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さわやか易(別館) https://blog.goo.ne.jp/kanouyuukougoo

人生も歴史もドラマです。易の法則とともに考えて見ます。コメント歓迎。(猶興)

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2015/05/13

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  • 「さわやか易」カテゴリー・一覧

    浮生は夢39話(作成中)ユダヤ人の旅44話姐さんの憲法論40話アメリカを支配する者たち31話日本経済0成長の正体27話名曲はこうして生まれた50話名僧たちの求めたもの50話名画に学ぶ世界史71話20世紀からの世界史53話南北朝鮮半島物語6話ユダヤ系金融グループの世界支配6話プーチンの挑戦8話冷戦後の米中関係と日本10話~~~~~~~~~~~~~~~~おすすめHP;世界史の窓おすすめHP:趣味の歴史年表おすすめブログ:耕助のブログおすすめYouTube:経済ひとりがたり田村秀男・再生リストおすすめYouTube:ひとりがたり馬渕睦夫・再生リストおすすめYouTube:東住吉キリスト集会おすすめYouTube:日本の未来を考える勉強会おすすめYouTube:チャンネル桜おすすめYouTube:ごうちゃんねるお...「さわやか易」カテゴリー・一覧

  • 浮生は夢・目次

    1、浮生は夢の如し2、お墓の問題3、フンコロガシに思う4、衣食住楽5、インドの宗教(1)~バラモン教6、インドの宗教(2)~仏教とジャイナ教7、インドの宗教(3)~大乗仏教8、インドの宗教(4)~ヒンドゥー教9、インドの宗教(5)~イスラム教10、インドの宗教(6)~シク教11、国民性と宗教12、仏教の中国伝来(1)~三教13、仏教の中国伝来(2)~仏図澄と鳩摩羅什14、仏教の中国伝来(3)~法顕15、三つの宗教は何が違う16、一神教と多神教17、三日三晩で悟った男18、仏教の日本伝来(1)~蘇我家と物部家19、仏教の日本伝来(2)~聖徳太子20、仏教の日本伝来(3)~本地垂迹説21、仏教の多様化(1)~唐王朝22、仏教の多様化(2)~7つの宗派23、仏教の多様化(3)~鑑真の渡来24、仏教の多様化(4)...浮生は夢・目次

  • 人間と猫(2)

    親分、僕も見ましたよ。「岩合光昭の世界ネコ歩き」面白かったです。岩合さんが目の前にきて撮影しているのに良くもあんなに自然にしていられのか感心しました。そうだろう。岩合さんと猫の間に信頼関係が出来上がっているんだな。普通は自分の飼い主との間には信頼関係はあるんだろうけど、いきなりやって来た岩合さんとの間に出来る信頼関係は凄いよ。あれは岩合さんの持つ人間味が猫にも伝わっているということかな。そうですね。実は僕も岩合さんの真似をして、公園にいた猫に近づこうとしたんですが、逃げられちゃいました。失敗しましたよ。あれはなかなか難しい技術ですよ。これも、その道何十年の岩合さんの得意技だな。あれを見ていると、猫の感性というか能力はすごいものがあるよな。近づいて来る人間を見抜くんだからな。お前なんかまだまだ、邪心が抜けて...人間と猫(2)

  • 人間と猫

    親分、ご無沙汰しました。今年もよろしくお願いします。こちらこそよろしくお願いします。元気だったか?年末年始はいろいろ重なって忙しかったですよ。でも元気でした。そうか良かったな。俺はこの頃テレビばかり見ていたな。中でも一番気に入っているのが「岩合光昭の世界猫歩き」という番組なんだ。岩合光昭さんって、あの動物写真家ですか?そうなんだ。これが実に面白いんだよ。面白く考えさせられるんだな。俺は動物は全般的に何でも好きだけど、特別猫が好きという訳ではなかったんだ。だけどこの番組を見るようになってからは猫が好きになったな。へぇー、それは面白そうですね。いったいどんな番組何ですか?岩合さんが日本中、そして世界中に猫を求めて取材に行くという番組なんだが、最初カミさんが面白がって見ていたんだな。俺も時々見ていて、流石は写真...人間と猫

  • 乱世に新しい宗教は生まれる。

    武蔵坊弁慶(?~1189)親分、これから鎌倉仏教に入ると思うんですが、その頃の時代とはどんな時代だったのでしょうか?鎌倉になる前に、平安の末期がどんな時代だったかを知らないと、新しい仏教が生れるにはその背景を知らないといけないんだ。平安時代は大きな戦もなく、まあまあ平穏な時代だったと思うんだが、平安の末期になると各地で内乱が起こってくるんだ。もう貴族では治めることが出来なくなってきたんだな。そこで武士という身分が力を持って来るんだ。元々、武士というのは何をやっていたんでしょうか?簡単に言えば用心棒だな。朝廷とか有力な貴族は、いざという時の為に用心棒を抱えていたんだ。その用心棒たちが「俺たちが居なけりゃ困るだろう。もっと大事にしろや。」という風に、段々力を持ってきたんだ。何とお寺もそうなんだよ。お寺にいけば...乱世に新しい宗教は生まれる。

  • 役に立たない葬式仏教

    親分、そろそろ又、仏教に戻りませんか。今まで仏教の成り立ちみたいなことをやって来ましたが、今だに解らないことがあるんですよ。おう、そうか。どんなことなんだ?仏教は、その時の為政者が国を治めるために普及させたんですよね。じゃあ、今の僕たちには日本という国を治めていく為に必要なことは他にいっぱいありますよね。エネルギー問題とか、安全保障の問題とか、経済問題とかがありますよね。それに比べれば、統一教会事件が問題になっていますけど、宗教がそれ程重要だとは誰も思っていないんじゃないでしょうか?成程な、お前の言う通りだな。しかしな、今の日本はそれでも良く治まっているから人々は宗教を問題にしないんだよ。時代の流れに流されている状態で満足しているというか、何も考えていないからなんだよ。でも、今の仏教は葬式仏教で、法事の時...役に立たない葬式仏教

  • 新大関は何故負けるのか?

    親分、心の安定という話ですが、新大関はどうして勝てないんでしょうか?これも心の安定の問題でしょうか?その通りだ。大関になるということは大変なことで、力士にとっては夢のような地位なんだよ。関脇時代に3場所で33勝することが目安と言われている。このハードルは結構難関なんだな。最大の難関はその目安に近づいて来ると、周りが騒ぐだろう。本人も物凄いプレッシャーがかかって来るんだ。そんなハードルを乗り越えて大関になるんだよ。大変なプレッシャーだと思います。でも、そのプレッシャーを跳ね除けて、凄い力を発揮しますよね。ところが、大関になってしまうとその力が全然発揮されないとうのが不思議なくらいなんですよね。そこが心の安定が出来ないからなんだよ。大関になると、先ずマスコミが大勢取材に来る。出身地では後援会が出来たり、大小の...新大関は何故負けるのか?

  • 美人に生まれたら幸せか?

    親分、今日もよろしくお願いします。今日はな、美人に生まれたら幸せか?というテーマで話をしようじゃないか。女性にとって美人に生まれたらいいよね。何を着ても様になるし、歩いていても颯爽と見えるし、誰でも憧れるよな。差別する訳ではなくても、何となく隅には置かないですよね。何かと得をする存在になるんじゃないですか。そうだよね。ところで、じゃあ、美人に生まれたらそれで幸せか?という問題だ。お前はどう思う?取りあえず、幸せですよね。不美人に生まれるよりは幸せですよ。でも、それだけじゃありませんからね。やはり、その美人が毎日どう生きるか、どんな人たちとどんな付き合いをするかによって、幸せだったり、不幸だったり、すると思いますよ。そうだよな。美人が全て幸せになれる訳ではないし、その後の人生を見て見ないと解らないよね。かえ...美人に生まれたら幸せか?

  • 33、心の安定

    親分、ご無沙汰しました。いやいや、こちらこそだ。とにかく今年の夏は異常な暑さだったからな。もう少しで俺も参ってしまうところだったよ。どうやらこうやら、猛暑もそろそろ収まる頃だろうから、又、始めようじゃないか。ところでな、このシリーズの4番目に「衣食住楽」というのをやったよな。やりましたね。人は衣食住の他に何が満たされれば、幸せなのかというテーマだったですよね。それで、親分は楽しみを加えて「衣食住楽」と言ったんですよね。そうだったな。でも、その楽しみを楽しむためには、ただ好きな事を持てば良いということにはならないよね。例えばだ、ここに人を殺して来た人が居たとすよな。そいつの楽しみは旅行することだとするよね。旅行する金も時間も充分あるとするよね。じゃあ、そいつは楽しんで旅行することが出来るだろうか?それは楽し...33、心の安定

  • 練習②

    いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい練習②

  • 練習①

    あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ練習①

  • 桓武天皇から始まった平安時代

    桓武天皇(737~806)親分、奈良時代に仏教の権力が強くなっていたということが解りました。ところで奈良から京都に遷都したのは桓武天皇ですよね。そして桓武天皇が最澄を遣唐使として唐に新しい宗派を学ばせるんですよね。桓武天皇の時代から平安時代になりますが、時代は本当に平安だったのでしょうか?なかなか鋭い質問だな。実はな、平安どころか大変混乱していた時代だったんだよ。大体遷都なんてことをするのは平安じゃないからなんだな。前回話した道教の事件があったくらいだから、そこに子のいない女帝・称徳天皇が52歳で亡くなった。次の天皇は既に64歳の光仁天皇だが、8年後に息子に譲位している。その息子というのが、44歳の桓武天皇なんだよ。781年のことだよ。ようやく安定するんですか?ところが、ますます大変になるんだ。先ず最も信...桓武天皇から始まった平安時代

  • 皇室の大事件「宇佐八幡宮神託事件」

    道鏡(700~772)親分、ちょっと歴史を後戻りさせて申し訳ないのですが、奈良時代に僧侶の勢力が強くなり過ぎたから京へ遷都したということでしたよね。何か大きな事件のようなことがあったのでしょうか?そうだったな。詳しく説明しなかったが、実は僧侶が朝廷にからむ大きな事件があったんだよ。大仏を建立したのは聖武天皇だったよな。この聖武天皇は仏教にのめり込んで、天皇の後継者も定まらないまま自ら上皇になってしまったんだ。男子は生まれて直ぐに夭折していて、皇女が1人いたんだ。その皇女が6人目の女帝・孝謙天皇となったんだ。聖武天皇の皇后だった光明上皇后が健在中は良かったんだが、上皇后が亡くなると、天皇としての重圧から孝謙天皇は長い病に臥せってしまうんだ。天皇なんて、大変な重責ですからね。それでどうしました?大臣の藤原仲麻...皇室の大事件「宇佐八幡宮神託事件」

  • 明治維新を起こした武士たち

    山岡鉄舟(1836~1888)親分、スティーブ・ジョブズが禅をやっていたことは知りませんでした。そう考える禅というのは凄いですね。禅がなければスティーブ・ジョブズの活躍もなかった訳ですから、世の中も違っていますよね。その通りだ。禅から得るパワーは計り知れないんだ。日本人は気が付かないでいるけど、今日、日本が世界に伍して大国のような国になっているのは禅のお陰なんだぞ。えっ、それはどういうことですか?お前、日本は世界の中でも、経済でも文化でもスポーツでも堂々と世界の仲間入りをしているよな。それはいつからのことだと思う。経済的に発展したのは、昭和の高度経済成長からですよね。やはり経済大国と言われたその頃からじゃないでしょうか。そうじゃないよ。戦前から日本は世界から一目置かれる存在だったんだ。いつからとはっきり言...明治維新を起こした武士たち

