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小久理 妖輔
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2015/03/24

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  • 見つめる母の眼

    母は養女に迎えられた。そのためか、我がままに育てられた。それでも、理念があった。養女に迎えられた家は富豪で、家訓があった。「人のためが仕事」という理念だ。養父の背中を観ながら、母は、大学を卒業した。母は教職を選択した。経済力のあった養父は、母の夫を養子に迎えたが、その頃から養父の会社は斜陽し始めていた。養父の会社は潰れ、私の母と父は、老後の養父と養母を引き取る。私の血の中には、教義の意味を知る時が有る。秩序や順列や理由、馬鹿げた話だが、仮想や妄想、幻覚であったとしても、何が真実で、何が人を動かすのか想いを馳せるのだ。母は、今、命を淘汰しようとしている。母が学んだものを私は受け継いだ。そして、他人である父からも、その想いを受けている。養女と養子から産まれた子供が、生まれた理由を問うことは烏滸がましいが、ただ...見つめる母の眼

  • 認知と未来

    認知症の多くは、多動性意識障害というのを聞いた。意識は無作為だが、現実への能動を示唆している。示唆が意識を生むと同時に、現実への認識が志向性を生んでいる。しかし、認知症は、現実の記憶が欠落してしまい意識が認識を維持出来ない。自分の記憶が欠落し、記憶を失い、目的という意識を失ってしまう。記憶は、断片的に意識を生み、短絡的な視覚の現実へ依存してしまう。忘却が支配し、視覚や断片的な記憶から、言語や行動を選択するようになる。自身の記憶や現実を引き金に、短絡的な行動が生まれる。人は日常生活のルールを意識している。それは、裏を返すと、日常や現実への認識を意識することでもある。生活の意味や現実の意味を認識し、意識することで、行動の理由を探し、効率的な現実へのルールを意識する。しかし、もし、現実が虚構だとしたら、どう、判...認知と未来

  • 認知と未来

    認知症の多くは、多動性意識障害というのを聞いた。意識は無作為だが、現実への能動を示唆している。示唆が意識を生むと同時に、現実への認識が志向性を生んでいる。しかし、認知症は、現実の記憶が欠落してしまい意識が認識を維持出来ない。自分の記憶が欠落し、記憶を失い、目的という意識を失ってしまう。記憶は、断片的に意識を生み、短絡的な視覚の現実へ依存してしまう。忘却が支配し、視覚や断片的な記憶から、言語や行動を選択するようになる。自身の記憶や現実を引き金に、短絡的な行動が生まれる。人は日常生活のルールを意識している。それは、裏を返すと、日常や現実への認識を意識することでもある。生活の意味や現実の意味を認識し、意識することで、行動の理由を探し、効率的な現実へのルールを意識する。しかし、もし、現実が虚構だとしたら、どう、判...認知と未来

  • 記憶という時間

    人が死ぬときは、自分の記憶を紐解こうとするだろう。肉体と精神の苦痛を照らし、自らの記憶を追い記憶の何たるかを問う。自らは、何が出来て、何をしようとし、何を成し、疑問であった存在理由へ、答えることが出来たのか?いったい、自らは、何の為に存在していたのか?そう、自らへ問うことがあるかもしれない。もともと、人は、水の波間に漂う浮き草のような存在で、どんな疑問を抱こうが、どんな大儀を抱えようが、時間に抗うことは出来ず、苦痛と経過と理由や動機、波間に漂う理由を、自らへ問い続けているだけかもしれない。機序を知り、文明を発展させても、人の志向が波間を漂ってしまっては、人の根拠の認識が生まれない。波間の流れに身を任せ、「こんなもんさ。」と自らへ答える事も出来る。「あなたは、この現世に何を望んでいる。そして、何をしようとし...記憶という時間

  • シーシュポスの神話

    「神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものだったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さで、いつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど怖ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。」これは、カミュの「シーシュポスの神話」の草稿である。そして、彼は、「彼は、不条理の英雄なのである。神々に対するかれの侮蔑、死への憎悪、生への情熱が全身全霊を打ち込んで、しかも、何ものも成就されないという、この言語に絶した責苦をかれに招いたのである。これが、この地上への情熱のために支払われねばならぬ代償である。」「人は、何のために生きるのか?」そうした疑問をよく耳にする。同じような疑問を抱く人は多いと想う。おそらく、遠...シーシュポスの神話

  • 当たり前というルール

    自分の高校の先生が金子光晴を敬愛していた。先生は、自身で詩集を自費で作っていて、自宅で見せてくれた。「先生は、詩を何のために書こうとしたんですか?」「書きたいから、書くじゃだめかい?」と先生は答える。僕らは、同人誌を出していて、各自の意識に疑問を抱いていた。「自分の事を書くことが、人の為になると想いますか?」「自身の苦しみと痛みの解放を願うことは、間違いなのかな?僭越だと想うのは、他人の責任では無いと想う事だけなんだが。」先生は、片足を引きずっていた。持病を抱えていた。「・・でも自身が選択した事だからね。」若い世代の僕らは、先生の顔を覗き込む。僕らは傲慢で残酷だった。その視線を感じて先生は云う。「僕の経験と言葉は、君らの参考になれば良いと想う。」その言葉を聞いたとき、僕は、金子光晴の「浮き草」を想い出した。金子...当たり前というルール

  • 見つめていたい

    自分の一部が叫べと言っている。自分の指先の感覚が、自分の意志を確認したいと叫ぶ様に他人の意志を取り込もうとしている。君、無くては、生きられない。君への想いが、僕を探した。こんなにも、狂おしいなんて、知らなかった。君への想いは、僕の中で生きていた。こんなにも、君を愛するなんて、そして、こんなにも苦しむなんて想像していなかった。君に会いたい。君を感じたい。僕が僕であるために、君を見つめていたい。見つめていたい

