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ノリの悪い日記 http://port-k.com

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

以下のキーワードで検索すると、このブログの記事が上位に出てくるようです。「ドロレス・デル・リオ」「突貫勘太」「猿飛勘太」「画角にまつわる話」「周セン」「わかりやすい話」「新橋喜代三」「ニューヨーク23番通りで何が起こったか」「ドリーの冒険」「ヘレン・モーガン」等。なお、「わかりやすい話」は、「わかりにくさ」を「わかりやすさ」によって顕揚しようとする馬鹿げた記事です。

ノリ
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2015/10/24

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  • 変体仮名

    変体仮名を読む練習をちょっと前からしているのだが、一葉の原稿の平仮名は直ぐに読めるわかりやすいものだと思う。まず、題名の「たけくらべ 」のうち、「く」「ら」が変体仮名であることが分かる。「く」の変体仮名は上の方に小さい「く」があって下に大きな「く」があるように見える。この変体仮名は、本文の「明けくれなしの」の「く」にも同じものが使われている。「ら」の変体仮名はちょっと難しいが、ほとんど一直線に書かれる「し」の変体仮名と比べて、僅かだがくねっていることで「ら」と識別できる。本文にある「全盛をうらなひて」の「ら」の変体仮名はもう一つのタイプで、こちらは読めると思う。「一軒ならず二軒ならず」の「ら」…

  • 雑記

    最近、単なる思いつきで記事に使うフォントを明朝体に改めてみたのだが、少なくとも自分には読み易いのでそのまま使い続けている。ひとつ〳〵の文字に「抑揚」があるというのはやっぱり大事なことなんだなあと改めて思った。蓮實重彥の『ショットとは何か』は雑誌連載中から楽しみに読んでいて、単行本も入手したが、単行本の表紙の「ショットとは何か」という文字がゴシック体になっていたことに一寸吃驚した。蓮實さんが単独の著者名になっている本でそんなことがあったかなと考えたりした。しかも著者名の「蓮實重彥」には従来通り明朝体が使われていて、じっと見ているとやっぱり不釣り合いに感じる。こんなところまで「デジタル馬鹿」の影響…

  • 「星」正岡子規

    子規遺稿集『竹の里歌』から 星 錄九首 (明治三十三年) 眞砂(まさご)なす數(かず)なき星のそのなかに 吾に向ひて光る星ありたらちねの母がなりたる母星(はゝぼし)の 子を思ふ光我を照らせり玉水のしづく絕えたる檐(のき)の端(は)に 星かがやきて長雨(ながあめ)はれぬ久方の雲の柱につる絲の 結び目解けて星落ち來(きた)る空(そら)はかる臺(うてな)の上に登り立つ 我をめぐりて星かがやけり天地(あめつち)に月人(つきひと)をとこ照り透り 星の少女(をとめ)のかくれて見えずひさかたの星の光の淸き夜に そことも知らず鷺(さぎ)鳴きわたるひさかたの空を離れて光りつゝ 飛び行く星のゆくへ知らずもぬばたま…

  • 雑記

    漢字の知識を増やしたいという慾望をもって意識的に努力をした記憶がこれっぽっちも存在しないのは、もしかしたら『反=日本語論』にある次の一節を読んだことが知らず知らずに抑圧となってしまったのかもしれない。 最近の学生は漢字を知らないという。ある新聞社の入社試験に「鴉」にふりがなをつけさせる問題をだしたところ、答えが六十何通りかにわかれたそうだ。だが、そんなことに驚いていてはいけない。カラスがからすだとわかり、烏によってあの黒い鳥をイメージできればそれで充分である。これを格好の材料として、今日の漢字の知識の欠落ぶりを嘆いたりするよりは、いったい、どんな種類の学生が「鴉」をカラスと読めたかを追跡調査す…

  • 「盲目物語」はしがき

    はしがき一、ここにあつめた四篇は、それぞれ獨立の作品であるが、いづれも作者の國史趣味乃至和文趣味を反映してゐると云ふ點で、何處かに共通した匂ひがある。作者は今後もかう云ふものを書くかも知れないが、さしあたり、引きつづいて此の方面へ進んで行かうとは考へてゐないので、取り敢へず此れだけを一冊に纏めてみた。一、作者が昔文壇へ出た時の處女作は、榮花物語から材を取つた「誕生」と云ふ戲曲であつた。左樣に作者の國史國文趣味は古くからのことであり、處女作以後にもその傾向を代表する作品が少なくない。しかし此處に集めたやうなものが出來たのは、去る大正十二年以來近畿の地に移り住んで古典に由緣(ゆかり)ある風土や建築…

