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  • 再開と文章を書くことについて

    しばらくの間諸事情が重なりブログから離れていた。やっと落ち着いてきたということもあり、継続を再開しようと思う。今回は書けなかった鬱憤を晴らしていきたい。 離れていたとはいうものの、心のどこかにブログで文章を書きたい意識があった。頭の中で文面を展開し推敲を重ね、忘れたころにまた同じような文章を構成している自分がいた。 最近までは誰かの指示、あるいは目に見えぬ流れに突き動かされ、ブログ外での文章を書くことが増えて少し嫌気がさしていた。それはそれで受け入れてはいるはずなのだが、どこか「自由」からかけ離れている感覚が脳裏に影を潜めているのだ。 一応、ブログを書き始めて少ししてから日記も書いてはいる。し…

  • 好きを貫く必用はない

    ほんとうに自分の好きなものはどこにもない。 それはその時、空間、気持ちによって左右される霧のようなモノでしかなく、 数学の公式のように美しく定義できるようなものではない。 好きなものを定義しようとして「ぼくは~が好きだ。理由は~だからだ」とカタチにしてしまうと、その言葉の牢獄に閉じ込められてしまう。 全ては流れ行く水のようなものだ。固定化させ、一貫性を維持する必要なんてどこにもなく、追い求める必要もない。 そもそも昨日の自分と今日の自分は生物学的視点からみても別物でしかなく、思考や感情、刻まれた記憶ですら移り変わっている。 今いるこの地点ですら宇宙の運動に巻き込まれており、静止していない。静止…

  • 継続七ヶ月目。今考えていることを三つほど書く。

    月に一度の反省すら書くのが遅れてしまった。早いものでもう七月だ。そろそろ蝉時雨でも聞こえてくるのではないかと期待する今日この頃。ここ数週間は身の回りの環境を大きく変え、なんとなく新しい気分で日々を過ごしてきた。どれだけ周りの環境を変えようとも自分というのは変わらないものなんだなと実感している。それはさておき、今回も簡単に考えていることを三つほど書き残していく。 絶歌と表現の自由について 最近友人と「絶歌と表現の自由について」の話をした。会話をしていたとき、僕自身今も考えがまとまりきっていないと実感したので、考えていることをここに書き記す。 実をいえば僕はまだ絶歌を読んでいない。読んでもいないの…

  • 僕は雨の日が好きだ

    雨の日は、なんだか楽しい気持ちにもなるし、悲しい気持ちにもなる。 比喩の表現として雨は涙で例えられる場合が多い。だからこそ悲しい気持ちを連想する場合もあるが、僕の場合は楽しい気持ちがそれを上回っている。僕は雨の日は家でじっとするのが嫌だ。外に出て雨の音を聞き、自ら雨に打たれたいと心から望んでいる。だから実際に雨に打たれにいくときもある。もちろん一人で。子供時代から雨に打たれることはよくやっていて、現在も継続中の一種の趣味だ。 そんな趣味を友人に話すと大抵はちょっと引かれる。それ以降、僕は誰にも雨が好きだと話すのはなくなったけれど。 雨を感じているとき、様々な原風景が心に蘇る。つらかった思い出や…

  • 先入観について悩んでいる

    僕は子供のころ、おとなになりたくて仕方がなかった。 おとなになって自分の好きなものを買い、何ものにも囚われることなく、自分の好きなように生きるのだと憧れ、夢見てきた。 しかし、今は逆に子供に戻りたがっている。なぜなら、子供はどこまでも純粋で、何ものにも囚われていないからだ。僕は大人になってはじめて気がついた。子供のころに憧れたものが、すぐ近くにあったことに。 大人の人は子供の意見をあまり聞こうとしない。聞いたとしても、それは話半分で聞き、そこから発想を得ようとしていない人が多いと感じる。 子どもは知識と経験が足りていない。それは大人と比べれば生きた年数が短いのだから当然といえば当然の話ではある…

  • スマートフォンを使うスマートではない人

    人間は自ら作り出した道具の道具になってしまった 作家のヘンリー・デイヴィッド・ソローが残した言葉が最近になって、身にしみる。スマートフォンの普及により、多くの人がかんたんにインターネットとつながれるようになった。 今ではグーグル会長のエリック・シュミットが発言した「インターネットは消える運命にある」の真意がなんとなく僕にもわかりつつある。ことわざに「灯台下暗し」とあるが、同様の状況になるのだろう。 あまりにも身近にありすぎてインターネットそのものが盲点となり、世界から溶けて消えていくのだ。 スマートフォンは便利だが危険でもある。なぜなら、人と話すのに疲れたら電脳の世界に逃げることができるからだ…

