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アートプラス京めぐり https://blog.goo.ne.jp/korede193

京都の探索中、記事数5200、まち歩き・寺院神社・石碑道標・陵墓・看板 京都府南部も始めました

アートプラス京めぐり
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2015/02/19

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  • 寺院八幡0597 薬薗寺 薬師如来・重文 三宅石碑

    薬薗寺・やくおんじ浄土宗鎮西派の寺、もとは森堂または薬薗院ともいい、薬草を栽培する園地を管理する寺院であったと伝わる。本堂に安置する本尊薬師如来立像(重要文化財・平安時代)は高さ1.63m、豊満な体を一木で作った彩色像で、古来航海安全の守護仏としてあがめられている。他に木造12神将立像12体(平安時代)、板彫日光・月光両菩薩立像等を安置する。国寶薬師像薬薗寺右川口五丁左正福寺一丁昭和二年十月京都三宅安兵衛依遺志建之寺院前回の記事⇒寺院八幡0596単傳菴・らくがき寺臨済宗妙心寺派縁結び・比翼地蔵尊関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧まとめ045京都府の重要文化財・国宝建物下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院八幡0597薬薗寺薬師如来・重文三宅石碑

  • 町名0011 『教業町』 平安京の坊条からの名称

    東山区教業町(きょうぎょうちょう)平安京の坊名からつけられた町名坊名は左京では北から北辺坊桃花坊銅駝坊教業坊永昌坊宣風坊淳風坊安衆坊崇仁坊陶化坊右京では北から北辺坊桃花坊銅駝坊豊財坊永寧坊宣義坊光徳坊毓財坊延嘉坊開建坊があった明治になってから小学校の校名に使用されたのがこの坊名から選ばれた教業淳風崇仁陶化光徳の小学校番組小学校町名0011『教業町』平安京の坊条からの名称

  • 地蔵尊八幡055 大きい 地蔵尊 です

    こちらの像には屋根がない地蔵尊前回の記事⇒寺院八幡0596単傳菴・らくがき寺臨済宗妙心寺派縁結び・比翼地蔵尊関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます地蔵尊八幡055大きい地蔵尊です

  • 石碑八幡0203 後村上天皇行宮 趾

    石碑前回の記事⇒石碑八幡0202引窓南邸跡三宅石碑関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます石碑八幡0203後村上天皇行宮趾

  • 町名0012 『釈迦』がついた町名

    北区大宮釈迦谷左京区一乗寺釈迦堂町右京区嵯峨釈迦堂大門町近くに嵯峨釈迦堂がある⇒寺院右0015-1嵯峨大念仏狂言主役はこどもたち右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町右京区嵯峨釈迦堂門前裏柳町右京区嵯峨釈迦堂門前瀬戸川町右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町町名0012『釈迦』がついた町名

  • 寺院八幡0596 単傳菴・らくがき寺 臨済宗妙心寺派 縁結び・比翼地蔵尊

    縁結び比翼地蔵このお地蔵さまは約400年前に刻まれたとのことである。思えば、夫婦はもとより兄弟・親族・友人・知人に至るまですべて祝世の因縁によってこの世でめぐり逢えたものです。此の地蔵尊はこの世でよい人々と御縁があるようにお守り頂く仏様です。特に結婚の良縁を祈願される方には小さな地蔵様に記名した奉納と速やかに良縁が与えられるとされています。毎年8月22日の縁日にはあらゆる方面の良縁に恵まれますよう祈願をこめて夕方より灯ろう流しの行事が行われます。結婚の良縁祈願お申込みの方は寺務所へご連絡ください単傳庵寺院前回の記事⇒寺院八幡0595大聖不動明王二の丸引面道標地蔵尊前回の記事⇒地蔵尊八幡053地蔵尊周りが保護されています関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せ寺院八幡0596単傳菴・らくがき寺臨済宗妙心寺派縁結び・比翼地蔵尊

  • 地蔵尊八幡053 地蔵尊 周りが保護されています

    地蔵尊前回の記事⇒地蔵尊八幡052水嫌地蔵尊関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます地蔵尊八幡053地蔵尊周りが保護されています