  • シンバッタ

    随分と昔、朝鮮人参が如何に奇跡的な植物か、語る漫画を観た。「シンバッタ」という題名で、昔の、植物ハンターの動向を語っている。古来、朝鮮半島では、朝鮮人参は、その特性から、貴重な植物とされていた。冬虫夏草と同じように、漢方としての特効から、古来より、治癒の漢方とされていた。毒草や、毒キノコの派生する自然界に在って、人に有益な成分の植物やキノコが存在している。朝鮮人参は、人に、有益な効果をもたらすが、その生成には、多くの年数が掛かると云われている。何百年の原生林の植物の中で、朝鮮人参の種子を食べた鳥が糞を落とし、其処から芽が出て、何十年何百年と放置された人参が、人々の苦しみを癒すとしたら、そうした植物を見つけることは奇跡に近い。苦しみを感じている人の意思を想えるからこその、雄叫びなのだろう。「シンバッタ」とは、「見...シンバッタ

  • バッタ

    薄闇のベッドの上で、彼女のクイムが、花びらのように開いている。記憶が扉の理由を問うように、過去と未来を追いかける。生きるために、存在の理由から、あなたを感じたかった。その理由は、彼女も同じだろう。同じように感じ、同じように想いながら、互いに、孤独が自分を責める。肌を合せた感覚を追い求め、それでも、信じられない自分を野放図にデカダンスしている自分を彼女は知っているのだ。自分の感覚を信じまいとする確認から彼女は、股間を開く。バッタ

  • 薄氷

    「薄氷を踏む思い」という言葉を聞いたことがある。傲慢で僭越で、生きる道理を知らずに、何かを求める姿勢だとすると、それは、無知で、勝手で、蒙昧で、デカダンスなのだろう。・・しかし、だから薄氷だと意識することは、自分の現在を知っていることでもある。要は、自分のデカダンスを認識し、生きることの意味を感じることである。存在を問うことは、今を問い、瞬間の意味を知ることである。それ無くして、疑問の根拠を探せない。愛する者の姿こそ、生きる根拠の「思い」である。相手無くして、自らは存在しない。また、自ら無くして、相手も存在し得ない。その理由は、道理を問うことである。自然な姿の君を愛している。それが例え、現実であれ、嘘で在っても、意識は変わらない。薄氷

  • 記憶が継ぐもの

    記憶は、存在証明の要因である。記憶は、過去の経緯であり、存在の理由を問い、ベクトルを生む。原因と過程と結果、物事の推移を理解する時、物事の機序や性質、法則と特性、状況や情況など、記憶となる情報の集積が、現実と現在を判断すると同時に、未来を想像させる。しかし、こうした考え方は、空想である。仮定が仮想を生むようなものだ。もし、人々の記憶が、突然、途絶したら、人は、現実や未来を認識出来るだろうか?逆に、人の生存を優先した時、現実が優先されるはずである。記憶は、人の倫理や常識や理念、思想と文明を推し進める原動である。しかし、危機的な状況では、記憶は、生き残りの方法を模索する。情報を優先し、差別化を優先するはずである。生き残りが、人の「記憶」を淘汰するのだとしたら、我々は、生き残りを試されている。人災の記憶が、死を持って...記憶が継ぐもの

  • テレパス

    彼女と知り合ったのは、僕が6才のときだ。母の都合から教職旅行で、彼女を紹介された。彼女は、母の仕事柄か人見知りをしなく、紹介されると、瞳の奥を覗き込むように顔を近づけ、少し微笑みながら、「ママ、あたし、人が大好きなの!」と云わんばかりに、視線を母親へ向ける。そんな彼女の気持ちが理解できた。家庭では、母が連れて来る子供たちが絶えなかった。そうした状況は、彼女も同じだったのだろう。でも、僕は、そんなこと、どうでもよかった。頭の中が白紙だった。そのことを、彼女は僕の瞳を覗き込みながら話した。「あなた、何も考えていないでしょう?」「へ?」「挨拶した時は、相手を検索するのよ。その意味、分かる?」「検索?」「そうよ。どんな考え方か知ろうとするの。・・そんなこと考えたことないでしょう?」僕には、その意味が、何故か瞬時に理解出...テレパス

  • 食事中、自分が子供の時、テレビでHな場面が出ると、両親は慌てて、チャンネルを変えた。そんな時、ばあちゃんは、「私の作ったナスの味噌煮は、どうかえ?」と母に聞く。父親は、テレビのチャンネルを変えると、ばあちゃんを振り返り、舌打ちをする。両親たちは、何を慌て、ばあちゃんは、そんなとき、何故、食べ物の事を母に聞いたのか、そして、異眠る兄の顔を覗き込む。「ばあちゃん、とても美味しいよ。」と自分が答えると、ばあちゃんは、入れ歯の脇から涎を垂らして、笑う。半身不随だった、ばあちゃんは、孤独だった。生きることが懐疑的だった。ニヒリスト、天邪鬼、ダイダラボッチ、呼び名など、どうでも良い。ただ、側に居たいだけなのに、何も出来ない事が苦痛で、自分を恨んでいた。そのことは、両親も知っていた。ばあちゃんが孤独を許さない理由を知っていた...絆

  • 愛の行方

    きみを愛することが出来なかった。それは、悩ましい程の苦しみから、あなたを信じたくなかったからだ。本来なら、愛の対象であるのに、だから、苦しさを恐れた。愛されるものが、愛を確認出来ない。そんな恐怖を想像した。人が生きるとは、何なのか?自分の過去の記憶を探した。互いの感覚から、愛が満たされて、それでも、何かを探す。きみが愛したもの、僕が愛したもの。それが、互いの愛を育むと信じよう。愛の行方