  • 虚構を想像する自由

    少し前の話になるが首相官邸にドローンが落ちた。この事件を耳にしたとき最初に脳裏によぎったのは伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」だ。およそ七年前に刊行されたこの作品ではドローンを用いた犯罪がキーとなっている。真に迫った虚構は現実に肉薄するのだなと驚いていた。 つい先日からは火山やら地震やらのニュースをよく耳にする。これは小松左京の「日本沈没」をどこか彷彿とさせる。杞憂であるといいのだが。 こうして考えてみると「虚構の自由さ」というのは魅力的で、実際に起きるとまずい事態もフィクションなら表現できる自由さが僕はたまらなく好きだ。 しかし、おとなになるにつれ、多くの人は虚構を想像する自由が失われてい…

  • ブログを始めて半年が経過した

    半年が経過した。ものすごく嬉しい。 ブログを始めた当初は正直ここまで継続できるとは思っておらず、できて数ヶ月、最悪1週間くらいとタカをくくっていた。 どういったわけかもう半年だ。継続できる要因として更新ペースがまったりしているのも要因にはあると思う。書きたいときに書き始められ、終わりたいと思えばいつでも終わらせることができる自由さが、僕には合っていた。誰かの指示でやらされていたのなら、とうの昔に終わっていただろう。誰かからの反応があったのも継続できている要因に入る。 他のブログさんにも書いてあったが、アクセス数云々より、純粋なコメント、はてなスター、コメントつきのブックマークのほうが嬉しさがあ…

  • 僕が映画を観る理由は「夢」にある

    僕が映画を観る理由は一つ。夢をそのまま味わえるからだ。 正直にいってしまえば楽しみたいだけならもっと他の趣味をしたほうがいい。笑いたいのなら他にも方法はある。泣きたいのも同様だ。それらは別に映画でなくとも経験できる。僕は意味も脈略もモラルも映画に求めていない。 僕が求めているのは「夢」だ。 僕は「無意識の夢」こそが映画の本質だと考えている。 映画の魅力はなんといっても映像だろう。スクリーンから映し出される物語は僕に例えようのない高揚感を僕に突きつけてくる。臨場感とでもいえばいいのだろうか。他の作品群とは少し異なる映像ならではの「生命」がひしひしと伝わってくる。おそらく、「そのまま」訴えてくるか…

  • 言葉と人

    「君の伝えたいことはわかる。理解できる」 この言葉にどれほどの真意があるのだろうか僕には疑問だった。 そういった「言葉と人」についての関連と考えを、少し書きたくなったので書いておこうと思う。

  • 世界と言葉

    しばらく悩んでいた。自分の「感想という名の世界」を言葉にしていいのかという問題に。一つ前の記事でも少し書いたが、作品の感想をそのまま言葉で表すことはできない。表現には限界があり、どう足掻いてもそれは分離され、独立する。その現状―――自分が感じている感想と言葉とが、まったく同一ではない形状をしているのが悩ましかったのだ。

  • 自然の美しさと川の流れ「リバー・ランズ・スルー・イット」 感想

    雨が地を固めやがて岩になった。それは五億年も前のことだ。 だがその前から岩の下には―――神の言葉があった 自然と芸術。それらは互いに相互しあい、限りない神秘を形成する。描かれるのは「完成されたものの美」だ。どこまでも美しく、永遠に消えぬ安心を与えてくれる。そこでは不変であるノスタルジックな幻想が人々を癒す。 しかし、人の世は芸術ではなく、永遠の命を持つことはない。 本作「リバー・ランズ・スルー・イット」はそういった情感、感慨を抱かせる作品だった。いわゆる「エンターテイメント」性のある映画ではない。描かれるのは自然と調和。そしてその中を緩やかに流れ行く「川」である。

  • 元祖怪獣酒場にいってきたので感想を書く

    ゴールデンウィークということもあり、友人3人と元祖怪獣酒場にいってきた。この怪獣酒場、普通の酒場とは違った趣向となっている。 実はウルトラマンに出てくる怪獣が集まる(という設定の)酒場なのだ。なかなかにカオスな空間だった。僕自身、怪獣についての知識が皆無に等しく、楽しめるのか不安だった。しかし、どこか昭和の良い雰囲気が店内に満ちていて今とは違う時代の雰囲気を存分に楽しめた。従業員のノリ(悪役の設定)もなかなかに面白く存分に楽しめて、なおかつ料理も美味しかった。 写真をブログに掲載していいとの許可をいただいたので、紹介も兼ねつつ日記として記録する。 (写真が上手に撮れていなかったので、そこは許し…

