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  • gooブログからアメブロへ

    昨年の11月頃から、アメブロにしてました。gooと書き分けようと思ったのですが、大変なのでアメブロ一本にしていきます。しばらく、gooブログはそのままにしておきますが、アメブロが落ち着いたら、退会する?かも。気が変わるかもしれないが。先日、M子さんから連絡があって、全然更新してないから心配したと。優しいM子さんからの連絡に、え~、それは申し分けない!と思い、もしかしたら、アメブロにしたことを全然知らない方もいるのかしら?と思いまして。両方書くと言ってましたが、やっぱり大変で。最初は、ocnのブログで書いていたのですがサービスが中止になり、アメブロに変更しようと思ったら、全部の記事が削除されるため、新たな登録が必要と。gooブログならば、そのまま移行できるという事で、gooにしてました。が、アメブロがやっぱり楽し...gooブログからアメブロへ

  • 初心にかえろう。宗教を超えて。

    先週くらいから、ブログの整理を始めてます。当初の過去記事を読んでいたら、初心に戻りたい!と本当にそう思いました。まだ書き始めの頃は何もしらなくて、図書館で調べたりいろんな人の本を読んだり、ネットで詳しく書いている人のを参考にしたり、とにかく夢中でした。とってもピュアだったな~と思い、あー、この頃に戻りたい!!と、本当に思ったので、そういう書き方に戻します。(できるのかね・?)心のつぶやきは、アメブロで。今、せっせと過去記事を修正しながら、2014年頃からだんだんごっちゃになって、複雑すぎてワケワカメなので、もっと読みやすくしようと奮闘中です。そんな時、友人の情報からこれを知って、本当に良かったことがありました。---------------------------------------------------...初心にかえろう。宗教を超えて。

  • 笠島道祖神と出雲の関係

    むしょうにラーメンが食べたくなり、主人と岩沼のいつものラーメン屋へ行く。帰り、主人が「あそこの神社にいきたい」と言う。(珍しい・・・)あそこってどこ?名前が出てこない。「来る時に通ってきた」私は金蛇水神社へいこうかなと思っていたけど、そっちじゃない方がいいという。「来る途中にあった神社」・・・あった?高舘那智神社?今熊野神社?「違う、その先にある所・・・誰かが死んじゃったところ。」死んじゃった人→実方さんあ、道祖神か!!ということで、やっとわかりました。笑で、久々に道祖神へ。小雨降る中ですが、そんなに寒くない日でした。新しい小道を発見!これは歩きたくなる!神社の鳥居前には美しい竹林の小道がありました。いい雰囲気なんです~。春頃に散策するのがよさそうですね~。このまま先まで道が続いているようですが。断層?ところで...笠島道祖神と出雲の関係

  • アメブロも利用

    お知らせ。今までのブログ記事を整理しつつ、今後は、歴史意外の精神世界の話は、アメブロに書くことで分けることにしました。メインはgooブログですが、歴史と個人的な心理な話をひとつにまとめると、混乱するし、とても読みにくいので分けることにしました。あまりアメブロで書くことはないと思いますが、太白山に行って感じた話を、さっそくアメブロに書いてみました。過去記事の中で歴史とは関係なく、どーでもいいじゃんな話は、削除するか、アメブロに移行するかもしれません。興味ある方は、こちらもどうぞ。「tohoku-inehapo」秩父まほろばPart2!!https://ameblo.jp/tohoku-inehapo/アメブロも利用

  • おもひでぽろぽろ神明社

    山形市内から天童へ向かう時に、山寺の裏側を始めて通ってみました。長いトンネル「べにばなトンネル」を抜けると、桃源郷のような昔にタイムスリップしたような風景が、とても素晴らしくて、いい所だな~と思って走ってました。石碑群が並んでいたり、巨木のある八幡社も趣があり、車なので急には止まれずそのまま通過してましたが、後でゆっくり歩きたいような所です。十八夜観音?後で調べてわかったのですが、「おもひでぽろぽろ」の舞台になった所とあり、どうりで絵になる風景だな~と思ったのです。この映画はみたことないのですが、山形県が舞台になっています。私が通った道は高瀬という地区で、そこに立ち寄った神社は、石畑という地名らしいです。(googlemapより)ポツンと見えた鳥居が気になったので、寄ってみたら「神明社」でした。月待講の碑もあり...おもひでぽろぽろ神明社

  • 千歳山周辺散策@エンドレスノット

    まず、ブログを書くのは日記と同じで「ふりかえり」と思って書いてます。他人に読ませるブログとしては向いていないことをご理解いただきたい。ブログというのは、本来そういうものではありますが。ならば書かなくていいじゃん。と思うが、いろんな霊統と繋がったところで、書かないわけにはいかない。史実に基づくことから離れるのは、真実は魂が知っているからで、異論があるのもそれもまたひとつの真実です。魂が自由であることの証拠。魂こそが真実であり、それには誰からも邪魔されない唯一の武器にもなるのです。ということだから、萬松寺のあの時間が何を意味しているのかは、その時は何もわかりませんでしたが、ふりかえりをして気づいたこと。鬼死骸村からずっと悲しみがあり、いつも一関に関しては悲しみを拾ってくるので、よくある事ではありますが、ほっておけば...千歳山周辺散策@エンドレスノット

  • 千歳山周辺散策@ヒルメの大日堂

    慈覚大師の開祖と伝わる平泉寺(へいせんじ)は、天台宗。(現在は曹洞宗)このお寺は、天然記念物の枝垂れ桜が有名で、歌碑もあります。仏像、仏具、絵馬等多くの文化財が伝わるが、最上氏の家臣氏家相模守光房が大日堂に寄進した鉄鉢があるとの事。枝垂れ桜ころり観音堂を参拝湯殿山と金毘羅山の石碑。ちょっとこちらで参拝し、隣に鳥居がみえたので行ってみました。それが大日堂でした。大日堂とは、大日如来を本尊として祀っている御堂のことを言います。私は大日堂が以前から気になってました。千歳山大日堂(別当平泉寺)聖武天皇の時代、奥の新山という所に行基が自作による大日如来の尊像が安置されてあったが、慈覚大師が東北巡礼の際に尊像の風雨に打たれているのを悲しみ現在の地に安置したと伝わります。大日堂までの道が、神秘的なんですね~。ここだけ空気が違...千歳山周辺散策@ヒルメの大日堂

  • 千歳山周辺散策@里山信仰と恥川

    勧音堂すぐ下に耕龍寺があります。龍だけに龍神様がたくさんいました。(御堂の中に)「1062年平清水の奥地深山にあって、勧音菩薩を祭礼する天台宗の寺だった。中頃、千歳山東方の寺ヶ入に移り、さらに1394年肥前国佐賀城下の玉林寺の徒弟自玉和尚によって千歳山西麓に移され「清水山耕龍寺」と号したといわれる。以後、曹洞宗の名刹となった。境内には深山以来の勧音菩薩を祀り、最上三十三観音第六番の札所として信仰を集めている。(以下省略)」※看板の説明より伝説では付近一帯は湖で、そこに住む竜神を白苗和尚が成仏させたことから、湖は耕地に生まれかわり、耕龍寺の名がつけられたという。看板の説明にある「奥地深山」というのが、瀧山(りゅうざん)だったのです!山好きなので、瀧山はよく知っています。姥神がある参道コースがある。きつそうなのでま...千歳山周辺散策@里山信仰と恥川

  • 千歳山周辺散策@観音堂

    水晶山の後に、再び山形へ。ちょっとだけたちよった寺社です。あまりお寺に行くことはないのですが、千歳山周辺は阿古耶姫伝承があり、多くは観音様ですが、素晴らしい風景でした。紅葉の季節の里風景は、本当に美しい。雪が降らないうちに、また千歳山に登りました。なぜ再び千歳山に登ったのかは、しばらく後に書くことにします。千歳山麓に「大日堂」があり、宮城県南にある名取老女や斎宮のある場所、また、山形県内でも敵に殺された武士の妻が尼となって開山されている伝承があるので、マップをみて行ってみたくなりました。大日堂は後で。武将の妻は、敵の妻になるか、入水するか、尼になるしかなかったようです。特に天台宗がそのような妻たちを保護していました。観音様は両性具有と言われますが、中世の天照大御神は両性とされています。なので、女も男もどっちの説...千歳山周辺散策@観音堂

  • 「大嘗宮の儀」にみた岩手山の夢

    大嘗祭が終わったようですが、夜中に行う?儀式なんですね。伊勢神宮とかよくわからないし、未だに、内宮、外宮がどう違うのかとか、わからない。でも、黒田清子様(サーヤ)が、伊勢神宮で大嘗祭の成功祈願をしたとあって、清子様は「妹」なのです。私はサーヤが好きなので、サーヤさえいれば、日本は安泰だと思っています。笑でも、ほんとに大変な作業なんだろうな~と思うわけです。国民というか世界の平和のために、あんなに着飾ったぶ厚い単衣を着て、夜中まで行う儀式なんて、ほんと~に大変なことだと思ってニュースをみてました。世紀の儀式的なことを言われていますが、何の儀式なのかちょっとわからないねぇ。14日夜~15日の朝まで世通し行われていた「大嘗宮の儀」という時に、なぜか、岩手山の山頂に登る夢をみた。登るというか行くというか。大嘗祭に関係し...「大嘗宮の儀」にみた岩手山の夢

  • 震災遺構の小学校と守りカニ

    日曜日、主人と閖上かわまちテラスでカレーを食べに行きました。名取川「笑夢」というお店は、美味しいです!(福島のお店です)いつものバターチキンと本日のカレーがココナッツの野菜カレーだったので、その2色カレーに決めたけど色も味も似てるのにしてしまった。でも美味しかった♪(^J^)帰りに、主人が震災遺構の荒浜小学校へ行きたいと言う。私は震災の時、泉中央に住んでおり一人で過ごした震災を思い出すので嫌でしたが、主人のように県外にいた人は、震災の津波がどうであったのか、知りたいそうです。ということで、閖上から近いので行ってみることに。海側のそばには防波堤の役目となる道路を工事中。当時は、東部道路まで津波が押し寄せてきたため、車に乗っていた人は、東部道路へ避難したと聞きます。海側は、土地が低く海抜とほぼ標高が変わらない為、昔...震災遺構の小学校と守りカニ

  • 紅葉の水晶山登山へ

    先週、山形県天童の水晶山にみんなで登ってきました。春は福島県の霊山だったので、今回は山形県を選んでみました。※2015年の時の写真。遠くにあるお山が水晶山。(かっこいいんだ)今回は、Rさんも参加~。いつも頑張っている4人の乙女・・・。オトメ。笑。がんばっているからいんです!巫女系は、魂が若いんですな。私は、ほぼ男系なので、先頭に立って歩く。登山中は、乙女なおっさん力が極みます。初めて水晶山に登ったのは2015年でした。なんとな~く覚えている程度。確か、姥神があったはず。わ~、口紅塗ってた~♪乙女の仲間~。前よりおしゃれになってる~。この木が好きなんです。ここだけ光の当たり方とか空気が全然違うので、ここでキャンプがしたい。いっぱい精霊がでてきそう。気づかなかったけど、何かあります。修行した人の痕跡みたい?お墓?こ...紅葉の水晶山登山へ

  • 一関八幡神社と坂上田村麻呂との記憶

    もうひとつの六芒星、三嶋神社に寄るつもりだったのですが、結構距離があり、往復1時間はかかりそう。コーヒー飲んでまったりしていたら、面倒になってきたのでやめました。ワラまた次に来る時にとっておきます。(へなちょこ探訪)それで、自転車で通り過ぎた神社が八幡神社で一関駅に近い所にあります。ここもマロに関係する神社だったので、立ち寄ってみました。きれいで立派な神社です。椿の道。・由緒一関八幡神社は、相殿の田村神社とあわてせ一関八幡神社相殿田村神社とも。岩手県一関の総鎮守として知られる。・祭神誉田別命(ホンダワケノミコト)坂上田村麻呂田村輝定スっと入ってきた光相殿田村神社があることを知らず。帰って来てから調べたら、本殿と別のところにお祀りされているようでした。そこ行かないとだめじゃん、と思ったけど、まあいっか。たぶん、こ...一関八幡神社と坂上田村麻呂との記憶

