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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 田の草の矜持 2015

    草でも根無し草ではない。よく国会議員が選挙区を田や畑にたとえて、゛草刈゛だの、゛耕す゛と、あの世界の隠語のように交わせているが、さしずめ民草と呼ぶ選挙有権者の確保、あるいは後援会のてなづけと見るべきだろう。盆踊り、縁日、結婚式や葬儀には必ずといってよいほど顔を出す、つまり顔役である。この時期になると米搗きバッタの競いだが、逆もある。ある東北の退任された知事だが、結婚式に呼ぶと最低数百万を車代、あるいは謝礼として知事に差し出すという。誕生日には各市町村の主だった有力者が知事の誕生日の宴を各所で開き、ここでも数百万。しかも公共工事を振り分ける際も協力金の提示額次第で、選挙となるとその地方の名を冠して○○選挙として勝ち負けの排他が烈しい選挙が繰り広げられ、負ければ任期中は完全に干されるか、もしくは勝ち組の下請け...田の草の矜持2015

  • 入れ歯の刻印 RPH 2015

    縁あって都下東久留米に住む花山信勝師にお話を伺う機会があった。佐藤慎一郎氏にもお知らせして同行をお願いした。花山氏は東京裁判の未決囚を拘置していた巣鴨プリズンの嘱託教誨師である。ウィキペディアの概要を借用すれば以下のとおりである石川県金沢市生まれ。第四高等学校卒、東京帝国大学印度哲学科卒。大学院で日本仏教史を専攻し、東洋大学教授、東京大学文学部教授、國學院大學教授等を歴任する。昭和10年(1935年)、『聖徳太子御製法華経義疏の研究』で学士院恩賜賞を受賞。昭和21年(1946年)2月から巣鴨拘置所の教誨師となり、東條英機ら七人のA級戦犯の処刑に立ち会い、その時の模様を『平和の発見-巣鴨の生と死の記録』に記した。東條は、「米国憲兵と一緒に合掌するのも仏縁だね」と笑っていた、と語った。なお被告の重光葵の手記『...入れ歯の刻印RPH2015

  • 2007 あの頃 グアム移転の米兵住宅が8000万円!

    農協の海外団体旅行が問題になったが、公衆行儀の点では隣国を嘲笑できない。どうも石松の金毘羅代参ではないが次郎長の目の届かない処では、女房に隠れた亭主の戯れようなもの。これが国になると、援助という名のODAだが、キックバックやリベートでは誰のための援助かわからなくなる。伴氏の書くグアム移転にかかる住宅建設だが、新しもの好きのマスコミ報道も今では皆無だ。政治家も官吏も国民を騙す言い訳には長けているが、知ったかぶりと解らないふりは、この国の政治の性癖のようなものだ。国民も知ったところで、たんなる知る満足しかない。user-pic伴武澄(2007年10月30日21:11)28日のテレビ朝日、サンデープロジェクトで民主党の浅尾慶一郎氏が、防衛省疑惑問題で、一番問題なのはグアムへの米沖縄海兵隊の移転に絡む日本側負担で...2007あの頃グアム移転の米兵住宅が8000万円!

  • ベンガル盛衰の要 2011 あの頃

    大人が読み聞かせる日本のマスコミは初心に還れるのだろうか・・・・日本の地図ではインドの右、彼の国では西側にベンガル湾が広がっている。昔は西ベンガル、隣はミャンマーである。インドが独立し翼となる地域を東パキスタン,西パキスタンと分け、現在はパキスタンとバングラディシュという国名となっている。言語はベンガル語、インドはヒンドゥー語。宗教は大部分がイスラム、そしてヒンドゥーと仏教がある。よくインド仏教とは言うが、もとはインドの一地方であったベンガルが最も仏教が盛んだった。そもそも仏教寺院は僧侶の学問所である。その広大な史跡はバングラデッシュにある。その理由は教育に適した気候環境と人々の情緒に、調和心と真っ当なものに対しての順応性が豊かだったからだ。いま言われる貧しさからではない。譬えはヒマラヤの麓の小国ブータン...ベンガル盛衰の要2011あの頃

  • 「大切なこと」 ベンガルこども新聞寄稿

    大切なこと地球上には異なる環境のなかに、自然に棲み分けられた人々と色々な神と精霊が存在します。また人々に立派な行いをした人を尊敬して語り継ぐ歴史があります。ベンガルにも世界的にも有名な詩人タゴールがいます。タゴールは神ではありませんが、大自然に心と身体を沁みこませ(※)、まるでその一部になったように生きている自然界の姿を語ります。それは時や所を越えて世界中の多くの人々に大自然からの心を伝え、生まれたこと、亡くなること、そして消滅ではなく再び大自然で生き続ける大切な心が人々にあることを伝えます。タゴールは大自然の心を教えるのではなく、伝えたのです。人々は民族という集まりをもって国を作ります。環境に応じて思想や宗教もつくりました。仲良くすることもあれば、物やお金の奪い合いで争いもあります。星を見たり、山や海を...「大切なこと」ベンガルこども新聞寄稿

