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ノリの悪い日記 http://port-k.com

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

以下のキーワードで検索すると、このブログの記事が上位に出てくるようです。「ドロレス・デル・リオ」「突貫勘太」「猿飛勘太」「画角にまつわる話」「周セン」「わかりやすい話」「新橋喜代三」「ニューヨーク23番通りで何が起こったか」「ドリーの冒険」「ヘレン・モーガン」等。なお、「わかりやすい話」は、「わかりにくさ」を「わかりやすさ」によって顕揚しようとする馬鹿げた記事です。

ノリ
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2015/10/24

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  • 雑記

    かつて高校の古文で習った程度の文法知識しかない——しかも大部分は忘れている——自分であるが、それでも露伴の『對髑髏』の原文を読んで見ると、規範的な文法からはかなり逸脱している部分があることに気付く。特にそれが集中しているのは、過去の助動詞「き」——というよりその連体形「し」——の学校文法の立場から言えば破格の使用ぶりである。もっとも、その「し」の使用ぶりは、中世以降の文章には普通に見られるものなので、それを「破格」ということすら間違っているのかも知れない。露伴はそんなことは承知の上で堂々と「破格」を押し通しているのだと思う。それで、この「し」を学校文法に従った場合にはどういう風に改めるとよいの…

  • 対髑髏 (全)

    對髑髏 蝸牛露伴作 (一) 旅に道連れの味は知らねど 世は情けある女の事〳〵但しどこやらに怖い所あり難い所我元來洒落といふ事を知らず數寄と唱ふる者にもあらで唯ふら〳〵と五尺の殼を負ふ蝸牛(でゞむし)の浮れ心止み難く東西南北に這ひまはりて覺束なき角頭の眼に力の及ぶだけの世を見たく、いざさらば當世江口の君の宿假(か)さず宇治の華族樣香煎湯一杯を惜しみ玉ふとも關(かま)はじよ、里遠しいざ露と寐ん草まくらとは一歲(ひとゝせ)陸奧の獨り旅夜更けて野末に疲れたる時の吟、それより露伴と自號して、頓(やが)て脆くも下枝(しづえ)を落ちなば、摺附木となりて成佛する大木の蔭小暗き近邊(あたり)に何の功をも爲さゞる…

  • 武藏野 (6)

    (八)自分は以上の所說に少しの異存もない。殊に東京市の町外れを題目とせよとの注意は頗る同意であつて、自分も兼ねて思付いて居た事である。町外れを「武藏野」の一部に入れるといへば、少し可笑しく聞こえるが、實は不思議はないので、海を描くに波打ち際を描くも同じ事である。しかし自分はこれを後廻はしにして、小金井堤上の散步に引きつゞき、先づ今の武藏野の水流を說くことにした。第一は多摩川、第二は隅田川、無論此二流のことは十分に書いて見たいが、さてこれも後廻はしにして、更らに武藏野を流るゝ水流を求めて見たい。小金井の流れの如き、其一である。此流れは東京近郊に及んでは千駄ケ谷、代々木、角筈(つのはず)などの諸村…

  • 武藏野 (5)

    (六)今より三年前の夏のことであつた。自分は或友と市中の寓居を出でゝ三崎町の停車場から境まで乘り、其處で下りて北へ眞直に四五丁ゆくと櫻橋といふ小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向つて、「今時分、何にしに來たゞア」と問うた事があつた。自分は友と顏見合せて笑つて、「散步に來たのよ、たゞ遊びに來たのだ」と答へると、婆さんも笑つて、それも馬鹿にした樣な笑ひかたで、「櫻は春咲くこと知らねえだね」と言つた。其處で自分は夏の郊外の散步のどんなに面白いかを婆さんの耳にも解るやうに話してみたが無駄であつた。東京の人は呑氣だといふ一語で消されて了つた。自分等は汗をふき〳〵、婆…

  • 武藏野 (4)

    (五)自分の朋友が嘗て其鄕里から寄せた手紙の中に「此間も一人夕方に萱原を步みて考へ申候、此野の中に縱橫に通せる十數の徑の上を何百年の昔より此かた朝の露さやけしといひては出で、夕の雲花やかなりといひてはあこがれ、何百人のあはれ知る人や逍遙しつらん、相惡む人は相避けて異なる道をへだゝりて往き、相愛する人は相合して同じ道を手に手とりつゝかへりつらん」との一節があつた。野原の徑を步みては斯るいみじき想ひも起こるならんが、武藏野の路はこれとは異り、相逢はんとて往くとても逢ひそこね、相避けんとて步むも林の回り角で突然出逢ふことがあらう。されば路といふ路、右にめぐり左に轉じ、林を貫き、野を橫ぎり、眞直なるこ…

