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  • 西日の窓

    西日の窓九十二歳になる鶴牧は、思い出したくないことを思い出す作業に、じんわりと汗をかいていた。離れとなっている自室の西側の窓から、真夏の夕日が斜めに差し込んでいる。「暑いな。冬場はいいが、夏場の西の窓は鬼門みたいなものだ」癖になっている愚痴っぽい言い方を、誰も居ない部屋の壁にぶっつけた。「あの戦争の記憶を書き出してくれだって。イイカゲンなものだ。下っ端の辛さは、中央の安全な部屋で、机の上でしか戦わなかった人間に解るものか」ある出版社からの依頼である。この際だから書いてやろう。と思って引き受けた。「あなたの戦争体験」という仮の表題が付いている。依頼主がどのようなルートで鶴牧を選んだのか?四百字詰め一ページに○千円の値が付いていた。別に執筆料が欲しい訳ではない。鶴牧は戦後の東京で、様々な仕事をした。数種類の特許も取...西日の窓

  • 秋の旅

    秋の旅夫婦赤ベコおもてなし(あきのたびめおとあかべこおもてなし)福島県会津西街道の『大内宿・塔のへつり・会津鉄道の旅』戦友と日帰りバス旅行。茅葺の宿場町は大変な賑わいであった。『大内宿』は、明治初期に大川沿いの国道が開通するまで繁栄した。現在も約四十軒の茅葺民家が当時の面影を残して並び、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。昔ながらの家屋を生かした宿屋、食事処、本陣を復元した大内宿町並展示館などがある。食事処の古民家の座敷に大勢の客がいた。殆どが名物の『一本ねぎ蕎麦』を食べている。吾等も同じ物を注文。三十センチほどの葱が一本付いた冷たい蕎麦。熱いと辛味が増すので冷麺だけ。葱を箸代わりにして食べるのだと説明されたが、箸を使う。葱は辛い、辛い。『塔のへつり』の「へつり」は、方言で厳しい崖の意味。その形状が...秋の旅

  • 女郎蜘蛛

    女郎蜘蛛地球丸ごと抱きにけり(じょろうぐもちきゅうまるごとだきにけり)山百合を訪ねて『八郷フラワーパーク』へ、花友五人と出かけた。国道六号線バイパスを下る。土浦市外を抜けたバイパスの終点の信号を、フラワーパークへの案内板に沿って左に曲がる。『八郷フラワーパーク』は、長男が元気な頃親子四人で出掛けた記憶がある。また八郷は、緑化ボランティアの柿狩りで行った地域だ。園に入ると、色とりどりの薔薇が一面に咲き誇っていた。山百合の群生地は、園の左側の山頂付近。竹林を抜けると、濃厚な香りがしてきた。山頂付近は、沢山の桜と川津桜が植えられていて、桜の花見にも良さそうだ。それに、アスレチック用具が連なっていて、孫たちが来ても楽しめそうな場所だ。二つ瘤の筑波山は真横から見るので尖った山の形をしていた。一回りして戻ることにした。まだ...女郎蜘蛛

  • 夏帽子

    夏帽子外して髪を風の梳く(なつぼうしはずしてかみをかぜのすく)山形県寒河江(さがえ)市『チェーランド』と村山市の『東沢公園』へ、日帰りバス旅行で戦友と出かけた。梅雨時とあって雲が厚く、時にはハラリと雨の降る往路。バスには客三十九名と運転手二名、ガイド一名。常磐道―関越道―東北道―山形道と高速道路を走る。山形へ入ると雲が切れ晴れ間が広がってきた。山形県へ入った途端、車窓からビニールハウスが延々と続いているのが見えた。みな、さくらんぼのハウスなのだそうだ。さくらんぼは雨に当たると実が悪くなるので、何処の農家もビニールハウスで栽培しているのだそうだ。そして、まずは、将棋の駒の町、天童市へ。天童市の『割烹寿司一久』で昼食。広間の壁には相撲取りの貴乃花の手形や他の有名人などの色紙が飾ってあった。用意されたのは寿司と蕎麦の...夏帽子

  • 養花天

    養花天零れんばかり同期花(ようかてんこぼれんばかりどうきはな)同期会の花見へ出かけた。毎年の如く、一時間ほど早めに出かける。不忍池の周りを散策して、桜の写真を撮るつもり。生憎の小雨模様。午前九時過ぎに上野に着いたときには、雨も上がって薄日も射してきた。不忍池の中央にある弁天様方向を目指す。露天商が早々と店を開けていた。中国人らしい一団が列を成して歩いている。浅草もそうだが、東南アジアのツアー客が多いと感じる。桜は満開を少し過ぎた頃。まだまだ魅せている。枝垂れ柳の若芽が美しい。若草色の暖簾を下げたように、大きく枝を広げている。ゆっくり歩きながら、気になったところを写真に収める。毎年のように写真に撮っては句を付けているのだが、どのような写真俳句になるかは予想できない。上野中央改札口の集合場所へは十時半までに行かなけ...養花天

