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Kekkokamen
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2015/08/02

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  • 生きるとは

    生きるとは 本題に入る前に私が好きな俳句と短歌を紹介したい。 だしぬけに 咲かねばならぬ 曼珠沙華 (後藤夜半) 曼珠沙華 散るや赤きに 耐えかねて (野見山朱鳥) 曼珠沙華 葉を纏うなく 朽ちはてぬ 咲くとはいのち 曝しきること (斉藤史) 私達は、どんな時代、国、民族、都市、地方、親の下に生まれてくるのか、全く選択の余地はない。 ローマ時代の貴族に生まれたいと今更願ってもそれが叶うはずもない。全く選択の余地がないままに、この世に放り出される。 まさに「だしぬけに」生まれる。どんな綺麗事を言っても、生まれた時点から格差は付いている。 私個人の話をすれば、大変裕福な家に生まれた。是は、親には感謝しても感謝仕切れない。だから授業料の高い大学に通えた。 ただし、私が大学に入る頃には、親は年老いて仕事を止めねばならなかった。私は父親が50..

  • たましいの秋のほたる

    たましいの秋のほたる たましひのたとへば秋のほたるかな 飯田蛇笏 昭和2年作『 山廬集』所収 私は俳句には詳しくないので、俳句に詳しい人の解説を参照にした。この句は、芥川龍之介の死を悼んだものであるらしい。 「秋のほたる」は「残る蛍」「病む蛍」とも良い、既にあまり飛ぶ元気はない。 したがって、この秋の蛍がはかなげに消え入る様みえる。そして、それは別れを告げに来た魂として思い浮かべられたのだという。 意味は、以下のようになる。 亡き人の魂魄はたとえてみれば秋の蛍のように薄く青白い光を曳いて闇の中に消えてゆこうとしている。 そういえば、小林秀雄はこんなことを書いている。 「母が死んだ数日後の或る日、妙な体験をした。仏に上げる蝋燭を切らしたのに気付き、買いに出かけた。私の家は、扇ヶ谷の奥にあって、家の前の道に添うて小川が流れていた。もう夕暮であっ..

  • ぶら下げている?

    ぶら下げている? これは、かなり前にテレビで流れていた「タンスにゴン」という商品の宣伝の文句である。 私たちはぶら下げなくもよいものをいつくもぶら下げながら生きている。懐かしい故郷の想い出、青春時代の甘酸っぱい記憶、学生の頃の部活の想い出、失敗したことや成功したこと、過去の栄光、家柄の良さ、一族の歴史、学歴、プライド等々、この世の中にはそういうものはうんざりするほどある。個人でさえもそうなのだから、部族や民族の中にもあるし、国単位でのこともある。 栄枯盛衰、生住異滅を繰り返す無常の世界にあって、そんなものは何ほどの意味もない。ぶら下げているままにするのなら、取り外した方がよほど楽に生きられる。 しかし、ぶら下げていないと個人、部族、民族、国家の核が崩壊してしまうものもあるのだ。それは千差万別のものであるに違いない。 私たち日本人は、天皇家を第一に取り上げる。天皇家..

  • 気に入らぬ風もあろうに

    気に入らぬ風もあろうに 「気に入らぬ風もあろうに柳かな」 仙厓義梵 仙厓義梵は江戸時代の臨済宗の坊主です。私はこの人がとても好きです。禅僧だけど一休の激しさはない。道元の厳しさもない。しかし、この人はやはり傑物には違いがありません。凡人に対して大変温かい目を以て接した人です。人に対する温かい目は、やはり元来の性格なのでしょうか。 美濃にいた頃、藩の権力闘争を皮肉って、こう詠みました。 「よかろうと思う家老が悪かろう もとの家老がやはりよかろう」 「から傘を広げてみれば天が下、たとえ降るとも蓑はたのまじ」 蓑と美濃とを掛けていますね。頓智に富んでいます。権力というものの胡散臭さが嫌いだったのです。 この人のこの句には、意味としては同じであっても、「ならぬ堪忍、するが堪忍」という眦を決して言うような雰囲気はありません。どこまでも柔らかくさらりと受け止めて、しかも自分..

  • 夕暮れ時

    夕暮れ時 三橋鷹女という俳人がいた。 昭和15年発刊の『向日葵』にはこんな素敵な句がある。 「みんな夢雪割草が咲いたのね」 また、昭和27年発刊の『白骨』にはもっと素敵な句がある。 「鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし」 鞦韆はブランコのことである。ブランコは漕げ、愛は奪えというのだから、なんとも恐ろしい。恐ろしくてなおかつ勇ましいが、歯切れの良さがとても素敵である。 また、この句集には「白露や死んでいく日も帯締めて」といういかにも女性らしい句もある。 鷹女がこの句集を出したのは50歳くらいの頃だったらしい。この当時の50歳というのは、現代の70歳くらいに相当するのだろう。 会社の定年を考えても、以前は55歳だったが、現在では60歳になった。政府の指導では65歳定年の会社もある。 そう考えると、我々の平均寿命が長くなっているのがよく分かる..