  • スティーブ・ジョブズと禅

    スティーブ・ジョブズ(1955~2011)親分、少し禅について興味が湧いて来たんですが、そもそも禅をやっているのは日本だけなんですか?今ではアメリカやヨーロッパでも禅は知られるようになってきたから、やっている人はいると思うよ。確か曹洞宗の寺があるというよ。ただ向こうではゼン・センターというらしいよ。とは言っても禅の文化は日本特有と言っていいんじゃないか。でも、達磨が始めたのは中国でしょう。中国では禅はそれほど発展しなかったのですか?うん、日本から遣唐使が行った頃、そして鎌倉時代に栄西や道元が学んだ頃は、中国の禅宗も発展していたんだろうけど、明のころにはかなり衰退していたそうだ。いくらか残ってはいたんだろうけど、共産党の時代になってからは弾圧されたみたいだな。あの文化大革命の時は古い文化はまるで敵視されるほ...スティーブ・ジョブズと禅

  • 直ぐにも出来る座禅。

    親分、達磨と武帝のやり取りは面白いですね。達磨が王様に向かって、全く遠慮しないではっきりものを言うところが凄いですよ。まあな、この話は後から作られた話だろうけど、禅の僧からみるとこの世の王様なんか何の権威もないも同然なんだよ。王様だろうが、お金持ちだろうが、貧乏人だろうが、人間としては皆同じに見えるんだろう。本物の修行をして、人生観が変わってしまうとこうなるのでしょうか。たぶんそうだ。この世の世界がどう見えるかが、僧としての成長のレベルなんだろうな。俺達はちょっとした会社の社長とか、大地主とか、国会議員なんかを相手にすると、何だか引け目を感じてしまうよな。それじゃあ、まだまだ人生なんか解っていないということさ。そうですね。僕も社長の前に出ると緊張してしまいますよ。とても達磨みたいに対等の関係で話すことなん...直ぐにも出来る座禅。

  • 達磨から禅が始まった。

    宮本武蔵による達磨像親分、いよいよ禅について考えてみたいのですが、いったい禅というのは何なんですか?座禅することで知られているが、本当は何なのだろうか。勿論、仏教の一つの宗派ではあるんだろうが、他の宗派とは違う気もするし、一緒に考えてみようじゃないか。先ず、禅というのは何処で、そして何時から始まったのですか?うん、仏教の発祥地であるインドだろうとは思うんだが、はっきりしないらしいんだ。中国に伝わったのは5世紀の後半に達磨(ダルマ)が有名になったのが始まりのようだな。南北朝の宋の時代にやって来たと伝えられている。出身については良く解らないらしいが、南天竺の国王の王子として生まれたとか、ペルシャ生まれで各地を歩いて中国にやって来たとか、中国に来た時は齢150歳になっていたというのさ。達磨と言えば、武帝とのやり...達磨から禅が始まった。

  • 仏教の進化発展

    親分、仏教というのは次々と新しい宗派が出来、どんどんと進化してきたんですね。キリスト教とかイスラム教とかはそんなに進化するもんじゃないでしょう。そうだな、キリスト教の場合はカトリックが16世紀頃、宗教改革でプロテスタントが出来てるな。枝分かれみたいなことが起こっているな。これも進化したと言えるかも知れないが、仏教の進化とはちょっと違うよな。お釈迦様が最初に普及させたのが原始仏教で、その後にいくつもの部派に別れるんですよね。それが上座部仏教と大衆部仏教となり、上座部仏教はスリランカに定着する。大衆部仏教の中から、竜樹が唱えた仏教を大乗仏教と言って、これが中国や日本に広まるんですよね。そうだ。良く覚えているな。中国でも日本でも次々と新しい宗派が出来て、7つか8つの宗派に別れますよね。それが奈良時代で、「南都六...仏教の進化発展

  • 仏教の多様化(5)~空海が真言宗を開く

    空海(774~835)親分、平安時代にもう1人空海が新しい密教を開いたと言いましたよね。空海とはどんな人なんですか?最澄が秀才型とするならば、空海は天才型と言えるかな。最澄は天皇直々に選ばれて、遣唐使になったんだが、無名だった空海は自費で唐に渡ったんだ。行った年は同じ804年だが、一緒に行った訳ではない。秀才と天才ですか?空海はどんなところが天才的なんですか?天才には人一倍運がついているんだ。唐に渡った空海は真っ先に長安に行き、密教の第一人者と言われた青龍寺の恵果(けいか)を訪ねる。恵果和尚は一目で空海の非凡さを見抜き、「待っていたぞ。」と歓迎した。そして何百人も弟子がいる中で空海に密教の全てを伝授したんだ。恵果和尚は空海に出合った半年後に60歳で入寂している。あたかも自分の後継者を待っていたようにだ。空...仏教の多様化(5)~空海が真言宗を開く

  • 宗教の多様化(4)~最澄が天台宗を開く

    最澄(767~822)親分、仏教には色んな宗派があることは解ったんですけど、その中でも最後に出てきた「密教」ってなんですか?なんだか怪しげな感じがしますよね。秘密の蜜だからな。確かにこれは秘密の仏教なんだよ。それまで色々と宗派が出来たけれど、公開された宗派だから「顕教」と言われていたんだよ。ところがな、仏の世界に入る秘密の方法があると言うので、「密教」というのが出来たらしいんだ。ますます怪しげですね。日本にも来たんですか?勿論だよ。これが特に日本とチベットで大いに流行するんだな。日本の奈良時代に「南都六宗」が出来た話は先日したよな。密教はその後、都が京都に移った後に伝わるんだ。これが、「天台宗」と「真言宗」なんだが、二つとも重要な役割を果たすことになるんだ。面白そうですね。密教を中国から持ち帰ったのは最澄...宗教の多様化(4)~最澄が天台宗を開く

  • 仏教の多様化(3)~鑑真の渡来

    鑑真(がんじん)(688~763)親分、中国の仏教が多様化したということは日本の仏教も多様化したんですよね。その通りだ。僧たちは競って新しい仏教を求めるものだから、時をおかずに日本でもあっという間に6つの宗派が奈良時代には出来ているんだ。中国と全く同じなんですか?いや、少し違うと思うんだが、「南都六宗」と呼ばれる6つの宗派なんだよ。「三論宗」、「成実宗」、「法相宗」、「俱舎宗」、「華厳宗」、「律宗」の6つだよ。遣唐使が向こうから学んで来るんですか?その場合もあるし、向こうから渡来僧といって日本に招かれて来日した僧もいるんだ。遣唐使とか渡来僧とかは、当時は命がけで海を渡ったんですよね。何か凄いドラマがあるんじゃないですか?それぞれドラマチックな体験だろうが、渡来僧の中でも日本の律宗の祖となったのが鑑真(がん...仏教の多様化(3)~鑑真の渡来

  • ブログ開設17周年を迎えて

    残暑お見舞い申し上げます。毎年夏は暑いのですが、今年は特別に暑いような気がします。猛暑、酷暑、危険な暑さという表現がぴったりですね。コロナの制限がようやく緩和され、花火大会などの行事も復活いたしました。4年ぶりという行事もあるようです。パンデミックという言葉は聞かれなくなりましたが、やはり今回の新型コロナウィルスの蔓延は世界的な疫病だったのでしょう。先日ある講演会で聴いた話ですが、現在日本の15歳から40歳までの死因のトップは自殺だということです。何ということでしょうか。少子化で若者が減っている時代にその若者が自殺に追い込まれている。それは由々しき問題ですね。コロナによる経済的破綻もあるでしょうが、セーフティネットはないのでしょうか。これでは日本は良い国とは到底言えません。日本の場合は路上や河川敷などに寝...ブログ開設17周年を迎えて

  • 仏教の多様化(2)~7つの宗派

    親分、中国にとって当時の仏教は政治的にもぴったりだったんでしょうね。そうなんだ。唐王朝にとっては人心安定になくてはならないものだったんだ。その点では、発祥元のインドでは段々と仏教は離れていき、ヒンドゥー教が次第に定着していったんだよね。そうですか、仏教の中心は中国や朝鮮、日本になって行くんですね。うん、タイやインドネシア、ベトナム、それにチベットなんかは仏教国になるんだよね。解りました。ところで、唐王朝では仏教の色んな宗派が出来るんですよね。どんな宗派なんですか?いいか、華厳経を基本経典とする「華厳宗」、法華経を基本経典とする「天台宗」、玄奘を始祖とする「法相宗」、極楽浄土への往生を説く「浄土教」、戒律を研究実践する「律宗」、座禅修行により仏道を極めようとする「禅宗」があるんだが、その後にインドから新しく...仏教の多様化(2)~7つの宗派

  • 仏教の多様化(1)~唐王朝

    玄奘(602~664)親分、仏教がインドで生まれ、やがて中国、朝鮮を経由して日本に伝わって来たことは解ったんですが、聖徳太子や聖武天皇が広めた仏教は今の仏教と違いはあるのでしょうか?基本的なところでは違いはないだろうが、仏教というのは、お釈迦様いらい次々と新しい解釈が加わって、1000年以上に渡って成長してきたというか、少しづつ変わって来たんだよな。それで色んな宗派があって、解り難いんですよ。なんか良く解る手掛かりはないんでしょうか?俺は解らないままで差支えはないと思うんだが、どんな風に発展したかを順を追って知ってみるのも一つの手がかりになるんじゃないか。そうですね、じゃあ、この辺でどんな宗派に別れたかを整理してくれませんか?中国では南北朝時代から隋の時代に一気に仏教が流行ったことは、前に話したよね。はい...仏教の多様化(1)~唐王朝

  • 仏教の日本伝来(3)~本地垂迹説

    聖武天皇(701~756)親分、聖徳太子が創建した寺は今でもあるんでしょうか?あるとも。太子が創建した主な寺を七大寺と言われるんだが、今でも健在だよ。中でも四天王寺や法隆寺などは有名だからお前も聞いたことはあるだろう。そうすると、太子が憲法で「篤く三宝を敬え」と唱えたからには、古来からの神道はいらないことになってしまいますね。それが、そうでもないんだよ。聖徳太子は仏教の寺も次々と創建しているんだけど、一方で神道の神も篤く祀っているだな。太子が創建した四天王寺の境内には鳥居があり、伊勢遥拝所、熊野権現遥拝所、守屋祠があるんだ。聖徳太子には他にも仏教を広める功績があるんですか?太子はかなりの高僧と言っても言い過ぎじゃないほど、仏教に精通していたんだよ。法華経、維摩経、勝鬘経(しょうまんぎょう)という三つの聖典...仏教の日本伝来(3)~本地垂迹説

  • 仏教の日本伝来(2)

    聖徳太子(574~622)親分、いよいよ聖徳太子の登場ですね。そうなんだが、これは蘇我馬子という傑出した戦略家の存在が大きいんだな。蘇我馬子はそんなに凄い人なんですか。うん、大混乱の中から新しい秩序を作ったのが蘇我馬子なんだよ。仏教に激しく反対していた物部一族を戦争で滅ぼすんだが、その後も容易には収まらなかったんだな。何しろ、天皇家までが曾我側と物部側に真っ二つに別れてしまっていたから、用明天皇の次が中々決まらなかったんだ。先ず物部側の皇子が名乗りを上げるんだが、馬子は暗殺してしまう。この皇子は聖徳太子の母の弟だったのさ。次に馬子はその弟皇子を崇竣(すしゅん)天皇とするんだが、馬子と対立してしまい、結局暗殺されてしまうんだ。それでは、蘇我馬子は天皇になるべき人と、現天皇の二人を暗殺したことになりますね。そ...仏教の日本伝来(2)

  • 仏教の日本伝来(1)

