わが相棒のオス猫けん太!指でかまってやったら(動くものが大好き)、その気になってきた。もう6-7歳になるのかな。呼ぶと少し遅くなってあらわれ、わたしの隣りで晩飯を食います。母屋の縁側は型ガラスです。ちょっと夏痩せ気味かなあ。ひょうきん族め。わが相棒、けん太
いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで ~宮沢賢治の世界を読み返す
数日前にBOOKOFFへいったら、こんな本が置いてあった。「宮沢賢治の真実修羅を生きた詩人」今野勉(新潮文庫)なるほど、そうでしたか、知らなかったけど、文庫になったのが令和2年。中古好きのわたしが知らなくてあたりまえだなあ(笑)。どちらかといえば、童話より詩の方が好きである。大学時代に「夜行列車」という詩の同人誌をやっていたころ、友人たちはほとんど全員宮沢賢治を、緻密によく読んでいた。萩原朔太郎のファンは、わたしだけだった・・・と思う。宮沢賢治は10年ほどのサイクルのあいだに、2回か3回、読みたいという波がやってくる。つまり約3年のサイクルがある。彼は“あの世”があることを、強く願っていたし、またほとんど信じていた。それが気になって、ときおり取り出しては読み返す。数週間まえから、また“読みたい波”がやって...いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで~宮沢賢治の世界を読み返す
おやじが作ったままになっている菊小屋にヒヨドリが来ていた。こちらがクルマの中にいると、近くまで寄ってもよくは認識できないのだね、野鳥は(゚д゚)7~8カット撮った中の一枚をレタッチし、少し明るくした。数としてはスズメやムクドリの方がはるかに多いけど、ヒヨドリもときおりやってくる。庭のヒヨドリ
ぶじかえるかえるくん(^ε^)仕事で運転しているお父ちゃんのご帰還を、奥様も子どもも待っています・・・という交通安全シールが一時流行りましたよね。この子が傘がわりに手にしているのは“しめじ”でしょうかねぇ。横を走りながら気になりましたよ~~ん、カエルくん(^^♪ぶじかえる♪
写真にしたとき、“さび”(鉄錆)の美しさは格別だよね。ワビサビの“さび”(ノω`*)日が当たっていると、質感の細やかさ、時間に鍛えられた風格がとても鮮やか!以前もこのスポット撮ったことがあった。しばらくすると文字が剥落するな。コーヒー、スパゲティがおいしいあぜみちというお店があったのだ。コーヒー、スパゲティがおいしいあぜみち
国道17号を走っていたら、こんな光景が目を惹いた。小型消火器だよね。蓄圧式の液体タイプ、粉末タイプがあって、外の枠はアルミ缶じゃなかったかしら。これもリサイクルするのだろうにゃあ(´?ω?)こんな光景が
確定申告がおわり、いよいよ花、花のシーズンがはじまったにゃ(´◡`)両親は介護施設へ入所したので、わが家は息子とけん太とわたしの三人。下の妹がほぼ毎週掃除にきてくれる。義弟が裏の畑を耕しているので、軽トラが物置に入れてある。趣味の園芸というヤツですね。トマトとナス、キュウリ、カボチャ、スイカ、トウモロコシ、ゴーヤなど丹精して稔らせています。この屋敷の維持管理はなかなかたいへん。昨日、一昨日と、植え込みの手入れをしたが、今日はあちこち筋肉痛(^^;;)父が棘のあるミカンの木を2~3本植えたため、その枝が茂りに茂ってしまい、枝おろしに一汗かいた。木はなくてもいいのだから、コテンコテンに傷めつけてやったけどね!3月中には除草剤だの、草刈り機だの、雑草との戦いがはじまる。“花の季節、はじまりはじまり”と喜んでばか...花の季節~2024年のはじまり
今年は“ボケ”の当たり年かもね。2か所(新宅の庭と、物置前の鉢植え)とも、花が驚くほどいっぱい着いている。ボケはこの深みのある色が好き(^^♪ただし、バラ科なので、とげがあるから気をつけないとね。すぐに巨木化するハクモクレンもきれいだろうなあ、出かけてみるか。“ボケ”の深い赤
