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  • 藍を育て、染めるワークショップ ~藍の種まき・移植から収穫、すくも作り・灰汁(アク)による発酵建てにより染めるまで~

    藍を育て、染めるワークショップ~藍の種まき・移植から収穫、すくも作り・灰汁(アク)による発酵建てにより染めるまで~☆2022年5月~2023年秋頃まで、1年半をかけて藍染めのすべてを学び、記録します。[行程]◇4月種まき終了しています。◇5月10日田起こし*石灰、有機肥料を撒きます◇6月4日(土)本畑へ移植*移植後14日間ほどして雑草を抜きます。◇6月7日(火)本畑へ移植の続き。各自移植ゴテ・長靴などご用意ください。◇6月20日以降草取り*藍の苗の成長に欠かせない作業です。成長を見守りながら、山郷の料理を楽しみましょう。◇6月26日以降刈り取り(一番刈り)→生葉染め*刈り取った生葉で染め、追肥し、葉の余った分を乾燥させて保管します。◇7月末~8月初め刈り取り(二番刈り)→*刈り取った生葉で染め、追肥し、葉の余っ...藍を育て、染めるワークショップ~藍の種まき・移植から収穫、すくも作り・灰汁(アク)による発酵建てにより染めるまで~

  • 「考古学の鬼」が見たものは 「森本六爾伝―弥生文化の発見史―」藤森栄一著 (河出書房新社・1973)[本に会う旅<70>]

    この書物を開くと、すぐに涙が滲んできて、先に進めなくなる。せめて、あと一年、この人には生きていてほしかったと痛切に思うのである。いまでは、弥生式土器の使用ととともに日本に原始農業が開始されたということは、小学生でも知っている。日本考古学の常識のひとつである。1935年に始まった奈良県唐子池遺跡の発掘がそれを証明したのである。森本六爾という人は、この唐子池のほとりに住み、少年期から考古学に興味を持ち、育った。そしてその鋭敏な直感は、唐子池にはなにかが埋まっていると予見したのである。森本は独学で考古学を学び、在野の研究団体として考古学研究会を創設するなど活躍。研究を進め、弥生式土器の底に付着した米の籾を追って日本農耕文化の起源を提唱したが、日本のアカデミズムからは無視された。夫婦ともに、考古学と格闘し、貧窮のうちに...「考古学の鬼」が見たものは「森本六爾伝―弥生文化の発見史―」藤森栄一著(河出書房新社・1973)[本に会う旅<70>]

  • かもしかみち 藤森栄一著(学生社・1967)[本に会う旅<69>]

    ――かもしかみち――深山の奥には今も獣たちの歩む人知れぬ路がある。ただひたすらに高きへ高きへとそれは人々の知らぬ険しい路である。私の考古学の仕事はちょうどそうしたかもしかみちにも似ている。藤森栄一この一文を読むと、胸の奥のどこかがきゅんと痛むような心境になる。昨今は、プロ野球大リーグの大谷翔平選手が、快投を演じたりホームランをかっ飛ばしたりすると、「キュンですー!!」と現地の放送局のアナウンサーが叫んで大うけに受けているらしいが、そんな可愛らしく愛嬌たっぷりの表現とは一味違った、深い、地の底から響いてくる微かな声を聴いた時のような、あるいは山の彼方から聞こえてくる神楽笛の音を五感がとらえた時のような、しん、と澄んだ感動なのである。1946年に出版された本書・初版本の冒頭に記されたこの文章は、当時の考古学青年の間...かもしかみち藤森栄一著(学生社・1967)[本に会う旅<69>]

  • 「祈り」のかたち、「神」をまつるということ 「神道考古学講座・全六巻」(雄山閣1973)[本に会う旅<68>]

    *本文は作業中。「祈り」のかたち、「神」をまつるということ「神道考古学講座・全六巻」(雄山閣1973)[本に会う旅<68>]

  • かみさまはどこにいますか 【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<7>】

    明け方の夢――。私は祭りの会場にいて、広場の中央に広げられた10メートル四方ほどもある大きなキャンバスに絵を描いていた。それはどこかの神楽の場かもしれないし、先日行われた【友愛の森/宙<sora>と道のまつり】の一場面かもしれなかったが、なにぶん夢の中のことだから時も所も曖昧である。途中から、少し前に脚立が転倒して倒れた先にあった鉄パイプに身体を貫かれるという大事故から生還したアーティストKazuYanagiさんと御年百四歳を超えてなお神楽の絵を描き続けている画家・弥勒祐徳(みろくすけのり)先生が加わり、さらに周辺にいた子どもたちも参加して、場は熱気を帯びたものとなった。そして、祭りのクライマックスを迎え、作品がこの世のものとも思えぬ出来栄えを見せ始めた時、弥勒先生が、――神楽のかみさまが降りて来られた・・・と...かみさまはどこにいますか【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<7>】