    推古天皇(554~628)親分、仏教が日本に伝わったのは何時のことなんですか?飛鳥時代だな。すなわち奈良に朝廷があった頃だよ。何かドラマがあるんでしょうね。あるよ。日本には元々神道という立派な宗教があるからな。尤も神道というのは、理屈とか説明の要らない宗教を超えるような自然崇拝みたいなものなんだな。どうやって仏教が入ってきたんですか?まあ、中国に仏教が入って、間もなく朝鮮を通って、入ってきたんだが、5、6世紀には渡来人と言って中国や朝鮮から渡って来た人たちは結構いたらしいんだ。その渡来人から伝わったんだよ。でも、正式に朝廷にまで伝わったのは欽明天皇(509~571)の頃ということだ。当時、朝鮮は三つに分かれた三国時代だったんだ。つまり、百済(くだら)、新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)だな。その中で最も日...仏教の日本伝来(1)

  • 三日三晩で悟った男

    親分、仏の世界に到達するのを、「悟る」というんですね。そして、その境地に達するには一心不乱に修行する必要があるんですよね。お釈迦様でも10年位の修業時代があったんですよね。そうすると、普通の凡人では先ず無理ですよね。それがな、そうでもないんだよ。俺が読んでいる月刊誌「致知」に円覚寺の横田南嶺さんの「禅語に学ぶ」という連載があるんだよ。そこにな、三日三晩で悟った男の話が出ていたんだ。いったいどんな話なんですか?白隠禅師(1685~1768)が書いている書物にあるそうだが、ある日一人の男が訪ねて来た。名を山梨平四郎といい、42歳の造酒業を営む者なんだ。その男が不思議な体験談を聞いて貰うために白隠禅師の所に来たんだな。話によると、長男を早くに亡くして、山中の不動明王をお祀りした。その時、滝つぼに落ちる水の泡を見...三日三晩で悟った男

  • 一神教と多神教

    親分、宗教には一神教と多神教があると言われますよね。キリスト教やイスラム教は一神教ですよね。ところで仏教も一神教なんでしょうか?仏教は一神教という言い方はしないよね。でも、多神教では勿論ないよな。仏教では普賢菩薩とか文殊菩薩とか大日如来だとか阿弥陀如来だとか、色んな仏様があるじゃないですか。その辺の区別はどうなっているんですか?確かにな。お寺によって拝む対象がいろいろあるよな。でもな、仏の世界というのは本来一つしかないんだから、その菩薩とか如来というのはその仏の世界に導いてくれる先導役みたいなものと考えたらいいんじゃないか。じゃあ、お釈迦様を神とする一神教と考えてもいいんですか?いやいや違うよ。釈迦だって仏様そのものではないんだからな。釈迦は仏の世界を始めて覚った人なんだよ。修行の結果、人間と仏の関係をは...一神教と多神教

  • 3つの宗教は何が違う

    親分、キリスト教とイスラム教そして仏教、この三大宗教の基本的な違いは何なのでしょうか?それは難しい質問だな。どう考えるかで答えも違ってくるよね。一つの切り口として、キリスト教の祖・イエス・キリスト、イスラム教の祖・ムハンマド、仏教の祖・釈迦がそれぞれどんな時代にどんな環境の中でその宗教を立ち上げたかを考えるのも面白いんじゃないか。なるほど、それは面白いですね。先ず、キリスト教から考えると、イエスが生きた時代はユダヤ人たちはローマの支配下にあって、圧政に苦しんでいた時代だよな。イエスが愛による新しい信仰を唱えた時、ユダヤ教の祭司たちはそれを認めず迫害した。最後はローマ軍によって処刑されている。残された弟子たちによって、イエスをメシアとする宗教が生まれたんだよね。そうですね。その弟子たちも大変な迫害の中で新し...3つの宗教は何が違う

  • 仏教の中国伝来(3)~法顕

    アショーカ王宮殿跡の法顕(337~422)親分、中国の方からインドに勉強しに行った僧はいないんですか?法顕(ほっけん)という僧がいるんだが、これが中々のドラマなんだよ。ところで、お前の定年は何歳なんだ?一応、60歳ですが、その後も何とか働くことは出来るようです。そうか、伊能忠敬は50歳で家督を息子に譲り、江戸に出て、天文観測と測量を勉強して、55歳から日本中を測量して回り、74歳までがんばって日本地図を作成するんだよな。そうですね。当時としては珍しく晩年になってからの活躍ですよね。法顕という僧はその上手を行くような人なんだよ。若くして出家して修行した僧なんだが、どうしても納得出来なかったところがあったので、仲間と共に64歳の年で長安からインドに向かうんだよ。それは凄いですね。一行はインドを目指して約200...仏教の中国伝来(3)~法顕

  • 仏教の中国伝来(2)~仏図澄と鳩摩羅什

    仏図澄(232=349)親分、仏教は何処から中国に入って来たのでしょうか?龍樹によって完成した大乗仏教は民衆の救済を目指す教えだから、拡散力があったんだ。中国へは中央アジアの方から伝わったんだ。中央アジアにもいくつも都市があって、多くの僧たちもいたようだな。その僧たちの中には後漢の終わり頃には中国に進出する者もいたんだ。有名なのが、仏図澄(ぶっとちょう)という僧で、約900の寺院を作り1万人以上の弟子を持ったというんだ。それは凄いですね。どうしてそんなことが出来たんでしょうか。晋が滅んで五胡十六国時代という言わば戦国時代だった。後趙という国の王に軍師として採用された仏図澄が戦地で次々予言を当てて勝利に貢献したんだな。王から「大和尚」と呼ばれ、信頼と協力を得たんだろうな。高僧になった弟子もいたようだ。次々と...仏教の中国伝来(2)~仏図澄と鳩摩羅什

  • 中国の三教

    老子親分、お釈迦様によって生まれた仏教がインドで受け入れられなかったのは解ったんですが、どうして中国や日本に広まったのでしょうか?そうだな、中国にはその以前から儒教という安定した思想が定着していたからな。儒教が最も盛んだったのは、中国では「漢」の時代だよな。漢は前漢、後漢と合わせて400年間位あったんだな。漢が滅んで、三国志の時代が来るだろう。世の中が混乱し、戦国時代になったりして、その後「晋」が統一を果たすんだが、中々定着しないような時代が続いたんだよ。6世紀の終わりころ、ようやく「隋」が起こるんだ。そうした混乱期というのは、新しい宗教が生まれるチャンスでもあるんだよ。そこに入ってきたのが仏教なんだよ。成程ね、国が安定している時代には新しい宗教は入る余地がないんですね。それはそうさ、国を支配する王にして...中国の三教

  • 国民性と宗教

    村上和雄(1936~2011)親分、インドの宗教を聞いて思ったんですが、宗教というのはその国の国民性によって定着するんだってことですね。お釈迦様がせっかくインドに生まれているのに、仏教はそれ程定着しなかった。ヒンドゥー教はカースト制度を生んだという矛盾もありながらもインドでは定着した。それは、インドの国民性が選んだものなんですね。そうだな、俺は国民性というのはその国の地政学的な気候風土が左右していると思っているよ。インドは何しろ国土が広いだろ。そこに人口が14億人もいるんだから、いろんな考え方があるよね。その多様性を受け入れる宗教じゃなければいけないし、統治する側にとっても統治しやすい思想じゃなければいけないだろう。そんな条件が満たされたのが、インドではヒンドゥー教なんじゃないかな。ヒンドゥー教には他の宗...国民性と宗教

  • インドの宗教(6)

    ナーナク(1469~1539)親分、ではシク教について教えてください。シク教というのは、16世紀の始めにイスラム教のムガル帝国が起こる頃、ナーナクとい人物によって誕生した宗教で、ヒンドゥー教とイスラム教を合体させたような宗教なんだ。ヒンドゥーの輪廻転生は信じるけれどカースト制度は認めない。イスラムの一神教は信じるけれど他宗教を排することはしない。「平等、友愛、謙遜」という価値観を共有して助け合っていこうという宗教なんだ。出家して修行したりせずとも、自分の家業に真面目に取り組むことを奨励し、仲間の共同体を大事にしようというんだよ。なんだか、解りやすくていいですね。今でも健在なんですか?シク教の信者は現在2600万人位いて健在だよ。世界で信徒の多い順にいうと、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教でその次...インドの宗教(6)

  • インドの宗教(5)

    親分、何が新しく入ってきたんですか?8世紀になると、アラビア半島で生まれたイスラム教が物凄い勢いで、東西に拡大して来たんだよ。イスラム帝国のアッパース朝がインドを席巻したんだよ。このイスラム教の教えは説得力があったとみえて、瞬く間に民衆にも広まったんだ。何がそんなに良かったんですかね?何時の時代にも、貧しさに苦しむ貧困層はいるもんだ。インドでも、貧しさやカースト制度の差別に苦しむ大衆の間には、イスラム教の「神の前には平等」という教えが受けたんだろうな。ヒンドゥー教は多神教で、イスラム教は一神教なんだが、対立しながらも800年くらいインドはイスラム教が主役だったんだ。イスラム教というのは、凄い力があるんですね。8世紀から800年後というと、もう近代ですよね。近代になると、どうなったんですか?イギリスが東イン...インドの宗教(5)

  • インドの宗教(4)

    親分、お釈迦様よりナーガールジュナの方が大きな存在ですよね。会社でもそうだろうけど、創業者がいて、後からその会社を大きく発展させる人が出てくる。どちらが偉いということではないと思うよ。仏教が日本にまで盛んになったのは、その後色んな人が係わっているんだ。でも、創業者というのは、やはり特別な存在だろうよ。そうですね。とろで、ナーガールジュナについて、どんな話が伝わっているんですか?ナーガールジュナは長いので竜樹と呼ぼう。こんな話だ。バラモンの家系に生まれた竜樹は同じくバラモンを目指す仲間と学んでいた。中でも優秀な4人組の1人だった。ある時、竜樹は仲間に行った。「俺たちは学問は卒業した。ここらで、はめを外して遊びまくろうや。」4人は街に出て女遊びを始めた。「どうせなら、もっといい女と遊ぼうじゃないか。」4人は宮...インドの宗教(4)

  • インドの宗教(3)

    ナーガールジュナ(竜樹)親分、仏教のお経というのは何百とあると聞いたんですが、どうしてそんなにあるのですか?それほど複雑なんでしょうか?釈迦が各地を行脚して説法して歩いている時、多種多様な人たちに、相手に応じて解るように話していたんだよ。だから、相手によって受け取り方が違うんだよ。なにしろ、目には見えない仏の世界を説明するんだから、解るように説明するのは大変だっただろうな。その説法を弟子たちが聞いて、書き残したのが仏典のもとになっているんだ。お釈迦様が書き残したものはないのですか?ないんだよ。イエス・キリストも、中国の孔子も本人の書き残したものはないんだ。みんな弟子たちが弟子たちに伝えてたものだから、釈迦が死んで100年位たつと、解釈も随分違ってきたんだ。解釈の違いで教団も内部分裂していく。戒律も厳しく守...インドの宗教(3)

  • インドの宗教(2)

    ヴァルダマーナ親分、バラモン教に反発して、もう一つ同じ時期に、出来た宗教があると言いましたよね。そうだ、ジャイナ教のことだな。やはり王族出身のヴァルダマーナという人が、30歳の時に全ての財産を捨てて出家したんだ。約12年間の苦行の末、「完全なる知」の世界を体得したらしいよ。徹底した禁欲、無所有、不殺生を貫くという戒律があるんだよね。だから、外を歩く時にも虫を踏まないようにほうきで前を掃きながら歩かねばいけないそうだ。無所有ということは、着るものも最小限にし、白衣位しか身に付けない。禁欲だから勿論、女性とは接してはいけないんだ。その戒律はあまりにも厳し過ぎるんじゃありませんか。そんな厳しい宗教に信者が集まったんですか?ところが、厳しい戒律を求める信者はいたとみえて、一時は一大宗教になったらしいよ。でも、続い...インドの宗教(2)

