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  • ジュゼッペ カスティリオーネ

    今朝の発見過去に絵葉書で購入したお気に入りのひとつで、youtubeの表絵に張り付いていて、この作品について改めて関心を寄せた。絵葉書の説明はスマホで写真に収め、拡大して検索。ジュゼッペカスティリオーネ20代で長期渡航し中国に入り、ああ、あの絵、覚えている。イエズス会宣教師在清代には庭園の設計をしたり、官位を贈られた。本当に恰好好い絵です。ジュゼッペカスティリオーネ

  • あああ の続き

    私たちは日常の中からほっとしたものを見つけ出そうとしている。まさにあああ自然災害紛争事件記事無力感コロナ健在伝えられやるせなく開かずの間に一瞬収納する節分にどんどんと合図のように空に向かって音が飛び出し、神社で火渡りでも始まるのだろうか、豆もイワシも恵方巻も用意せず、SNSでセツブンソウを知る。子育て中はこの時とばかりに、ひとにぎりの大豆を(少しばかり惜しみながら)外に向かって大声を発し投げたものだった。が、私は家の中に「福は内」と言って投げ放っただろうか?年齢分だけ食べる、と子供と共有したが、どれほど面白かっただろうか、忘れてしまった。子供にせがまれ友達も同乗した神社の節分帰りのことである。夜になって凍った雪に苦労した時もあった。飛び散った豆畳敷で拾いあう親と子可笑しさ楽しさ今何処豆まきの前は畳の塵を払...あああの続き

  • 面白いねエ、バラエティ豊かで

    と、通常利用のyoutubeは私にとって欠かせないツ-ルになっている。体を動かしたり、不調解消に、そしてエンタメに、と大利用している。昨日は古事記を医学見地から執筆した本の紹介があった。医師だからこそ、蛭子・淡島などという記述から胎児に至らなかった状態に繋がり、感心させられた。どのような展開になるのか、楽しみになるサイトだった。が、現今のAIやchatgpt駆使すれば、古文も新たな好奇心によって面白い発見があるのかもしれない・・・だろうか。当時の生活様式・衛生観念・食事事情・社会ランクなど、表示条件を入れれば、さらに映像にして、など指示を付ければ、出てくるのだろうか、とは、気楽な好奇心発信でもある。国会図書館の印刷物保管がコード番号になっていればスキャンできる?すると際限なしの変化出版物になるだろうねえ。...面白いねエ、バラエティ豊かで

  • 初雪 うっすらと

    1月14日朝目覚めて洗面所に行くと、窓から見えた屋根にはうっすらと白いものがついていた。夜の内に雪になったか、朝方の冷えが色づいたか、例年よりも少しばかり遅れた初雪のようでもあったようだ。けれど年賀と呼べる状態ではない、能登半島の地震事情である。多くの自治体職員が総協力で復興に尽くしている。現地では不便な状態でも日常、入試も、集団移動も進行するそうだ。久しぶりに気まぐれでデザ-トを買った。容器の蓋をとると、逆台形の底辺はとても小さくて、現今値上がり事情の現象かとため息を忘れるほどすぐに空になった。ダイエット応援品でもあろかねえ。蜻蛉日記を借りて数日前に読み始めた。うんざりしていた。が、現代の婚姻関係よりも自由で複雑な男女関係社会で、女性としてはやるせなかった気持ちが発散した行為だっただろうか。当時としては...初雪うっすらと

  • 初夢 1/3

    今年も初夢に母が登場した。が、今までの夢の母とは違い、現実感があり、キッチンでの姿だった。それまでは母はどこか、私自身の投影像のようでもあり、危機深奥状態の時にたいてい現れた。私は夢で別のパワー態を生みだしていたのだろうか。朧げに映った背景は独身時代の職場だった。初夢1/3

  • な、なんと

    父が夢に登場した。生まれて初めてで、60年ぶりだろうか、それも壮年できびきびと活動し、指示を放っていた。私は若い悪党のひとりをもう少しでとらえるところで、その最中に父は私の家(ホールのような大きな建築物)の一室から10キロのお米をいくつかスタッフに持ち出させようとしていた。「あ、それはダメよ、うちのだから」と夢の一シ-ンには、さらに手持ちの父の写真を私が見せようと吹き出しのように浮かぶ、まさに2次元世界の夢場面に登場している。米は労働者に食べさせるためだという。それにしても夢の出現はざっと目を通した「席方平」の影響か、あちらとこちらを行き来し、まさに父が仮の姿で登場、とは、現実生活の影響が、こんなにも夢の世界でお出ましなさった。遼寧省海州衛のお話にしおりを入れるくらいだから、お出ますわよね~びっくりしてい...な、なんと

  • まだ大人以前だから行動できた母

    お人形を持って写真に写った母、二十歳前であることは間違いない。それも日本で写したわけでもなく、幻の日本で、当時の社会事情に置かれた年頃娘が感じたむしゃくしゃからこの写真を撮ったのだという。提灯袖のブラウスも自分で作ったそうだ。ミシンは当時の値段で3000円1940年以前のこと。ストレスやうっ憤晴らしで写真をたくさん手にし、隊列で行進する兵隊さんにあげたのだとか!手を指し伸ばして欲しがる代物、笑っている写真でなによりです。昭和50年平壌楽浪海30周年記念の住所録には吉本好太郎(毛糸・裏地・裁縫用具)墨田区大平という住所に本人の丸囲みマークがあり、当時現地で贔屓にしていた店主だろうか。―読者からの続き希望があり、おまけです。まだ大人以前だから行動できた母

  • 大人の母のおままごとみたいだわ

    ナスとキュウリに脚をつけた馬の写真をお盆の頃にネット上で見た。私は母と墓参りに行き、提灯を下げ、小川の端の上にナスとキュウリを置きならべた。確か、それは盆送りの頃で、暑い盛りのお盆の最中にお出でになった我が家の魂を再び送る母なりの季節の風習だった。ああ、それにしても亡き人がいらして帰るのに盆踊りとは、何なんだろう、あの音響と浮かれ様は、と子供心に沸いた感情だった。そして、お盆の時の様変わり。どこか母は嬉しそうで、いそいそと仏壇を居間に置き換え、赤いほうずきで飾り、3ヶ日は小さな陶器の器に朝晩に食事を備えていた。そうめんなんて、盆棚から下げる時にはかちかちになって器にはりついていた。いったいいつ頃までそう母なりの行事を続けていたか、私は確かめようもないが、今になって感じるのは、あのお盆の、いつもと違った居間...大人の母のおままごとみたいだわ

  • あああ、暑いこと、雪の中に入り込みたいわ~

    あああ、暑いこと、雪の中に入り込みたいわ~

  • 源重のサステナブルお仕事 1943

    平安南道陽徳郡立ち木買い入れ植え付け唐松9,500,000・950,000本1943年から立ち木の買い入れと植え付けを大量に行った。これらの木の森が成長した30年後はどんな光景だろうか、紅葉を楽しみたいものだ。3年前に海州で災難に遭ってから本拠地を平壌に移して安全確保に努めている。>と回想を交えていた。まだまだ暑い、これだけ雪があったら、と気持ちだけ出血サ-ビス写真源重のサステナブルお仕事1943

  • 近江八幡

    資料館でわかったこと近江商人は英次さんが布石だったでしょう。通行税として中継点の強みを生かし、行きと帰りに物品が必要なところに届く商売をしたようだ。近隣の家並みには今にも名をとどろかす氏名の豪商建物がありました。近江八幡

  • 明治の建築物

    弘前城下町と思いきや明治の建築物が町の中に生きていて楽しい散策になった。散策しながら何故明治の建築物、それも教会・宣教師住宅・クリスチャン棟梁など、出現したのか知りたくなった。帰宅日に偕行社に来て、なんとなくわかったような気がした。国を守る軍の機関として施設があったから、異国文化が根付いたのだろう。明治の建築物

  • リュウノウジュの話

    聊斎志異(1640-1715)の話のひとつにこんな話がねえ。科挙に挑むだけの執念はこんな場面で発揮されて、と読んでいた。と、最後の部分海の国ともいわれる海の中の姫が、泣いている娘の夢枕に立ち、「立派に大きくなりなさい、泣いたりしてはいけません」と教えて、珊瑚樹・リュウノウコウ・真珠・宝石をちりばめた象嵌の手箱を嫁入り調度品として娘に贈った。と、いう。リュウノウジュの香りとは、気付けにもなる竜脳樹で、フタバガキ科リュウノウジュ属だそうで、アジアの南海に多いそうだ。このお話に登場したのには交易財として珍重されたのだろう、と感じ入る。リュウノウジュの話

