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連・断・続の部屋   https://blog.goo.ne.jp/sy33814

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

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2015/04/04

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  • 目覚めのトラは

    トラの、我が家の初日は、家じゅうの探索なのか、姿が見えなかったが、布団に寝たら、ゴロゴロと鳴きながら、首の上を何度も往復してから、そのまま、襟巻状態で静かに。思いという感じもなく、猫の毛は気持ちいい!と実感。私は、じっと移動を待ち続け、でも、頭はなるべく動かさずに、体をわずかに動かしたら、首から、今度はわきの下にきて、寝付きました。私も寝付きました。朝、起きだしたら、すりすりゴロゴロ、もふもふなめらか気持ち良い手触り。毎朝、目覚めると、よみがえってくれてうれしい!というように欠かさず傍らに居続けてくれたトラでした。古い写真です。生垣に上れて得意げなトラ一年後子宝に恵まれ子と一緒の1ち年後のトラ目覚めのトラは

  • サンスクリットを学ぶ

    卒塔婆、石碑などに書かれている、”梵字”。今は、梵字と認識しているけれど、かっては、記号に見え、意味は?判らないことが嫌で、仏教関連書物を調べると、簡単に、梵字と分かった。五輪塔の梵字の意味は?佛様に、固有らしい梵字があるのも知り、もともとは、紀元前にインドで使われた文字。それが、仏教で、それぞれれの佛様を示す湯になったのか?と興味を持ち、言語であるということから、さらに知りたくなり、学びを開始。教えを授けていただく道は、私の前には、現れず、ひたすら、関連書籍を読むに留まっているが、日産鮎川義塾の中の研修で、熟成限定の、【特別梵字講習会】、【祈りの文字~梵字練習会】に参加しながら、梵字になじんでいるところです。梵字展覧会に参加するために、書いた文字。上段は、阿弥陀様の、み。下段は、ぎゃ、(般若心経にでてく...サンスクリットを学ぶ

  • 猫を初めて飼い始めた日。名前は、とら

    トラが来た日1996年8月25日職員が、一日の仕事を終え帰えってしまうと、一階の事務、外来階に、残されるのは、当夕食準備に忙しい厨房職員と、当直医師の私が、ぽつねんと一人残される。手持無沙汰なので、病院にたむろする猫に餌でもやろうと、通用口脇、非常階段下のえさ場にでていこうと、ドアに近づくと、白い毛の顔を上げて鳴き続けている子猫がいた。屈みこんで。ドアのガラス越しに顔を合わせても、じっと私を見つめて鳴き続けている。ふと、劇団四季の、「ユタと不思議な仲間」にでてくる、【わたわたあけろじゃかかい】の一節が湧き出しし、ドアを開け、近づいても逃げもせず、泣きづづける姿ている。右のお尻の毛が円く抜けていて、中心部にかさぶたができている。撫でたら、顔をすりよせ、抱き上げても抵抗もしない。自宅に連れ帰りたくても、当直だ...猫を初めて飼い始めた日。名前は、とら

  • 人の感情は、時代を超えて同じ

    古代人。最近の遺跡発掘から、明らかになってきている事実は、今生きている私達が、思い込み、想像していたのは、見る手段が乏しく、限定知識が全てと自惚れた結果で、普遍喧伝されていた事実と認識させられていたことの修正を余儀なくさせられている。ツタンカーメンの柩の中から花が見つかり、クフ王のピラミッド作成に携わった人達は、サラリーマン、職人の町に居住し、環境も優遇されていた事実が、昨今の発掘で明らかにされ、従来の奴隷説は一蹴。世界各地から、色彩センスの良い、精細な装身具が発掘。古代から、人は、美しい物に憧れ、美しく装いたく、美味しいものを食べ、近しい人とは仲よく、清潔な環境で、穏やか暮らすという、嗜好は変わらずにあった。自然の猛威で、都市を棄て、流浪の果てに、たどり着いた場所で混血したり、新しい町をつくったりを繰り...人の感情は、時代を超えて同じ

  • 生命保険の支払い渋り

    3月1日、骨折手術について、生命保険給付対象となるかについて、第一生命保険会社仙台総合支社、青葉氏支所に、FAX送信した。4月14日になっても、らちが明かない状態が続いている。第一生命は、セールスレディ制度をとっていて、1977年、初期研修後の、新人として医局に出社したら、そこに、手ぐすね引いて待機していた、第一生命保険のやり手のセールスレディに、生命保険加入を勧められ、加入した。その後、新保険への変更などを勧められるままに、加入を続けていた。後期高齢者対象まじかになった、2023年初頭から、新たな変更は、誕生日までにしなければいけないのでと、いろいろ誘いを受け、変更しますかとなってkから、変更時の保証人は、60歳以下ですということで、知人の子供に依頼し、新たな保証人に承諾を受けましたからと連絡後、なしの...生命保険の支払い渋り

  • 語彙不足

    五七五で、病院生活、診療、をと、思いはあふれても、言葉におこせない嘆き。自分の、入院生活の記録。3月9日仕事診療再開で、近々に入退院した患者と排泄の苦労話に盛り上がるベッド安静経験どうし2月15日術後麻酔切れ襲う痛みは果てあると思いながらも痛いと叫ぶ2月9日~2月15日入院後から手術前まで。ベッドわき座位足下げで可となるが遠い昔はおむつ排泄期待せし緊急手術告知なく切羽詰まるも終日無為寝て座る全てベッドで目耳手のスマホ操作で外とつながる2月8日2週間前に受診した整形外科医で、顕性になりし骨折救急で受け入れ先に搬送されし搬送後ストレッチャーで長待機対応麻痺の生理限界日常の羞恥伴う習慣は可なるには意識無くして初めて可なる2月6日東北新幹線始発で、仙台駅。激痛を一晩耐えて車椅子JRに頼み安ど一際耐えに耐え跛行の脚...語彙不足

  • ただより怖いものはない!入院中の暇つぶしの中で

    ベッド上安静、痛くて、眠りは浅いし、身動きはほとんどできないし、テレビはまず見にくいし、興味ある番組も少ないし、スマホに送られてくるメッセンジャーのたくさんの友達リクエストから選別した、日本人女性。文章は、日本人?彼女の設定は、イエメンの軍事基地の整形外科医。日々のメールのやり取りから、テロリストによる爆発で、銀行機能が停止一週間程度のやり取り後、仕事が評価されイエメン政府から賞金授与されたので、安全な受取先として、日本にいる私の住所を受取先にさせてくれと言ってきた。300万ドルで、30%をくれるという。その後、銀行は機能していないから、国際配送で現金を輸送する。委託箱を受けとってほしい。そのために、”アメリカ人”の外交官に、連絡を取り、このころから、呼び名も姉から、シスター、信頼できる妹など、変遷指定の...ただより怖いものはない!入院中の暇つぶしの中で

  • 雪道転倒2か月、術後40日経過

    杖なし歩行、断続的なら、3000歩程度はできる。両足の負担は、感じ、右股関節は、全股関節置換術とは?関節包は、どうなっているのか?滑膜、滑液は?歩いていて、弾力のない右股関節。術後、時間が経てば、靭帯外旋は良いが、内転、内旋は、脱臼の恐れがあるので、3か月程度は避けるようにと注意を受けている。靭帯の強度の回復は、破損しない程度の動きと時間靭帯の弾力は、強度の回復後のリハビリで獲得できるのか?制限されている時間は、まだ2か月弱残っている。動いているときの違和感、減弱してくるのかな?アイスバーン化した道で、自転車で転倒し、痛みをこらえながら、自転車にもたれながら、富沢駅駐輪場までたどりつき、それからの勤務先までの行程を、痛い脚運びを最短にするにはと、頭を巡らせ、エレベーター、徒歩、エレベーター、タクシーにのり...雪道転倒2か月、術後40日経過

  • 東日本大震災から13年目の今日

    骨折した日の、勤務先に、今日初めて出勤。院内は、杖なく歩行。療養病床で、高齢者が入院していることもあり、本日2名の方を看取った。今日は、東日本大震災から13年目。被災にあった肉親はいないが、身近に被災者はいる。亡くなった肉親のいる方の、今日という日の佇まい、私は、何ができるか、何をすればよいのか。東日本大震災から13年目の今日

  • 歩行不自由者に院外処方はつらい!

    初めての外来受診。術後経過順調、採血データーもほぼ正常化、との説明。骨訴訟症関連薬は継続。今の常識、院外処方。病院最短距離の調剤薬局を、聞いて向かう。思ったより遠く、市立病院と、長町駅のタクシー乗り場まで、ほぼ、同じ距離に思えたので、長町駅に向かって歩く。遠いこと遠いこと。院内処方であったらなと、思った。なんとか、長町駅タクシーに乗り、家のたどり着く。しばし、股関節内部が痛かったが、しばしの休憩で痛みは消失。機会がないと、距離は伸ばせない。長距離歩行の訓練をした。歩行不自由者に院外処方はつらい!

