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ノリの悪い日記 http://port-k.com

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

以下のキーワードで検索すると、このブログの記事が上位に出てくるようです。「ドロレス・デル・リオ」「突貫勘太」「猿飛勘太」「画角にまつわる話」「周セン」「わかりやすい話」「新橋喜代三」「ニューヨーク23番通りで何が起こったか」「ドリーの冒険」「ヘレン・モーガン」等。なお、「わかりやすい話」は、「わかりにくさ」を「わかりやすさ」によって顕揚しようとする馬鹿げた記事です。

ノリ
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2015/10/24

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  • 柔らかい土をふんで (4)

    前回の記事で『黄色いリボン』が出てきた必然として、黄色の帯に「それはジョン・フォードにはじまる」とあって『黄色いリボン』のジョン・ウェインとジョーン・ドルーのスティル写真がある金井美恵子の『映画、柔らかい肌』(1983) に行き着いたのであるが、この『映画、柔らかい肌』を読んでみると、『柔らかい土をふんで』の映画の引用がもう少し分かるようになってきた。金井は『黄色いリボン』についてこう書いている。 ジョン・フォードの作品のなかで、この『黄色いリボン』が特に好きなのは、これが記憶のなかの最古の映画であるというばかりではなく、無数のラスト・シーンと無数のファースト・シーンを持つことによって、この映…

  • 柔らかい土をふんで (3)

    前の記事を書いてからあまり読んではいないが、「ロング・グレイライン」のところを読んでいると「家具の埃をはらっていた女中が歌を口誦む」ところがあって、最初その歌は、"Oh, Genevieve" だと思っていたんだが、歌詞はこう書いてある。 お、お、いと、しいジュヌヴィエーヴ、おお、いとしいジュ、ヌヴィエ——ヴ、おお、うなばらを、おおうなばらをわたって、なんじをつれもどさん、つれもどさん、みどりなすふるさとへ、ばらのいろのほおはあせ、かみはしろく、ひとみのかがやきうすれようとも、おお、ジュヌヴィエーヴ、うなばらをわたって、なんじをつれもどさん、みどりなすふるさとへ そう、ちゃんと読むとこの歌詞は…

  • 柔らかい土をふんで (2)

    冒頭の文を読んでから、現在のところ謎であるというしかない「なだらかな、かぼそい声は波の上に消えて行ったのかもしれない。」という短い文を挟んで、次の文を読むと「灰緑色に塗りかえたばかり」であったはずのフェンスのペンキはすでに剥げおちてしまっており、深沢七郎の『東北の神武たち』(1957) にある「タライのような月が、しゅう〳〵と音を立てながら昇り出した。」が水の主題にふさわしく「水蜜桃のような月が、シューシュー音をたててのぼりはじめ」と変奏されて引用され、ヴィスコンティによるものかブレッソンによるものかも定かには分からない『白夜』のような場面が突然出てきて何のことかと思っていると、「水の女」に「…

  • 柔らかい土をふんで

    表紙の後ろ姿の裸の女性はゴダールの『カルメンという名の女』(1983) のマルーシュカ・デートメルス——蓮實重彥は彼女のことを「世界で最も美しい肉体の持ち主」と評した——だと思うが、金井美恵子の『柔らかい土をふんで』(1997) はいままで読んだことはなかった。ただ、雑誌「ルプレザンタシオン」に部分掲載された「水の色」の章のところだけは読んだことがあって、そこにはどう読んだって、フローベールの『ボヴァリー夫人』でシャルルが惹かれていくエンマの髪の細部の描写をさらに徹底させた錯乱するような官能的描写があったことを覚えている。『柔らかい土をふんで』の古本を見つけたので他の部分も読んで見ることにした…

  • ニイナ

    メディアで名前をよく見かける紀藤正樹弁護士は靑木正兒の甥にあたるんだということをたまたま知った。最近、青空文庫にその靑木正兒が書いた『九年母』(1956) という随筆——鶴屋八幡の広報誌 「あまカラ」60 号に掲載されたもの——があるのを読んでいたら、こんな箇所があった。 さて雲丹は大人の食うものとして、われわれ子供に適したものにニイナといって、サザエに似てしかも小さな小さな貝があった。夏に家の近くの海で泳ぐ時、もぐっては石崖に付着しているこの貝を取るのが面白く、十数個もたまると持って帰って茹でてもらい、木綿針の先で、ぐるっと廻して、ほじり出しては食べる。よい加減の塩気があって磯くさく、旨いと…