  • 篤い機会だった

    お雛様以来のiPadによる訪問だった。年齢の衰えは、日常生活者とは違うから仕方ない。が、手持ちの写真を画面に映し出して会話を保とうとした。といっても、私の勝手な相槌で、相手からの発話は大方が理解不能。けれど、通じた。「ケントンさん覚えている?」彼女は思い出したか目頭にタオルを持っていき、感激したようだ。「覚えている、覚えている」と、顔をゆがめるほどだった。(私自身はケントンさんに逢ったことも見たこともない、彼女からの過去の会話かぎりでもある)彼女がケントンさんの第一のご指名で、他にも何人もいて、グランドハイツではトップを占めるほどで、クリスマスには自動車に多くのプレゼントやカードが積み込まれ、私や家族を驚かせたものだった。その中に私が持っている品として「retirementfund」と書かれた本を夫婦の陶...篤い機会だった

  • 新緑の季節は五感で楽しめる

    連休の込んだ日を避けて楽しもうと、散歩用件で出かけた。が、チューリップは八分が終わり、例年とは段違いの早い春の変化を目にした。ネモフィラの海、かわいらしい小花で対面すると口角が延びてくる。大人に対面してこんな顔はしないだろうに、自然は文句なしの相手でもある。草野原でも、緑の茎に赤・白・黄色と腰高ほどのお花畑が広がっていた。黄色のゾーンは菜の花だろうか、近づくにつれ香りが楽しめる。緑の樹木も葉をこんもりと、ふさふさ嵩高で、首をあげまわして生命を感じる。ケヤキは何人と手をつなげば周囲を囲えるだろうか。あっケヤキの枝枝の節辺りに、小さな白いものがついている。手の届く、枝が地面にもつきそうなくらい伸ばしているその白い、ぽっちとした小さなのに触ってみた。これは?ケヤキの花って節と節の、幹とは段違いの大きさで花をつけ...新緑の季節は五感で楽しめる

  • 言葉の真意に反応して書いておこうと思う話題もあるものだ

    現在たいていの物が電子化され、過去の所有物など膨大で、どこまで遡れるのかわからない、それほど私たちの歩みは人によって変化変貌され、便利な暮らしになっている。けれど、刻まれた問題もあるものだ。それが生きている人間に繋がりもし、書いて納まるものもある。言葉の真意に反応して書いておこうと思う話題もあるものだ

  • 珍しい場面に出くわした

    何と言って刀を振り下ろしたのか聞こえなかったけれど、私には珍しい光景。近江八幡に到着した昼。珍しい場面に出くわした

  • 三寒四温無し 春 5月気温

    三寒四温をしながら桜も徐々に開いて春になるのかと思ったら、今年は早い速い速い。4時半現在、パソコンは20度を表示している。鯉のぼりも混在する桜見になるだろうか。小振りのハクレンも咲いている。が、売り物だろうその樹木林、中には枯れ葉を落とせずにそのままの姿で立つのもある。どうやら虫が養分を吸い上げる、人間でいうならば血管に当たるだろう樹木の部位に虫が入っているようなのだ。散策中に知った、春になっても新しい息吹ができず、前の秋からそのような状態で新たな季節を迎えることになった。知ってからは、緑の葉をつけた林の中の枯れ葉づき樹木を痛々しい気持ちで見つめる時もある。病魔に奮闘中ということになる。これからどうなるのだろうか。コロナもマスク着用が個人に任されるようになり、どことなく気持ちは楽で、海外からの来訪客も当た...三寒四温無し春5月気温

  • 大寒近く

    コート掛けからgore-texを取り出して身につけてみた。着丈が長かったり厚ぼったい上着だと、Uターンした頃には腰に巻きつけたりすることもある冬日の散策でもある。 帰りには体がすでに温まっていてのびのびしている体を感じる。これがご褒美で,部屋を出る前には少々目が痛かったけれど、何も感じない心地よさでいる.。歩き始めて胸を合わせようとすると左側のポケットに何か嵩張るものを感じた。右手のスエードの手袋を外して左ポケットの中身を確かめようとした。ひょっとしたら消毒の携帯品だろうかと思っていたが、なんとそれはお菓子の袋であった。 「えっ?」このコートを私はいつ着たのだろうか.。ネパール旅行に行った時に買ったアウトドア用上着で、ひょっとしたらお菓子はコロナ以前からあったのだろうか。 でも思わぬ小さなプレゼントにどこ...大寒近く

  • トーハク詣で

    ひときわ大きな絵で、お正月にふさわしい初音を聴く集まりでしょうか。奇麗な絵で、お年玉展示とも言えます。題名は美音1907年島崎柳ウトーハク詣で

  • 初めて弘前歩きで知ったこと

    明治時代の洋風建築が残っている。他にも慶応元年・江戸時代後期・明治4年・大正・昭和10年~の日本・西洋建築物が残って楽しめた。パンフの説明と実写物を照らし合わせながらもう一度確かめてみようかと思う。なぜこれほど残っているのか、それが無知な私の問でもあった。3泊中には朝小雨が降るという天気でもあり、傘が離せなかったけれど、昼に晴れれば、広い道路を気ままに歩くのは気持ちよかった。初めて弘前歩きで知ったこと

  • リンゴが木になって

    いるのが見たくて、そうそう寒くないうちにと、「コロナ開けたかしらん」と気持ちがはやり、数年ぶりに旅準備するのも、どこかわくわく気味だった。数泊旅、それも新幹線で北に向かうのは初めてだった。はやぶさで3時間、速い、こんな北まで、あら青森は目と鼻の先。地図上の感覚で、随分遠い場所だと思っていたが、動いてみて近いのにびっくり。これも新幹線鉄道網のお陰です。青森どんなところ?と青函連絡船きり知らなくて、それでも弘前からとことこ電車でも1時間はかからなかっただろう。駅近くの広い空の近くにはねぶた会館が象徴的で、建物が斬新で目を惹いた。埠頭を歩き、展示物により、青森の変化を知る。遅いお昼を済ませて弘前に向かう頃には薄暗くなっていた。駅に付随した情報センターの方は丁寧な対応をし、バス路線の時刻を教えてくれた。ヨーカドー...リンゴが木になって

  • どこに行けばいいか・・・

    と、出かけた場所で興味深い本を見つけた。「韓国写真史」1631-1945力作の翻訳で、パラパラとページをめくり、おやおや、<東学指導者金開男撮影者未詳日本軍に逮捕された時の姿>とあり、ドラマとともに非常にタイムリー。歴ドラの出来栄えは史実脚色キャストともにいい作品だ。俳優の醍醐味ともいえる、時を超えて何度も何人にも生きられる仕事を見せている。オールスタッフにより、歴史事件の中から見出す真価を伝えている。どこのどんな場所の時代においてもこれだけは失うまい、と小説の言葉とは違うわかりやすいエンタメを届けている。写真の歴史の中で「規制と弾圧」という箇所もあり、その中には間島事件関係者の顔写真や繋がれて公判に行く記録写真も掲載されていた。そうだったんですね、と言いながら私はページを開くことだろう。大変な仕事が一冊...どこに行けばいいか・・・

  • ぱっやり睡眠はちょっとしたお宝だね♪

    トーハクで見てきた慶豊図巻の一場面トラが市中に描かれ、興味深かった。どんな人が飼って引き連れていたのでしょうねエ。と、今朝思い出した写真があり、ぱっやり睡眠はちょっとしたお宝だね♪

  • もう自律神経の受難は去った?

    天気の変動は意欲さえも影響する、何せ体が資本だから。セミは一切鳴かず、虫のコーラスが始まりだした。タクトを振らないのに、雑草郡ではまるでオーケストラのようにテンポの違った昆虫があちこちからリズムを奏でる。「彼女~彼氏~」と!?彼岸花もむしろ日陰気味なところで密集して緑の葉も持たずに、少しばかり不気味な色で咲き出した。淡いクリーム色のをみるとどこかほっとする。が、冷気と日暮れの速さに秋を感じはするが、暑さをしのがせるどころか再び夏日のような気温を時々もたらしてくれる台風様がよおくお出ましだ。と、コロナも落ち着き始めてはいるのに、行楽模様に脚がすっと出ようともしない。連休も不安定な天気のようだ。あっしめじがニョキニョキもう自律神経の受難は去った?

