わが相棒のオス猫けん太!指でかまってやったら(動くものが大好き)、その気になってきた。もう6-7歳になるのかな。呼ぶと少し遅くなってあらわれ、わたしの隣りで晩飯を食います。母屋の縁側は型ガラスです。ちょっと夏痩せ気味かなあ。ひょうきん族め。わが相棒、けん太
警察小説の金字塔 その2 ~エド・マクベイン「八頭の黒馬」を読む
(左側はハヤカワのポケミス版)■エド・マクベイン「八頭の黒馬」井上一夫訳ハヤカワ・ミステリ文庫(1993年刊)わたし的にはなかなか読み応えのある一冊だった。偉大なるマンネリと、だれだったか解説で述べているが、いい意味でも悪い意味でもその通り。しかもすべてが長篇(「八頭の黒馬」は375ページ)。ふと連想するのは池波正太郎の「鬼平犯科帳」。こちらは文庫本で全25巻、番外編の「乳房」をふくめ26巻である。しかし、長編がいくつか混じってはいるものの、基本的に短篇集。87分署のシリーズ・タイトルが示すように、複数の警察官が主役となる。・87分署の2級刑事スティーブ・キャレラアーサー・ブラウンマイヤー・マイヤーコットン・ホース・87分署の3級刑事バート・クリングアンディ・パーカーリチャード・ジェネロ本書「八頭の黒馬」...警察小説の金字塔その2~エド・マクベイン「八頭の黒馬」を読む
警察小説の金字塔“87分署シリーズ” ~エド・マクベイン「稲妻」を読む
■エド・マクベイン「稲妻」井上一夫訳ハヤカワ・ミステリ文庫1992年刊一つの分署の複数の刑事(Detective)たちを主役とした警察小説といえば、エド・マクベインの87分署シリーズを連想する方が多いだろう。資料によると、最終巻は「最後の旋律」(第56巻2005年)である。何と同じシリーズを営々と、56巻も書き継ぎ、ぞくぞく出版されたのは驚異的。最初の4巻「警官嫌い」「通り魔」「麻薬密売人」「ハートの刺青」は、よく代表作として紹介される。ほかに第8巻「殺意の楔」(1959年)、第10巻「キングの身代金」(1959年)あたりが映画化された影響で有名かもね♬直井明編集の「エド・マクベイン読本」など、特別編集の本を3~4種類見かけている。現在はデジタル版で10冊くらいは読めそうだが、紙の本としては古本にたよらざ...警察小説の金字塔“87分署シリーズ”~エド・マクベイン「稲妻」を読む
「ルパン三世」の人気キャラ次元大介といえば小林清志がほぼ50年声優をつとめたことで知られたが、2022年7月におしくも亡くなった。渋いハードボイルドのガンマン次元。不器用だけどJAZZとバーボンが似合う、男の中の男。https://www.youtube.com/watch?v=OznN_lmQUUIいいなあ、あこがれるぜ次元。PYTHON357マグナム(エアガン)を買ったので、今夜は彼の夢でも見られたらいいな。次元大介の夢が見られたら・・・
昨日ボビーショップに出かけて、エアガンを買ってきた。小学生のころから、銀弾(BB弾)を発射できる子ども向けの拳銃が好きだったのだね、男の子の遊びとして。学校の近くの駄菓子屋で売ってましたね。いくらだったかしら、50円くらいか?小学校のころは、本は読まなかったし、カメラには手が届かなかった。原っぱや畑のあいだを走りまわりながら、子ども同士で撃ち合いして遊んだものです。子ども時代の一番古い記憶の棚に収まっている部品・・・というところ^ωヽ*BB弾といわず、銀弾とか、銀玉とかいった。飛距離は6~10mくらいはあったでしょう。■銀玉鉄砲セキデンオートマチックSAP.50(銀玉50発入)1100円(Linkは下に☆)(すべてオールプラの安物)Netで調べてみると、あきらかに子ども向けと思われるものは、500~120...かくれ次元大介ファン♬
近隣の解体撤去の工事現場で、こんな光景が目に飛び込んできた。・・・というか、こういうふうに切り取ってみたのです。おしゃれな感じが、女性誌のコンテンツページみたいだなあと思って。何の店があったのでしょうね。植物はいうまでもなく、南米原産のパンパスグラス(日本名シロガネヨシ)。近所の工事現場で