  • 夏堤

    脳裏には去らぬモノあり夏堤(のうりにはさらぬものありなつつつみ)珍しく何の予定も無い日。夏空は雲を筑波山の方へ残すのみ。ブルーの愛車に乗って、数年前から気になっていたモノを観に行くことにした。小貝川に架かる橋を渡りながら、この地に住んで間もない年のことを思い出した。営んでいた喫茶店の常連客の消防士が、夜の見回りで遭遇したという堤防決壊現場が見える。大きく蛇行した川を真っ直ぐに開削した場所の堤防。水は元の流れに添って流れたそうだ。その堤防は、他の場所より幅広く高く改修されていた。元の流れは堰き止められ沼のようになっていた。水面には睡蓮のような葉と黄色の花が一面に咲いている。川幅いっぱいで七、八〇mほど広がっていた。水草のアサザだ。水質浄化に役立つといわれているが、絶滅種に近い存在とか。アサザを守り増やす事業もある...夏堤

  • 天の川

    尺八の調べ誘う天の川(しゃくはちのしらべいざなうあまのがわ)尺八の演奏を間近で聴くチャンスを得た。演奏者、K氏の尺八歴は、二十代からというからもう四〇年以上になるとのこと。錦織の袋から取り出した尺八は二つに分かれている。それを組み立てながら説明してくれた。「真竹の根元を使い、七個の竹の節を含むようにして一尺八寸に作るのが一般的。上部の歌口に息を吹きつけて音を出す。音を出せるまでが大変なの。一般的に手孔は前面に四、背面に一つある。唇の下部分に尺八の歌口を当て、左手の中指で尺八の上部を支え、親指が背面手孔。人差し指と薬指が前面手孔二つに。右手の親指と中指で尺八の全体を支え、人差し指と薬指で下部前面手孔に。五つの手孔を塞いだり開けたりする」呼吸法も独特なものがあるのだろうが、肺活量がないと出来ないだろう。楽譜を広げた...天の川

  • 青嵐

    消えぬ間に抱いて温めて青嵐(きえぬまにだいてぬくめてあおあらし)日曜日の日中、救急車と消防車が近くのマンションへ入っていった。マンションから、中学一年生のバトミントン部の男子生徒が、飛び降りたとのこと。テレビや新聞でも報じられた。中学一年生の孫や息子夫婦には、何かのルートで事件の知らせがあったようだ。孫のショックはいかばかりか。どう言葉を掛けたらいいのか。「命」というモノを深く考えるだけの年齢には達していないだろう孫。翌日、午前中に制服を着た孫が帰ってきた。たぶん学校へ行ったものと思う。孫へ声を掛けて、買ってあったアイスクリームを食べながら、飛び降り事件の話をした。「マンションから飛び降りたっていう子は同じ学校の子?」「うん」「勿体無いね、せっかく生まれてきたのに。どこの子?」「………」「知っている子?」「うん...青嵐

  • 春荒

    春荒の旅も乙なり屋形船(はるあれのたびもおつなりやかたぶね)『大岡川花見屋形船・三渓園・本町散策』と銘打った日帰りバス旅行に戦友と出かけた。この日は我等夫婦の四九回目の結婚記念日。いろいろあった夫婦生活。共に苦労し、共に喜んだりした年月である。正に人生の戦友そのもの。隣駅前七持半出発。悪天候との予報通り、雨が降り出していた。高速道路は渋滞も無く、予想以上に早く『三渓園』に着いた。テレビの紹介番組で観ていたので、一度は訪ねたいと思っていた庭園。原富太郎(原三渓)という、製糸・生糸貿易で財を成した横浜の実業家の造った庭園。芸術家や文学者などの文化人と広く交流したという場所。二時間散策する。昼食の予定の屋形船は、横浜・みなとみらいぷかり桟橋から乗船する。その段になって、風雨が強くなって波も荒くなってきた。屋形船に乗り...春荒

  • 北窓開けて

    かい間観ゆ北窓開けて頭脳戦(かいまみゆきたまどあけてずのうせん)旅友八人で東京神田川周辺をぶらり旅。日暮里駅で山手線に乗り換え、大塚駅下車。初めて乗る都電。面影橋下車。神田川沿いの遊歩道を歩く。神田川と言えば、歌手南こうせつの「神田川」を思い出す。桜は既に散り始め、川面には花筏が浮かぶ。大きく垂れた桜の枝から、ハラハラと花弁が舞っている。様々な花や若葉が都心を感じさせない。「東京染ものがたり博物館」という看板が見え「入場無料」とある。大正三年(1914年)創業の富田染工芸が開設している染色の博物館。入ってみると、応対してくれた男性が、この辺りは、昔、神田川の水を使って染物をしていたとの説明。江戸小紋の体験・染め道具の展示などもあった。甘酒をご馳走になって、数人が小物を購入する。川沿いを歩く。『椿山荘』の古い時代...北窓開けて

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