  • 人の未来

    人は、自分の未来を予感する。その意味が、どういうことなのか、知るのは、きっと自分が目撃する。結果は過程の集積で、予想外な結果を想像しないのは、結果ではない。ウイルスの蔓延する理由は、ウイルス自体の変異性の特性が、生存の理由を問うのかもしれない。人類の生存は、この地球上にあって、拮抗と免疫への能力を問うものだった。生存の理由以前より、現実の世界で、生存の能力を試すことだったのだ。人類や、その他の生物が、幾多のウイルスに感染し死滅し、生き残った遺伝が、我々を存在させている。淘汰を繰り返した、生き残りの意思が、人の意思を呼び掛けている。無作為では、生きられない。意思が作為の動機である。それ無くして行動の理由は無い。人の未来

  • スフレット

    ある時、コーヒー畑で、黒人の少女がコーヒーの幹を見上げていた。コーヒーの実に絡んだマンタが少女を見詰めていた。少女は、手を掲げている。マンタは少女目掛けて牙を剥き、飛び跳ねる。サバイバルナイフを投げると、マンタは、空中で、ふたつに割れる。剥き出した、鋭い牙から噴き出した毒液は、少女の右肩をかすめ、マンタの頭は少女の左肩を飛んで行く。わずかな毒液が眼に掛かっても、失明する。マンタは半身の胴体を銜え込み、蜷局を巻く。少女の瞳は、私を見詰めた。透き通る、トパーズの様な輝きで、無言のまま、私を見詰めた。私は、少女の瞳の奥を覗き込む。スフレット

  • 生きる理由

    未来が、どんな形で現れるのか、想像する手掛かりが在る。それは、自分の情感を照らして観る事だ。彼は、犯罪歴がある。空腹から食べ物を盗み、性欲から女性を犯し、傲慢から人を殺した。自分の生きる理由は、生きる延長の理由でしかない。理由は、欲望だからだ。どんなに、万民の利害の為に、働いたとしても、そいつは自己満足で自慰だ。自己満足の方法が分からずに、他人の責任をする輩を、観てきた。遠吠えをする犬のように、自尊心を持たない奴らに、憎しみを覚えた。奴らは、他人を犠牲に生きる、餓鬼だ。苦しみや悲しみ、怨嗟や呪い、嫉妬を舐める味覚に酔い痴れる、蒙昧の輩である。そうした輩の情感は、生きる理由は、生きる延長で、死を過程しない。つまり、想像する理由を知らない。現実が全てで、現実を問わないのだ。未来が無いから、未来を問わない。だから短絡...生きる理由

  • 意識

    遠い過去、何億光年もの過去、そして、やがて来る未来と、その意味。過去は、現在を知り、未来を想像する。現在は、過去の理由を問い、未来は、過去の時系列を疑う。現存する、意識と認識の外に、異次元の空間が存在し、螺旋の時系から、派生する異なる空間(異世界)が多数、存在している。生物にとって、時とは、何なのか?自身の生命の淘汰を知ることである。人類の生存する理由を知り、人類の記憶を知ることである。複数の未来が予見出来た。しかし、それを公言しては、いけない。また、過信しては、いけない、使命を失ってはならない。未来が根拠の在ったものだとしても、信じてはならなかった。現前の現実を、対局の未来として従う事が、家訓だった。つまり、それは、自分に出来る最善を、考えることでもあった。意識

  • 時空

    学校の友人に、言わなければいけない事があった。母は、「明日、学校で話せば良い事です。」と云い、「でも、気が引けて、何故か、今晩じゃないといけない気がするんです。」「夜、遅いから、許しませんよ、明日にしなさい。」と、その晩、あまりの疲れから寝てしまう。気が遠くなって、深い闇に落ちてから、浮き上がり、自分の後ろを振り返る。母が、仏壇でお経を唱え、父は、大きな口を開けて鼾をかき、兄は、寝ながら眼鏡をしている。部屋の空間を通り抜けて、天井から、外の星空が観えた。自宅の家作の上を舞いながら、自分が浮き上がって行く状況を、自分で不思議がる。友達に言い忘れた事を想い出そうと、友達の家の上を浮遊していた。「何を、あいつに、伝えようと想ったんだっけ?」と思っていると、夜空から光が、自分の身体を掴む。「僕を観て、助けて!」惑星が爆...時空

  • クリシュナ

    人が生きようとするのは、何故なのか、考える時がある。生きようとするのは、意思である。しかし、方向性を失った意思は、私欲である。では、方向性とは、何か?以前、学校で、国語の先生に質問した事がある。「汎」という言葉の意味だ。語源は、サンスクリット語で、全般的な意味らしい。汎用という意味が、意思的な立場を示唆しているように、感じていた。つまり、生物的な、適合の趣旨を意味している。「生きるには、理由がある。」誰もが、そのように感じることがある。何処から来て、何処へ行くのか?そうした発想の根源は、現実である。現実が、指針と意思と、方向性を生み、原体験の意味を模索する。汎用の意思である。クリシュナ

  • 浄土

    昔の人の知恵には、理由がある。人が、この世に「生」を受けてから、感受するものへの憧憬と理解、そして、人の可能性を信じた事だ。不思議は知らぬものへの、理解であり、自浄の翻訳でもあったのだ。それは、未来の種を意識し、自らを小舞し、先見の確信を実証することでもあったのだ。理解は、条件から生まれ、その意味を追求する。人は、何故、存在するのか?何故、生まれたのか?宇宙という概念が無い時、現実が、人の知恵の理由であること、カルマという世界が存在することを理解するには、多くの年月が経過した。人は、必ず、死ぬ。死ぬと、肉体の衣を脱ぎ、想念が残像する。死んだことを意識するまで、生き続け、思念が現実の世界に、残り続ける。残像思念という情況だそうだ。しかし、だから、どうなのだろう?思念の整理出来ない情況を、他人が理解するべきである、...浄土