  • 里山のごちそう―森の恵みをいただく―【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<7>】

    里山のごちそう―森の恵みをいただく―【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<7>】

  • ゆるやかに連携しよう【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<6>】

    この映像による一点の写真をARTと認定しよう。【友愛の森/宙<sora>と道のまつり】の祭り広場となった「友愛の森生活学校」前に設えられた舞台である。照明に竹林が映しだされ、焚き火の炎がそれを照らし、揺れた。ヒメボタルが舞う森に鮮烈な映像が流れ、音楽が交響した。現代のアートは多様な表現様式を獲得している。ここで、若者たちが、歌い、踊った。しかしながら、それを見た小学年生の坂本奏和くんは「へっ、こんなのはかぐらじゃないよ」とそっぽを向いてどこかへ行ってしまった。彼は、3歳の頃から各地の神楽に通い続けている神楽少年だから、目利きである。会場へ着くなり、私の傍に駆け寄って来て、「今日は何を手伝えばいいですか?」と確認にきた純真な少年である。彼の目に適う仕事を大人たちはしなければならない。神楽とは、正月の「神楽始め・太...ゆるやかに連携しよう【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<6>】

  • 宙<sora>と道の交わる所―「祈り」について―【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<5>】

    10日間の【友愛の森/宙<sora>と道のまつり】が終わり、晴れた空が戻った。静かになった森を歩いて置き忘れられた鉈や鎌、一輪車(作業用の手押し車)などを回収しながら「宇宙の泉」へ行く。「祭り」が終わり、里山の森の日常が始まるのである。草刈りや木の伐採などを続けなければ、太陽の光に満ち、大地の力を蓄えた宮崎の里山はたちまち密林状態となる。変哲もない湧き水の地に対する「宇宙の泉」という壮大なるネーミングは、友愛社の児島草次郎理事長によるものだ。その由縁は、石井十次がこの地に至り、開拓事業を始めた時、当初の地域(現在の茶臼原小学校・友愛の森生活学校の辺り)には水源がなかったため、次第に移動してこの地点に至り、児童福祉と農業、芸術が融合した理想郷づくりの拠点としたものだという。そして、この泉の脇を通る小径は、西の西都...宙<sora>と道の交わる所―「祈り」について―【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<5>】

  • 祭が終わった【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<4>】

    「友愛の森/宙<sora>と道のまつり」と題された10日間のプロジェクトが終わった。全国から集まってくれた若者たちは、よく仕事をし、語り合い、歌い、踊り、晴れやかな顔でそれぞれの拠点とする地域へと帰って行った。彼らを見送りながら、私はこの一連の仕事が無事終了したことを確認した。ただし、今回は立ち上げの時期に、少し手違いと混乱があったので、記録し、整理し、今後の反省材料として生かしていくことにしよう。☆この企画にはタイトルに「まつり」という呼称が入っているが、これはいわゆる「お祭り騒ぎ」の「祭り」ではなくて、この地で長年にわたって継続されてきた「福祉と農業・教育・芸術が出会う理想郷づくり」の一環の仕事であり、荒れた里山の森やそこに点在する空家を現代ARTの手法で整備し、100年前にこの地を拓いた石井十次と仲間たち...祭が終わった【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<4>】

  • 【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<2>】企画書を公開します。

    「友愛の森ARTプロジェクト」企画書1、タイトル下記〈1〉~〈8〉までの事業の総称を「友愛の森ARTプロジェクト」とする。2、企画趣旨宮崎県西都市・高鍋町・木城町の三地域が近接する茶臼原台地に広がる石井記念友愛社の森は、36ヘクタールの面積をもち、100年前に石井十次とその仲間たちが入植し、開拓し、児童福祉の先駆的事業を行なってきた大地である。森には、30種以上の染料・薬草・食材(山菜)となる植物が自生している。これらの植物は、「縄文植生」と呼ばれる日本列島基層の植物群であり、強靭な生命力を持ち、人間生活と密接に関わってきたものである。それが明治以降の近代化の歴史とともに忘れ去られ、見捨てられてきた。ところが、ここへきて、「いのち」と「自然」のかかわり、天然素材の持つ生命力・治癒力などが見直され、注目されるよう...【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<2>】企画書を公開します。

  • 【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<2>】

    中村哲朗さんのフェィスブック記事を転載(原文のまま)。私(高見)の記事は追々アップしてゆきます。  5/9祭り4日目。完璧なタイミングで毎日が進んでます。今日は生活学校祭り会場周辺の整備。お昼ご飯は連日、豊かなメニュー。そして…いろいろなドラマがあり、ついに会場近くの施設をお借りできることになりました!これで12日以降のお手伝いの方々の宿泊は完璧。ボランティア受け入れ体制もここにきて充実度UP!明日は10:00にて友愛の森生活学校に集合です。 【友愛の森/宙<sora>と道のまつり<2>】

