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破綻ベンチャー元社長、47才、残ったのは借金15億円 https://hatan-bankrupt.blogspot.com/

学生ベンチャー創業、バブル時代に急成長、バブル崩壊とともに時代に取り残され、最後は経営破綻。

まだ戦後の香りの残る子供時代から、高度成長期の日本の変貌、パーソナルコンピュータ黎明期に学生ベンチャーを創業するまでの、20数年と、その後破綻にいたるまでの20数年を振り返り、日々ブログにつづります。

瀬島修二
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住所
渋谷区
出身
鳥取市
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2015/06/06

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  • Ⅳ. 学生ベンチャー 6. 16bitパソコン黎明期

    2年の冬も夏の間にためたお金でスキーにいっていた。 何度も通ったおかげでスキーの腕前も上達して、中級クラスでどんな急な斜面でも普通に滑れる様になった。 2年の末の試験では、教養の単位が不足していて、3年に進級できるかどうかきわどかったが、なんとか単位が足りて3回生(関西では、...

  • Ⅳ. 学生ベンチャー 5. 北海道旅行

    2年の夏休みが近づいてきた頃、S君と2人で北海道に自転車旅行にいくことになった。 函館までは、大阪発の夜行急行「急行北国」青森まで移動して、青函連絡船に乗り継いでで大阪から、22時間ほどかかった。 北海道の周遊券を学割で購入したので、当時急行列車には、普通料金で乗れた。 自...

  • Ⅳ. 学生ベンチャー 4. 異能の者たち

    冬はスキーと、情報センターでのアルバイトにあけくれた。 年末もS君とスキーに行っていて、年始に大阪にもどった。 当時は、年始に空いている店はほとんどなく、コンビニもローソンのごく初期の店が国道沿いに1点あるだけだった。 下宿屋も年末年始はまかないをしていなかったので、自炊も...

  • Ⅳ. 学生ベンチャー 3. コンピュータのアルバイトとスキー

    学園祭の頃には、下宿の先輩の紹介で、週に1回近所のレストランの掃除のアルバイトをしていた。 レストランが終わる夜の10時ごろに、先輩と2人で歩いて10分ほどのところの、大きな環状線沿いのレストランにいった。 机と椅子を片づけて、床をモップで水拭きしたあと、乾くのを待って、ワッ...

  • Ⅳ. 学生ベンチャー 2. CP/M と夏休み

    5月のゴールデンウィークが終わった後は、大学の講義には単位を落とさない程度に出席しながら、もっぱらマイコンに時間を費やしていた。 マイコンの自作派の人たちは、コンピュータクラブ以外にもいた。 その中でNさんは、デジタルリサーチ社が開発した CP/M という 8080や、Z80...

  • Ⅳ. 学生ベンチャー 1.大学入学

    4月には、運転免許証も取れてたので、わずかな寝具と衣類の他に、自分で作った自転車と、マイコン関係の部品や工具を下宿に送った。 下見の時には、部屋いっぱいあった本やガラクタもかたずいて、ガランとした何もない部屋だった。 荷物のかたずけはすぐに終わり、くつろいでいると窓の端から動...

  • Ⅲ. 高度成長 11.大学受験

    高校2年の間も、自転車を製作したり、マイコンを組み立てたりしていたので、まじめに勉強していなかった。 相変わらず英語の成績は最悪で、国語も漢文や古文はさっぱりだった。 2年からは理系の進学クラスにいたので、周りには中学校時代からの頭の良い同級生がいて、先生も教え方のうまい先生...

  • Ⅲ. 高度成長 10.マイクロプロセッサ

    中学から夢中だったコンピュータ製作は、自転車製作に夢中になった時期もあったが、基本変わらず夢中だった。 中学の頃は、高額で手が出なかった、インテルの8080も、AMDが安価なセカンドソースを発売して、ようやく高校生でも手が出る値段になった。 おそらく、4,800円ぐらいだった...

  • Ⅲ. 高度成長 9.自転車

    高校1年の時は、成績や進路別のクラス編成はなかったが、2年生からは進路別に理系2クラスと、文系1クラスの進学クラスができた。 1年生の時には、面白い先生がいなかったのと、刺激を受ける様なクラスメートが居なかったので、私の成績はドンドン低下していたが、なんとか理系の進学クラスに入...

  • Ⅲ. 高度成長 8.高校進学

    私の通っていた付属中学には、付属高校はなかったので、高校は地元の公立の進学校に進んだ。 中学3年になると担任の先生と、進路指導の先生との面談があった。 その時の進路指導の先生は、英語教諭のU先生だった。 市内には、公立高校が2校と、商業高校と工業高校、私立の高校が1校と、母...

  • Ⅲ. 高度成長 7.田舎

    父が生まれた実家は、地元の駅前から、ローカル線か、バスで30分ほど山の間を走った川沿いの村から、急な坂道を車で15分ほど登った山の崖の上にあった。 小学校の低学年の頃は、夏休みのお盆の頃になると、ジュースや牛乳の販売をしていた飲料水店に勤めていた父の弟の叔父が仕事で使っていたス...

  • Ⅲ. 高度成長 6.労働争議

    私の父は、昭和31年に満州から帰還して、戦前に勤めていた航空機会社に連絡をしたが、復職はできず、しばらく田舎の学校の用務員をしていて、その後、金属工場に勤めていた。 その金属工場は、当時東証2部に上場していた。 本社は東京にあったが、工場は地元にあった。 酸化鉄を原材料と...