  • 町名0013 太秦 石垣町

    太秦石垣町(いしがきちょう)東山区石垣町西側東山区石垣町東側町名0013太秦石垣町

  • 道標八幡0235 安居橋 三宅石碑

    安居橋左反橋跡半丁昭和二年十月京都三宅安兵衛依遺志建之右淀屋舊邸単傳菴関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧道標前回の記事⇒道標八幡0234谷不動堂道下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0235安居橋三宅石碑

  • 町名0013 『轆轤』 (ろくろ) の名がつく町名

    東山区轆轤町町名0013『轆轤』(ろくろ)の名がつく町名

  • 町名0010 『薬師』 がついた町名

    北区大宮薬師山東町北区大宮薬師山西町上京区薬師町上京区芝薬師町上京区薬師町上京区薬師前町左京区一乗寺薬師堂町左京区修学院薬師堂町中京区薬師町東山区薬師町下京区薬師前町伏見区納所薬師堂西京区嵐山薬師下町町名0010『薬師』がついた町名

  • まち歩き八幡1046 エジソンの顔 モニュメント

    関連記事⇒石碑八幡0179エジソン記念碑関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧前回の記事⇒まち歩き八幡1045神應寺墓地淀屋辰五郎・二宮忠八墓所下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1046エジソンの顔モニュメント

  • 町名0011 『曼陀羅』がついた町名

    上京区曼陀羅町町名0011『曼陀羅』がついた町名

  • 石碑八幡0202 引窓南邸跡 三宅石碑

    引窓南邸跡西二丁常昌院南一丁神應寺昭和二年九月京都三宅安兵衛依遺志建之人形浄瑠璃の演目「双蝶々曲輪日記・ふたつちょうちょうくるわにっき」の有名な場面に、八幡の里が舞台の「引窓」があります。寛延二年(1749)より度々上演されてきました。引窓とは、紐を引いて開閉する天窓のこと。母が後妻に入った南氏の邸宅で、使われる実の息子と、捕縛の役目を負いながら葛藤の末に見逃す義理の息子の人情を描いたストーリーは、放生会(現在の勅祭・石清水祭)が行われた八幡市八幡高坊周辺にあった家をモデルに着想されたと伝わります。石碑は現在より約50m西側に建てられましたが、平成28年現地に移設しました。寛延2年(1749)徳川将軍9代家重5年目の時代石碑前回の記事⇒石碑和歌山0201千度石淡嶋神社神南辺石碑関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡...石碑八幡0202引窓南邸跡三宅石碑

  • 寺院八幡0595 大聖不動明王 二の丸 引面 道標

    ひきめのたき道施主藤本尊政桐山弥介明治30年7月建之寺院前回の記事⇒寺院八幡0594講田寺曹洞宗油かけ地蔵関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院八幡0595大聖不動明王二の丸引面道標

  • まち歩き八幡1045 神應寺墓地 淀屋辰五郎・二宮忠八墓所

    淀城永井家の墓二宮忠八の墓淀屋の墓江戸初期大坂の豪商淀屋辰五郎一族の墓淀屋は、中之島を開拓するとともに屋敷の前で米市を開き、淀屋橋を架けるなど「天下の台所」大坂の発展に大きく貢献した。五代目・淀屋辰五郎の時、町人に過ぎたる豪奢を理由として幕府から関所処分(全財産没収・所払)を受けたが、その後の恩赦で八幡の田地が返還され、そこに住んだ。八幡柴座の町なかに、淀屋の屋敷跡と伝える石碑が存在する。淀屋は、代々八幡神人格を有し、神応寺に対しても扁額を寄進する等深い繋がりがあったことがうかがえる。まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1044防火用水桶関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧神社八幡0175飛行神社まち歩き八幡1043二宮忠八飛行器工作所跡淀屋寄進の灯籠⇒神社伏0119與杼神社(よどじんじゃ)まち歩き八幡1041淀屋辰...まち歩き八幡1045神應寺墓地淀屋辰五郎・二宮忠八墓所