  • 自ら不正解を選択する勇気

    子供の頃、僕はあらゆる問いに不変の「正解」があると思っていた。 あらゆる現象、あらゆる問題、あらゆる悩みに対して必ずそこには一つの真実があって、それは誰かを救うものになるんだと信じていた。そう信じて、ひたすら問題に対して答えをだそうと考え続けてきた。 しかし、成長するにつれ客観的な真実はないんだと気づかされた。 この世に正解はなく、救いはないんだと。 そう気づかされた。だけど、それでもまだ諦めきれない「自分」がまだ心の中にいた。 その「自分」というのは臆病な「自分」だった。おそらく、「正解」を見つけることで安心したかったのだ。つまり、不正解を引くのが怖かったんだと思う。不正解というよりも、未知…

  • 素直に作品を評価する

    良いものを素直に、「良い」と断言するのは案外難しいことなのかもしれない。人が作品に接してその作品を評価するとき、人は作品を通じてその奥に潜む作者に目を向ける。たとえば「この作品は~~という人物が作ったから良い!」とか。 こういった作品評価をのやりかたをたまに耳にするし目にする。これをもっと広い視点でみるならばあらゆるものに通じてくる。「この人物は有名な大学を出ているから信頼できる!」や、「この食べ物は~~産だから上手い!」などなど。 それらに関して今回は深く書かかないけれど、人はなにか評価を下すとき、どこかその「背景」を頼りにしている部分がある、ということだ。作品にしても同じだ。 ある作者の作…

  • 走る

    神戸マラソンと大阪マラソンに応募した。 昨年の神戸マラソンに参加して以来、走ることに病み付きになっている。 昨年のフルマラソンは練習不足により酷い目にあった。完走はできたものの脚が3日間ほどまともに動かせなかったのが辛い。しかし、走るのは楽しかった。沿道からの温かい応援。どこまでも広がっていく爽やかな景色。呼吸はちっとも整わなかったし、脚は前に動かせなかった。それでも、いつまでも走り続けたいと強く願っていた。またあの場所で走りたい。そう願うのは必然といっていいだろう。当選確率は低いけれどもとりあえず二つ応募することにした。まあ当選しなくともどこかで走るのは決定事項のようなものなので、昨年の冬か…

  • 月に一度の反省

    さて、ブログを始めておおよそ五ヶ月がすぎた。いろいろと考えが僕の頭の中を渦巻いている。それらのことを少し書いていこうと思う。 月に一度の反省は、次から月末にする。 感想文の変化と考え まず、感想文のスタイルが少しずつ変化してきている。 その変遷を下に表すと自分のためだけに、自分が記事を見直したら自分の記憶と感情が再生されるように書く。 ↓他者を意識するようになり、他者にも共感してもらえるように、自分の記憶と感情が再生されるようにネタバレを含みつつ書く。 ↓さらに他者を意識するようになり、その作品を観ていない人でも僕の文章を読んでもらえるように、観た人にも共感してもらえるように、自分の記憶と感情…

  • この桜をあと何回見ることができるだろうか

    「この桜をあと何回見ることができるだろうか」 桜の季節を迎えるたびに、何度もその想いが胸を貫く。 僕はこの景色の美しさを、どこまで追い続けることができるのだろうかと。うららかな風に誘われるまま、僕は河川敷の斜面にゴロンと寝転んで、ずっと一人で桜を見ていた。「一人花見」である。 僕はこの「一人花見」を毎年やっている。これがけっこう好きなのだ。友人にそう話すと「寂しいやつだな」と言われる。だけど、僕はその「寂しいやつ」を好んでやっているのだ。 もちろん、友達や知り合いと大勢で騒ぐ花見も好きだ。酒を飲み肩を組んで歌い、ワイワイと騒ぐ。それはそれで楽しい。しかし、どこか違和感を覚えているのも事実だ。 …