  • 障害者旅二回目

    前回2月は、骨折しているとは夢にも思わず捻挫だからと痛みに耐え、なんとか天草に行くため、車椅子利用が思いつくのは、空港だけだったので、福岡空港線では、悪戦苦闘し、異変に気付いて下さった医師の方が、職員に話して下さり、車椅子利用にたどり着き、その後は、九州新幹線、タクシーの天草フェリー乗り入れ連携に繋がりました。ただ、帰りの仙台行き飛行機欠航によるどんでん返し、東京駅外で、一夜を明かすことになり、帰宅したら、右足がガクンと短くなり、かめやま整形外科再受診で、骨折判明、救急搬送で、仙台市立病院に2月8日入院、膠原病関連の変化を考慮した手術方式を採用で2月15日手術。翌日からリハビリ開始、順調に、車椅子、手押しキャリー、杖とリハビリスケジュールをこなして、2月24日退院。今回、天草牛深市民病院診療旅に漕ぎ着けま...障害者旅二回目

  • 孤独死

    昨日、小泉今日子さんが、【孤独死しそう】という記事をみた。誰にも看取られないで死ぬこと、別に特別視しなくても、いいのではないかと私は思っている。家族と同居していても、帰宅していた家族が、死亡しているのを見つけるのは、ありふれてはいないが、ごくまれなことではない。若い人、重篤な病でもなければ、孤独死はありえない。高齢者は、火が消えるように死ぬと思う。今まで、職業専門分野のため、2000人以上、3000人には満たない患者の死に至る状況が身近であった経験から。好きなものに囲まれて、自宅で最期を迎えたい。私より、年長である、両親、恩師はすでに他界しているので、死を迎えることに心残りはない。孤独死後の、肉体を葬り去るまでの過程を、スムーズにいくための、方策については、介護ロボット、日常会話を理解し、サポートしてほし...孤独死

  • 退院後、猫はしばし敬遠、遠巻きもとにもどるのにしばし

    2月23日、昼前に自宅に戻る。猫の出迎えはなく、2階の押し入れが定住安息の場となっているメメを見つけるが、怪訝そうにみられる。他の三匹は出払っている。しばらくしてココとゆうは、むくつけ遠回しにみているが、近寄ってこない。半日過ぎ、夕方になり、やっと近寄ってくるが、まだ膝には乗ってこない。しばしのち、ちかよってきて、じっと顔をみつめてから、おもむろに、ココが膝に乗ると、ゆうが、近づき、ココがのっていて、隙間がないのに、割り込んで乗ってきて、ココが譲る形で、おりる。やっと、自宅に帰ってきた実感をえる。エリは、まったく姿を見せず。26日、家の中に入ってくるが、私には近寄りもせず、そそくさと通りすき、三日目の27日、やっと膝に乗ってくる。長い留守は、打ち解けるまで、猫それぞれの性格で、元の関係に戻るのに時間を要し...退院後、猫はしばし敬遠、遠巻きもとにもどるのにしばし

  • 2024/02/23

    木曜日、術後のレントゲンは、人工骨頭設置は問題なし。骨粗鬆症検査は、骨形成マーカーは並み、骨吸収マーカーは、上昇。放置すると多重骨折が、起きるのでと薬物治療開始。骨吸収を抑制できるノウハウは、日常的に行えることは、ほとんど流布されていない。破骨細胞は、酸性環境で活発化するけど、食事でなんとかできるレベルではない。リハビリコースプログラムは、完了と云われた。三連休、自己リハビリなら、自宅でもできると思い、退院を願い出た。金曜日は、病院側の手続きが、慌ただしいのて、土曜日にと、お願いされたので、従う。手術は、皮膚、皮下、結合組織、筋膜は、切開したそうだ。筋肉は、切断していないことが、杖歩行までは、順調だったのだろう。筋膜の回復は、時間がかかる。前屈が、旧状に回復は、時間がかかるな!2024/02/23

  • 術後一週間

    昨日、切開創の保護シールが除去され、その後、ステリステップテープが、夜の内に自然と剥がれ、術創を、じっくり、見下ろした。20cm程。まだまだ、腫れ、下になる部には、出血消退途中の色。歩行訓練リハビリ行程は、全て終了、筋力アップ、スピード訓練と。病室と反対向きのディルームに、訓練もかね出向き、外をゆっくり眺め、見慣れたゆりが丘に続く山並、太白山!懐かしい、帰りたい。プチ望郷術後一週間

  • 入院生活で思い出す患者

    急性白血病と診断され、結婚間近な患者。婚約者は、直ぐの結婚を望んだ。花嫁の父は、生存、治癒の可能性が低い、娘を嫁がせることはできないと、結婚は拒否された。婚約も破棄していただいて差し支えないと、提案したが、未来の夫は拒否。無菌室から始まった、長い、厳しい治療期間、変わること無く、見舞いを続けて、完全寛解持続、最終治療終了後、間もなく結婚。そして数年後、子供を授かりました。入院生活で思い出す患者

  • 術後五日目

    昨日は、歩行器使用許可が出て、行動範囲が、今日は拡がるでしょう。しげしげと、切開創部をじっくり観察し、予想以上のむくみ。股関節の前屈度は、鋭角まで、もう少し。感覚違和感と同居は、続く!術後五日目

  • 術後3日を過ぎた朝

    ベッド上で、痛みではない、存在感を主張している、右大腿股関節外側部に手をそっと置き、知覚感覚を指を動かしながら確かめる。前屈して、足指まで手が届く距離を見る。今朝は触れましたd(⌒ー⌒)!術後3日を過ぎた朝

  • 骨髄穿刺

    骨折した大腿骨頭を、全身麻酔、伝達麻酔下で切除。手術は、意識無いなかで施行されて良かった🎵骨髄穿刺は、異次元の苦痛、痛み。以前、静脈麻酔下での、骨髄血を吸引する度に、意識はない患者が、反応するのを経験した。術後、意識が戻ってからの激痛、いやはや!🌠この感覚は、骨髄は、極めて重要な臓器だからだ、と私は、おもっている。骨髄穿刺

  • 入院生活で思い出す患者達4

    診断は、形質細胞性白血病。宮城県内大学教授。研究費は、クライアントとの契約で、獲得している。契約期日は目前であるので、命をとしてでも完成させる!と、治療を優先させる気配は、全くない。状態は、風前の灯で、患者の意向を無視して、家族は、病院に連れてきている。患者は、安静を無視し、不眠不休で、立案書を作成しながら、心不全、呼吸不全で亡くなった。違約金を払いたくなかっから?余命を考えて、仕事を完成させたかった?契約締め切り期日には、間に合わなかったが、治療を完遂させれば、時間は手に入ったかもしれない。主治医である、私に対する信頼欠如の結果だと落ち込んだ。術後リハビリを焦り過ぎて、創傷を悪化させないと、自戒しながら思い出しました。入院生活で思い出す患者達4

  • 術後いちいち皮膚切開、人工物

    手術から一日経過。リハビリに気をとられていたが、改めて、皮膚切開部を見つめて、傷を治さなければならない、軽度とはいえ、内出血は、吸収必要。皮膚の感覚は、昨日は、痛みはなかったが、触っているのがわかるだけで、パンパンしていた。朝になり、細やかな触った感じがわかるようになり、昼頃からムズムズ、脚を思いっきり動かしたい感覚にとらわれ、夕方からは、シュワシュワ感じがして、その後、痛み触った感じが、健全時に近くなる。手術、大きな怪我。再悪化させないよう、でも、リハビリも👊😆🎵がんばる。術後いちいち皮膚切開、人工物

  • 麻酔からのリカバリー

    麻酔時のカニューレは、抜いた後に、手術終わりました名前を言ってください、執刀医は、上手くいきましたよと、声がけしてくるなか、目覚めました。覚醒後、痛いこと痛いこと。自動血圧計が、定期的に、カフ圧が加わる度に、時間が過ぎた、痛みは和らがない、痛い痛いと言っていると、痛み止めを点滴から追加してくれますが、痛い、痛いばかりでは、と笛の暗譜したければいけない楽譜を、思い浮かべているうちに、空也蒸し、六波羅蜜が出てきました。布施、禅定、忍辱まで出てきましたが、精進、知恵、持戒は、出てきませんでした✨どうしてかな?痛い、痛いで一時間、酸素吸入終了、病室に、まだ、外は明るいうちに部屋に戻りました。目を開けて、手を動かすと吐き気、頭を回転させ外を見ると吐き気、薄暗くなるまで、天井凝視。痛みは軽くなってきました。手術は終わ...麻酔からのリカバリー

  • 手術前麻酔導入

    名前、手術部位を口頭と、バーコードで確認。手術担当医からの術式の再説明。麻酔科医による、前日説明どおりの麻酔手順の説明。鎮静剤を静脈経由で点滴かいし、麻酔科医の声掛けに応じて、全体が、ボワットしてきました、意識が朦朧まで声を出した後は、何も無く失われた、手術前麻酔導入

  • 手術、入院8日目。転倒から3週目。

    診断が遅れたことでの、術後に支障が出ただろうか?立位歩行で、骨折のズレが大きくなった。門外漢の考えでは、ズレが、大きくても、骨を取り出すのに、影響は無いのでは?骨膜、周辺結合組織のダメージは、大きくなった。その分術前までの日常で痛みは、増すことになっただろう。手術で一括切除のはず。予定していた旅行は、リハビリ頑張って行けただろうか?団体行動するイベント旅行だから、早い日程で、手術しても断念しただろう。手術に漕ぎ着けるまでの日々の、次第に増した激痛日数の捉え方につきる。障害者が旅行するとは?を実行してわかったことは、収穫。病脳中、その日の状態出会った患者を思い出し、密接な再開を果たせたのは、収穫。昼前後、二番目の手術待機の午前中は、準備スケジュールに沿って、痛みが無くなるのかなの期待に溢れて、呼び出しを待っ手術、入院8日目。転倒から3週目。

  • 雪道転倒から13日目

    必死で、家に入り、階段手すりにすがり二階。猫達、餌を入れるが、猫砂交換までは、姿勢を保てず、放置。レギュラー位置の椅子に座る。間もなくして、隣組、お向かいさんが、次期班長引き継ぎの件て、いらしたが、私は、大声で、動けないので、二階まで上がってきてほしいと叫び、それに応えて上がってきて下さり、ネコ🐱好き、事情を察し、猫世話を引き受けていただく👌有難い🙇知人が、昼食など持って来る。疲れきって、また、午後になり、右足の長さが極端に短くなったのにきずく。夜間、激痛に加えあしの釣り、惨憺たる状況。ココは、足元でみている✨翌日も、動けず、8日にかかりつけ整形外科受診。やっと、骨折判明。雪道転倒から13日目