「主人公としての探偵と作家」 ~ロス・マクドナルドを読み返す
■ロス・マクドナルド傑作集「ミッドナイトブルー」小鷹信光訳創元推理文庫1977年刊。本もデジタル化しつつあるこのご時世、こんな古いものを一週間探し廻るってのも、われながらあきれるよん(ノω`*)「主人公としての探偵と作家」という評論や、小鷹信光の充実した(かなり力みかえっている)あとがきを読み返したくなったのだ。少々長くなるが、ロス・マクドナルドの評論から引用しておこう♬《価値のない鷹の彫像は、失われた伝統――スペードや彼の世代の人間の手にははいらない地中海の過去の偉大な文化を象徴しているのだろう。そしてその鳥はたぶん、聖霊そのものの身代わり、あるいはその不在を意味しているのである。もし感情を隠した悲劇と呼び得るものがあるとしたら、サム・スペードから人間的なすべての遺産を一つずつ過酷に剥奪してゆく作法上の...「主人公としての探偵と作家」~ロス・マクドナルドを読み返す
■ダシール・ハメット「血の収穫」田口俊樹訳新訳版(2019年東京創元社刊)原作は1929年刊(ハヤカワ・ミステリ「赤い収穫」1989年刊小鷹信光訳)この「血の収穫」は、ハードボイルド小説の“はじめの一冊”としてたいへん名高い。わたしも20代の終わりごろから“読みたいなあ”と思いながら、読み了えた現在まで、あれあれ半世紀も引きずってしまった。書棚を調べてみたら、「血の収穫」は、東京創元社の刊行で田中西二郎訳1959年とある。たぶん50ページは読んだはず。なぜかというと、ここにポストイットが挟んであるのである(;^ω^)ついでながら、解説は中島河太郎。原文ではREDHARVESTとなる。直訳すれば“赤、赤い”だろうが、この赤はそのまま血の赤である。「血の収穫」東京創元社「赤い収穫」ハヤカワ・ミステリこの違いは...ハードボイルドって何だろう?~ハメット「血の収穫」を読む
ナンテンの木陰。眠りに就こうとしているキチョウさん。クルマを定位置の物置に入れたところ、こんな光景が目に飛び込んできた(*^。^*)暗いためストロボを使ったらかえって×(ペケ)。背景はトワイライトブルーの青。この子は大部分が越冬する。今日も庭を5~6頭のキチョウが飛んでいた。眠りにつくキチョウ
王座戦第4局のTV中継をリアルタイムで観戦していた。5三馬が敗着なのだ。1分ではさすがの永瀬さんも読み切れなかった。勝ちを逃し逆転。終局の直前、何度なくため息をもらす姿が印象的(。-ω-)藤井さんに運命の女神が微笑んだ。インタビューのときの表情は、疲れきって、うれしさ半分。“王座”を拾っただけということを、本人がいちばんよく知っているだろう。21歳で八冠制覇。目標を達成し、さて、つぎはどこへ向かうのか?八冠制覇、その瞬間
谷川浩司の「藤井聡太論将棋の未来」(講談社α新書2021年刊)を読みはじめたら、眠れなくなった。これまでも将棋の本はときおり読んできたが、いままでで一番おもしろいしエキサイティング(゚o゚;この著書を書いた時点では、棋聖、王位の二冠なのだが、谷川さんは現在の藤井七冠を見通している。この段階で藤井さんは4年連続勝率一位。著書には専門のライターさんが手を加えているのかしら。全ページに神経が行き届いている。AIの著しい進化で、囲碁も将棋も新たなステージを迎えているのだ。「天才だけが知る若き天才の秘密」とコピーにはある。高度な頭脳集団の闘いに、わたしも興味津々だな、それなりにね(^^;;)タハハ谷川浩司「藤井聡太論将棋の未来」がエキサイティング
ホシホウジャクが玄関を出たすぐのこんな植え込みのところに♬ホバリングしてセイジから吸蜜する姿以外、見たことなかったなあ。死んでいるわけではなく、1時間ほどして確かめにいったら姿がみえなかった。それにしても、この止まっている緑色の木はなんだろう、アオギリかと調べたけど、どうも違うようだにゃ。うむむ。ホシホウジャクが止まっている