  • インドの宗教(1)

    親分、素朴な質問ですが、仏教を作ったのはお釈迦さまですよね。お釈迦さまはインド人なんですよね。インド生まれのお釈迦さまが仏教を作ったのに、どうしてインドではヒンドゥー教なんですか?そうだな、インド人の大半はヒンドゥー教徒なんだよね。仏教を知るにはどうして仏教が出来たのかを知る必要があるよな。その辺から考えて見ようじゃないか。お願いします。あのな、インドは色んな宗教が生れているんだよ。大きいところで、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、シク教と4つはあるんだ。でな、仏教が生れる前に、バラモン教というのがあったんだ。このバラモン教に反発して、仏教とジャイナ教というのがほぼ時期に出来たんだよな。時代はおよそ、紀元前5~6世紀くらいらしいよ。どうして、バラモン教に反発したんですか?バラモン教というのは輪廻思想、つまり...インドの宗教(1)

  • 衣食住楽

    仏教の話をする前に、お前に聞きたいんだが、お前は何を目的に毎日生活しているんだ?何を目的ですか。そうですね、仕事を納得のいくまでやってみたいということですかね。それと、子供たちがちゃんと育つように手助けをしてやりたいということですかね。そうすると、楽しみは仕事がうまくいくことと、子供の成長だな。ところで、人間が生きる上で、必要な3大要素として、「衣食住」と言うよな。でも「衣食住」が満たされたら、それで人間は幸せと言えるんだろうか。生きていくためには、その三つがなくてはならない最低条件だと思いますが、例えば、刑務所に服役していても、「衣食住」は保障されるでしょうが、幸せな状態ではありませんよね。又、不治の病で入院生活をしていたとしても、幸せとは言えません。ですから、僕は「衣食住」の次に自由と健康が幸せな生活...衣食住楽

  • フンコロガシに思う

    親分、昨日、面白い動画を見たんですよ。昆虫のフンコロガシって知ってますか?知ってるよ。あれは黄金虫の仲間で糞虫とも言うんだよな。牛のような草食動物の糞を丸くして、運んで、そこに卵を産み付ける昆虫だよな。逆立ちみたいな恰好で前足で押していくのが面白いんだよな。そうなんです。一匹のフンコロガシが自分より何倍も大きな糞を転がしているんですが、そこに別のフンコロガシがその糞を奪いに来るんですよ。それで、そいつは奪われては大変だから、糞の上に乗ってその敵を何度もパンチを食らわせて、追い払うんです。ところがその敵も諦めずに何度も何度も、向かってくるんです。その必死さが面白くて、笑ってしまいましたよ。一年位前だったか、俺もその動画を見たぞ。面白かったな。俺が見た動画では、その挑戦者が最後に逆転して自分の物にするんだ。元...フンコロガシに思う

  • お墓の問題

    親分、実は親分に聞いてみたいことがあるんですよ。お墓の問題なんですが、僕の両親はもう亡くなりましたが、二人とも九州出身で、お墓もそっちにあるんですよ。でも僕はこっちで育っていますから、九州には殆ど馴染みがないんですよね。だから、僕自身は死んだ後、九州の墓に入るのはどうも腑に落ちないというか、こっちに子供たちもいるし、どうしたらいいか考えちゃうんですよね。成程な、それは都会に住む人誰もが考える問題じゃないか。その為に田舎のお墓とは別に都会周辺に霊園が沢山出来るようになったんだよ。近くにもあるし、樹木葬とか色んなタイプがあるから、考えてみたらいいんじゃないかな。そうですか。でもどうも僕にはお墓に対して疑問があるんですよね。「千の風になって」という歌があるじゃないですか。「そこに私は眠ってなんかいません。」とい...お墓の問題

  • 浮生は夢の如し

    親分、お久しぶりです。お元気でしたか。おお、久しぶりだな。確か、3年前に「日本経済0成長の正体」をやって以来だな。あの時は面白かったよ。そうでしたね。色々勉強させてもらいました。コロナが始まった頃でしたね。確か、東京都の小池知事が毎日「今日の感染者は何人でした。」と記者団の前で発表していた頃でしたね。あれから3年も経つのに、未だコロナは収束しないんですから大変なことですよね。日本ばかりか、世界中が影響を被って世界同時不況になりつつありますね。その上、ウクライナ戦争でしょ。この先、どうなるか心配ですよ。まったくだ。何とかならないものかね。でもな、そう心配ばかりしていても、どうにもならないから個人的には元気を出して、がんばって行くしかないだろう。そうですね。ところで親分、「さわやか易」に新しいテーマで何か始め...浮生は夢の如し

  • 「ユダヤ人の旅」目次

    1、ユダヤ人についての何故2、乳と蜜の流れる土地3、ソドムとゴモラ4、イサクとイシュマエル5、モーセの十戒6、ダビデの孤独7、栄華を極めたソロモン8、バビロン捕囚9、ギリシャのポリス10、ペルシャ帝国物語11、アレクサンダー大王の奇跡12、ディアドコイ戦争とヘレニズム3国13、カルタゴとローマ14、ローマ帝国の内乱と統一(1)15、ローマ帝国の内乱と統一(2)16、イエス・キリスト(1)17、イエス・キリスト(2)18、ユダヤ人のディアスポラ(民族離散)19、ユダヤ人とキリスト教20、ササン朝ペルシャと東ローマ帝国21:イスラム教の成立22:スンニ派とシーア派23:イスラム帝国の繫栄とユダヤ人24,十字軍からの大混乱25、ユダヤ人迫害の始まり26、スペインの異端審問所27、皇帝と教皇28、ユダヤ人とオスマ...「ユダヤ人の旅」目次

  • (44)現代に活躍するユダヤ人(その4)「マック」から「GAFAM」まで

    ラリー・ページ(左)とセルゲイ・プリン(共に1973~)ファーストフードチェーンの「マクドナルド」創業者レイ・クロック(1902~1984)も、コーヒーショップチェーンの「スターバックス」CEOのハワード・シュルツ(1953~)も、映画監督のスティーブン・スピルバーグ(1946~)もユダヤ人である。現在のアメリカではあるゆる分野に目覚ましい活躍を遂げているのがユダヤ人なのだ。中でもIT産業でのイノベーションを起こした創業者、CEOは軒並みユダヤ系であることには驚かされる。「GAFAM」とは言わずと知れたIT企業の雄である5社、「Google」、「Amazon」、「Facebook」、「Apple」、「Microsoft」の頭文字を並べた呼び名である。2020年の日経新聞によると、この5社の時価総額は計56...(44)現代に活躍するユダヤ人(その4)「マック」から「GAFAM」まで

  • (43)現代に活躍するユダヤ人(その3)ボブ・ディラン

    ボブ・ディラン(1941~)ボブ・ディランの祖父母はロシアのオデッサ(現ウクライナ)とリトアニアからの移民である。ユダヤ人としてはアシュケナジムに属する。父と母は小規模だが絆の強いミネソタのアシュケナジム・ユダヤ人の一員だったという。ボブは1941年5月24日にミネソタ州ダルースに生まれている。1946年、弟デイヴィット誕生、翌年、一家は100キロ北の砂鉄の産地で知られる鉱業都市・ヒビングに転居する。(露天掘り鉄鉱床としては世界一で全米各地のUSスチール工場で鉄鋼に加工される。)ボブは幼少期より家にあったピアノを独習し、ラジオから流れる音楽を聴いて育った。やがて、ギターを覚え、ピアノを弾いて、レコード店に入り浸った。ハイスクール時代はロカビリーの全盛期で、エルビス・プレスリーに憧れ、バンドを組んで、演奏活...(43)現代に活躍するユダヤ人(その3)ボブ・ディラン

  • ブログ開設16周年を迎えて

    残暑お見舞い申し上げます。相変わらずコロナが収束致しません。既に3年目です。今年は又新しい問題、すなわちウクライナ戦争が加わり、何だか不安な時代にならないかと心配です。このブログでは4年前に、「プーチンの挑戦」というタイトルで7話を掲載していました。その頃の記事は瀕死の状態にあったロシアをプーチン大統領という傑出した人物が登場することによって、アメリカの一極覇権戦略を食い止めたという設定になっていました。4年後に戦争という手段で、プーチン大統領が西側に牙を向けて来るとまでは想定も出来ませんでした。プーチン大統領の立場に立てば、NATOという西側の軍事同盟が、ロシアの喉元まで迫って来たことへの已む無き強硬手段だということでしょう。ロシアという国を中心に考えれば、戦争を誘発した原因は西側にあるとも言えます。し...ブログ開設16周年を迎えて

  • (42)現代に活躍するユダヤ人(その2)ジョージ・ソロス

    ジョージ・ソロス(1930~)1930年、ジョージ・ソロスはハンガリーのブタペストで弁護士の父ティヴォドア、母エリザベスの二人兄弟の次男として生まれた。ユダヤ人であるソロス一家は常に死の危険と隣り合わせの中にいた。父は第一次世界大戦の戦中と戦後に捕虜となり、ロシアの捕虜収容所から脱走した経験がある。ジョージが13歳の時、ハンガリーはナチス・ドイツの支配下になり、ユダヤ人に対するホロコーストが始まった。父は家族に偽造の身分証明書を作り難を逃れた。ブタペストでナチス・ドイツ軍とソ連軍による熾烈な市街戦を目の当たりにすると、ジョージはハンガリーを脱出し、ロンドンに逃れた。学費も生活費もすべて自分で稼がねばならなかったが、1947年ソロスは経済学の名門LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)に入学する。昼...(42)現代に活躍するユダヤ人(その2)ジョージ・ソロス

  • (41)現代に活躍するユダヤ人(1)キッシンジャー

    ヘンリー・キッシンジャー(1923~)世界大恐慌が世界を侵食し、大不況に喘ぐドイツでは1933年に、ヒットラーが率いるナチス政権が席捲する。第一次世界大戦で敗れ、大不況に見舞われているのは第一にユダヤ人による裏切りがあったからだと信じるナチスは徹底的にユダヤ人を弾圧した。少しでも余裕のあるユダヤ人たちは競って外国へ逃れる。バイエルン州フェルトで女子高の教師をしていたキッシンジャーの家族も1938年にアメリカに亡命することになった。15歳の長男のヘンリーは父母と1歳下の弟とともにニューヨークの小さなアパートに移り住む。父親は仕事探しに明け暮れるが、就職口はない。ヘンリーはジョージ・ワシントン高校の夜間クラスで勉強する傍ら、昼間は髭剃り用ブラシをつくる工場で働き、週15ドルの賃金を手にした。それが一家のアパー...(41)現代に活躍するユダヤ人(1)キッシンジャー

  • プーチンの挑戦(8)~NATO東方拡大~

    ミアシャイマー(1947~)2022年2月に始まったウクライナへのロシア軍の軍事行動に対しては、ロシアのプーチン大統領は世界中から非難されている。しかし、プーチン大統領の言い分は誰も耳を傾けようとしない。そうした中でも、反対意見を発言する人はいる。シカゴ大学のミアシャイマー教授はこの戦争の責任はアメリカにあると当初から言っている。彼はこう言っている。「アメリカやイギリスといった西側諸国で広く受け入れられている一般通念では、このウクライナ危機で責任があるのはプーチンであり、ロシアであるということだ。つまり、悪い輩と良い輩がいて、私たちが良い輩、ロシア人が悪い輩だということだ。しかし、これはまったく間違っている。アメリカとその同盟国、とりわけ、アメリカが責任を負っている。」そして、「アメリカ主導の西側諸国が3...プーチンの挑戦(8)~NATO東方拡大~