隠れている構図。つまりスクエアであります。赤、青、黒が大きく自分を主張し、ほかの要素を食べてしまった。こういう街角を“発見”し、まなざしがそれに反応する。そしてシャッターを押す・・・行為につながり、ええと、えっと・・・(笑)。スクエア
サクラを見にいったらカモに出会った。しばしば野鳥を撮影しているくせに、カモはかなりむずかしい仲間に入る。コガモ、マガモ、カルガモ、ヒドリガモ、アイガモ・・・ますますむずかしくな~~る(´Д`)悩んでいても、教えてくれるわけじゃない。おっ、口をあけてなにか鳴いているぞ。「あやしいおっさんがきたぞ、注意!」といってるようだにゃ、おいらのことか(笑)。サクラを見にいったらカモと出会った
文庫本オンリーでこの数日、蔵書を漁っている。忘れていた本が突然顔を出し、あったねぇ、あんたも(*^。^*)てな、ニャハハ。ハヤカワ文庫の「警官嫌い」の新しい表紙も出てきた。だけど、違うのはデザインだけで、文字のサイズは変わらない。これじゃ意味ないねえ。室生犀星の文庫版もたぶん5冊はあるはず。すいません、本の話が多くて。すいません本が多くて
ストリート・フォトが撮りにくい世の中になりそろそろ20年かな?肖像権やプライバシーがああだ、こうだと議論を呼んでいて、人物に対してつい腰がひけてしまうカメラマンが多いことだろう。人間ってやつは、何ともめんどくさい生き物だ。クレームをつけることを商売としているクレーマーなる人物もいるから余計厄介(ノω・、)ではスナップショットという手法が絶滅の危機にあるのかというと、そんなことはない。試しにYouTubeで、路上スナップ、ストリート・フォトのキーワードを梃に検索してみると、出てくる、出てくる。いろんな動画が。■西田航「肖像権」https://www.youtube.com/watch?v=D0mHD7QCovU■中藤毅彦・こむろみほ「大阪で旅スナップ」~OMSYSTEMゼミhttps://www.youtu...ストリート・フォトの現在2023年版
おんや、これは何だろう(´・ω・)?黄砂かしら。しばらくかんがえたけれど、結論は出ず。黄砂の可能性はあるが、他の気象現象かも。手前は日が照っている。山の向こうは雪が降っているのかなあ。上信国境の山はむろん、赤城・榛名はまったく見えなかった。この気象現象はなんだろう?
むふふ「幸せの黄色いベンチ」だってさ♬黄色のペイントがもう剥がれかかっていまする。普通の住宅のように見えるけど、何か意味があるのか?立地条件は関越高速の側道。人通りなんてない裏道というか、日陰道です。う~~ん(´?ω?)単なる駄じゃれかな。幸せの黄色いベンチ・・・むふふ
室生犀星と猫の写真が出てきた。晩年には3匹の猫がいたらしい(^o^)うふふ、昔はいまより寒かったからねぇ。火鉢が温かいことを、犀星はむろん猫も知っていた。前脚をちょこん、頭いいね♪よくもまあ、こんなショットを。文学者と猫シリーズでは高名なものらしい。https://ommki.com/news/archives/3349猫火鉢(^^♪
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わが相棒のオス猫けん太!指でかまってやったら(動くものが大好き)、その気になってきた。もう6-7歳になるのかな。呼ぶと少し遅くなってあらわれ、わたしの隣りで晩飯を食います。母屋の縁側は型ガラスです。ちょっと夏痩せ気味かなあ。ひょうきん族め。わが相棒、けん太
お母さんは、わたしの横にいます。可愛らしい妹と賢そうな兄貴。許可を得なければ撮れないシーンですよね。スクエアフォーマットはローライ3.5F、フィルムはフジカラー400Hです。立派な大きなお弁当・オカズをご覧下さい。忘れることができないシーンです。ばらしいのはカメラマンではなく、演出家のお母さん♫すでに7-8年がたっています。兄貴と妹