「短編画廊」、この平凡なタイトルに騙されそうになったぜ、BOOKOFFの棚で100円。ハーパーコリンズ・ジャパンというはじめて聞く会社の文庫本です。刊行は2021年。17枚とあるが、じっさいには18枚のエドワード・ホッパーの絵がカラーグラビアを飾っている。これが短編小説集なのですね♬すばらしいアイデア!まだ読んでないけど。エドワード・ポッパー&短編集アメリカ♬
チャンドリアンで直木賞作家だった原尞(はらりょう)さんがお亡くなりになったのはいつだったか。先日本棚を引っ掻きまわしていたら、ポケミスの特装版「そして夜は甦る」が現れた。表紙は山野辺進さんの手になる♬「さらば愛しき女よ」(清水訳)をタイプライターの横に置いてこのハードボイルド小説を書いたと、あとがきで告白している。寡作な作家(調べたらエッセイ集をふくめ8冊)だったが、熱心なファンがいたはず。読みだしたのは覚えているけど、100ページほどでやめてしまった(ノω・、)本棚からひょっこりというのは、わたしに「読め!」といっているのかなあ。「そして夜は甦る」の特装版が現れた
自分は生きているんだ、ほかのどんなときよりも ~「刑事の誇り」を読む
■マイクル・Z・リューイン「刑事の誇り」田口俊樹訳(ハヤカワ・ミステリ文庫1995年刊)パウダー警部補シリーズは、翻訳されているのは3作である。いずれもハヤカワ・ミステリ文庫に収録されているが、現行本だと思う、おそらく。夜勤刑事刑事の誇り男たちの絆このシリーズはニューハードボイルド小説とみなされ、一時期はエド・マクベイン、ディック・フランシス、ヒラリー・ウォー、ロバート・B・パーカーその他と並んで、よく売れ、よく読まれたはず。なぜニューハードボイルドと称されるかといえば、リューインがレイモンド・チャンドラーにインスパイアされて作品を書きはじめたからだといわれているし、一世代下の小説家であるからだ。早川書房編集部の「ミステリ・ハンドブック」によるとミステリにはサブジャンルとして、ディテクティブ・ノベルⅡ(警...自分は生きているんだ、ほかのどんなときよりも~「刑事の誇り」を読む
隣家のアンテナに止まり、あたりを睥睨する三羽のオナガ。こいつらが悪いことをするのですね。柿はほぼ彼らがすべて食べつくします。渋柿だからいいけど、地面に落とした実を踏んづけてしまう。芽を出してまもない秋野菜の畑を荒らす。キー、キーと朝早くから騒ぎます(*・д・)コラッ!鳴き騒ぐオナガ
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わが相棒のオス猫けん太!指でかまってやったら(動くものが大好き)、その気になってきた。もう6-7歳になるのかな。呼ぶと少し遅くなってあらわれ、わたしの隣りで晩飯を食います。母屋の縁側は型ガラスです。ちょっと夏痩せ気味かなあ。ひょうきん族め。わが相棒、けん太
お母さんは、わたしの横にいます。可愛らしい妹と賢そうな兄貴。許可を得なければ撮れないシーンですよね。スクエアフォーマットはローライ3.5F、フィルムはフジカラー400Hです。立派な大きなお弁当・オカズをご覧下さい。忘れることができないシーンです。ばらしいのはカメラマンではなく、演出家のお母さん♫すでに7-8年がたっています。兄貴と妹
市街地に自動販売機がこれほど存在するのは、日本だけという話を友人から訊いたことがあります。そういえば、スペインにもインドにもその他の町の街角にも、自販機は見かけなかったなあ(*´ω`)よくお世話になります。平和の象徴として、このジョージアはここにあるんだし、それを日常風景として写真に撮るのだねぇ。このころ、フィルムカメラはニコンFE2を使っていました。自動販売機
