未必の故意。ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。昨晩、夕食の食卓でHNKのニュースを見ていたときのことである。ニュースの内容とは全く関係なく、そんな言葉が頭に浮かんだのである。そのとき、同時に私の頭の中にあったのは、モンテーニュの言葉だった。モンテーニュは『エセー』の中で、次のように述べている。「われわれは能力以上に義務を負うことはできない。そのわけは、事の結果と実践とはわれわれの力では如何ともしがたいことであるし、われわれの力でなし得ることは、本当に意志以外には何もないからである。したがって人間の義務についての掟はすべて、必然的にこの意志にもとづいて立てられる。」(『エセー』第7章)ここに見られる考え方を京アニ事件に当てはめれば、モンテーニュは次のように述べていることになる。犯人とされる青葉被告の(a)「意志...京アニ犯人の帰責問題(続)