昨年10月悪性リンパ腫で最愛の母を失いました。母親を失うということ、ガンという病気、終末期医療など。
母親という存在を失うことは誰しも人生最大の壁だと思います。最愛の母がどうして悪性リンパ腫にかかり、そしてどうして克服できなかったのか? ガンという病気の恐ろしさを間近でまざまざと見せつけられた衝撃を綴ります。また、終末期医療についてや四十九日くらいまでのこと、ガンという病気についても考察していきたいと思います。 なお、写真は在りし日の母とクロちゃんです。クロは母が亡くなる前年に天に召されました。
母の告別式は10月16日木曜日に決まりました。感心するのは葬儀屋さんのこと。彼らは本当にいなくてはならない頼りになる存在です。どんなに悲しくても、葬儀屋さんの…
緩和ケアチームに電話すると、先生がさっそく駆けつけ、最期の言葉を告げました。 とりあえずそれをしないと、先に進めないのですね。 そして、家族と一緒に30分ほど…
母のガンは、1日どころの単位ではなく、1時間、いや、数十分単位で進んでいきました。10月10日は早朝から緩和ケアチーム、その後入れ替わりに、介護ケアチームが来…
10月8日の夕方には、母の友達が見舞いに持ってきてくれたカステラと、買い置きのプルーンヨーグルト、夜にはお粥とみそ汁を、私が食べさせてあげました。しかしこの頃…
10月7日朝から、緩和ケアの医療チームによる本格的緩和ケアが始まりました。それはやはり「モルヒネ」。 薬剤師の姉はモルヒネに対し、以前から頭ごなしに批判してい…
母は、入院していた9月下旬頃から現れ始めた強烈な痛みに、家でも大変苦しんで、なんと退院してきたその日から毎晩、痛み止めの点滴を打つために、病院に自らの意思で出…
8月上旬のPET検査を終えてから、急に先生が「生検」すると言い出す。※ 生検後、先生から驚きの発言が!! 「お母さんの生検組織をちょっと大きめに切りとらせても…
まずは簡単に、母の闘病の経過を書き留めます。2010年、春に悪性リンパ腫の診断を受ける。※ しかし予兆は前年2009年の夏から。温泉旅行中、複数の友達から脇の…
2014年10月10日10時、母は息を引き取りました。 約4年半の闘病でした。2014年8月下旬には霧ヶ峰に旅行まで行っていて、9月半ばまで何でも美味しく食べ…
昨年10月に母が急逝してからお墓に行く機会がものすごく増えました。 しかし最近、気になることが多くなってきました。 そこで、今までお墓に行った中で気付いたこと…
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