市街地に自動販売機がこれほど存在するのは、日本だけという話を友人から訊いたことがあります。そういえば、スペインにもインドにもその他の町の街角にも、自販機は見かけなかったなあ(*´ω`)よくお世話になります。平和の象徴として、このジョージアはここにあるんだし、それを日常風景として写真に撮るのだねぇ。このころ、フィルムカメラはニコンFE2を使っていました。自動販売機
大岡信選『折々のうた』(二)を読みはじめた。一茶からはじまる近代俳句。この区切りかたはおもしろい♪子規をのぞいて、尾崎放哉や山頭火以外には関心がもてなかった。大岡さんに説得されるのかな、ふむむ(´・ω・)?短歌は本当のところおもしろくない。辻原登編「与謝蕪村」(河出文庫)も買ってきてある。『折々のうた』(二)長谷川櫂編を読みはじめた
この千羽鶴はすごいなあ♫横の碑に秩父三拾四ヶ所巡拝という文字が刻んである。これを高崎市の下町で撮ったのだ。地蔵さんは敬慕されているんだねぇ。近所に信心深いおばあさんでもいるのだろう。帽子や涎かけ、お供えしてある花々。クルマから下りてお堂をのぞき込んだこと、憶えていまする(。-ω-)お地蔵さんと千羽鶴
これは以前UPしたことがあったかも♪地元ではお花見の名所、前橋公園。“お花見の客”なのです。二人の妙齢の女性はイスラムの人。お訊ねしたわけじゃないですが、髪を見ればわかります。スクエアフォーマットはローライフレックス3.5Fを使用。サクラは満開あるいはほぼ満開に近かったと憶えていまする(´◡`)お花見の女性二人
どこで撮影したのかはよく憶えています。沼田市街を、カメラ散歩していたとき。とてもきれいな帆船だと思ったことも。花屋さんの店先だったかなあ。そのあたりはあいまい(´ω`*)マスト、船体、重りなど、とても精巧にできていますよね。ご主人がマニアなのかもしれません。街中でこんなものを見かけたら、撮るしかありませぬ。美しい帆船模型
今年2月か3月にBOOKOFFで買った半藤一利さんの「漱石俳句探偵帖」(角川選書)は、まったく期待していなかった。それがこれほどおもしろい本だったとは♫読んではポストイットをたくさん挟んだ。半分ばかり読んだ中では「死こそ真のリアリティだ」をはじめ、目が離せない記事がたくさんある。あらためて漱石の俳句の真の魅力を、半藤さんが教えてくれたのだ。漱石全集は売却してしまったけど、岩波文庫の「漱石俳句集」は、2度ばかり読んでいる。「漱石俳句探偵帖」(角川選書)半藤一利
これはどこで撮ったのか、ハッキリとは覚えていません。おそらく、藤岡市内だったと思います。壁の一面が琺瑯看板で埋め尽くされていまする(゚ω、゚)これは意識して集めた・・・のでしょう。キンチョールとかナショナルの文字が多いですね。高齢者の場合、記憶の中に、きっちり刷り込まれているんじゃないかしら。琺瑯看板part2
一茶句集で退屈していたところ、長谷川櫂選の『折々のうた』選(一)を読み出し、頭を殴られたような鈍いショック!その句、内藤丈草「水底を見てきた顔の小鴨かな」であった。丈草は蕉門十哲のひとり。「淋しさの底ぬけて降るみぞれかな」などこちらに12編が収めてある。そのどれも優劣がつけにくいくらい、見事な出来映え(^^♪一度読んでいるけど、ほぼ忘れてしまった。「時鳥(ほととぎす)鳴くや湖水のささにごり」「我事とどじょうの逃げし根芹かな」。また読み返すのかい、あんた(;´д`)トホホ水底を見てきた顔の小鴨
うむむ。これは“婦人服”の専門店です。大きなマネキンが展示されていたのでパチリ!写っているのはわたしのクルマ。マネキンがいかに大きいかおわかりでしょう(゚ω、゚)左にあるのが、普通サイズ。えーっ♫大きなマネキン
昨日ラムネの瓶を見ていて思い出しました。こちらはJR安中駅。ふらりと立ち寄ってみたら、小学生の“図工”が陳列してありました。いやはや、華やか。空き瓶を使ったカラフルな集団演技・・・ですねぇ(ˊᗜˋ*)フィルムカメラはピント、露出を合わせるのが一仕事。むろん、それが愉しいんですよね。JR安中駅