  • ちょっとマゾヒスティック

    千葉雅也の『現代思想入門』がよく売れているらしい。それで思い出したのだが、浅田彰の『構造と力』が出版されたのが 1983 年のことだということである。この本に自分はほとんど影響を受けなかった。自分にとっての 1983 年は蓮實重彥の『監督小津安二郎』が出版された年ということである。そして 1983 年にはフィルムセンターで「ジョン・フォード特集」も開催されたのだから感慨深い。2022 年はどうやら『ジョン・フォード論』が出版された年として記憶することになりそうだ。その一年前の 1982 年で映画以外のことで記憶しているのは、高野文子の『絶対安全剃刀』が出たことであるが、一番覚えているのは、僅か…

  • さすらひの唄

    1985 年の暮れだったか 1986 年の年明けだったかも覚えていないし、どこの映画館で見たかさえ覚えていないが、ともかく封切りで見たことだけは確かに記憶に残っている相米慎二監督の『雪の断章—情熱—』(1985) をもう一度見てみたいと思ったのは公開から 32 年程経た 2017 年 12 月のことだった。だがその折 DVD は出ておらず今後も難しいだろうということだった。早逝した相米監督が残したこの映画は、最初に見てから記憶のどこかにしっかりと残り続けているらしく何かの拍子に無性にもう一度見たくなるのだが、幸いなことに今度は DVD だけでなくオンデマンドでも見られるようになっていた。見直し…

  • 「アクション」を摑む

    映画はもちろんその文章も大好きなので、小森はるかさんが「文學界」今月号の特集 「『ジョン・フォード論』を読む」に寄せている文章——「掴む」が旧字で「摑む」となって『「アクション」を摑む』と題されている——をそれはもう熱心に読んだ。決して長くはない本文を読むとこの題名は『「まごうかたなき運動」を自分の目で摑む』と云うことなのかもしれない。小森さんは「いつか(﹅﹅﹅)自分の目で摑む」と「いつか」を加えているが、『息の跡』(2015) で棒状の氷が井戸水でゆっくり押し出される瞬間を摑まえた作家のなんという謙虚さであろう。同じ号の「文學界」にある松浦寿輝さんの『植物立国構想』も面白かった。天皇ご一家は…

  • めくらぶだうと虹

    「めくらぶだう」が「野ぶどう」に変えられていたが、宮澤賢治の『めくらぶだうと虹』の抜粋が小学校の国語のテキストにあった。抜粋部分には「めくらぶだうの實が虹のやうに熟れてゐました」 に該当する処が含まれていなかったので、小学生には野葡萄の実の写真を見せた。野葡萄の実のイメージがないと流石に読解は難しいだろう。なお、歴史的仮名遣いにはどこまで正しく直せたか分からない。 めくらぶだうと虹 宮澤賢治 城あとのおほばこの實は結び、赤つめ草の花は枯れて焦茶色になり、畑の粟は刈られました。 「刈られたぞ」と言ひながら一ぺんちょっと顏を出した野鼠がまた急いで穴へひっこみました。崖やほりには、まばゆい銀のすゝき…

  • 『ジョン・フォード論』を語る。

    わたくしはジョン・フォードを、アメリカ合衆国市民という条件からも、アイルランド系移民の子という条件からも解放したかった。フォードが論じられるさいにしばしば持ち出されるアイルランド性のようなものは、何らかの仕方で捨象できるはずだ。そのようにして無国籍のジョン・フォードを立ち上げられるとすれば、それを支えられるのはわたくしひとりのはずだ。 蓮實重彥の批評を「画面に映るものだけを考察対象とみなし、その細部へ徹底的に目を凝らす」ものだとする申し合わせのようなものに対して抱き、過去に記事にしたこともある違和感——完全に間違っているわけではないがその批評の独自性をなんら明らかにしていない——について優れた…

  • 雑記

    腰を少し痛めてしまったからという訳でもないが、新聞・TVと同様、必要に迫られない限りなるべく遠ざけるように心がけているネット上の文書をあれこれちょっと読んだ。普段遠ざけている理由は見たり読んだりすると単純に不快になることが多いからだし、これらのものを遠ざければ自分の好きなことをする時間をかなり作ることができるからである。すでに過去の記事で書いたが、特に Twitter については、ドリス・デイが亡くなった際、誰でも知っている「ケ・セラ・セラ」という曲の題名ばかりを口を揃えていっときだけ狂ったように連呼し、親しくもない不特定多数の人に発信するのに「まだ生きていたのか」という類のコメントを沢山見か…

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