  • 入院生活で思い出す患者達3

    激痛の中、歩行中に、右足が、ガクンと短くなった。痛くて床を踏みしめられない他に、物理的に届かない!大腿の腫瘍切除で、片足が短くなったNさんを思い出した。腫瘍は、悪性リンパ腫(ML)だったので、私共、血液グループに紹介になった。MLは、化学療法剤が有効な腫瘍。切除前に試験生検で、診断できていれば、片足短足跛行にならずにすんだのに、と完治後、私が嘆息したら、彼女は、あの時、大胆な切除手術しなければ、診断もつかず、先生に紹介もされず、死んでいたかもしれないので、びっこぐらい何ともありません、と気丈でした。私は、大腿骨頭置換術で、左右同じ長さの足に戻してもらえる有り難さに感謝しなければ☀️。入院生活で思い出す患者達3

  • 入院生活で思い出す患者達2

    多発性骨髄腫で完治させられないまま、十年以上経過したTSさん。皮膚にも腫瘍が目立つが痛くはないよう。ただ、骨の打ち抜き像が、全身に認められ、右手をついて右前腕骨折、立ったら脚を骨折、左腕も骨折。私は、たかが、右大腿骨頭骨折で、動く度に、のたうちまわるほどの痛みだけれど、左半身で、いざって移動は出来る。望まないのに、達磨のように、動かない、動けない、彼女を思い出す。入院生活で思い出す患者達2

  • 街移動、車椅子、管轄外2

    牛深病院官舎からの移動は、階段は、手すりを利用して階段をのぼりきり、その先は、事務長が、車椅子を手配してくれたので、外来診察室に。診療終了後は、車で熊本駅に。車椅子、管轄内の連絡でスムーズに。九州新幹線、久留米を過ぎたふきんで、ANAからのメッセージで、仙台行きは、欠航を知る。思考フル回転で、東京まで、新幹線で向かう。当日の仙台に、向かう最終便は、とうに出ているので、車内から東京駅周辺ホテルの予約を試みるが、満室。雪でもあり!東京駅についてから、車椅子は、改札までで、構内の待合室の待機は、駅構内がシャットダウンする最終便まで。私の記憶にあった、終日開放されている待合室はありませんでした。午前1時半過ぎには、次々と閉錠。私の歩くのがつらそうなので、近くのドアを開いて、外に出されたのが、せめてもでしょうか。雪...街移動、車椅子、管轄外2

  • 入院生活で思い出す患者達1

    転倒後、日常作業がみままなりません。動くと激痛を伴います。シチュエーションに応じて、出会った患者が飛び出してきます。骨髄穿刺は、皮膚、皮下、骨膜まではキシロカイン麻酔が有効。麻酔液が侵入する膨張に伴う痛みがあるので、私自身の経験から必要最小領域に留めるよう、効果発現まで次を待機しました。しかし、目的の、骨髄血吸引は、笑気ガス麻酔でなければ消し去ることが出来ない、えもいわれぬ、地獄に引きずり込まれる感じです(自分のけいけん)。なので、素早く。佐川急便勤務の彼は、治療のため繰り返し骨膜穿刺が必要な急性白血病。何回か経験後、“キシロカインは、いらない。針刺しなんか!麻酔が効く前の痛みのほうがやだ。それに、血抜く時、無限の苦痛。時間は一瞬だけど”私、検査時にある姿勢を強要されるのですが、激痛を伴う。自分では出来ず...入院生活で思い出す患者達1

  • 障害者街移動

    一路、天草、牛深に向けて。仙台空港に到着。一階空港内まで、杖歩行。案内カウンターに、車椅子の使用をお願いすると、準備してくれたので、乗り移り、押して貰い、ANAチェックインカウンターへ。補助が必要な人申請をする。ここで、車椅子を、ANAの物に変える。座面など、先程より座り心地、安定感がある。車椅子は、飛行機入口まで。座席は、一B。福岡空港到着。自力でタラップを降りなければ成らなかったが、歩くよりは楽。地上には、車椅子は、準備されていた。バスにのるまでで、乗車は、自力。バス下車地には、車椅子が、準備されていました。福岡地下鉄まで、職員の方が押してくれました。管轄外とのことで車椅子は、下ろされました。やむなく、杖歩行。エスカレーターは、私の移動速度は、乗降には、不適切、危険と判断して、エレベーターに。見つかり...障害者街移動

  • 骨折判明まで3日

    血液外来診療日。来てくれるタクシーがあり、一安心。運転手さんは、見知った方。事情を話し、年なんだから!と諭された。杖歩行で、診察室へ。定時まで診療。座っているだけだと、痛みは殆どなし。タクシー利用で帰宅。明日の天草診療決行を危惧、阻止したい知人から電話があるが、座位は、痛くないし、障害者対応を経験したいから、予定どおりにすると伝える。夜、ご主人が、仙台空港まで送るとの連絡あり。タクシーで行くつもりだったけれど、ほっとした気持ちが起きる。骨折判明まで3日

  • 切望しているのは長ーーい手

    右足大腿骨骨折で、足指に手が届かなくなった。前屈みができず、膝も曲げられず、物を落とすと拾えない。腕の延長を切望。切望しているのは長ーーい手

  • 雪道転倒五日めから

    捻挫ならば、痛みは改善してくるはずと、仕事予定がない29日から二月二日までは、自宅安静、排泄以外は、移動しないように努めたが、痛みは和らがない。皮膚いろのへんかはない。1日にリハビリよていだったが、キャンセルした。もし、受診していたら、骨折判明したのか?判明したなら、唯一の後悔。足の左右差はなく痛いだけ。痛みの部位、今感じる部位、外側はなかったような記憶。単純レントゲンでは、ボキッというよりは裂けた感じで、この時点で、判明しなかった可能性は?雪道転倒五日めから

  • 結婚を望まれはしましたが、言葉の暴力に耐えられず

    恋うこともなく、熱烈、執拗な、求婚に、結納を交わしました。親友、両親は、先行きに危惧を抱きました。共に学生。父は、すぐの結婚を反対。親の責任として、大学を卒業させ、気持ちが、変わらないならば、卒業後に結婚とさせてください、と端然、断固と父は申し述べ、結納、婚約のみ。その後の彼は、学友との会話も、禁じ、執拗な攻め立てに晒されることに。卒業間近に、結婚は?と、私が問うた後、彼が入局する科は、結婚しての入局は、許されない、足手まとい、と言われた記憶迄で、意識を失いました。心配になった彼が、呼んだ友人夫妻がいるのを、意識を取り戻したら居ました。35年後の同級会で、訪ねましたら、転がっていた以外の覚えはないと。私は、自分のことだけれど、友人にとっては、その場限りのことにすぎず、私は、目撃した友人に、問える程にはなっ...結婚を望まれはしましたが、言葉の暴力に耐えられず

  • 独りが入院で直面する問題

    入院時、保証人を求められる。入院料金とりっぱぐれ防止だと理解しているが、未婚、両親は他界。兄は、遠方に居住し、仲は、悪くないが、頼れる存在ではない。病状説明は、病院側の自己満足、責任逃れではないか❗自立、独りを貫いてきた覚悟はあって、術後失敗で死んだとして、悲しんでくれる人はいるだろうが、責任追及するほど愛着を持つ人はいないはずだから。病状説明、治療説明、手術説明は、孤独患者が納得して、受け入れれば良いでしょう。誰に見守られない、孤独死も望ましいが、死んだ後の手続きが、滞りなく、連絡する体制を模索中。独りが入院で直面する問題

  • 緊急入院四日目

    緊急手術は、再来週か?となり、入院している病院は、7:1。在院期間が長くなると、保険点数が、急速に低下する。というわけで、手術日が、先延ばしされると、術後すぐ、退院を要請される危惧。リハビリは、在宅通院を切に希望しているが、術後間もなくだと、リハビリ病院転院もあり得る。入院中の今の状態は、ベッド上安静、鎮痛薬のみ。主治医は、車椅子を使うなど、動いて✨と申し伝えられたのに、また、車椅子移動は、左足を軸に、難なく行えるのに、監視下の移動ではなくては駄目と拒否。トラブル責任問題があるので、やむを得ないとはおもう。自由を奪われている、辛さが、身に染みる。緊急入院四日目

  • 雪道転倒、四日目。骨折判明まで9日

    転倒四日目。日曜日。知人が、日帰り温泉を誘ってきた。右股関節捻挫で、痛いし、動き悪いんだけと、話したら、秋保から、フラットなサンピアの湯に。車椅子で、“湯舟”近くまで移動、杖、湯舟の手すりを利用して、無事、温泉に浸かりました。その後、入浴は、痛いので、毎日、日延して、1日に。我が家の風呂場は、障害者仕様になっています。50年前、全身の関節を含む膠原病“リウマチ因子陰性のリウマチ”になり、進行性で、治る見込みはないと判断して、新築時に、手すりを、入口、階段に。廊下は、まだ普通に歩けるから、壁は補強しておくから、必要になったらつければ、ということで。玄関は、大きなスロープ板を置き、外から車椅子で、出入り出来るようになっているのが、急な今回に対応出来ました。座位はまあ痛くないのですが、人間大変なのは、排泄移動。...雪道転倒、四日目。骨折判明まで9日

  • 骨折日記2

    大腿骨頭転子瓿骨折。初日、痛いが、両足で歩く。布団に寝るのに左半身をつけて倒れ混むように、寝返りは、痛みを避ける様に。まどろみながら、明るくなるのを待つ。翌日、登山用杖を補助に、玄関近くまでタクシーをのりいれてもらい、かかりつけの整形外科受診。単純レントゲンでは、異常なし。歩行に、痛みはともない、杖ほじょで左右両足で歩く。立ち上がりは、左足で踏ん張って三日目。外来診療のための、タクシーで出勤。杖補助で両足歩き。座位になると痛みはない。診療終了後、立ち上がりは、左足踏ん張り、つくえに手をついてたち、杖をつきながら、タクシーで自宅に戻る。笛のお稽古は、断念。前屈ができず、右足を後ろにひき、左足膝を曲げて、かろうじて、猫餌、猫砂を整える。座位で寝た方が、深い眠り時間はながい。骨折日記2