これがどんな情景だか、おわかりになりますか(´?ω?)花弁はサクラ。サクラが散り敷いているのです。前橋公園の満開のサクラを見に行ったとき、ドリンクが、ピンク、ブルー、グリーンといっぱい、浴槽みたいなプールに冷やしてありました。もちろんペットボトルです。「あ~あ。きれいだな」そう思ってパチリ!歩きまわって、のどが渇いていたのです。ピンク、ブルー、グリーンのペットボトル
「凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ」蕪村のこの句がぎらりと光った。朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」(岩波文庫1988年刊)を昨夜読んでいたとき。この本は複数もっているけど、最後まで読んだのはこれがはじめて。小林秀雄「モーツアルト」が世に出たのは昭和21年。一方こちらは昭和11年。はらはらしながらよんだけど、よく最後まで健闘している。批評家としての朔太郎を見直した。「郷愁の詩人与謝蕪村」
この鋭角な建物を桐生市内で撮影したときのこと、はよく憶えています。フジカラー・コニカカラー(その昔はサクラカラー)!2大メーカーがしのぎを削っていましたよね(。-ω-)ポジフィルムも幅を利かせるようになったけれど、主体はネガカラー。フジがややリードしていたはず。くらまたカメラ東店。おおっと路肩に止めてバリバリ撮ったなあ♪桐生のとがったカメラ店
MOMOという文字が何かをアピールしていますよね。そして左下にいる女性。この人を画面に入れるかどうするか、「う~ん」と1分ほど迷ったのを憶えています。小汚い格好(失礼)をしていたからです。看板だけでも絵にはなるんですよね(ノω・、)擬制の窓と赤・青・黒のそれらデザイン、そして室外機。これだけでフレーミングして撮った記憶があります。もちろんフィルムです。MOMO
うわお!アメ車だよ。左折してくるといいな~。期待していたら、その通りになったので、遅れじとパチリ(゚ω、゚)お金をかけ、ずいぶんきれいにリニューアルされているなあ。ビュイック、フォード、シボレーなど50年代のロックンロールが映画で再燃したんじゃないかな。このボディ・カラー、一陣の風。ザッツ・ア・ファッショナル(笑)。アメ車
ワイド版一茶俳句集(岩波文庫1991年刊)。一茶は生涯に2万首といわれているけど、そこから2千首をえらび、制作年代順にまとめ、巻末に初句索引が付されてある。こんな本をどこで買ったのか、まるで思い出せない。以前は普通版の岩波文庫で読んでいるはず。丸山一彦さんの校注。その注がじつに充実していて、目を瞠らせられる。山頭火に引き込まれたいまの気分としては、和歌から俳句へ、くるくる流されるまま。「木々おのおの名乗り出(いで)たる木の芽哉」(寛政元年27歳)。ワイド版「一茶俳句集」を読みはじめた
会社は前橋市内にあったので、高崎からクルマで通勤していました。ここは新前橋駅にほど近い、私立の専門学校。中央専門動物学校と表示されていますね。半分以上は、外国人で占められている、かな?このときはついクルマの運転席からパチリ(ˊᗜˋ*)女性がさしている日傘が目立ちますよね。専門学校の生徒さん
ここからは2019年の写真です。そのほとんどはフィルムカメラによるもの♫さて、自転車のハンドルにひっかけてあるこの赤い帽子。鍔がついてますよ。インナーかな。サッカーボールのようなものが見えます。そして背景の青、黄が赤をきわだたせていまする(´Д`;)ハンドルにひっかけた赤い帽子
「下校時」というのは、わたしが若いころは人気のあるタイトルだったなあ。いまじゃ、そんな写真を撮っている人は、ほとんどいない。PTAのおっさんたちが児童の下校を見張っているし。このショット、一番右にいる子は、脚をあげて何をしているのかな?4人の子供たちに雨がぱらぱら♬下校時