  • おはなし おはなし

    一方、当地満州では文化が興隆し、映画協会やら交響楽団さえ発足した。1938年李香蘭満州映画入り。この年には杉原千畝がビザをユダヤ人救済のためにビザを発給し、満州に逃れてきたオトボール事件も1938年で、西側でもまさに戦況状態に突入し、当地では朝鮮教育令を改正し、朝鮮語の授業が実質的に禁止され、翌年朝鮮人の強制連行が開始された。1937年美也子所有物として平壌府其林町109家具一式13,000.-衣類等8,000.-1938年陽徳小学校増設費200・-寄付満州事変勃発に際し朝鮮号合流献発起100・寄付ミヤが連れてきた君子は幼く小柄だったためハナが用意した衣類が合わなかったが、成長期でもあり、新天地にすぐに馴染み、活発に指示を受けて動いてくれた。近隣との付き合いもみるみるうちに広げて生き生きとしていった。13...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    1937ラジオ保有者在朝日本人6万台朝鮮3万台当時先頭を切っていた後藤さん他お偉いさんがすぐ近くでこの世を動かす影響力になっていた。菊池寛も当地に来て満鉄のことやら匪賊の話題も残している。一葉の惚れ人も記者だったそうだ。日本の基幹産業となる企業がこの場所で最先端の技術でまさに開花しようとしていた。こんな話もあった。平南に工業地区が展開するそうだ。 1935年には自分名義で宅地平安南道陽徳村4500坪を90.000で購入。5万坪を李という別の男から1,500,000で購入。平安南道陽徳郡陽徳村山村390万坪を100,000・-で購入。ハナ名義黄海道海州府北旭町宅地911坪44,930.-藤本亀蔵より住宅2棟365坪18,250.-藤本亀造より購入。私は1935年に38歳、日の本商工会(平壌府仁興里)を起こし...おはなしおはなし

  • どこでもねんね

    どこでもねんね

  • 私の場合

    日中戦争がはじまろうとしていた。私は12歳。福原に住んでいたミヤさんが「一緒に行くかね?」の声に一つ返事で応えた。というのも本郷で親代わりに守ってくれたおばあさん・おじいさんが、自分の老い先と私の将来を心配して知人からの紹介に繋いだのだった。私の出生地、今の大宮辺りであった。生まれてすぐに、まだその両親の顔さえわからない頃、本当に覚えがない頃に引き取られた。ただ覚えている男の人は八の字ひげを付けた立派な成り立ちで怖そうな警官だった。その人は家に時々やってきたことぐらいだった。母は浅草の空襲で亡くなったと聞かされた。つじつまが合わないのは祖父母なりの配慮が働いたのだろう。両祖父母も本家で守るにも守り切れない当時のくいぶち状況だった。1930年頃は5つぐらいになっていたが、世界中が不況に見舞われていた。兄は別...私の場合

  • この時季になると開くもの

    昭和万葉集復員兵の悲しみ嫁ぎし君を恨むこともなし戦いはかくて終わりしいまを郷里にもどってみたものの我妻は弟の妻となり、家を保っていた。あるいは遺留品やら事実手違いだったか。こういう哀れもあちこちであったようだ。ただただ吐露された句を詠むなり、ページを閉じた。そしてこの本を開くたびに、義父が買った本なのだろうか、と思いやる。同居したことがあり、本人のお姉さんを法事で見かけたことがあるけれど、顔つきはよく似て、がっしりした輪郭に頬骨もあがり、目はくぼみがちだがけして小さい瞳ではなかった。が、その義父と何かをぽつぽつと交わすのは、こうして残した本によってでもある。昭和万葉集第7巻は昭和54年4月18日、とあった。この本を初め、どの本も手垢がなくきれいだ。新刊がでると買っていたようなかすかな記憶がある、家具職人を...この時季になると開くもの

  • 書く発動だったのだろうか・・・

    私にとって両親の歳の差は何か問題があっただろうか。子供に対してそれを揶揄したり非難されたりしたことはなかった。ただ父のことをあまり知らなくて、言葉も活発に交わす年齢にならずに異界に住む関係になった。ここ数年それをたどり、小さな過去の日常の風景を浮かび上がらせ、心境を巡らしたりする機会になっている。ひょっとしたら、これが核だったのだろうか。書く発動だったのだろうか・・・

  • 部屋のお掃除

    ペットがいるかいないかで部屋の散らかり様も多いに違う。粗相をしないようにわざと物を置いたり、壁の爪とぎを防ぐために物を置いたりと、体毛を考えていてはカーテンの洗濯もしなかった場所もある。何せ、冷暖ともに見つけるのが上手だからだ。こんなところに隠れていたの?と掃除をしながら関心させられている。○○さんが日本に来るからと床の間にあれを置いたんだったわ。でもいつものようにお決まりのコースをご夫婦に案内し、いつもの食事を招き、駅まで届けた。などとも掃除をしながら思い出している。湿度のために座布団が重かったが、干しあがりの軽さを知り、これが用立つこともあるだろうか、」などと座布団カバーの片づけと利用はあるだろうか、と、まさに今日的事情も垣間見る。和室に座布団を枕に寝ころび、天井を眺めるのも気持ちいいだろう。部屋のお掃除

  • 旅立ち けなげなペットから教えられたこと

    便秘がちは、高齢になるとペットでもおこる。そのころ対処して食べるものを変えたとたんにお腹が緩み、医者に連れていくほどひどかった。その後アドバスを契機にささみやらお刺身などを与え、4月ごろは買い物が忙しかった。体力温存のため、便秘は気に留めないことにした。5月の頃、かつて跳躍力のある本領が発揮されたのか、頭で1,2の3とカウントを取ってなんとキッチンの上にも飛び上がるようになって驚くやら困るやらでもあった。もともとが洗面所のシンクに飛び乗ってちょろちょろ蛇口からでる水を飲むのが大好きなむ~ちゃん。催促されて椅子を立ち、お互いの筋力維持のためとできることを受け入れていた。が、気候の変化には体調が多いに影響され、食が進まず、体もだるそうになった。朝は早く6時前に起こされ、猫様自発で、ふすまの隙間から枕元まで来て...旅立ちけなげなペットから教えられたこと

  • オリンピックの恩恵?

    コロナ報道も変化が見られるようになり、不織布マスクを着用し、電車でお出かけするのも気楽になり始めた。他の人の受け止めはわからないが、車内で込み合う時間でもなく、駅の構内は以前とそれほど変わらないけれど、改札を抜けると町の変化に出会えて外出モードに気持ちも明るくなる。上野公園口は車の進行ルートが変わったのか、公園口はまさに名前のように広場に直接つながり、壮観だ。原宿の駅も変わり、木造のレトロの名残はなくて、出口が明るくなった。新宿南口はどうなっただろうか、まだ横断歩道を越す必要があるだろうか。かつての名残はあるけれど、駅構内は奇麗に明るく整えられた。東京駅八重洲側は広場が駅舎に映える気持ちの良さ、開放感を味わえるほどになっている。修学旅行の学生さんが安心して通行し、一般の訪問者は写真も納めやすいだろう。あれもこれ...オリンピックの恩恵?