  • 無惨ということ

    無惨ということ 松井多絵子の 第二歌集『厚着の王さま』には、こんな歌が並んでいるそうだ。私は、この人の歌を読んだことがないが、どこかで知った。 冬海の皺をうたいし女あり皺のなきまま夭折したり この歌が「冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか」という中城ふみ子のことを指しているのは明らかだ。 また、「海みれば祖国をおもう男あり我には異国をおもわせる海」というのもあるそうだ。これは明らかに寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」を踏まえたものであることは言うを待たない。 その他にもこんな歌があるらしい。 いま海を見たいとおもう春を待つ二月の空は底しれぬ海 ふたりより独りで見たい冬の海、握りしめたい春を待つ砂 波が砂を傷つけている砂が波を傷つけている渚を歩く どこまでもどこまでも海どこまでもどこまでも空がつづ..

  • わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばざるものは妬まぬ

    寺山修司 わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばざるものは妬まぬ 職業としての猟師であれば当然獲物を拾って帰る処だが、寺山は猟師ではないので拾って帰らなかったというような話ではない。 このような短歌を作れるのは寺山修司以外にはいない。空を飛ぶものが嫉妬の対象であるとは、愉快な発想である。しかし、普通の人なら嫉妬の対象である「空飛ぶもの」を撃ち落とそうとはしない。 それにしても、寺山修司は自分の脳内に溢れかえっている素晴らしい言葉を次々に撃ち落として、多数の詩歌や劇を作った、まさに言葉の狩人だった言うしかない。

  • スペイン語諺による人生観その6

    スペイン語諺による人生観その6 Cada oveja con su pareja. どの羊にも似合いの連れがいる。 (各々自分にふさわしい人と付き合うべきである。) 日本語で最もぴったり当て嵌まるのは、「割れ鍋に綴じ蓋」ということわざだろう。 理想を求めればきりキリがないのだ。そこそこで手打ちをするのが、この世では一番賢い対処法 である。いくら、自分は割れ鍋ではないと頑張っても、近所にいる人はそれが嘘だと気付く。 Cada oveja con su pareja. どの羊にも似合いの連れがいる。 (各々自分にふさわしい人と付き合うべきである。) 日本語で最もぴったり当て嵌まるのは、「割れ鍋に綴じ蓋」ということわざだろう。 理想を求めればきりキリがないのだ。そこそこで手打ちをするのが、この世では一番賢い対処..

  • スペイン語諺の人生観その5

    スペイン語諺の人生観その5 Buen consejo da dolor al oído. 直訳は、良い助言は耳に痛みを与える。つまり、『忠言 耳に逆らう』ということ。 明の著作家である洪自誠には『菜根譚』という著作があるが、その第五項にこんなことばがある。 耳中、常に耳に逆らうの言を聞き、心中、常に心に払(もと)るの事ありて、はじめて是れ徳に進みて行いを修むるの砥石(といし)なり。 若(も)し言々耳を悦ばし、事々心に快(こころよ)ければ、便(すなわち)この生を把(と)りて鴆毒(ちんどく)の中に埋めん。 洋の東西を問わず、自分に厳しい批判の声があると、貴重な意見に耳を傾けようとせずに、すぐに耳を塞いでしまうのが人間であるようだ。 通常は厳しい批判の声を聞いて、心に添わない事があるからこそ、他人の心の痛みが解かるようになるし、人徳を修める..

  • スペイン語諺の人生観その4

    スペイン語諺の人生観その4 Del dicho al hecho hay un gran trecho. 言葉から事実までは大きな距離がある。 これは、本邦で言う「言うは易く、行うは難し」そのものである。 白楽天が道林禅師に参禅した、ある時、「仏法の大意とはどういうものでしょうか」と問うた、道林は「諸悪莫作 衆善奉行」と答えた。 白楽天は「そんなことなら、三歳の童子でもそう言うでしょう」というと、道林禅師は「たとえ三歳の童子が言い得ても、八十歳の老翁も実践することはむつかしい」と答えたので、白楽天は礼拝して去った。 七仏通戒の偈という教えがある。 「諸悪莫作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教」(法句経) 諸々の悪をなすことなく、衆々の善を奉行し、自らのこころを浄める、これ諸仏の教えなり。 人は、自分に都合の悪いことを指摘されると、「そんなこと..