  • 大武丸の井戸と明治天皇

    真柴の鹿島神社は、真瀧村誌より康平5年(1062)源義家の勧請とあるそうです。元は、新幹線と東北本線の線路を挟んだ西側、井戸沢という地区にあったことが、宝暦風土記、安永風土記に記されています。明治期に真柴字佐野の鹿島神社に合祀。その後昭和初期に当地に遷座。裏手の2つの祠は、鹿島神と八幡神でした。さて、鹿島神社から北へちょっと行ったところに、何もない雑草が茂る地に井戸がありました。鬼石井について。死骸に乗せるために鬼石をとったときに、そこから湧いたという清水。旱魃の時も水が絶えず、希代の冷水とも言われた。的場清水とも言う。ほとんど水がありません。そんな大武丸伝承の井戸のすぐそばに、明治天皇が小休止した碑があった。ここに、呼ばれたのかもしれない・・・。石碑の横に書かれた文字。「大正六年八月「貴族院議員錦鶏間祇候俸正...大武丸の井戸と明治天皇

  • 真柴の鹿島神社と鬼石

    次は六芒星のひとつ真柴の鹿島神社へ。鹿島神社のある場所は、線路を渡ります。マップに載っていないので、近くの設定場所を「三八五引越しセンター」にした。三八五のある住所が「真柴祈祷1-1」なんだ。「祈祷」てすごくね?鹿島神社のある地名は真柴佐野。佐野ってとこが栃木っぽい。詳しくはわからないですが、山中に旧奥州街道があり要害があったようで、鹿島神社へ行くと、それらしい風景でもありました。何か建てられていたと思います。さて、神社へ行く前に鬼石を拝見。道沿いに大きな石が点在しています。ひとつしか見ていないのですが、いくつか点々と畑の中に置かれているようで、道からはあまり見えません。鬼石と言われ、坂上田村麻呂が大武丸の一党をここに追いつめ、成敗した時にその死骸を埋めた上に置いた巨石との事。とても大きい石なので、この石はどこ...真柴の鹿島神社と鬼石

  • 鬼死骸八幡神社

    鬼死骸伝説について。安永風土記(江戸時代の記録。抜粋)鬼死骸村一村名に付き由来往古吾勝郷と申唱候処田村将軍夷賊御退治賊主大武丸死骸此所に相埋候以来村名に罷成候由申伝候事※現代語簡訳昔は吾勝郷(あかつごう)という所でしたが、田村将軍が蝦夷(えぞ)退治にお出でになった折り、退治した「大武丸」という首領の死骸をここに埋めたので、それ以来、村名となったと伝えられている。※鬼死骸村よりhttp://www.nishi-iwai.org/ubusuna/n/onishigai.htmいんだな~。あー、昼寝したい。穏やかな鬼死骸村。地名と風景が一致しないね。鳥居が壊れていて、変わりに簡素な竹に藁で編んだ注連縄。いい!こういうのでいい!ちょっと低いが。馬頭尊ちらっと奥に本殿が。本殿までの道も風情があって良いです。神社名など書か...鬼死骸八幡神社

  • 熊野白山滝神社@一関

    初めての観光客のようにレンタルサイクルを借りる。マップをもらったりして。でも、行きたい場所が・・・、マップにひとつも・・・、載っていない。そりゃそーだ。天気のよい自転車は気持ちいい~♪一関は最高っす!さっそく「機織山」のバス停。帰りに立ち寄ってみようと思っていたけど、帰りは違う道を行ったので忘れてました。後でネットで調べてみたら、比較的新しい機織神社が祀られてましたが、詳細などは不明。熊野白山滝神社というのがありますが、最初、六芒星の滝神社だと思っていましたが、これは関係ありませんでした。下の階第から登る道ではなく、ちょっと坂をあがってすぐ神社に到着。なので看板の説明などを見ることもなく、あんまり詳細わからず。ネットからの情報より『祭神伊奘諾尊・伊弉册尊・瀬織津姫命例祭九月九日、(ククリヒメだから?)由緒延暦十...熊野白山滝神社@一関

  • 再び一関の六芒星と成島毘沙門天

    鬼死骸村の前に、一関六芒星の話し。2017年に巡った時の話しを。地元の方からの情報で、一関の六芒星の中心が「山目の配志和神社」と知って、行きたい!と思い、2年前に参拝しました。①中尊寺②達谷毘沙門堂③舞草神社がある観音山④三島神社⑤狐禅寺の滝神社(藤の沢)⑥鹿嶋神社※配志和神社※(剣坂)※配志和神社(産湯ヶ池)▽(下向き三角)=女=水△(上向き三角)=男=剣なので、まだ④~⑥は巡っていないので、行ってみようと思ったのですが、他に立ち寄ったこともあり、結局、⑥しか巡れなかった・・・⑤はマップになく場所が不明で、うろうろするのは嫌だったので諦めた。④へ行けるかと思ったのですが、時間もなくなり疲れたのでやめた・・・。2017年の記事が相変わらず長いので、まとめると(てかまとめられない、笑)▽と△は、男性性、女性性とい...再び一関の六芒星と成島毘沙門天

  • 蝦夷展からの鬼死骸村へ

    今日はハロウィンですね。もう10月が終わる~。年々、起きることも過ぎていくのも高速です。そんなケルトなのに、朝、ニュースをみて驚きました。首里城が燃えている!!どーしてこうなったんでしょ?わかりませんが、残念です。沖縄に行ったことがないので、首里城はまだ見た事がありませんでした。未知の世界ですが500年前の琉球王国を復元した建物で、沖縄の象徴でした。沖縄戦の時に焼失した為、平成4年に復元。後に世界遺産となったけれど、イベント中だったそうで準備中に火を使ったのかどうか?ただ、夜は立ち入り禁止なので今のところ原因不明だそう。昔の建築は何度も焼失・再建を繰り返しているので、また再建できれば良いと思います。--------------------------------------------------さて、久々のエ...蝦夷展からの鬼死骸村へ

  • 雄勝法印神楽と「陰陽師の玉手匣」

    27日、「れきみん」祭りに行ってきました。毎年秋に榴ヶ岡公園で開催されるのですが、しばらく行ってませんでした。全部はみてないのですが、今回、太白山の小出森八幡神楽と雄勝法印をみてきました。もう十数年も前になりますが、お神楽好きな友達がいて、場所は忘れましたがどこかでお神楽をみたことがあります。その時は、神話や神社に全く興味がなかったので詳しく覚えていないのですが、確か「雄勝法印神楽」だったと思い、見ている人もみんながワイワイしながら楽しんでいたことを覚えています。友達は「雄勝法印神楽」がとっても好きと言っていたのですが、27日にその友達にばったり会って、やっぱり来てるね~という再開でもありました。ワラ今回、「れきみん」で、「雄勝法印神楽」を行うことを知り、Rさんも一緒に行ってきました。今年に入って4月か5月だっ...雄勝法印神楽と「陰陽師の玉手匣」

  • 宮城県のトベ伝承@わけあり賀茂斎院

    前回の追記です。コメントを頂きまして、赤沼は、多賀城の瓦を作るために掘った人工的な沼と考えられるそうです。なので大工の神を祀っているとの事。確かに多賀城が近いですし、古墳など関東系土師器や蝦夷穴みたいなのも見つかっているので、何かと利府はいろいろありそうですね・・・。とても霊的な場所だと思います。名取もそうですが、岩沼と似ている利府なんですが。岩切も。染殿明神の藤原明子さんと、さんづけでお呼びしたくなるのですが、明子さんの第三皇女に儀子内親王(ぎしないしんのう)がおりました。妄想になるので実際はどうかわかりませんが、賀茂斎院なのですね。平安時代お歯黒をしていた時代です。平安時代から鎌倉時代にかけて賀茂御祖神社(下鴨神社)と、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の両賀茂神社に奉仕した皇女との事。(Wikipedia)代々、...宮城県のトベ伝承@わけあり賀茂斎院

  • 宮城県のトベ伝承@染殿明神

    9月に歴史会の皆で、富山、牧山、のの岳山(ハイヌヴェレの寺社)へ行ったのですが、利府街道を通る時に、いつも気になる神社がありました。あの神社が気になるんだよね、って言ったら、みきこさんが、その場ですぐネットで検索して教えてくれたのが、「染殿神社」でした。昨年だったかな、春に鶴ヶ谷へRさんとNさんと行った時に、マップにその神社があって不思議な名前だな、と思ったことはあり、でもそのまま流していた神社だったので、ここにあったのか!と思いだしたのです。染殿神社の由来は、『仁寿年間(850年頃)、摂政公の姫君が、わけあって世隠れの身となり身重の体で、はるばる旅枕を重ねてこの地にたどりつき、里人に一夜の宿をと申し出られました。里人たちは身につけている衣装はきらびやかで、頭髪には宝冠が光っていて、あまりにも身分が高い様子に返...宮城県のトベ伝承@染殿明神

  • 宮城県のトベ伝承①

    宮城県のトベ伝承(ハイヌヴェレ)については、書いておこうと思います。知られざる宮城県の歴史です。10月22日天皇即位の日、仙台で『ナグサトベ』の著者、なかひらまひさんが講演にいらしてくれました。岩手県在住の『よみがえる女神』など著書を出されている清水友邦さん、名取老女伝承が伝わる守家の子孫、みきこさんの3人の講和会を聴きに行ってきました。詳細は、こちらを参考にしてください。とっても深いお話で、テーマも「母系社会」にが根本にあるので、天皇即位にふさわしい時間を過ごしました。『ナグサトベ』については、5年位前だったか、著書の写真を担当していたOさんと、秩父で何度かお会いすることがあり、「ナグサトベについて調べている人がいて写真を撮りに熊野に行っていた」と聞いて、その時初めてナグサトベの名を知りました。その事があって...宮城県のトベ伝承①

  • 武甲山によく似た藤原岳と鉱業法

    イネハポ情報から知った藤原岳。「武甲山にそっくりな藤原岳があるけど・・・」みてみると、武甲山にそっくり。※藤原岳(三重県)このベンチカット(階段上の採掘)は・・・、太平洋セメント。やっぱり。藤原岳は鈴鹿山脈の北部に位置し、標高1140mの頂上部は特有の準平原をなすカルスト地形で、石灰岩、化石の山と呼ばれている。この山が形成されたのは古生代、今からおよそ2億数千万年前の時代である。藤原岳は、1年を通じて花が楽しめる自然の宝庫で、春は藤原岳のシンボルとも言えるフクジュソウや、キンポウゲ科を代表するエフェメラル(春の妖精といわれる春植物群)が人々を魅了する。藤原岳は登山者を年間を通じ楽しませることで有名である。太平洋セメントは、藤原岳の東面と多志田谷の西面を石灰採取のために、80年間採掘された山で、現在も採掘されてい...武甲山によく似た藤原岳と鉱業法

  • あこや姫と白滝姫の機織②

    以前書いたブログ記事から抜粋してます~。続けて書いてしまいます。マロも百済なので、マロは幼い少女をつれて、機織の家にあずけた。機織を奨励するために連れてきたのではなく、小手姫の時代だったかどうか?その家には小川が流れていたので、岩があるのも、養蚕(桑)を育てる上で重要な意味があったのかもしれません。かなり前から伊勢からきた一族が住んでいたと思う。その家が焼き払われて(たぶん荒蝦夷により)少女だけが助かった。その少女を助けてくれた人が、坂上田村麻呂でした。応神天皇の時代に百済から渡来した調氏(つき)がいました。調(つき)が、月待講になっているので、機織は月神で、埼玉にある月神社は、犬ではなく「狛うさぎ」なのです。※4travel.jphttps://4travel.jp/travelogue/11038397武甲...あこや姫と白滝姫の機織②