  • おはなし おはなし

    記録のない空白が何を語っているだろう。俺、私にも手繰り寄せることができなくなり始めている。誰か覚えていれば教えてほしい。1932年、写真館で代表者としての写真を撮ってもらった。35歳の時である。会社の名前は「日の本商工社」買い物は水田碧城郡加佐面21万坪は尹氏1.680.000.-畑6万坪は同じ地域で180.000.-で藤本氏から購入。首都が新京から長春に移り、満州ブームが起きている頃であった。都市はまさに開発文化発展の機運にまい進しようとしていた。昭和不況と呼ばれる影響はあったものの、大連では最先端のショッピングモールに匹敵する連鎖商店街がアメリカをヒントに設立された。東京からマネキンガールを入れてキャンペーンを始め、施設には映画館・中国料理店・浴場・共同暖房設備・医院・看護婦会・公共機関事務所等商店数180...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    「清水さんの生まれは確か山梨だったろうかねえ。」山男にしては色白で華奢だ。「へえ、よく覚えてもらって嬉しいすが。うちはりょうしの家なんデす。じゃけん海じゃあねえずら。これっくらいの山があっても不景気で食べられねえのが家にごろごろいても仕方ねえしよオ。本にねえ。そいで兄貴に誘われて一緒にこっちに来たんす。山にあるダイヤを掘れば金に困るはずもねえずら。んで北の方の山にいたんすよ、2,3年前にはね。ツルハシ握って汗かいて、酒飲んでぐったり死ぬようにして寝て、そいで朝がきて、飯をかけ込んで又ツルハシ担いで、そんな毎日だべえー・・人に振る舞えるくらいの暮らしができたんけんど、俺は兄貴みてえに暮らせやしねえからと、欲もなく、半年して金をそこそこためてこそっと逃げてきたんす。兄貴が猟銃でもねえけんど、ちっぽけなこいつを持って...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    恵まれた平野で、米はむすびにしても旨かった。菊の役割は家畜の餌やりで、日々甲斐甲斐しく動いていた。まだ温もりのある卵を網かごに入れてにこにこと運んでいる時には、小さな口をさらにつぼませて顔をほころばせ、幼馴染で見覚えのある可愛い顔がそこにはあった。土地を与えられた後に、東拓から管理監督者ともいう人材が紹介された。日雇い労働者の労務管理ともいえる。こちらでの仕事経験はあり、助言などもしてくれた。入れ替わりはあったが、結局ふたりの男が多くの時間で俺の援助者となり、かばん持ちにまでになって支えてくれた。母国を離れた男たちは、異国の新天地に入るや、それまでの窮屈さがとれてしまったのか、物価の違いからくる気楽さか、することなすことの規模は桁が外れていた。不景気で活路を見出そうと爆心する男(民間人、それも公務・自由業の割合...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    俺は山の楽しみは知っているが、水の方は川ぐらいだ。大同江の氾濫で、道路を警官がゴムボートに乗って救援に当たったという。二階のある家は、てんやわんやの様子を子供も大人も半ば楽しみながら驚きながらただ茫然と見ていた。だなんて、まったく子供の目と同じだ。独特のキムチの匂いとでもいえばいいだろうか、黄色く土気で濁った冷たい水がどっと町の主要道路を流れて、ナマズやウナギといった川魚がこの時ばかりは簡単に釣れたようだ。自然災害でもあったけれど、聞いたとたんに楽しそうだ、などと口に出したら叱られそうだ。それにしても、来たばかりの頃、1917年には黄海道でも大変な洪水に見舞われた。驚くばかりだ。他にもある、こちらに来て畦の扱いが違い、大いに感心した。一つの畦に高さと位置を季節によって対応し、種類の違った粟・稗・大豆と大麦・小豆...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    夫婦水入らずの時は飯を食う時だったかもしれない。2,3年順調に米や大豆の収穫を続けてきた矢先、日本で大変な災害が起きたのを知った。関東震災であった。本家や姉が心配になり、時期を計らって郷里に出向いた。少しばかりの手土産として珍しい雑穀物産と価値になりそうな豆や人参を荷に詰めた。やっぱり郷里は地盤が固く山も海もないから、震災の影響は幸いにも、聞かず、胸をなでおろした。生活拠点に帰ってから、まず、倉庫を見回り、担当の古屋に留守中の経過を聞いた。大陸の近くでは共産という新たなスローガンが掲げられ、周辺の国々にも門戸が開放され、北方では交易もなにやら始まりそうだ。新たな異国人が流入しているらしい。冬にはクロテンの帽子や外套をまとえる。他の産物では取引の競争相手にもなり、俺は収穫物の収益を逐次見比べながら、肥料や工程・運...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    正月休みには姉と従兄弟たちの顔を久しぶりに見てお互いの近況を交わした。皆は俺が始めた農作に大いに関心を寄せてくれた。それもそうだ、桁が違う。自分が頑張った分だけ報われるのを俺の言葉を通して想像していた。現地を見ないからこそ大きな絵を風土の違った場所にそれぞれが思い描いていた。かつての俺の目や期待と同じだろう。何人かの年ごろの女たちも紹介され、再び事業地に向かった。なんということか、疫病だ。1918年8月、1919年7月、1920年8月の時期に波があった。世界中で広まったスペイン風邪をはじめとして天然痘・コレラといわれる代物が事件でもない命に係わる病として近くに忍び込んできた。郷里とは違う土地と気候にどう対処して自分の身を守ったらよいだろうか。戦々恐々としていた独り身であった。当たり前のように、一人ではなくて支え...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    満鉄の資料には満州で最も効率的なのは果樹栽培だと書かれていた。まず果樹を育てるのだ。そして黄海道は主要産物の収穫高が京畿道並に良い。と、文字記載に次第に夢は膨らんでいた。渡鮮する年には東拓が現地の地租税とも言ってよい値をすっきりさせ、凶作や豊作を除いた平均収穫高の半分を小作料として納めることに取り決めを行った。俺にとっては納得できる考えだった。もちろん農場の指導員もいるようだが、まだ開いていない未来には漠然とした空しか俺にはなくて、長年親父や兄貴から教えられて身に着いたことをしていくことになる。期待が俺を後押ししていたのだった。京義線の平壌の駅に降り立った。がらんとしたホームで、駅を出るとバスの路線がひとつだけ見つけられた。他の乗り物といえば、箱車を見かけた。レールが敷かれその上を押されて動く。そうだ、日本にも...おはなしおはなし

  • 写真の分析できますか?

    実際のところ、この写真の記録がわかりません。もしわかればお知らせくださいませ。4人の顔は同じ年とすれば元服=地域の成人でしょうが、同じ年かは判断できません。1917年とすれば、左から2番目の人は20歳です。写真の分析できますか?

  • おはなし おはなし

    勤め先にも町にもどこか今までと違った目新しい物品や物回りの良さが店先や商いに見えるようになった。ふわふわしたようなどこか浮かれた空気が感じられた時期だった。東京まで電車が開通し、髪を鏝で焼いたような女性のパーマなんていうものが電気の普及で登場したそうだ。俺の旅支度は袴と着物だった。勤め先で選ばれた仲間と一緒に神社の前で写したような恰好だ。だがあの時は本当に神妙としていた。いろいろなことがすさまじく変化し、今綴ってはいるが、当時、あの写真に写っていた仲間がどうしているか、知っているなら教えてほしい。荷物の中には姉さんが揃えてくれた作業服のような物も入っていた。履物はゴム底の地下足袋靴と下駄。ついの帰りには革のボストンバッグで、中に書類や貴重品を詰め込んでいた。連絡船の乗客をそのまま収容した列車が釜山を出発した時は...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    アメリカと貿易が始まるのを知った。日本政府が繰り広げようとしている新天地には、試す場所が待っている。俺を育ててくれた仕事場の皆、応援も感謝している。挨拶できちんと伝えられなかった。緊張と際限ない不安を隠していたかもしれない。自分の意思で選べる自由が次男の俺にはあった。そして手引書には現地の農作物が調べられていた。今まで働いた経験や時間も俺を後押しする、いや、それよりも独り立ちの年齢と機会になっているのを俺は感じたのだ。ここにこのままいたくない、俺は新たに自分を試す!成年皆徴兵制?敷かれたけれど、そのころの実施はやっと20%ぐらいで、日清日露戦争の頃は5%ほどだ。官僚・学生・医師・戸主・嗣子・免税金負担者は免役だった。だから次男以下は分家や養子縁組を計らったり、本家と家を断って新たに再興・入り婿などで戸主になれば...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    開拓して屋根付きの家が建ったときだっただろうか、戦争から逃れることもなく、けれど立場は逆転し、今度は姉さんが米をつく腰丈ほどもある甕を工面して持ってきてくれたこともあった。俺の親父のことだが、積次郎という名前で、安政地震が起きた1855年11月11日21:30には、生まれて4か月になろうとしていた。養父の吉五郎が親父を赤子のときから養子にして育て、年頃になって養女を招き入れて縁組にした徳のある祖父が俺の先祖にはいた。俺は親父が42歳の時の次男坊だから(末弟のことはさておき)、祖父の話を耳にする機会が時々あった。「よく聞け!忘れるな、もとしげ!お前がいるのは、わしがいるからだぞ」と。地震雷火事親父というではないか。こうして縁を大事にし、支えることが本家や耳年増から伝えられ引き継がれていた。木造家屋は火には弱いし、...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    安行や名栗、西川材木の方に関心を向けて地元に這いつくばって働くことにした。そして15歳の歳の暮れ、1912年の12月に大正に変わった。学費の支払いもあり、中学(現高校)に行けたのは男子の2割ほどで、次の高等教育機関として大学への進路に繋がっていた。士族生まれでもなく、周囲はたいていが同じような暮らし向きだった。ただ本家は挌が違い、何かと一目置かれる存在だった。兄弟の数も多く、長男が1885年生まれ、長女はそれより早く1881年で、次女、つまり俺の近い姉さんは1889年で俺とは8歳違いだ。この姉さんは俺を気にかけてくれた。きく姉さんが嫁いだ横沼には日本でも偉い実業家の先人がいて、木はこれからを育てる産業の元になると知った。地元や近隣の木材問屋やあちこちの製材店を渡っているうちに、よくこの実業家の話を耳にしていた。...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    義務教育が尋常小学校6年まで延長になり、俺は当時の教育制度が変わった時に10歳で、2年の小学就業を終えた。そのあと、昼間は家の米作りに励み、夕方の6時から9時まで実業補習校の科目(修身・国語・算数・農業)に授業料を払って出席した。ただ、農業は自然の天気に作用される。せっかく苦労して耕した畑にしても、作物が天候に合わなかったり、風水害に見舞われることもある。本当に13歳の時の水害は東京さえも形無しで、近在のM地域でさえ、36メートルも水が観測されたほどだ。強風が起きたころからすさまじく、8月だというのに、田んぼの米を根こそぎに容赦なく殴り倒していきやがった。家族中、男たちは家の柱を見回るのが関の山だった。その同じ年に日韓併合が遂げられた。そんなわけで、俺が10歳のころから始まっていたオーシャン島(バナバ島)出稼ぎ...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    いったい俺は何時間ほど熟睡しただろうか。東京を出るのに丸時間、神戸まで丸半日、船が出航する博多にたどり着くまでに○○時間もかかったのか。けれど船につながる桟橋を進み始めるとどきどきした。何が高鳴っていたんだろう。これから故郷の日本を去るいくぶんの哀愁感情も沸き起こってはいたのかもしれない。が、俺は次男でもある。そろばんの速さで選ばれたという自負さえも、その時には俺の胸中のもろもろにくるまれて押しやられていたのだった。けれど、道中の我が国の町の様子も見られ、脳裏には刻まれていた。これが日本の東京、横浜、新橋、そして神戸。発展してきた主な日本の町町を初めて目にし、脳裏に刻みながらその間につながっている薄茶色の村々、平野、うっそうとした林野、あまり目にすることのない広大な海など全てが眼にきざまれていた。世界大戦が起こ...おはなしおはなし

