テレビカメラが入ったことでその夜はファンが異常なほど盛り上がって、終電間際なのにいつまでもその場を離れようとはしなかった。次々とリクエストが飛んできて、それにぜんぶ応えていたらもう0時半を回っていた。 どこからわいてきたのか、オーディエンスはいつの間に
政治経済から芸能スポーツまで、物書き小谷隆が独自の視点で10年以上も綴ってきた250字コラム。
圧倒的与党支持で愛国主義者。巨悪と非常識は許さない。人間が人間らしく生きるための知恵と勇気、そしてほっこりするようなウィットを描くコラム。2000年11月から1日も休まず連載。
時おり飛び込んでくる怪しげなメールの類。カードの情報を更新しろというものが最近は多いのだけれど、何が怪しいかといって日本語が怪しい。明らかに日本人が書いたとは思えないおかしな文章を書いてくるのである。 それだけでじゅうぶん怪しいところに不可解なURLを貼
日本国民を危険に晒してでも五輪は開催。それも菅首相の一つのリーダーシップということならそれでいいだろう。ただ一つ、リーダーとしては重要な責務を忘れていないか。 首相をはじめ、政府首脳からこの間いちどたりとも五輪を強行開催する「理由」が説明されていない。
宝くじに当たったらあれを買おう、これを買おうと夢見ている人は多い。そんな夢を見ている時間の方が実は幸せだという人もいる。 さて当たったとしたら? 不思議なもので、人は夢見ていたものなんてまず買わないのである。えてしてまったく違うことにお金を使うのだ。
今ここへきて五輪強行開催と上限1万人の観客動員が決まったこのなし崩し的な事態をどう見るか。よくよく読み解いていったら実にわかりやすい話だ。 政府の最終目標は五輪を開催することにある。観客動員など実はどうでもいい。「上限1万人の観客動員」は、これから東京
厚かましくもいろんな人に作曲のイロハを教える機会があって気づかされたことがある。作曲なんて誰にでもできると一時はうそぶいていたけれど、それは間違いだった。作曲には作曲脳が必要だ。 先天的には、聴いた音楽を消化してエッセンスにまで分解する能力である。どう
8割の反対を押し切って開催する東京五輪。国民に忍耐を強いながら五輪では何でもあり。戦争のためには有無を言わせなかった「欲しがりません勝つまでは」の昔を彷彿させる。 ただ、今は成人国民一人ひとりに票という武器がある。戦前の国民は無力だったけれど、今はノー
いったん何かを始めると、完成形を見るまではやめられない性分。音楽でも映像でも、作り始めたら体力気力が続く限り何時間でもとことんやる。 一見、集中力の塊のようにも映るけれど、こんなの実はとても効率が悪い。その実は出始めたアイデアが止まってしまうのが怖くて
かつて水を大量に飲むダイエット法を奨められたことがある。今でもやっている人は少なくないかもしれない。要は老廃物をどんどん出そうということなのだろうけど。1日2~3リットル飲むらしい。 僕の周囲にもそれを励行している女性が2人いた。もともとは健康そうな肉
新橋駅烏森口の真ん前にあるツバキカフェはもともと「カフェトバコ」という名前だった。文字通りタバコが吸える。というより、喫煙席しかないという今どき珍しいカフェだ。この地域で働くスモーカーたちのオアシスとして珍重されている。 ここのオーナーが以前テレビのイ
どこかの酒場で隣り合わせた同士が一瞬で恋に落ちて同じ朝を迎え、などという物語がかつては都会のあちこちに転がっていた。そんな物語が遠い昔のお伽噺になってもう2年目になる。 過去のありふれた日常に取材した歌の文句から感じるものはもはや郷愁と呼んでいいだろう
コロナ禍がもたらした最大の変化はマスク文化だろう。誰もが鼻と口を覆う。目だけ出した顔がデフォルトになってしまった。 暑くてかなわない一方で、顔を出さないことによる妙な安心感もある。安易に表情を読まれなくて済むことによる安心感なのだろう。 感染の収束と
政治家というのは国民を幸福にする人のことだと思っていたのだけれど、どうやらそれは少し間違っていたらしい。正しくは「特定の」国民の利益代表であり、そうした「特定の」人々だけを利することを生業とした人のことを指すようだ。 しかも「特定の」人々を利するための
