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後藤和弘のブログ https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。 反対のご意見やコメントも歓迎しま

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2014/10/30

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  • 「遂に小金井でも桜が本格的に咲き出しました」

    小金井のあちこちで遂に桜が本格的に咲き出しました。今日の陽気に誘われて小金井公園まで行って来ました。ところが小金井公園の中央広場の数十本のソメイヨシノだけは咲き出していません。あと4,5日はかかるようです。残念。今日撮ったサクラの花の写真をお送り致します。「遂に小金井でも桜が本格的に咲き出しました」

  • 「カトリック小金井教会の今日の復活祭のミサの風景」

    カトリック小金井教会の今日の復活祭のミサの風景の写真をお送り致します。「カトリック小金井教会の今日の復活祭のミサの風景」

  • 「教養としてのキリスト教、今日の復活祭の意味」

    キリスト教のことを知れば欧米人の考え方が分かると言います。文学や絵画彫刻や音楽がもっと味わい深くなるとも言います。ですから多くの日本人は教養としてキリスト教を身につけています。今年は3月31日の日曜日で復活祭です。キリスト教の復活祭です。そこで復活祭の意味やその重要性について簡単に書いてみたいと思います。簡単に書いてしまえば復活祭はキリストが十字架にかけられ処刑され、3日後に生き返ったことをお祝いするお祭りです。キリストが生まれた日はクリスマスとして日本でもお祝いの食卓を囲む人が多く、日本の重要な歳時記として定着しています。12月24日のクリスマスはヨーロッパの原始宗教の冬至祭を踏襲しました。その一方で復活祭は日本ではあまり有名ではなく、一部のクリスチャン関係者だけが祝っています。復活祭は春の到来を祝うお...「教養としてのキリスト教、今日の復活祭の意味」

  • 「今日の小金井公園の桜と菜の花などの写真」

    2,3本の桜がやっと咲き出しました。しかし中央広場にある数十本のソメイヨシノは全然咲いていません。その圧巻の風景はあと4,5日後になるようです。今日咲いていた桜と菜の花などの写真をお送り致します。「今日の小金井公園の桜と菜の花などの写真」

  • 「ドイツの冬の暗さ厳しい寒さの思い出」

    若い頃に住んだドイツが懐かしいです。時々ドイツの町の名前をテレビで見ると無性に懐かしく思います。シュツットガルト、ローテンブルグ、ニュルンベルク、バンベルク、ミュンヘン、ブルツブルグ、チュービンゲンなどなど。懐かしさのあまり体中の血がザワザワ騒ぎたてます。少しだけ喋れたドイツ語をテレビのニュースで聞くと、若いころ住んでいたドイツの空気が突然身を包みます。寒い空気です。暗い、暗い冬の日々が蘇ってきます。そうです。ドイツの冬は太陽が見えず、毎日、毎日、暗い、厚い雲が低く空を覆っているのです。零下10度以下の日々が何カ月も続くのです。この長い暗い冬がやっと終わる頃、復活祭が来て、クロッカスが咲き始めます。5月になってやっと木々に若葉がちらちら出始めます。さわやかな、さつきの風が頬をなでます。「麗しき五月」という...「ドイツの冬の暗さ厳しい寒さの思い出」

  • 「ドイツ留学で私の受けた影響」

    老境に至って自分の人生を振り返ると、自分が如何に軽薄な人間かとつくづく思います。日本人として確固たる見識も無いので、外国に住むと、その国が好きになってしまうのです34歳のときドイツに留学し、ドイツに魅了されてしまったのです。今日はドイツでどのような影響を受けたか二つほど書いてみます。ドイツでの生活は1969年夏のにローテンブルグでの3ケ月間のドイツ語研修から始まりました。そしてその後、シュツットガルト市にあるマックス・プランク金属研究所で1年間の研究生活をしました。シュツットガルト市に移るとすぐに家内と子供2人を呼びました。ドイツは気候も社会も若い頃留学したアメリカのオハイオ州とは全く違うのです。同じ欧米人なのにアメリカとドイツでは人々の考え方が驚くほど違うのです。「ヨーロッパの階級社会や伝統社会から逃れ...「ドイツ留学で私の受けた影響」