  • 町名0001 平安京の官庁街の名称と一致する町名

    昔・平安京の内裏の近くにある町名二条城付近に集まっている中京区西ノ京式部町中京区式部町昔の内裏から離れています中京区西ノ京左馬寮町西ノ京右馬寮町中京区西ノ京職司町上京区中務町上京区主税町上京区西院町町名0001平安京の官庁街の名称と一致する町名

  • 道標八幡0234 谷不動堂道

    宝暦4甲戌7年吉日道標前回の記事⇒道標八幡0233茶臼山古墳跡三宅石碑関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0234谷不動堂道

  • 祠八幡049 弁財天

    祠前回の記事⇒祠八幡048金刀比羅関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます祠八幡049弁財天

  • 道標八幡0233 茶臼山古墳跡 三宅石碑

    茶臼山古墳跡右足立寺五丁左南岩倉三丁昭和二年十月京都三宅安兵衛依遺志建之道標前回の記事⇒道標八幡0232豊蔵坊信海墓三宅石碑関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0233茶臼山古墳跡三宅石碑

  • 道標八幡0232 豊蔵坊信海墓 三宅石碑

    豊蔵坊信海墓昭和二年十月京都三宅安兵衛依遺志建之道標前回の記事⇒道標八幡0231和気清麻呂公旧跡足立寺古跡三宅石碑関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0232豊蔵坊信海墓三宅石碑

  • 史跡八幡046 西山廃寺(足立寺跡) 三重塔

    西山廃寺(足立寺)中世建物跡西山廃寺(足立寺・そくりゅうじ)が建てられた当時の建物は、どのように並んでいたかはよくわからないが、三重塔の東側に残っていたこの建物は、一辺10mの基壇の上に、8.5m四方(3間×3間)で、北側中央の間には階段がとりついていたらしく、南北朝時代の檜皮葺(ひわだぶき)のお堂である。元の寺とどのような関連があるのかよくわからないが、この建物の一層下には、奈良時代の礎石や、瓦が埋まっていたから、元の建物がこわれてからそのあとへ新しくこのお堂がたてらなおされたものと考えられる。西山廃寺(足立寺)三重塔跡江戸時代に作られた『山州名跡誌』などの記録によれば、石清水八幡宮の西南方の山中に、弥勒菩薩(みろくぼさつ)をまつる寺と、和気清磨(わけのきよまろ)をまつる神社があったといい、この寺は、奈良時代...史跡八幡046西山廃寺(足立寺跡)三重塔

  • 神社八幡0179 和気神社

    関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧和気公関連記事⇒神社上0029護王神社イノシシがシンボルその1神社上0029-2護王神社末社のかずかずその2神社上0029-3護王神社イノシシで足腰をまもるその3神社前回の記事⇒神社八幡0178稲荷神社下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0179和気神社

  • 道標八幡0231 和気清麻呂公旧跡 足立寺古跡 三宅石碑

    和気清麻呂公舊跡足立寺古跡左浄瑠璃姫墓五丁昭和二年十月京都三宅安兵衛依遺志建之右茶臼山二丁関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧道標前回の記事⇒道標八幡0230長柄人柱地蔵尊講田寺三宅石碑下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0231和気清麻呂公旧跡足立寺古跡三宅石碑

  • 神社八幡0178 稲荷神社

    稲荷神社稲荷神社の創建について、詳しいことはわかっていませんが、往古は荒神社・辨天社とあわせて四人山(よんにんざん)の守り神として、この地にお鎮まりになられたもので、古図にも見えていることにより、かなりしっかりしたお社であったようです。荒神社と辨天社は現在なくなってしまいましたが、この地は、山の上の方にあるために、毎年日照りが続くと米が稔らず、村人がこの地に集まって毎夜雨乞いの祈りをしたのです。その祈願が終わる日の夜、白髪の老人が現れ、「私は御食津神(みけつかみ)と言います。私は食物を支配する神ですから、この地に私を大切にまつれば、百年の間は水に悩まされることはなくなるでしょう」と申され、姿を消してしまわれました。これを聞いた村人たちは、この白髪の神の申されたとおりに、祠を作り、稲のなる社として「稲荷神社」と名...神社八幡0178稲荷神社

