最近は物忘れが特に進んだように思う。先方は何故娘に私の間違いを知らせて、私に何も言ってこないのだろう。こういう場合は私の所に先に苦情がくる筈である。まるで私の物忘れのひどさを見透かされて居るみたいで面白...勘違い過ぎたるはボケの始まり

  • 初めての [ジム]通い

    ジムに空きが出来ましたと保健師さんから報せが入った。この話を聞かされたとき私は冗談だと笑ったのだが彼女と娘は本気だったのだ。しかし、80才になる老人が酸素ボンベ片手にジムで汗を流す姿を想像するとぞっとしないねー。ジムには後期高齢者用のどんなプログラムがあるのか、もし、途中で飽きたらどうしようなどと些か及び腰にもなったが、もう後に退けないとトレーニングルームに入る。若い女の子と男の子が待っていた。どちらも研修生かなと思ったら女性がインストラクターを名乗り私を驚かせた、更に私が初仕事の相手だというだという。私も初めてのジムだから親近間をもった。男性は研修生だと言ってピョコンとお辞儀した。私は若い二人のインストラクターの溌剌とした感じに少しホッとした。早速リハビリ開始。全身マッサージの後、200歩歩いて血中酸素濃度と...初めての[ジム]通い

  • 立春 お風呂が一番

    寒い寒いと縮んでいる間に「立春」が過ぎた。微かに陽の光が明るくなったように思える。私は世間の人より寒がりだ。部屋の温度は20度以上を目安に保ち、十分に重ね着していないと落ち着かない。ヘルパーさんの中には部屋に入ると上着を脱ぐ人もいる。風呂に入るとて裸になるのが嫌な時、最近はヒーターがついたので裸になるのも苦にならないが、洗い場のタイルの冷たさが気に入らん。そこで風呂マットを敷くことを提案したが床が汚れるからと却下された。お湯は熱目の43度がいい。湯船に浸かってから体に少し赤みが差し額にほんのり汗ばむくらいに追い焚きする。どうしても長湯になってしまうが、ヘルパーさんには頭痛の種かやたらに「大丈夫ですか」と声が掛けてくる。最も多い日は5回「大丈夫ですか」と声が掛かった。私はそのたびに「まだ良いよ」と返事する。黙って...立春お風呂が一番

  • 某月某日~財布を軽くした日

    〈はんぺん玉葱入りと牛蒡巻き〉私は昼と夕食は宅配弁当を取っている。朝食も娘がパンか何かを提げてくるから食糧の途切れる事はない。つまり、娘が病弱な老人である私に車の運転をさせまいとしている苦労の形である。お陰で外出する事が減り私の財布の目方は正月以来殆ど変わりがない。滅多に買い物しないからである。ところが某日弁当屋の手違いで買い物に出るチャンスに恵まれた。配達されるはずの弁当が12時を過ぎても届かない。先方に電話すると「お宅の分は作ってありません」という。そんな馬鹿なと、暫くやり合って電話はおわった。しかし私は怒っていなくて、むしろ今日は好きなものが食べられるわいと思った。スーパーに行く。近くのコンビニでもよさそうに思えるが久し振りの買い物チャンスであるから、弁当を買った序でに他の何かも買い札びらを切ってみたいの...某月某日~財布を軽くした日

  • 某月某日 寒い一日

    午前の早い時間に娘が迎えに来た。今日からスポーツジムに行くことになっているが、私の気分はまだ冬籠もり中で些か気が重い。先方の担当者と娘が話すのを横で聞く。どうやら打ち合わせた内容に食い違いがあり、今日は打ち合わせだけに終わった。帰りがけに先方は健康器具を動かしても構わないと言って呉れたが断った。「逆らわず~従わず」というのが後期高齢者の健康の秘訣のような気がする。相手の話は「ふんふん」と聞くだけ聞いて耳の痛いことや都合の悪いことは「忘れたふりボケたふり」でやり過ごすのである。これは昔から爺さん婆さんに許された特技のようなものである。ただし、余り名演が過ぎるとヒッチコックの映画の主人公のようにどちらが本当の自分なのかわからなくなるかも。今日の昼は宅配弁当を断ってあるので「やっさん」から頂いた切り餅を食べる。〈やっ...某月某日寒い一日