  • 「青雲の心ざしでドイツにも留学、そしてハプスブルグ家のこと」

    昨日は「青雲の志を抱いて郷関をいづる」という記事を書きました。私が青雲の志を抱いてオハイオ州立大学へ留学したのです。1960年の夏のことでした。何故か、「青雲の志」という言葉は私の心に長く住み着いてkン度はドイツに留学しました。ドイツには1969年の夏から1970年の秋まで一年4ケ月住んでいました。そして一番吃驚したことはヨーロッパは国々や地域によって文化の非常に違うということでした。日本から眺めると西洋文化という一つの文化があるように見えますが、住んでみると国々や地域によってそれぞれ歴史や文化が非常に違うのです。ドイツも北では「こんにちは」はグーテンターグと言いますが、私共が住んでいた南ドイツではグリュースゴットと言います。言葉だけでなく考え方が違うのです。シュツットガルトでアパートを探しましたらシュバ...「青雲の心ざしでドイツにも留学、そしてハプスブルグ家のこと」

  • 「青雲の志を抱いて郷関をいづる」

    戦後の貧しさが漂っていた頃の仙台の思い出です。主な道路の中央しか舗装されていず、風の日は砂ぼこりが舞っていました。私はその砂埃りの道を自転車で高校に通っていました。その高校は旧制の中学校がそのまま高校なった学校です。旧制中学のドイツ語や漢文の先生が熱心に教えていました。特に漢文の先生は情熱的にいろいろな漢詩を朗読しながら教えてくれたのです。何度も青雲の志を抱いて郷関をいづるという文を教えていたのです。若い私はその教えを文字どおり信じ、人生の道しるべにしました。この「青雲の志」は唐時代の張九齢の次の漢詩の中に出てきます。若い頃の青雲の志を懐かしんでいる漢詩です。この教えに従って私は仙台を飛び出してオハイオ州に留学しました。私が青雲の志を抱いてオハイオ州立大学へ行ったのは1960年の夏のことでした。私は故郷、...「青雲の志を抱いて郷関をいづる」

  • 「いろいろな椿の花」

    いろいろな椿の花の写真をお送り致します。椿の花は庭にも咲いている身近かな花です。でも美しい花です。いろいろな椿の花の写真をお送り致します。出典は、https://ameblo.jp/junko-i1021/entry-12845967821.htmlです。「いろいろな椿の花」

  • 「人生で一番感動した若い頃のアメリカ留学」

    幸運にも老境まで健康に生きてきました。長い人生には嬉しいこと、悲しいこと、苦しいことなどいろいろありました。しかし我が人生で一番感動したことは若い頃のアメリカ留学でした。今日は私のアメリカ留学のことを書きたいと思います。私はフルブライト留学生として1960年から1962年まで、オハイオ州立大学の金属工学科に留学しました。初めての外国体験でした。その時アメリカ人はいつも私を励ましてくれ、好意溢れる支援を惜しみなく与えてくれたのです。今でも感謝しています。例えば博士過程で実験装置を作ったときのことを思い出します。その装置の完成には大学に付属した機械工場のニールさんという職人がひどく親切に協力してくれたのです。1番目の写真はオハイオ州立大学のロードホールという建物ですが、その一階の右の部屋にその実験装置を作りま...「人生で一番感動した若い頃のアメリカ留学」

  • 「今日の武蔵野公園の風景」

    今日の武蔵野公園の風景です。今日は一日晴天です。午後から散歩しながら武蔵野公園の写真を撮って来ました。「今日の武蔵野公園の風景」

  • 「八王子、都立小宮公園の花畑」

    小宮公園へは何度も行きました。雑木林の中の道の散策と、その上にある花畑が楽しい公園です。丘陵の頂上の管理棟の展示も面白いのです。雑木林を登りきると頂上のまで行けます。そこは意外にも平地が広がっていて、花畑や子供の遊び場や管理棟があります。花畑には秋にはコスモスがもう咲いています。一本のユーカリの木があり、緑に繁る葉が風に揺れていましす。(上から2枚目の写真)。そんな都立小宮公園の花畑の写真をお送りいたします。「八王子、都立小宮公園の花畑」

  • 「埼玉県、東松山の国営武蔵丘陵森林公園の素晴らしさ」

    なだらかに連なる丘陵の上を雑木林が深々と覆っています。紅葉した樹木が晩秋の陽に輝いています。丘陵の中の道は奥深く、人家が見えず、何処までも続いています。国が作った自転車道路だけが森の中を通っているだけです。子供のためのブランコや遊具が一切ないので静かな公園です。大きなレストランだけが木々に隠れてあります。貸自転車が沢山あります。ある時、家内と一緒に2時間ほど森林の中をひたすら走って来ました。上り下りがあちこちにあって気を抜く暇も無くペダルを漕がないといけないのです。老人にはきついと思いながら周りをみると、若い子供連の家族が自転車を漕いでいます。高齢者は自転車道路でなく森の中の散策道路を歩いています。森林公園という名に恥じない立派な森が濃密に丘陵を覆っています。公園のテーマ通り武蔵野の手つかずの自然林が広が...「埼玉県、東松山の国営武蔵丘陵森林公園の素晴らしさ」

