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  • 人間は、欲動によって、快楽を求めて生きている。(自我その514)

    ほとんどの人は、毎日、いかなる時でも、自ら意識して思考して、自らの感情をコントロールしながら、自らの意志で行動していると思っている。すなわち、主体的に思考して行動していると思っている。そこに、大きな誤りがある。人間の自らを意識しての精神の活動を表層心理と言う。人間の無意識の精神の活動を深層心理と言う。つまり、ほとんどの人は、毎日、いかなる時でも、表層心理で、自ら意識して思考して、自らの感情をコントロールしながら、自らの意志で行動していると思っている。それが大きな誤りなのである。なぜならば、深層心理が、常に、ある構造体の中で、ある自我を主体に立てて、快楽を求めて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我である人間を動かしているからである。人間は、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持って行動して...人間は、欲動によって、快楽を求めて生きている。(自我その514)

  • 深層心理が生み出す自我の欲望が人間を動かしている。(自我その513)

    人間は、常に、ある構造体に所属して、ある自我を持って存在し、行動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、他者からある特定の役割を担ったポジションが与えられ、そのポジションを自他共に認めた、現実の自分のあり方である。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦などがある。国という構造体では、国民という自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、コンビニという構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという構造体では恋人と...深層心理が生み出す自我の欲望が人間を動かしている。(自我その513)

  • 人間は、自らの意にならない心境や感情に動かされて生きている。(自我その512)

    「苦しんでいる人間は、苦しみが消えれば、それで良い。苦しみの原因が何であるかわからなくても構わない。苦しみが消えたということが、問題が解決されたということを意味するのである。」とオーストリア生まれの哲学者ウィトゲンシュタインは言う。苦しんでいる人間は、苦しみから逃れることができれば、それで良く、必ずしも、苦悩の原因となっている問題を解決する必要は無いのである。人間は、苦しいから、その苦しみから逃れるために、苦しみをもたらしている原因や理由を調べ、それを除去する方法を考えるのである。だから、苦しみが消滅すれば、途端に、思考は停止するのである。たとえ、苦しみをもたらしている原因や理由を調べ上げ、それを問題化して、解決する途上であっても、苦しみが消滅すれば、途端に、思考は停止するのである。つまり、苦痛が存在しているか...人間は、自らの意にならない心境や感情に動かされて生きている。(自我その512)

  • 人間は、誰しも、主体性無く、自我にしがみついて、生きている。(自我その511)

    人間は、誰しも、主体性無く、生きている。しかし、それは当然のことである。なぜならば、人間は、誰一人として、誕生の意志をもって生まれていないからである。そうかと言って、誕生を拒否したのに、誕生させられたわけでもない。気が付いたら、そこに人間として存在しているのである。だから、人間は、誰しも、主体性無く、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。つまり、人間は、自らの意志で誕生していないから、主体性無く、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。そして、時として、自らに主体性が無いことに気付き、疑問を覚えるのである。しかし、自らの意志によって生まれてきていず、主体性が無いことは、他の動物、植物も同じである。しかし、人間には、他の動物、植物と異なるところがある。...人間は、誰しも、主体性無く、自我にしがみついて、生きている。(自我その511)

  • 人間は、地球で、最も心が醜くて残酷な動物である。(自我その510)

    人間を定義する言葉は幾つもある。ホモ・サピエンスは、リンネが考案し、人間は考える動物であるという意味である。ホモ・ファーベルは、ベルクソンが考案し、人間は道具を作る動物であるという意味である。ホモ・ルーデンスは、ホイジンガが考案し、人間は遊ぶ動物であるという意味である。ホモ・シンボリクスは、カッシーラーが考案し、人間は象徴化する動物であるという意味である。その他に、人間は言葉を使う動物である、人間は火を使う動物である、などがある。いずれも、人間は他の動物と比べて優れていると考えている。しかし、もう、自画自賛をするのはやめた方が良い。オゾン層を破壊したのは人間である。公害は人間が作り出したものである。地球温暖化を作り出したのは人間である。無数の動物を絶滅させたのは人間である。これらの行為に飽き足らず、人間世界には...人間は、地球で、最も心が醜くて残酷な動物である。(自我その510)

  • 人間は自らが動かせない自らによって自らの存在を知る。(自我その509)