昨夜遅く池内紀さんの「となりのカフカ」(2004年刊)を読み了えた。なかなか愉しめ、ポストイットをたくさん挟み込んでしまった(*´ω`)最後に新書による“プラハ観光”がついているあたり、著者のエスプリを感じさせる。わたしが持っているカフカは、新潮文庫の頭木さんの前はほとんど池内さんのものだった。あしたになったら、日記を書こうかなあ。長篇「審判」「城」が懸案となってはいる。しか~し、たぶんムリだから、短編集(岩波あるいは新潮文庫)を半分くらい読み返してからにしようか(-ω-)はて、はて♪池内さんの「となりのカフカ」
■堀江敏幸・角田光代「私的読食録」(新潮文庫令和2年刊)晩酌しているためか、心身の老化が激しく、このところ長篇小説が読めない、という症状がつづいている。わたしの場合、62~3歳のころから、お行儀が悪いのだが、寝転がって読むことがふえてきた。だけど長篇小説だと、寝転がってもダメ(´Д`)体はもちろん、頭の方も、いかれかけている。そういうわけで、読める本は限定されてしまうのだ。そういえば、先日葛西善蔵の「蠢く者」「死児を産む」のふたつを読んだが、これは両方ともすごかった。何がすごいかというと、私小説特有のリアリティである。「死児を産む」の中で、刑務所に入っているという読者からのファンレターに対し、「まあ、ちょっと誇張があるんだけどね」・・・とつぶやいている(笑)。愛人や友人と、喧嘩三昧している日常が描かれてい...ユニークな書評が愉しい♬~堀江敏幸・角田光代「私的読食録」を読みはじめた
セルフオーダーシステムの食堂へいって「さて・・・」とクルマを半回転させたら、目の端にこんな光景が!“カモシカのようなすらりとした美脚”とえば「おいおい、じいさん。いつの時代の話だね」と笑われそうだにゃ(*´ω`)タハハ女子高校生だろう。われわれ世代の出る幕じゃねえなあ。カモシカのような美脚
■「妻と私・幼年時代」江藤淳(文春文庫2001年刊)■「悲しいだけ」藤枝静男(恋愛小説アンソロジー「感じて。息づかいを。」川上弘美選光文社文庫)(こちらが「感じて。息づかいを。」の表紙)「感じて。息づかいを。」(光文社)は100円の棚にあったので、たまたま手に取って眺めたら藤枝静男の「悲しいだけ」が掲載されていたため、この恋愛小説アンソロジーと称する文庫本を買うことになった。「藤枝文学の極北と称賛された感動の名作、野間文芸賞受賞の『悲しいだけ』を併録」と謳ってある。ただし、講談社文芸文庫の新刊で買うと税込み1,353円とお高い(゚ω、゚)ナハハ「感じて。息づかいを。」には、本編のほか、「桜の森の満開の下」坂口安吾、「武蔵丸」車谷長吉をふくめ、8篇が収められている。病苦の涯に身罷った妻のことが、容赦のない残...“伴侶の死”をめぐる2篇~江藤淳「妻と私」藤枝静男「悲しいだけ」を読む
福田和也「作家の値打ち」(飛鳥新社2000年刊)、こんな本があったのを思い出した。「作家の価値は、人の記憶に残る作品をどれがけ書けるかで決まる。その点からすれば、やはり《第三の新人》までの作家は偉い、というか高い値打ちをもっていると云わなければなるまい。」文学の世界の“偏向”がどうやら許せないらしい。全574点のうち、最高点をたたき出しているのは「仮往生伝試文」古井由吉、「ねじまき鳥クロニクル」村上春樹、「わが人生の時の時」石原慎太郎の3篇で、いずれも96点。第三の新人までかあ(*^。^*)「内向の世代」でも阿部昭などはわたし的にはお気に入りだけどね。作品(小説)を横一列にならべて数値化するというのが、おもしろかった。日本文学に反ってきたので、またちょっと読み返そうか。この時期をはずすと、二度と手に取らな...福田和也「作家の値打ち」が出てきた
猛暑襲来!!参ったな、35度を超えたらどこもかしこも熱々で身の置き場がない(´Д`;)クルマには遮光シート、小学生は冷水が入ったお気に入りのボトル。省エネを心がけてはいるけど、やむなくエアコンのスイッチはONにしている。猛暑襲来!