  • 腐っても鯛の骨

    もっと早くから気づけばよかったわねえ、と鯛の骨を見てペットにつぶやいた。あまりにも見事にきれいに、それも絵で描かれるようなスケルトンとでも呼びたいほどの食べっぷりだったからだ。腐っても鯛の骨とは、母が着物を話題にして教えてくれた言葉だった。着物は直線立ちで、最後には雑巾にでもなるくらいリサイクル万能衣類だともいえる。父の襦袢を染め替えし、自分の着物にし、今や私の手元にライトコートとしてしまわれている。現代では化学の恩恵か、プラスチックやペットボトルもそのひとつになるかもしれない。何せ衣類にも参入しているのだから。が、このペットボトル原材料は腐っても鯛の骨になり切らない代物が多くあるだろう、これからが期待されるSDG代替えになるだろか・・・腐ってもペットの骨と、呼ぶ化学の発展に期待するところでもある。腐っても鯛の骨

  • 冬コロナどき

    10度近辺の外気温でよく生き延びていると思う。寒いときには暖かい地方で暮らせる自由があったのに、そうもいかなくなった。が、体は楽に動けると気持ちが違う。歩き始める時には腕首や首回りの隙間さえ気を使うほどの冬気温に対応している。折り返し地点に近づくころには、上着を開けたくもなり、脱ぐほどの時もあったり、帰りの向かい風に上着を後ろ前に充てるのも都合よいときもある。群がったベージュの枯草はどこか金髪ヘアーのようにも見えるが、2月半ば、その根元には新しい雑草が青々として伸び始めている。コロナもまだまだという具合だろうか、もうすぐとでも聞きたいけれど・・・冬コロナどき

  • 光と影 < コーダ あいの歌 >を観て

    久しぶりに涙が零れ、家に戻ると眼鏡の下の淵が汚れていた。悲しい映画というわけでもなく、何かが揺すぶられたのだろう。―「貴女はもっと泣くべきだ」と言われるほどにその人からの言葉はつらく、遠ざかりたかった。―そんな時期もあった。このところ、何か自分を吐き出すでもなくブログも気ままにしていた。が、こんな時こそ書いておきたいと動かされる。音楽は自分の中に積もっていて抑えていた塊が噴き出すエネルギーだっただろう、あの映画のヒロインにとって。音楽を効果音として大げさに演出したわけでもない、けれどヒロインの変化を促すような音楽に私はぴたりと呼応し、時に椅子の上で体がスイングし、涙はこみあがってきた。そして「青春の光と影」の訳されたテロップの歌詞を見るたびに関心が沸き起こっていた。「いったいどんな人がいくつで吐いた詩なのだろう...光と影<コーダあいの歌>を観て

  • 同じ絵描きだそうで

    伴大納言絵詞と吉備大臣入唐絵巻常盤光長あるいは土佐光長同じ絵描きだそうで

  • 開脚型キッチン作業

    暮れのガラス磨きがきっかけだっただろうか、なにせ激しいスクワットの上下運動で膝は苦痛をよけたのか、腰痛状態になった。あれこれネットで探し、腰の位置を低くして日常の動作作業を行っている。キッチンの水場に立つのに開脚状態で腰の位置を低くする。今まで腰を曲げて前屈を日常動作で無理なくしていたけれど、あえて逆らい、腰位置を低める。と、それも楽だと気づいた。実家のキッチンに立った時、身長差があるのに、随分腰は負担だっただろう、と感じたこともあった。冬場、加齢があっても、キッチンの水場は永遠に同じ高さ維持なのだから。暖かくなると、みんな楽になりますよ、とはある医師の口から出た言葉で、思い出している。開脚型キッチン作業

  • 初日肉

    3時過ぎの昼食を外で取った。おh、そのしおからいこと、すべてがすべて、半分以上を持ち帰り、甘酢餡鶏唐を多くの白菜と煮てみた。おやっ鍋の蓋を開けて味見をすると消毒塩素の匂いがした。ああ、いつかお惣菜の巻きずしでも経験したことのある、口に入れたあの香りが思い出された。そうだわねえ。コロナだもの。鶏だって人間の手を通して、何度も何度も私たちの手のように消毒されるんだろうにねえ、とか。学びました。初日肉

  • 「中国の幽霊」を読んで

    在中国的旧时代,直到589年左右,首都设在现在的南京。当时的社会不受佛教的影响。因比中国鬼魂被认为是活人。后来佛教兴起、中国的鬼魂地狱被僧侶生动地表达出来。有两个世界,被分成两部分。敦煌兴盛的原因之是,这个地方很荒涼。人们被僧侶的佛教言论所吸引。「中国の幽霊」を読んで

  • 新世代

    冬枯れのケヤキ新世代を迎えるサギの巣ひとつふたつ新世代

  • 偽金時ブランド名

    igotthegenuinekintokisweetpotatoatthegrocerystorewiththeowner'swords.Ihappentomeetfalsebrandnames,whichis notsatisfactorytaste.mixwithmilkinamixeradding favourableseasoningandchangeintopudding.notdeliciousonecannotchangeevenaftercookingsincemybrainopposesit.偽金時ブランド名

  • my ドコモの IDが予告なしに変わっていた。

    Ihaveanotebookinwhichimportantinfowasmentioned. ID password callcenters nearbyshopotherusefulinfoMydocomo,Icancheckthemonthlypayment,wasonthewebsitebyvisitingusingidandpassword. Icouldnotgettoitsincemydocomoimportantidandpasswordwerechangedwithoutnotice. myドコモのIDが予告なしに変わっていた。

  • ぶらっと初めての道歩き

    多峯主山⇒吾妻⇒川沿い歩き⇒岩根橋⇒駐車場 2時間半。川に沿って歩く道は初めてで楽しめた。whyschoolchildrenof afamilygigglejustattheonceparentslooktowardsme,itwasquiteunpleasantfeeling. Ah,Iencounteredthesameexperiencelikeoneweekagowhocastthesamebehaviourona solowalkingperson. Thelastweek,theyweretwofemalesinthe20s waitingthebussameasI. Maybetheruralplaces,thesamecaseoccur. Isawasolowalkingpersonjustpa...ぶらっと初めての道歩き

  • うごめいていたもの 武士が武士ではなくなった過渡期

    浅田次郎さんの小説だろう映画作品「壬生義士伝」を見た。私の中にとどまっているものがある。武士という身分が変わり、それまでの位置が逆転した点を映画作品で描いたことだった。と、後で思い出されたのが、「柘榴坂の仇討ち」(原作は『五郎治殿御始末』)の同じような場面だった。仇討ちをする時代は終わったことを、一騎討ちの最中を設定して、お互い同士が自覚する世の中の変化だった。「壬生義士伝」では、主君に対する力学が社会変化で起きても、個人(主君に仕えた後に長になった元下僕)は主従の恩をその息子につなぎ続けた姿を場面で見せつけられた。明治という変革の時期に平民になった武士階級がその後、どこにそのエネルギーを向けていったのだろうか、とは、私自身の関心でもある。時の流れに気持ちを任せていったか、新たな職業に向けていったか。壬生義士伝...うごめいていたもの武士が武士ではなくなった過渡期

  • 台風がやってくる前

    外が気持ち良い猫も心地よいか木陰の体が温まる路面で横たわりうとうとと気持ちいいの?と睡眠障害になって茶化すとぴょんこぴょんことしっぽの端を上に何度か上げるまあまあ、ご挨拶だわねえ、と返すそれもぴょんこぴょんこと愛想の良い赤茶の寅猫またね台風がやってくる前

  • はてなの散歩

    数日前に散歩中、防風林のように畑の一区画をトウモロコシが丈高く人の2倍ほどもある姿で囲っていた。その茎や垂れ下がった葉にはなんと見覚えのある足長蜂が無数に飛び回っていた。トウモロコシは甘味があるけれど、実もないのにまだ蜂にとっては甘いところがあるのだろうか?と、数日たって、あれはサトウキビのように甘い種類?けれど、沖縄とか南の暖かい地方で育つと思うが、別の種類なのだろうか・・・今年はライ麦も初めて見た。ずいぶん丈があり、ササの種類かと思ったほどだった。まあなんとも面白いことに出合う自然に恵まれ、そぞろ歩きも気分転換になっている。本当のところ、何なのでしょうね。はてなの散歩

  • ミノムシ 高級品に変化?!