  • あこや姫と白滝姫の機織①

    久々にあこや姫(阿胡耶姫)の話。機織の話しになると、すらすら書けるのだー。最初に東北地方の悲恋話しで興味をもった伝説があこや姫でした。こんなに美しい伝説はないと思い、あこやの石碑の前に立つと、誰かが何百年もずっとあこや姫を思い続けている人がいると気づくのです。千歳山にあこや姫伝承があり、石碑もあります。入口には明治時代の尊王攘夷論に関係すると思われる、「物部守屋」を継承する碑もあり、明治天皇の他、数々の文化人が訪れている。謡曲「阿古屋松」としても登場し、『平家物語』にも残されています。父は藤原鎌足公の尊孫:信夫(福島)国司中納言豊光藤原の娘。※藤原豊成(生カキを食べる図・・・違うから)藤原豊光の娘とありますが、豊光の名前が史料には見当たらない。藤原家の娘とだけしかわかりませんが、マザーテレサのように、村人の病...あこや姫と白滝姫の機織①

  • 利府の春日神社と藤原氏と中臣氏

    10月初旬ですが、ちょっと利府に行った時に立ち寄った春日神社です。『春日神社は藤原氏の祖神が祀られています。陸奥出羽国按察使・藤原富士麻呂が多賀国府に赴任した時、藤原氏の祖神・奈良県春日大社の分霊を勧請して塩釜の上野原に遷した。その後、利府の小野田に遷し、地名も春日となっています。平安時代、奥州藤原氏、奥州留守職・伊沢左近将監家景、戦国時代の留守政景に深く崇敬されている。伊達政宗の時代、火災のため再建し、伊達綱村が社殿を復元。古代では国府多賀城の区域とする説もあります。』藤原富士麻呂なんて、ふじふじさんね~と、なんだかめでたいお名前。調べると、平安時代初期の貴族。藤原南家巨勢麻呂流、讃岐守・藤原村田の次男。伴健岑と橘逸勢が謀反を起こすが、右馬助・佐伯宮成と共に近衛兵を率いて、謀反人を包囲して捕縛に成功(承和の変...利府の春日神社と藤原氏と中臣氏

  • 台風の後の笊川と宝龍神社

    長町まで用事があって行ったので(電車で)天気いいし歩いてみたくなり、そうだ、大野田の笊川をみてみよう、と思いつく。台風の時、最初に旧笊川と七北田川上流が氾濫の可能性という情報が入りました。大野田・・・と思い、なんだか落ち着かない時間を過ごしていました。住んでいる近くに川は流れていませんが、名取川が氾濫したらどうなるんだろう・・・と、気が気でない。名取でも増田川の氾濫情報が入り、名取市内でも浸水した所がありました。『笊川の下流部はもと低湿地で、弥生時代から水田が開かれて富沢遺跡と呼ばれる。近世初期まで笊川は、名取川・広瀬川にはさまれた丘陵部の小川をすべて引き受けて流れており、しばしば氾濫した。』(wikipedia)笊川は新笊川と旧笊川とありますが、名取川水系のひとつで、昔は「座留川」と書いた。『丘陵部の水に依存...台風の後の笊川と宝龍神社

  • 台風の後のエジプト

    ようやく台風19号が去ってくれましたが、一夜あけて被害の全貌が明らかになってきまして、堤防決壊のショックな映像が広がっていました。亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。日曜日、ラグビーワールドカップで日本とスコットランドの対戦でした。君が代の国歌が、スタジオ全体に響き渡っていました。この時ばかりは、君が代が力強く感じました。ラグビーだけじゃなくて、何か他の力にもなればよいとつくづく思います。日本の河川は急斜面に流れる形状なので、昔から氾濫していた地域が、今回も大雨によって増水してしまったようです。夜中だったので、強風の音で眠れず。ずっと降り続く大雨と河川の氾濫の緊急情報が何度もきて落ち着かない夜でした。避難勧告がスマホに何度もくるのですが、(警告音に毎回驚く)その度に氾濫危険の川が増えていくので、不安になっ...台風の後のエジプト

  • 岩沼の八雲神社と雷神

    7月だったと思うのですが夏の時に行った神社です。Aさんとランチをした後に、どこか近くの神社にいってみようか、となり、Aさんはスサノオさんが好きなので、八雲神社が岩沼にあるので行ってみました。そこは8月のお盆帰省に偶然みつけた七福神のところで、写真をUPした立派な彫刻の七福神がある神社。八雲神社の七福神をみて、いいな~と思っていたところで、8月の帰省中にも七福神をみてびっくりしたものです。神社の由来は、『創建は古く931年頃。尾州豪士長田出雲守大江隆光が中央の兵乱をさけ、息隆忠等一族郎党7名を随伴して奥州に下向し、ここ長岡の郷を永住の居と定め、一族郎党は帰農し地方開拓に努め郷土の礎を堅めた。尾州津島の祭神を勧請して祠をたて、牛頭天王と称した。後に火災などで再建し、明治維新後八雲神社と改称し現在に至る。』息隆忠は祀...岩沼の八雲神社と雷神

  • 聖地伝承の十万劫山

    春に花見山へはよく行ってましたが、秋の花見山は初めてです。誰もいない花見山が不思議です・・・。花見山に続く峰となっている十万劫山(じゅうまんごう)まで歩いてきました。「じゅうまんごう」と聞くと、「じゅうまんごくまんじゅう」がピンとくる。埼玉県民しか知らない・・・。「うまい、うますぎる。じゅうまんごくまんじゅ~うぅ」というCMなんですが、食べてはいけない気分になってしまうほど、低いおじさんのナレーション。埼玉の銘菓です。そんなことはどうでもよくて。春以外の花見山は、普通のお山になってます。今のうち土を入れ替えたりして手入れの時期なんですね。広い里山ですから大変だと思います。春はこんな感じ。花見山の山頂展望台までの道は、春だったら花々を楽しめるのでしょうが、秋の花はチラチラ咲いてはいますが、足が止まることはなく。す...聖地伝承の十万劫山

  • 竜神大橋の竜にかけて破壊神の登場?

    茨城県にいった時の話し。もうひとつ訪れた所があったのですが、夕方5時になってしまい、もう「ほたるの光」の終了の音楽がなっており・・・5時で閉鎖されるので橋を歩くことができなくて残念。遠くから拝見。竜神大橋はとても大きくてバンジージャンプができる所でも有名。若い人が何組かやってました。「竜神峡は、竜神川の浸食作用でできたV字形の渓谷。男体山を水源とする竜神川が蛇行し瀬や淵をつくるさまは関東の耶麻渓ともいわれ四季折々に美しい表情をみせてくれます。中でも「亀ヶ淵」は渓谷のほぼ中間にある代表的な淵で、水が滝となって岩をうがち、底しれぬ深淵となっています。」「天下野の名の由来」『昔、水戸藩徳川光国公が領内の巡視の時に名主の家に泊まりました。その時、村人たちが集まりこの地に昔から伝わる散々楽の芸を光国公にお見せしました。そ...竜神大橋の竜にかけて破壊神の登場?

  • 勿来関は何もなかった?和歌で妄想す

    茨城からの帰りにちょっと勿来関にたちよりました。源義家の像がある所です。利府の勿来関には行ったことがあるのですが、いわきの勿来は、始めてでした。が、特に何かあるわけではなく・・・。海はよくみえて良い所ではあります。勿来関はもと菊多(いわき市南部)とよばれ、1500年前に設置されたと伝わる。これを「来るなかれ」と呼んだのは平安時代頃からであり、北方の蝦夷の南下をせきとめるためであると言われている。平安時代の終わりに近い後三年の役のとき、陸奥守源義家が、その平定のために奥州に下向けする途中にここにさしかかり、和歌をよんでいます。(後で紹介)先日、数名とある神社に行った途中に、利府の勿来へ行くことになりました。そんな勿来続きだったのでブログに書くことにしました。しかし、勿来とは「~来るな」という意味で、都や関東の武士...勿来関は何もなかった?和歌で妄想す

  • 大黒天~刈田岳の陰陽五行

    リベンジ刈田岳!7月に登れなかった大黒天からの刈田岳。素晴らしい天候に恵まれた刈田岳に登れました。ぽっかり30日空いたので、天気予報では快晴。蔵王も青空の陽気らしい。ずっとタイミングを狙っていたけど、タイミング悪くてリベンジできず。今年はいいか、と諦めていた時に、絶好の登山日和でした。どーしても大黒天から登りたかった。なぜか、大黒さん。なんどか目にしていた大黒さんが気になっていたので。今回は準備万端でいく。考えてみれば、7月の登山は、なめてました。。。簡単に登れると思っていたので。暑くて断念。まず、最初に刈田峯神社の里宮を先に参拝しました。それから大黒天の広い駐車場に停めて、大黒さんにお参り・・・と思いきや、家族ずれのおばあちゃんが大黒さんの前でコケた・・・。おお、なんと大黒さんはいたずら好きな?こりゃ、私もお...大黒天~刈田岳の陰陽五行

  • 大天狗の善悪の両方を備えるとは

    帰りは6号線を走って帰りました。原発がある帰還困難区域を通りたかったからです。大熊町、双葉町、浪江町。南相馬まで行っていたけど、そこから先へは行ったことがなかったので、二輪車以外なら車は通れます。2年前は常磐道を通りました。※福島民友新報。(2017年)2年経ってみても、※ふくしま復興ステーション(2019年4月時点)変わってないのよね~ぇ。帰還困難区域とは、放射線量が非常に高いレベルにあることから、バリケードなど物理的な防護措置を実施し、避難を求めている区域。避難指示解除準備区域とは、復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民の方が帰還できるための環境整備を目指す区域。以前、双葉町の古代史妄想してました。浪江町や楢葉町の古代史でしたが、「もう行くことができない」と思っていたので、車のみの通過であっても、「行...大天狗の善悪の両方を備えるとは

  • 常陸国探訪@日立鉱山と大杉

    御岩神社がパワースポットと言われて風向きが変わった常陸。それ以前は、日立鉱山だったと思う・・・?このギャップをどう埋めたらよい?日立鉱山をさらっと説明すると(Wikipediaですが)「日立鉱山(ひたちこうざん)は茨城県日立市にあった鉱山で、主に銅と硫化鉄鉱を産出した。1905年(明治38年)以前は赤沢銅山と呼ばれていた小鉱山であったが、同年、久原房之助が経営に乗り出し、日立鉱山と改名され本格的な開発が開始された。久原の経営開始以後大きく発展し、1905年(明治38年)から閉山となった1981年(昭和56年)までの76年間に、約3000万トンの粗鉱を採掘し、約44万トンの銅を産出した日本を代表する銅鉱山の一つとなった。また日立鉱山で使用する機械の修理製造部門から日立製作所が誕生しており、日立鉱山は日本の近代産業...常陸国探訪@日立鉱山と大杉

  • 常陸国探訪@御岩神社

    2年前に「光る岩の伝説」で御岩神社のことを書いてました。まだこの頃は、そんなに紹介されていなかったので、参拝者も少なかったと思いますが、今では県外からたくさんの人が訪れます。駐車場がたくさんあったのには驚いた。笑入口そばに愛宕神社岩場に祀られている。看板の説明に、この山は「天香久山」とも呼ばれていた。すごいな~。愛宕神社前にあったお稲荷さん。山頂まで登るつもりはなかったので、本殿のみの挨拶と考えていたのですが、「かびれ神宮」まで登れそうだったので、そこまで行ってきました。※トイレに目がいってしまう・・・。w由緒『当社は創建の時期は不明ですが、縄文晩期の祭祀遺跡の発掘や、日本最古の書の1つ「常陸國風土記」(721年)に「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」とされる事から、古代より信仰の聖地であっ...常陸国探訪@御岩神社

  • 大菅鉱泉と高宮神社の馬信仰

    いろいろ立ち寄った為、宿についたのが6時頃になってしまい、宿の女将さんが庭で待っていました。この大菅鉱泉は、1848年以前の開業とされ、かつて三軒の鉱泉宿があったそうですが、現在は、元湯館と里美屋のみ。この場所を選んだのは、たぶん、御岩神社に近いからだと思う・・・と主人が言っていたのですが、鉱泉に興味があって宿を予約したらしい。ちょっと古いお宿ではありますが、里美屋旅館でお世話になりました。おとなしいワンコが出迎えてくれて、廊下では鈴虫を飼っているので、なんだか、親戚の家に遊びにきた感じ~。蕎麦畑が広がる所で、蕎麦が評判だそうです。夕飯に頂きましたが、美味しかったです。※そば畑夕食を食べている時に、女将さんが「仙台からきたのですか?」と聞いてきたので、そうです。と言うと、「まあ、懐かしい。私は一関なんです」と。...大菅鉱泉と高宮神社の馬信仰