  • シンチョ

    暴力が好きな訳じゃない。ただ、情況と状況の狭間で、暴力を理解しなければならなかった。同じ人間でありながら、憎しみ、恨み、そして、殺意が行動の理由を造っていた。其処には、悲しみ、切なさ、愛おしさ、まるで、怨恨の理由を楽しむような因果を想う時が在る。方向性を失い、価値を模索しているような怨嗟の混沌。そもそも、混沌など、存在しないものではないのだろうか?恐怖と不安、それらが存在したとしても、現実を直視しなければ、意識が現実を理解出来ない。そして、現実を認識出来ない。おやじの姿と、母親の眼差しがあった。現実を理解すること、それが、自分の勤めであり、そして、生きる事の意味を探すことだった。で、今、想い返している。現実で感じた、同じ想いを後悔としないために、何が出来るのか。シンチョの輝く瞳を想い出す度に、その、愛おしさを想...シンチョ

  • シンチョ

    暴行というのは、僕にとって、親父の制裁しか記憶にない。その時の、痛みや、怒りの顔が恐怖を呼び起こす。恐怖とは、痛みに耐え、服従を強要した。その感覚は、底知れぬ「闇」を想わせ、「痛み」という現実を突き付けた。しかし、反面、親父やおふくろの優しい顔や眼差しが、痛みの意味を理解させた。正二くんの唇が震えている。「お前らが殴り合いをすれば、許してやる。」髪の毛が逆立ち、頬の落ちた、黒く薄汚れた顔の、吊り上がった、赤い眼の高校生が薄笑いを浮かべている。何のために殴り合うのか、高校生に聞くと、「怒りと憎しみだ。お前ら日本人を観ると、怒りが込み上げるからだ。俺たちの苦しみを分からせてやるよ。」その時だった。「お前ら、何している?」肩幅の広い青年が、走って来た。その後ろには、シンチョが居た。「なんだ、この野郎!」「また、お前ら...シンチョ

  • シンチョ

    僕の生まれた世代は、ベビーブームで、「こんにちは、あかちゃん」という歌が流行していた。多くの人達が東京へ集中し、在住する村の空き地は、巨大な住宅の建設予定地だった。「2Bの火薬を使って、鉄砲を作ったんだ。砲身はアンテナで、弾丸は注射器の柄なんだ。試したら、破壊力がすごいんだ!」とシンチョは云う。いつものメンバーが集まる。「なんで、シンチョは、そんなもの作ろうと思ったんだ?」と正二くんは云う。住宅の埋め立て地に、注射器が一杯落ちていたことを、シンチョは説明し、僕らはその空き地へ向かった。今、想えば、非加熱製剤で、使われた注射器が、多量に遺棄されていたものだったのだろう。見知らぬ遺棄物への興味は、誰もが抱く。其処には、朝鮮高校の生徒が居た。「お前ら、鉄砲を作ったんだって?」と、高校生は云う。「この場所は、俺たちの縄...シンチョ

  • シンチョ

    それでは、話しを戻そう。「何故、人は生きているのか?」という疑問だった。この疑問は、理由で在って原因では無い。生きている現実を知ろうとすることであり、根源的な、生きている原因の疑問では無い。現実を無視しない限り、時間経緯は知覚されている情況で、理由が疑問視されていると判断すべきである。むしろ、時間への知覚が疑問を生んでいるとすべきだろう。自己の存在意識は、現実の時間認識と同時に、未来への指針への疑問と捉えるべきかもしれない。「原因」は、逆説的で、そもそも、疑問を抱く「理由」が動機だからだ。続くシンチョ

  • シンチョ

    顔を合せると、シンチョは、眼を伏せる。シンチョの眼の周りは、隈が出来ていた。ぼくと正二君は、その変わりように、見つめ合う。「シンチョ、今日は、遊べるか?」と聞くと、突然、笑顔になる。「ぼくちは、トマダチだよね。」片言の発音を無視して「ああ、そうだね。」と云う、正二君の顔を、ぼくは、覗き込む。何処か、遠い世界で、以前、ぼくらは、知り合っていた気がしていた。遠い星の惑星や異次元の世界の生き物や戦争をする遺伝子を抱える生物の末裔として、何回も、争いの度に、顔を合せていたのかもしれない。何回も殺戮を繰り返し、何回も、恐怖を目前にし、其の度に、自分の記憶を探す。何故、自分は、この現実世界に存在し、同胞やトマダチや肉親や両親と、出会いから生まれる驚きの意味の絆という糸の因果を想うのだ。観えない世界では、観える確信が無くて、...シンチョ

  • シンチョ

    ぼくらは、見つめ合った。シンチョが、夕方、紡績工場の倉庫で、布を物色しているとき、警備員に見つかった。警備員は、警察を呼び、警察は、シンチョを尋問した。多くの警察と刑事たちが、朝鮮部落を取り囲んだ。窃盗を部落が疑われた。シンチョは父親に殴られた、眼の痣から涙を流していた。正二君の自宅で、刑事は、ぼくらに質問した。「シンチョ君の話ですと、家宅侵入をしたのは、正二君たちだと云っていますが、事実は、違いますか?」隣で聞いていた正二君の父親が、聞き返す。「違うと云え、正二!」その言葉に、ぼくの胸が苦しくなった。正二君と見つめた視線の先に、シンチョの顔が在った。「ぼくが、シンチョを倉庫へ誘いました。」と正二君が云ったとき、父親の手が、正二君の頬を叩いた。パシッとした瞬間、緊張が弾け、シンチョとぼくは、泣き叫んだ。仲間の苦...シンチョ

