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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 憲法伝説 九条と九九条は裏を返せば「666」 2015 5/26

    旧稿ですが・・・ごまめの歯軋りですが先日、我が家に共産党の運動員が9条についてのポスターを持って来た。「9条を守れ!」とのことだが、憲法を守ろう、戦争を起こすな、のキャンペーンだろう。そこでこう伝えた。「9条問題は切り口が多くで争いの種になっている。それも一党一派の勢力争いに利用され、社会の鎮まりある連帯を融解している。なにも選挙私事のハナシではない。あるいは議員の任期満了に基づく失業対策選挙の具に使ってはいけない。それよりも99条の方が判りやすいし、時宜を得ている。」GHQ草案では91条となっている。第九十一条皇帝皇位ニ即キタルトキ並ニ摂政、国務大臣、国会議員、司法府員及其ノ他ノ一切ノ公務員其ノ官職ニ就キタルトキハ、此ノ憲法ヲ尊重擁護スル義務ヲ負フ此ノ憲法ノ効力発生スル時ニ於テ官職ニ在ル一切ノ公務員ハ右...憲法伝説九条と九九条は裏を返せば「666」20155/26

  • 一服 憂さ晴らしの学・・・? 2017

    暇まかせに字引をひらいてみると、漢字ではあるが原典とは違う意味もあれば、錯覚なのか、はたまた「そのように呼称せよ」と指示されたような熟語があれば、日本流に作った俗字もある。漢字は単なる文字記号ではないために意味の錯誤は日本人そのものの印象すら嘲笑の対象にされることもある。「俺」とは、我とか自分という意味で使われるが、「奄」を見ると、宦官とか門番とある。碩学は、伸びるものが大という重しに押され申の縦線が曲がった状態で、男性器が折れ曲がって使えない意味だと古老は説く。大陸では我が身を「俺」とは言わないという。それと同様に「黄門」といえば水戸黄門だが、黄は皇帝色といって高貴な色であり、その「黄門」を守護しているものは去勢された宦官である。中国文化特有の文字遊びか、はたまたそのように教えられたのか「俺」も「黄門」...一服憂さ晴らしの学・・・?2017

  • 安岡正篤と佐藤慎一郎、そして景嘉 2008 稿

    佐藤慎一郎氏に誘われたある会でのこと・・・壇上から一段下がったところの席に佐藤氏は誰かと談笑していた。真剣さに近寄れない雰囲気だが、ときおり間を置くように破顔一笑している。臨席の老人は斜め横からなので、どなたなのか判らない。筆者に気がついて右手を高々挙げて起立した。するとその間を突いて白髪の紳士が隣席の老人に恭しく挨拶した。紹介していたのは見覚えのある碩学の秘書だった。近寄ると慇懃に頭を下げ応答しているのは安岡正篤氏であった。傍に近づいたその白髪の紳士を正面から見て会釈した。見覚えがあった。柳川次郎氏である。もう引退をしてしばらく経っていたが、山口組の創成期に活躍し、そのときは亜細亜民族同盟という組織の後見のようなことをしていた。安岡氏の秘書とは入魂の間柄なのだろう、もともと安岡氏は目の前に現れる人物には...安岡正篤と佐藤慎一郎、そして景嘉2008稿

  • 人間考学から「伸びしろ」をみる 13 ・ 8 再

    新聞の読み聞かせバングラデッシュ多くは「容」「像」「体」から読みとる人物像である「容」は相の具合だが、顔色はもちろん柔和とか溌剌感、目線の落ち着きや口元の締りだ。「像」は容に加えた雰囲気だが、仕草やたたずまい(佇まい)、もしくは圧倒的な威力や謙虚さに観る姿だ。そして「体」は言うまでもなく身体の歪みや緩慢な動作など気力衰退や患いから発する形だが、容と像は体との調和として表れる解り易いイメージと考えるもし相も悪く気分は弛緩して行動が緩慢な人間に財や知恵を付加したkらどうだろう。まだ元気溌剌で柔和な貧乏人の方が感覚を震わせるそれから先は相手の説明や行為から知ることだが、往々にして金と地位とその継続性を詮索することでその価値の優劣が決まるようだ。近ごろは金持ちの未亡人や熟女狙いの狡猾な男が増えたようだが、見えるも...人間考学から「伸びしろ」をみる13・8再

  • 門田隆将のフルスイング あの頃 08 2 1

    先日、門脇(門田)さんから氏の著書「慟哭の海峡」に記した台湾南部の潮音寺で慰霊祭があるので、との誘いがあった。じつは、その前に戦前の台中の霧社であった事件の慰霊にも誘われた。両方とも門脇氏が記念講話をするという。同伴する予定だった門脇氏の土佐校の先輩の諸都合もあり筆者も遠慮したため、8月2日の潮音寺は行こうと思っている。「ところで、小泉君がアナタの愛読者だと云っているが、会ったことあるのか」『そうらしい、演説でも言っているらしいが、まだ会ってない」「実は台湾映画のKANOのことで彼も関東学院野球部、アナタも少年野球のコーチで、お互いに台湾に関係が深い。できれば21世紀の枠を作って台湾選抜を甲子園に招待できないかと思っているのだが・・・」『選抜は難しいとおもうので、エキジビションならいいのではないか・・・」...門田隆将のフルスイングあの頃0821