  • 寺院八幡0594 講田寺 曹洞宗 油かけ地蔵

    寺院前回の記事⇒寺院八幡0593感応寺法華宗・真門流標石に本祥寺関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧地蔵尊057下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院八幡0594講田寺曹洞宗油かけ地蔵

  • 道標八幡0230 長柄人柱地蔵尊講田寺 三宅石碑

    長柄人柱地蔵尊講田寺北橋本八町昭和3年春京都三宅安兵衛依遺志建之南楠葉十三町関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0230長柄人柱地蔵尊講田寺三宅石碑

  • 道標八幡0229 南岩倉 三宅石碑

    南岩倉右加法經塚五丁左橋本三丁昭和二年十月京都三宅安兵衛依遺志建之関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0229南岩倉三宅石碑

  • 神社八幡0177 猿田彦神社

    安永元年(1772年)徳川将軍10代家治13年目猿田彦神社の由来猿田彦神社には猿田彦命が祀られている。八幡大神が男山に登られる際に山崎の地にて一夜御休憩された。翌朝山崎を出発され、猿田彦神がお伴をして大神を男山の峰にご案内申し上げた。その出迎え場所が現在の猿田彦神社であり、そこに猿田彦神を祀る神社が建設された。その後、平野山の守り神として今日に至っている。境内の森には二カ所の大きな宮があり、これを「夫婦岩」「岩倉」と称している。岩倉とは、神が降臨される神聖な所である。猿田彦神社は、家内安全・夫婦円満・交通安全の神様として常に多くの方々がお参りされている。関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧神社前回の記事⇒神社八幡0176狩尾神社本殿・重要文化財紀元2600年碑下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事...神社八幡0177猿田彦神社

  • 神社八幡0176 狩尾神社 本殿・重要文化財 紀元2600年碑

    怖いくらい急な階段石清水八幡宮摂社狩尾神社本殿重要文化財慶長6年(1601年)神社境内からの眺め紀元2600年の鳥居神社前回の記事⇒神社八幡0175飛行神社関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧京都府の重要文化財・国宝建物まとめ006紀元2600年石碑・献木・奉納額下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0176狩尾神社本殿・重要文化財紀元2600年碑

  • 道標八幡0228 湯澤山茶久蓮寺跡 三宅石碑

    京阪電車橋本駅橋本渡舟場三丁山崎停車所十丁長岡一里柳谷観音一里廿丁粟生一里半善峯二里昭和二年十月京都三宅安兵衛依遺志建之京大坂街道右八幡御幸橋八丁左楠葉八丁南志水近道廿丁湯澤山茶久蓮寺跡前回の道標記事⇒道標八幡0227舊橋本寺西遊寺三宅石碑関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0228湯澤山茶久蓮寺跡三宅石碑

  • 道標八幡0227 舊 橋本寺 西遊寺 三宅石碑

    舊橋本寺西遊寺右塩竈三丁左八幡常昌院八丁道標前回の記事⇒道標八幡0226妙見宮舊常徳寺三宅碑関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0227舊橋本寺西遊寺三宅石碑

  • 西本願寺の総門

    平成27年9月24日令和元年6月17日追加宝永8年(1711)建立徳川将軍6代家宣3年目昭和34年交通量の増加に対応して堀川通の拡張が計画され元の場所から東へ移動され現在地に。かつて総門は複数設けられていた。「北総門」「南総門」があったが、現在残っているのはこの総門のみ。近辺地域記事➡地図の右下ユーザー地図をクリック平成27年9月20日京都ローカルニュースハギの名所で知られる、上京区の梨木神社で俳句大会が開かれた。多くの人が境内のハギを愛でながら句を詠んだ。西本願寺の総門