  • 常陸国探訪@天津甕星とグリッド

    念願の「大甕神社」へお参りできました。天津甕星(あまつみかぼし)とは、日本神話に登場する星の神で、別名、天香香背男(あめのかがせお)、星神香香背男(ほしのかがせお)、香香背男(かがせお)と呼ばれます。カカセオは、ブログを書きはじめた頃から関心がありました。なぜなら、秩父大宮妙見宮縁起に、「国司のもふしあげにより大星大神ならびに香香背男命を真名井の原に勧請し、祝祀給ふ」という文が記されていたからです。この真名井については、武甲山のある場所に隠された泉なのですが、秩父はカカセオ一族に関係する歴史(約2000年前)を持っていることを、仲間から教えてもらっていました。あまり詳しいことはわかりませんので、基本を学ぶ。大甕神社のご祭神:建葉槌命地主神:甕星香々背男ご祭神の建葉槌命(はづちお)(天羽槌雄神とも書く)は、倭文神...常陸国探訪@天津甕星とグリッド

  • 常盤国探訪@磯部稲村神社

    栃木県に近い茨城県櫻川にある稲村神社へ行ってみました。その神社は、天照大神と機織の栲機千々姫(たくはたちちひめ)を祀っていたので、チチ姫に御礼参りがしたかったからです。考えてみると、秩父と同じ「チチ」なんですよね。足利の織姫神社に参拝してから、急にチチ姫と繋がる出来事がありました。それまで、この織姫の名を全く知りませんでした。『古事記』では萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)、『日本書紀』本文では栲幡千千姫命、一書では栲幡千千媛萬媛命(たくはたちぢひめよろづひめのみこと)、天萬栲幡媛命(あめのよろづたくはたひめのみこと)、栲幡千幡姫命(たくはたちはたひめのみこと)、火之戸幡姫児千千姫命(ほのとばたひめこちぢひめのみこと)と表記される。神名は「萬幡」を「多くの布帛」、「豊」を「多く」、「秋津」...常盤国探訪@磯部稲村神社

  • 栄存法印が喜んだ優しい雨

    9月は3連休が2回もあって出かけるのに最適な時期でした。今月は、めまぐるしく織姫三昧です。今回も、いろいろな所へ行ってようやく落ち着いたところなのですが、とても面白い体験をしてきました。このような現象が何を意味しているのかは、自身の魂が望んでいたことのひとつで、その土地に伝わる伝承、またそこに住む人の人生までも深いところで、繋がっているんだな、ということを感じました。共感が高いからこそ味わえるという事なのでしょうか?それは、一人より複数で味わった方がより鮮明になるという事です。先に、栄存法印さんのことを書いておきたいと思います。この方は、とても優しい方だったと今になってもそう感じることです。三連休初日の14日、「まほろばトライアングル」(勝手に命名)笑。へ行ったのですが、「巨樹」が何かを伝えているようでした。巨...栄存法印が喜んだ優しい雨

  • チの精霊と鹿狼山

    うれしい秋晴れ。もう涼しくなってきたし、蚊もいなくなったので里山登山も気持よく登れるようになりました。熊が怖いけどねぇ。運動不足解消のために、わざわざ・・・相馬郡新地町の鹿狼山へ。4年ぶりに、手長足長明神に会いにいく。今回は、「蔵王眺望コース」から登ってみた。歩きやすく整備されていて、いいお山だな~と思ったら、「みちのく潮風トレイル」がありました。眺望コースといえど、全く見えませんが。鹿狼山はいろいろ妄想してましたが、もう一度復習を。「鹿と狼を連れた手長明神が住み、東の海まで手を伸ばして貝をとり、貝殻を捨てたのが、現在の新地貝塚となりました」葉っぱの精霊がたくさん。手長足長は巨人です。全国にも巨人伝説はありますが、手長足長は諏訪明神の家来とされており、手長と足長の夫婦の神であるといわれ、手長足長を祀る手長神社、...チの精霊と鹿狼山

  • 山形市内観光と悲劇の駒姫

    連休の合間に久しぶりに山形市内へ。暑い日でしたが、日影は涼しい~。稲穂が黄色に染まっていて、もう秋だな~と思います。まだ全然染まっていないのに、「もみじ館へ」すこ~しだけ葉が赤くなってました。コケが気持ちよさそう。あ~、ゴロゴロしたい~。始めて「文翔館」に行ってみました。(昔の山形県庁)ここは無料で拝観できます。芸工大学の作品やアートフラワーなどの展示もやってました。さて、文翔館の写真と共に、駒姫の話を。主人が一度も霞ケ城公園に行ったことがないというので、行ってみたのですが、最上義光歴史館へも行くことに。最上義光やこの時代、あまり興味がないので詳しくわかりませんが、展示室に入ってすぐに「駒姫」のことが書いてありました。私は駒姫を知りませんでした・・・。とても可哀そうなお姫様です。駒姫はとても美しいと言われて評判...山形市内観光と悲劇の駒姫

  • キノコのこのこ深山修行

    9月も中旬になっていますが、9月入ってすぐに千貫・深山へ。ただいつもの道を歩くだけなのですが、なぜこの山に魅かれるのか、わかりません。大事なものはほとんど目につかない所で、ほとんどの人が関心をもたない場所に、大事なものがある。ということを知ったのは、つい最近でした。地元の人しか知らない所。千貫・深山は何もありませんが、これだけ歩きたくなるのは何かがあるからだと思います。何も答えはないのにただ歩いているという行為は、修行みたいなものです。ある時、歴史会で巡った寺社で、県外の人がいろんな場所を知っている。と、言ってました。地元の人も関心をもたない所は、県外の人がそこに魅力を感じてしまうもの。地元じゃないからこそ、自由に知りたい欲求がおこる。そういうもんで。地元だといろいろ地域の人の顔が浮かぶから、恐縮するところがあ...キノコのこのこ深山修行

  • 三十八人のハート

    メモ程度に記憶しておきたいこと。夜寝る時に、睡眠に入る直前というのでしょうか。何かの残像みたいな、関係ない映像がぱっと浮かぶことがよくあるのですが、一昨日、夢をみたのか睡眠の直前のビジョンに、「三十八人のハート」という言葉がぱっと浮かびハートが見えました。またハートだなぁと思って。そのまま寝てしまったのですが、朝起きても覚えていたので、何かのメッセージかな、と思ったのです。それに「三十八」は、イザナギ?イザナミ?天照の子供の数と聞いたことがある。この話し、以前にも書いた記憶があるのですが、忘れました・・・。もし同じ話しだったらすみません。でも、私は天照より、三十八は、「秦」だと思ったのです。私にとって縁があるからだけど。数霊を気にする方は、数霊で「38」を記憶すると思いますが、私は人物が出てきてしまうのです。秦...三十八人のハート

  • 福島市民家園(くらしの博物館)と室石

    たくさん古民家を復原している公園はありますが、福島市民家園は楽しかったです。スケールが大きくバランスが良いです。お盆に通った磐梯吾妻スカイラインの近くまで行き、フルーツラインを通るのですが、吾妻山の裾野は広いので、田園風景がとてもきれいで。道も広くて気持よい道です。「あづま総合運動公園」という広いスポーツ施設があり、関東ではあり得ない広さ。森も吾妻山の森だから歩くだけでも、かなり違います。森の植生なのか、里山とは違いますね。空気が全然違います。スポーツ公園で駐車して、福島市民家園まで歩いていきました。ここは、敷地約110,000平方メートル・・・東京ドームより広い?とりあえずマップ。江戸時代~明治時代の県北地方の民家を中心に梁川村(伊達市)の芝居小屋、料亭、板倉、会津地方の民家等を移築して復原し、庭や畑と共に環...福島市民家園(くらしの博物館)と室石

  • 大鳥城跡と佐藤氏兄弟

    大鳥城跡へは、上まで車で行けそうなのでトイレがある広い所で駐車し、城跡へいくと確かにそこに佐藤基治公とその子:兄弟の名が。※土塁の跡土を盛り上げて築いた小さな砦、城のまわりに土塁を築いて攻めてくる者を塞いだと書いてありました。今では、アジサイなどの植物が塞いでいて、平和な土塁になってます。ここに佐藤基治公一族の供養塔がありました。最初に繋がったのは田村神社(マロを祀る)で、やっぱりマロなんですね。マロは何でも繋げてくれるのです。それは、佐藤忠信と佐藤継信の奥さんの方でした。妻たちは佐藤兄弟が殺された後に、義母を元気づけるために、甲冑をきて迎え入れたという伝承があるのです。この話しを聞いた時に、介護を思い出して。笑確か、まだこの時介護中だったと思う。今では妻たちが頑張っている介護のことでしょ?(ちがうか)田村神社...大鳥城跡と佐藤氏兄弟

  • 香港とプレアデス

    これは、書いておいた方がいいのかな、と思うことを。メモ程度に。今、香港が大変なんですけど、20代の時に友達と大好きな香港に旅行にいって、とっても楽しかった思い出があります。その時に、ペニンシュラホテルでアフタヌンティーができるので、思い出にハイティーしようとなりました。(今じゃ、こんなリッチ体験できないわな・・・、笑)そのホテルでアフタヌンティーをしていたら、ずっと谷村新司の「昴」の生オーケストラの演奏が流れていたのです。なんで昴?と思って。香港でも有名なんだな、と思っていたのですが、ずっとその曲なんです。友達もなぜ昴?という気持になってました。ということを思い出したのですが、なぜそれを思い出したのかは、香港が大変なので、昴のプレアデスが何か言いたいのかもしれません。とりあえず、撤回(逃亡犯条例)されましたけど...香港とプレアデス

  • 飯坂温泉の村崎神社

    松島の紫神社=村崎神社なので、別の日に飯坂温泉まで行ってしまいました。暑いので温泉はパス~。とても熱い湯なのです。宮城県の鳴子温泉、秋保温泉と共に奥州三名湯に数えられるほど老舗温泉。「鯖湖の湯は瀬織津姫を彷彿させる」で妄想しているので、詳しいことは書きませんが、村崎神社は、地元の伝承では、「瀬織津姫命」を祀っているとの事。■村崎神社(八幡神社境内)祭神:オオナムチ、少名彦命、瀬織津姫の三神。飯坂で最も古い神社といわれ、村崎明神、飯島明神、温泉神とも称す。かつては斎藤家の屋敷内に鎮座していた。名前の由来は「この村始まって以来の神社」という意味。最初行った時は、八幡神はスル―してました。近くまで通ったけど、「源義家」には関わりたくないな、と。でも松島の紫にいったなら、飯坂には行くべきでしょ。カフェに。そっちか。とい...飯坂温泉の村崎神社

  • 紫色にたなびく雲~の紫神社

    女川へ行く前にたちよったのが、紫神社でした。松島へ行く時はいつも通る道で、いつも鳥居が見えてました。何の神社かな?と気になっていたけど、ずっとスル―してました。以前、福島の飯坂温泉の「村崎神社」のことを書いていた時に、松島の紫神社が繋がったので、知ってはいました。なので、いつか参拝しておきたいな、と思っていましたが、すっかり忘れていた。。。女川へ行くことになったので、じゃあ、途中だから寄ってみようかな、と思いつき、googlemapで設定して到着した時は、驚いた。いつも通っていた道そばにあったあの鳥居は、紫神社だったのか!もー。何度も通っていた所やんか。紫神社の由来-------------------------------------御祭神天御中主神、建御名方神、軻遇突智命(かぐつち)、天照大神、家津御子命...紫色にたなびく雲~の紫神社