  • この曲を本気で聞いた者は悪人になれない「善き人のためのソナタ」 感想

    「この曲を本気で聞いた者は悪人になれない」このキャッチコピーが本作の全てを物語っている。 舞台は社会主義がまだ浸透していた旧東ドイツとなる。現代の日本とは異質かもしれない。しかし、そこに描かれていたのはどこの世界でも変わることのない人間の姿だ。社会に抑圧された人間が生み出す一つのドラマだ。 僕の中で本作は傑作だった。というかかなり好みであった。 あらすじ 1984年の東ベルリン。国家保安省のヴィースラーは反体制の劇作家ドライマンと同棲相手の舞台女優クリスタを監視するように命じられる。ヴィースラーはドライマンの住むアパートに盗聴器を仕掛けた。しかし、ヴィースラーは盗聴器から聴こえてくる世界に、心…

  • 生きるとは、物語を書くこと

    人は誰もが生きている上で物語を書いている。この「書く」という行為は決してペンで記述したりキーボードを打鍵するという意味ではない。それは「日々を積み重ねていくこと」。笑い、楽しみ、怒り、悔しさや悲しみに涙し、喜びに心震わせる。そんな小さな日常。その時点でもう同じなんじゃないかと、物語を書いているんじゃないかと、僕はそう思うのだ。そのありがたみがさも当然のようにあるから、それがとても大事な価値であることに気づいていない人もいる。失ってみて初めてその価値がわかるのだと理解していても、大事な価値に目を向けないのだ。たしかに、日々を積み重ねていく行為が辛くて苦しいと感じるときもある。この世界では楽しいこ…

  • 終わらない二月二日「恋はデジャ・ブ」 感想

    「恋はデジャ・ブ」というタイトルだけ読むとただのラブコメものだと予想してしまいそうだ。しかし、本作はタイムループものでもある。超面白かった。 不可思議な現象によって同じ日を繰り返すことになった主人公フィルが、自分を見つめなおし自分を変えていく物語。 カテゴリーで分類するのであればラブコメではある。だが本作はそんなカテゴリーを軽々と凌駕し、観ている者に様々な問いかけを突きつける。それでありながら夢を与える内容となっており、素晴らしいの一言。 この映画が楽しめるのならば「ミッション:8ミニッツ」も間違いなく面白いのでオススメしておく。 あらすじ 気象予報士のフィルは同僚でありヒロインのリタと、もう…

  • 物語について

    過去に書かれた僕の映画や小説の感想を読んでみると、僕が「物語」に求めているものが何なのわかってきた。僕が「物語」に託そうとしていることが少しづつ浮かび上がってきたともいえる。 託そうとしているものは「潤い」だ。 つまるところ、僕は自分自身の空洞を「物語」で埋めたがっている。ようするに、自分に持っていないものを虚構に委ねているように見えたのだ。現実の世界で体験することができないモノ。それがなんであれ、伽藍洞な自分を埋めたがっている、隠したがっている。自分が「空虚」なんだと自分で理解してしまわないように。空虚な自分に卑屈になってしまわないように。 物語の世界はどんな人間でも逃げこむことができる素晴…

  • 幻想的でどこか奇妙な世界観の映画「シザー・ハンズ」

    この世界観はなかなかクセになる。 少し前に観た同監督の「ビッグ・フィッシュ」がとても良かったので、このシザーハンズもきっと素晴らしいに違いないと勝手に期待を膨らませつつ鑑賞した。 相変わらず期待に応えてくれる内容だったので満足。 あらすじ 丘の上にあるお化け屋敷のような建物に住む発明家のおじいちゃんがある発明をした。それはほぼ完璧な人造人間であった。その人造人間の名前はエドワード。しかし、完全に人間になる前に発明家のおじいちゃんは死んでしまう。そのためエドワードは両手がハサミのままに生活することを余儀なくされる。それ以降、彼はひっそりと孤独に暮らしていた。 そんなある日、彼のもとにセールスウー…

  • 世界の拡張

    友人がオススメする小説や映画はなるべく見るようにしている。それは自分のために非常に役に立つからだ。 自分のアンテナに自信があるのならば人に頼る必用はないと思うが、自分が見たい、読みたいだけの物語だと目には見えない偏りが生じて世界の拡張ができないのではないかと僕は思っている。 決してこの偏りが悪いとは思ってはいない。むしろ自分という人間を深く掘り下げるためには必須だと思う。 しかし自分が選んだ物語だけだと、自分を深く掘り下げることはできても広げることはできないのではないか。つまり視野が狭いまま、ひたすらに自分の世界に閉じこもってしまうのではないかと危惧している。 ようするに結論をいえば、もったい…