ギターを始めて間もない頃、この世の中に編曲家という仕事があると聞いて色めきだったものだ。歌の伴奏を作る仕事。ドラムからベース、ギター、ピアノ、そして後ろの弦楽器たち。様々な音を操って歌の世界観を組み上げる。 楽譜の読み書きができて、それぞれの楽器のこと
あっちでピーピー、こっちでピピピ。あるときは同時に、あるときは続けて鳴る。キッチンでよくあるひとコマだ。しかもみんな同じ高さの音だから、何が鳴っているのかまったく区別できない。電子レンジなのか、コーヒーメーカーなのか、食洗機なのか、はたまたガスコンロな
僕は若い頃、自分が作曲の天才だと信じて疑わなかった。じっさい僕の周囲に僕よりまともな曲を書けるやつなんて誰ひとりいなかった。けれどそれがまずかったと思う。狭い世間しか見ていなかったことが。 もっともっと広い世の中を相手にすべきだった。ライバルは向こう三
この年齢になると男の頭髪というのはほぼ真っ二つに分かれる。禿げるか白くなるか、このどちらかだ。もちろん両方に該当する人もいるけれど。 僕はどちらかというと色より数に窮する方で、白髪らしい白髪はほとんど出ないまま、力尽きた毛が1本また1本とフィールドから
不親切な文章を書く人が多い。書きなぐりのブログならいざ知らず、書簡でやられると本当に困る。 文章の基本は読み手の立場から書くことだと思う。読み手がこれをどう理解するかを想像して、その理解に沿って書く。理解されないものを書く意味はない。文章はあくまで理解
日本の近代史の魅力はその速さである、とハーバード大学の先生が言っていた。たった50年あまりで牧歌的な農耕国家から西欧列強に比肩する近代工業国家に生まれ変わったこのスピードは世界の歴史上でも類を見ないという。 その歴史がこの30年、信じられないほど停滞してい
こないだ21世紀に入ったかと思ったらもうそれから20年。あっという間だったといえばそれまでの話。そういう見方をしているときっとこれから先の20年もあっという間になってしまう。 今を起点としてある時点と今とをただの点と点でとらえるからその間にあったことがいろい
「べからず」ばかりおぼえてきた。歳を重ねるたびに「これをやるとしくじる」という経験値ばかりが増えて、行動の選択肢が狭くなってくる。それは成功確率を上げることにつながりそうだけれど、その実は「失敗しない」だけであって、失敗のすぐ隣にある「大成功」をみすみす
人は物事を相対的にしか捉えられない。何かと何かとの比較でしかものを評価できない。善悪の判断ひとつとってみても、絶対的に善だとか悪だとか判断しているのではなく、何か殿比較においてより善いとか悪いとか感じているだけだ。 真善美の残りの真と美にしても絶対的な
リモートワークをするようになって、朝のワイドショーなるものを眺める時間ができた。かつては馬鹿にしていたこの手の番組だけれど、けっこう有用な情報に溢れていることに気づいた。 通常のストレートニュースよりもはるかに深く取材をしていて物事を掘り下げているのに
最近の音声文字入力の精度はかなり上がっていて、ほぼ実用レベルになっている。スマホのマイクに至近距離で喋るならほぼ完璧に入力ができる。 この文章も実際、音声入力だけで書き込んでみた。あとからほんの少しの修正をするだけで文章としてきちんと成立するからありが
今ほど将来が読めない時代もなかなかない。広告代理店のトレンド予測なら代理店が自らそうなるように物事を進められていくからふだんなら「当たる」のだけれど、今のように不確定要素がこれほど多く入り組んでしまうと、そんな意図さえ世の中は反映してくれないかもしれな
人の道と俗にいう。人としてあるべき道。孟子やヘーゲルの説いた道徳論である。その中身はほぼべからず集だ。 人と人との間はこうでなければならないと諭すその目的は社会の秩序を保つこと。要は現体制を恙なく続けていくために人々が守るべき決まりごとの集大成である。
好事魔多しという。いい時こそ気をつけろと。いいことがあったからといって浮かれていると足元を救われるぞということだ。 勝って兜の緒を締めよともいう。勝利に浮かれていないで次の戦に備えよということなのだけれど。 だれが言ったことなのだろう。魔? 多いのは
運命とか宿命とかいうやつに人格があるとしたら、それはとんでもなくいやなやつなのだろうり連中はたいてい不幸の形で現れるのだけれど、そのたびに「お前の過ちを思い知らせてやる」というメッセージを送ってくる。その不幸を経験しなければもっと悪くなると。連中として