  • 御前浜の熊野神社と百済王敬福

    久しぶりの女川。かさ上げ工事もまだ進行形のところもありますが、家々が高台に建てられ、民家も増えていました。駅付近は賑やかです。今まで駅付近しか行ったことなかったのですが、この先を山の方へ向かい、「御前浜」に行ってみました。震災の時、津波被害から免れたという熊野神社へ。熊野神社は、海側の太平洋側に多く建てられるのですが、昔から津波が多かった場所なので、津波と関係して熊野神社がまつられている話しも。御前浜の海は穏やかですが、太平洋側の海をみると、津波の黒い波を思い浮かべてしまいます。ここでは津波はどうだったんだろう・・・。どうしても震災を拭うことはできませんね。石碑が建っていたのですが、フェンスがあって近くまでいけない。何が書いてあるかよくわからないのですが、「天皇両陛下」の文字と「災害」とある。石碑は昭和9年。昭...御前浜の熊野神社と百済王敬福

  • 足利の織姫神社

    帰る途中で足利を通り、ここに織姫神社があると主人から教えてもらったので、参拝してきました。織姫は、いつだったか・・・昨年かな。音叉療法しているAさんが、織姫神社がとても気になるから、行ってみたいんだ~と言ってて。私もその名前を聞いた時に、織姫!?と思ったのです。Aさんは波動を知っている人なので、響きに反応するのですね。私はそういうのはわからないのですが、織姫の「織」という言葉には、何かがあるのかな、と思います。山の上まで車で行けたので駐車して裏から入る形に。すると、あの!関東でしか名前をみない「阿夫利神社」を発見。阿夫利神社参道入り口ほ~、始めてここでみた。なのにスル―・・・。階段登るのがなぁ。やっぱり関東は蒸し暑くて~。なんか気分が乗らなくて~。足利は、足利氏が築いた街なのであんまり興味がないんだな~。全然、...足利の織姫神社

  • 秩父札所最後の結願はプレートに潜る

    秩父水神巡礼13秩父水神巡礼の記事がちょうど13項目。13がシンクロしてる~。ところで、地層に建立される秩父札所観音霊場ですが、以前、トベの話しで、「比企郡」が登場してました。日置部の比企。なぜ、比企郡が注目されていたのかわかりました。「中央構造線」でした。『埼玉県岩槻市の地下3500mから採取したボーリング試料について最新の手法で解析を行った結果、この岩石が、日本で最も大きい断層であり、一部が活断層である中央構造線のごく近傍(およそ500m以内)で変形した特殊な岩石(マイロナイト)であることが明らかとなり、関東平野の地下深部の中央構造線の位置を特定することができた。』※産総研よりhttps://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2006/pr20060202/pr20...秩父札所最後の結願はプレートに潜る

  • 女性のための札所観音霊場と聖観音

    日本百観音霊場は、西国、板東、秩父。秩父は34箇所と1箇所増やして、百の結願としました。最後の秩父が「結願」の札所観音霊場の地なのです。どの観音堂をめぐっても武甲山が見えるようになっています。昔に比べたら変わっている所も多いですが。秩父札所の由来994年、1186年、1234年説と複数あり。熊野権現の烏、稲荷大明神の狐、日枝神社の猿のように、観音菩薩の眷属は「馬」であることから、十干の甲と牛を結びつけて、甲牛年の創建が説かれ、後に甲牛年の総開帳も行われた。観音の縁日は「18日」33箇所から34箇所になったのは、1531年以後、34番を追加して結願にしたとされます。なぜ、百にしたのかはよくわかっていません。その「完全なる百」の山として武甲山があったのですが、破壊されているところをみると、フツフツとチャクラが騒ぎま...女性のための札所観音霊場と聖観音

  • カカの武甲山と葛城神社②

    前回の矢を射ったところに・・・という地名ですが、「矢追」という地名でした。札所3番のあたりがそうです。さて、ずっと前から気になっていた神社。やっとこれました~。※葛城神社からみる武甲山。サイトからみつけた看板の説明。『秩父修験が祀った一言主命』『当社の社殿は天狗山を背に、荒川の清流を挟んで武甲山と向かい合うように建てられており、境内の近くには鬼が淵などの奇岩がある。当社は、江戸中期に現在地に奉斎され、明治5年に境内の八幡神社と諏訪神社を合祀して村社となりました。関東地方において葛城神社が祀られていることは、極めて珍しい為、その勧請については興味深いが、残念ながら当社の創祀を伝える記録や伝承は失われている。ただし、葛城の社名については口碑に「当社の祭神である一言主命が大和国の葛城山に現人の姿で現れ、雄略天皇と対話...カカの武甲山と葛城神社②

  • カカの武甲山と葛城神社①

    和銅黒谷がとれた所には、荒川が流れていますが、横瀬川と荒川が分岐しているあたりになります。その近くに、7,8世紀頃とされる群集墳があり(飯塚・招木古墳)和銅がとれた(708年)に関係する古墳群と思われます。また和銅黒谷に行ってしまいました。秩父でも秦氏の痕跡を探す・・・。主人は初。でも感想なし・・・(ですよね~)古墳群は、自然銅(ニギアカガネ)の採掘に従事した人たちのお墓になっていると思いますが、古墳時代後期、古代忍海郡(おしのみのあやひと)では渡来系の人たちにより、数多くの鉄器を生産する鍛冶工房が運営されていたそうです。忍海郡に関係しているのが葛城氏なのですが、葛城襲津彦は、新羅の草羅城(さわらのさし)を攻略した際に捕虜を連れ帰り、この捕虜が、桑原・佐糜・高宮・忍海の四箇所に住んだ漢人の祖とされる。忍海とは現...カカの武甲山と葛城神社①

  • 秩父霊場@尼寺の太陽寺

    秩父ネタ。秩父は秩父帯がある地域。旧石器時代~数十万年前頃は最後の氷河期といわれ、いろんな動物が列島にやってきました。太陽寺がある大血川洞窟では北方系クマ。埼玉県川口市猿貝貝塚で発掘された安行式土器は、およそ3500年前に作られたもので、青森県の亀ヶ岡文化と同時期に存在し、交流していた可能性が指摘されています。また、宮城の塩釜に由来する塩の釜は、埼玉で発掘された釜と形状が似ている物もあり、和銅黒谷がとれた聖神社にも蕨手刀があることからも、古来から東北地方との交流が行われていたと考えられます。深谷の鹿島群古墳も宮城県の鹿島古墳と似ている指摘も。「武蔵にいた豪族が逃れてエミシになった。」というのは、あながち適当な話しでもなく、出雲族も多くいたことから、武蔵文化圏と東北文化圏は、縄文時代から大都市を形成していたと言わ...秩父霊場@尼寺の太陽寺

  • 富弘美術館と佐賀の夢

    どんどん南下して日光国立公園へ向かうと、群馬県みどり市に入り、道途中に「富弘美術館」がありますので寄ってみました。行ってみたかった美術館!建築デザインで有名な美術館なので名前を聞いたことある人は多いと思います。星野富弘さんは著書も多く出しているので、絵が好きな人は、みんな知っている方だと思います。美術館の概要『水彩の詩画を通して生命の尊さ、やさしさを語りつづける星野さんの作品を一堂に公開する美術館が、星野さんのふるさと勢多東村(現みどり市東町)に誕生しました。四季折々の野の草花やシャクナゲの群生、紅キリシマツツジの大木など、青空と緑深い詩情豊かな山々に囲まれた東村。不慮の事故での9年間の入院生活から久しぶりにふるさとに帰った星野さんを迎えたのは、子どもの頃から慣れ親しんだそんな東村の自然でした。でもそれは、初め...富弘美術館と佐賀の夢

  • 鬼怒川の龍王峡と鬼怒沼の姫伝説

    南会津~日光国立公園~群馬(太田)方面へ。朝の高原のさわやかな風はとっても気持ちがよかったのですが、だんだん南下すると気温が高くなっていきます。塔のへつり駅の電車が走ってました。会津の阿賀川から奥日光へ向かう道は、鬼怒川を下るようになります。鬼怒川の渓谷も素晴らしかったです。「龍王峡」という渓谷をちょっと散策。3キロに続く奇岩に富んだ渓谷。約2200万年前の海底火山活動により噴出した火山岩が造山運動により隆起し、鬼怒川の浸食作用を受けて現在の景観を形成しました。岩の成分は、流紋岩主体の白龍峡、凝灰岩主体の青龍峡、安山岩主体の紫龍峡の名前がつけられています。涼しければずっと散策できたのですが、湿度が高いのは苦手。暑いので虹見橋まで行って戻ってきました。五龍王神社。タカオのミコト?タカオカミ神ですかね。高原山の弁天...鬼怒川の龍王峡と鬼怒沼の姫伝説

  • 光の青龍

    会津の話の前に、ちょっと一呼吸して宇宙の話を。興味深い現象が起こりました。『天の川銀河の中心部を観測していた2時間半の間にブラックホールが通常の75倍も明るくなったのを偶然捉えることに成功した。』(アメリカ)天の川銀河の中心に位置するブラックホールが、突如として通常の75倍も明るく輝いた現象は、「前代未聞」だと指摘しているそうです。通常、ブラックホールは光を放出することはないのですが、なんらかの物質が吸いこまれる時に放出した光を観測できた、という事なのでしょう。この「天の川の中心」が気になり、スピ系の世界では、「グレートセントラルサン」と言われる恒星の先にある所に、宇宙の中心があるという話し。今回、光を放った場所は、いて座Aの部分とされ、超大質量ブラックホールがあると言われています。※いて座A*(中央)と最近の...光の青龍

  • 南会津の旅@大内宿

    会津へいくと、いつも山が奥深いな~と関心します。ほんとにすごいなあ、と思います。下野街道を発見。ちょっと拝見。会津から江戸に通じているこの道を、人々が歩いてきたのですね。当時の夏はこんなに気温が高くなかったので、森の中は涼しかったと思います。ところで、会津は人が入っていない手つかずの森の面積は、白神山地よりも広いのです。まだまだ未知な森が、広大にあることを考えれば、会津の森も世界遺産に値する森です。福島県南西部~新潟県にまたがる只見川上流~越後山脈と隣接する三国山脈は、「本州最後の手つかずの森」と称されるほど。いったん山に入ったら戻ってこれないよなぁ~。どんなに木々を伐採しても、まだまだあるよ、と言っても過言ではないほど、会津の森は宇宙の果てをみているような森です。さて大内宿も暑かったです。駐車は満車というので...南会津の旅@大内宿

  • 南会津の旅@徳一大師の恵日寺

    お昼休憩した後は、大内宿を目指しました。が、途中に「恵日寺」がある!3年前、会津巡りをした時に道の駅にたちより、その時、近くに恵日寺跡があることを知りました。会津では有名な徳一という人が建てたお寺なのですが、他に立ちよりたい所があったので、その時はスル―しました。今回、何も知らないでいったら、新しく復元された薬師如来像になっていたのです!またもやラッキーでした♪平成27年から東京藝術大学大学院美術研究科保存修復彫刻研究室との研究連携により復元制作に着手し、以来3年をかけて平成30年の夏に完成されたのです。なので、昨年完成したばかりだったので、3年前に行っても新しい薬師如来像には会えなかったわけです。東北地方は薬師如来像が多いのですが、かなり古い時代からのものが多く、おそらく最初に東北地方に仏教が伝わったのが、薬...南会津の旅@徳一大師の恵日寺

  • 南会津の旅@大笹生~一切経山

    お盆の帰省は、久しぶりに秩父へ。お盆に帰るのは4年ぶりくらいです。介護が終わってからの帰省だったので、実家で迎え火ができて良かったです。今回は久々に主人も一緒の帰省だったので、車で帰りました。せっかく行くなら途中、会津へいこうとなり、まだ行ったことなかった大内宿へ行ってみました。夏休みとあってなかなか宿がとれなかったのですが、涼しそうな会津高原に1泊してから、日光~群馬~秩父入り。なかなか良い道なので、たくさんのバイクのツーリングとすれ違いました。会津も暑かったですよ~。朝晩は涼しいのですが、大内宿も暑くて・・・。やっぱり会津はいい!すごい所です。周りにもいろいろ観光するところがあります。(後ほど)また、不思議な風景があり、昔にタイムスリップしたような風景。いつだったか夢でみたような・・・。----------...南会津の旅@大笹生~一切経山