    人間は、自らのことを、自分と表現する。しかし、自分という言葉は、他者や他人と区別した自らの存在を表しているに過ぎない。人間は、この世に、他者や他人と区別して、一人一人存在しているから、自らのことを、自分と表現するのである。つまり、自分は、人間が、他者や他人と区別した、自らの存在を強調した言葉なのである。確かに、人間にとって、自分は、他者や他人と区別した自らの存在を表す言葉として必要であろう。しかし、人間が、社会生活を営む上において、自分という個人は、雲散霧消化するのである。人間が、社会生活を営む上においては、自分はという個人、自らにとっても、他者や他人にとっても、存在しないのである。人間が、社会生活を営む上で、自らにとっても他者や他人にとっても実際に存在しているのは、自我である。なぜならば、人間が、社会生活を営...人間は自らが動かせない自らによって自らの存在を知る。(自我その509)

  • 自我として生きている人間の可能性と限界について。(自我その508)

    深層心理が人間を動かしている。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。人間は、誰しも、朝起きると、学校・職場に行くことを考えて不快になることがある。この、学校・職場に行くことを考えて不快になることは、自らの意志ではなく、深層心理が行ったことなのである。人間が、無意識のうちに、深層心理が思考して、不快な感情と学校・職場に行かないでおこうという行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。しかし、たいていの場合、不快な気持ちに振り伐り、登校・出勤する。それは、超自我という機能が働いたからである。超自我とは、自我に毎日同じことをさせ、ルーティーンを守らせる機能である。深層心理には、超自我という機能も存在するのである。超自我が、ルーティーンから外れた自我の欲望を抑圧しようとするのである。もしも、超自我の抑圧が功を奏...自我として生きている人間の可能性と限界について。(自我その508)

  • 苦痛が思考を生み、思考の方向性を決めている。(自我その507)

    パスカルに、「人間は考える葦である。」という有名な言葉がある。言うまでも無く、人間の尊厳は考えることにあるという意味である。しかし、人間は、苦痛が無い時には考えない。人間は、苦痛があるから考えるのである。人間は、苦痛があるから、その苦痛から抜け出す方法を考えるのである。人間は、肉体的にしろ精神的にしろ、苦痛があるから、自らの現在の状態を意識して考え、その苦痛から抜け出す方法を考えるのである。パスカルも、苦痛があったから考えたのである。精神的な苦痛があったから、その苦痛から抜け出す方法を考えたのである。しかし、肉体的な苦痛にしろ精神的な苦痛にしろ、人間は、自らが意識して考え、自ら意志して、自らにもたらしたものではない。誰が、好き好んで、苦痛を持ちたいと思うだろうか。「若い時の苦労は買ってでもせよ」という諺がある。...苦痛が思考を生み、思考の方向性を決めている。(自我その507)

  • 生きがいの無い、代わり映えのしない日々の生活について。(自我その506)

    人間は、一人では、生きていけない。そして、本質的に、変化に対応できない。だから、人間は、毎日、同じようなことを繰り返して暮らしている。ルーティーンの生活を送っている。毎日、家族の中で息子として会話をし、学校へ行って生徒として勉強し、会社へ行って社員として働き、コンビニに立ち寄って客として買い物をし、仲間と友人として戯れ、カップルで恋人としてデートを楽しむ。人間は、毎日、同じ構造体で、同じ自我を持って、同じようなことをして暮らしている。構造体とは、組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。人間は、いつ、いかなる時でも、常に、構造体の中で、自我を持って、暮らしているのである。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、...生きがいの無い、代わり映えのしない日々の生活について。(自我その506)

  • 快楽と精神疾患について。(自我その505)

    人間は、快楽を得るために生きている。快楽とは、言うまでも無く、快い感情である。人間は、自我が他者に認めてもらえれば快楽を得ることができるので、自我が他者に認めてもらえるように行動する。人間は、自我が他者を支配できれば快楽を得ることができるので、自我が他者を支配できるように行動する。人間は、自我が他者と心の交流ができれば快楽を得ることができるので、自我が他者と心の交流ができるように行動する。つまり、人間は、快楽を得るために、自我が他者に認めてもらえるように、自我が他者を支配できるように、自我が他者と心の交流ができるように行動するのである。しかし、人間は、なぜ、自我が他者に認めてもらえれば快楽を得ることができ、自我が他者を支配できれば快楽を得ることができ、自我が他者と心の交流ができれば快楽を得ることができるかがわか...快楽と精神疾患について。(自我その505)

  • 人間は、与えられた自我に、どうして執着するのか。(自我その504)

    人間は、常に、構造体に所属し、自我を持して活動している.。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、ポジションが与えられ、その欲目を果たそうとしている自らのあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、銀行、店、電車、仲間、夫婦、カップルなどがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、国民という自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、銀行という構造体では、支店長・行員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・乗客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、夫婦という構造体では、夫・妻の自...人間は、与えられた自我に、どうして執着するのか。(自我その504)

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