大岡信選『折々のうた』(二)を読みはじめた。一茶からはじまる近代俳句。この区切りかたはおもしろい♪子規をのぞいて、尾崎放哉や山頭火以外には関心がもてなかった。大岡さんに説得されるのかな、ふむむ(´・ω・)?短歌は本当のところおもしろくない。辻原登編「与謝蕪村」(河出文庫)も買ってきてある。『折々のうた』(二)長谷川櫂編を読みはじめた
この千羽鶴はすごいなあ♫横の碑に秩父三拾四ヶ所巡拝という文字が刻んである。これを高崎市の下町で撮ったのだ。地蔵さんは敬慕されているんだねぇ。近所に信心深いおばあさんでもいるのだろう。帽子や涎かけ、お供えしてある花々。クルマから下りてお堂をのぞき込んだこと、憶えていまする(。-ω-)お地蔵さんと千羽鶴
これは以前UPしたことがあったかも♪地元ではお花見の名所、前橋公園。“お花見の客”なのです。二人の妙齢の女性はイスラムの人。お訊ねしたわけじゃないですが、髪を見ればわかります。スクエアフォーマットはローライフレックス3.5Fを使用。サクラは満開あるいはほぼ満開に近かったと憶えていまする(´◡`)お花見の女性二人
どこで撮影したのかはよく憶えています。沼田市街を、カメラ散歩していたとき。とてもきれいな帆船だと思ったことも。花屋さんの店先だったかなあ。そのあたりはあいまい(´ω`*)マスト、船体、重りなど、とても精巧にできていますよね。ご主人がマニアなのかもしれません。街中でこんなものを見かけたら、撮るしかありませぬ。美しい帆船模型
今年2月か3月にBOOKOFFで買った半藤一利さんの「漱石俳句探偵帖」(角川選書)は、まったく期待していなかった。それがこれほどおもしろい本だったとは♫読んではポストイットをたくさん挟んだ。半分ばかり読んだ中では「死こそ真のリアリティだ」をはじめ、目が離せない記事がたくさんある。あらためて漱石の俳句の真の魅力を、半藤さんが教えてくれたのだ。漱石全集は売却してしまったけど、岩波文庫の「漱石俳句集」は、2度ばかり読んでいる。「漱石俳句探偵帖」(角川選書)半藤一利
これはどこで撮ったのか、ハッキリとは覚えていません。おそらく、藤岡市内だったと思います。壁の一面が琺瑯看板で埋め尽くされていまする(゚ω、゚)これは意識して集めた・・・のでしょう。キンチョールとかナショナルの文字が多いですね。高齢者の場合、記憶の中に、きっちり刷り込まれているんじゃないかしら。琺瑯看板part2
一茶句集で退屈していたところ、長谷川櫂選の『折々のうた』選(一)を読み出し、頭を殴られたような鈍いショック!その句、内藤丈草「水底を見てきた顔の小鴨かな」であった。丈草は蕉門十哲のひとり。「淋しさの底ぬけて降るみぞれかな」などこちらに12編が収めてある。そのどれも優劣がつけにくいくらい、見事な出来映え(^^♪一度読んでいるけど、ほぼ忘れてしまった。「時鳥(ほととぎす)鳴くや湖水のささにごり」「我事とどじょうの逃げし根芹かな」。また読み返すのかい、あんた(;´д`)トホホ水底を見てきた顔の小鴨
うむむ。これは“婦人服”の専門店です。大きなマネキンが展示されていたのでパチリ!写っているのはわたしのクルマ。マネキンがいかに大きいかおわかりでしょう(゚ω、゚)左にあるのが、普通サイズ。えーっ♫大きなマネキン
昨日ラムネの瓶を見ていて思い出しました。こちらはJR安中駅。ふらりと立ち寄ってみたら、小学生の“図工”が陳列してありました。いやはや、華やか。空き瓶を使ったカラフルな集団演技・・・ですねぇ(ˊᗜˋ*)フィルムカメラはピント、露出を合わせるのが一仕事。むろん、それが愉しいんですよね。JR安中駅
これがどんな情景だか、おわかりになりますか(´?ω?)花弁はサクラ。サクラが散り敷いているのです。前橋公園の満開のサクラを見に行ったとき、ドリンクが、ピンク、ブルー、グリーンといっぱい、浴槽みたいなプールに冷やしてありました。もちろんペットボトルです。「あ~あ。きれいだな」そう思ってパチリ!歩きまわって、のどが渇いていたのです。ピンク、ブルー、グリーンのペットボトル
「凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ」蕪村のこの句がぎらりと光った。朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」(岩波文庫1988年刊)を昨夜読んでいたとき。この本は複数もっているけど、最後まで読んだのはこれがはじめて。小林秀雄「モーツアルト」が世に出たのは昭和21年。一方こちらは昭和11年。はらはらしながらよんだけど、よく最後まで健闘している。批評家としての朔太郎を見直した。「郷愁の詩人与謝蕪村」
この鋭角な建物を桐生市内で撮影したときのこと、はよく憶えています。フジカラー・コニカカラー(その昔はサクラカラー)!2大メーカーがしのぎを削っていましたよね(。-ω-)ポジフィルムも幅を利かせるようになったけれど、主体はネガカラー。フジがややリードしていたはず。くらまたカメラ東店。おおっと路肩に止めてバリバリ撮ったなあ♪桐生のとがったカメラ店
MOMOという文字が何かをアピールしていますよね。そして左下にいる女性。この人を画面に入れるかどうするか、「う~ん」と1分ほど迷ったのを憶えています。小汚い格好(失礼)をしていたからです。看板だけでも絵にはなるんですよね(ノω・、)擬制の窓と赤・青・黒のそれらデザイン、そして室外機。これだけでフレーミングして撮った記憶があります。もちろんフィルムです。MOMO
うわお!アメ車だよ。左折してくるといいな~。期待していたら、その通りになったので、遅れじとパチリ(゚ω、゚)お金をかけ、ずいぶんきれいにリニューアルされているなあ。ビュイック、フォード、シボレーなど50年代のロックンロールが映画で再燃したんじゃないかな。このボディ・カラー、一陣の風。ザッツ・ア・ファッショナル(笑)。アメ車
ワイド版一茶俳句集(岩波文庫1991年刊)。一茶は生涯に2万首といわれているけど、そこから2千首をえらび、制作年代順にまとめ、巻末に初句索引が付されてある。こんな本をどこで買ったのか、まるで思い出せない。以前は普通版の岩波文庫で読んでいるはず。丸山一彦さんの校注。その注がじつに充実していて、目を瞠らせられる。山頭火に引き込まれたいまの気分としては、和歌から俳句へ、くるくる流されるまま。「木々おのおの名乗り出(いで)たる木の芽哉」(寛政元年27歳)。ワイド版「一茶俳句集」を読みはじめた
会社は前橋市内にあったので、高崎からクルマで通勤していました。ここは新前橋駅にほど近い、私立の専門学校。中央専門動物学校と表示されていますね。半分以上は、外国人で占められている、かな?このときはついクルマの運転席からパチリ(ˊᗜˋ*)女性がさしている日傘が目立ちますよね。専門学校の生徒さん
ここからは2019年の写真です。そのほとんどはフィルムカメラによるもの♫さて、自転車のハンドルにひっかけてあるこの赤い帽子。鍔がついてますよ。インナーかな。サッカーボールのようなものが見えます。そして背景の青、黄が赤をきわだたせていまする(´Д`;)ハンドルにひっかけた赤い帽子
長くなってしまうので、2回に分けて掲載させていただく。村上春樹さんに「海辺のカフカ」があり、この作の影響で、女の子がフランツ・カフカを読むという現象が、以前あったようだ。わたしは村上春樹は、とくに好き嫌いはなく、ひとくにいえば“関心がない現代作家”である。谷崎潤一郎や三島由紀夫にも、関心がない。池内紀の「となりのカフカ」(光文社新書)は、わたしの関心をあらためて目覚めさせ「うん、そうだった。そうだった」といまさらながらうろたえている。《カフカの両親にとってカフカの小説は最後まで「困った道楽」を出なかった。カフカは生前に出版した本の一つに「わが父に」の献辞をつけたが、その父はついぞ献辞をよろこばなかったし、息子の小説を読んだこともなかっただろう。せいぜいのところ、仕事の気味なさを埋めあわせる「ひまつぶし」と...カフカ・フィーバーがやってきた<その2>