  • 角田:高良玉垂神社と九州王朝説②

    玉の話しの続き。「潮満玉」「潮干玉」とは、山幸彦が海神の宮から帰る時にもたされた玉。山幸彦と豊玉姫は結ばれるのですが、豊玉姫が産んだ子が「八尋鰐(やひろわに)」。もしくは、ウガヤフキアエズ。これが何度もシンクロしていたフルフルの高千穂、奇振嶽=ピラミッドみたいな。猿田彦命と繋がるのも、石巻の鳥屋神社、田道将軍の「猿賀」という猿は、いずれも猿田彦命と関係するのかもしれない。丸森の鳥屋嶺神社も、中央にウガヤ、左に猿田彦、右にウカノミタマで、猿田彦を祀っている。それは川沿いに建てられているので、(海などの水にも関わる)鳥屋というのは、猿田彦のことをさすのではないか?と思い、そこに巫女(水神)の祓戸神が関係しているっぽい。他にワニとは、①言霊説②サメ説③龍説。ざっくりと。和邇氏のワニも当てはまると思いますが、豊玉姫がワ...角田:高良玉垂神社と九州王朝説②

  • 角田:高良玉垂神社と九州王朝説①

    不思議なところに繋がってしまいました。不思議なもので、ある情報が入ってきても流していたことが、しばらくすると、またその情報に繋がるので、確信に変わってしまう。これは本物だな、という情報に戻る。無視しても必ずそこに戻される。気づくまでその流れがずっと続くのです。そんなことをずっとやってて、結局、なんだかわからない。でも、ご縁のある人には、伝わっているようなので、それでいいのだと思います。笑(←笑うしかない)なぜ、角田がヒタカミなのか?を考えていたこともありました。石巻の田道将軍が繋げようとしているのが、角田かもしれないのです。それはヒタカミと言っているのかもしれません。深い話しです・・・。角田も石巻も北上もヒタカミ。阿武隈山系と北上山系の花崗岩の共通点は巨石信仰で、花崗岩だけではなく、茨城県の御岩神社にあるように...角田:高良玉垂神社と九州王朝説①

  • 上毛野田道将軍の玉

    先日、ちょっと不思議なことがありました。東松島の方にドライブしようかな~と思って、観光するところをGooglemapで調べていたら、指がすべったか何かで、マップが石巻の方にスっと移動した。すると「鳥屋崎神社」という文字を発見。鳥屋嶺、鳥屋に続いて、鳥屋崎・・・?まだ石巻にはトヤがあるのか。と思ったんだけど、相変わらず、そこは流してマップを松島に戻しました。そんなことを忘れていたら、大きな地震が夜7時くらいにあって、そのマップをみた日か次の日だったかなあ。震度5弱で結構ゆれまして。宮城・福島海域震源地の今回の地震は、311の余震だそうです。まだ余震があるようですが、何事もなくて良かったです。強く揺れた震度5弱の地域で括られたのが、石巻、亘理町、双葉町と。それで、あ、田道将軍となって、そういえば「鳥屋崎」というのが...上毛野田道将軍の玉

  • 星に願いを@七夕祭り

    毎年恒例の七夕祭り。仕事帰りにいつも七夕を見て帰ります。毎年、鐘先のかまぼこ屋のデザインが斬新で金賞をとるので、いつもここの七夕飾りをチェックしています。今回は光るんですよー。毎年豪快なのは藤崎前の折り鶴の七夕。ここがとてもきれいです。小学生の願い事がたくさん。「つなげよう皆の絆広げよう地域の輪」「仙台復興へ星に願いを」「世界の安寧」などなど。安寧・・・大人びた小学生の言葉。トランプにも届け。thewell-beingofanation!昨日は広島、8日は長崎の原発投下で戦争の記憶が、ますます深みを増す年になっていく。戦争の体験したことないけれど、日本でこんなことがあったんだ。という若い子の感想。私はもっともっと古い過去を遡って、こんなことがあったんだ。と思う日々。世界の言語:アラビア語、韓国語、中国語・・・。...星に願いを@七夕祭り

  • 鬼門45度の多賀城ラインにあるモノ

    私は多賀城跡にしばらくいってないし、ほとんど多賀城市に行くことがないので、このあたりの歴史はよくわかりません。ひとりでは行けない地区なのです。こんなブログを書くようになってから・・・。というほど、私にとっては、多賀城は緊張する場所です。全然違う世界です。怖いというのではなくて、ある文献(覚えてない)で、イザナギが幼少の頃、学問をした場所が多賀城という話しを聞いて、あー、イザナギかどうかわからないけど、だれかえらい人、(古墳時代より前)が、亡くなっている場所なんじゃないか、という妄想はあります。そういえば、イザナギが過ごした方角の中心(淡路島の多賀)からみて、東北のある方位だから、艮の金神になったということなのでしょうか?奈良の平安京は鬼門除けに寺社仏閣をライン上に並べてます。鬼門に比叡山を作ったという事で、京都...鬼門45度の多賀城ラインにあるモノ

  • 龍が遊ぶ明堂伝説@龍と虎

    あつ。仙台は他の地域と比べて夏は涼しかったのですが、毎日の熱帯夜で「仙台の夏は涼しい」と言えなくなってしまいました。そんな「危険な暑さ」と言われながらも、生きてます。それで、こんな時は、読書かな、と思いまして。暑いからどこにも行きたくないので、涼しいところで読書に没頭したい。小説『風の王国』を読んでいるところなのですが(今さら)でも、夏といえば・・・・「山の怪奇」。ぷぷっ。(図書館で借りた)暑い日は特に読みたくなる!お化けとか稲川淳二的なものではなく、天狗、神隠し、龍など、摩訶不思議な体験がてんこもり。長野県のあるお宅で起こった稲荷神への奉納の話が、本当だからすごい。こういう話しを聞くと、やっぱり山には何かが潜んでいるのだな~と思います。それにしても奥秩父の話が多い。やっぱ、秩父はいい感じでヤバイ所です~ぅ。-...龍が遊ぶ明堂伝説@龍と虎

  • 蔵王刈田岳と伊達宗高公の慰霊碑へ

    急に蔵王にいきたくなってしまいました。先週金曜日、仕事が休みになったので、一人で蔵王山山頂までいけたんです~ぅ!いつもは誰かの運転で山頂まで行ってましたが、あの山頂付近のぐるぐる道に、必ず酔うので避けてました。でも、酔い止めの薬を飲めば大丈夫なんじゃないか、と思いまして~。それにスムーズに行けば1時間半で到着する近さ。(大黒天)蔵王山を歩きたい!今ならまだ「コマクサ」が見られるかも。そうだ!噴火を鎮めた伊達宗高公の石碑をみたことない!村田へ行った時に、宗高公の噴火を鎮めた祈祷の話で、いつか刈田岳山頂までお参りしたいな、と思っていました。てなことで、酔い止めを飲んだおかげで、問題なく順調に山頂付近まで着いたのですが、登山が大変でした。甘くみてました・・・。大黒天から歩いて刈田岳に登ろうと予定していたのですが、広い...蔵王刈田岳と伊達宗高公の慰霊碑へ

  • 経之塚古墳と直弧文の鹿角製刀

    大野東人の話がありましたが、気になる古墳を発見。場所は、名取空港の近くにあり一部だけ残されています。古墳に興味がない人にとっては何がなんだか萌え萌えにはならないのでしょうが、経之塚古墳で発掘されたモノに、私は何かがフツフツとなるのです・・・。まず、古墳について。『経ノ塚古墳(きょうのづかこふん)は、名取市東部の海岸線から約2km内陸の浜堤上に築かれた、直径36m、高さ約7mの周湟が伴う円墳。土取工事や道路工事などで墳丘は完全に崩されてしまいました。明治45年の調査により家形(いえがた)埴輪(はにわ)・鎧形(よろいがた)埴輪・円筒(えんとう)埴輪が発見される。大正12年の隔離病舎建設の際は、墳丘から1.8m掘った所に粘板岩製の長持型組合石棺が出土し、その中から2体分の人骨、直弧文が入った鹿角製(ろっかくせい)刀装...経之塚古墳と直弧文の鹿角製刀

  • 日天月天の鏡ヶ池伝説@岩沼

    ようやく梅雨が明けそうですが、雨や曇り続きの日は、どこにも行く気がおきず。こういう時は、また~りカフェ。Aさんに教えてもらったカフェの居心地がよくて、また一人で行ってしまいました。そのカフェは「箱塚」という地名で、十三塚古墳の近くです。このあたり古墳群が点在しているので、そんな土地に、美味しいケーキやパン屋さん、コーヒーが飲めるのは、とっても嬉しい~♪ご褒美がないと動けないので、ここを拠点に岩沼探訪します。ワラ~。そんで本題。岩沼探訪に再びスイッチ入る。歴オタとしては、岩沼・名取は面白いです。掘れば掘るほど出てきます。以前から気になっていた話しがありました。今年の2月ですけど、名取郷土史研究会の方と会った時のこと。名取老女のことを聞きたくてお会いしたのですが、岩沼の興味深い歴史を教えて下さいました。岩沼の阿武隈...日天月天の鏡ヶ池伝説@岩沼

  • 中尊寺と二つの玉の夢

    久しぶりの中尊寺。この時期は梅雨なので、観光客も少ないようです。中尊寺は書くことないので、写真だけ。弁慶堂の狛犬。強そう。よく仙台探訪をしているNさんはビジョンがみえる人なんですけど、エネルギーとか感じとれる人で。平泉は寺伝では円仁の開山となっていますが、実質的な開基は藤原清衡。藤原清衡が夢に登場してきたという。その姿は、野村萬斎さん似のすっきり顔ということ。若い時の野村萬斎さん面白い。昨年、名取老女の狂言(名取川)を演じたのは、野村万作・萬斎さんでした。こんな方が、ぴーひゃら龍笛を吹きながら中尊寺を闊歩してたら、絵になるよね~。実際、専門家による藤原氏についての調査報告によれば、藤原一族を調べた結果、アイヌ人以外の和人、日本人であり、現代の京都人に近いとわかりました。東北人とは異なり、貴族顔、貴族としての特徴...中尊寺と二つの玉の夢

  • 祭畤被災地展望の丘とマツリバ

    一番、ここに来たかったのです。2008年6月14日岩手・宮城内陸地震でМ7.2、最大震度6の大地震が栗駒山周辺で起こりました。私はこの地震が、東日本大震災の前兆であったと思います。人的被害は、死者17人となり、老舗駒の湯温泉が被害にあったことを今でも思い出します。今年の6月14日で10年がたちます。何かに引かれるようにこの地へ来てしまいました。※栗駒の土石流「蝦夷が騒ぐ」と昔から言われたのは、地震なんだと思います。それに活火山のある場所が好きだったエミシなので、自然災害により神々が昇格しているのは、天変地異なのです。活火山のある山は、度々地震を起しますが、火を崇めるアペの民族は、古来からその山を崇めていたので、地震を知らない民族からしたら、揺らしているのはまつろわぬ民である。と思ったのでしょう・・・。この時、盛...祭畤被災地展望の丘とマツリバ

  • 骨寺村荘園遺跡とクシフルタケ

    やっといけた骨寺村!車でないといけないのでね。ずっと憧れていた骨寺村。子供の頃の夏休みを思いだすような所。大人の休息。中世の村の様子がそのまま残されており、日本の原風景です。『一関市厳美町の本寺地区は、その昔、「骨寺村」と呼ばれた荘園で、中尊寺の経蔵別当の所領でした。骨寺村については、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に村の四方の境が示されていて、その範囲が明らかです。また、中尊寺に伝存する古文書や、一枚の『陸奥国骨寺村絵図』によって、中世の村の姿を視覚的に体験することができます。』平成17年、国史跡に指定。平成18年、一関本寺の農村景観として国の重要文化的景観に選定。『平安浄土の国づくりを理想にかかげた藤原清衡は、自らの発願による『紺紙金銀字交書一切経』(国宝)の完成に功のあった自在房蓮光を、そのお経を納める中尊寺経...骨寺村荘園遺跡とクシフルタケ

