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2015/10/10

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  • 「ナイトメア・アリー」(2021年)

    なかなかよかった。 ギレルモ・デル・トロ監督作品だが超常現象やクリーチャーが登場しない。 ジャンルとしてはネオ・ノワール映画になるそうだ。 1945年~1960年ごろに流行したフィルム・ノワールの復興を目指したものだという。 物語としては、 流れ者のスタン・カーライルが、場末の見世物小屋に転がり込む。 獣人と呼ばれる人間のなれの果てのような人物が鶏を食べるのを見せたりするような場所だ。そんな場所だが、スタンは仕事を得て、ピートという男からコールド・リーディングを習ったりしていた。そのとき、コールドリーディングを使い続けると、正常な判断力を失い、自分が失敗していることもわからなくなる

  • 第3回 マンションまでの道のり

    果穂のことなんだが、と車中で武が切り出した。 「お前がやっている、記憶の書き換えをやってもらえばよくなると思うんだ」 「さいごの風景を補正する作業は、記憶の書き換えとは違うんだ」 洋介はちょっとむかついた調子で言って、窓を閉めた。車内はヤニ臭いままだけど、いくら換気をしても染みついた臭いは取れない。 小泉が運転席側の窓を開けて、新しい煙草を吸いはじめた。窓の外に煙を吐いたけど、車内にも流れ込んできた。迷惑なことだ、とはいえ、これは小泉の車だからね。 武が話を続けた。 「とにかく、果穂はトラウマを抱えているからさ。それを解決してやれたらいいなと思ってるんだ」 「おれ

  • 展覧会「美しさ、あいまいさ、時と場合に依る」

    「CURATION⇄FAIR」という新しいアートイベントが行われている。 展覧会と、アートフェアを、それぞれ期間をわけて行うイベントだ。 自分は展覧会のほうにいった。展覧会と、アートフェアで取引される作品が同じものなのかはわからない。 会場は九段下にある「kudan house」という施設だった。 ここは普段あまり一般公開されていないそうだ。 1927年に建てられたというから、昭和の最初期だ。 修復などもされているとはいえ、なかなか良い建物だった。 洋風建築なのだが、なぜか和室があったりして、不思議な構造ではある。 展示されていた作品は、作品そのものとしてはさほどインパクトはなかっ

  • フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年)

    フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年) ハルコンネン家の襲撃を受けて、アトレイデス家は壊滅的な打撃を受ける。 ポールとジェシカは戦いを生き延びて砂漠に逃れる。 フレメンと出会い、試練を経て、ふたりは砂漠の民に受け入れられる。 一方、ハルコンネン家には皇帝から調査が入ることになる。 ストーリーの大部分が砂漠や洞窟といった、フレメンの活動エリアで展開される。上巻のような大規模な動きはなく、ポールの精神的な成長がメインに描かれる。エンターテイメントを期待すると、退屈かもしれない。 「デューン」という小説がSFというジャンルでありながら、人間を掘り下げる作業に重点をお

  • 「キングスマン:ファースト・エージェント」(2021年)

    なかなかよかった。 キングスマンという組織がいかにして成立したか、という物語。 冒頭で、キングスマンのメンバーのコードネームが、アーサー王と円卓の騎士からとられているということがわかる。「円卓」なのは平等だからだという話が出る。しかし、キングスマンのオフィスではアーサーがお誕生日席に座っているのはなぜだろうか。 また、敵の名前が「羊飼い」なのは、キリストを連想するが、かかわりがあるのだろうか。 本作では、上述の「羊飼い」という人物が「闇の凶団」という組織を動かして、いとこ同士であるイギリス国王、ドイツ皇帝、ロシア皇帝を戦わせて、世界を混乱に貶めようとする。 それを阻止しようとするの

  • 「キングスマン:ゴールデン・サークル」(2017年)