  • 寺院八幡0593 感応寺 法華宗・真門流 標石に本祥寺

    標石に本祥寺とあり前回の記事⇒寺院八幡0592西遊寺浄土宗関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院八幡0593感応寺法華宗・真門流標石に本祥寺

  • 道標八幡0226 妙見宮 舊 常徳寺 三宅碑

    妙見宮舊常徳寺道標前回の記事⇒道標八幡0225山崎等三宅石板碑関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0226妙見宮舊常徳寺三宅碑

  • 道標八幡0225 山崎等 三宅石板碑

    是山崎名勝古蹟至河湯離宮跡離宮八幡宮六丁豊太閤公陣営千利休茗席妙喜庵六丁打出ノ宮寶寺十丁山崎聖天妙音十観音寺十二丁元治役真木和泉守外十六列士墓十五丁赤松圓心築城天王山古城跡十五丁豊臣秀吉公旗立松十三丁後鳥羽天皇離宮官幣中社水無瀬宮十丁楠公父子訣別之所櫻井之驛十五丁道標前回の記事⇒道標八幡0224柳谷わたし場関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0225山崎等三宅石板碑

  • 寺院八幡0592 西遊寺 浄土宗

    西遊寺当山は、普現山聖善院西遊寺と称し、行基大僧正ゆかりの橋本寺を起源とする。開山上人は感譽上人で、小田原城主北条氏康の次男である。元亀元年(1570)氏康公の命により上洛して此の地が法然上人八幡宮参篭の由緒地橋本寺に留まり天正元年奥橋本山から現在の地に当山を移し創建した。当山二世欣誉上人は師の西国遊歴の縁起により寺号を西遊寺と改められた。三世救誉上人の代になって、慶長5年5月、徳川家康より朱印五石三斗を給わり法灯盛んとなって別格本山として末寺9ケ寺を擁するようになった。秀吉公が天王山で明智光秀と戦った山崎合戦の折この地に立ち寄りお茶を所望したところ湯ばかり沢山出したので湯沢山茶久連寺といったと伝えられている。八幡市指定文化財木造天部形立像(伝帝釈天立像)平安時代(10世紀前半)の作像高148cm本像は、西遊寺...寺院八幡0592西遊寺浄土宗

  • まち歩き八幡1044 防火用水桶

    逆さまに置かれた用水桶まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1043二宮忠八飛行器工作所跡関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧まち歩き南0725防火用水漕南区で壊さずに残っていましたコンクリート製の防火用水下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1044防火用水桶

  • 16 下京 地区 寺社記事検索一覧

    項目をクリックするとその記事にワープします四条大橋四条河原西石垣四条御旅所春長寺➔寺院下0038春長寺浄土宗織田信忠の家臣・本能寺の変で戦死・菩提寺浄教寺➔寺院下0035浄教寺浄土宗平家・平重盛ゆかりの寺松原橋➔まち歩き下0073鴨川に架かる橋からの眺め松原橋不動寺➔寺院下0063明王院不動寺真言宗東寺派仏光寺➔寺院下0024仏光寺街中にあっても静か画像追加光薗院➔寺院下0050光薗院真宗仏光寺派大行寺➔寺院下0047大行寺真宗仏光寺派平等寺(因幡堂)➔寺院下0060平等寺・因幡薬師真言宗智山派俊成社➔史跡下010俊成社・ここに藤原定家も住まいしていた花咲稲荷社➔祠下005花咲稲荷神社松永貞徳の邸にあった鎮守社夕顔塚➔石碑下0030夕顔之墳源語伝説五条辺鉄輪井戸新玉津島神社➔神社下0038新玉津神社季吟・芭蕉ゆ...16下京地区寺社記事検索一覧