自治体の接種、大規模接種、職域接種など政府はいろいろとワクチン接種の形を提示してくれている。それはそれでありがたいのだけれど、どうもメディア向けのパフォーマンス感が匂ってきてしかたない。メディアとして取り上げやすいかどうか。要は前向きなニュースになりや
在宅ワークが一般化してくると、「役割」の認識がとても重要になってくる。在宅で鬱になる人の多くはそもそもその「役割」がはっきりしていなかったのではないかと思う。出社さえしていれば何となく組織の一員として働いている気になっていたのだろうけど、いざ自分という
各地の補選で連戦連敗を続けてきた自民党。与党の不人気ゆえとメディアは評するのだけれど、さて本当にそうなのか。 自民党が負けた選挙区の立候補者を見て、なるほどこれでは勝てないと思った。党以前にそれぞれの候補者にまったく魅力がないのである。かといって野党候
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テレビカメラが入ったことでその夜はファンが異常なほど盛り上がって、終電間際なのにいつまでもその場を離れようとはしなかった。次々とリクエストが飛んできて、それにぜんぶ応えていたらもう0時半を回っていた。 どこからわいてきたのか、オーディエンスはいつの間に
そのうちに常連のファンたちと親しくなった。老若男女、いろんな人がいた。それぞれに自分の抱えている悩みを口にした。僕はそれをメモ帳に書き留め、どんどん歌にしていった。 生きていることが 罪に思えてきた 死んだら誰かが 笑ってくれるかな 面白すぎて
1ヶ月ほどホテルに滞在しているうちに、僕は近くの高輪台に1DKのマンションの一室を買った。ついでに中古のメルセデスのクーペも買った。そんなものがポンポン買えるだけのお金があった。そのほとんどは妻子4人分の命の代償であって、どんな形であれこれを使い切らな
たぶんその頃の僕は東京でいちばん暇な37歳の一人だったと思う。けれど幸いその中で経済的にはかなり豊かな方だったと思うし、人生経験のダイナミックさなら五指に数えられたかもしれない。 僕は毎日10時にホテルを出て、最寄りの品川駅まで歩いてそこから山手線に乗
天はこれ以上ないはっきりとした答を返してくれた。苫小牧にいる理由はないということだと僕は解釈した。けれどいざユキヨと別れようとなると、何と言って出ていけばいいのか見当もつかなかった。 けっきょく僕は昼間ユキヨが水産会社に働きに出ている間に、置き手紙ひと
「長いことピルなんか飲んでたのがいけないのかしら」「それは違うって前の先生が言ってたはず」「ううん、絶対その影響はあるわよ」 コールガールなんてやらなければよかった、と言って、ユキヨはアパートのカーペットに突っ伏して声をあげて泣いた。彼女が泣くのを僕は
それから半年ばかりの間に、僕は自分が一生のうちで算出できるであろう遺伝子の半分以上をユキヨに注ぎ込んだと思う。週末になれば昼夜分かたず獣のように交わり続けたし、この日だと確率が高いという日には5回戦に及んだこともある。 けれどいっこうな懐妊する気配はな
僕の中でにわかに答は出なかった。ユキヨのことは好きだけれど、ここで結婚して子供をもうけたらユキヨも僕も何か別の不幸に見舞われるような予感がした。 とはいえユキヨと離れる気もない。ここはひとつ、自分の運を改めて天に委ねてみようと思った。もしも子供ができた
「私さあ、ピルやめたんだよね」 夜の営みの最中にユキヨはそんなことを言い出した。「でも、ゴムしてるから」と僕は言った。「大丈夫」「大丈夫じゃいやなの」 そう言ってユキヨは僕の背中に手を回して自分に引き寄せた。「妊娠したい」と彼女は真面目な顔をして言っ
我々は同じアパートの住人やご近所からは仲良しの夫婦に見えたらしく、僕は「旦那さん」、ユキヨは「奥さん」と自然に呼ばれるようになった。「お子さんまだなの?」と訊く主婦もいた。「旦那さんも頑張らないと。女房にばっか働かせてぷらぷらしてちゃだめよ」「家で仕
それから僕はユキヨとともに苫小牧で冬を越した。彼女が夜の仕事で稼いでいた分は僕が補充した。「お金持ちなんだね」お金を渡すたびにユキヨは言った。「そうでなかったら犯罪者だわ」 思ったことをぜんぶ口に出してしまうのも良し悪しではあるけれど、おかげで彼女は