  • 桜の開花間近、思うこと

    ブログを書き始めてから、四ヶ月が過ぎた。 一ヶ月に一度、継続報告のような記事を書いているが、これもまた習慣になってしまった。 そしてこの継続報告記事が一番書きやすいということが判明した。うーむ。 理由として考えられるのは、書く題材を決めていないということが一番の原因なのではないかと推測している。つまり、そのまま自分の思考をダイレクトに反映させているので何も悩む要素がないから、ということになる。 では、他の書く記事は悩んでいるのかといえば・・・・・・なんともいえない。どうしたら物語の面白さを上手く伝えられるのかをひたすら試行錯誤している段階ではある。そしておそらく、試行錯誤を繰り返したその先に、…

  • ロボット同士の戦いが熱い映画「リアルスティール」

    ロボットに感情移入しまくった。 本作はロボット同士の熱い戦いが見たい方には必見の映画だ。ロボット対ロボットの激しいボクシング。なかなかに異色ではあるのだがそれがもう熱い!かっこいい!まさに王道といっていいだろう。 そしてこの物語は家族の絆の話でもある。心に傷を負った家族を繋ぎとめるのは、一人のロボットだった。 youtu.be あらすじ 2020年。人間のボクシングに代わり、より暴力的な「ロボット格闘技」が人気を博していた。人間のボクシングが廃れたことで、将来を有望視されていたプロボクサーのチャーリー・ケントン(ヒュー・ジャックマン)も、今では中古のロボットを使ってプロモーターとして生計を立て…

  • 読んだ本を血肉化し、自分を成長させる方法

    どれだけ本を多読し知識をいれようとも、本から得た知識が必用なとき、瞬時に活用することができなければ意味がない。 どれだけ本を購入しようとも、それを本棚に埋めるだけでは意味がない。本を買うことは、その知識を獲得するという意味ではない。 難しい本を読み終えたとき、素晴らしい知識を獲得した気持ちになって、それだけで自分も賢くなったんじゃないかと思ってしまう。だが、知識を後追いする読書では自分にとって大切な「何か」を得ることは難しい。 つまり、いつでも使える状態にある知識にこそ値打ちがあり、自在に使いこなせないのであればなんの意味もないのだ。他の人物から拝借しただけの知識はただ自分の体にこびり付いたホ…

  • 思考の基本書「知的複眼思考法」

    問題解決の最初にすることは「問う」ことだろう。だが、その問い方があまりにも安直だと、安直な答えしか返ってこない。 問い方が甘いのだ。そうなると考えを深めることはできないまま思考が凍結してしまう。「問い」を上手に展開し、掘り下げていくことが思考停止にならない方法である。本書は問題解決の手段を掴めていない人にとって最適の一冊となる。 シンプルでとてもわかりやすく、思考法の基礎を懇切丁寧に解説してある。知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)作者: 苅谷剛彦出版社/メーカー: 講談社発売日: 2002/05/20メディア: 文庫購入: 64人 クリック: 567回この商品…

  • 高所恐怖症にはおすすめできない映画 「崖っぷちの男」

    タイトル通り、崖っぷちの男の物語である。 この「崖っぷち」二重の意味がある。上の画像を見ていただければ分かると思うが「崖っぷち」である。 そしてこの男は脱獄犯でもある。 文字通りの崖っぷちの状況。この男はなぜこんなことをしでかしたのか? それがこの映画の核となる部分でもある。 映画『崖っぷちの男』予告編 - YouTube あらすじ 30億円のダイヤモンドを強奪した罪で刑務所に収監されている元刑事ニック・キャシディは、元同僚マイク・アッカーマンとの面談で父が危篤状態であることを知る。結果、父親は亡くなり、マイクの計らいで葬儀に出席することを許されるが、その場で騒ぎを起こし逃亡する。その後、ニッ…

  • EvernoteとWorkFlowyについて

    ブログを始めてから文章を書くエディタが変わりつつある。今までは自分の思うがまま文章を構成してきたが、まとまりを持った文章を書くのに、少し難儀していた。 それは現在でも進行中なのだが、最近使いやすいシンプルなアウトライナーを発見することができた。 「WorkFlowy」である。 最近発見したばかりなので試験運用中なのだが、これがなかなかに使いやすく、ブログを書くにあたって重宝しそうな予感がする。 今回はこの「WorkFlowy」について、「Evernote」についての記事となる。

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