  • 土佐の咬ませ犬といわれた男 門田隆将のあの頃

    令和4年7月14日、筆界の安倍派?で旧知の門脇護(筆名門田隆将)氏から久しぶり電話があった。まさに彼の現在の筆風であり、依り処でもあった元総理の安倍晋三氏が亡くなった直後でもある。内容は小生の師であり当ブログでも再三取り上げている佐藤慎一郎先生の菩提寺、弘前市寺町川龍院の所在を尋ねられた。佐藤慎一郎氏彼の電話は手に取るようにその姿がわかる。新潮敏腕記者として少し高邁のようだが冴えていた頃、退社して将来を模索していた頃。本が売れ始め昇り調子だった頃。出版不況で講演に勤しみ、新潮縁故の桜井よしこさんの縁で安倍晋三総理との邂逅したころ。その後の安倍シンパの雑誌に寄稿し、そして大樹が倒れた現在の音声など、さまざまな心情が読み取れる。安岡正篤氏は「音声は知性を表す」と、つぶやいたが、今回はなぜか気弱だが、より彼の醇...土佐の咬ませ犬といわれた男門田隆将のあの頃

  • 疲弊する国家 良くも悪くも、多い少ないも 08 5/23 あの頃

    国会で舌鋒火を噴く「切腹問答」を行った浜田国松氏ここでは人間の問題、とくに群れとなった人々の生き方について、明確かつ隠蔽されたかのように矛盾をはらんだ事柄について記してみたい。それはある隣の酒席の話だが、ことさらコソコソ話をダンボ耳にしたわけではないが、妙に納得した会話だったので紹介します。『ところで公務員は450万人といわれるが、隠れ公務員はそれと同じくらい居るが、家族3人で2400万。隠れ公務員というか税で生活している人のには、各種天下り法人、外郭団体、あるいは民間法人を設立して食い扶持を公共に特化している組織もある。近頃では駐車違反の摘発をする「民間」と称する警備会社もある。ともかく、税や手数料ほか特別予算に依存している組織や人間が多い。これが問題の高給取りで待遇は抜群。定年後5年間の臨時雇用と公務...疲弊する国家良くも悪くも、多い少ないも085/23あの頃

  • 「義」は人の大本なり 08.6稿 再

    ベンガルの義人シャーカー氏昨日は「利」でした。生活には戸惑いのあるものですが、「義」を理解すれば「利」の効用があるようです。浅学非才の若輩なれど、身の程を忘れ、先人、師、恩人の言を無断で活用いたし、いくばくの利他の増進に役立てばと考え、かつ世代の役割を感じつつ記してみます「義」について「義」は羊と我の合字です。羊は古代いけにえとして神に献上した習慣から吉祥だとか善などの意味が含まれています。ですから、善い、正しい、と解されています。「事宜を知り、恥を知り、為すまじきをなさぬは義」「義は人の大本なり」(准南子人間訓)義は無条件で正しいとおもうことに我を捧げることです。それは、人間のあらゆることの大本であり、根本であると定義されています。「義は己の威義なり」(説文)といいます。威義は、その人の修養の程度によっ...「義」は人の大本なり08.6稿再

  • 数寄屋橋の鬼に酔わされた

    教員免許など無用大学校にて「大学の道、明徳」自身の徳(特徴や意志)を明確にする学び舎(大学校)で、自己を語る。2008記赤尾敏氏を知っているだろうか。この様な書き出しは筆者の出自や思想を云々されそうだが、その云々の無用さを赤尾氏のエピソードから記してみたい。銀座数寄屋橋の街頭で、通称、街宣車(ガイセンシャ)の上で仁王立ちになって演説していた民族運動家である。筆者は赤尾氏の自宅兼道場に伺ったことがある。たしか知事選に立候補した時の選挙の真っ只中、夕刻の7時であった。紹介者とはいっても、安岡氏と懇意な岡本義雄氏である。「赤尾さんに会いに行く、君も来なさい」いつものことだった。強引にも筆者を文京区白山の安岡邸に誘い込んだのも、今回の赤尾氏に連れて行ったのも岡本氏である。好奇心もあったが、そのたび明治人に面白いよ...数寄屋橋の鬼に酔わされた

  • あの時の参議院選挙

    「国賊的な政治家には投票するな。しからば選挙に行かないように」と、投票棄権を唱えた08/9再20166月再掲載1月29日のコラム「数寄屋橋の鬼」に記されている、゛老人゛について語りたい。拙宅の近所に住んでいたが、起縁は小会(郷学)でジャーデン・フレミング証券のアナリスト、ニックエドワーズ氏を招請して講演会を催したときに参会された時からだ。たしか今を想定して投機についての歴史的経過と、その危険性についてだった。その後、毎日のように来訪され漢文詩や自作の啓文を持参して戴き、以来多くの時を過ごしていた。或る時「前記コラムと重複するが、安岡正篤氏(当時、会うまでは知らなかった)の自宅である文京区白山に連れて行かれたことがあった。また多くの著名人との懐古とともに筆者を同行して熱論、激論を拝観させていだいた。また、毎...あの時の参議院選挙

  • 聖徳太子の心配事は当たったか 09 3/06 再

    「「紐帯の結びの重し」皇居内お休み処このところ中央地方を問わず金と異性と失言などの問題で毎日のように紙面を騒がしている。そこへきて重要議案に口角泡を飛ばして争論に励んでいるようだが、定数や待遇については口を封じて与野党同衾している。国民は野暮な旅芝居を見ているようだが、ときおり女形ならぬ行儀の悪い男のような女性議員の登場で回り舞台は観客は惑わされる。安岡正篤氏は書斎の雑談でつぶやいた。「今どきの政治家は人物二流でしかなれないようだ」あれから四半世紀、二流から三流、そして埒外が増殖している。金をごまかし、平気でうそをつき、不倫もする。選んだあんたが悪い・・!と嘲られるが、もともと党の旧字は中が黒だった。つまり黒をかんむり(賞)すると古人は揶揄する。白黒といえば黒は悪人だ。善党はないが悪党はある。その悪党が多...聖徳太子の心配事は当たったか093/06再

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