    楽しい映画ではあったが、前作ほどのインパクトはなかった。 内容としては、 前作で立派なキングスマンになったエグジー。前作でともに候補生だったチャーリーに襲われる。彼はゴールデン・サークルという麻薬組織に入っていた。 ゴールデンサークルに狙われて、キングスマンの組織は壊滅的な打撃を受ける。そこで、アメリカの諜報機関であるステイツマンに助けを求める。 一方、ゴールデン・サークルは、莫大な売り上げを立てていたが、それでは満足できず、世界中に売りさばいている麻薬に特殊な薬物を仕込む。その解毒剤を渡すという条件で、アメリカ大統領と取引をする。 キングスマンはステイツマンと協力して、解毒剤の入手

  • ハイデガー「存在と時間 7」(1927年)

    時間をメインとした考察が続いている。 用語も含めて難解な部分が多い。それでも自分なりに考えながら読み進めてきた。 哲学に詳しい人や賢い人がどのようなコメントをするかはわからないが、今になってようやくわかりかけてきたのは、本書は人間が本来の姿に気がつくために、今までで常識としてとらえられてきた事柄を事細かに考察し、それが本当なのか主に存在と時間と言う対象について分析し、定義しなおしてきたということではないか、ということだ。 考察を続ける中で、人間は本来の姿ではなく、映画「マトリックス」のように、俗世にまみれて流されて生きている、ということが語られてきた。ただ、俗世にまみれて生きることが

  • 水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた

    今回は鬼太郎ではなく、一般的な妖怪にフューチャーした展示になっていた。だから、砂かけ婆やぬりかべ、子泣きじじいといった鬼太郎ファミリーに加わっている妖怪もいたが、あくまでも妖怪カタログのひとりといった扱いだ。 大量に展示されている原画を眺めていると、妖怪によって目の描き方だとか、全体のタッチなどが全然違うことに気づく。デフォルメの強度を調整するのが自由自在だ。 それは妖怪だけでなく、人間の姿も同様だ。たとえば手の描写でも、よれよれとした線で簡単に描いてあるときもあるし、きちんと関節まで描いてあるときもある。多くの漫画家ができることなのかもしれないが、そういったことに気がついたのは1つ

  • テンプル・グランディン「ビジュアル・シンカーの脳: 「絵」で考える人々の世界」(2022年)

    これはなかなかおもしろかった。 人は頭の中で考えるときに、文字で考えたり音声で考えたりするが、「ビジュアル・シンカー」は、絵で考える人のこと。 自分も頭の中に映像が浮かんで、それがどんどん連想していくということがよくあるので、以前から「人はどうやって思考するのか」というのは興味があった。 小説家の森 博嗣がエッセイで「映像で考える」と書いており、自分に似た人がいるのだと思った。自分の場合は、彼ほど強い傾向ではない。 https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_2954/ 他にもアートディレクターの中島英樹氏も映像で考えると言って

  • 呉明益「自転車泥棒」(2018年)

    台湾の小説。 二十年前に失踪した父親。彼が乗っていた自転車が、息子である「ぼく」のもとに戻ってきた。「ぼく」は、その自転車が戻ってくるまでの物語を集めはじめる。 その旅は、ビンテージの自転車の、足りないパーツを集めるようなものだ。いくら修理し続けても、完璧な状態にはならない。 この小説は大量の断片によって語られる。 自転車のパーツ、父の自転車の所有者たち、彼らの物語。 そして主人公の人生。 こうした断片によって構成される、台湾の近現代史。 読んでいて、ポール・ボウルズの「シェルタリング・スカイ」を読んだときの感覚に似たものを覚えた。 北アフリカの砂漠や迷宮をさまよい、人生の意味を探

  • ぼんやり

    ぼんやり

  • 「アリータ:バトル・エンジェル」(2019年)

    B級SFになりそうな素材を一流の制作陣や俳優の能力によって、かなりのクオリティにまで引き上げている。A級かというとそうでもないのだが、かなりいい線いっている。 2563年。 没落戦争から300年後の地球。最後の空中都市「ザレム」と、その下にある夢の島のような「アイアンシティ」に世界は分断されていた。アイアンシティの中にある夢の島のようなところでサイバネ医師イドに拾われてきた少女ロボットは、アリータと名づけられる。彼女は脳を損傷しておらず、記憶があるはずなのだが、なにも憶えていない。 イドのところで生活するうちに、アリータはヒューゴという若者に出会う。 やがてイドが賞金稼ぎ「ハンター・