  • シンチョ

    朝鮮部落を隔てて、水路が流れ、その隣を長屋が続いていた。長屋には、正二君という学校の友達がいた。正二君のお母さんは、「あの部落には、韓国から来た人たちが住んでいて、朝鮮から来た人たちと、よく喧嘩をしているから、あまり部落に行ってはいけない。」と云っていた。部落では、朝鮮語が飛び交い、異様な活気があった。何故、日本という国の中で、朝鮮の人たちが部落を作って生活をしているのか、自分も疑問に思っていた。長屋の「上手」(駅の在る方向)には、大きな工場群が在って、正二君とシンチョたち数人の子供たちで、工場を探検に行った。仕事が終わる夕方、紡績工場の倉庫へ忍び込み、綿花の包まれた袋の山の中で、かくれんぼをする。シンチョは、布の包まれた袋から、布を取り出すと、服の中に詰め込み、袋の上をコロコロと転がった。みんなは笑ったが、シ...シンチョ

  • シンチョ

    人は、何のために生まれて来たのか?同じ疑問を何度となく繰り返しながら、現実が全てだと、生きている。現実は、五体満足で、健常で、多少の疾患が在っても、生活には困らない。年齢が、加齢という理由で、肉体を劣化させ、死への道標を示唆しているが、振り返り、同じ疑問を繰り返す。最近、頻繁に、あることを想い出す。子供の時、友人と家で遊んでいたとき、友人が悪さをして、父親が、すごい剣幕で友人を怒鳴り付けた記憶だ。怖い父親だったが、自分と同じように、友人にも遠慮はなかった。怒鳴る、父親を、母は、咎めたが、父は「子供は同じだ!叱らないで、どうする?」と母に、喰ってかかった。友人は、「お前のおやじ、嫌いだ!」と云い、そりゃ、怒られる理由が理解出来なければ、嫌いにもなるさと想う。近くの朝鮮部落が在って、自分は、その友人を知っていた。部...シンチョ

  • 黎明

    世の中は、驚きに満ちている。それは、知らないことであり、知る必要の無いことだったり何故、自分が、その状況に居るのか、疑うこともある。自分の中で、時間が経過し、生き物としての使命や、怠慢や懐疑や自堕落だとしても、時間は経過する。誰でもない自分の為に、時間を使い、自分で無い、誰かの為に時間を使ったとしても、時間の経過には、変わらない。誰が偉いとすれば、人の命を救う、考え方を持つことが、時間を有効に使うことかもしれない。もし、ひとつの考え方が、地球を救い、人を救い自分を生きさせるとしたら、それを、自分に与えられた使命と感じないだろうか?驚きは、全てのものに、在る。全ての視覚や体感、そして、温もりに宿っている。根源は、「驚き」の理解である。黎明

  • 妄想の意識

    産まれた時から、最初に、認識した感覚を現実だと感じている。自分の置かれた状況が、自分の情況だと気づくまで、多くの時間が経過する。認識や意識が、現実に支配されているという情況は、状況の鏡に似ている。鏡は、自分を意識する情況で、現実への指針でもある。鏡は、欲望や希望を映すと同時に、憎しみや怨恨を映す。初めて、映る現実の状況が、もし、マトリクスの世界だと、想像してほしい。この世は、重複する、多次元の世界の交差であり、放置された次元の世界や作為的な造られた世界だと、想像してほしい。この、認識する現実に、我々は、何が出来るのかを判断する。妄想の意識

  • 犠牲の意味

    分かっていても、統制や統合、もっとも、重要な、時間が経過することは現在の肯定を繰り返すことになる。なによりも、分かっていないことを是認することである。未来という指針から、行動を否定されたことになるのだろう。何もしていない。何もしないことが、美化されたとき、現在は、未来を否定し始めるかもしれない。今が、良ければ良い、今が、全てである。と、想うとき全ての理解が、行動を否定する。誰かの為に生き、誰かの為に想う、その想いが生きていることを証明するのであれば何か、行動したい。そんな、自分の欲求を「嘘」だと想っていた。誰かが死ねば良い。犠牲となって、誰かが死ねば、自分たちは、潤う。途上国で、多くの子供たちが死んでいる。生きたいと想うけど、大人たちが、生きようとさせてくれない。国が、憎しみが、利害が、愛を犠牲にしようとしてい...犠牲の意味

  • 可逆性

    死ぬために、活きる。という言葉を子供の頃に聞いた記憶がある。自分の行動の理由の指針を信じる時、こうした言葉が、在るのかもしれない。誰もが未来を信じようとするとき、何を、希望とするかである。絶望は、パンドラの箱を開けようとする興味である。そもそも、死は、自分の未来に待っている。自分の想像力が、未来を予想し、死を予見している。想像力は、生きる証である。その、能力こそが、人の意味を問う、理由かもしれない。だから、逆も可である。活きるために、死ぬのだ。可逆性

  • 仮想の根拠

    夢の中で、奈落の底へ落ちる夢を観た。夢は、傍観的な感覚で、その実、落ちて行く感覚はリアルだった。肉体的な痛みや、精神的な苦痛を意識した時、それは、痛烈な記憶として残っていた。歯痛の痛みのような継続的な痛みや、刃物で切った鮮血の吹き出す驚きな痛みは、肉体である。肉体が癒えれば、肉体の機能を維持する。しかし、精神は遺恨という確執を生む。確執が、苦痛の理由を追い駆ける。また、苦痛の根拠を問う。その問い、こそが、存在理由、そのものなのかもしれない。仮想の根拠

  • 危惧すべき状況

    「緊急事態宣言」が出されたが、その趣旨は、「行動の抑制」である。もちろん、そうした政府の公告は、状況の実状と統制の要求の公告であり最悪な状況を想定した、意識への、呼びかけである。日常の中に潜む、感染のリスクが、無知なるが故に、感染を拡大させる。(Ro=1)/Roウイルスの「基本再生産数」と呼ばれる、アールノートの数式である。一回の接触での感染確率単位時間あたりの接触回数感染症が感染性を保つ平均時間正直、このアールノートの確定的な状況を算定したとしても、感染スピードを予測出来ても、治癒対応の手掛かりには、ならない。本来は、感染するウイルスの特性を表す、統計である。現実には、対応のスピードを要求するものである。Ro>3という数値は、ウイルスの再生産率が高い事を表し、感染性が高い。武漢での、感染率は、Ro>3である。危惧すべき状況