  • 友愛の森【宙<sora>と道のまつり】

    ゆるやかに始まりました。開始にあたり、確認しておくべきことがあったので、スタッフが集まっての「ミーティング」からこの企画を出発させることになりました。そこで、この土地にまつわる大変大切なこと情報が浮上し、いくつもの伏流水のような伏線が引かれていて、今回の出会いに繋がったことなどがわかってきたのです。まずはそのミーティングから公開してゆきます。 友愛の森【宙<sora>と道のまつり】

  • 青い狛犬くん、旅へ。[空想の森から<141>]

     この企画の一番人気だった青い狛犬一対が旅立ちます。と言っても、遠い所ではなく、私たちの仮面・神像・狛犬等の収集・展示・研究を長年支援して下さっている方のお宅へ。もっとも安心できる方たちのもとへ落ち着くのです。それというのも、一緒に来てくれた4才のお孫さんが新しい空想の森美術館と林檎蔵ギャラリーの空間を大変気に入ってくれて、この狛犬の前では「ぼくはこれが好き」と指さし、帰る時間になっても、まだ帰りたくないと泣き顔になったほどのお気に入り状態だったのです。そのファミリー全員の意見が一致し、ご契約をいただきました。良き縁に感謝です。ご興味と好意を寄せて下さり、お問い合わせを下さった皆さんに報告を兼ねてお礼を申し上げます。青い狛犬くん、旅へ。[空想の森から<141>]

  • 木彫僧形八幡座像 【空想の森別館:林檎蔵ギャラリー】 [空想の森から<140>]

    【空想の森別館:林檎蔵Gallary】という看板を掲げた以上、ギャラリー=画廊である。ゆえに、営業活動すなわち「販売」を開始しなければならない。本当は売りたくないのだが、涙を呑んで手放さなければならない「もの」との別れが待っている。コレクター出身の画廊主や古美術店主がこの二律背反に苦悩するのである。私どもが影響を受けた現代画廊の主州之内徹氏も、コレクターであった。中国大陸を転戦した従軍中も手放さず持っていた一枚の絵のプリント。それは海老原喜之助作「ボアソニエール」という4号ほどの油絵の美術雑誌の一ページを破って胸ポケットに入れていたものだが、銃弾の飛び交う塹壕の中で、その絵を取り出しては見つめながら、「こんな偽りの戦争はいつかは終わる」と信じたというのである。その愛着のある絵の本物を手に入れたいきさつもまた他の...木彫僧形八幡座像【空想の森別館:林檎蔵ギャラリー】[空想の森から<140>]

  • 由布の夜明け/風化神像たちとともに過ごすひととき 【空想の森別館:林檎蔵ギャラリー】 [空想の森から<139>]

    いつもより早い時刻に目が醒める。窓の外に刻々と表情を変えてゆく由布院の朝の風景がある。霧に覆われていた盆地の底から、霧が立ち上り、空と同化する頃、由布岳の山頂が姿を現す。珈琲を淹れ、いつもの朝食を済まして、開廊した林檎蔵ギャラリーへ行く。神像毘沙門天*本文の続きと解説・価格表示は作業中です。由布の夜明け/風化神像たちとともに過ごすひととき【空想の森別館:林檎蔵ギャラリー】[空想の森から<139>]

  • 無事、開廊しました。 【空想の森別館:林檎蔵ギャラリー】 [空想の森から<138>]

    爽やかな緑の風が吹き渡る由布院の5月1日、【空想の森別館:林檎蔵ギャラリー】が、無事、開廊しました。津軽(青森県)から移築したこの林檎蔵をギャラリーとして由布院空想の森美術館の付属施設として運営するにあたり、たくさんの人に会い、意見や提言や厳しい批評をいただきながら、この日の開廊の日を迎えたのです。まずは外観と日本の伝統的芸術作品&現代アートのコラボをテーマとした1階の展示を紹介。風化神像、狛犬、古仏などと九州派の作家の作品、スペインの現代美術作家の作品などがしっくりと馴染んだ展示空間となり、訪れてくれた若者や子どもたちにも大人気で、一安心。長年、蒐集と展示につぎ込んできた行程が、ここへきて同時代性を獲得したと勝手に認識しています。*インフォメーションはこのブログとフェィスブック、少数の友人たちへの案内だけで、...無事、開廊しました。【空想の森別館:林檎蔵ギャラリー】[空想の森から<138>]

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