  • 未央柳

    梅雨寒の午後に歩いていると、小雨に濡れてビヨウヤナギの黄色い花が道辺に咲いているのが目にとまった。漢字では「未央柳」と書かれるこの落葉低木は、谷崎潤一郎『盲目物語』終盤の北の庄落城の場面にも出てきたように、楊貴妃の美しさを喩えるため「太液の芙蓉」とともに白居易が使った「未央の柳」からその名前がとられているのだろう。「雨を帶びたるよそほひの、太液の芙蓉のくれなゐ、未央の柳のみどりも、これにはいかでまさるべき」歴史的仮名遣いを練習するためだけが最初の目的で『盲目物語』を読んでいたが、大和国栖村の手ずきの紙まで使って本を装丁させたという谷崎が、こんなルビの振り方やこんな送り字のやり方を本当に許したん…

  • 盲目物語 (9)

    しかし逃げたのはわたくしばかりではござりませなんだ。おほぜいのものが火の粉をあびてぞろ〳〵つながつてはしりますので、わたくしもそれといつしよになつて、うしろからえい〳〵押されながらかけ出しましたが、お堀の橋をこえましたとたんに、ぐわら、ぐわら、ぐわらと、おそろしいひゞきがいたしましたのは、うたがひもなくてんしゆの五重がくづれおちるおとでござりました。「あれは天守がおちたんですね」と、だれにきくともなく申しましたら、「さうだ、空に火ばしらが立つてゐる、きつと玉ぐすりに火がついたのだ」と、そばをはしつてゐる人がさう申されるのです。「おくがたやほかのひめぎみたちはどうあそばしたでござりませう」とたづ…

  • 盲目物語 (8)

    寄せ手は廿二日のあさ一番どりの啼くころよりおひ〳〵取りつめてまゐりましたが、御城下の町々、かいだうすぢの在々所々を燒きたてましたので、おびたゞしいけぶりが空にまん〳〵といたしまして日のひかりもくらく相成、おしろから四方をながめますと、いちゑんに霧のうみのやうで何も見えなんだと申します。上方ぜいはこのくらやみをさいはひに、こゑをしのばせものおとをころして、おもひ〳〵に竹たば、たゝみ、板戶などを持ちまして、そうつとちかづいてまゐつたらしく、そのうちにそとがすこしあかるくなりましたら、さながら蟻のはひよるがごとくお堀のきはへひたと取りついてをりました。城內からはしきりに鐵炮を打ちましてそのへんのてき…

  • 盲目物語 (7)

    さうかうするうちに天正じふねんのとしもくれまして正月をむかへましたけれども、ほつこくはまだかんきがはげしく、雪は一向にきえさうもござりませぬし、かついへ公は「小癪な猿めが」と仰つしやるかとおもへば、「にくらしい雪めが」と雪を目のかたきにあそばされ、いら〳〵なされてをられますので、初春の御祝儀も型ばかりでござりましてそれらしい氣もいたしませなんだ。ひでよし公の方では、この雪のあひだに柴田がたの大名しゆうを御せいばつなさるおぼしめしとみえ、年があらたまりますとふたゝびたいぐんをもつて勢州へ御しんぱつなされまして瀧川左近將監(しやうげん)どのゝ御りやうぶんを切り潰され、しきりにかつせんのさいちゆうと…

  • 盲目物語 (6)

    さて御城內におきましては、十八日からひろまにおより合ひなされまして御ひやうぢやうがござりましたが、くはしいことは存じませぬけれ共、亡君のおん跡目相續のこと、明地(あきち)闕國(けつこく)の始末についての御だんがふ(談合)らしうござりました。それが何分にも御めい〳〵に御れうけんがちがひますことゝて、なか〳〵まとまりがつきませんで、引きつゞき每日のやうに夜おそくまでおあつまりなされ、ときにはけんくわこうろんにも及ばれましたときいてをります。まあじゆんたうに申しますれば三法師ぎみが御嫡流でいらつしやいますけれども、御幼少のことでござりますから、いまのばあひは北畠どのをおあとへすゑようと仰つしやる方々…

  • 盲目物語 (5)

    そんなぐあひで、そのころのおくがたは、花さく春のふたゝびめぐりくるときをお待ちあそばす御樣子も見えましたが、やはりむかしのおつらかつたこと、くやしかつたことを、きれいにお忘れにはならなかつたらしうござります。それと申しますのは、わたくし、あんなことはあとにもさきにもたつた一遍でござりますけれども、ある日御れうぢをつとめながらお話のお相手をしてをりましたとき、何かのはずみで、おもひがけないおことばを伺つたことがあるのでござります。その日は最初れいになく御きげんのていでござりまして、小谷のころのこと、長政公のおんこと、そのほかいろ〳〵古いことをおもひ出されておきかせ下さいましたついでに、ひとゝせ佐…