  • 作為的な意図

    技術的な仕事から、「知らない」ことは、理由にならなかった。「知らない」事で、二次的な故障や弊害を生み、修正や修理としての目的が果たせなくなる。仕事の特性が、是正や修正、修理、補修などという、現況を対象とするものに関しては、特性が優先されると、同時に、特性に関する知識が要求される。「知らない」ことは、仕事を放棄することに等しいのだ。目的は「現況」である。正確な現況の認識なくして、対応を模索出来ない。今回の、新型コロナ・ウイルスの初動は、「知らない」ことが理由だった。感染症状の特例を認識しながら、感染の可能性を無視した。政治家には、こうした特例が、テロ的な危機と認識出来なかったのだ。だから、対応が遅れ、国内感染者が潜在して行く。政治が「知らなかった」の手段を使う時、感染者は、爆発的に増えて行くだろう。「知らない」は...作為的な意図

  • 厭世の根源

    感情が政治を支配することは、想像出来ない。政治は、民意の意図を探る、動機である。現実の問題の方法を選択する、動機の理由である。何が窮地を救い、何が、人の指針となるかを模索するのが、動機への答えである。現実を見つめるのだ。厭世の根源

  • 第三次世界大戦

    フリーメイソンの意図は実行された。細菌をばら撒き、人類の淘汰を予想する。誰だろうが、現実を認知するしかない。現実を承認できないが故に、感染するのだ。であれば、死を覚悟すべきである。死なねば理解できないのであれば、死ねば良い。それが、現実である。現実の状況など、本来は、どうでも良いのではないか?快楽の体感が、全てならば、世界は、体感で観える。死など、想像する理由より、欲望の理由を探す。第三次世界大戦

  • そこに在る、危機

    認識や意識は、過去の経験から推測や演繹を志向し、最悪か、最善を選択しようとする行動の機会である。そうした機会は、状況や情況の想定をするもので、動機に過ぎない。例えば、「動機」を車の運転で例えると、認知、判断、操作という一連の心理的な推移である。「動機」は、この場合、「買い物へ行く」という意思で、運転の志向は、交通ルールという認識だ。また、ルールの意識は人を優先するという意識である。自己保身の動機が、目的意識から行動の統制をしようとするものである。パンデミックとは、認識や意識を超える、知指数を表現するもので、潜在的な感染源を認証する言葉である。つまり、「動機」が感染の理由となり得る、状況を指すものである。行動を指針とする限り、「動機」は、負のサイクルを繰り返すことになる。そこに在る、危機

  • 国家的なテロ

    化学兵器や細菌兵器は、殺傷という目的から国力を奪おうとするものである。細菌兵器という統制の失態から、自国で細菌が漏洩するとした過程や、統制の出来ない理由があるとしたら、そうした事態は、他国への影響を考えると、自律的な国家とは云えず、むしろ、害的な国家である。まして、他国への影響を考えると、テロと同等である。おそらく、他国は、中国をテロの温床と捉えるだろう。敵国として、他国は、攻撃の模索をするだろう。封じ込めという方法や要人の暗殺、あるいは、大規模な破壊行為も考えられる。感染の状況が深まった場合、中国は、細菌兵器の温床と捉えられるだろう。そのことを、中国は、知るべきである。国家的なテロ

  • パンデミック

    感染症の要因は、人の細胞を苗床として、ウイルスが増殖しようとする意思である。しかし、癌のように、細胞生成の因子が組み換えをしてしまい異種な細胞であっても、DNAの組成が変化してしまう事もある。ウイルスの趣旨は、生存の過程をコピーし、増殖を繰り返す。人の細胞を宿主とする理由とは、何だろうか?この世界には、多くの生き物が存在する。その生き物は、多くの履歴から多くの生存の理由を問い続けている。この世界では、人は、生命の種に過ぎない。種が在ろうとするのは、意思である。ウイルスが意思を持つように、人は、彼らを知らねばならない。その意味で、我々の意思が試される。ウイルスと同格なのか、自らが答える時なのだ。パンデミック

  • 小事と万事

    「1を知って、10を知る」という言葉が在る。意識に呼びかける言葉だが、1から、何故、10を知り得るのかは、数値の意識を限定したからだ。数学で、奇数と偶数、素数という数値が在る。10進法で、1から10が「単位」とされた。初動と挙動という意識の発露を顕す言葉の中に、奇数、偶数、素数という認識が隠されている。1から10を数えられても、10の次が、何故、11のなるのか答えるのは順列の意味を知ってのことである。法則性を知ることが、認識を示唆している。小事と万事

  • 肯定の理由

    経験を志向することが、記憶の意味を模索した。多くの人が、物事に関り、関わる動機を共有し、成果を望む。経時では、短絡で在ったとしても、想いの根拠は、波及を信じるものであった。夢が根拠で在れば、それを信じる。悪夢を意味嫌いながら、自己の夢を見詰めているのだ。我々は、何処へ行くのか?轍を否定し、肯定を是認しながら、現実を判断しなければならない。存在の根拠こそが、もっとも尊いのだ。それが肯定の理由である。肯定の理由

  • 根拠

    生きていた事や、生きている事を証明するものとは、何だろうか?時系列では、活きていた事は、過去であり、生きている事は、現在進行である。過去や現在を、その生存の根拠から、証明を担うのは、未来を占うに等しい。未来は、変動的で蓋然的だ。生きていた事が、記憶で在る以上、記憶の意味を志向する。志向は、未来で在ろうとする記憶を追い駆ける。生きる、記憶の根拠を探す。記憶の不文律、デジャブ、マトリクス、感性の現在が、現実である。現実へ立ち向かえ、その意思こそが、証明の意味を自らへ照らすのだ。根拠

