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これからも感謝している https://hiroriko.hatenadiary.jp/

癌で旅立った母が今も見守ってくれていると信じて。後悔、寂しさ、不安、思慕の念と感謝を抱えて。

hiroriko
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2015/09/22

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  • 1年

    さよならをしてから1年が経ったね。無事に一周忌を終えたよ。 お墓の前で、お経を聞きながら、もう1年経ったんだと振り返った。軽く体調をくずしたものの1年を越せた。父も少し痩せて白髪が増えたものの1年を越せた。 この1年で、時が経つにつれ、ネガテイブな気持ちは少しづつ薄れていった。不安、怒り、自己を責める、家族を責める、悲しみ、無力感、後悔。 寂しさはまだ強くある、これは一生もんかな。 お墓には、祖父と祖母と母が眠る。子供の頃から、家族で来ていた墓参り。墓参り自体にも思い出がある。こんな事言っていた、こんな事していたなどと語りながらの帰宅の車中。パーキングエリアのトイレから、なかなか出てこなかった…

  • 母と私の誕生日

    1月は、母と私の誕生日月。私は、産まれてきて無事にこの歳まで生きてきた。母が私を命がけで世の中に送り出してくれた日なんだと、母とさよならしてからより実感し改めて感謝をした。子供の安全を考えて、帝王切開で産んでくれた。産道が閉まって危なくなるケースの出産だったから。お腹の傷は、子供の頃に見せてくれた。背中には麻酔注射の跡?もあった。その当時の麻酔だからか、かなり痛かったそう。お腹の傷も、たぶん今の技術より高いわけでないのか、長い縫い跡が痛々しかった。子供の頃、出産話を時折してくれた。長い傷跡を思い出すと頑張らねばと思う。 20代になって、パソコンを使うようになると、帝王切開は肩身が狭い?出産方法…

  • 初夢にでてきてくれて

    1月1日の朝。二度寝の際。 夢に母がでてきて、泣きながら起きた。泣きながら起きるというのは人生初。母の夢は、覚えているもので何度も見ている。今回は、一番、画像度が高い夢だった。 夢の中で、私は幼児の頃のように母の膝に顔をのせていて、まるで自分が猫みたいになって甘えるように顔だけのせている。「首が綺麗ね~」と母。見ると母は生前着ていそうな柄物のシフォン系のブラウスに、生前は選ばないであろう揺れるタイプの長いイヤリングをしていた。オレンジ色のイヤリングは幾何学模様が連なっていて綺麗。三角が連なるような。 なつかしく感じる雰囲気・感触を味わう。その内、あれ?あれ生きてる?と気づく。すると、「いい子ね…

  • 今までとは違う年末年始

    母のいない初めての年末年始を迎える。まだ波はあるけれど、何かが手につかないほど心が持っていかれる強い悲しみは乗り越えたようだ。しっかり前を向いて、受け取ったタスキを握り人生のゴールに向かっていこうと年末を向かえ、新たな気持ちになってきた。 年末の買出し。毎年私が大晦日に、デパ地下で、蟹の足やほたての刺身、すきやき用のお肉など買っていくのが習慣だった。蟹に一番、母は喜んでいた。(ように見えた)ずっと遡って、私が高校生の頃、上野のアメ横まで繰り出して母と買出しに出かけたりした事もあった。定番は、近場のデパ地下の1階の魚介売り場だった。実家に一緒に住んでいた頃は、朝目覚めると、1階からいい匂いがして…

  • 母の髪

    白髪が前髪あたりにピョンとでた。昨日、出かける前に毛抜きで抜いた。私の髪は子供の頃から量が多く太い。さすがに歳を経て、普通の量と太さになった。成人式の日や卒業式の日に、髪の多さで巨大なまとめ髪や三つ網に、うな垂れた。毎朝、ドライヤーと格闘する、そんな私に「今に髪の毛は少なくなるから、そのくらいでちょうどいいの」と母は慰めた。 私が子供の頃、母はロングヘアのきれいな髪だった。つばき油で手入れしていた。自分で抜けない後方の白髪を子供の私は抜かされた。今は使っていない三面鏡に向かい、母がブラシで髪をといでいた思い出。昔の和の三面鏡。椅子はなく、ペタッと座って使用するタイプ。長い髪をまとめお団子ヘアに…

  • いつも見てるよのメッセージ

    母とさよならしたのは、2月の末。土曜日の夕方のとても晴れた日。窓から刺す日差しが綺麗な日。亡くなって何ヶ月は、何を見ても思い出し、仕事中に涙ぐみ、電車の中で涙ぐみ、歩きながらも涙がの日々。急に変化した生活に、ついていけず興奮した状態で、喜怒哀楽が激しく(喜と楽はないけど)感情が高ぶった状態でした。 母の動画や写真や洋服などを見ては、母を忘れないように、まだ近くにいるんだと自分をごまかす為?癒すため?に、必死。毎日、何か母に関する事をしていないと落ち着かなくて。(フォトフレームを大量に買ったり、母の愛読書をめくったり、仏具を新調してみたり。好きだった花の鉢や、お菓子を買ってきたり。思い出の散歩道…

  • 父の気遣い。開かない窓。

    会社の帰り、実家に寄る。実家の母がよくいた6畳の和室。2階にあがったら、その部屋の電気がついていた!ふすま戸から明かりがもれている。ハッとした・・。懐かしい感覚。中にいたりして。一瞬でも霊でもいいから居て。だけど、ふすまを開けても誰もいない。だよね。父が、電気を消し忘れた様子。そこには仏壇と母の写真が入ったたくさんのフォトフレーム。 「生前を思い出して、嬉しかった」と1階にいた父に話す。すると最近は帰宅すると、母の部屋はいつも電気がついたままになっている。生前は、そこに母がドカッと座って、よくテレビを見てたっけ。 父とは、母と比べて、話す事は少ない。高齢一人暮らしになった父がただ寂しそう。直後…