  • 盲目物語 (4)

    さう云へば萬福丸どのを討ちはたすやうに仰せがござりましたとき、ひでよし公のたうわくなされかたは尋常でなかつたと申します。あればかりのわかぎみ一人おゆるされになりましたとて何ほどの事がござりませうや、それより淺井どのゝみやうせきをおつがせなされ、おんをおきせになりました方がかへつて天下せいひつのもとゐ、仁あり義あるなされかたかとぞんじますと、さま〴〵におとりなしあそばされましたが、おきゝ入れがござりませなんだので、「しからばなにとぞ此のやくを餘人におほせつけくださりますやう」と、いつになくさからはれましたところ、のぶなが公はなはだしく御きげんを損ぜられ、「その方こんどの功にほこってまんしんいたし…

  • 盲目物語 (3)

    のぶなが公はおいちどのや姪御たちをお受けとりになりますと、たいそうおよろこびになりまして「ようふんべつして出て來てくれた」と、ねんごろに仰つしやつて、「あさゐにもあれほどことばをつくして降參をすゝめたのに、どこまでもきゝ入れないのは、あつぱれ名をゝしむ武士とみえた、あれを死なすのはじぶんのほんいでないけれども、ゆみやとる身の意地であるからかんにんしてもらひたい、そなたもながのろうじやうでさぞくらうをしたことだらう」と、そこは骨肉のおんあひだがらゆゑ御じやうあいもかくべつで、わけへだてないおものがたりがござりまして、すぐに織田かうづけの守どのへおあづけなされて、よくいたはつてとらせるやうにとの御…

  • 盲目物語 (2)

    あるひのこと、あまり肩がこつてならぬから、すこしれうじをしてほしいと仰つしやいますので、おせなかの方へまはりまして揉んでをりますと、おくがたはしとねのうへにおすわりなされ、脇息(けふそく)におよりあそばして、うつら〳〵まどろんでいらつしやるのかと思はれましたが、さうではなくて、とき〴〵ほつとといきをついていらつしやいます。かういふをりに、いぜんにはよくお話相手をいたしましたのに、ちかごろはめつたにお言葉のさがることなどもござりませんので、たゞかしこまつてれうじをいたしてをりましたけれども、それがわたくしにはなんとなう氣づまりでなりませなんだ。ぜんたいめしひと申すものは、ひといちばいかんのよいも…

  • 盲目物語 (1)

    盲目物語 谷崎潤一郞わたくし生國(しやうこく)は近江(あふみ)のくに長濱在(ながはまざい)でござりまして、たんじやう( 誕生 )は天文にじふ一ねん、みづのえねのとしでござりますから、當年は幾つになりまするやら。左樣、左樣、六十五さい、いえ、六さい、に相成りませうか。左樣でござります、兩眼をうしなひましたのは四つのときと申すことでござります。はじめは物のかたちなどほの〴〵見えてをりまして、あふみの湖(うみ)の水の色が晴れた日などにひとみに明(あか)う映(うつ)りましたのを今に覺えてをりまするくらゐ。なれどもそのゝち一ねんとたゝぬあひだにまつたくめしひになりまして、かみしんじんもいたしましたがなん…

  • 吉野葛 (6)

    その六 入(しほ)の波(は)「で、今度の旅行の目的と云ふのは?───」 二人はあたりが薄暗くなるのも忘れて、その岩の上に休んでゐたが、津村の長い物語が一段落へ來た時に、私が尋ねた。 「───何か、その伯母さんに用事でも出來たのかい?」 「いや、今の話には、まだちよつと云ひ殘したことがあるんだよ。───」 眼の下の岩に碎けつゝある早瀨の白い泡が、やう〳〵見分けられる程の黃昏(たそがれ)ではあつたが、私は津村がさう云ひながら微かに顏を赧(あか)くしたのを、ものゝけはひ(﹅﹅﹅)で悟ることが出來た。 「───その、始めて伯母の家の垣根の外に立つた時に、中で紙をすいてゐた十七八の娘があつたと云つただら…

  • 吉野葛 (5)

    その五 國栖(くず)さて此れからは私が間接に津村の話を取り次ぐとしよう。さう云ふ譯で、津村が吉野と云ふ土地に特別のなつかしさを感ずるのは、一つは千本櫻の芝居の影響に依るのであるが、一つには、母は大和の人だと云ふことをかね〴〵聞いてゐたからであつた。が、大和の何處から貰はれて來たのか、その實家は現存してゐるのか等のことは、久しく謎に包まれてゐた。津村は祖母の生前に出來るだけ母の經歷を調べておきたいと思つて、いろ〳〵尋ねたけれども、祖母は何分にも忘れてしまつたと云ふことで、はか〴〵しい答は得られなかつた。親類の誰彼、伯父伯母などに聞いてみても、母の里方(さとかた)については、不思議に知つてゐる者が…