  • 無知の理由

    知ってることで、状況は、違って来る。例えば、知らないが故に、山道を間違え、迷い、事故を招く。招くというのは、人災で、意識や認識が、状況へ、波及していない情況である。情況が、状況を看過しているのだ。人類が、科学を信奉したのは、事実や真実を直視し、その根源を見つめようとする意思である。今在る、現実のルールや機序を見つめ、状況を変えようとする意思である。人が人を考えるとき、何を想い浮かべるだろう。自分が何故、生まれて来たのか。自分には、何が出来るのか。知らないことは、失意である。知らないことは、人災なのだ。無知の理由

  • 宇宙

    妻が花を活ける。色鮮やかな花や、つぼみの植物を仏壇に、添える。もし、死辺の記憶を辿る時、理由は印象だった。自らの生きる理由や、生きていた理由を追いかける時また、死んでしまった、そのものの理由を想う時現実の、色鮮やかな記憶が生命を追い掛ける。生きようとする理由、死んでしまった理由、その両方で理由が「在った」事を証明するだろうか?生きるものへ使命を問うのは、現実の花の美しさかもしれない。花を愛でる、妻の目を、私は覗き込む。宇宙

  • 誰かの理由

    誰かが、誰かを好きになった。それが、同性であれ異性であれ、「憧れ」は、興味の対象だった。誰かが、誰かを好きになる、そうした願望が未来を見つめた。何故、あなたを好きになったのか?時は進行する。「好き」や「憧れ」や「願望」は、あなたの笑顔だった。私が居る事の証明だ。あなたが、観えなければ、誰も観えない。あなたが在って、私が居た。きっと、あなたも同じなんだろう。だから、あなたが好きになったんだ。全てを愛する覚悟が出来る気がした。人を愛することは、自分を愛することなのかもしれない。それは、人への感謝だった。「ありがとう」という、肯定の言葉である。誰かの理由

  • 黎明

    時々、可笑しな事を聞くときがある。最初は、聞き違いで、自分の耳の錯覚だと想う。その人の、想いや、筋道の違う理由を現実へ照らして観ると何が違って、何が筋道なのか、全体的な事を考えてしまう。「そうじゃないはずだったのに・・」「そうで、あるべきはずなのに・・」タラればや、後悔、失敗の想いから、同じ想いを引きずらないよう現実を見詰めようとする。しかし、子供の瞳は、そんなことは知らない。在るがままの、現実を、子供は、その瞳に映す。何が可笑しくて、何が、違うのか、子供は、笑う。黎明

  • 無音

    人は誰も音を聞かない。理由から動機から、利害の目的から、「存在」を疑問視する。たまたま、傀儡から理由を想っただけだった。状況が、自分の理由を問うて居た。何回も音を聞いていた。でも、無視した。そうあろうとすることで、価値が観えない。決められた線路で、頭を差し出した。警笛が鳴り、頭が破裂する。僕は、誰も見ていない。自分を信じたくて、自分を傷つける。何かを信じたくて、人が、人の心を無視するのを信じようとした。きっと、人を信じたくなかったのだ。無音

  • 仮想

    「理由なんか、どうでもいいんだよ。問題なのは、何をしたいかだ。それで、その人の価値が決まる。」何かが、自分を見つめていると感じていた。それは、母では無くて、友人でもない。自分の、意識への疑問が、他力を意識した。自分は、どんな存在なのか?自分の存在が、恐怖を押し込める。それが自分の欺瞞だと、気づくはずもなかった。理由を探した。そうするしか、目的を探せない。目的を探していたわけではないのに、理由を探した。いったい、どんな理由から、自分は生きているのか?いや、生きていると実感しているのか?そうした嘘を、自分へ投げかける。仮想

  • 愛という理解

    自分が、この世の現実を確認するために、意識を高揚しようとする。厭世に絆されながら、理由を強調し、因果の理由を信じようとする。在った事が、無かった事を是認したところで、何かが変わるとすれば、自身の心情である。現実は、変わらない。そうした事を、「信じますか?」というのは、不文律を感じるのだ。何が現実で、何が、妄想なのか、見つめようとする人々へ、真実が、現実の光明を照らすからだ。そうした、自分の心情を是認する勇気が、現実を見詰めることが出来る気がする。在ることを疑うな、在ることが全てだから、他人を愛することが出来る。それを見詰めなくて、何を見詰めるのだろう?愛という理解

  • 不思議の理由

    最初は、状況の確認だった。母乳を欲しがる私へ、母は、無理しながら母乳を飲ませた。母乳の味が、苦く甘く、ネットリとした感覚だったのを覚えている。私の記憶は、暗闇の情景だ。暗闇に光を確認した。それが、どんな意味なのか理解出来ない。生きる意味や、感覚が理解できないとき、それは、精神的には放心を意味する。しかし、恐らく、肉体的には、慢心的で、強欲なのだろう。肉体を与えられた時から、その感覚を自覚する。感覚は、光の意識を伴って、外側の世界を意識するように、感覚へ支配されてしまう。それと、同時に、以前の記憶が薄らいで行く。 もし、前世で、自分の行為の意味を自覚できるなら、現世では、何をするだろうか?自分の生存の意味を、自分の余生で生き、反面、人の生のために尽力したとしても生きるという仮定は、同等のレベルである。其処に、違い...不思議の理由