  • 魂の存在を信じたい

    平日の会社の帰りには、実家に寄り仏壇に手を合わせ、一日の報告をする。生前と同じように、なるべく生活を変えないように。生前の生活を忘れてしまわないように。遠い過去にならないように。 好きそうなお花や、お菓子やご飯を備えて、写真に向かって話かけている。仏壇で話していると、不思議に身体の左半分が特にビリビリするので、母が近くにいる?見られている?と感じる。 そのビリビリは思い込みではなく、何度もいつもそうなる。もしかして、そのビリビリしたしびれ、何かの大きな病気の前兆かも?それなら、こんな悠長な事、言ってられないけど。 大事な人を亡くすまでは、霊?魂?う~ん・・であった。しかし信じたい気持ちが後押し…

  • 恨みがましい気持ち

    テレビで、がんの最先端医療をとりあげていた。ネット検索して、放射線治療の最新機器を発見した。それが希望があるものであるほど、悲しく辛くなる。なぜ、私は母の生前に、それにたどりつけなかったのか。なんでだろう。もっと真剣に集中して、やろうと思えば、それらにたどりついたのでは?私自身、仕事に追われて、片手間になった時期もあったかもしれない。私は仕事で出世したい役職でもない、一時的に仕事を休んでもよかったのに。そうすれば、もっと治療について調べたり専念できたのに。最後の時間をもっとすごせたのに。さみしい、ごめんね。もういくら後悔しても戻れないね。 同じガンで、同じ頃に発病したと思われる政治家や芸能人は…

  • 千の風になって

    今日は外に出なかった。なんだかふさぎこんでしまい、外に出る元気もなし。餃子を大目に作ってみた。ネタを黙々と皮に挟み込んでいると、寂しくなってくる。持参したら喜んでくれる母はもういない。お菓子やおかず、自分の買い物ついでに母の洋服など買っていくと、「hirorikoちゃん、ありがとう。これお母さんに?」と言っていた。 夕飯は17時からスタートの実家。それにあわせて土日はよく訪問した。 急な訪問では、私の分まで用意は期待していないので、近所のスーパーで惣菜を少し大目に買って行った。いつもの定位置で、両親二人で食事中。母の隣に座り、夕飯に途中参加。自分のおかずを私に食べろ食べろと勧めてきてくれる。横…

  • 土曜日の夕方は特に寂しい

    土曜日は寂しい、特に晴れた夕方は。お別れした日は、とても晴れていて病室の窓から光が斜めに射し込んでいた。なんだかお別れの日の神聖な演出みたいと思っていた。怖くてというか苦しくて、全部を詳細に書きたくない。 冬の土曜日の朝、8時頃、パッと目が覚めた。覚めた直後に、ほとんど鳴らない家電が鳴ったので、まずい!と思った。お願いだから!父からの電話ではありませんように。Amazonの配達業者とか、いたずら電話でありますようにと、ベッドからはね起きて、電話のあるキッチンへ走った。電話のデイスプレイを素早く見た。実家からだった。ああ、終わった、その日がきたんだ。今日で終わってしまうんだと動転した。1秒でも早…

  • 公園での思い出

    晩年の母は、少し痴呆があり、まだらボケというか、今言った事を忘れてしまう事が普通だった。今が、何月かがわからなくなったりもしたけど、日常の生活では普通に過ごせた。初めて母と話す人は、母は見た目など一見普通なんで軽いボケがある事がわからない、話が長くなってくると相手は怪訝な様子になった。しかし、軽い痴呆は、いい具合に母の素直な面?が特出したようだった。また元々が天然ボケだったので、痴呆になっても、あまりキャラクターが大きく変わったように感じなかった。天然ボケのレベルが経験値ポイントをつんでUPしたというか。父もそんな晩年の母が気にいっていた。私も好きだった。だけど私の事がわからなくなるまでは嫌だ…

  • ガラケーの

    ブログの操作に戸惑いながら、自分の書いたものが、他の方に読まれている変な感じ。きちんと正しくUPされているか?私の漏らしてはいけない個人情報まででちゃってたりしていないか心配。それに自分のガラケーから見たら、なんだか変に読みづらい。もしかして、はてなブログはガラケーの対応していないんだ。そういう事も考えないといけないんだね。うとい。 この折り畳みのガラケー、年季はいって、もう7年くらい使用していたり。先日、ドコモショップに行ったら「もうかなりの年数使用されていますね~?」とスマホへ誘導された。実際、私の周りもガラケー使用者は少数。私の周りだけでなくて世間がか。しかし、このガラケーには思い出があ…

  • ブログ始めました

    私自身、ブログをやる事になるとは思いもしなかった。 だけど今の思いを残しておきたい、記憶が薄れていく前に。 母は闘病の末、旅立ちました。まだ1年は経っていない。母がいなくなる前と後は 世界が違って感じられる。 どうして母は癌になったのか?どうしてその癌なのか? どうしてもっと早く発見してあげる事ができなかったのか? 選択した病院は適当だったのか? 治療方法の選択は?主治医に疑問をもっとぶつけるべきではなかったか? 他に代替療法はなかったのか? 職場に協力を仰ぎ、もっと休みをもらうべきでなかったか? 現実から目をそらして、何かをしていなければ辛かったけど、本当に大切な事に 時間をもっと割くべきだ…

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