  • プーチンの挑戦目次

    1、ソ連崩壊とオリガルヒ2、オリガルヒとの対決3、オリガルヒの逆襲4、プーチン対ブッシュ5、プーチンの逆襲6、メドベージェフ対オバマ7、グローバリズムとの戦い8、NATOの東方拡大プーチンの挑戦目次

  • (40)バルフォア宣言とホロコースト

    ウィルソン大統領(1856~1924)第一次世界大戦でのドイツの進撃は目覚ましかった。2年が経過した頃、イギリスもフランスも消耗戦に疲れ果て、どうにか講和が図れないかと模索していた。アメリカはヨーロッパの戦争には手を出すべきではないと静観を守っていた。パレスチナの地にユダヤ国家を建設しようというシオニストたちは一計を巡らした。イギリスの戦時内閣に提言をする。「諦めるのは未だ早い。アメリカが参戦してくれたら勝つことは間違いない。私たちがアメリカを動かし、ドイツを潰してもらいましょう。その代わり約束して下さい。戦勝の暁にはパレスチナの地にユダヤ人国家を作ってください。」1916年10月、イギリス戦時内閣はこの条件を呑んでアメリカの参戦に運命を託すことになる。アメリカには政府を動かすユダヤ人組織がある。当時の大統領ウ...(40)バルフォア宣言とホロコースト

  • (39)世界中が見捨てたユダヤ人

    エビアン会議が行われた「ローヤル・ホテル」19世紀後半から世界は帝国主義の時代になる。イギリス、フランスは植民地獲得競争にのめり込み、ロシアはロマノフ王朝が行き詰まり、レーニンによるロシア革命が起こった。植民地競争に出遅れたドイツのヴィルヘルム二世は経済発展を武器に世界の覇権を狙った。その結果、未曾有の第一次世界大戦が起こり、先陣を切ったドイツは全責任を負わされ天文学的賠償金を背負い込む。大戦に一人勝ちしたアメリカは狂乱時代を迎えるが、やがて金融大恐慌に突入する。不景気の嵐は世界中に広がり、各国は自国の失業者対策で精一杯、他の国を考える余裕はなくなっていた。ヒットラーの積極政策でどん底から立ち直ったドイツも再びどん底に落ち、非常手段に突き進むしかなかった。ナチスは共産主義者とユダヤ人をドイツ人の敵とみなして迫害...(39)世界中が見捨てたユダヤ人

  • (38)FRBの誕生秘話

    ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)アメリカの独立宣言は1776年である。イギリス政府は東海岸にあった大小35の植民地から税金を取っていたが、議員参加は認めていなかった。植民地からすると、意見は聞いてもらえないのに税金だけは取られるということに反発したからである。開拓し、開発するには莫大な投資が必要であり、その投資をしてきたのはロスチャイルド家を始めとするユダヤ人の投資家だった。建国するに当たって、ユダヤ人投資家たちは建国後も金融的支配だけは自分たちのものにしようとした。そこで、アメリカに通貨の発給権を伴う中央銀行を設立しようとした。ところが、ベンジャミン・フランクリンなどが一部の人が通貨を支配することは危険だと反対した。結局、完全な形での中央銀行は出来ないまま100年以上が経ってしまった。南北戦争...(38)FRBの誕生秘話

  • (37)アメリカでの大躍進

    東ヨーロッパでポグロムが行われ、フランスでドレフェス事件があった頃の19世紀の後半、アメリカ大陸では産業の大拡大にまい進していた。南北戦争が北軍の勝利で終わると、アメリカは北部を中心に一大工業国として、石油、鉄鋼、造船などの重工業が中心とする第2次産業革命の時代に入っていた。19世紀後半には工業生産はイギリスを抜いて世界一になっている。その中で、ロックフェラーやモルガンなどのユダヤ人の大財閥が出現している。ユダヤ系巨大資本家は政治をも動かし、業界を独占し、企業は世界的規模にまで発展していった。開拓者として最初にアメリカ大陸に渡ったのは、ピューリタン革命後のイギリス人ではあるが、ヨーロッパ各地で迫害に遭っていたユダヤ人たちも相次いで新大陸アメリカに渡った。新大陸では移民たちばかりで人種の差はなく、ユダヤ人だろうが...(37)アメリカでの大躍進

  • (36)シオニズム運動

    テオドール・ヘルツル(1860~1904)ヨーロッパでは国内の景気が悪くなると、国民の間に不満のはけ口としてユダヤ人に対する「反ユダヤ主義」に走る傾向があった。ハンガリー生まれのユダヤ人ヘルツルはウィーンで法律、ジャーナリズム論、文学を学んだ。ドイツ的教養を身に着けたヘルツルは新聞記者として働いていた。1894年にフランスで起きた「ドレフェス事件」を取材することになったが、余りにも根深いユダヤ人に対する偏見に遭遇してショックを受ける。「これは政治や宗教で何とかなる問題ではない。ユダヤ人はユダヤ人の国を作るしか方法はない。」そう考えるようになった。日本人からすると、ユダヤ人なら誰でもそう考えるだろうと思うだろうが、ユダヤ人の間でそんなことを考える人は誰もいなかった。何故か。ユダヤ人たちは、自分たちが世界中で迫害さ...(36)シオニズム運動

  • (35)ドレフェス事件

    フランスは1870年に起こった普仏戦争に敗れ、経済の低迷が続いていた。国民は一方的に戦争を仕掛けられ、鉄鉱石や石油の豊富なアルザス・ロレーヌ地方を奪っていったドイツを恨んでいた。そんな状況の中、1894年にあるスパイ事件が起きた。フランス陸軍情報部にてドイツに関する機密情報が漏洩したのである。参謀本部は情報を知り得る立場にいたユダヤ人砲兵大尉のアルフレッド・ドレフェスを容疑者として取り調べていた。証拠もなく、容疑者も否定している事件を、反ユダヤ系新聞の「自由言論」がすっぱ抜き大々的に報道した。「祖国を裏切るユダヤ人」「軍部は売国奴を庇って公表しない」と報じた。国民の反ユダヤ人感情に一気に火をつけた。慌てた軍上層部は証拠不十分ながら非公開の軍法会議を行い、ドレフェスを有罪にする。公衆の前で官位剝奪式を行い、剣を折...(35)ドレフェス事件

  • ドレフェス事件

    ドレフェス(1859~1935)フランスは1870年に起った普仏戦争に敗れ、19世紀の後半は経済の不振が続いていた。国民は一方的に戦争を仕掛け、鉄鉱石と石炭の豊富な産地アルザス・ロレーヌ地方を奪っていったドイツを恨んでいた。そんな状況のなか1894年、あるスパイ事件が起きた。フランス陸軍情報部にて対ドイツに関する機密情報が漏えいしたのである。参謀本部は情報を知り得る立場にいた人物達を調査した結果、ドイツ領アルザス出身のユダヤ人砲兵大尉のアルフレド・ドレフェスを容疑者として取り調べていた。証拠もなく、容疑者も否定している事件を、反ユダヤ系新聞の「自由言論」がすっぱ抜き大々的に報道した。「祖国を裏切る売国奴ユダヤ人」「軍部は売国奴を庇って公表さえしない優柔不断」と国民の反ユダヤ人感情に一気に火を付けた。慌てた軍上層...ドレフェス事件

  • (34)メンデルスゾーンの一族

    モーゼス・メンデルスゾーン(1729~1786)16世紀頃から、ヨーロッパ各地のユダヤ人はゲットーに住まわされるようになってしまった。しかし、逞しいユダヤ人たちはその中でも生き抜き、偉大な功績を残した人たちもいた。作曲家で有名なメンデルスゾーンの一族もその仲間である。作曲家フェリックス・メンデルスゾーンの祖父であるモーゼス・メンデルスゾーンは哲学者として名を残している。モーゼスはドイツのデッソウに貧しい聖書筆写師の子として生まれた。学校にも行けなかったが、聖書やタルムードは繰り返し読まされた。独学で哲学、ラテン語、英語、フランス語を学んだモーゼスは21歳の時には家庭教師を頼まれる程の学力を身に着けた。絹織物工場で働きながら、カントとも文通で交流し、啓蒙思想家のレッシングと知り合った。劇作家でもあるレッシングはモ...(34)メンデルスゾーンの一族

  • (33)ユダヤ人首相・ディズレーリ

    ディズレーリイギリスではユダヤ人たちの活躍は金融界にとどまらず、19世紀になると、ついに首相の座についた。それが、ベンジャミン・ディズレーリである。スペインの異端審問から逃れた一族の家系であり、父はロンドンで小説家として成功している。父からは弁護士になるよう教育された。しかし、地味に生きることが性に合わないと、南米鉱山株の投機に手を出し失敗して借金を作る。新聞を発行するが、失敗して破産する。小説を出版、少しは売れたが、やがて批判を浴びる。南欧と中東を旅行する。帰国して小説を書きながら政治家を目指す。4回も落選した後、5回目の挑戦で保守党から初当選を果たす。30歳になったディズレーリはある晩さん会で自由党のウイリアム・グラッドストンに会った。25歳のグラッドストンは既に首相を補佐する下級大蔵卿の職位に就いていた。...(33)ユダヤ人首相・ディズレーリ

  • ロスチャイルド一族

    マイヤー・ロスチャイルド(1744~1812)ユダヤ人がゲットーに住むようになったことは以前に照会した。そのゲットーから偉大な一族が出現したというのが今回の話である。1744年、マイヤー・ロスチャイルドはフランクフルトのゲットーに生まれた。信仰心の厚いユダヤ教徒だった父はマイヤーにラビになることを期待していた。しかし、11歳で父、12歳で母を失くしたマイヤーはユダヤ人銀行家オッペンハイム家に丁稚奉公した。マイヤーは各国の古銭研究に精を出し、古銭商を始め、ある将軍を顧客にする。その将軍の紹介で高官たちを顧客に獲得、やがて選帝侯となるヘッセンのヴィルヘルム一世からも注文を受ける。ヴィルヘルム一世は若い男子を徴兵して鍛え上げ、イギリスに傭兵として貸し出し莫大な利益を得ていた。マイヤーは銀行家として成功し、26歳で同じ...ロスチャイルド一族

  • ユダヤ人とイギリス

    オリバー・クロムウェル(1599~1658)17世紀のヨーロッパは宗教改革の世紀であった。各地でカトリックとプロテスタントとの激しい争いが繰り広げられたが、イギリスに於いての改革は王制を揺るがす大騒動だった。1588年、アルマダの海戦により世界に君臨していたスペインを倒し、世界の表舞台に登場したイングランドだったが、その後は混乱を極めていた。「王権神授説」を信じる王ジェームス1世とその子チャールズ1世は軍隊を動員して新興のピューリタン(清教徒)を激しく弾圧した。議会派の中心はピューリタンであり、王党派の軍隊に宗教的団結力で対抗する。そのピューリタン軍の「鉄騎隊」を率いたのがオリバー・クロムウェルだった。そしてついに王党派を壊滅させる。捕らえられたチャールズ1世は罪状「暴君、反逆者、殺戮者」として裁判にかけられ、...ユダヤ人とイギリス