  • 寺社検索05 太秦・嵯峨野

    それぞれの項目をクリックでワープします太秦➔広隆寺➔広隆寺大酒神社➔大酒神社(おおさけ)牛祭木枯神社いさら井➔名水を訪ねて「いさら井」円山応挙墓➔悟眞寺・應攀寺映画村木島神社➔蚕の社(かいこのやしろ)東横映画株式会社京都撮影所退營記念方位石(野戰重砲々彈)退營記念灯篭天塚古墳➔天塚古墳・伯清稲荷神社車僧影堂➔史跡右005車僧影堂市川神社➔市川神社西光寺➔西光寺(さいこうじ)門が茅葺だ三吉稲荷神社➔三吉稲荷社(さんきちいなりしゃ)帷子ノ辻仲野親王高畠陵➔桓武天皇皇子仲野親王高畠墓蛇塚古墳➔古墳01蛇塚古墳(へびつかこふん)常盤常盤の杜址西方寺➔西方寺浄土宗西山派粟生光明寺法雲院➔源光寺➔源光寺義経の母の生誕の地常盤御前墓嵯峨嵯峨野下嵯峨斎宮神社➔齋宮神社有栖川車折神社➔車折神社表参道より入る車折神社表参道第3鳥居...寺社検索05太秦・嵯峨野

  • 桜右040 太秦映画村 前の通りの桜

    平成30年3月25日撮影太秦映画村前の通り前回の桜記事⇒桜右梅宮大社の桜桜まとめ⇒まとめ035桜の花桜右040太秦映画村前の通りの桜

  • 寺院八幡0591 正満寺 浄土真宗本願寺派

    寺院前回の記事⇒寺院八幡0590常昌禅院関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院八幡0591正満寺浄土真宗本願寺派

  • 地蔵尊八幡052 水嫌地蔵尊

    水嫌い地蔵八幡の昔話今から130年ほどの前の話です。八幡さまのある男山の南の麓に橋本という所があります。橋本は、木津川と宇治川と桂川の3つの川が合流して淀川になる所で、きれいな水が流れて青い光につつまれ、春には菜の花や葦に黄金の花が咲き乱れます。橋本の渡しは、いつも三十石船や、八幡さまにお参りする人々で賑わい、宿場町として栄えていきました。しかし、一方では、梅雨どきになり大雨が続くと、昔から水がつき、水害に悩まされていたのです。橋本の小金町に住む久次郎の家には、古い井戸があり、大雨のために水が溜まっていました。ある日、久次郎がその古い井戸に近寄ると井戸の底から「ウオオーン、ウオオーン、ウオオーン」という不思議な音が響いてきます。家の人達には全く聞こえないのに、久次郎にだけ聞こえるので、不思議に思っておりました。...地蔵尊八幡052水嫌地蔵尊

  • 道標八幡0224 柳谷 わたし場

    柳谷わたし場山ざきあたごわたし場明治二年己年六月角屋三良兵衛北之町吉之助世話人渡し中間大坂の下り舟の里場津の国そうじ寺わたし場道標前回の記事⇒道標八幡0223八まん宮いせ京伏見江戸時代の道標関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0224柳谷わたし場

  • まとめ0029 古墳

    京都市内1古墳01蛇塚古墳(へびつかこふん)2古墳西16松尾学区古墳群3古墳右15圓山陵墓参考地4古墳右14入道塚陵墓参考地5古墳右13狐塚古墳6古墳右12古墳時代の出土物獣脚硯7古墳右11グランドの隅にある8古墳右10広沢池公園内にある古墳9古墳右09広沢池の東の山頂に古墳と眺め10古墳右08山越古墳群古墳三基と石材11古墳右07印空寺の古墳12古墳右06御堂ケ池一号墳13古墳02上ノ山古墳西京区14天塚古墳・伯清稲荷神社15清水山古墳跡1617181920向日市古墳04物集女車塚古墳石棺も出土長岡京市府北部古墳府05石明神遺蹟と石碑まとめ0029古墳

  • 道標八幡0223 八まん宮 いせ京伏見 江戸時代の道標

    左り八まん宮いせ京伏見明和四年二月1767年徳川将軍家治8年目道標前回の記事⇒道標八幡0222大坂下り船乗場関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0223八まん宮いせ京伏見江戸時代の道標