  • エミシ征伐の駒形根神社

    厳美渓から骨寺村へ向かう時、広い道(342号線)へ行くつもりでいたのが、橋が工事中で分岐を右折できず、そのまま裏道を通っていきました。ちょっと狭い道だったのですが、おかげで骨寺村の田園風景を満喫できました。骨寺村に入り、十字路にぶつかった先に鳥居を発見。何の神社かな?と思い立ち寄りしてみたら、「駒形根神社」でした。そうかー。ここはエミシ征伐が盛んだった場所です。エミシ征伐があった場所に、駒形神社を建てている。この神社には「根」がついている。しかも骨寺村には、駒形根神社が三社もあるのです。アテルイがいた水沢にも駒形神社があり、立派な神社ですが、参拝したことはありませんし、するつもりもなかった。しかし、今回、偶然みつけてしまったので、行ってみるしかないのです。根の国だから黄泉国な空気。マロの化身とされる毘沙門天は、...エミシ征伐の駒形根神社

  • 坂面伝母礼麻呂と一関探訪

    ちょっとちょっとー、とマロにツッコミたくなる話し。『陸奥話記』に、「坂面伝母礼麻呂請降普服六郡之諸独・・・」とあり、請降普服→降を請い(坂上田村麻呂に降伏した)の意味とされるのですが、諸独=えびす=エミシという説も。※『陸奥話記』とは、前九年の役の顛末を描いた軍記物語。その後に、「北天之化現・・・」とあるのは、マロが毘沙門天の化身であることを伝えているような意味なんです。「坂面伝母礼麻呂」とは、「サカノモノテモレマル」とよみ、これは、アテルイと共に、坂上田村麻呂に降参を受けた「盤具公母礼(モレ)」ではないか、との見方があるのですが、「母礼」とは、坂上田村麻呂のことでもある。「母礼」と言われた人が、盤具公母礼と坂面伝母礼麻呂の二人いるということは?アテルイと共に闘ったとされる盤具公母礼と坂面伝母礼麻呂の関係が、同...坂面伝母礼麻呂と一関探訪

  • 鹿島神の開拓と悪玉姫

    まさか、牧山でこの二人の名前を知ることになるとは…。鳥屋神社の下に、石巻図書館がありましたので、マロのハイヌヴェレ伝承がみつかるかちょっと本をみてました。確か、「石巻の伝承」という本だったかなぁ。「牧山観音と和渕明神」の伝説が書いてあったんです。その中に、「牧山の零羊崎神社には、室町時代の作と伝える坂上田村麻呂と悪玉御前の木像が祀られている」とあった。ええーっ、マロと悪玉姫!?じゃ、私は真野探訪でなくて、マロ探訪をしてたのかい…?むむーーっ。で、偶然といいますか、毎年、平泉参りをしてまして、今回も3連休中(今日なんですが)主人と車で行ってきました。骨寺村荘園遺跡に行ってきたのですが、若神子というお店で、「岩手大陸」という冊子があり、以前からこの冊子はもらっていたのですが、全く気づかなかったのです。この冊子にちゃ...鹿島神の開拓と悪玉姫

  • 富山観音堂と坂上田村麻呂

    久しぶりの太陽でーす。太陽の形がちょっと変な感じで丸くないねぇ。さて、以前から書いている話しなのですが、涌谷町の箟岳、石巻の牧山、東松島の富山観音堂の3つの観音堂を結ぶと、きれいな三角形になり、坂上田村麻呂が牧山にいた魔鬼女を征伐し、(大武丸説もあり)頭、胴体、足をそれぞれ三か所に埋めたという話し。この伝承の史料の出所は不明なのですが、興味深い伝承を石巻図書館で見つけました。まず、その3か所のひとつとされる富山観音堂には一度も行ったことがなかったので、行ってみました。利府を通り松島の海を眺めながら、27号線を走ると、左側に「富山観音堂」の看板がみえてきます。ちょっと狭い入口なので素通りしてしまいそうですが、山道を向かう車道も少し道は狭いですが問題ありません。山頂付近には数台止められるスペースがあり、そこに車を止...富山観音堂と坂上田村麻呂

  • 石巻の羽黒山鳥屋神社と田道将軍

    初めてひとりで石巻までドライブしてきました。「はじめてのおつかい」みたいな感じで、大丈夫かな、という不安と心配が。笑石巻方面は震災の被害が大きかったこともあり、海側はまだ工事中のところが多く、トラックも多いから運転がちょっと怖いのです。ずっと一人で行くことを避けていた石巻なのですが、全然、問題なかったよー(そりゃそうだ)成長したな~。笑でもちょっと震災のトラウマがあり、海側を走るのは、やっぱり怖いですね。あの映像がフラッシュバックするんです。コンクリートの壁をみると、黒い波がね。あーいう映像は見ない方がいいね。私は津波被害にあっていないけど、実際、ここで起こったんだな、と思うとやっぱり怖いものです。近くに住まわれてる方が不安になる気持がわかります。県南を走っている時もそうですが、「津波到達区域」の看板が特に目立...石巻の羽黒山鳥屋神社と田道将軍

  • ダ・ヴィンチのフラワーオブライフ

    用があって東京へ行き、姉の住む豊洲へ。出かける前に、ヒストリーチャンネルをみていたら、これまた前回のブログに書いた内容の応えを教えてくれたみたいな、タイミング良い内容の番組が。「宇宙の古代史」だったかな。そんなタイトルの番組。ちょうど、あの絵のことをやっていたのです。そうそう、これは以前、何かで書いたんですよ。すごい額で落札された絵画。おおおーっ。目が合う・・・。レオナルド・ダヴィンチと判明された絵画なのですが、最初は偽物として安く売られていたそうです。鑑定したところ、本物とわかる。それは、ダヴィンチしか描けないという「スフマート」というぼかし方がわかったそうです。(衣服の部分)落札したのが、アラブ首長国連邦で「ムハンマド皇太子」が関係していたようです。史上最高額の4億5千万ドル(約500億円)で落札された。こ...ダ・ヴィンチのフラワーオブライフ

  • 錬金術の金とアトラティス

    面白い夢をみました。ふくらはぎに、錬金術のような不思議な記号が4つできていた。足がむくむ時に、ギューっとするとちょっとぼこぼこの皮膚ができるじゃない?血管悪そうな。(おばさんな話ですみません…)あれを大袈裟にした感じで、むくむくっと記号が浮かんでいる!なんじゃこりゃーっ!なんか記号みたいだよーっ!ていう夢・・・。4つの記号の中で、覚えていたのはたった一つ。一番下に浮かんでいた○にチョンの。3つの目の記号は複雑で□(四角)だったけど、マヤの記号っぽい感じがしました。でも全くわかりません。夜中に目が覚めて、見た夢を思い出すのですが、夢の法則がわかったんですけど、覚えているために一旦、目を覚ます。すると忘れないでいるものです。ふくらはぎってツウなんですけどね・・・。その1つだけ覚えていた記号が「金・太陽」のシンボルだ...錬金術の金とアトラティス

  • 中野地蔵堂(七ツ森)

    5月に加美町へ行った時にたちよった地蔵堂。大和町から七ツ森へ入る道沿いに御堂があり、前から気になっていたので、立ち寄ってみました。『中野地蔵堂』『本尊:石仏座像御長五尺九寸(5尺約151.5cm)御堂二間四面南向き祭日九月二十四日地主中野屋敷伝兵衛1722年伊達吉村(五代藩主)の生母松子が建てたもの。御堂三間四面辰巳向き旧暦六月二十四日祭日六月二十三日の夜祭には特に参詣者が多く夜遅くまで賑わうのが常である。子育てとして有名である。国見の巌を八幡町(仙台)の名石刻師に、松子様(宮床伊達家初代宗房夫人・片倉小十郎景長の長女・貞樹院)がきざませた。中野の土橋を地蔵様が渡り終わったとたん、どっと土橋が水中に落ちた。地蔵様が鎮座して以来、宮床伊達家で宵祭りから大祭りまで大供養を施行しておられた。明治維新後、当時のお金で八...中野地蔵堂(七ツ森)

  • 武甲山に似ている福岡県の香春岳

    大祓の日なので書きます。気になる山を発見。福岡県ですが、「香春岳(かわらだけ)」という石灰岩の山。この山は、一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳と呼ばれ、三つの峰で構成されている。しかし、山頂は首をきられて無残な姿。古い写真をみると、横瀬の二子山にも似ているコブの山がある。石灰岩だし、まるで武甲山のようだ。この山の麓に、香春神社があります。『延喜式神名帳に記載されている豊前国の神社は六座だが、その半分にあたる三座が香春神社にある。(残りの三座はすべて宇佐神宮内)三座は、辛国息長大姫大目神社、忍骨神社、豊比咩神社。』『和銅2年(709年)に山頂の三社を現在地に移設したのが、現在の香春神社。古来より宇佐神宮と共に豊前国を代表する大神社だった。辛国息長大姫大目神社と忍骨神社に正一位の神階が与えられたのは、承和10年(843年)で、...武甲山に似ている福岡県の香春岳

  • 故人を思うアジサイ寺

    回想す。4,5年ぶりになるでしょうか。久しぶりに、アジサイ寺と称される北山にある資福寺へ行きました。このお寺には思い入れがありました。ずっと前に、ピアカウンセリングのボランティア活動をしていたのですが、その時に皆と一緒に訪れたお寺でした。今年2月、その会にいつも参加してくれた方から突然、連絡がありました。3年ぶりの連絡です。「会って話がしたい」との事でした。久しぶりなので驚いたのですが、連絡をもらって嬉しかったのです。私のことを忘れてくれてなかったんだ、という思いが。会を解散、というか、去ったことを皆に何も言わなかったことが、ずっと気にかかっていた事もあり、これを機会に、あの時のわだかまりがなくなり、もう一人連絡がとれた方とお会いすることになりました。私は介護に入りボランティア活動ができなくなり、またいろいろと...故人を思うアジサイ寺

  • 閖上に眠る富主姫

    考えてみれば、鶴シンクロがぱったりなくなって忘れていたのが、真名井の泉は籠神社でしたよね。これは亀ですよね?今度は亀か!ということで、亀シンクロが鶴のように始まりました。陰陽統合というのはわかります。鶴亀統べってるのもわかります。ですが、それが身近にどのように起こるのか、といったことが理解できない。そこを理解したい!智の欲求がとまらん。で、今までのブログ記事をふりかえり、まとめることが重要ということに気づきました。暇な時にぼちぼちまとめてますが、「始まりは鶴だった」の2018年からまとめてます。たった1年の間なのに、相当な情報量なんです。もう嫌になります・・・。けど、また明らかなことがわかり、終わらない探訪なのですが、応用編になっているような。。。あ、666は、573という意味がわからなかったのですが、「七五三...閖上に眠る富主姫

  • 匏と豊受大神のひとりごと

    真野は枕詞にも使われており、「真野の萱原」の枕詞は、奈良時代が発祥との事。松尾芭蕉も石巻にきて、「まのの萱はら」と歌っており、石巻の萱原地区といわれる。また、和名抄では、「陸奥国行方郡真野郷」とあり、現在の南相馬鹿島町。ここが真野であるとされる。秩父も昔は焼畑農業が主流で、サスという地名が多い。飯舘村にもサスがあり、共通しているのは狼信仰。海部氏のこともあるんだけれど、この人はわからない。が!海部氏はわからないけど、匏(ひさご)の意味がわかった!瓢箪やら匏やら、何度も繋がるので何を意味するのかわかりませんでした。海部氏は、古代の籠神社の神職を務めていたのですが、海部家の始祖、彦火明命が創祀した「宮」を「匏宮(よさのみや」と言っていた!!知らなんだ~~「ひさご」じゃなくて「よさのみや」という匏のことだったのかーっ...匏と豊受大神のひとりごと

  • 猿田彦命降臨の立石と真名井の真野①

    繋がりすぎて困った。長くなる・・・相変わらず、終わりがない・・・まほろば探訪。令和になってバージョンアップされた・・・。笑『由緒によれば、景行天皇の時代に日本武尊が東夷征伐の勅命を受けて奥州にやってきた。その時、地主神である猿田彦命より霊示があり、皇御孫尊(天津彦火邇邇芸命)を勧請して17日間祭祀を行った。陣を引いた山は四方を川に囲まれており、日本武尊は地の利を生かして夷賊を倒して無事平定を進めることができたという。地主神である猿田彦命は道祖神であり、道陸神とも呼ばれていた。冠嶺神社が勧請された山は、道陸神の霊験があった山のため「道陸神山(現在の堂六神山)」と名付けられたという。道陸神山の南麓に天の真名井の水をもって「真野の池」という水場を設け冠嶺神の御手洗とした。真野川の名前はこの「真野の池」にちなむと伝わる...猿田彦命降臨の立石と真名井の真野①