「ていうか」とユキヨは仰向けになって暗い天井を眺めながら言った。「このさい結婚しちゃうとか?」「さすがにそれはな」と僕は言った。「まだ旅の途中だからね」「まだどこか行きたいの?」「行きたいというか」と僕は口ごもった。「居場所がないんだ。実家はあるけど今
「ねえ、もしかして私のこと大事にしてくれてるの?」「もちろん大事にしてる」「嬉しい! けど、私は何番目に大事な女?」と訊いてからユキヨはハッとして物言いを変えた。「ごめん。つまんないこと訊いたね」「今は君しかいないから」「私しかいない? まじで?」「
寒冷地特有の二重窓を閉め切ってしまえば電車の音も踏切の音も聞こえない。ユキヨの出勤がない日の夜の営みはいつも絶望的な静寂に包まれていた。「あなたは着けなくていいよ」と肌を合わせながらあるときユキヨは言った。「お客には漬けさせてるけど、こういう仕事してる
苫小牧といえば工業都市ではあるけれど、ユキヨのアパートがある海に近い街はとても寂れた印象だった。なだらかな傾斜の土地にポツポツと街並みが続き、その先は森になって遠くの樽前山に連なっている。至る所でキタキツネが野良犬のようにうろついているのを見た。 海岸
「そんな君がどうして苫小牧に?」 流れからしてここにはさむべき質問を僕はインタビュアーのように投げかけた。「男と駆け落ちしてきたのよ」とユキヨは鍋の味見をしながら言った。「その人もテレクラで知り合ったんだけどね」 一度だけ勢いで寝たその相手が故郷の苫小
驚いたことにユキヨは東京の生まれだった。葛飾区で生まれ、江東区で育ち、名の知れた短大も出て、3年間は都銀の支店に勤めていたという。 仕事のストレスから夜な夜なテレクラに電話をするようになり、そこで知り合った相手と男女の仲になった。男に貢いで作った借金を
「一緒にいてあげる」 ユキヨはそう言って、半ば強引に僕をホテルから引きずり出すように車で彼女の家に連れていった。家はコールガールの胴元がある札幌ではなく苫小牧にあって、比較的新しい1DKの小綺麗なアパートだった。「ここだったら宿泊費もかからないわ」とユキ
軽井沢を離れて1年半も経っていた。5人で暮らした家に独りで住むのは寂しかったし、そもそも義父との繋がりもなくなれば僕が会社にいる意味もなくなった。 社長の座はマキの妹の夫に譲り、僕は潔く家を出た。皮肉なことに、事故の賠償金で僕は一生働かなくても暮らせる
ひとしきり泣いたあと、僕はシャワーを浴びた。それからベッドに戻って、横たわる彼女のバスローブを剥ぐと、貪るようにその豊満な肢体を抱いた。そして倒れるように眠りについた。 夢を見た。僕はマキや子供たちと食卓を囲んでいた。そこに真実も、ミチコさんも、ミカも
あの頃はHuey Lewis and the Newsの全盛期だった。リアルタイムでは"Stuck with You"がヒットしていて、その流れで2年前の"If This Is It"が一緒に流れていた。 よく似たシャッフルのこの2曲がけっこう好きでよく聴いていた。実は英語の歌詞の中身までは追えていなかっ
僕は夫になる。父親になる。22歳にして。そんな思いを抱えて僕は秋の街をものすごく速足で闊歩していた。 大学3年生の身にはいささか重すぎるはずの荷だった。それを自ら背負おうとしている。いったい何がそうさせたのかわからない。あとから考えてみたらまったく理解に
翌朝、まるで何事もなかったかのように彼女は鼻歌を唄いながら朝食を準備して、テキパキと身支度をすると、じゃあまた今夜来るね、と言い残してアパートを出ていった。一駅先にある病院へご出勤だ。医療関係者に土日はない。向かいの部屋のおばさんが好奇心丸出しの目で見
もしも彼女が本当に懐妊してそんな段取りになっていたら、その後の僕の人生はどうなっていただろう。今でも時おりそんなアナザーライフを想像することがある。たぶんこの世界とは別のフェーズの世界に、そんな人生を生きている自分と彼女がいるのだと思う。 今ここにある
呆れるほどの静寂をやがて微睡みが包む。目覚めたとき彼女はは隣で静かな寝息を立てていた。スモール球一つの薄明かりに浮かぶ寝顔を眺めながら、僕はこれからの段取りを思い浮かべた。 彼女が懐妊する。二人、いや三人で暮らすアパートを探す。並行して僕はたっぷり稼げ