  • まとめ0015 御土居堀

    秀吉が造らせた御土居堀1史跡北032御土居加茂川中学前2まち歩き中0719この道の盛り上がり、御土居の痕跡のようだ3まち歩き中0720御土居の町名・通り名4秀吉が造らせた御土居堀5678910まとめ0015御土居堀

  • 祠八幡048 金刀比羅

    万延元年1860年祠前回の記事⇒祠八幡047豊影稲荷大明神関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます祠八幡048金刀比羅

  • 祠八幡047 豊影稲荷大明神

    前回の記事祠八幡046大正12年に新調されている祠関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます祠八幡047豊影稲荷大明神

  • 道標八幡0222 大坂下り船乗場

    右八まん宮山へこれより十六丁文政二己卯年二月吉日1819年左津の国そうじ寺大坂下り船乗場大坂孫右衛門町宮前良順新町通亀や□勝関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧道標前回の記事⇒道標八幡0221八幡橋宇治街道奈良街道三宅石碑下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0222大坂下り船乗場

  • 関連記事0015 神南辺道心

    京都市内1道標右0127神南辺道心の道標2寺院東0334遺迎院浄土宗西山禅林寺派3道標伏0080霊場深草毘沙門天神南辺隆光京都一周トレイルF234まち歩き右0595御室八十八ケ所京都の眺望道標右0128神南辺道心5道標右0129神南辺道心の道標6和歌山県7石碑和歌山0201千度石淡嶋神社神南辺石碑8関連記事0015神南辺道心

  • まち歩き八幡1043 二宮忠八 飛行器工作所跡

    二宮忠八飛行器工作所跡この地に、「飛行原理」を世界の誰よりも早く発見した二宮忠八が「玉虫型飛行器」の製作を本格的に取りかかった二宮工作所がありました。忠八は、慶応2年(1866)、愛媛県八幡浜市に生まれ、少年時代には、自身考案の忠八凧がよく揚がり評判でした。明治22年(1889)烏の翼を見て「飛行原理」を発見明治24年(1891)「鳥型飛行器」の飛行実験に成功明治26年(1893)「玉虫型飛行器」の模型を完成明治33年(1900)石油発動機があった精米所の当地を買取り、飛行器製作を開始この付近の木津川には広い砂原があり、飛行器の完成時に試験飛行を予定していました。明治36年(1903)アメリカのライト兄弟による有人飛行実験の成功を知り、製作を断念その後、飛行機は急速な進歩を遂げましたが、忠八は飛行機の草創期に事...まち歩き八幡1043二宮忠八飛行器工作所跡

  • まち歩き八幡1042 大楠

    平成29年12月撮影まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1041淀屋辰五郎旧邸三宅石碑関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1042大楠

  • 地蔵尊八幡051 八幡 子安地蔵尊

    地蔵尊前回の記事⇒地蔵尊南050地蔵尊関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます地蔵尊八幡051八幡子安地蔵尊

  • 寺院八幡0590 常昌禅院

    関連記事⇒49八幡地区記事検索一覧寺院前回の記事⇒寺院八幡0589正福寺浄土宗下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院八幡0590常昌禅院

  • 石碑和歌山0201 千度石 淡嶋神社 神南辺石碑

    願主神南辺文政13年1830年千度石関連記事➡神南辺道心の道標道標右0127神南辺道心の道標寺院東0334遺迎院浄土宗西山禅林寺派道標伏0080霊場深草毘沙門天神南辺隆光まち歩き右0595御室八十八ケ所京都の眺望道標右0128神南辺道心道標前回の記事➡道標右0128神南辺道心石碑前回の記事⇒石碑八幡0200史蹟八幡行宮址他に道標石碑和歌山0201千度石淡嶋神社神南辺石碑