  • スペイン語諺の人生観その3

    スペイン語諺の人生観その3 Aquellos polvos traen estos lodos. あの埃が この泥をもたらす。 一言で言えば、因果応報、自業自得ということである。また、「撒かぬ種は生えぬ」という諺もある。原因や理由のない結果は存在しない。悪因悪果、善因善果いう言葉の重みをしっかりと噛み締めれば、悪事を働こうなどとは思わないものだ。 「三思後行」(さんしこうこう)という四字熟語もある。これは、物事を行う前に三度熟考せよという意味である。くれぐれも軽い気持で悪への道を踏み出してはならない。

  • スペイン語諺の人生観その3

    スペイン語諺の人生観その3 Aquellos polvos traen estos lodos. あの埃が この泥をもたらす。 一言で言えば、因果応報、自業自得ということである。また、「撒かぬ種は生えぬ」という諺もある。原因や理由のない結果は存在しない。悪因悪果、善因善果いう言葉の重みをしっかりと噛み締めれば、悪事を働こうなどとは思わないものだ。 「三思後行」(さんしこうこう)という四字熟語もある。これは、物事を行う前に三度熟考せよという意味である。くれぐれも軽い気持で悪への道を踏み出してはならない。

  • スペイン語諺人生観その2

    スペイン語諺人生観その2 A lo más oscuro, amanece Dios. 最も暗い時に 神は夜を明ける。 日本の諺では、「天道 人を殺さず」と言うのが最もちかいのだろうか。天と地を成り立たせている道理は、まじめで、素直な人間を見ていながら、その人を 捨てて顧みないような無慈悲なことはしないということ。 さて、「天道」とは何だろか。お天道様とも言うように、天道は「てんとう」とも読み、これは一般的に太陽そのものを指すのだが、ここでは、「天の摂理」などの人智を超越した采配のことだと思えば良い。 「止まない雨はない」、あるいは「明けない夜はない」と思って歯を食いしばって自分に出来ることをやり抜けば、自然と周囲の人が認めてくれる。周囲が認めるという事はそれなりに助けがあると言うことだ。 英語の諺にはこうある。 God helps those who help..

  • スペイン語諺による私の人生観その1

    スペイン語諺による私の人生観その1 A cada cerdo le llega su San Martín. どの豚にも その<サン・マルティンの日=豚を殺す季節>がやって来る。 (誰にもが過ちの結果を思い知らされる時が来る。) 自分が犯した過ちは自分が償わねばならない。とは言うものの、この世の中は不条理と矛盾に満ちているが故に、たまにはこの鉄の掟を逃れて、一生を幸せに暮らす人間がいる。 だが、そういう人もその子孫がやがてはいずれの日にか、悲惨な人生を強いられることになる。これを言葉で証明するのは困難だが、仏教にはそういう教えがある。これを「三世因果」と言う。 まず「三世」というのは、過去世、現在世、未来世のことである。「過去世」とは、私たちが生まれる以前のすべての過去を指し、「現在世」とは、この世に生を受けてから死ぬまでを指す。「未来世」とは、永遠の死後を..

  • ゆがめられた考え方

    ゆがめられた考え方 人間は非常に愚かなので、自分の脳内で次々に不幸の種を播く。以下は、高田和明 『ストレスから自分を守る脳のメカニズム』より抜粋した、歪められた考え方の典型例である。 他の心理学者の本などを読んでも似たようなことが書かれている。 こういう考え方をやめないと鬱病などにもなるのだろう。 A) 白黒の考え方 (心理学では『二分割思考』ともいう) 成功か失敗か。勝ちか負けか。成功しなければ自分の人生はもうない、という考え方。 B) 単純化 一度あるいは数度失敗すると、もう何をやっても何度やっても自分は失敗するという考え 方。 C) 知的フィルター 自分人生や仕事の悪い部分のみを考える。自分がどれくらい他の面で恵まれているかに気が つこうとしない考え方。 D) 肯定的なことを無視する 全てを悪い方にしか考えない。..

  • 老子 第五章

    老子 第五章 『老子』(朝日文庫 福永光司著 )の第五章は、私にはなかなか示唆に富んでいると思えるのだが、普通の人にはなんだと反発を食らう可能性が非常に高いことも予想される。 天地不仁。以万物為芻狗。聖人不仁。以百姓為芻狗。天地之間。其猶○籥乎。虚而不屈。動而愈出。多言数窮。不如守中。 天地は不仁。万物を以て芻狗と為す。聖人は不仁。百姓を以て芻狗と為す。天地の間(かん)は、其(そ)れ猶(な)お槖籥(たくやく)のごときか。虚にして屈(つき)ず。動きて愈(いよ)いよ出(い)ず。多言なれば数(しば)しば窮す。中を守るにしかず。 天地は無慈悲で、万物を藁の犬ころあつかい。 聖人は無慈悲で、万民を藁の犬ころあつかい。 天と地の間は鞴のようなものであろうか。 なかはからっぽで無尽蔵の力を秘め、動けば動くほど万物が限りなく現象してくる。 おしゃべりはすべて行..

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