  • 「都立水元公園のバードサンクチュアリにて」

    数年前6月のある日、10時に家を出発しました。東京外環道路の西端の大泉から入り東端の南三郷を出て都立水元公園へ行きました。1時間30分のドライブでした。この季節はゴイサギやシラサギやカワウがバードサンクチュアリに集まる季節です。水辺の新緑が美しかったです。駐車場からバードサンクチュアリまでの往復3・0Kmくらい歩きました。家内が撮った写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。「都立水元公園のバードサンクチュアリにて」

  • 冬の風物詩、シベリアから飛来する白鳥の写真をお楽しみ下さい

    冬の風物詩の一つにシベリアから飛来する美しい白鳥の姿があります。全国の湖や川に飛来しますが今日は群馬県の館林市の「多々良沼」の白鳥の写真をお送りいたします。写真の出典は、https://www.tatebayashi-matome.info/entry/tatarahakuchoです。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。冬の風物詩、シベリアから飛来する白鳥の写真をお楽しみ下さい

  • 「春に野山に咲く一人静、紫華鬘、十二単、野菊の花々」

    もうすぐ4月になります。春爛漫の4月です。すると野山も春の草花が満開になります。そんな草花の中から、比較的珍しく美しい野草を四種類紹介します。写真の出典は、森林インストラクターの駄賀恒男さんのブログ、http://0845.boo.jp/shimanami/archives/188です。1番目の写真は一人静です。2番目の写真は紫華鬘です。3番目の写真は十二単です。4番目の写真は野菊です。「春に野山に咲く一人静、紫華鬘、十二単、野菊の花々」

  • 「聖イグナチオ教会の今日の 『受難の主日ミサ』の風景の写真」

    今日の『受難の主日(枝の主日)ミサ』はインターネットであずかりました。今日のミサは枝の主日のミサなので、教会の外で棕櫚の枝を手に持って行列を作って教会へ入るところからミサが始まります。そんな『受難の主日ミサ』の風景の写真をお送り致します。聖イグナチオ教会のミサ風景です。「聖イグナチオ教会の今日の『受難の主日ミサ』の風景の写真」

  • 「聖イグナチオ教会の今日の 『受難の主日ミサ』の動画配信」

    聖イグナチオ教会の10AM『受難の主日(枝の主日)ミサ』の動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=NFXah25vvcsです。写真で示した「聖イグナチオ教会」のこと:イエズス会の創立者であったイグナチオ・デ・ロヨラの名から命名された「聖イグナチオ教会」では、日曜にミサが執り行われ、さまざまな国の人たちが集まります。現在の聖堂は、1999年(平成11年)に建設されました。正式には「カトリック麹町教会」といいます。戦後いち早く新たな教会として聖イグナチオ教会の建設が計画され、1949年(昭和24年)に現在の場所に竣工しました。聖堂の中心には、イエスと弟子たちが囲んだ「最後の晩餐」の食卓である祭壇が置かれ、聖堂を囲む12本の柱はキリストの教会を支える12人の使徒たちを表してい...「聖イグナチオ教会の今日の『受難の主日ミサ』の動画配信」

  • 「江戸時代や明治時代の雰囲気が漂う小石川植物園」

    四季の流れに従って公園や植物園では季節の花が咲き、樹木が美しいたたずまいを見せてくれます。そんな風景が好きで暇さえあれば公園や植物園をめぐり歩いてきました。小金井公園、武蔵野公園、野川公園、小宮公園、光が丘公園、善福寺池公園、石神井公園、昭和記念公園、神代植物公園、郷土の森博物館公園、上野公園、新宿御苑、そして広大な水元公園などなど随分といろいろな公園を散策しました。そしてその都度花々や樹木の写真を撮ってネットの上でご紹介してきました。写真を少しだけトリミングしたり説明文を書いているとそれぞれの公園の楽しさがよみがえって来て再度楽しめるのです。ところで少し趣の変わった小石川植物園をご紹介したいと思います。江戸時代や明治時代の雰囲気が残っている地味で静かな植物園です。明治維新の後で明治政府は、江戸幕府の薬草...「江戸時代や明治時代の雰囲気が漂う小石川植物園」

