正義・悪・大人・幼い・常識・非常識。 見えない大衆に惑わされず、再定義しよう。
固定観念や常識にとらわれた明言をズバッと斬ります。すべては大衆や権力者が自分たちに都合のいいように定義し多ものかもしれません。 今一度振り返って、それはいけないことなのか、もう一度考えてみませんか。
【人生はロマン。自分は不幸だと悩むのではなく、試練を与えられた物語の主人公だと思えば、人生をエンジョイできる】美輪明宏
試練を与えられた主人公は、最後どうなるだろうか?幸せな未来を手に入れて、そこでエンドする。その後の死ぬ瞬間までのシーンがある映画を、私は見たことがない。それは冗長というか、いや、蛇足というものだ。 なぜそこを付け足したのか、と。ならば、目標達成など幸せな
黙っていられないひとを愚か者というのか、愚か者は黙っていられないのか、私はしらぬ。前者であるならば、 まあそういう意味なのだろう。黙っていられないという属性をもった人を愚か者と呼ぶということだ。問題は後者だ。 愚か者という言葉に、黙っていられないという属性
朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはないという意味らしいが、孔子が上記のような意味で言ったかどうかは確認できなかった。これはまあわからないでもないというか、まあそういう考えを持っている人もいるかもね、っていう感じだ。問題はこれ
まず正義について論じなければならぬ。正義とは1 人の道にかなっていて正しいこと。「―を貫く」「―の味方」2 正しい意義。また、正しい解釈。「四書―」「其実はあたの語の―に非るなり」〈西村茂樹・明六雑誌三三〉3 人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し
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