中村光夫「私小説名作選上」で、太宰治「富嶽百景」をしばらくぶりに読み返したが、半分ほど忘れていた。2度目に読み返したのは30代のはじめだったかも♪「晩年」の諸作と「津軽」が好き。中でも本作は極上の逸品。「私小説名作選上」は田山花袋のはじめて読む「少女病」からスタートするが、これは残念ながら習作レベルである。徳田秋声、近松秋江、志賀直哉、嘉村礒多など堂々たる私小説作家の代表作に伍して「富嶽百景」は、まちがいなくトップの3傑に入る。若い女性の二人連れに記念写真を頼まれ、結局は記念写真を撮らず、富士だけを撮ったエピソードなど忘れていた。新潮文庫なら注釈があるかと参照したが思惑ははずれた^ωヽ*読みのスピードががくんと遅くなったため、長篇がなかなか読めないなあ。太宰治「富嶽百景」を読み返す♬
新品だとたった3冊で6,000円超え(´Д`)血迷ったわけじゃないけど、講談社学芸文庫はお高いですなあ。「群像短篇名作選」2,300円、「戦後文学を読む」2,000円、「明治深刻悲惨小説」1,800円。もちろんこれに消費税が加わる。表紙は金文字でピッカピカ♬岩波と新潮にはかなわないからねぇ、破れかぶれ?年表だの解説だのがびっしり付属している。昔の単行本なみか、それ以上なので、お値段が張るのはあたりまえ。講談社学芸文庫の現在
■小谷野敦「私小説のすすめ」平凡社新書2009年刊以前にも読んでいるから“再読”となる。《このいわば「志の低さ」に辟易する人も多いだろう。わたしは、どちらかといえば、この後者》著者には失礼ながら、2010年1月6日のBlog「二草庵摘録」にこう感想を書いている。https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/d6760d02256e271d34a15ea2f35902b3さきごろスタンバイさせてある在庫をひっくり返しているうち、意図に反して出てきた。半分ほど読んで、中絶したかな・・・と思っていた(^^?)人の記憶は、そのくらいあてにならないものであ~る。付録のオビにつぎのような惹句がある。《才能がなくても書ける。それが私小説。その魅力を説き、「書きたい人」に勧める、挑発的文学論!》この惹...小谷野敦「私小説のすすめ」~ぶっちゃけ本音トークを再読する
関川夏央の「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)の中に興味深い引用があった。志賀直哉「小僧の神様」のストーリーにおいて、中沢新一が“成熟した貨幣経済のうちで「純粋贈与」は可能か”と問いかけているという。「小僧の神様」はわずか24枚ほどの短篇だが、昔から傑作として名高い♬「それは不可能」というのが、中沢さんの結論だそうです。近代文学を読むにしても「それはいつ書かれたのか」という問いはつねに重要だと、関川さんはいっています。たとえば向田邦子の「あ・うん」の仙吉も「小僧の神様」からとられているんだって(。-ω-)新しい問いを発見するのが批評家の仕事でしょうね。関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)
割とよく通る交通量の多い交差点。赤い上っぱりを着た女性がいてくれたら・・・と思ったことがあった。そうしたら、この日おあつらえ向きに、ドンピシャリ(´◡`)リフォームの文字に懸け替えられたんだね。まさに“紅一点”のごとく!こんなところでスナップしたがっているのはわたしだけか(;^ω^)写真は1×2にトリミングしました。背景もおもしろい♬
車谷長吉の「武蔵丸」と、織田作之助の「聴雨」は近ごろ“大あたり”だった。拾ってきたカブトムシのことを書いた「武蔵丸」より、坂田三吉のことを描いた「聴雨」の方が上ですね↑フ~ムフム。はてさて大量に抱え込んだ本を、数百冊売らねばならないなあ。6DKでもいる場所がなくなってしまう。5-600冊売れば多少は風通しがよくなる・・・かな!?単行本の類は思い切って捨てることだなあ、やれやれ(´Д`)「聴雨」と「武蔵丸」はよかった↑
完璧な“流し撮り”にはほど遠いなあ^ωヽ*たまたまこうなった。男の子以外はブレてしまったので、そのように見えなくはない・・・というレベルだな。背景は年中出かける高崎のBOOKOFF。ん?流し撮りかな
昨日サルスベリの幹で交尾していたキマダラカメムシ(・・・たぶん)。よく家の中にも入り込んで、出るに出られず干からびているのがこいつだろう。違うかな(´?ω?)サクラ、カキ、サルスベリなど、多くの樹木につき街路樹にも多いようだ。台湾~東南アジア原産の帰化種とのこと。毛虫じゃなくてよかったぜ。キマダラカメムシ(´?ω?)