  • 2024/02/09

    1月26日、自宅周辺は、些細な、踏みしめられていない雪道。人、車が行き交う、駅近くは、固められ、凍っていたようで、自転車ごと転倒。激烈な痛みに耐え、富沢駅駐輪場まで歩き駐車。その後の、詳細は、追々。当日は、外来診療だったので、翌日整形外科受診。骨折、ヒビはみられないが、直後は、わからなくとも、後ではっきりする場合も。痛みがひどすぎるから、また、受診と言われ、2がつ8日受診。骨折と診断され、救急車で、搬送、入院。2024/02/09

  • 特攻隊員

    朝ドラ、【ぶぎうぎ】で、金曜日12日のあさイチで、淡谷のり子さんが、特攻隊員の前で歌唱した、回想シーンの記録を拝見し、平均年齢16歳で、行きの燃料だけで、死ぬ以外はない特攻隊員。若人の死。父は、戦中の話には寡黙な人であった。終戦は、横須賀海軍航空基地で迎えたらしいことと、仙台血液疾患センターに併設した造血器主要研究所の、大きな木の表札を揮毫したもらった時に、ボソッと、特攻隊〇〇〇以来になる、と。父の生前、倫理的に、人としての在り方には厳しかったが、叱られたことは無い。手(書)は美しくと、(硯、墨一式)、たしなみとして楽器を(大学入学で家を出るときの荷物に笛を忍ばせ)、武術も身に着けてほしいと希望されたぐらいで、勉強については、言及されず、本は身の回りに豊富に取り揃えてくれたぐらい。暇になった最近になって、...特攻隊員

  • 国2

    今は、沖縄県となっているが、琉球王朝が支配していた琉球王国。島津氏による侵攻、幕府体制に取り込まれ、明治維新、廃藩置県、明治12年琉球処分、沖縄県設置。強国による侵略阻止は?武力装備とすれば資源が豊かであれば、他国からの外貨はが資金となるが資源が乏しければ、税として徴収、国民負担となる。属国に甘んじれば、香港が思い浮かぶ。国2

  • リアルインサイト社主催、日台友好歴史探訪セミナーツアーに参加して、台湾、ウクライナ、パレスチナ、イスラエルの、現状を考えると、国とは、確固として存在できているものではないと、突きつけつけられる。日本国は、独立国として主張できる国であるのは、聖徳太子の国として整備するという確固たる意志の下で、整備され、国としての有様が整えられ、受け継がれてきた。自国以外は、他国。安穏としていられるものでもない、が、日本国は、独立国として、国際法の下で、強く主張できる国。国

  • 診察室で;病気との向き合い、歩み方

    現在の診療体制は、何十年来顔を合わせている患者の診療が主。5日、3か月ごとの受診のたびに、体のあちこちの不調を訴える慢性骨髄性白血病(CML)患者。CMLは、分子標的薬で、変異遺伝子ほぼ消失、患者は安心しきっているのか、内服中断を渇望。古い古い、お灸の大きな痕跡が、お腹にも腰にも。他院からの処方、20種類ほど、内服中とのこと!二度三度の生命危機に遭遇しながら、医療を受けつつ、しょうがないですよね。体調に合わせて、仕事を継続できて、と語る患者。急性骨髄性患者(AML)患者。受診不要といっても、安否確認のためか、年に一度は、顔を出す患者。先生より若いから、僕のほうが長生きするな!と、のたまう患者。一週間に一人ほどの、死亡患者に立ち会う疾患を45年継続してきて、切実に、私より若い患者は、長生きしてほしいと願う。診察室で;病気との向き合い、歩み方

  • 2023年10月21日の出会い

    篠笛を習っています。幼い頃から、父の笛を吹いているのが好きでした。小説から、笛への憧れが生まれました。大震災後。崩れ落ちた中から、大学入学、家を離れる折に、荷物に潜ませていた、筆と硯、笛が現れ出てきました。笛への憧れは続いていましたが、習うための、決まった時間が、2015年末に出来、習い始め、上達しないながら、続けています。来年には、薬師寺、食堂での献笛を許していただきました。共に習っている国語の先生が、ずっと探していた、好きな小説<飛天>を見つけました🎵と、コピーを持ってきて下さいました。滝口入道の横笛の方の様な音を目指して精進。医学部の同級会。卒業間近の、恐怖の画像と共に出てくる記憶の言葉<あしでまとい>を自己紹介に交えなから話しました。話せるようになった!PTSDに捕らわれなくなって...2023年10月21日の出会い

  • パレスチナ

    パレスチナイスラエルのガザ進行が実施されたらば、イスラエルは、パレスチナに対する、ジェノサイトを狙っているのでしょうか。ホロコーストの対象となった民族が、第二次大戦後の戦勝国によって、先住の人たちを排除して樹立された国、イスラエルがホロコーストと同じ行為をする。人間が、国という概念を樹立し、土地の争奪戦という、業の果て。パレスチナ

  • 死ぬのは全ての人が出会う

    死は、全ての命ある生物に訪れる。年齢は、問わず。生物寿命を提示されているので、高齢になると、寿命迄の、残りが短くなったと知識上考える。加齢に伴う、可視可能な身体変化が現れ、年を取った、現世から去る日が近くなったと思うわけです。死ぬのは全ての人が出会う

  • 高齢者

    高齢者範疇に組み込まれることで、否応無く、最期の日を思い描くようになった。好きな物、本の中で、埋もれて、快適に、今の住居で、死を迎えるつもり。遺言作成。独居で、死んだ場合の対応は、動作を遠隔センサー感知の会社と契約で、解決。高齢者

  • 身体不調に委ねる

    友人が、腰痛、暑さで動けない、と連絡があったので、腰痛新参者は、MRIなど、精密検査が必要と助言。悪性疾患を主に診療してきたので、手遅れにならないためにまず除外診断と勧めた。結果は、腰椎ヘルニア。友人は、暫く安静にする、というので、身の内に存在し続けるから、不調に委ねながら、伴走を心がけなさい!と、50年以上、病名確定しない膠原病関連全身運動器関節炎後遺症の疼痛、痺れ、麻痺と付き合ってきた私のアドバイスでした。有る存在として付き合う。治る術が見つかれば、治療は、受け入れるけど。身体不調に委ねる

  • いざ!天草

    ツキイチとはいえ、みちのく仙台からは遠い。情報は、首都圏に偏在。僅かでも、九州関連報道は気に留めるように成っている。身近になるとは、こういうこと。いざ!天草

  • “らんまん”のアカハラ

    我が恩師が、入局、昭和27年当日でも、教授の一言は絶対であったようで。また、権力、金力は、次の情報入手の優先的、絶対性を獲得。恩師の時代、研究に顕微鏡は必須でも、使用順位は、年功序列。成果を出せない、悪循環。脱け出すために、バイトに精をだし、個人購入。海外文献は、まず教授。知識も、持てるものは、更に持ち、教授の提案で研究し、以前は、第一著者を教授名にするのが慣例で、破ったのは、破門の憂き目。“らんまん”は、明治維新に近い時代。でも、昭和の時代だって!私が入局した、昭和50年の新教授は、教授は、「大名と同じだ。従うのが当然」。その背景には、研究費の、争奪の意図があり、私へのアカハラの始まりだった。“らんまん”のアカハラ

  • 宗像大社御神木楢ノ木

    7月25日、宗像大社研修で、樹齢六百年弱の枯れた楢ノ木の御神木を目にした。三週前の参詣時には、青々としていたそうで。この楢ノ木の実から育てている幼木は、育っているよう。シンボルの異変には、衝撃し、意味を考えざるをえないが。楢ノ木は、林を形成せず一本独立して生える木なのかしら?原因は、気付きが遅れた感染症?地下水脈が、変わった?宗像大社御神木楢ノ木

  • 宗像大社

    宗像大社研修に参加。熱望したのは何故かと自問。神の降臨の地に対する好奇心も無くはないが、崇め信じた、人々の心、気持の有り様を感じたかったから?宗像大社

  • 2023/07/22

    宗像大社参拝、研修参加前に、過ごしてきた日々を振り返り、最も費やした、朝の習慣は、毎日の挨拶代わり耳朶血を搾り結果に一喜一憂急性白血病の治療を、中心にして、毎日を過ごしてきましたから。休日、就業時間の概念は、皆無。年末年始、ゴールデンウィーク、連休は、人手が少なくなるので、いつも以上の忙しくなる日。状態が落ち着いている時は、研究に没頭できる“かせぎどき”という考え方だった。2023/07/22

  • 46年前の梅雨明けの日

    沖縄、奄美に続いて、中国、近畿、四国に梅雨明けがだされました。東北仙台はまだですが、梅雨明け1977年、東北大学第3内科に入局した初めての年。梅雨明け宣言が出された、当日、空には太陽がさんさんと輝き、気温は急上昇。朝には、病棟の廊下を歩いて、HTさんが、急に呼吸苦を訴え、心不全で急逝。病棟には、他に二人、今日か明日かと見守られていた方も、亡くなられました。冷房装備のない時代の、梅雨明けは、体力の低下している患者にとって耐えがたい環境でした。独歩、自力で身の回りを整えられる、20代の、急性白血病治療中の患者にとって、急激な、気温上昇で、命を失うのを目の当たりにして、急性白血病の治療、研究に邁進すべく、入局したばかりの新米医師であった私には、衝撃でした。熱中症アラートなどまだまだ出されていない時代でした。46年前の梅雨明けの日

  • 前歯一本喪失にすぎないのに!