  • 輪廻転生

    友人が死んだ。友人の宅を訪れると、普段の表情で奥さんが迎える。仏壇の写真の友人を観ると、何故か、笑ったように感じた。友人は「会えて良かった。」と言いたげだった。近いようで、遠い。それが、どんな想いであれ、想えば想う程、その距離は遠のくのかもしれない。たとえ、現実が近くであっても、想いは、その成就を確認しない限り、遠くのものと想う。苦しみや苦痛、怨恨や嫉妬、怨嗟と後悔、現実の世界で、自分が何かをしようとする動機を見つめ、誰に問い掛け、誰を想うかは、きっと、この世の現実である。その現実の表情を、僕らは、知っているのだ。記憶を辿るように、友人の記憶が僕の情感を刺激する。友人に会えたこと、友人の想いを感じた事、同朋として生きようと誓ったことそれらの記憶が蘇る。ありがとう、友よ。きみと知り合えたことを感謝する。ありがとう...輪廻転生

  • 量子の世界

    子供の頃、現実の世界に驚きを感じた。空を飛び、速いスピードで走り、深い海を潜り、ロケットで地球を飛び出す。知る驚きと、見知らぬ世界が在ること、興味が自分の好奇心を駆り立てる。そんな時、ある不思議を感じた。人が死ぬと、天国と地獄へ行き、前世の行ないの量刑を課せられると教えられる。その量刑とは、善行と悪行の数で、天国と地獄が分けられる。誰もが、地獄を望まない。知っていれば、量刑を信じ、行為の選択をするだろう。しかし、実際は、地獄から想像する「痛い」だろう、想いをしたくないだけである。そして、想ったのが、自分が生きている世界で、天国と地獄の入り口は、何処にあるのか、という疑問だった。面白い話しをしよう。二枚の鏡を向かい合わせると、両方の鏡の中が複数の空間を作る。深夜を過ぎた、ある時間に、連続する鏡の向こうから、小さな...量子の世界

  • 時間について

    相対性理論について、非常に、分かり易い文章を記載する。「独立した両変数は、実は、独立でなく、両変数を合わせた四次元の時空座標(時間・空間座標)が時空世界(四次元空間)を形成し、各基準系の時間は系の運動状態によって異なる。すなわち、ある基準系の時間に比べて、この系に対し運動している基準系の歩度は遅れる。これを考慮して構成された相対論的な場の量子論が多時間理論、および超多時間理論である。多くの物理法則は、時間反転(時間変数の符号を逆に変える変換)しても成り立つ。これは時間の経過を逆行させることを意味していて、可逆性原理と呼ばれる。」最後に、再度、時間についての記述を記載する。「時間とは、空間とともに、あらゆる事象の最も基底的、普遍的な存在形式であり、また、出来事(恒常)が継起する形式(無)である。」時間について

  • 時間について

    時間とは出来事や変化を認識するための基礎的な概念である。しかし、この定義は物理的である。捉え方によって認識も違って来るだろう。「物事はすべて移ろい行くものであり、不変な存在などない。」(諸行無常)など時間の捉え方もある。ただ、概念を確認する意味から、認識や意識、知識や知恵を使い、現実の状況を知る手掛かりとして、以下に記すことは無駄ではないと想える。出来事の発生と経過は、場所を三次元の空間座標と時刻を一次元の時間座標で表す。3個の空間と1個の時間を独立の変数とみなされた。ここまでが、古典物理の時間認識である。時間について

  • 概念の倒置

    現実の物事に対して、何が、偶然で必然なのかを判断するとき、個人の倫理が反映するかもしれない。「在ろう」とすることが、未来を指針し、そのことで、行動の理由が生まれ、「継続」の因数が証明の興味へ傾倒してしまう。現実へ方策や指針や模索から、因数の根拠を探ることになる。「在る」ことが「在った」ことへの答えを探す、方便、となってしまうのだ。「在る」ことが、我々の目的である。その理由が、どんな理由であれ、それは、在る事を実感するが故であるだろう。想いは現実を指針すると願う。我々が、現実を起点として「存在」していること、そして、その意味を問うのは、我々の未来である。知識は、現実には、空虚である。しかし、それを問うのは、現実なのだ。概念の倒置

  • 「zero」の定義

    「無」を数式化すると「O」と表記し、ゼロ(英zero)ヌル(独Null)ノート(英naught)ニヒル(羅nihil)シューニャ(印サンスクリット語)などの呼び名がある。また、数値としての「O」は、最小の非負整数で、自然数、また偶数である。(0≠-,+)と(-<O<+)であり、しかし(∞≠O)である。∞無限は、虚無や虚空の概念と同等でわない。Oは、便宜上、実在しない数を概念とした。サンスクリット語のシューニャ(形容詞)は、シューニャター(代名詞)空性(漢訳)と訳され、「縁起を成立せしめたるための基礎状態」という意味があるそうだ。「zero」と「無」、そして「空性」という概念が「恒常」と、どう結びつくのか。「無常」という言葉は、「無」という状態が実在を成立せしめるものであるとしたら現実を否定することにならないだろ...「zero」の定義

  • 「無常ということ」

    学生の頃、教科書で小林秀雄という作家を知った。私と同じ年代であれば、恐らく、記憶にあるだろう。日本の歴史から、古典とする中で、「諸行無常」という言葉があるように仏教の経典から引用された言葉である。もともと、仏陀の生存した紀元前の「教え」から経典として中国を経由し大乗仏教として伝来したものを、空海が翻訳したものである。経典は、言語がサンスクリットで、その韻を漢語で表記している。三蔵法師、率いる孫悟空たちが、経典を漢語として伝えたのだ。此処で、言葉の意味を調べてみよう。「無」は、何もないこと。「常」は、恒常であること。「無」と「常」は、矛盾する言葉である。矛盾する言葉を、何故、造語したのか、理念の意味へ興味を抱く。それよりも、無常や不条理という言葉の意味が、概念として想像出来るだろうか。もし、その概念を「ZERO」...「無常ということ」

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