高橋さんは長吉の隣りに「高橋順子海へ」という生前墓を造ってもらい朱書してあるそうである。「夫・車谷長吉」は生半可な本ではない。読者としてわたしは、すっかり心を掻きまわされてしまった!「終の住処」の一章もすばらしい♬ドキュメンタリーの傑作である。なお本書で2018年講談社エッセイ賞を受賞しているそうである。夫の墓には入りませんという女性がふえているなかにあって、高橋さんの妻としての決然たる“思いの丈”が、この本にギュッとつまっている。読み了えるのがもったいないなあ(。-ω-)高橋順子“海へ”
(一昨日、BOOKOFFで手に入れた車谷長吉の2冊)妻の留守中に、解凍中の生イカをのどにつまらせ、69歳で窒息死した小説家車谷長吉。「四国八十八ヶ所感情巡礼」のレビューでこんな記事をお書きになっている方がいた。《どこかの駅でうんこを垂れ流し、「この始末は誰がするのか」と駅員に言われて「それは、おまえの給料のうち」と言い捨てて、折から着た電車に飛び乗ったという話を得意気に書いている下りでは腹が立った。自分のうんこの始末もできないで、会う人を、それぞれ「極楽に行く・行かない」と「採点」する。》ウハハハ、こりゃすごいな。そのとき、奥様の高橋順子さんはどこにいたのだろう。強度の強迫神経症を発症しているから、「夫・車谷長吉」を読んでいると、もうほとんど狂人と紙一重である。高橋さんはゲッと思うようなことをけっこう淡々...正常・異常の境界例を生きた男~反時代的毒虫・車谷長吉をめぐって
およそ3~4年に1回の頻度で姿を見せる、ゴマダラカミキリ♬この日は南東の植え込みで剪定をしていた。「終わり!」と思ってふと見え上げると、この子が枝に止まっていた。探すと見つからないが、すぐそこいらにいる。子どものころから見慣れたブルーブラックの輝きが、何ともいえず美しい(ˊᗜˋ*)ゴマダラカミキリがやってきた
高崎市の道路維持課の人が6人やってきて、水路や溝の清掃をしてくれた。息子が電話したあと、区長も連絡したようだ。わたしが憶えているかぎり、市の人材出動ははじめてのこと。距離にしたら約150m。左に見えるのはわが家の太陽光発電設備。わたしは屋敷内の雑木を伐採していた(*´ω`)いや~暑かった。水路の清掃
(新刊で手に入るのは、現在「夫・車谷長吉」のほかは文春文庫では「赤目四十八滝心中未遂」、新潮文庫では「鹽壺の匙」だけのようだ)一昨日からこの文春文庫「夫・車谷長吉」を読みはじめた。買おうか買うまいか、迷っていたのだ。本書の文庫が2020年2月刊行なので、まあ、目にとめてから約4年の歳月がたつ。高橋順子さんは、詩集も、1冊か2冊どこかにあったはず。ただし、じっくり腰を据えて読んだ記憶はない。「夫・車谷長吉」を、とうとう読みはじめ、その影響で「寝返りを打つ」という妙チキリンな詩が生まれてきた。高橋さんの詩からは影響をうけなかったのに、この車谷長吉について書かれたエッセイからは、影響をうけた。とてもストイックな、でもやさしさに満ち溢れた、どこかエレガントなエッセイとなっている。ⅠからⅥまで、6つの章に分かたれて...夫・車谷長吉とともに~詩人・高橋順子の愛情告白(2024.6.13記)