    むかし、むかし、栓抜き代わりに、前歯を使って、ひびが入り、手入れも悪く、虫歯になり、ついに、抜かざるを得ません!宣告後、あっという間に抜歯。その後、たった一本なのに、喪失感は半端じゃないし、周辺の歯への負担、半端じゃない。失いて来し有様を省みて戻らざるもの深く刻みし歯といえど咀嚼以外に質感も形さえおも感じているとは無い歯の部分、あるのに、形が抜けて感じるのには、驚いた。前歯一本喪失にすぎないのに!

  • 2022/11/14

    臨終前後の周囲の在りかたは、どうしたら良いか。常勤医不在の、療養型病院に、月1~2回、日直医として、秋から勤務している。コロナ禍、クラスター発生時だったためか、病棟患者に接する機会は、目下皆無。今朝、出勤早々に、「昨晩死亡された患者さんの家族が、まもなく埼玉から到着されます。先生、経過説明していただけませんか?」面識の無い、患者の経過説明など、この病院の診療記録は、看護記録のみ。知りもしない病状経過、面識無い患者、家族への説明などという鉄面皮な行動は丁重に断らさせていただいた。臨終の床に、縁ある人々が集まり、旅立を見守るのは、稀なこと。コロナ禍以前でも、死んでからの連絡で良いと言う家族も存在していた。コロナ禍では、病院、老健施設などでは望んでも出来ない。死者の最期を迎える状況説明の近親者の、望みは何か?と...2022/11/14

  • コロナ禍で国の借金がさらに増える

    今年5月には、国の借金を国民一人あたりに換算すると、1000万円を超えたと報道されていた。コロナ禍で、さらに増えている。ワクチン、治療薬など、主にアメリカに支払われているのだろう。国産開発が遅れているのか、遅らされているのか、なにか、国外からの目に見えない取引、圧力が有るのか無いのか?1980年代の、国産開発、TRONに,アメリカ合衆国から名指しで、スーパー301条に引っかかると圧力がかかり、国、教育機関などのOSは、MS-DOS一辺倒に。頭脳を、アメリカに支配されると危機感を抱いた、トヨタの開発者は、TRONを採用して開発を進め、また、TRONの特許をとらず、無償配布をしたので、家電メーカーはTRONを採用して開発を進めたなどの話を思い出しました。コロナ禍で国の借金がさらに増える

  • 5月に猛暑日

    栃木県佐野市、群馬県高崎市で、5月29日35度超えの猛暑日を記録。気候変動を実感。温度に影響を受ける、食糧供給網の変化もさらに急激に押し寄せてくる。供給されるうちは、良いけれど………。食べられるけれどの雑草群食べられるけれどの昆虫に対する知識は、知っておこう。食べられるけれど飢餓に向き合うか食べて生き延びることを選択しようと思うか、温暖化の食糧事情に対応しようと、準備している方たちに期待する。5月に猛暑日

  • 1970年代後半の無給医局員時代

    未踏襲の近場散策を趣味とする友人に誘われ、名取川河川敷を散歩。水は少なかったが、対岸までは渡れなかった。一休み中に、収入減って、大丈夫?と問われ、大学に戻った直後は、親の仕送りで生活していて、その生活に慣れているから。と、応えると、基礎は、親がかりで質素だけど、臨床系は、バイトで、豊と思ってたけど!と、驚かれたので、第3内科、血液グループは、他のグループとの異なる事情を話し、また、女性であることの、表面的ともいえる温情につつまれたバイト事情での、低収入状況を話し、その後、【昨日の無給医師の話は、こう言っては、悪いですが、可笑しかったですね。】と、メールが届いた。グループに所属していた、検査技師も、仕事に見合った収入にならない環境に、憤っていた。時間外、休日手当という発想が乏しい医学部の時代でした。大学紛争後、無...1970年代後半の無給医局員時代

  • 今でいうブラック企業=第三内科血液グループ

    宇塚先生の祥月命日が近いこともあり、友人は懐旧談で、研究真っ盛りにやっていたころは記憶にもないほどおもいだしたくないといっていた。入局初日の血液外来、宇塚先生1人で外来診療にあたっていた。当日の採血した血液を、Iさんが、血液像、網状赤血球、血小板の直接法計測用を塗抹標本にし、血球計数機で、白血球、赤血球関連を測定し、データが出ると、診察室に持って行き、そのデーターに基づき患者指示を出していた。次々に骨髄穿刺の指示が出るようで、今までは、宇塚先生が穿刺していたようであったが、”君骨髄穿刺できる?”と聞かれたので、私は”できます”と応じ、当日から骨髄穿刺は、宇塚先生に変わり私が行うことになった。初日の、骨髄穿刺は、16名の患者に実施。今までの病院では、前日から準備にかかり、レントゲン撮影ができる手術場の実施であった...今でいうブラック企業=第三内科血液グループ

  • 聖なる弑逆後--2

    仕事は講義診療研究で必要なれど家事一般はと言いつつ、放棄していた時とは違い、暇な一日の過ごし方のなかで、過ぎし両親の日常をしのぶ摘み取りし蕗の筋取りあく抜きに手間ひまかけた母の思いとはネギの具に父のこだわりあることを思い出させし御三どんの功炊き立てのご飯に混ぜしさくらえび木の芽ちらして春満喫すウドに蕗根三つ葉木の芽さくらえび春満載に賑わうお膳聖なる弑逆後--2

  • 食糧自給

    ウクライナへの、ロシアの侵略戦争後、エネルギー供給、食糧供給異変が、世界規模で起きていることから、宮学食品栄養学科勤務中にも、関心があった日本の食糧需給に再び関心が。気候変動の影響で、食糧供給体制にも影響が出てきているはず。各国別、食糧自給率をネットサーフィンしていて、以前イスラエルを訪問した時、”食糧自給率は高い”と誇らしげに話されていた記憶と違うデーターに遭遇。イスラエル大使館の広報では、90%以上であると記載してある。日本のカロリーベースの自給率は40%以下と年々減少傾向し続けてきた。生産額は、70%弱。庭でかってに生えているものは、日々の食糧としてはと、春先から利用しているが、味覚に耐えられ、多食できる旬の時期は短い。齋藤淑子 Facebook捨てた皮から、ジャガイモ、長芋も、出ては来るが。食糧自給

  • 聖なる弑逆後ー1

    仕事とは講義診療研究で必要なれど家事一般は非常勤として従事する身となり、早6年。2016年に次ぐ3年間は、当直免除となったのみで、終日7日間勤務。2019年からは、今春までは、週数日間の勤務。今春は、土曜の診療のみ。責任から回避された、自由時間の過ごし方に戸惑いつつけている。三度の食事、放置した家の整理、家事全般、猫たちとの生活で暇はなく、多忙ではある。物足りなさが、くすぶっている。篠笛は上達したいと練習し続けているが、お茶の稽古も続けているが、もやもや、体はもさもさ、すっきりしない日々。聖なる弑逆後ー1

  • 骨髄移植後

    同種骨髄移植後の生着は、ほぼ100%と実感している。生着後の疾病罹患発生と移植の関係になると、20年以上経過して、脳血栓症発症、数年後に白質脳症が発症。移植後33年。今年、薬師寺の修二会で授与していただけるお守りを御送り、いただいた後に、母親からお礼を兼ねた近況報告の電話で、白質脳症と診断されたと。1987年当時、中枢神経白血病は、難治で照射、MTX髄注を施行し、なんとか同種骨髄移植にこぎつけ、生着、社会復帰、公務員として働き続けていたのだが!移植時は、若かった親、今また老いた親の介護を必要となって。宇塚先生の葬儀の時、私に向かって、『長生きしてください。私たちが死んだとき、先生が頼りですからと』言われてから、まだ7年なのに、『あれから、一緒に30年以上も生きてこれましたから』と。私が慰められた。治癒した患者の...骨髄移植後

  • 自然は!

    8月まで、講義予定がない。講義のない日の、朝は、庭と格闘する、第一日目。ままならない、春の草の成長の早いこと!寛解後、嫌いで飛び出した家業の漁業を手伝うことになった、急性リンパ性白血病の若人のフレーズを、突然浮かぶ。「自然相手にしていると、思い通りにならいときは、状況に合わせて動かないとダメ、待つことをしりました」と、言っていたな!だが、スギナ、カラスノエンドウは、半年ほど待つというか放置すれば、枯れる。むさくるしい雰囲気になる。食糧になる感触からほど遠い。次いで、ドクダミ。白い花が、庭を覆い尽くすときは、美しもあるが。高くなっている木は、生育を障害される気配はないが………。ということで、果て無き草取りにしばし、いそしむ。自然は!