  • ヘルパーさんに感謝

    今月から訪問看護師さんととヘルパーさんのお世話になっている。他にも厳めしい肩書きの女性がおみえになるが私は顔もお名前も覚えきれないでいる。大勢の女性の中で特に嬉しいのがホームペルパーのN子さんだ。彼女は私が風呂に入っている間に部屋やトイレ等の清掃をしながら時々「和尚さん大丈夫ですか?」と何度も声を掛けてくる。身障者の私が風呂の中で転倒しているのではと気遣っているのだ。彼女としては出来れば私と一緒に風呂に入り安全を見届けていたいようだが私はそれは恥ずかしいから風呂の中で「まだ大丈夫だよ」と返事をする。それにしてもヘルパーさん達の掃除を進める早さ、手際の良さには目を見張るばかり、まさにプロの技だ。お陰さまで家の中はすっかり整頓が行き届いてこれ迄の薄汚れた部屋がまるで他人様のお宅に居るように綺麗になった。彼女達は仕事...ヘルパーさんに感謝

  • 憎らしい酸素ボンベ

    私は酸素ボンベの酸素を年中吸い付けていないと「あんたはおわり」と宣告されてもおかしくないくらい呼吸器系が弱っている。昨年までの「明日はゴルフかそれとも旅行にしようか」といった遊び三昧に過ごし日々が懐かしい。今や部屋の中では酸素発生機が作る人工酸素をチューブで鼻に運び空気の酸素の不足分を補っている。チューブの長さが私の行動範囲だから私が動くとチューブも足元にまとわりついて煩わしい。就寝中は更に憂鬱である。寝返りをうってチューブを押さえたりすると、酸素発生機が突然「チューブが折れているよ」警告音を出す。それは大音量といって良く私は何時も飛び起きている。私の寝相が悪いせいだろう、再三チューブを身体の下にして同じ失敗をする。私は一度目が覚めるともう朝を待つしかない。ここだけの話、人工酸素を吸うことを止めたからといって即...憎らしい酸素ボンベ

  • 土曜日が待ち遠しい

    〈私の常食配達弁当〉去年の暮れに新しい弁当屋に替わった。3軒目である。今度の店は昼と夜も一日2食配達してくれるし、正月を除いて年中無休、しかも毎食味噌汁付きである。病み上がりの私が無闇に台所に立たなくて済むようにと娘が選んでくれた店である。そんなわけで私が台所に立つときはお茶を淹れるときか弁当の空箱を洗う時位である。ところが毎日昼も夜も弁当を食べていると私の好物を食べる暇が無いことに気が付いた。お腹はいつも弁当が占有しているので寿司やハンバーグを入れる場所がないのである。そこで考えた。弁当を摂らない日を作れば良いのだと。どうしてこんな単純な名案を今まで思い付かなかったのか我ながら不可解であるが、遂に先日弁当屋に通告した。『土曜日は弁当の配達はお断りします』と。今日は待望の土曜日である。弁当の来ない日である。私は...土曜日が待ち遠しい

  • 2019年 私の元旦

    昨年暮れ社会福祉協議会より「シクラメン」と「おせち料理」を小学生の書いた年賀状に添えて贈られて来た。子供さんの年賀状は微笑ましいし嬉しいが「おせち」には正直当惑している。わが家の分は既に買い置いてあるので、テーブルの上は満艦飾になった。雑煮を食べて近くの「日ノ出不動神社」に初詣に行く。このお不動さんは各務原市と関市の市境に位置する。我が家から車で15分という便利さもあって毎年出掛ける。神社の由来は背後の山腹に祀られる「落ちそうで落ちない岩」に依るらしい。受験シーズンには落ちない御利益にあずかろうと学生さんや保護者の人達で少し賑わう。夕飯は身内が集まり、すき焼きをつつきながら一年ぶりの再会と無事安寧を確かめ合うのも長年の習わしだ。今年は孫の卒業・就職が一番の話題で息子達はお祝いのお捻りを孫に手渡していた。私は娘か...2019年私の元旦

  • 初めまして ホームヘルパーさん

    ヘルパーさんが週に2回私の身の回りの世話をしてくれるようになっった。娘から「ヘルパーさんはお手伝いさんでは無いので思い付きで色々用事を頼んではいけないよ」と注意されている。初めてヘルパーさんと面談した時のことQ「今日は何曜日でしょうか?!」といきなり爆弾質問をされた。そう運転免許証更新の講習の際に問われたあの認知度テストの質問だと咄嗟にひらめいたから「日曜日ですよ、私には毎日が日曜日ですわ」とはぐらかしたら「まあー羨ましい」と相手も笑顔になってテストは合格。ヘルパーさんは私の入浴の手伝い、部屋の中の掃除、洗い物を手際よく片付けると少しお座りになる。この休息の短い時間が私の楽しみ、親交を深めるチャンスである。私は冠婚葬祭に類する話や、お金儲けの話には縁がないので専ら食べる話と小旅行を話題にするのだが、殆どの女性、...初めましてホームヘルパーさん