    人家の壁のところにミノムシが張り付いて、どうやら脱皮中のようだった。呉服でミノムシが使われているのを思い出し、いったい変化するほどどう貴重なのかという好奇心からしばらく見ていた。が、なかなか脱皮できない様子だった。1時間程経った頃だろうか、帰り路は違ったけれど、ミノムシが気になってもう一度寄ってみた。まったく変化はないほどで、まだ枯れ葉か木屑のような薄茶色の細長い三角の家にまだもじもじしていた。いったいどれくらいの時間が脱皮にかかるのだろう。自前のリサイクルパンツはミノムシだったが、母の親戚から羽織をいただき作り変えたことがあった。が、生地を見ると、別にミノムシでもなく、ミノムシ柄だった。あまりの暑さに浴衣や一重も身に着ける機会もなく、季節が変わろうと、デルタだミューだとコロナは依然、強力存在で世界中を圧巻させ...ミノムシ高級品に変化?!

  • 雨あがる もう、熱暑はたくさん

    もう体温並の気温にはならないだろうか。夏ゴザを干して秋冬模様に戻すのも、急かれた晴れ間をぬぐってなんとか収まった。夏が始まるときも同じように忙しかった。湿度が上がるときには恋しくて、湿度が下がって冷えてくると一気に外したくなる。とゴザは体感が大きく反応する。エアコンはつい数日前は冷房だったのに、同じ温度で今度は暖房に変化していた。9月に雨が降り続いて、昨日やっと安心して散策できた。本当に気持ちよい。陸橋の下では降り続いた雨量が水嵩を増して、空電車が通る音よりも大きいくらいだった。浅くわずかに段差のある流れ場所でも、真っ白の波を何段にも重ねて川を水が流れて進んでいった。そばには獲物を待っているサギがいて、少し離れた所にも同じようにグレイの羽色があるサギが同じようにじっと狙っているようだった。春、いちばん高い欅には...雨あがるもう、熱暑はたくさん

  • 夜の空は賑やかで

    気温はまだ30度近くはあるのだろうか外に出て明かりのある通りを歩き始めた空は暗い紺色、だが大宴会が始まっている音もたてずに暑いよ熱いよと雷さんが叫び続けあっ夜の空にも雲があんな風にあるんだわときおり稲妻が走り、明かりが一面に雲間から一瞬に走り一瞬一瞬に変化があり、夜空劇場はすさまじい場面変わりだ涼しくもないまだコロナも大盛況8月のおわり夜の空は賑やかで

  • 夏向き使用

    夏向きに寝室替えをした。と、人のいないときに限ってキッチンに入るとちょろつかせてお目見えする奴がいた。2,3日して、試しに家にあったスモークの6,8畳使用のを使ってみようと準備をした。指示書きのように(古い商品だったから)パソコン周辺に布をかけ、食器をしまい、キッチンの真ん中に置いて足を踏むと煙がしゅ~っと3,4秒出て、多くはテーブルにスモークが当たったに過ぎなかった。えっ?これでどうなるの?部屋を閉め、朝になって部屋に入ると、お陀仏な奴が5,6個。以後、まったくお目見えしない。情けないほどのスモークだったけれど、随分助け船になりました。夏向き使用

  • 2020 パラリンピック

    等しい生命QOLを高め着目させる競技の知恵凡人はたじたじです。2020パラリンピック

  • コロナワクチン2回目接種

    「二度目はきつかった」の声は聞いていました。そのとおりです。風邪をひいたなどという程度とは違う、体の中から脚を引っ張られるような(床にはいっても)極度の倦怠感です。それは、接種後1時間程度で現れました。翌日の朝、悪寒がするのでバスソルトを入れて浴槽に身を沈め、気持ちよくなるまで浸かっていました。更年期の時を思い出します。とにかく、pfizer0・3ml2回目接種後、翌日は久しぶりにぐうたら布団の中にいるしかありませんでした。風邪なら寝ていればその分だけ回復する経験はあるのに、ワクチンが効いているとでも思えばいいのか、とにかくきちんと起きていられませんでした。体温を測っても35.8度で、発熱というわけでもなく、この体の不具合を実感しながら、若者でさえ感染したら、大変なことだと心配にかられます。ワクチン接収後の自分...コロナワクチン2回目接種

  • 関連があるでしょうねえ

    土砂崩れのことで、林業による山の状態・地盤管理や商業優先(?)による土地開発とか影響があるだろうと、ズブシロは声を漏らす。山を管理している人ならなぜ地盤が崩れるかわかるだろう。樹木は多種類育成でお互いを補いながら私たちが成人になるよりも遥かな長い年月をかけて地盤を作り上げているようだ。一つの種類だけが育っていた場所で、雪崩で周囲がごっそり崩れ落ちたそうだと、旅中で教えてくれた人がいた。と、天気予報と安全な暮らしには、地盤の解説もこれからは知っておいても悪くなさそうだ。関連があるでしょうねえ

  • 私たちSDGs最先端 生け花

    流派古流ナチュラル派七夕流星派ガーデンアレンジ派私たちSDGs最先端生け花

  • 木の種類によって木肌は多いに違う

    木の種類によって木肌は多いに違う

  • 樹齢は?

    樹齢は?

  • これも梅雨ということで

    梅雨明けが伝わるころは、日差しも眩しく暑さが夏本番を伝える。一日中降り続いているわけでもない天候で、洗濯物もお天気具合でなんとか調節はできる。冬に見た枯れたアジサイの七色変化にお目にかかり、気にかけて出かけてみた。確かに同じ場所を見ると、そこには白いアジサイが咲いていた。枯れて冬を越すとなぜあれほど色を変えているのだろう。そのうちに写真が張り付いたら、何とかわかるだろうか。と、樹々の葉ぶりは豊かでその日陰を歩くのは気持ちよく、コロナ下で小学生の課外活動にも出会えた。レジャシートの間隔をあけておひとり様使用で河川敷には色とりどりに敷かれていた。小学生の間を先生がスプレー消毒を持って、生徒の手にひとりひとりに吹きかけていた。もちろんマスク装着で、やっとお弁当を広げるところだろう。休み時間の校庭の小学生もマスクをつけ...これも梅雨ということで

  • 密やかに

    スキャナーに屈んで覗き何十回?アルバム7冊の写真はおどけたり、ちょっぴりすましたりと幼い日々は屈託なくひとりほころんだり心温まったりと臀部も凝っていたく蹌踉密やかに

  • 加速

    コロナワクチン接種がどんどん進んでいる。と、夏めいた日も始まりました。目覚めで苦労することもないけれど、気持ちが欲していたのだろう、映像の旅にふっと飛んで行った。切り立った岩肌の崖か山肌があり、下には川が流れている。水草も揺れ、何やら読んだ唐詩の世界だろうかとブログを探してみた。自分なりに合成したのだろう、それにしても30度ほどの気温らしい日々、嬉しい涼の映像がまだ私の中で生きている。加速

  • 学びの機会 メカサポーター

    なるべくならメカは品質の良いものを使い続けたい。が、不具合を伝えても本当のところ、どこがどうなのかを掴めるかはわからない。伝え方や使い方の違いにもよるのだろう。「使い方が違うんですよ、お客さん」と思われて対応されていることも多々だろう、と想像する。サポーターにしても仕事上、従事者だから疲労感情も影響されるだろう。けれど、やっぱり時間を置いてこちらはお客なの、商品を購入する側なの、と冷静になればいい。ここ2,3年間のパソコン関連の対応経験からは、自分なりに好ましい対応者がめぐってきた。過去事例は、経験財としてリストオフすればいいわけだ。これから先のことは未知数だが、少なくとも好感をもてたのは、良い経験だといえる。学びの機会メカサポーター