■池内紀(おさむ)「となりのカフカ」光文社新書2004年刊カフカ・フィーバーがやってきた・・・と書くつもりだった(;^ω^)ところが、そんなに夢中に読みすすめているというのではない。おもしろかったり、おもしろくなかったり。半分、半分かな?ウィーン近郊にあった「ドクター・ホフマンの保養所」に、つぎの記載があるそうである。■フランツ・カフカ身長:184cm体重:46キロ晩年のカフカは、背が高いのはもちろんだが、驚くほど痩せていた。だから「断食芸人」はカフカ自身のことだった、と池内さんはいう。さきごろ亡くなられた池内さんはドイツ文学の専門家、なにしろ“卒論”にカフカを取りあげた人である。(かつては主としてこの2篇「カフカ短編集」「カフカ寓話集」を愛読した)(白水社の池内紀さんのペーパーバック版「カフカ作品集」の...カフカ・フィーバーがやってきた<その1>~池内紀「となりのカフカ」がおもしろい
「下校時」というのは、わたしが若いころは人気のあるタイトルだったなあ。いまじゃ、そんな写真を撮っている人は、ほとんどいない。PTAのおっさんたちが児童の下校を見張っているし。このショット、一番右にいる子は、脚をあげて何をしているのかな?4人の子供たちに雨がぱらぱら♬下校時
昨夜遅く池内紀さんの「となりのカフカ」(2004年刊)を読み了えた。なかなか愉しめ、ポストイットをたくさん挟み込んでしまった(*´ω`)最後に新書による“プラハ観光”がついているあたり、著者のエスプリを感じさせる。わたしが持っているカフカは、新潮文庫の頭木さんの前はほとんど池内さんのものだった。あしたになったら、日記を書こうかなあ。長篇「審判」「城」が懸案となってはいる。しか~し、たぶんムリだから、短編集(岩波あるいは新潮文庫)を半分くらい読み返してからにしようか(-ω-)はて、はて♪池内さんの「となりのカフカ」
■堀江敏幸・角田光代「私的読食録」(新潮文庫令和2年刊)晩酌しているためか、心身の老化が激しく、このところ長篇小説が読めない、という症状がつづいている。わたしの場合、62~3歳のころから、お行儀が悪いのだが、寝転がって読むことがふえてきた。だけど長篇小説だと、寝転がってもダメ(´Д`)体はもちろん、頭の方も、いかれかけている。そういうわけで、読める本は限定されてしまうのだ。そういえば、先日葛西善蔵の「蠢く者」「死児を産む」のふたつを読んだが、これは両方ともすごかった。何がすごいかというと、私小説特有のリアリティである。「死児を産む」の中で、刑務所に入っているという読者からのファンレターに対し、「まあ、ちょっと誇張があるんだけどね」・・・とつぶやいている(笑)。愛人や友人と、喧嘩三昧している日常が描かれてい...ユニークな書評が愉しい♬~堀江敏幸・角田光代「私的読食録」を読みはじめた
セルフオーダーシステムの食堂へいって「さて・・・」とクルマを半回転させたら、目の端にこんな光景が!“カモシカのようなすらりとした美脚”とえば「おいおい、じいさん。いつの時代の話だね」と笑われそうだにゃ(*´ω`)タハハ女子高校生だろう。われわれ世代の出る幕じゃねえなあ。カモシカのような美脚
■「妻と私・幼年時代」江藤淳(文春文庫2001年刊)■「悲しいだけ」藤枝静男(恋愛小説アンソロジー「感じて。息づかいを。」川上弘美選光文社文庫)(こちらが「感じて。息づかいを。」の表紙)「感じて。息づかいを。」(光文社)は100円の棚にあったので、たまたま手に取って眺めたら藤枝静男の「悲しいだけ」が掲載されていたため、この恋愛小説アンソロジーと称する文庫本を買うことになった。「藤枝文学の極北と称賛された感動の名作、野間文芸賞受賞の『悲しいだけ』を併録」と謳ってある。ただし、講談社文芸文庫の新刊で買うと税込み1,353円とお高い(゚ω、゚)ナハハ「感じて。息づかいを。」には、本編のほか、「桜の森の満開の下」坂口安吾、「武蔵丸」車谷長吉をふくめ、8篇が収められている。病苦の涯に身罷った妻のことが、容赦のない残...“伴侶の死”をめぐる2篇~江藤淳「妻と私」藤枝静男「悲しいだけ」を読む