  • 真野の冠嶺神社

    今年1月に南相馬原町区の冠嶺神社に参拝してきまして、その時、鹿島区の方に行きたかったけど、原町区の山の方の冠嶺神社へ行ってしまいました。なので、今回はようやくその鹿島区の方の冠嶺神社へ。冠嶺神社は南相馬に2社あり、由来より「佐藤氏」という名の人が、他の村から来て冠嶺神社を祀り、農家に住み初めて祠を修理し祀ったとあった。やはりこのあたり、佐藤姓の立派な石碑がいくつかあり、村の田園風景に癒されます。(雷神)冠嶺神社は、1800年代に郡官が調査しようとしたことを村の人が不審に思い、拒否したかでずっと調査できなかった話がある。しかし、相馬には二宮尊徳が農業復興策をした所なので、それから冠嶺神社を復興させるよう命じられたそうです。ご祭神は、少彦名命と天津彦火々出見命(ホオリ)あんまり聞かないホオリ。以前、ホツマの先生が、...真野の冠嶺神社

  • 大祓の6と光の兆し

    6月だからか、「6」の夢をみました。コンビニで買物をしていると、お釣りが「666円」のレシートをもらう。レシートの紙に大きく「666」の数字。店員のお兄さんが、「今日は6の数字が多いんだよね~」とつぶやく。6の数字・・・ロト6じゃなくて?とか言ってる場合じゃなく。財布がなかなかバッグに入らなくて、もたもたしているうちに、店員さんは配達があるからといっていなくなるけれど、私がもたもたしているから、遠くでイライラしながらみている店員さん。買った物は、小さく細長い箱に入っていて中身はみえないけど、持ったら重かったのでびんに入った飲み物のような感じがした。そんな夢でした。6月の梅雨時期に予定してた大蛇窪ともうひとつ一関の登山がどちらも雨で中止。秩父から帰ってきて1週間。久しぶりに国常立命がふってきた感じが?西洋では66...大祓の6と光の兆し

  • ディープな秩父@芦ヶ久保郷の悲劇

    1717年横瀬郷はそれまでなかった日照りと干ばつに見舞われ、人々は生死の淵に立たされた。幕府(忍藩)への嘆願書『誠に申し訳ございませんが、書面でお願いいたします。一、今年は旱が続き作物はことごとく枯れてしまいました。二、稲も少しばかりは植えつけましたが、残らず枯れてしまいました。三、昨年の冬から今日まで雨がとても少なく麦の出来が予想しなかったほど悪く、秋の植えた野菜などを除いては、米、麦、稗、粟などがほとんど枯れてしまいました。これから葉大根などを蒔いても天候が悪ければ、収穫は望めません。このような理由ですべての百姓が困っていますので、この上はどうか御慈悲をもちまして御救い下さいますよう、お願い申し上げます。』※芦ヶ久保道の駅から白髭神社そして、翌年の1718年もまた前年に続いて旱魃に見舞われた。再び、幕府へ格...ディープな秩父@芦ヶ久保郷の悲劇

  • ディープな秩父@神々の昇格

    江戸時代、実は、芦ヶ久保が最も栄えていた賑やかな町で、大きな屋敷を構える家々が並んでいたそうだ。今では想像できませんが。横瀬町が最も栄えていたのは、東の入口だからでしょう。江戸城からくれば、深~い深い峠を越えると広がる盆地の入口として栄えていたと思います。現在の芦ヶ久保は、道の駅があって繁盛してます。さて、芦ヶ久保の災害の前に、秩父神社が昔から災害がある度に昇進している話を。(以前書いた内容をのせます)秩父神社の名前が現れるのは、862年。秩父神社は7月21日、「武蔵国正五位下。勲七等秩父神正五位上」と、検非違使を1名づつ置いた年。この頃、神の位があがっている事が記されています。秩父神社がこの頃の律令制度に深く関わっていた事が、すでに奈良時代にあったわけです。それだけ、秩父神社の権力や財政的な威力が強かったと思...ディープな秩父@神々の昇格

  • ディープな秩父@滝の枕と人魚沼

    帰省した日、秩父の方が寒かった・・・。夕方時間があったのでちょっと散歩してこようかと思い、以前から「滝の枕」という滝がどこにあるのか行ってみたかった。父に「滝の枕はどこにあるの?」と聞いたら、電車からみえる根古屋の橋の下んとこ。というのですが、全然、わからない。googlemapにはあるが。電車から滝なんて見えないし。「滝つっても滝なんてもんじゃねーな。誰もいきゃあしねぇよ。あんなとこ」と、秩父弁炸裂で滝じゃねえ~という。誰もいこうとしないあんな所に、行きたがる私は変わり者らしい。いやいや、武蔵風土記に登場する有名な「滝の枕」だ。昔は有名だったし、父も子供の頃はすごい滝だったという。が、今は「滝じゃねぇ」という事らしい。誰もいかなくなった滝を見たい・・・。父も子供の頃以来行ってないというので、父の車で連れて行っ...ディープな秩父@滝の枕と人魚沼

  • ディープな秩父@影森

    久しぶりの帰省です。もー秩父は濃ゆい~。自分もなっ。ディープすぎる秩父の地で、今回集まったメンバーは、8人。毎回、新しい方との出会いもあり、久々のGarさんにも会い、皆で知っている情報や体験話を共有する時間が大事なんだ!ということを、こっちでも秩父でもやっています。大体、破壊の歴史というか影の武甲山=エミシの歴史とかぶる。もうコーフンですよ。今回の帰省目的は、大蛇窪でしたがフラれました。その流れについては・・・今年の311の祈りの会の時に南相馬で秩父からきた方とお会いしました。その時に、興味深い話を聞きましたが、ちょっとしか時間がなかったので、後でそのことについて教えてもらおうと思っていました。今までずっと「武甲御嶽大神氷雨除守護」「熊野大神氷除御秡」が、何だか気になってました。結局はわからないのですが、何を魔...ディープな秩父@影森

  • 荒沢湿原の鳥の歌

    やくらいガーデンからお昼を食べて、いつもはそのまま道の駅によって帰るのですが(加美町は野菜がおいしいのよ~)薬莱山より西へ行ったことは一度もなく。この先へいくと何があるんだろう?とマップをみてみると、「荒沢湿原」というのを発見。さっそく、行ってみました。この先へもっともっといくと、船形山に。登山を始めたばかりの頃、知人と船形山に登りました。とっても深~いブナの森。深すぎて遭難者が多いと聞きます。実際、ブナの森が広がっていて確かに酔いそうでした。山頂で、埼玉からきた登山グループに会った時は驚いた。その時、雷がなっている時で、山頂で雷が聞こえたら落ちる確率高いと。即、危険なので避難しろ、と言われ、山小屋があったので良かったのですが。雷は、山に落ちることが多いので、落雷で亡くなる登山者もいるのです。高山は高い木がない...荒沢湿原の鳥の歌

  • 黄色の丘:やくらいガーデン

    加美町の薬莱山の方へ行ってきました。主人が「やくらいガーデン」で何かやってる。という。う~ん、いつもあそこは、何かやってるよねぇ。(船形山)今回、花が群生しているらしいけど、「何か咲いている」らしいので行ってみた。したら、素敵だったのよー。美しい菜の花の丘が広がっていました。写真で撮るとインスタ映えっての?インスタやってないけど、北海道にきたみたいな。こんな美しい世界があるのに、世の中は落ち込む事件ばかり。どうなんでしょ?こういう世界が当たり前だと思うのですが、例えば、花に魅了されたり、自然に癒されたり、空をみて雄大な景色に自分が映る時、なんて世界はこんなに広いんだろう。という風に思えない人がいるってことだ。そういう世界は、自分には縁がない。と、思う人がいるってことだ。そんな世界を私はみたい。と、思えば、見られ...黄色の丘:やくらいガーデン

  • 京都探訪のおまけ@東山道の粟田口

    京都の街を歩いていた時に「白川」という風情ある川があって、「もっこ橋」という小さな橋が小川にかかっているような所でした。三条通は旧東海道で、白川橋から東、蹴上付近までの広範囲を「粟田口」と言います。蹴上(けあげ)の地名は、昔、江戸時代くらいには処刑場があり、処刑される人を蹴っていたことから由来するそうです。この粟田郷というのは、奈良時代以前から開かれた土地で、粟田氏が本拠とし、平安京ができると東国との交通の要地や、軍事上の要衝にあたることから、やがて粟田口(三条口)とよばれ、京都七口の一つに数えられたと。鎌倉、室町時代はここを通って馬借や車借など運送業者が物資を運んだという。また、立ち寄らなかったのですが、粟田神社というのがあり、平安時代末期、刀鍛冶たちが住居を構え、童子に化けた狐に鍛冶の手伝いをしてもらい、名...京都探訪のおまけ@東山道の粟田口

  • 京都探訪のおまけ@八坂庚申堂

    またここにきて京都のふりかえり。面白いところに行ってきたので、写真をアップします。場所は東山区。風情ある場所にありました。このお寺、「こんにゃく祈祷」というのがあるのです。こんにゃくにさまざまな病気や願い事を封じこめる独特の祈祷方法。そーいや、Aさんが、痛みの緩和に「こんにゃくシップ」をやってみたって話をきたな~。効くそうだよ。こんにゃくをお湯であっためて痛みなどがある部分に(タオルとかまいて)シップみたいにしておくだけ。どっか痛みがあったら、やってみます。アートな瓦で、庚申は猿なのですが、「くくり猿」といって、猿ちゃんが手足をくくられて動けない姿!を現しています。(なぜっ?!)これは、お猿さんが動き回る人の心を象徴しているもので、「意馬心猿(いばしんえん)」という言葉があるように、人の心は常に動きまわって落ち...京都探訪のおまけ@八坂庚申堂

  • 湯野沢熊野神社とヤタガラス

    山形県にも熊野神社がいくつかあるんですね・・・(当たり前か)有名なのは南陽市の熊野大社。でも、山形は出羽三山があるから葉山や羽黒修験の聖地。熊野修験の入る余地なんてなかったと思っていました。ですけど、そうでもなく。羽黒修験と熊野修験は、深い関係をもっていたようです。名取の熊野三社は、名取老女の勧請由来があるように、気仙沼あたりでは、もっと古く二ギハヤヒの祖と言われる穂積氏が、瀬織津姫をもってきて勧請している室根山などもあり。なので、このあたりの気仙沼付近の海側には熊野神社がたくさん祀られているのです。その女性は「神子旭」とよばれ、宮城県北部では複数の伝承があります。名取老女は、その旭が太陽神となってイタコたちの間で崇拝されてきました。山形県の熊野神社にいってみると、旭といわれた巫女が、出羽国発祥のような気がして...湯野沢熊野神社とヤタガラス

  • 縄文ビーナスのハイヌウェレ神話

    やっといけました。山形県舟形町西の前遺跡の縄文ビーナスの聖地へ。H24年に国宝になってます。本物は、山形県博物館にありますよ~。縄文土偶の中で一番好きな縄文ビーナスです。宇宙のハートの夢をみてから、ビーナスに会いたくってしょうがなくて。ビーナスに会いたいと思うような気持ちがいっぱいになって。ビーナスって何だ?と思えば、私には、この縄文の女神しか浮かばない!この時期、仙台は新緑が美しい青葉の季節。また、田植えの時期はもっと美しい。「日本最大の八頭身美人土偶」と地元ではうたってます。スタンプに夢中。この八頭身の手長足長だったと思われる美女に惚れました。鳥海山の手長足長のルーツぽい気もするねぇ。なんとな~く、弥生が入っている感じがする。だって、ズボンはいてるんだもん。帽子かぶっているし。ハイセンスな人が縄文人の村にや...縄文ビーナスのハイヌウェレ神話

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