  • Ⅲ. 高度成長 5.同級生と、先生達

    私の進学した中学校は、地元の国立大学の教育学部の付属中学校だった。 生徒の多くは、私も通っていた中学校の近くの裕福な家庭の子女が通ってた幼稚園から、付属小学校に進んでいた子が多かった。 私が通っていた地元の小学校には、裕福な家庭の子もいたが、貧しい家庭の子も多かった。 中学...

  • Ⅲ. 高度成長 4.コンピュータとの出会い

    中学校に進学する前から、コンピュータにあこがれていた。 謎の円盤UFOでは、UFOの接近を人工衛星が探知すると、「IBMゴルフボール タイプライター」(印字部分がゴルフボールのような球形をしていて、ディンプルの代わりに活字が埋め込まれていて、高速に回転と移動を繰り返しながら印刷...

  • Ⅲ. 高度成長 3.中学入学、初恋

    中学に入学すると、学校の勉強以外に週1回水曜日の午後に、授業の一環としてのクラブ活動が始まった。 私は技術家庭科が大好きだったので迷わず技術クラブに入った。 その他に、課外クラブとして運動クラブにも入るのが普通だったが、運動の苦手だった私はどのクラブに入るのも厭だったが、やも...

  • Ⅲ. 高度成長 2.性の目覚め

    貧しかった我が家も、少しずつ暮らしに余裕ができた。 ある時、コロの付いた自転車を買ってもらった。学校から危ないからバス道は自転車で走らないように言われていたのでバス道は走らなかったが、農道や抜け道を通って、色々なところに行ける様になり、随分行動範囲が広がって、近所の教員住宅の子...

  • Ⅲ. 高度成長 1.アポロ11号と、万国博覧会

    小学2年のクリスマスのころに、アポロ8号が、有人での初めて月周回軌道に成功して、いよいよ人類初の月面着陸が現実味を帯びてきた。 アポロ8号は、サターンVロケットで打ち上げられた。サターンVロケットは、真っ白な円筒形の本体のところどころが黒く長方形に塗られた巨大で美しいロケットだ...

  • Ⅱ. 戦後の匂い 9.工作

    家を建てたばかりのときは、外構(エクステリア)には手回らず、塀もなかった。 しばらくすると、子供の背丈ほどのブロックの塀ができた。 トラックで、赤土を庭に運び入れて、なだらかなスロープを作った。 それから先、何もない庭に石をいれたり、木を植えたりするのは、全て父と母が自分た...

  • Ⅱ. 戦後の匂い 8.小学校入学

    地元のお金持ちの子女が通う幼稚園で、私はとても内気で大人しい子だった。 お遊戯の時間は、ハンカチをイジイジしていた。 その幼稚園の園児の多くは、地元の小学校には入学せず、幼稚園のそばにあった、地元の国立大学の教育学部の付属小学校に入学していた。 私の母は、大人しい私を心配し...

  • Ⅱ. 戦後の匂い 7.両親の結婚

    母は、おとなしくて体の弱い女の子だったが、勉強はできたので、旧制小学校を卒業して、中学校に進学したかったが、祖母から洋裁の仕事を手伝って欲しいといわれて中学への進学はかなわなかった。 なんとか泣きついて難関校だった洋裁の勉強もできる女学校を受験入学した。 そのころ戦争は激しさ...

  • Ⅱ. 戦後の匂い 6.満州

     父は、地元の駅前から、ローカル線か、バスで30分ほど山の間を走った川沿いの村から、急な坂道を車で15分ほど登った、山と山の間のわずかな隙間に貼り付く様に数十戸の藁葺の家がちらばっている山深い、主に山仕事と、わずかな農地を耕して暮らしている貧しい山村に、大正の末、5人兄弟の次男と...

  • Ⅱ. 戦後の匂い 5.神戸

    母方の祖父母は、どちらも地元の出身だった。 祖母の祖先は、大地主だったらしく、新しい家を建てた郊外からさらに数キロ先の小さな町の集落付近から、自分の土地だけを通って駅前のあたりまで行けたらしい。 祖母の母は、その大地主の跡取り娘で、女系家族で男の子がいなかったので、婿を迎え...

  • Ⅱ. 戦後の匂い 4.幼稚園

    4歳になると幼稚園に通い始めた。新しい家は、駅前からバスで20分程の郊外にあった。 幼稚園は自宅の最寄りのバス停から、3歳頃まで暮らしていた駅前の家のそばの、バス道と、駅から県庁に向かう道の、交通警官が手信号で交通整理していた交差点を経由して、さらに10分程の県庁のそばにあった...

  • Ⅱ. 戦後の匂い 3.我が家の建築

    3歳のころ、駅前の繁華街のはずれの家から、郊外の新築の家に引っ越した。 ある日、祖父の自転車に乗せられて、駅前からバス道を30分位走ると、祖父母が八百屋をしていた疎開者の住む地区を過ぎて、元陸軍の駐屯地、その後大学として使われ、その頃は地元で唯一の大手家電メーカの大きな工場が見...

  • Ⅱ. 戦後の匂い 2.駅前

    家は駅の近くだったので、よく父と母に連れられて、父の休みの日に駅前のデパートに行った。 駅に向かうバス道と駅と県庁をつなぐ目抜き通りの交差点には、まだ信号がなかった。 交差点の真ん中に緑と白のストライプに塗った台が置いてあって、その上に交通警官が載って手信号で交通整理していた...

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