  • 私のこの一年 ~ 旅を満喫して 病に苦しむ ~

    年の初めに中国・福建省に旅行した。「温暖な気候です避寒におすすめ」というキャッチフレーズに誘われ出かけたものの、ずーと雨で底冷えが続いて肺炎を土産に持ち帰り入院した。2週間くらい過ぎて熱が下がると「不治の病」と追い出されるように退院、その後は自宅療養して小康状態が続いた。5月は旅行ずくめだった。始めは広島、「お好み焼き横丁」で食べたお好み焼きの美味さが忘れられない。宮島、呉にも行った。中旬は東京方面へ。国技館、上野公園、葛飾柴又、東京国立演芸場、横須賀港へ。湾内クルーズで米国空母「エンタープライズ」の偉容を見た。移動中初めて杖を使って歩いた。この頃肺気腫が進行したのか呼吸は苦しく重症の予感がした。下旬はギリシャへ。旅友・ミーコさんと一緒に参加した。〈ギリシャ四景〉メテイオラ修道院の入口の急坂で今まで経験したこと...私のこの一年~旅を満喫して病に苦しむ~

  • 「 スタバ 」の女性スタッフと再会

    〈娘とお茶を〉娘が買い物に誘ってくれたので一緒に出掛けた。先ずスタバへ。久し振りにエスプレッソが飲みたいし、入院中から励ましてくれた多くのスタッフの皆さんに元気な顔を見せたかった。店の入口の列に並びひょいと後ろを見ると滅多に珈琲を飲まない娘も並んでいる。此所に入るのは初めてのはず。どうやら私がスタバの噂をするので自分でも覗いてみる気になったらしい。女性スタッフは相変わらず美人揃い。お嬢さんスタッフ、若奥さん風スタッフ、おばさんスタッフとそれぞれ目が合うと「あら和尚さんお元気そうで・・・」と祝ってくれた。お目当ての「笑顔のお母さん」とも再会出来た。彼女は最初少し微笑んだがすぐ真顔になった。3ヶ月前、普通だった私が今、酸素ボンベを曳き、鼻チューブで呼吸する姿を目の当たりにして言葉を失っているように私にはみえた。スタ...「スタバ」の女性スタッフと再会

  • 久し振りに車で街へ

    今日は街へ、約2ヶ月ぶりに自分で運転して出掛けた。さかのぼって、明日は退院という日、娘は私に「危ないから車の運転をしないで」と言いだし、居合わせた看護師さんも娘に加勢したものである。察するに「お父さんはもう80才だし、そろそろ」と言われているのだ。女性陣の勢いに私が挫けそうになっているとき応援してくれたのが主治医で「近くに行くだけなら構わないでしょう」と助け船を出してくれて私の運転寿命が伸びた。そういった経緯があっての今日のドライブである。真っ先に床屋に向かった。退院以来ずっと髪は伸びほうだいのボサボサ頭だったからさっぱりしたかった。正月も近いしねー地元の床屋に入る。通いなれた店だと椅子に座るだけで「何時もどおり?」と聞かれ、私がうんと頷くだけで通じるのだが初めての店ではそうはいかない。髪の少ない頭に「分けます...久し振りに車で街へ

  • 仏教原典より " い つ く し み "

    次の教えは仏教学者・インド哲学者中村元(はじめ)博士の墓碑に刻まれた原始仏典の一節であり、仏陀の慈悲の心として広く知られるようになった。『いつくしみ』一切の生きとし生けるものは幸福であれ安穏であれ一切の生きとし生けるものは幸せであれ何びとも他人を欺いてはならないたといどこにあっても他人を軽んじてはならない互いに苦痛を与えることを望んではならないこの慈しみのこころずかいをしっかりと保て・・・今から2500年昔のゴータマ・ブッタ(しゃか)の教えであり、仏陀の慈悲の心として知られるようになった。仏教が戦う事なく世界中に広まった理由が分かる気がする。教えは判りやすく明解であるが、行うことの最も難しい難問であるおわり仏教原典より"いつくしみ"