  • 武藏野 (3)

    四 十月二十五日の記に、野(• )を步み林を訪ふと書き、又十一月四日の記には、夕暮に獨り風吹く野(• )に立てばと書いてある。そこで自分は今一度ツルゲーネフを引く。「自分はたちどまつた、花束を拾ひ上げた、そして林を去つて(﹅﹅﹅﹅﹅)のら(◦◦)へ出た(﹅﹅﹅)。日は靑々とした空に低く漂つて、射す影も蒼ざめて冷かになり、照るとはなく只ヂミな水色のぼかしを見るやうに四方に充ちわたつた。日沒にはまだ半時間も有らうに、モウゆふやけがほの赤く天末を染めだした。黃いろくからびた刈株をわたつて烈しく吹付ける野分に催されて、そりかへつた細かな落ち葉があわたゞしく起き上がり、林に沿うた往來を橫ぎつて、自分の側…

  • 武藏野 (2)

    三昔の武藏野は萱原のはてなき光景をもって絕類の美を鳴らして居たやうに言ひ傳へてあるが、今の武藏野は林である。林は實に今の武藏野の特色といつても宣(よ)い。卽ち木は主に楢(なら)の類(たぐひ)で冬は悉く落葉し、春は滴る計りの新綠萠え出づる、其變化が秩父嶺以東十數里の野一齊に行はれて、春夏秋冬を通じ霞に雨に、月に風に、霧に時雨に雪に、綠蔭に紅葉に、樣々の光景を呈する。其妙は一寸西國地方又た東北の者には解し兼ねるのである。元來日本人はこれまで楢の類の落葉林の美を餘り知らなかつた樣である。林といへば主に松林のみが日本の文學美術の上に認められて居て、歌にも楢林の奧で時雨を聞くといふ樣なことは見當らない。…

  • 武藏野

    武藏野 國木田獨步 一「武藏野の俤(おもかげ)は今纔(わづか)に入間郡(いるまごほり)に殘れり」と自分は文政年間に出來た地圖で見たことがある。そして其地圖に入間郡「小手指原(こてさしはら)久米川は古戰場なり、太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戰ふ事一日が內に三十餘度、日暮れば平家三里退いて久米川に陣を取る、明れば源氏久米川の陣へ押寄る」と載せたるは此邉なるべし」と書き込んであるのを讀んだ事がある。自分は武藏野の跡の纔に殘つて居る處とは定めて此古戰場あたりではあるまいかと思つて、一度行ってみる積りで居て未だ行かないが、實際は今も矢張其通りであらうかと危ぶんで居る。兎も角、畫や歌で許り想像し…

  • 三四郞

    歴史的仮名遣いの練習の続き。「エ段」の拗長音「キョウ、ショウ、チョウ、……」がこの例文ではたくさん出てきた。以下、二種類の異なるあらわし方をまとめておく。二番目のあらわし方をするのは漢音由来の表記である。第一番目: 妙(めう)に、何疊(でふ)、敎師(けうし)、肖像(せうざう)、調子(てうし)、料簡(れうけん)、御座いませうか、表情(へうじやう)、駝鳥(だてう) ※ 例文以外だと、 夫婦(めうと)、茗荷(めうが)、蝶(てふ)、手水(てうづ)、今日(けふ)、豹(へう)、瓢箪(へうたん)、不調法(ぶてうはふ)、卑怯(ひけふ)、料理(れうり)、芭蕉(ばせう)、小児(せうに)第二番目: 天長節(てんちや…

  • セロ彈きのゴーシュ

    歴史的仮名遣いの練習。(字音仮名遣いは別として)「じ/ぢ」「ず/づ」、現代発音の「わ」「い」「う」「え」「お」の文字またはその前の文字が変わることがあるだけなのだが、なかなか自然にできるようにならない。手近に旧仮名遣いの『セロ彈きのゴーシュ』のテクストが見当たらないので、どこまで正しく直せたかは不明。この作品に出てくる『愉快な馬車屋』に関連して、Original Dixieland Jass Band の “Lively Stable Blues” (1917) と中野忠晴の『陽氣な馬車屋』(1936) も聴いた。セロ彈きのゴーシュ 宮澤賢治 ゴーシュは町の活動寫眞館でセロを彈く係りでした。け…

  • 香も高きケンタッキー

    ジョン・フォード監督『香も高きケンタッキー』(Kentucky Pride, 1925) が高画質で見られるなんて、これは夢だろうか。

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