  • 神社八幡0175 飛行神社

    この地に、「飛行原理」を世界の誰よりも早く発見した二宮忠八が「玉虫型飛行器」の製作を本格的に取りかかった二宮工作所がありました。忠八は、慶応2年(1866)、愛媛県八幡浜市に生まれ、少年時代には、自身考案の忠八凧がよく揚がり評判でした。明治22年(1889)烏の翼を見て「飛行原理」を発見明治24年(1891)「鳥型飛行器」の飛行実験に成功明治26年(1893)「玉虫型飛行器」の模型を完成明治33年(1900)石油発動機があった精米所の当地を買取り、飛行器製作を開始この付近の木津川には広い砂原があり、飛行器の完成時に試験飛行を予定していました。明治36年(1903)アメリカのライト兄弟による有人飛行実験の成功を知り、製作を断念その後、飛行機は急速な進歩を遂げましたが、忠八は飛行機の草創期に事故によって不慮の死を遂...神社八幡0175飛行神社

  • 石碑八幡0200 史蹟 八幡行宮址 他に道標

    史蹟八幡行宮址史蹟名勝天然記念物保存法に依り昭和十五年八月文部大臣指定史蹟境界西左京南右うぢ東北左・・治石碑前回の記事⇒石碑八幡0199下馬自是到寶前2基関連記事⇔49八幡地区記事検索一覧石碑八幡0200史蹟八幡行宮址他に道標

  • 道標八幡0221 八幡橋 宇治街道 奈良街道 三宅石碑

    右奈良街道川口五丁上津屋一里木津五里下奈良二〇丁岩田一里六丁奈良六里半上奈良二十五丁大住二里内里三十丁田辺二里半昭和三年春京都三宅安兵衛依遺志建之左宇治街道奈良濱廿二丁宇治新田二里下津屋廿五丁宇治町二里半佐山三十丁八幡橋右志水町十二丁左橋本町十一丁道標前回の記事⇒道標八幡0220金剛律寺故趾正平役園殿口古戦場三宅石碑2基関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0221八幡橋宇治街道奈良街道三宅石碑

  • 石碑八幡0199 下馬 自是到寶前 2基

    下馬自是到寶前七丁石碑前回の記事⇒石碑八幡0198征露・魂明治38年関連記事⇔49八幡地区記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます石碑八幡0199下馬自是到寶前2基

  • 道標八幡0220 金剛律寺故趾 正平役園殿口古戦場 三宅石碑2基

    金剛律寺故趾京都元標四里三十二丁昭和二年十月京都三宅安兵依遺建之正平役園殿口古戦場左本妙寺半丁右法園寺二丁昭和二年十月京都三宅安兵衛依遺建之関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧道標前回の記事⇒道標八幡0219小野頼風塚三宅石碑下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0220金剛律寺故趾正平役園殿口古戦場三宅石碑2基

  • 史跡八幡045 小野頼風塚

    『藻塩草(もじおぐさ)』によれば、平城天皇のとき小野頼風という人が男山に住み、京に女をもって深い契りをむすんでいたが、いつしか二人のあいだには秋風が立つにいたった。京の女は思いあまって八幡の里に男を訪ねてきたが、男には他に女を娶ってその方へ行っていることを知り、悲歎のあまり八幡の川のほとりに山吹がさねの衣をぬぎ捨て、投身して果てた。その衣は朽ちてそこから女郎花が生えた。これを知った頼風は花のもとに立ち寄ったところ、花に恨んだ風情があり、近寄ればなびきしりぞき、立ち退くともとの如くになるのを見て、自責の念にかられ、川に身を投げて死んだ。その川を涙川といい、放生川の上流にあたるという。世人はこれをあわれみ、女と同じところに彼の塚をきづいた。今の頼風塚がそれであり、女郎花塚というのが女の塚であると伝える。この伝説は謡...史跡八幡045小野頼風塚

  • 道標八幡0219 小野頼風塚 三宅石碑

    下のほうが埋もれています小野頼風塚向右松花堂墓所昭和2季建之京都三宅安兵衛依遺建之小野頼風塚向左善法寺関連記事⇒三宅安兵衛の道標49八幡地区記事検索一覧道標前回の記事⇒道標八幡0218八幡町道路元標下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0219小野頼風塚三宅石碑

  • 寺院八幡0589 正福寺 浄土宗

    関連記事⇒49八幡地区寺社記事検索一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院八幡0589正福寺浄土宗

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