  • 17世紀の経済大国、オランダ

    日本人はオランダという国名を使っているが、この呼び方をするのは日本だけであり、世界中ではネーデルランドと呼んでいる。何故、日本だけがオランダと呼ぶかというと、1600年頃日本に漂着したネーデルランド人の船乗りに日本の役人が、「お前の国は何処だ?」と聞いたところ、その船乗りが、「オラント」と答えた。オラントとはネーデルランドの主要な州であって、国の名ではなかった。しかし、それ以後、日本ではオランダというのが国名になってしまったという話だ。ところで、ネーデルランドという国名はネーデル(低い)ランド(土地)という名の通り、国土の半分が海抜0メートルにあるという。そこであの有名な風車は海水を汲み出すためにあるという。現在でも有数な国際都市ではあるが、17世紀頃には世界一の経済大国だったことがある。さて、では何故この小国...17世紀の経済大国、オランダ

  • 第二のエルサレム、アムステルダム

    日本人はオランダという国名を使っているが、この呼び方をするのは日本だけであり、世界中ではネーデルランドと呼んでいる。何故、日本だけがオランダと呼ぶかというと、1600年頃日本に漂着したネーデルランド人の船乗りに日本の役人が、「お前の国は何処だ?」と聞いたところ、その船乗りが、「オラント」と答えた。オラントとはネーデルランドの主要な州であって、国の名ではなかった。しかし、それ以後、日本ではオランダというのが国名になってしまったという話だ。ところで、ネーデルランドという国名はネーデル(低い)ランド(土地)という名の通り、国土の半分が海抜0メートルにあるという。そこであの有名な風車は海水を汲み出すためにあるという。現在でも有数な国際都市ではあるが、17世紀頃には世界一の経済大国だったことがある。さて、では何故この小国...第二のエルサレム、アムステルダム

  • (29)ヨーロッパの恥、ゲットー

    十字軍、そしてスペインの異端審問所の話を照会したが、もう一つカトリック教会が行った恥ずべき行為を照会しなければならない。それが中世ヨーロッパの都市に儲けられたユダヤ人に対する強制隔離「ゲットー」である。ローマ教皇のクレメンス8世による一連の法令によって1592年以降暗黒の時代が始まり、19世紀までヨーロッパの各地に当たり前のように行われていた。ユダヤ人は高い塀で囲んだ狭い場所にユダヤ人というだけで、まるで囚人のように閉じ込められたのである。それまで、ユダヤ人たちは各地に小居住地に集団で住んでいたのだが、十字軍が始まるとキリスト教徒にとっては遠くのイスラム教徒よりも、身近なところにいるユダヤ人を敵とみなす空気が生まれた。ローマ教皇が作りだした宗教差別であり、最大の罪である。ゲットーの起源はヴェネツィア共和国にあっ...(29)ヨーロッパの恥、ゲットー

  • ブログ開設15周年を迎えて

    毎日猛暑が続いています。お見舞い申し上げます。つい先日まで、一年遅れの東京オリンピックが開催されていました。日本人選手の活躍に感動し、そのがんばりには称賛を送ります。とくに日本人の良さが出たのは団体競技の団結力、チームワークの素晴らしさだったと思います。野球、ソフトボール、卓球には応援の力が入りました。しかし、一方で困った問題はコロナです。まるでオリンピックに的を合わせるように第5派が爆発的に蔓延しました。医療崩壊も目前までになりました。未だパラリンピックもあり、夏休み期間にも入ります。コロナとの戦いも正念場を迎えることになりました。医療機関は大変です。何とかこのピンチを乗り切ってくださることを祈念しています。私の「さわやか易」は15周年を迎えました。この1年は「姐さんの憲法論」そして春からは一時休止していた「...ブログ開設15周年を迎えて

  • ユダヤ人とオスマン帝国

    ムハンマドの出現以来、アラビア半島から中東一帯、地中海周辺までイスラム勢力の支配下になった。始めはアラビア人主導だったが、やがて武力に強いトルコ周辺の騎馬民族が王朝を作った。十字軍の遠征もあり、王朝は次々と変わったが決着をつけた王朝がオスマン帝国である。1299年に建国され、1453年にはコンスタンティノープルを陥落させ、約1500年続いたローマ時代を終焉させた。最盛期の16世紀にはヨーロッパの名門ハプスブルク家の都市ウィーンをあと少しで陥落させるほど、ヨーロッパ人を震撼とさせた。国家が富国強兵となるには、単に戦争が強いばかりではない。経済力は勿論、科学技術、社会体制、国民の文化レベルが他国より一歩進んでいたことを物語る。トルコの騎馬民族は過酷な環境を生き抜く生命力と闘争力はどこにも負けない国民性はあっただろう...ユダヤ人とオスマン帝国

  • カノッサの屈辱

    カノッサの屈辱十字軍がヨーロッパ人を熱狂させた背景には、その頃のローマ教皇に対する絶対的な畏れ敬いの念があったことが想像される。一般の民衆にはキリスト教を教え導く立場のものは司祭であり、司教であったが、その司祭たちの総元締めがローマ教皇であった。そのローマ教皇がどれほど権威のある存在であったかを示すある事件が起きている。十字軍が始まる少し前の1077年1月に起きた「カノッサの屈辱」と言われる事件である。事件の発端は司祭、司教の「叙任権」問題にあった。司祭、司教は教会の聖職であるから、その職を叙任するのは本来教会の本部であるローマ教皇である。しかし、司祭、司教は信者たちによって成り立っている。その信者たちはその土地の君主が支配している。君主たちは自分の国を治めるため、自分に忠誠を尽くしてくれる人を司祭、司教に着け...カノッサの屈辱

  • (26)スペインの異端審問所

    スペインのあるイベリア半島は紀元前には北アフリカのカルタゴが植民都市を建設していた。その後ギリシャ人も進出し、以後ローマ対カルタゴの両雄はポエニ戦争として何度も争いローマ軍が勝利した。約600年間ローマ時代が続いたが、ゲルマン民族の大移動により、西ゴート王国が出来る。7世紀、ムハンマドの出現により、北アフリカを制圧したイスラム教徒のウマイヤ朝が進出してきた。750年、シリアで政変が起こり、ウマイヤ朝はアッパース朝に滅ぼされた。ただ一人生き残った王族のアブド・アッラフマーン1世はモロッコ経由でイベリア半島に逃れる。ウマイヤ朝を再興し、後ウマイヤ朝としてイベリア半島を支配する。東方から文化人たちが移住し、首都コルドバはバクダット、カイロと並びイスラム文化の栄華を極めた。約300年間続いた後ウマイヤ朝だが、11世紀に...(26)スペインの異端審問所

  • ユダヤ人迫害の始まり

    十字軍がヨーロッパのキリスト教徒にもたらした影響はイスラム教徒とユダヤ教徒に対する敵愾心であった。それまでは一般の民衆はイスラム教徒とは全く接する機会もなかったし、ユダヤ人はよそ者という扱いはしていたが、敵愾心を抱くことはなかった。ローマ教皇がエルサレム奪還の旗印を掲げて戦争を奨励し始めた時から民衆の間に異教徒を敵とする思想が根付いたものと思われる。十字軍時代のイギリスではこんなことが起こっている。ユダヤ人たちがイギリスに渡ったのは丁度第一回の十字軍が派遣された頃である。その頃フランスのノルマンディー公・ウィリアムがイギリスに侵攻し、ウィリアム1世としてイングランド王となり、ノルマン王朝(1066~1154)が始まった。ウィリアム1世はユダヤマネーを取り入れるためにフランスの金を持つユダヤ人を招請した。イギリス...ユダヤ人迫害の始まり

  • (24)十字軍からの大混乱

    アイユーブ朝のイスラム帝国は発展を続いて行くが、元来アラブ民族は小さな部族の集団で成り立っており、周辺国もそれぞれ独自の文化がある。広大な地域を支配するには軍隊が必要である。その軍隊はアラブ人だけでは成り立たず、周辺支配国から傭兵を募っていた。トルコ周辺から中央アジアの民族は遊牧の騎馬民族であり、戦争にはめっぽう強く傭兵には最適だった。11世紀になると、傭兵だったトルコのセルジューク族がアイユーブ朝のカリフに任命される形でスルタン(君主)となり、事実上王朝を乗っ取ってしまう。領土拡張に野心を膨らましたセルジューク朝はアナトリア半島を占領し、ビザンツ帝国に迫る勢いだった。ビザンツ帝国の皇帝アレクシオス1世は危機を感じて、犬猿の仲ではあるがローマ教皇ウルバヌス2世に傭兵の提供を願い出た。ウルバヌス2世は「エルサレム...(24)十字軍からの大混乱

  • アッパース朝の繁栄とユダヤ人

    イスラムの帝国・ウマイヤ朝は一時はインドやイベリア半島にまで進出しイスラムの世界を拡大した。しかし、このウマイヤ朝はアラブ人による帝国であり、とくにササン朝ペルシャで栄えていたペルシャ人たちには反発されていた。750年、カリフの継承争いではムハンマドの出身ハーシム家の一族であるアッパース家は非アラブ諸国を味方につけウマイヤ朝を倒し、アッパース朝を起こした。アッパース朝ではイスラム教のムスリム(信者)は皆平等という理念を実現、イスラムの大帝国を築くことに成功した。交通の要所であるバクダードは東西貿易の拠点として「世界一」と言われる程発展し、人口は100万人にもなった。「千夜一夜物語」を代表とするイスラム文化が一気に花開く。各分野で働く学者たちは挙ってバクダードに集結した。バクダードには「知恵の館」が建てられ、ギリ...アッパース朝の繁栄とユダヤ人

  • (22)スンニ派とシーア派

    ムハンマドの死後、イスラムの国は急拡大していくが、カリフ(預言者の代理人)を巡っての対立が直ぐに始まり、その対立は今日に至るまで続いている。632年、ムハンマドが62歳で亡くなった時、後継者であるムハンマドの従弟であるアリーは32歳と若かった。そこで、イスラム共同体(ウンマ)は有力者でムハンマドの親友であるアブー・バクルを初代カリフに選出した。アブー・バクルはアラビア半島を統一し、発展の基礎を築いたが2年後に死んだ。(ムハンマドはアブー・バクルの娘を3番目の妻にしている。)2代目のカリフになったのが有力者ウマルだった。始めはイスラム教を迫害したが、改宗後はムハンマドの信頼を得て、イスラム発展に貢献した。政治力もあり、軍才にすぐれ、10年のカリフ期間内にビザンツ帝国からシリアとエジプトを奪い、ササン朝ペルシャを滅...(22)スンニ派とシーア派

  • (21)イスラム教の成立

    天使の啓示を受けるムハンマドビザンツ帝国とササン朝ペルシャが激しく争っている間に別の場所で、歴史を変える宗教が誕生しようとしていた。イエス・キリスト以来の預言者と言われるムハンマドの登場である。570年、ムハンマドはアラビア半島の商業都市メッカに生まれた。ムハンマドは幼くして両親が亡くなり、叔父の隊商交易の商人アブー・ターリブに育てられ、やがてシリアとの隊商交易に参加した。25歳の時、15歳年上の裕福な女商人ハデ-ジャと結婚する。2男4女をもうけるが、男子は二人とも夭折する。610年、40歳になったムハンマドは郊外のヒラー山の洞くつで瞑想にふけっていた。そこで、天使ガブリエルが現れ唯一神アラーの啓示を受ける。何度も啓示を受けたムハンマドは妻ハディージャに相談する。ハディージャはユダヤ教指導者に話をすると、天使ガ...(21)イスラム教の成立