  • 吉野葛 (4)

    その四 狐噲(こんくわい)「君、あの由來書きを見ると、初音の鼓は靜御前の遺物とあるだけで、狐の皮と云ふことは記してないね」 「うん、───だから僕は、あの鼓の方が脚本より前にあるのだと思ふ。後で拵(こしら)へたものなら、何とかもう少し芝居の筋に關係を付けない筈はない。つまり妹背山の作者が實景を見てあの趣向を考へついたやうに、千本櫻の作者も嘗て大谷家を訪ねたか噂を聞いたかして、あんなことを思ひついたんぢやないかね。尤も千本櫻の作者は竹田出雲(いづも)だから、あの脚本の出來たのは少くとも寶曆以前で、安政二年の由來書きの方が新しいと云ふ疑問がある。しかし『大谷源兵衞七十六歲にて傳聞の儘を書記し』たと…

  • 吉野葛 (3)

    その三 初音の鼓上市から宮瀧まで、道は相變らず吉野川の流れを右に取つて進む。山が次第に深まるに連れて秋はいよ〳〵闌(たけなは)になる。われ〳〵はしば〳〵櫟(くぬぎ)林の中に這入つて、一面に散り敷く落葉の上をかさ〳〵音を立てながら行つた。この邊(へん)、楓が割合ひに少く、且一と所にかたまつてゐないけれども、紅葉(こうえふ)は今が眞つ盛りで、蔦、櫨(はぜ)、山漆などが、杉の木の多い峰の此處彼處に點々として、最も濃い紅(くれなゐ)から最も薄い黃に至る色とり〴〵な葉を見せてゐる。一と口に紅葉とは云ふものゝ、かうして眺めると、黃の色も、褐(かつ)の色も、紅の色も、その種類が實に複雜である。おなじ黃色い葉…

  • 吉野葛 (2)

    その二 妹背山津村は何日に大阪を立つて、奈良は若草山の麓の武藏野と云ふのに宿を取つてゐる、───と、さう云ふ約束だつたから、此方は東京を夜汽車で立ち、途中京都に一泊して二日目の朝奈良に着いた。武藏野と云ふ旅館は今もあるが、二十年前とは持主が變つてゐるさうで、あの時分のは建物も古くさく、雅致があつたやうに思ふ。鐵道省のホテルが出來たのはそれから少し後のことで、當時はそこと、菊水とが一流の家であつた。津村は待ちくたびれた形で、早く出かけたい樣子だつたし、私も奈良は曾遊の地であるし、ではいつそのこと、折角のお天氣が變らないうちにと、ほんの一二時間座敷の窓から若草山を眺めたゞけで、すぐ發足した。吉野口…

  • 吉野葛 (1)

    吉野葛 谷崎潤一郞その一 自天王私が大和の吉野の奧に遊んだのは、既に二十年ほどまへ、明治の末か大正の初め頃のことであるが、今とは違つて交通の不便なあの時代に、あんな山奧、───近頃の言葉で云へば「大和アルプス」の地方なぞへ、何しに出かけて行く氣になつたか。───此の話は先づその因緣から說く必要がある。讀者のうちには多分ご承知の方もあらうが、昔からあの地方、十津川、北山、川上の莊あたりでは、今も土民に依つて「南朝樣」或は「自天王樣」と呼ばれてゐる南帝の後裔(こうえい)に關する傳說がある。此の自天王、───後龜山帝の玄孫に當らせられる北山宮(きたやまのみや)と云ふお方が實際におはしましたことは專門…

  • 雑記 (2)

    塾で中学生と国語をやっていると、高浜虚子の例の流れ行く大根の葉の早さかなが出てきて、最近『武藏野』を読み直したばかりなので、虚子は長い間鎌倉で暮らしていたが、これは武蔵野の光景を詠んだのだなと直感的に思った。それで、『武藏野』の文章を紹介した。稻の熟する頃となると、谷々の水田が黃ばんで來る。稻が刈り取られて林の影が倒(さか)さに田面(たのも)に映る頃となると、大根畑の盛で、大根がそろ〳〵拔かれて、彼方此處(かなたこなた)の水溜(みづため)又は小さな流れの潯(ほとり)で洗はれる樣になると、野は麥の新芽で靑々となつて來る。かと思うと、小学校の国語では北原白秋の『からたちの花』が出てきて、まず、カラ…

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