  • これって、

    朝、床の中で両ひざの運動のつもりで両ひざを曲げて踵でお尻を叩いてみた。いつも立ち上がったり、座ったりするときに膝の突っ張りや少々の痛みを感じていた。それと同じだった。不具合の膝を曲げて片手でつかみ、腿を伸ばす仕草をした。と、その後にもう一度一場面前の動きを再びすると、あらっ?!膝が突っ張っていない。軽くなった。これはお得!同じ行為を夕方に試してもやっぱり膝の突っ張り感はとれてしまう。膝は別の片方と比べるとやっぱり軽い。体操や運動はどうしても二足の立ちスタイルで行うのが多いけれど、効果がある方を選択優先にしたい。効果を上げるための動きや動作がいちばんだ。確かめながら自分に適宜合うものを試してみよう。これって、

  • こりゃあ 全く驚いた(^^♪ demo本音

    ついため息が漏れてしまった。はあ、がスタートになってしまうのには、コロナ野郎の話題だからだ。変種(株)は、会社みたいに見えるけれど、その発展性は企業も惚れ惚れするぐらいだ。オリンピックは私の胸のうちでは、どうでもいいスタンス。でも損失つけは私への課税にしないでね!震災にしても自然災害なんだもの、コロナにしても災害だわよ。そちらへのウェイトを今後は重きを置いてよね。ウイルス操作の懸念記事が(科学分野で投稿が)あったけれど、以来、報告されるのは変種の強力。3年でウイルスが消滅とは私の記憶にあるけれど、それは過去のことのように思えてくる。幼児が予防接種をしたように、今後はコロナ関連必須予防に入るのではないだろうか。それも年齢指摘で、タイプ別にね。あああ、コロナタイプが突然変異して、人類に疫病ではなく益タイプに代われば...こりゃあ全く驚いた(^^♪demo本音

  • ポプラの葉角力

    子供の遊びに名前がついていただなんて、オオバコの茎でそんな遊びをしたでししょう。草と草を繋いで罠をつくったり、枯れ枝や葉で落とし穴を作ったりとまだまだ全ての土地が舗装されていない時です。昔の遊びがあって、アドレスを掲載しました。ゲームの方が面白いよと言われそうですかね。http://hazu.org/syokai-asobi-16.htmlポプラの葉角力

  • 親友って?

    小学3年生だっただろうか、5,6人の子供たちと下校途中に歩きながらおしゃべりを楽しんだ。きっかけは○○無視の自省をしたことだった。ペコリーノマスクの話やら帽子が話題にあがった。そして、将来何になりたいかおしゃべりにつながり、カフェをやりたいんだ。来てくれる?という。A子ちゃん本当はお父さんの仕事に惚れていて大工さんになりたいのに、2番目になりたいものをクラスで話したそうだ。B子ちゃんは、自分の思ったことを他人を気にしないでいいなよ!とA子ちゃんに言ったのに、2番目のカフェをやりたいとクラスで言ったという。B子ちゃん他人が何か言ったら、A子ちゃんを守ってやるんだ、それが親友だもんね。えらいえらい、すごいね!道々お父さんの筋肉を伝えたり、親の職場や自分のアレルギーを話したりした。女の子で大工さんになれたら、恰好いね...親友って?

  • 覚えていてもいいかも

    かつて調べた時に、その高校の係の方が「男性はそれまでの名とは違った名前になっているかもしれない」と聞いたことがあります。大正時代でも同様なケースがあるかはわかりませんが、リファレンスの上でこれを知っていれば、何かの助けになるかもしれません。と、雑談です。覚えていてもいいかも

  • これは一大発見

    昨晩テーブルセンターの下から覗いている茶色の新聞を取り出した。あまりにも茶けた新聞だったので、開いてみた。すると、右から読む日付けでなんと昭和9年1月17日とあり、東京日日新聞とある。夜、その興奮は睡眠にも影響し、今朝になって書き留めている。昨晩の内にもつながったのが、どうやら父が朝鮮殖産銀行の債権募集記事に目を止めていたのではないだろうか。気にかかるのが、父の居場所でもある。昭和9年は1934年でこの年に父は日本にいなかった。ということは、この新聞はかの土地で日本人向けに発行された新聞であるということ?新聞の記事は日本も外地も同時発行?そんな技術だったの?東京日日新聞の当時の外地での営業はまだわからない。youtubeでもこの頃古い映像も絵葉書や企業の放出か、見ることもある。はっきり私でも理解できないだろうか...これは一大発見

  • salute!

    だなんて、私のボディに?このブランドの下着がお気に入り。それも昔のシンプルな形がもっとも体が楽で、今でもいくつか持っていて、自粛時期なんだから、なんとか作れるようにパーツ部品(特に痛みやすい部分)を編み出してはいかがですか?マイリクエストです、ワコール様。特に夏時期には薄楽がこのブランドに惚れたい品です。salute!

  • マイキッチンは試験場

    と、パン作りの度にいろいろ実験をしている。そば粉やオカラ・オートミールを少しミックスしたり、ドライフルーツをさまざま入れて変化を楽しんだり、色も触感も違ってくる。昨晩は何も入れない食パンを久しぶりに作った。自家製は変化に富み、酵母がいいのか、粉がいいのか、やっぱり何も入れなくても美味しい。マイキッチンは試験場

  • まあ、のんびり行きましょう。マスクを宙に向かって外す時もくるだろうから。

    非常に感染力の強い変異種が感染者数を急激に増し、ついに緊急宣言に入った。何故こんなことになるのだろうか。7月にワクチン接種完了予定とされたが、初心に帰り、このウイルスを知った時のように緊張するべきなのだろう。が、緊張したほ報道記事は敬遠したくなる。3年といいう数字が頭にあり、1年が経た。けれど、今後もスーパー変異とか、想像不可避変異などと名売たれたりしてねえ・・・ウイルスも私たちが活動しているように生き続ける?脱炭素化など気候変動に対応する政策方向は期待するところでもある。やっとこさ。マスク着用で普段のように暮らしているようにも見えるが。https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/nakigoe.html?transstateまあ、のんびり行きましょう。マスクを宙に向かって外す時もくるだろうから。

  • 水浴び

    カワセミが川面に伸びている弦のような枝にとまっていた。川の中にすっと飛び込み、すぐに元の枝の所に留まった。2,3秒すると、同じように再びさっと飛び込み、元に戻った。「カラスの行水」というのを思い出しながら、しばらく観察していると、3,4回ほど同じ動きを繰り返し、しばらくしてさあっと長い弧を描き、その色さえ風景の中に見えなくなった。あれがカワセミの行水とでも言うのだろうか。カラスの行水をyoutubeで見ると、カワセミはそれ以上に短い。体が小さいからほんの一瞬でも十分潤うだけの水浴びなのだろうか。散策は目にも多いに優しい。この季節は樹々が嵩を増し、山が迫っているようだ。水浴び

  • 父のユーモア

    二つ覚えている。「人にできない難しいのがある。人間が蜘蛛の巣をつくるのと、坊主が髪を結うこと。」だなんて、確かにそうだとは思ったが、後の方は確かにユーモアだ。まだテレビを買う前だったが、裕福な家ではテレビがあって、当時力道山のプロレスに大人もこぞってよその家に見にでかけただろう。きっと私は言ったかもしれない。「うちにはどうしてテレビがないの?」「アメリカに注文したから、今頃は船で海を渡っている」とか言われて、ずっとそれを信じていた。が、テレビは電気屋さんが届けた。炊飯釜と洗濯機も顔なじみの電気さんが運んできた。電気が働いてお米を炊くんだって~私は炊飯釜にお米と水を入れたところ、「お米は人間が研がなくちゃならないんだよ」と電気屋さんに言われた。1944年、父は自動車を買っていた。凍瘡にもかかったそうだ。歳を経て男...父のユーモア

  • エンヤこら 私のおとうさん ♬

    気が付いたときは、白髪の老おとうさんだった。何のきっかけだったか、小学生の中学年の頃に成績が全部5になったら自転車を買ってあげる。と、言われて、私はたぶん頑張ったのだろう。そのとおりに全てでもなくても、大方そうなって父は自転車を探してくれた。中古だったけれど青い子供用の自転車で、とても嬉しかった。が、その後の勉強がとても苦しかった。同じに維持しなくてはいけないと子供心に感じたのだろう。勉強はつらいね。チョコレート饅頭が好きだった。姉がすでに働いているときは、買ってきたのだろうか、同じようなケーキを食べる時にクリームが口の周りについて、それでも椅子に座って脚を揺らして(ごく自然に)嬉しそうだった。私たちは、周りの人も父をパバチャンと呼んでいた。ケンタッキーの人形を見た時に、あっおとうさんだ!と私は思った。エンヤこら私のおとうさん♬