福田和也「作家の値打ち」(飛鳥新社2000年刊)、こんな本があったのを思い出した。「作家の価値は、人の記憶に残る作品をどれがけ書けるかで決まる。その点からすれば、やはり《第三の新人》までの作家は偉い、というか高い値打ちをもっていると云わなければなるまい。」文学の世界の“偏向”がどうやら許せないらしい。全574点のうち、最高点をたたき出しているのは「仮往生伝試文」古井由吉、「ねじまき鳥クロニクル」村上春樹、「わが人生の時の時」石原慎太郎の3篇で、いずれも96点。第三の新人までかあ(*^。^*)「内向の世代」でも阿部昭などはわたし的にはお気に入りだけどね。作品(小説)を横一列にならべて数値化するというのが、おもしろかった。日本文学に反ってきたので、またちょっと読み返そうか。この時期をはずすと、二度と手に取らな...福田和也「作家の値打ち」が出てきた
猛暑襲来!!参ったな、35度を超えたらどこもかしこも熱々で身の置き場がない(´Д`;)クルマには遮光シート、小学生は冷水が入ったお気に入りのボトル。省エネを心がけてはいるけど、やむなくエアコンのスイッチはONにしている。猛暑襲来!
中村光夫「私小説名作選上」で、太宰治「富嶽百景」をしばらくぶりに読み返したが、半分ほど忘れていた。2度目に読み返したのは30代のはじめだったかも♪「晩年」の諸作と「津軽」が好き。中でも本作は極上の逸品。「私小説名作選上」は田山花袋のはじめて読む「少女病」からスタートするが、これは残念ながら習作レベルである。徳田秋声、近松秋江、志賀直哉、嘉村礒多など堂々たる私小説作家の代表作に伍して「富嶽百景」は、まちがいなくトップの3傑に入る。若い女性の二人連れに記念写真を頼まれ、結局は記念写真を撮らず、富士だけを撮ったエピソードなど忘れていた。新潮文庫なら注釈があるかと参照したが思惑ははずれた^ωヽ*読みのスピードががくんと遅くなったため、長篇がなかなか読めないなあ。太宰治「富嶽百景」を読み返す♬
新品だとたった3冊で6,000円超え(´Д`)血迷ったわけじゃないけど、講談社学芸文庫はお高いですなあ。「群像短篇名作選」2,300円、「戦後文学を読む」2,000円、「明治深刻悲惨小説」1,800円。もちろんこれに消費税が加わる。表紙は金文字でピッカピカ♬岩波と新潮にはかなわないからねぇ、破れかぶれ?年表だの解説だのがびっしり付属している。昔の単行本なみか、それ以上なので、お値段が張るのはあたりまえ。講談社学芸文庫の現在
■小谷野敦「私小説のすすめ」平凡社新書2009年刊以前にも読んでいるから“再読”となる。《このいわば「志の低さ」に辟易する人も多いだろう。わたしは、どちらかといえば、この後者》著者には失礼ながら、2010年1月6日のBlog「二草庵摘録」にこう感想を書いている。https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/d6760d02256e271d34a15ea2f35902b3さきごろスタンバイさせてある在庫をひっくり返しているうち、意図に反して出てきた。半分ほど読んで、中絶したかな・・・と思っていた(^^?)人の記憶は、そのくらいあてにならないものであ~る。付録のオビにつぎのような惹句がある。《才能がなくても書ける。それが私小説。その魅力を説き、「書きたい人」に勧める、挑発的文学論!》この惹...小谷野敦「私小説のすすめ」~ぶっちゃけ本音トークを再読する