  • ウクライナ

    戦争。世界では、絶えず起きている戦争。アフガン、シリア、アフリカ諸国は、知っていても、身近感は、なかった私。今起こっている、ウクライナのロシアからの侵略戦争は、戦争の身近さをひしひしと感じる。日本は、ロシア、北朝鮮、中国に、囲まれている。資源に乏しい、食糧自給率の低い国日本。ウクライナ

  • 暇すぎて

    年齢故に、常勤的職は、2019年3月末を持って、打ち切られた。その後も、2021年12月までは、不定期ながらも、週5日は勤務日だった。それ以後、自主的、時間の過ごし方を模索(模索しなくてもよいのにと自問自答しながら)。何をして、生を全うして死を迎えるか。生を全うしていると自覚できるには、何をすれば。診療、臨床研究を継続するには、環境制約が強い。打破するに足る?存在が期待されなくなった、ことになれるということかと思いいたる。でも、ねーーーーーーーー。駄文をこの場に、書き連ねる。暇すぎて

  • 2021年

    2021年残すところ3日。以前から引き続いて、変わらずのこと以前から引き続いていても変わったこと年なかばからはじめたこと私はかわる。君も変わる。時は進む。変わらぬものはない。変わりながら歩めばよい。捨てるものなどない。巡り合った日から、未来永劫、あり続ければよい。此岸での私を知る人が、今年も彼岸に渡っていった。2021年

  • 西田利貞著:新・動物の「食」に学ぶ

    再読。気候変動、食糧栽培の今後、日本の食糧事情が気になる。断捨離は、念頭にはないが、暇な時間もでき、ほったらかしてきた家中をボチボチ整理し始め、埋もれていて本がでてきました。2008年11月初版本。題名に惹かれ、再読。気候変動、食糧栽培の今後、日本の食糧事情が気になる。動物の食と、植物の生態系の関係。飢餓になれば、食べ始めるもの。”常識外れの栄養学:食事については、なにか迷信のようなものがつきまといがちである。”などの記述も、なるほどそう考えるのですか、と特に反論もありませんでした。”人間も食べるためにいきる。”の記述にも、そうですそうです、でしたが。”生命の流れを絶やさないこと”の記述は、独身、古希を過ぎた私にはグサッとやいばがつきつけられ、生命の流れは、わが身では絶やした。臨床医として生きてきて、自身ではな...西田利貞著:新・動物の「食」に学ぶ

  • 同窓会誌が届いた

    令和2年度の同窓会誌が届いた。入局(1977年)間もない、医局での出来事を思い出した。”教授は、大名だ。配下は、一言もなく従わなければならない。わかるか!あんた。”と、教授に言われた。理解に苦しみ、座っていただけ。その後の、血液班への、執拗な攻撃の渦中にさらされる前触れだった。いまはなきわが恩師への研究依頼、潤沢な研究費を、わがものにとの画策の始まりとして、事情を知らない私を狙っての発言だった。死を目前にして戦っている重症血液疾患患者と、恩師宇塚との、臨床、研究は、教授といえども、命のかかった戦いさなかの血液グループの私には、くだらないとしかもえなかったし、また、毎日の診療、研究で睡眠もままならない生活の中では蹴散らすたわごとでしかなかった。1980年前後は、今のような予約制でもなく、超重症患者が送り込まれてく...同窓会誌が届いた

  • バレンタインの思い出

    バレンタインデー。アメリカのペンパルから、エアメールの封筒で送ること可能な小さなアクセサリーをプレゼントされ初めてその名を知ったのは60年前。男性に思いを伝える手段としてのチョコレートを渡す❕何のことですか??間もなく義理チョコが流行り、人気のバロメーター化した。暫くして、ホワイトデーが出現。そんなこといわれなくても、チョコレート返しをまめまめしくしていた男はいて、渋く好かれていたのです🎵2011年3月12日に、宇塚先生は、ホワイトデーのお返しを準備していたことに、はたと思い至り、食料が枯渇していたので、2011年3月11日東日本大震災発生翌日。回線復旧直ぐに電話しました。岩崎本舗に。直ぐに注文してある角煮まんじゅうを発送して!と。返答は、ご要望にお応えしたいのですか、出来ないのです。発送出来ないのです。電気は...バレンタインの思い出

  • 東京オリンピックの開催

    どうして中止するの?目下、COVID-19は、世界に猛威を広げ、驀進中。古代、オリンピック期間中は、戦闘を休止して開催されたという。今回の戦いは、人とウィルス。人の中で増殖して、人が排出したウィルスは、増殖する住処、すなわち、人、ある種の動物が接触してくれると入り込んで増殖し、生き続ける。ウィルスの人乗っ取り作戦には、休止はない。だから、オリンピックは中止すべきなのか?開催したっていいじゃないの、今は思っている。昨今の、史上最大の参加国、参加選手は望むべきもないだろうが、感染防御に勝利したアスリートが参加すればよいのでは。別の、選別基準が加わった上での、従来の判定基準で、勝敗が決せられるだけではないのか。参加できるまでの国、選手自身の努力が反映される。中止の、負の面と開催のバランスを考えると、開催に伴う、主催者...東京オリンピックの開催

  • 新型コロナ感染症で、感染専門分野外の医師は、何を思っているのか?

    感染対策に精通していなければいけない、急性白血病を専門分野とてきた血液の指導医です。入院中、患者、家族を含めた精神状況の配慮をしながら医療を進めてきました。現在の、コロナ対策の結果としての社会の閉塞、経済萎縮のあおりをもろに受けて、生活がひっ迫している人が、日々排出されている現状に対して、それぞれの分野の医師は、現対策を肯定しているのでしょうか?自殺者の増加。DVの増加、家庭崩壊も起きている。休業、廃業も増え続けている。コロナ感染は毎年冬季には流行してきた。インフルエンザも毎年冬には流行してきた。そのうえでの、ゴールデンウィーク(政府の5月1日公表の制限)の、お盆期間(政府の8月1日、8月5日公表の宣言)の、制限は、短期的に感染制圧可能と思って発令されたのだろうか?制限は、人の心、経済をも鑑みて発令されたのだろ...新型コロナ感染症で、感染専門分野外の医師は、何を思っているのか?

  • すきま困った!

    12月15日から1週間ほど続いた雪。路面凍結!コロナ禍の影響持続で、週末営業規模縮小のため、タクシー予約、呼び出しもできず(困った①)、自宅周辺の道は、乾燥していたので自転車で出かけたが、凍結道路で転倒!右膝捻挫。やむを得ず徒歩で。足はつり、しかもいつもと違い、筋肉は、炎症腫脹。これ以上は腫れないというほど緊満。その後、遅々として改善せず。当てにしていた定期の石油配達が来ず、来週の配達日は祝日に気づく。さすが、再来週までは備蓄石油は枯渇する。車を持っていないので、石油缶を持参して買いに行けない(困った②)今回は、大したことのない困った、些細に、困らなくても良い様な、すきま困ったで、じっくり考えると対応策があった。雪の日のタクシー。バスは頼りにはなるが、バス停に到達する脚力がなくなったら?頼りにされているわけでは...すきま困った!

  • 振り返る

    東北大学第三内科、仙台血液疾患センター、冨田病院、葵会仙台病院と続けてきた診療が、打ち切り通達があった2019年年末。血液疾患は、専門性が高く、重症化しやすい為もあり、東北大学時代、医師による敬遠、忌避が見に染みていたので、診療中の患者が、他の医療機関を受診した際の、取り扱われ方に思いを巡らすと、患者を引き連れた移動先を見つけなければと決意し、奔走した。年始から2週後、いみじくも、有り難く、佐藤病院で引き受けていただき、勤務は、外来、月曜午後と、偶数週の土曜日だけなのですが、入院が必要となったとき、院長先生が快く引き受けてくださるのです。高齢で、合併症が起きるであろう患者一人と、毎月輸血が必要な、遠方から受診する患者については、経過が長く、高齢でもあり、引受先で敬遠されるだろうなと思われて、必死になって患者引き...振り返る

  • コロナウィルス

    新型コロナウィルス感染陽性確認者が連日過去最高という報道が続いている。予想できたことではないのか?冬季になると、上気道感染症が急増する。3割程度は、コロナウィルスによると推定されていた。特別な対策もないことから、病原確認をしないのが常識化していた。新型コロナといえども、コロナウィルス。変異といえども、本来の性格を失うとは想定していなかったはず。自粛要請で、根絶できると思ったのか?感染症の根絶は、無理と専門家は表明していた。感染は、再興の時まで鳴りを潜め、生を全うするために、時を待つ。春から夏の、自粛は無駄だったのでは?夏は、お盆時期、経済活動の制限措置押せず、冬季に集中的、強力規制方針を計画はなかったのか?場当たり的、行政対応に見える。支援対策としての放出金、将来にわたる、未来へのつけ。覆水盆に戻らず。過去最多...コロナウィルス

  • 感染症予防余波

    COVID-192019年に始まり、先行きが見えないまま、2021年越年する勢いの、第3波。2020年春から始まった経済活動の停滞、人的交流遮断対策は、一時的成果のみだったから、11月末の急増となっている。感染情報以外の、社会的”合併症”である、自殺、DV、認知症の増加、悪化の分析の大規模データーの報告が欲しい。感染者、発症者のデーターも、基準がなく、数字の羅列だけのような気がする。検査数と感染者、発症者の割合(時々は報告されているが)。未発症陽性者の年齢構成など。データー管理システムの公表体制が、国レベルで整っていないのでしょうね。今は昔の、年金データーの多くがないことにしてしまった国のデーターに対する向き合い方を彷彿とさせる。感染症予防余波

  • マイナンバーカードと病名告知

    マイナンバーカードを医療情報を共有する手段として検討しているようだ。問題になっているのが、病名。健康保険システムは、認可されている適応病名に合致しなければ支払われない。というわけで、沢山の病名がある。悪性疾患の場合は、病名告知がなされていない場合がある。悪性疾患といえども、治療するのは患者本人。原則、患者自身に説明告知。しかし、健康と思い過してきて、余命いくばくもない段階で、診断確定されたとき、真実を告げるか?ありのままに?真実は劇薬、嘘は妙薬。マイナンバーカードと病名告知

  • 戸籍、死籍

    今後かかわりを持つかもしれない研究所の事務長が死亡し、その事務長は、両親が死亡し、一人っ子で、死後の連絡先も不明で、いかなるものかと研究所長が思案に暮れている、との話を友人から聞き、雇用主の研究所長が、事務的に、死亡手続きをするしかないではないのと話した。連絡先不明で死んだ場合、周囲は、あたふた、どうするかと悩むらしい。臨床医として、死亡診断書を書く前、その後について、今回、考えるきっかけとなった。戸籍は、出生証明書を届ければ、その後、生きていれば、区切りの年に、行政が施行する行事を連絡するシステムがある。死亡証明書を、行政に届けた後は、戸籍消滅、そのほかの、若干の手続きが必要とさえている。遺体、火葬後の骨の扱いについては、埋葬許可書が交付されるが、場所の明記はないはず。わが身を振り返ると、独居である。両親は他...戸籍、死籍