  • エロチックな風俗 2011 7/22 再

    以下写真は海外送付メールより外国人ミュージッシャンがよく訪れるが、なかにはお忍びで来日する大ものもいる。アメリカ、東欧はポーランド、ロシア、中南米・ブラジル、中国、インドやバングラデッシュなどから来日して長期滞在する人もいれば、景気が落ち込んで仕事が甘くなると帰国することもある。彼らはテクニックは文句ないが、加えて自分の音がある。あるとき鍵盤を大きな手で細やかに弾いていたとき、普通のコード進行では想像もつかない音を出したときがあった。聞くと、「自分の音だ。日本人はマズ怖がって弾かないでしょうが、楽器は人が関わらなくては単なる置物です。個性とはいっているが、マニュアルから抜け出せない音楽はつまらん人生のようで相手(楽器)も可哀そう。要はハーモニー・・・」パウロオスニー顔なじみが多くなるが、意外と独り行動が多...エロチックな風俗20117/22再

  • 安岡家の焚書 冒険ダン吉

    郷学研修会にて縁あって高名な父のもとに生まれ、あるいは家系に偉業の残像を積み重ねた生活環境に育くまれると、何かと人知れぬ苦労もするが、突破する、いや此処では超然といった境に至ると、俗人には思いもつかない洒脱な言辞を発することがある。訊く側の思惑や妙なステータス意識を差し引いても、重厚さの背景にある人懐っこさは、時折、童心に導いてくれるような魅力がある。孟子の「四端」にある誰にも教えられなくても備わった本性、惻隠、辞譲、羞悪、是非、を想起させ、人間の無垢で生まれながらの意識に引きずり込まれてしまう「安心」の境地がそこにある。そこには独律の厳しさと児戯に似た残酷な意図も隠されているが、単なるニヒリズムとは異なる芳醇な情の香りが、かえって訊くものの魂に新たな蘇りを覚えさせてくれることがある。「父は教育者。政財界...安岡家の焚書冒険ダン吉

  • 天岩戸を開ける勇 「陛下なら解っていただける」2017・3再

    日本の近代化は明治の王政復古を掲げた維新だと教えられたそれは徳川幕閣の経国能力の適応に疑問を持った薩長をはじめとする雄藩が立ち上がったと歴史に記されているが、彼らとて名目や大義をつくろっても下心を隠すほどの効果もなく、京都に坐す「玉(ぎょく)」と彼らが称していた天皇を推戴して王政の復古を掲げて倒幕をした。それが彼らの身分や利権にどのような影響を与えたかは研究者に委ねるところだが、民衆からすれば推して知るべしところだ。あの西郷でも「この様な国にしたくはなかった・・」と言わしめたその後の体制だが、まさに昭和二十年までその風は続いた。賢候と謳われた山内容堂は「もともと無頼の徒の集まり」と揶揄した。西洋かぶれと成り金の支配層が「玉」を巧妙に奪取して名目を整えた政変という意味だが、官吏や政治家の、゛人と成り゛は江戸...天岩戸を開ける勇「陛下なら解っていただける」2017・3再

  • 奇妙な「安岡学」に集う群れ 07/22 再

    鎮まりのなかで正面右正明氏正篤氏の嫡男正明氏との酔譚、いや、房中枕の呟きでもある。そもそも「安岡学」などはない。来歴、事績を知り、広言したり仲間作りに勤しみ、中には名のある経師(説明講師)を招いて大金をせしめたり、その安岡名を冠とした運営体を宣伝して我が身を飾る者もいる。凡そは小人だが、多くは仮借学の類だ。本来は経師ではなく、人師(人の師)でなくてはならないが、いたずらに軽薄な身を宣伝する徒が多くなり、ハーメルンの笛のように善良な郷徒を誘引している。御尊父である正篤氏から督励された「郷学」の一泊研修でのことである。夕の小宴での女性学徒との洒脱な応答に一同、笑い転げたことがある。税務署長初任地の逸話、父から言われた自らの四柱推命に解く女難、正篤氏の面白い逸話、なにしろ座談の名手である。いずれこのコラムで記す...奇妙な「安岡学」に集う群れ07/22再

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