関川夏央の「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)の中に興味深い引用があった。志賀直哉「小僧の神様」のストーリーにおいて、中沢新一が“成熟した貨幣経済のうちで「純粋贈与」は可能か”と問いかけているという。「小僧の神様」はわずか24枚ほどの短篇だが、昔から傑作として名高い♬「それは不可能」というのが、中沢さんの結論だそうです。近代文学を読むにしても「それはいつ書かれたのか」という問いはつねに重要だと、関川さんはいっています。たとえば向田邦子の「あ・うん」の仙吉も「小僧の神様」からとられているんだって(。-ω-)新しい問いを発見するのが批評家の仕事でしょうね。関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)
割とよく通る交通量の多い交差点。赤い上っぱりを着た女性がいてくれたら・・・と思ったことがあった。そうしたら、この日おあつらえ向きに、ドンピシャリ(´◡`)リフォームの文字に懸け替えられたんだね。まさに“紅一点”のごとく!こんなところでスナップしたがっているのはわたしだけか(;^ω^)写真は1×2にトリミングしました。背景もおもしろい♬
車谷長吉の「武蔵丸」と、織田作之助の「聴雨」は近ごろ“大あたり”だった。拾ってきたカブトムシのことを書いた「武蔵丸」より、坂田三吉のことを描いた「聴雨」の方が上ですね↑フ~ムフム。はてさて大量に抱え込んだ本を、数百冊売らねばならないなあ。6DKでもいる場所がなくなってしまう。5-600冊売れば多少は風通しがよくなる・・・かな!?単行本の類は思い切って捨てることだなあ、やれやれ(´Д`)「聴雨」と「武蔵丸」はよかった↑
完璧な“流し撮り”にはほど遠いなあ^ωヽ*たまたまこうなった。男の子以外はブレてしまったので、そのように見えなくはない・・・というレベルだな。背景は年中出かける高崎のBOOKOFF。ん?流し撮りかな
昨日サルスベリの幹で交尾していたキマダラカメムシ(・・・たぶん)。よく家の中にも入り込んで、出るに出られず干からびているのがこいつだろう。違うかな(´?ω?)サクラ、カキ、サルスベリなど、多くの樹木につき街路樹にも多いようだ。台湾~東南アジア原産の帰化種とのこと。毛虫じゃなくてよかったぜ。キマダラカメムシ(´?ω?)
高橋さんは長吉の隣りに「高橋順子海へ」という生前墓を造ってもらい朱書してあるそうである。「夫・車谷長吉」は生半可な本ではない。読者としてわたしは、すっかり心を掻きまわされてしまった!「終の住処」の一章もすばらしい♬ドキュメンタリーの傑作である。なお本書で2018年講談社エッセイ賞を受賞しているそうである。夫の墓には入りませんという女性がふえているなかにあって、高橋さんの妻としての決然たる“思いの丈”が、この本にギュッとつまっている。読み了えるのがもったいないなあ(。-ω-)高橋順子“海へ”
(一昨日、BOOKOFFで手に入れた車谷長吉の2冊)妻の留守中に、解凍中の生イカをのどにつまらせ、69歳で窒息死した小説家車谷長吉。「四国八十八ヶ所感情巡礼」のレビューでこんな記事をお書きになっている方がいた。《どこかの駅でうんこを垂れ流し、「この始末は誰がするのか」と駅員に言われて「それは、おまえの給料のうち」と言い捨てて、折から着た電車に飛び乗ったという話を得意気に書いている下りでは腹が立った。自分のうんこの始末もできないで、会う人を、それぞれ「極楽に行く・行かない」と「採点」する。》ウハハハ、こりゃすごいな。そのとき、奥様の高橋順子さんはどこにいたのだろう。強度の強迫神経症を発症しているから、「夫・車谷長吉」を読んでいると、もうほとんど狂人と紙一重である。高橋さんはゲッと思うようなことをけっこう淡々...正常・異常の境界例を生きた男~反時代的毒虫・車谷長吉をめぐって
およそ3~4年に1回の頻度で姿を見せる、ゴマダラカミキリ♬この日は南東の植え込みで剪定をしていた。「終わり!」と思ってふと見え上げると、この子が枝に止まっていた。探すと見つからないが、すぐそこいらにいる。子どものころから見慣れたブルーブラックの輝きが、何ともいえず美しい(ˊᗜˋ*)ゴマダラカミキリがやってきた