  • (20)ササン朝ペルシャと東ローマ帝国

    祖国から離散したユダヤ人たちは何処に身を寄せたのだろうか。その頃の周辺国はどんな状況だったのだろうか。南側のエジプトはクレオパトラとアントニウスがローマ軍に敗れて以来、ローマ帝国の支配下にあった。しかし首都のアレクサンドリアはユダヤ教とユダヤ文化の中心地であり、その後のキリスト教文化もどこより発達していた。東のシリアやメソポタミア方面はセレウコス朝を倒したパルティア王国が支配していた。遊牧民のパルティアはユーフラテス川を境として、度々攻めてくるローマ軍を退けていた。そのパルティアを224年、アケメネス朝ペルシャの故地イラン高原から起こったササン朝ペルシャが滅ぼし、隆盛を取り戻していた。キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝は帝国を拡大し、黒海に面するビザンティウムに都を移し、自らの名に因んで、コンスタンティ...(20)ササン朝ペルシャと東ローマ帝国

  • ユダヤ教とキリスト教

    タルムード132年からの第2次ユダヤ戦争と呼ばれるバル・コクバの反乱は、ローマ皇帝・ハドリアヌスによる徹底的な弾圧で幕を閉じた。関係者は全て処刑、ユダヤ人のエルサレムへの立ち入りを一切禁じた。エルサレムの名もパレスチナと変更し、2度とユダヤ人社会が復活することのないように取り締まる。しかし、どんなに迫害されても挫けないのがユダヤ人である。周辺国に離散し、新天地を求めたユダヤ人もあるが、エルサレム周辺で隙あれば戻ろうとするユダヤ人もいた。AC70年に起こった第1次ユダヤ戦争でユダヤ教のよりどころである神殿を失った。神殿が無ければ、司祭は成り立たない。そこで、ユダヤ教存続のためにユダヤ人たちは宗教指導者ラビを中心にシナゴーグと呼ばれる集会所で情報を伝えあった。ユダヤ教の聖典は聖書とは別にモーセが伝えた口伝律法として...ユダヤ教とキリスト教

  • 姐さんの憲法論(40)~大和民族の心~

    姐さん、ありがとうございました。お陰で憲法について何も知らなかった僕ですが、いろいろ勉強になりました。私こそあんたのお陰で勉強したよ。どうもありがとう。始めはとんでもない憲法だと思っていたけど、憲法が出来る成り立ちとか、民主化の歴史とかを知ることが出来たよ。私は憲法に関しては「日本人に謝りたい」のモーゼさんが残してくれた本しか知識がなかったからね。モーゼさんの書いてくれた見方も真理だと思っているけど、別の見方もあるし、色んな視点から物事は考えなきゃいけないということが解ったわ。そうですね。僕にも意外な話やら感動的なドラマがあったことが解りました。世間では憲法問題というと、平和憲法だから絶対に変えてはいけないんだという意見と、GHQが押し付けた憲法だから無効なんだという意見に分かれています。9条以外の内容について...姐さんの憲法論(40)~大和民族の心~

  • (31)憲法公布に向けて

    姐さん、新憲法の大枠は決まりました。その後は表現の修正や付け足し作業ですね。そうね、天皇制を放棄したくない日本側としては、GHQ草案を受け入れざるを得ないよね。それにしても、GHQのやり方は強引だと思うね。民主主義憲法にするならば、もっと日本側の話を丁寧に聞くやり方はなかったのかしらね。それが、民主主義のやり方じゃないの。これじゃあ、GHQの押し付け憲法と言われても仕方ないじゃない。確かにそうですけど、GHQにしてみれば、極東委員会との交渉が控えていましたから、短期間に決着をつけたかったのでしょうね。それに、天皇制の問題は長時間話し合えば、折り合いがつくということでもないですからね。押しつけと言われても、これしかないのなら、大鉈を振るうしかなかったでしょう。確かにそうかも知れないけど、ちょっと悔しいよね。それで...(31)憲法公布に向けて

  • 姐さんの憲法論(39)~和を以て尊し~

    姐さん、日本国憲法はこれからどうすればいいでしょうね。そうだよね。もっと広く日本人に親しまれなきゃいけないと思うのよ。憲法9条だけで、護憲と改憲で争っていたってしょうがないじゃないのよ。私もそうだったから偉そうなことは言えないけど、もう少し中身を知った上で語らなくては話にならないよね。そうですね。僕も何も知らないで、改憲して自衛隊を明記すればいいと思っていましたが、少し勉強して解った今では恥ずかしいですよ。それに、今の憲法は日本の敗戦後にマッカーサーの3原則に沿って作られましたが、それから75年も経っているんです。戦後から今までは超大国アメリカについてきた日本ですから、良かったんですが、これからは違いますよね。そうよ。憲法は時代と共にあるものだと思うのよ。明治憲法は帝国主義時代という時代の中にあったでしょう。そ...姐さんの憲法論(39)~和を以て尊し~

  • 姐さんの憲法論(38)~前文を国民投票で~

    姐さん、いかがでしたか。今の憲法も捨てたものでもないでしょう。そうね、GHQが一方的に押し付けた憲法ではないことは認めるわ。それに、憲法研究会を始めとして、多くの日本人も関わってきたことも良かったと思うわ。敗戦という日本にとっては屈辱的な状態の中で誕生したというのが、なんとも悔しい出来事ではあったけど、逆に言えばこんな時しかこんな憲法は生まれはしないということも解ったわ。内容も全体的には日本人にとって良かったと言えるんでしょうね。でもね、最初の時にあんたと二人で読んだ前書きだけは、絶対良くないよね。前書きですか。あれは、賛否両論なんですよ。日本ペンクラブの投稿者で、前書きが素晴らしいという人もいるんですよ。でも、翻訳調で解りにくいという人もいました。僕は解りにくいし、内容も好きじゃありません。そうだよね。私はあ...姐さんの憲法論(38)~前文を国民投票で~

  • 姐さんの憲法論(37)~「憲法について、いま私が考えること」から(3)~

    姐さん、続いて僕が一番納得した、玄侑宗久さんの文を照会します。玄侑さんって、お坊さんだったよね。興味あるわ。玄侑さんは今の憲法には肯定的な立場だけど、このまま安住することには危惧を感じているようですね。こんなことを書いていました。「確かにGHQやマッカーサーのプレッシャーは大きかったとしても、彼らの素案はすでに鈴木安蔵らの憲法研究会案を下敷きにしている。GHQ案は閣議決定で承認され、その後に日本案をまとめた。内閣法制局の佐藤達夫第1部長は30時間に及ぶ徹夜作業で仕上げた。」と、GHQの前に日本人の憲法案が先に出されたことに注目しています。あんたに聞いたことだけど、「憲法研究会」というのは画期的な仕事をしたよね。それまで日本でも民主化の動きは忍耐強く進んでいたってことだよね。だから一方的にGHQから押し付けられた...姐さんの憲法論(37)~「憲法について、いま私が考えること」から(3)~

  • 姐さんの憲法論(36)~「憲法について、いま私が考えること」から(2)~

    姐さん、では今回は女性作家の松本侑子さん(1963年生まれ)の、「日本憲法がなかった時代の人々を小説に書いて感じたこと」を照会します。お願いします。明治天皇の侍講だった中沼了三の話なんですが、この人は西郷従道、中岡慎太郎らから教えを受けた儒学者だったそうです。この中沼は、「みかどは人徳で民をおさめる聖帝であるべし」という考えから天皇を軍隊と武器に近づけてはならないと政府に主張していました。ところが、岩倉具視、大久保利通らと対立し下野することになりました。その後、明治22年に制定された「大日本帝国憲法」の第11条に「天皇は陸海軍を統帥す」とあり、明治天皇は全軍の最高指揮官になりました。明治27年、日清戦争が始まります。中沼は幼少期から指導した天皇を案じて、広島におかれた大本営に馳せ参じました。天皇は軍服に身を包み...姐さんの憲法論(36)~「憲法について、いま私が考えること」から(2)~

  • 姐さんの憲法論(35)~「憲法について、いま私が考えること」から~

    姐さん、僕が憲法に関する本をいくつか読んだ中で、日本ペンクラブがまとめた「憲法について、いま私が考えること」というのがあるんですよ。日本ペンクラブに所属する作家たちがそれぞれ自分の思いを文にしたものなんですけど、これが結構面白かったんです。あら、どんな人たちが書いているの?全部で30人位いるんですが、殆どの人は第二次世界大戦の惨状を訴えて、戦争を放棄した現憲法を礼賛していました。その中で面白いのを照会します。田原総一朗(1934年生まれ)が「戦争を知る世代として」というタイトルで、何人かの元首相の話を載せていました。宮澤喜一さんが憲法について語った言葉として、「日本人は自分の身体にあわせた服をつくるのは下手だが、押し付けられた服に身体をあわせるのはうまい。」というのです。ハハハハハ。うまいこと言うのね。その通り...姐さんの憲法論(35)~「憲法について、いま私が考えること」から~

  • 姐さんの憲法論(34)~ベテア草案~

    姐さん、GHQが一週間で作り上げた憲法草案ですけど、この一週間にも凄いドラマがあったんですよ。今回はその一つとして、ベテア草案についてお話します。GHQの中に22歳の女性がいたと言っていたよね。そのベテアさんのことかしら。そうです。ベテア・シロタ・ゴードンといいます。彼女の父は優れたピアニストでウィーンで活躍していました。作曲家の山田耕筰の招きで東京音楽学校(現東京芸術大学)の教授になった人なんです。ベテアさんはウィーンで生まれ、5歳から15歳まで東京で生活したんです。子供時代の体験で、日本の女性たちがいつも男性の陰に隠れて、男性の言いなりになっている姿を見ていたんです。好きな人と自由に結婚も出来ない、離婚も出来ない、財産権も相続権も選挙権もなく、社会的な役割を与えられていないことが、悲しい思い出として心に深く...姐さんの憲法論(34)~ベテア草案~

  • 姐さんの憲法論(33)~軍部大臣現役武官制~

    姐さん、今回の対談は元GHQの一員だったユダヤ人のモーゼさんが著した「日本人に謝りたい」を読んで、姐さんの目から鱗が落ちたという話から始まりましたよね。そうだったわね。この憲法は地球を一つにしようとするユダヤ思想が大本にあって、君主制を倒して民主制に変えていくという道の一環だということよ。簡単に言えば、日本の天皇制も君主制とみなして、どうしても排除しなければいけない標的だから、戦争に巻き込み、潰したところで民主憲法を押し付けたという話よ。ところが、モーゼさんによれば、日本の天皇制は君主制とは違って、君民共治の理想的体制だったことに気が付いて、戦後精神的に荒廃していく日本を見て、「申し訳ないことをした」と謝る話ですよね。確かにマッカーサーの前に進み出て、「全責任は私にある。」と言った昭和天皇を思うと、ヨーロッパの...姐さんの憲法論(33)~軍部大臣現役武官制~

  • 姐さんの憲法論(32)~日本国憲法公布~

    姐さん、今回は新憲法公布と天皇の詔勅についてお話します。お願いします。そもそも昭和天皇は新憲法にかかわっていたのかしら。昭和天皇は戦前から戦争には反対でした。最後の最後まで外交による解決を望んでいたんですからね。しかし、最高責任者として、言い訳はせずに全責任は自分にあると、マッカーサーの前に立ったんですよ。終戦の詔勅は有名な「耐えがたきを耐え、忍び難きをしのび」ですよね。その後、9月4日には国民に向けて平和国家を目指そうという詔勅を出しているんですよ。知らなかったわ。どういう詔勅なの?今ではあまり知られていませんが、「朕は終戦に伴ふ幾多の艱苦を克服し、国体の精華を発揮して、信義を世界に布き平和国家を確立して、人類の文化に寄与せしむることを冀(こいねが)ひ、日夜しん念おかず、此の大業を成就せむと欲せば冷静沈着隠忍...姐さんの憲法論(32)~日本国憲法公布~