  • 死にめに会えない。

    終生、愛するものたちと一緒にいたい。のに、息を引き取る傍らにいること、かなわなかったとき死の悲しみに加え、一層の悲嘆が加わる。今年は、コロナ禍で、大雨、天災で。両親、恩師の最後の床で、死を宣告するために傍らにたたずんでいた。初めて、拾ってきた猫で、誰にもなついた人気者のだったが、私には、じゃれあい、かくれんぼをしたり、空いている場所があるのを知っていながら、お家に入れないと鳴いたり、誰よりも一番となついていた。持病の慢性感染症が徐々に悪化し、元気がなくなり、回復を願って入院させた。で、死に目に会えなかった。仕事で、朝の、出かけられず、電話で死んだことを知った。最後を共にいられなかった。亡骸は、胸に抱いたが、十数年経っても、癒されない思いが続いている。死にめに会えない。

  • 敬老の日

    女性の4人に1人が70歳以上の高齢者との報道。自分も高齢者だと再確認。今日一日、友白髪で、仲良く高齢のご夫婦を沢山拝見。心からおめでとうございます。努力の甲斐があり、長年のトラウマの残像のフラッシュバックが無くなり、独身、独居の身で、今年は、長年連れ添ったご夫婦をうらやましいことと!といえるようになりました。”死”までの時間が減る一方を実感する身体機能と日々折り合いをつけながら、過ぎ去った日々を思い返し、かと言って後悔することもなく、結構充実、楽しい日を過ごしてきたなと思えるようになったからでしょうか。幼き日、若い日を知る人も、一人二人と彼岸に旅立ち、身近に頼る人もなく、独身独居、死亡後の手続きを滞りなくするには如何が、最大懸念事項。恋われて婚約したものの、婚約破棄を数年後に申し出て。父は、【気が変わらなければ...敬老の日

  • 古人もわかってほしいと書いていたのだと思う

    法華経を今読んでいると、友人に話したら、二十代前半は、大乗仏典、二十代後半は、源氏物語漢詩が愛読書だったとか。漢字の世界には、女性の傑出した名前は思い出せませんが、”かな”になると、表舞台は男性社会だった古の女性が、書いた源氏物語、枕草子、和泉式部日誌、蜻蛉日記、更級日記など感じたことを、心の内を、書き、伝えたかった!当時は、字を書ける人は、男女ともに限られていたけれど、それでも、表したかった自分。今は、SNSで、シンプル。日夜無い当然だろうオンコール独り身なれば」軋轢も無し休みなく診療の日々過去となり暇ある自分価値減りしかや多忙暇適切なるは何処にある心の隙間いずれも生ず古人もわかってほしいと書いていたのだと思う

  • 樹木を伐採するとは…

    日本野鳥の会ショッピングリストにあった、只木良也著【ことわざ生態学】から派生して、清和研二著【樹を語る】【樹に聴く】をよんで、樹木の二酸化炭素タンクとしての役割の大きさと、資材として切り出した代価としての大気中の二酸化炭素増加の流れを知り、化石燃料(ガソリン、石炭)の消費による二酸化炭素の排出増加、地球温暖化をさらに加速するのが、二酸化炭素を利用する樹木の伐採。二酸化炭素消費者の樹木を殺し、地球温暖化にまい進していることに他ならないことを知った。現在の人間の生活スタイルを続ける限り、地球温暖化芋づる式環境異変止まらないだろう。樹木を伐採するとは…

  • 近親者のいない独身

    兄の手術に際して、近親者の同意書、承諾書が必要との連絡があり、今後について考え込んでしまった。兄、私も独身である。子はいない。両親のきょうだいは、いずれも両親より年長である。両親は晩婚である。いとこたちは、すでに鬼籍に入っているものがほとんどで、生存中は一人で、私たちより10歳も上。従妹たちの子供たち、またいとことの付き合いは、葬儀の折の顔見知り程度である。この人たちに突然、入院、手術時の説明、承諾、保証人をお願いするのは、考えられない。兄は、生存中であるので、近親者としての役割を担ってもらわざるがえないが、兄の死後はどうする?近親者の同意など要請されるなら、入院はやめよう、手術も受けないで、死を受け入れようと思ってしまった。ジョンダーントン著エクスペリメントを読了直後ということもあり、不老不死を手に入れたい人...近親者のいない独身

  • スイカズラ:忍冬酒 鎮花祭

    スイカズラ、忍冬。薬用植物です。冬にも葉が落ちないので冬に耐える”忍冬”だそうです。春先から、ぐんぐんと蔓が伸び、蕾がつき、初夏に花が咲きます。花が咲くと、気持ちが和らぐほのかな匂いがあたりに漂い、幸せと思えます。金銀花蕾の先がうっすら桃色になり、白い花がさき、色が黄色に変わってゆく様から、この名前”金””銀”花。花を、摘んでホワイトリカーに付け込んで”忍冬酒”を、今年は、仕込みました。奈良県桜井市にある、大神神社、狭井神社で、催行される鎮花祭:桜散るころにはやる疫病を鎮めるためのお祭りで、神饌として、百合根とともに忍冬が供えられ、そして、【鎮花御幣】とともに【忍冬酒】が授与されるそうです。今年は、コロナ禍で覆われているので、疫病退散願いを込めて、仕込みました。スイカズラは、花だけではなく、葉、茎を乾燥させて薬...スイカズラ:忍冬酒鎮花祭

  • コロナ禍を詠む

    3月グローバルインバウンドを推奨が微生物めに打ち壊されし始まりは限定的で非難あり教訓生きずワールドワイドボーダレス縦横無尽グローバル席巻するは新型コロナ疫病の新型コロナおさまりし後の世界の変容如何4月花満つも足早過ぎるこぞの春新型コロナ席巻ゆえに爛漫の花の下には留まれず何時にも増して心に映える常ならば華やかなりし時なれどウィルス見参集いかなわず疫病は統制布告招き入れ過ぎ去りし後我ら如何にす疫病でクローズアップアマビエややすらい祭り蘇民将来5月疫病を招きしものは拡がりし他おびやかす人の生活専門家望みたりとておいそれと急ごしらえで養成できず新薬を急げ急げと望しがリスク伴う覚悟ありしや疫病は昔も今も変わりなくおびえ祈りて去るを待つのみ近代は襲い来れる疫病を分析しつつ次に備える常ならむ蟄居要請なじめずに動き回れば冷眼そ...コロナ禍を詠む

  • たかが膝蕪の骨折、されど

    視界不良で、僅かな段差にこすり、自転車ごと弾き飛ばされた。車道側でなく、歩道側で、しかも通行人は通り過ぎていたので、自分だけの怪我で済んだ4月23日。用事があるところまでは、痛いながらも自転車を漕いで到着。しばし、膝をさすり、屈曲などをしたが、歩くと痛いので、用事もそこそこに、コーヒーをいただいて、自転車を置き、車で自宅まで送ってもらった。当日は、左ひざはパンパンに腫れあがり、冷却し、翌日には腫れは少しは軽くなるかと様子見。翌朝、ご夫妻で、置きっぱなしの自転車をワゴン車に積んで持ってきてくれ、たびたび、けがを経験している、豪胆な奥様が、整形外科に行かなければ駄目。その後の経過、行動にかかわるからとの強い勧めで、自宅から最も近い整形外科を受診。レントゲン写真で、膝蓋骨骨折。直後、たいして痛くもなかったので、屈曲し...たかが膝蕪の骨折、されど

  • 世界大戦後はユニ…

    第二次世界大戦後、70年以上のを経ってから、世界人口が70億人を超えてナショナリズムが台頭し、自国の利益が第一となった。この潮流の中で、COVID-19、SARS-COV-2、新型コロナウィルスが、パンデミック、グローバルに拡散。対して、人間社会は、往来を禁止、鎖国。経済指標は、世界的に悪化。生活を維持できる人とできない人。行動自粛で強く影響を受けるのは、活発な生命力を維持している若い人達。人、動物、微生物、それぞれの生存の糧の食糧事情、生存戦略を考えると、単細胞、から多細胞への46億年の進化で人間は、食料獲得の頂点に君臨?地球からの恵みを、ほかの動物と共有?豊かな食を求めて、侵略、搾取といえる状態になっており、人獣接近エリアごとの、人口当たりの感染者数割合から、生活スタイル、企業分布など、仕組みを考えなおさな...世界大戦後はユニ…

  • 自粛:新型コロナウィルス感染症

    全国一斉緊急事態宣言、自粛で、日常生活は、いつも通りで、不自由なし。訴えられていた行動変容も無用で、いつも通りの行動でよし。医療職なので、感染対応も、従来の医療対応で身についていたし、マスクの備蓄も、十分で。週一の宅配で、食料、日常品を調達していたので、スーパーマーケットに出かけることも皆無に近い生活を、長年続けていて、食料を日々購入する習慣はなかった。道すがら、いくら許可されているからとはいえ、スーパーマーケットの車の多さに驚き”許可されているから””生きてい行くのに必要だから”とか、そういう論点では、微生物の侵入阻止は、困難だろうなと思う報道での発言者多いのに、他人任せではないのだとつっこみをいれたくなり地下鉄を利用しての出勤で、マスクをつけていても、その行動は危険!とか、三蜜を避けるには、対面ではなく、斜...自粛:新型コロナウィルス感染症