  • ねえ、ねえ、お母さん

    そちらは元気?ああ。寒くも暑くもないけれど、おこたがほんわかして気持ちいいわ。どうしてる?まあ、おしゃべりしよう。実は、面白いことがあってね、ほら、温泉のこと、パバチャンがもっていたというの、あれ、ひょっとしたら、今は温泉レジャーランドになっているかもよ。へ~そんなになったんだ!パパちゃんは準備万端だったわよ。宅地や畑・林野や立ち木を買って、それから温泉を建てたみたいだね。42坪の浴場だったみたいね。そうだよ。でも、おかあさん、温泉に入ったの?聞いてなかったわよ。うん、まあ冬場に寒くて洗い髪がすぐにつららになったのは、びっくりしたねえ。そうらしいねえ。だれもがそんな話をよせているよ。へ~お前、読んでいるの?そう、おかあさんさあ、ひとりになってから繋がりを持ちたくて記念史を買ったんでしょう。甚川さんの連絡先にまる...ねえ、ねえ、お母さん

  • お腹が緩むのは?

    気軽な食事をとった後、よくお腹の調子が激変することがある。いったい何が影響しているのだろう。昨日は手打ちそばと天ぷらをたべただけなのに。選び方によるのだろうか。同じような経験があれば、今後のためにも知りたいものだ。お腹が緩むのは?

  • 拝啓

    拝啓養老孟子様書かなくてはいけないだろうかと、何度か思ったことがあります。なんの御縁だったのでしょうかね。私もそう思いまうす。初めのきっかけは(ブログで検索した由来)二重価値を知ったことで、その書物はウォウフレンという方の著作だったでしょう。それを誌面の書評から知ったのが初めての出会いだったかもしれません。ブログには2020/10/19に都立短大で受講した時のことが記されていました。当時はメディア旋風の真っただ中でしたね。その後、「バカの壁」で読んだ臨死経験の状況を先生の専門見地から知った内容を母の実体験(母の放送局アクセスにより映像化されました。)を交えて鮮明に理解し、書評を書いたこともありました。その後どんなところでお会いしたでしょう。加藤静雄さんの本の中に「一角獣」の章で登場しました。私は読者家でもありま...拝啓

  • 一気にやってきた

    タンポポを見かけると春の始まりを感じるけれど、今年は、そのタンポポも桜や水仙と同時期に花開いている。徐々に季節が進むのを楽しむどころか、ちょうどよく気温にせかされたように、一気に多くの植物が花開き、今は樹木も緑の葉を芽吹き始めている。車窓からは、杉木立の下草の間から鮮やかな黄色い花さえ覗けて、嬉しい発見でもある。レンギョウだろうか、?未詳に育ったのなら、正に林に色を添えている。電車の走りに沿線の風景を楽しんでいる。気取らない庭。高低差のある敷地や畑の樹林や宿根草。濃いピンクは、何だろうか。と、少しばかりあいた窓から薄桃色の桜の花びらが目の前の座席に舞い降りた。一気にやってきた

  • 春でも春でなくても

    そうねえ、踊る阿呆に脅される阿呆そういう問題はお金儲けに好都合だから好き勝手なツールにするわけだ。春でも春でなくても

  • 雛によせて (リクエスト版 )なんちゃってアイドルフォト

    父と母は年齢差があった。そして戦中時代では女性は男性に付き従うのが当たり前だったから、たとえ一つの家で暮らしていても、仕事のある父にはあまり見向きもされず、下駄工場やら現地視察や重役会合とやらで家を空けられていたそうだ。母は食事をするのは近くのとしちゃんという家に出かけて一緒に食べていたそうだ。その家の近所には小林千登勢さんがいて、幼いころでもとても可愛かったそうだ。引揚者の地名は瀋陽奉天吉林とか地名があがる。母の気晴らしはデパートショッピングもあったらしい。私が聞き覚えの話がある。むしゃくしゃしていて写真館で写真を撮ったらしい。その写真は、レースの半袖のパフスリーブにカンカン帽をちょこんとかぶり、人形を腕に抱いて微笑んでいる。実家にある写真のひとつで見事現地から持ち帰れた。その写真を兵隊さんにあげたそうで、そ...雛によせて(リクエスト版)なんちゃってアイドルフォト

  • my 夢 気づき

    どうして子供たちが小学生や学生のまま現れてくるか。何度か夢に登場した。自分を投げ打てた時期で、言ってみるなら自分が認められ絶対の存在でいられる自分がその時期にいたのだろう。子育て中のコミュニケーションを、私の容易い形をとり、文句なしに幸せな時をもうひとつの分身が夢で私に働きかけている、と気づいた。心配や気がかりは胸の内に収め、成長変化維持するのを見守っているのが私のスタンス。祈りともいいたい。気づきながら、さて、もうひとりの別の自分を見つめているのは、新たな分身とも言えそうだ。my夢気づき

  • 予防接種とアナフィラキシーショック

    摂取後に亡くなった人が2名報告されている。記事によると、悪反応も女性に現れているように思い出す。亡くなった場合、どんな保障があるのでしょう。予想しない事故に私たちはどんな対応をすべきでしょう。遺言・○○ノート考えるだけでため息がでます。けれど、コロナウイルスに罹患された人が面会もされずにこの世から亡くなったのは事実です。予防接種、春のお花見お出かけ様態など、緊張しながらの気晴らしが必要なのでしょう。やっと1年経ったばかりです。予防接種とアナフィラキシーショック

  • 性格なのでしょうねえ

    「一緒に行きましょう~」と駅の待合室で何気ない会話から声をかけられた。私よりも年長者の4人グループだった。目的地まで一緒に出掛け、その後挨拶をしてその場を離れた。過去に「一緒に行きましょう」とまだ喪鬱顔の時にグループツアーで声をかけられたのも、年長者からだった。それも見ず知らずの初対面なのだから、思い出しながらふたりの女性の性格を想い計っている。山肌の桜は、もやいだ枝の張り具合に自分で桜色をそこに置くような具合だった。思い起こせば、枝垂桜が終わっていたから、今年堪能できた枝垂桜の時期では、山々の桜ペイントはもう少し先の時期になるのだろう。性格なのでしょうねえ

  • 唐詩 my セレクション 7

    《雨过山村》王建雨里鸡鸣一两家,竹溪村路板桥斜。 妇姑相唤浴蚕去,闲着中庭栀子花。山村に雨が降ってきて鶏の鳴き声がある家から聞こえている。竹溪村の山路の坂に板きれの橋が斜めに掛かっていた。嫁さんとお母さんが「お蚕さんを水浴びさせよう」と呼び合っていた。庭にはクチナシの花が忙しさをよそに咲いていた。初めこの詩を読んだときにクチナシを見つけて香しく惹かれた。が再度読むと、蚕を水に浴びさせることが書かれていて、当時のある地域では、蚕が蛹になる前に水に浸かわせて汚れを落とすのだろうか、と想像している。蚕を育てる時は数週間の間桑の葉を棚に敷いて大きな蛹へと養蚕する。農家では、夜寝静まった時にさくさくと桑の葉を食べる音さえ聞こえる、と聞いたことがある。とても忙しい時期で、この詩にあるようにクチナシが香り良く咲いているのさえ...唐詩myセレクション7

  • 唐詩 my セレクション 6

    云母屏风烛影深,长河渐落晓星沉。嫦娥应悔偷灵药,碧海青天夜夜心。李商隐《嫦娥》衝立の向こう差し込む蝋燭が飾りの雲母に陰りを帯びさせ、ほの暗く銀河も微かに見えるほどで、明けの明星も降りてきた。不老不死の薬を密かに手に入れた嫦娥は悔やんでいるに違いない。月の宮に住み、青い海と空にひとり御遣いし、心は毎夜震えている。この詩で神話を知りました。ファンタジーともいえる中国の仙女の登場です。西王母が最高の至高神で、息子が后裔。その妻がこの詩の主人公に当たる。嫦娥は西王母が息子に与えた不老不死の薬をくすねたために月の宮に追いやられてしまった。(夫后裔が離れ離れになってしまった妻嫦娥を見るために月に供え物をしたのが、月見の由来になるそうです。)当時は道教が盛んになったようで、唐王朝で婦人もその傾向に進んだようだが、入道するや、...唐詩myセレクション6

  • マスクを着用しているのは?

    マスクを着用しているのは?

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