  • 姐さんの憲法論(31)~憲法公布に向けて~

    姐さん、新憲法の大枠は決まりました。その後は表現の修正や付け足し作業ですね。そうね、天皇制を放棄したくない日本側としては、GHQ草案を受け入れざるを得ないよね。それにしても、GHQのやり方は強引だと思うね。民主主義憲法にするならば、もっと日本側の話を丁寧に聞くやり方はなかったのかしらね。それが、民主主義のやり方じゃないの。これじゃあ、GHQの押し付け憲法と言われても仕方ないじゃない。確かにそうですけど、GHQにしてみれば、極東委員会との交渉が控えていましたから、短時間に決着をつけたかったのでしょうね。それに、天皇制の問題は長時間話し合えば、納得するということでもないですからね。押しつけと言われても、これしかないのなら、大鉈を振るうしかなかったでしょう。確かにそうかも知れないけど、ちょっと悔しいよね。それで、その...姐さんの憲法論(31)~憲法公布に向けて~

  • 姐さんの憲法論(30)~GHQの憲法草案~

    姐さん、今回はGHQが作成した憲法草案について、お話します。いよいよ、核心に迫ってくるんだね。早速お願いします。GHQの中でも、憲法にかかわったのは、民主化政策を進めるために設置した民政局というところなんです。局長はマッカーサーの懐刀であるホイットニーで、その下にケーディス大佐以下21人の体制です。おそらく「日本人に謝りたい」を書いたモーゼさんもその中にいたんでしょうね。マッカーサーはホイットニーに民政局を挙げて、新憲法の草案作りを命じた。ホイットニーは2月4日、民生局員全員を集めて厳命した。「これから1週間、民政局は憲法制定会議と化することになる。マッカーサー元帥は日本国民のために新しい憲法を起草するという歴史的意義のある任務を民政局に委ねられた。この憲法を日本人の作ったものとして認め、全世界に公表するであろ...姐さんの憲法論(30)~GHQの憲法草案~

  • 姐さんの憲法論(29)~政府の憲法草案~

    姐さん、今回は日本政府の憲法草案について、お話します。お願いします。敗戦直後に成立したのは、東久邇宮内閣ですよね。東久邇宮稔彦首相なんですけど、皇族でもあり、天皇制の改革には反対していました。「国体護持というのは、理屈や感情を超越した堅い我々の信仰である。」とも言っているんです。例の天皇とマッカーサーとの会見がありましたよね。その時の写真をめぐって、「皇室の尊厳を傷つける。」と内相の山崎巌が新聞の発禁処分しようとしたんです。その時、GHQが激怒しているんです。結局、東久邇宮内閣は54日の最短記録で総辞職してしまいました。あら、そうなの。やはり皇族内閣じゃ何も変えられはしないよね。次に抜擢された総理が幣原喜重郎ですよ。1872年生まれですから、その時は73歳ですね。第一次世界大戦の後に、外務大臣として、軍縮政策を...姐さんの憲法論(29)~政府の憲法草案~

  • 姐さんの憲法論(28)~天皇制をどうするか~

    姐さん、今回は憲法研究会でどんなやりとりがあったかをお話します。面白そうね。お願いします。鈴木安蔵は岩淵辰雄の印象を、「熱心にやって来られて、あまり発言はなさらない方でありましたが、私なんかの知らない内閣、政党ということについて、大変適切なアドバイスをポツリポツリと言われたことは草案を起草するのに大変参考になった。」と言っています。この岩淵と室伏は政治記者として政治家を相手にしてきただけあって、時局を知っていて機を見るに敏なところはあったんでしょうね。学者だけの集まりじゃなかったことが良かったんじゃないの。そうですね。憲法研究会で最初の大問題は天皇制をどうするかということでした。岩淵が、「天皇から一切の権力を取ってしまおう。明治憲法で規定された天皇制から、それに付随した制度を全部取ってしまおう。」と発言すると、...姐さんの憲法論(28)~天皇制をどうするか~

  • 姐さんの憲法論(27)~憲法研究会~

    姐さん、今回は日本人による新憲法作りへの動きをお話いたします。お願いします。何だか、あんたが先生で私が生徒になったみたいね。でも、あんたの勉強ぶりが聞けるのは嬉しいわ。先ずは失敗に終わった話なんですけど、戦争の直前まで総理大臣だった近衛文麿が新憲法を作ろうとしたんですよ。マッカーサーとも会見して、新憲法作成の要請を受けているんです。近衛は新生日本のリーダーたらんとしたんでしょうが、その後アメリカ本国からの指令があり、戦犯容疑で逮捕されてしまうんです。あまりの急転直下にショックを受けた近衛文麿は服毒自殺してしまうんです。出来上がっていた近衛の新憲法草案はそのままお蔵入りです。いかにも戦争に負けた日本の現実だよね。戦後、主に東京大学出身の学者や元新聞記者たちの間で、新憲法を作ろうという動きが出てくるんですよ。これが...姐さんの憲法論(27)~憲法研究会~

  • 姐さんの憲法論(27)~憲法研究会~

    姐さん、今回は日本人による新憲法作りへの動きをお話いたします。お願いします。何だか、あんたが先生で私が生徒になったみたいね。でも、あんたの勉強ぶりが聞けるのは嬉しいわ。先ずは失敗に終わった話なんですけど、戦争の直前まで総理大臣だった近衛文麿が新憲法を作ろうとしたんですよ。マッカーサーとも会見して、新憲法作成の要請を受けているんです。近衛は新生日本のリーダーたらんとしたんでしょうが、その後アメリカ本国から戦犯容疑で逮捕されてしまうんです。あまりの急転直下にショックを受けた近衛文麿は服毒自殺してしまうんです。いかにも戦争に負けた日本の現実だよね。戦後、主に東京大学出身の学者や元新聞記者たちの間で、新憲法を作ろうという動きが出てくるんですよ。これが、「憲法研究会」という集まりになるんです。きっかけは終戦の年1945年...姐さんの憲法論(27)~憲法研究会~

  • 姐さんの憲法論(26)~吉野作造~

    姐さん、今日は僕が勉強した中から、意外に思った話をさせて頂きます。待ってました。興味あるわよ。是非、聞かせて。確かにこの憲法はGHQの主導で出来たことは間違いないんですが、日本人の中からも新憲法を作ろうという動きはその前からあったんですよね。その辺から話をしてみたいんです。成程、おもしろそうね。明治時代に、西郷さんが征韓論に敗れて、薩摩に帰りますよね。その時西郷側に板垣退助がいましたよね。知ってるよ。土佐出身で自由民権運動を起こした板垣退助だよね。そうなんです。その板垣退助は西郷さんとは別の道を開いたんですよ。それが自由民権運動で、日本に国会を創って議会制民主主義を実現させるんです。フランスに行った時に、フランスの人種差別を見て、「これは本当の民主主義ではない。」と感じて、日本に本当の民主主義の実現を目指した人...姐さんの憲法論(26)~吉野作造~

  • 姐さんの憲法論(25)~画期的な憲法~

    姐さん姐さんの憲法論(25)~画期的な憲法~

  • 姐さんの憲法論(24)~児童虐待問題~

    姐さん、この頃子供への親の虐待というニュースが多くなりましたね。困った問題ですよね。そうなのよ。私も胸を痛めている問題よ。20年くらい前から問題になっていたけど、最近特に多くなってきたわね。日本も1980年代には、「ジャパン・アズ・ナンバー1」と言われたものだけど、それから40年すっかり落ちぶれてしまったものね。でも、この問題は憲法には関係ないですよね。戦後、今の憲法のもとで経済大国になっていたんですからね。バブルが崩壊してからどんどん景気が悪くなり、少子化も進んで貧困化してきたせいですよね。経済問題もあるとは思うけど、そればかりじゃないよね。だって、私の子供の頃はもっと貧しかったけど、親が自分の子を虐待するなんて、そんなことはなかったよ。これも日本人の意識が変わってきたからだと思うよ。前にも言ったけど、アイン...姐さんの憲法論(24)~児童虐待問題~

  • 姐さんの憲法論(23)~拉致事件と憲法~

    姐さん、金丸訪朝団は大失敗でしたね。その後は訪朝団はなかったのですか?何人かの議員による訪朝はあったようだけど、拉致事件解決が進むような会談はなかったのよね。はっきり言えることは、金丸訪朝団の時は北朝鮮は大ピンチの状態だったから、日本が断固たる姿勢で臨めば、向こうはいくらでも折れるしかなかったと思うのよ。それが全くの北のペースで事が運んだものだから、それからは完全に北のペースになってしまったのよ。北は日本の外交力を見抜いたんだね。そして自信も持ったのよ。何でもそうだけど、チャンスというのは最初が肝心なの。そのチャンスを逃したら、もうダメなんだよね。それでも、2002年に小泉総理の時に、5人の被害者が帰国出来ましたよね。小泉さんは、大したものですね。そうね、金丸よりは何倍もマシだわね。でもね、小泉さんは政治家とし...姐さんの憲法論(23)~拉致事件と憲法~

  • 姐さんの憲法論(22)~日朝トップ会談~

    姐さん、日朝のトップ会談はどうだったんですか?それがね、日本側の完敗だったの。完全に翻弄されたまま終わったのよ。日本側は海部総理の代理で金丸信副総裁を団長として、野中広務、石井一、武村正義らの自民党議員と田辺誠を代表とする社会党議員10名の訪朝団で平壌に向かったの。一行は平壌に着くと、2万人の市民によるマスゲームの歓迎を受ける。感動した一行に、「明朝金主席との会談の用意が出来ました。これより妙高山へお連れします。」と言われ、3時間かけて真夜中の景勝地に到着、宮殿のような金日成の別荘に案内された。翌朝、金丸、田辺、金日成の三党トップ会談が開かれたのよ。どんな会談だったんですか?席上、金主席から「遠い所からようこそ、まるで旧い友達に合ったようです。」日本語の丁寧な挨拶を受ける。金丸、田辺は「金閣下とお会い出来て光栄...姐さんの憲法論(22)~日朝トップ会談~

  • 姐さんの憲法論(21)~拉致被害者は救えた~

    姐さん、憲法は国民の生命と財産を守るために有るんですよね。じゃあ、どうして拉致被害者は救出してもらえないんですか?憲法9条は戦争放棄を明記してますけど、国民の安全は保障していないんですか?そんなことないのよ。ちゃんと保障しているわよ。第13条にはこう書いてあるのよ。第13条(個人の尊重・生命・自由・幸福追求の権利の尊重)すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。とあるのよ。だから、当然拉致被害に遭ったとしたら、国が責任をもって救出しなければいけないのよ。それなのに、どうして横田めぐみさんや有本恵子さんは救出してもらえないのですか?私が憲法に対しても、政府に対しても、国民に対しても、許せない程腹...姐さんの憲法論(21)~拉致被害者は救えた~

  • 姐さんの憲法論(20)~拉致問題~

    姐さん、いよいよ憲法9条について、姐さんのご意見をお聞きしたいですね。前に拉致問題に触れた時、これは憲法問題だとおっしゃいましたよね。そうお考えなんですか?そうね、日本の憲法がちゃんとしていれば、始めから拉致問題なんて起きてはいなかったというのが私の意見よ。拉致問題は大変だと誰もが言うけど、どうしてこんな問題が起こったのかを論じる人は滅多にいないよね。それが、一番問題なのよ。やはり憲法9条が問題なんですね。僕も9条が一番問題だとは思いますけど、姐さんはどうすれば良いと思いますか?先ず、9条の文書を確認してみようか。第9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放...姐さんの憲法論(20)~拉致問題~

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