  • コロナ感染症最前線以外の医療崩壊を考えた。

    医療職なので、通常出勤をしてきました。自宅から、地下鉄駅までは、人と出会うこともなく、マスクをせずに自転車をこいでいますが、人と出会う機会が増える場所に近づくと、マスクを装着・メガネをかけているので、マスクをつけるとメガネが曇り、視界不良。混雑すれ違いがないときは曇っていても無事に通過できるのですが、今回23日は違いました。人、車を避けようとして、わずかな路肩の盛り上がりに弾き飛ばされ、左ひざ強打撲。膝蓋骨(ひざかぶ)を骨折。ギプス固定、疼痛、発熱。解熱剤使用。平熱に戻り、痛みも軽減。出勤したのですが、発熱があれば、出勤停止(原因が、感染症でないと明らかなのに!)解熱剤使用せず、2日間平熱ならば、出勤してよいとのことであった。医療側の過剰防衛ではないのかな!別な意味での、医療崩壊が起きているのを実感。医師の長年...コロナ感染症最前線以外の医療崩壊を考えた。

  • 近代移動手段:新型コロナウィルスの伝搬

    1月末、ダイアモンド・プリンセス号乗船者の新型コロナウィルス感染。下船不可から、2か月後の3月中旬になり、感染者急増。新型コロナウィルスは人とともに、国境なく、地球規模で、ボーダレス、グローバルに新型ウィルスは世界に拡大。すばやさに、近代医学は、目下、手の打ちようがなくなすが儘に、世界を感染という恐怖に巻き込んでいる。ウィルスの勝手な消退の前に、医学は対策手段を手に入れられるのだろうか?それまでは、感染リスクを避ける行動に努め、奈良時代、平安時代のように、ひたすら、祈願調伏に努めよう。3月25日から31日の奈良薬師寺の、修二会花会式。薬師悔過法要で、新型ウィルスの退散の祈願もあった。近代移動手段:新型コロナウィルスの伝搬

  • グローバル

    グローバル現在、活発に速く拡大しているのはCOVID-19、ウィルス、微生物。国境超えなどというイz島示唆では評価できず、大陸、海を越える時も何の変異もなく楽々超えているのでしょうか?人間に脅威、恐怖を与え、世界秩序の根底を揺るがしている存在COVID-19。グローバル、参加国の拡大を続けてきた、近代オリンッピク。東京2020の開催を、中止すべきだと、練習することが生活となっている選手からまず声があがった。アマチュアらしからぬ、アマチュア。練習できない、記録が落ちるか。東京2020開催は、まだ4か月も先。強大化したオリンピック参加選手選考は、世界規模で目下進行中なので、出場選手を選考できないから、中止案が出ているようで。免疫対応者により、疫病は終息するだろう。いつになるだろう?4か月先のオリンピックを中止しなけ...グローバル

  • 伊勢神宮内宮垣内参拝

    奈良薬師寺東塔大修理勧進写経の縁で、昨年11月には、インド仏跡を巡る旅に、同行させていただいた。写真交換会、同行中の写真家の写真集の閲覧会が、2月21日伊勢神宮会館で、インド旅行の写真交換会、同行中の写真家の写真集の閲覧会があり、参加させていただいた。思いもかけず、伊勢訪問。翌日未明に、内宮参拝。垣内参拝。一般の参拝では許されない、神域内へのに立ち入りを許可していただいた参拝。衣服、靴、手袋、扇までの着衣。改めて、国を総べる神聖な神がおわす場所!乱してはならない。心のよりどころ。権力者が、利用してはならない、神聖にして犯すべからざる場所と、身体奥より湧き上がる感慨。木々、草々と共にある大気が醸し出している静謐な永遠性が漂い、浴びるからでしょうか。衣服を整えながら、参拝後、国のidentityを考える機会となった...伊勢神宮内宮垣内参拝

  • 土饅頭

    散策が趣味な友人に、見晴らしの良いという葛岡霊園散策を誘っていただきました。入口の広々とした広場から階段を上り、太白山を確認してから、奥に。比較的新しいお墓が多いので、幼いころの葬儀の話から、土饅頭の話を友人が。素敵な土饅頭の漢詩が。素敵はという印象だけで、あとで教えてくれることになりました。土饅頭は、土葬時代の風習。饅頭の大きさは、埋葬された人の大きさを反映していたのではないかと考えました。埋葬後、土の中で、ほかの生物によって消化され、大地が平らになったときには、宇宙と融合した時だと思えました。土饅頭その大きさは汝(そ)の体平らなりしは天地に帰る唐・王梵志城外土饅頭,餡草在城裏。一人喫一箇,莫嫌沒滋味。土饅頭

  • 新型コロナウィルス

    新型コロナウィルス(COVID-19)感染対策として、マスクの着用、手洗い、換気などを奨励されていますが、マスクは品薄というか入荷がない状況という。かって、急性白血病の治療、骨髄移植時の感染対策は、”不潔”と想定されるものに触れたラバ、清潔物品に取り換え!コストがかかりますので、ガウンは、再使用可能な着脱操作をしました。注意を集中して、表が不潔にならないように気を使いました。今回は、使い捨てれば無くなり、ということで、再利用ですが、手は清潔?手洗いですが、自宅での手洗いできる場所に到達するまでに、接触したところを手洗い後消毒しなければならい。マスクの取り外し、廃棄までウィルスの付着を避けなければならない!言葉では簡単ですが、蟻の一穴も許されないウィルス相手に、気が抜けない。見えない不安、気が抜けない毎日の営み。...新型コロナウィルス

  • 期末試験採点終了雑感

    2020年2月9日期末試験採点終了。成績不振者へ課した課題に対する、わずかな採点は残ってはいますが。2004年に、宮城学院女子大学に着任後、年2回8月、2月の期末試験後の採点業務は、約10日間、寸暇を惜しんで、約6万の回答の正誤を判定し、〇×をつけるだけなのですが、手首への負担、静止状態に近い作業は、心身へゆがんだ負荷としか表現できません。文章中に単語を記入する問題を200問。200問の採点、正解が続く採点は、スムーズで、時間もかかりませんが、ユニークな単語は、方言かもしれないなど調べる手間も、ほかの空欄なら正解には惑わされたり。今年も、場違いな体の部位に、”弁””括約筋”が続く空欄に”肛門”が続出。日常茶飯事には出てこない単語の、似てはいるけど違う、なまっている感じ漢字では、部首はまったく気にしていない、音が...期末試験採点終了雑感

  • 令和2年 2020年は変化の年

    令和2年子年2004年4月に着任した、宮城学院女子大学を去ります。仙台血液疾患センター廃院後の流れで、勤務している葵会仙台病院から、3月退職を告げられました。生活環境の変化に対応すべく、準備、努力中。年末、年始に寄稿した文の雑感(投稿時は、葵会仙台病院からまだ、退職を告げられていない時期)仙台市医師会子年の年賀状人生航路の行く先は50数年前、受験担当の先生から、偏差値で医学部合格可能という勧めで、医学部を受験し、受験最中に麻疹になり、母は頑張ってきているほかの受験生に迷惑をかけるからということで断念。医学部受験に反対していた両親は、内心安堵していたのかもしれませんが、次年度の受験も親の意向を無視して医学部受験。縁のない仙台で初期研修の短期間を除いて、50年の期間を仙台で過ごしてきました。学生時代の半ばに発病し、...令和2年2020年は変化の年

  • 仏跡巡りの旅

    仏教のお陰で豊かな一年を過ごしました。特に、11月20日から28日まで、奈良薬師寺加藤朝胤管主様を団長として約百名が成田から出発し、9時間半後に、暗闇のデリー空港に到着。ホテルでは、歓迎と、明日からの旅での虫除けの意味のマリーゴールドの花輪を首にかけていただき、食事後ただちに寝る。翌朝、美しい花木沙羅に目を奪われながら、おいしいカレーメインの食事を楽しみ、グランドホテル出発。ガヤ空港に到着。お釈迦様が苦行をされた前正覚山に登り、留影窟で法要。苦行修行に限界を覚え下山し、沐浴をした尼蓮禅河。岸辺で憔悴し倒れていたお釈迦様に乳粥を与えたスジャータ様の村のホテルで宿泊。クリームの名前は、この故事に倣ってと今回の旅で初めて知りました!東塔勧進写経を、ブッダガヤに収めるのが今回の目的。ブッダガヤ大精堂前まで歩み、大塔北側...仏跡巡りの旅

  • あえなく敗退聖火ランナー

    12月14日の聖火コースの発表で、聖火ランナーになれなかったと実感。応募にあたり、推薦、身元引受人など協力を仰いだいただいた方に、選出連絡無しとお礼を申し上げた。大学在学中に、全身の関節を含む診断未確定の病に襲われ、かろうじて歩行はできていたが、早く歩く、走り駆けるのは論外で、1990年代末になると、いずれ車いすと覚悟をいめなければいけない状態となった。転帰は、2002年、心配した友人が、太極拳を誘ってくれたこと。夕食付きの送り迎えで、稽古に参加させていただき、自分の体の変形を指摘され、姿勢と向き合う機会を得たことから、ストレッチに励んできました。姿勢の改善で、中心軸がほぼ正中になってきた2018年には、駆ける実感が得られ、学生時代のしばしの間意識を失う恐怖体験のPTSDから仕事以外で人と付き合うことは、過度の...あえなく敗退聖火ランナー

  • 写経

    仏教徒たらんと決意してからは、盂蘭盆会には、般若心経の写経、寺院拝観時に写経場があれば、時間の許す限りは写経に努めます。幼少期から、宗教には関心がありました。身近には、仏教、神道、キリスト教の聖職者、熱心なキリスト教徒がいることもあり、違いに関心があり、知識も増えていきました。学会参加で、イスラエルの地にしばし滞在して、環境風土の厳しさに、生理的なじまなさが湧き上がりました。雨水ゆたかな日本で育ってきた自分は、八百万の神々がすみたもうなかで、仏教の御仏に心を寄せていくのが、無理がないことに思い至り、帰属する宗教は、仏教と違和感なく意思表示します。経典への関心は、仏教に限らず興味津々。深く知るには、時間が足りない。読み砕いた文章には、読み砕いた人が反映されているという思いがあります。原典は、絵のようにも思える認識...写経

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