  • 聴き損ねた演奏会

    引き出しを捌いたら演奏会のチケットが出てきた。7月に名古屋場所の観戦に行ったついでに買っておいたのをすっかり忘れていた。尤も当日は病み上がりの身体だったから分かっていても行けなかったと思うが、兎に角惜しいことをした。ピアノ三重奏は一度聴いてみたいと思っていただけに残念だ。演奏会には年に1度は行きたいね、最近は「スエーデン放送局合唱団」という耳慣れない演奏家の公演を聴いた。モーツァルトとフオーレの「レクイエム」という滅多に聴けない豪華な曲の組み合わせにも関わらずチケットはお値打ちだった。クラシックのチケットは年々高騰気味で、一昨年だったかチェロのヨーヨーマが来ると言うのでその気になったが料金を見たら19,000円と読めたので諦めた。高額チケットのトップはニューヨークメトロポリタン歌劇場がワグナーの「樂劇」を引っ提...聴き損ねた演奏会

  • " やっさんも重病だ "

    今日は昼食を済ませてから散歩に出た。昼下がりは風も強く吹かないし日差しが暖かいから気持ちがいい。人の往来の少ないのもいい。刈り取りが終わった田んぼの間道を落とし物を探しているかのように、酸素ボンベを曳いて歩く自分の姿を想像するのもまた滑稽だ。遠くに此方に向かってくる耕運機を見た。私は道端に寄り何気なく運転席を見て驚いた。なんと自称「奴隷のやっさん」が座っている。顔をマスクで隠すようにしてキっと正面を見据えて私に気付かない素振りで通りすぎた。噂ではやっさんは重病を患い、臥せっていると聞いていたので意外である。耕運機は彼のビニールハウスの横で停まった。降りてきたのはやはりやっさんだった。太陽を時計代わりに働く鉄人を知る私には目の前で痩せて杖を支えに歩く老人を見るのは衝撃的だった。余計なお世話と言われそうだが大病を患..."やっさんも重病だ"

  • ピカピカの身体障害者3級の戸惑い

    先週末に娘が『身体障害者手帳』手帳を持って現れた。遂に申請が受理されたと思うと感慨を覚える。主治医の尽力と娘の奮闘に心から感謝する。一昨日は退院以来初めて診察を受けに行った。娘の車にはちゃっかり身障者マークのステッカーが貼ってある。10時過ぎに院内に入る。正面玄関を潜るとボランティア風の叔父さんが私に車椅子を立てようかと聞いてきたがお断りした。人様の目には私が障害者に写っているのだと思い知った。予約した時間に診察を受けることができた。主治医は先月のレントゲン写真と今月のを見比べて「変わりないですね」といった。やれやれ今月も無事だった。私は早晩再入院することになると覚悟している。自慢にはならないが今年は既に2度入退院を繰り返したから(ついでに海外旅行と国内旅行を各々2回ずつ楽しんだ)今度入院することになれば自分の...ピカピカの身体障害者3級の戸惑い

  • 老友O氏との長電話

    知らない携帯電話から電話がかかってきた。出ると「和尚さん元気かね」と聞き覚えのある嗄れ声に老友Oさんだと分かった。彼は私より4~5才年長でいつも「元気かね」が挨拶の最初である。前回お会いしてまだいくらも日が経ってない早い誘いに私はおや!と思った。「今日は携帯電話を買ったのであんたに連絡しておこうと思ってね」「そう遂に買いましたか良かったね」と私。目が離せない細君と暮らしているO氏に私は携帯電話が便利と頻りに勧めてきたのだ。「久し振りに何時もの店に行くかね」と彼「えツ免許証あるの?」と私。「そうだねえ、6月に切れてそのままだよ」と落ち着いたもの、「では奥さんの通院の送迎とか買い物はどうしているの?」「うん、ま、いろいろ有ってね、ん、まあ会ってから話すよ、迎えに来て欲しいのだが」と結んだ。今度は私の番「・・・という...老友O氏との長電話

  • 散歩道で友だちと会う

    リハビリのつもりで家の回りを歩き始めた。今日で5回目。はじめは突然の酸欠発作に注意しておそるおそるだったが少し大胆に歩いている。昨日は1400歩歩いた。家を出るとき己の顔を鏡に映す。やつれてる、病み上がりと加齢が重なって顔の表面も輪郭もさらに年をとった気がする。イタリアでは高齢は財産と言って高齢者は大切にされるらしいが、さて、日本はどうか片手に酸素ボンベを乗せた小さな台車を牽いて歩き出す。これが意外に重く地面の凸凹を拾うので思った以上に疲れる。指先に血中酸素濃度計をつけ、歩数計も付けた。知ってる人と顔を会わしたくないのでマスクで顔を覆ってうつむき加減に進む。最初の角で早速声がかかった。見ると100mほど先の耕運機の上で、もう一人は野焼きバーナーを持った人が私に手を振っている。マスクで顔を覆っているのにもう呼び掛...散歩道で友だちと会う

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