  • 第2回 自営業は、自ら営業。

    南浦和駅から京浜東北線に乗り、赤羽駅で埼京線に乗り換える。新宿駅で中央線に乗り換えて一駅。洋介が中野駅についた頃、太陽はまだ高い位置にあった。 北口の改札を出たところで坂本武が待っていた。背が高くて強面だから、それだけでも目立つのに、白いスーツに身を包んでいた。武は洋介を見つけると近づいてきて腕を軽く叩いた。 「元気か?」 洋介は面倒くさそうにうなずいてから聞いた。 「どうしたんだよ、その格好は」 武は照れ笑いをしながら胸ポケットのネッカチーフに触れた。 「ゴッドファーザーパート2を観たんだけどさ」 「デ・ニーロに殺されるマフィアのボスか」 武はぱっと表情を輝

  • 谷崎潤一郎「陰翳礼讃」(1939年)

    なかなかおもしろい。 エッセイ集であり、表題にある「陰翳礼賛」をきっかけに「適切」とはなにかを探るエッセイが並ぶ。 「陰翳礼讃」は文字通り「暗さ」についてのエッセイ。 日本の建物は以前は暗くて、それがよかったのだという。 古い料亭で、電気を使わずに、薄暗い灯りの中で食事をするのがよいという。 日本の場合、器や、食べ物そのものが、手元もよく見えないような明るさの中で楽しむようにできているだそうだ。 西洋はなんでも明るくしてしまう。そして、日本もその影響を受けて、当の西洋人が驚くくらいになんでも明るくしてしまった、と嘆く。 西洋人が明るさを好むかどうかという話については、聖書において

  • 「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」(2023年)

    これはすばらしかった。 前作でアニメの最先端を体感させてくれたが、今回は自らそれを上書きする仕上がりになっている。 ちなみに、製作費は148億円で興行収入は1,026億円。 前作は製作費が133億円で、興行収入は、557億円だった。 実に倍の売り上げだ。前作の評価が高く、第二作への期待値が高かったのだろう。 今回のヴィランはスポットという、次元を移動するキャラクターだ。 ただし、物語の中心になってくるのは、家族であり、仲間であり、他のスパイダーマンだ。そして、正義とはなにか、という問いが、すべての中心になっている。 今回も大量のスパイダーマンが登場する。そして、大量のスパイダーバ

  • 「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2」(2011年)

    いよいよ最終話となる。 ハリーポッターとヴォルデモート卿の最終決戦は、ホグワーツ魔法魔術学校との全面戦争の様相をなす。こぢんまりとした印象になりそうだが、そうでもなくて、見ごたえのある戦いになっている。 本シリーズは「魔法と冒険」といった古典的な要素を扱っているとはいえ、映像に関してはかなり挑戦的だった。そのおかげで、最終決戦も迫力のある映像になっていたのだと思う。予算が桁違いなのもあるし、演出もうまかったのだろう。 実際、興行収入は1,990億円。シリーズで最高額だ。 普通、シリーズものは、だんだんとしょぼくなっていくのだが、最終作が一番売れるというのはすごい。このシリーズがいかに

  • 『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』(2010年)

    なかなかよい作品だった。 「賢者の石」では子ども向けのファンタジー映画っぽさがあったが、徐々におとな向けのダークファンタジーになっていった。 「死の秘宝」は、そのダークな路線を引き継いではいるものの、中盤の複雑な展開ではなく、「ハリーとヴォルデモート卿の最終決戦」というわかりやすい題材で進んでいく。 PART1ではヴォルデモート卿の魂の一部を封じ込めた分霊箱を発見して破壊するというミッションがメインになる。 その反面、ヴォルデモート卿の側でもハリー・ポッターを殺害するためにさまざまな手を打ってくる。 その過程でダンブルドア校長に託された品々が常に役に立つ。 なぜ、ダンブルドア校長はハ

  • 郊外➕夕暮れ

    郊外の夕暮れはセンチメンタルだ。 なぜかはわからないけれど。 自分が生まれ育ったのが郊外だからだろうか。

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