男が女に対して抱く愛情の本質は性欲でしかない。少なくとも血気盛んな頃はそう言い切って間違いない。愛してるだとか好きだとか、みんな翻訳すれば「やらせろ」でしかない。そんなことをどこかで読んだ気がする。 ある意味これは真理だと思う。生き物の本能として、オス
彼女の火照りが僕にまた火を点けた。唇を唇で塞ぎ、彼女の背中に回した腕の力を強める。たぶんそこに愛情など欠片もなかったと思う。僕は純粋な欲望に支配されていた。「やだ。ほんとにやだ」 彼女は身を強張らせて抗った。「やめて。もういや」 彼女は明らか僕を拒
「どうして?」と彼女は涙声で言った。「どうしてこんなことするの?」 子供がほしいから、と言いかけて僕は言葉を飲み込んだ。ごめん、と言いかけてそれも押しとどめた。「赤ちゃんできちゃったらどうするの?」と彼女は嗚咽しながら言った。「どうしてそんな無責任なこ
果てたあとのまどろみが、そのときは心なしか長かった。彼女は僕から離れると、背を向けてしばらく黙っていた。 僕は僕でいわゆる事後の賢者タイムの真っ只中で、自分のしたことの恐ろしさを今さらのように噛み締めていた。一方で、このまま彼女が本当に受胎してほしいと
彼女との生活を実現するのにいちばん確実な手段は何か。そのうちに僕は悪魔のようなことを考えるようになっていた。 毎晩の営みはいつもほぼ無防備だった。あの夜から、彼女との間を物理的に隔てたことは一度もない。ただクリティカルな場所で果てないことが唯一の防備で
僕はある種の覚悟さえ決めていたと思う。学生の身分ではあったけれど、このまま彼女と結婚してしまおうと真面目に考えていた。 時に22歳。生活はどうする? 彼女の看護師としてのささやかな給料と、あとは僕が必死でアルバイトすれば何とかなりそうだった。 二人で暮
独り暮らしも3年半を過ぎて、僕は少し人恋しくなっていたのかもしれない。ちょうど1年前には1ヶ月ばかりほぼ週2で僕の部屋を訪れるガールフレンドがいたけれど、そのときは昼間に数時間を過ごすだけだった。それに対して彼女は夜勤のとき以外はほぼ毎日来て、僕のため
50年続いてほしい日は結局のところ9日で終わることになる。細かくいうと9日半。ちょうど『ナインハーフ』という映画が流行っていた頃だ。あちらは9週間半。なぞらえるのは少し恥ずかしい。 そのあいだ何をしていたかといえば、あれは「新婚さんごっこ」だったと思う。恋
もうとっぷりと日の暮れた東中野銀座商店街を我々は手をつないで歩いた。夕飯時だった。チョイスはいくつかある。居酒屋に入るか、洋食屋に入るか。弁当屋もコンビニもある。けれど彼女はスーパーを選んだ。「出来合いのものばっかり食べてるんでしょ? 身体によくないよ
「家庭的」という形容は女性をある種の偏った枠に押し込めるという意味で、今どきは言葉にするのさえ憚られる。最近では家庭的な雰囲気といわれて喜ぶ女性はあまりいないかもしれない。けれど当時はそれが女性に対する最大の賛辞のひとつだったし、そういわれて気分を害する
清楚でエレガントな顔と、妖艶で激しい顔。前夜に見た顔とはまた別の顔をその日の彼女は見せてくれた。36年を経て、いま彼女の印象として最も強く残っているのはその3つ目の顔だ。 ただでさえ清楚さがカジュアルを纏うと無敵になる。前夜のエレガントさや妖艶さとの落差
彼女からはすぐに電話がきた。いや実際はその日の夕方だったのだけれど、アパートに帰るなり泥のように眠っていた僕にとっては中井駅で別れた直後にかかってきた印象だった。 現実と夢の境目が曖昧な10時間を僕はベッドの上で過ごしていた。前夜の激しい営みがそのまま続
我々は西武新宿駅から朝のラッシュの真逆を行くがら空きの各停に乗った。僕は中井で降り、彼女は野方まで乗る。 服を着て顔と髪を整えた彼女はもとの清楚で淑やかな女の子に戻っていた。電車で横に座った彼女には、ほんの2時間前にキスの嵐を僕に浴びせた激しい女の面影
どうあがいても叶いそうにない片思いは、フラストレーションであるのと同時に向上心を支えるエネルギーでもある。高嶺の花を目指す険しい山道を、その年の夏から秋にかけて僕はゆっくりと登っていた。夏にはアルバイトで大いに稼ぎ、ワードローブもすべて入れ替えた。 高
その頃の僕はといえば、実は春から恋焦がれていた相手がいた。半年ほど前に合コンで知り合った音大生で、女優の田中美佐子を彷彿させる黒髪の美女だ。完全な一方通行の恋だった。 彼女についてはその後の消息がわかっている。その名をググれば写真も出てくる。相変わらず