東昇先生より標記論文の抜刷を1つ、私へも贈ってくださりました。ありがとうございます。https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b10045011.html標記の論文では、それまで将軍就任のたび江戸まで登っていた朝鮮通信使につき、経済的事情により対馬(現長崎県対馬市)までの行程に短縮・節約されたいわゆる「易地聘礼」(えきちへいれい、文化8年〔1811〕、論文では「対馬来聘」とも表記)をテーマに取りあげ、対馬藩による地域支配の、その前後における変化を説明しようとしています。結論を簡潔にいえば対馬藩の地域社会は、いわゆる「四つの口」の1つとしてそれまで信使迎接などの御用で多量の貨幣が投入されるなどして、貨幣経済にもとづく被支配層の階層分化が進んでいました。ところが、その準備のなかで天...【受贈】東昇「第2章『文化期通信使対馬来聘と郡方支配の展開』」(中野等編『中近世九州・西国史研究』、吉川弘文館、2024年3月)