  • 「東京で唯一の小平市にある薬用植物園」

    この植物園には珍しい植物や危ない植物なども展示されているのです。以前に何度も訪れた薬用植物園です。花々の写真お送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「東京で唯一の小平市にある薬用植物園」

  • 「縦社会の崩壊は日本の社会を激しく変えた」

    一つの国の社会風潮が変わるのには色々な原因が重なりあっているのが普通です。今日は1990年頃の日本の縦社会の崩壊が社会を激しく変えたことを書いてみたいと思います。それは日本の社会の大きな変化の一つでした。日本の縦社会が崩壊し、横社会になったのです。「縦社会」と「横社会」の概念は文化人類学者の中根ちえ女史が言い出した概念です。この日本の縦社会が1990年の前後に起きたバブル経済の崩壊によって急激に崩壊してしまったのです。当時、サラリーマンをしていた人々は縦社会の崩壊を強く実感した筈です。それまでは大会社が数多くの子会社を傘下に従え君臨していたのです。大会社の命令は絶対的で子会社は親会社の指示通りに動いていたのです。大会社の人が飲食店や酒場に行くと非常に大切にされ、子会社の人々はそうではなかったのです。東京の...「縦社会の崩壊は日本の社会を激しく変えた」

  • 「今日の武蔵野公園の風景」

    今日の武蔵野公園の風景の写真をお送り致します。午後から散歩しながら風景写真を撮って来ました。「今日の武蔵野公園の風景」

  • 「何故か郷愁を誘う農家の写真」

    戦前に生まれた私は少年の頃に藁ぶきの農家をたくさん見した。疎開先の農家も藁ぶき屋根でした。それで藁ぶきの農家を見ると郷愁で胸があつくなります。それにしても藁ぶきの農家は少なくなりました。時代の流れです。嗚呼。はじめの2枚の写真は小金井公園で昨日、私が撮りました。あとの写真はインターネットからお借りしました。「何故か郷愁を誘う農家の写真」

  • 「小金井公園の今日の花々」

    小金井公園の今日の花々の写真をお送り致します。今日は晴天ですが冷たい風が吹いていて寒い日です。午後から小金井公園の花々の写真を撮りに行ました「小金井公園の今日の花々」

  • 「私の小屋がある山梨県の北杜市の風景」

    私の小屋がある山梨県の北杜市の風景写真をお送り致します。1番目の写真は北杜市の真原地区の桜並木です。後ろは甲斐駒岳です。2番目の写真は甲斐駒岳の近景です。私の小ははこの甲斐駒岳の麓にあります。3番目の写真は北杜市の稲作地域です。4番目の写真は北杜市の清里の駅前通りです。写真はインターネットからお借りしました。「私の小屋がある山梨県の北杜市の風景」

  • 「夢と現実は違う!、田舎暮らしの厳しい現実」

    人間はいろいろな夢を持ちます。理想を夢みます。楽しい憧れも持ちます。それはそれで良いことですが現実は厳しいものです。夢と現実は違います。今日は一つの例として田舎暮らしへの憧れについて書きたいと思います。都会に住んでいる多くの人は何となく田舎暮らしに憧れています。しかし憧れているだけなら良いのですが、その現実は非常に厳しいものです。私も憧れて、50年ほど前に山梨県、北杜市の甲斐駒岳山麓の森の中に小さな小屋を作りました。本格的に移住するつもりは無く、週末に時々一泊か二泊だけして帰って来ます。80歳過ぎてからは山小屋に泊まるのは厳し過ぎるように感じて、近くのホテルや温泉旅館に泊まりました。その場所は四季折々自然の景観が素晴らしいのです。空気も新鮮で鹿や猿も棲んでいます。その場所の風景写真を3枚お送り致します。1...「夢と現実は違う!、田舎暮らしの厳しい現実」

  • 「雪の白樺林の風景」

    白樺林の風景は私の若い頃から憧れの風景でした。山林の中の私の小屋の付近にも白樺林があります。白樺林の風景を見ると何故かロマンチックな気分になります。そんな風景写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「雪の白樺林の風景」

  • 「槍ヶ岳を仰ぎ見る北アルプスの表銀座コース」

    北アルプスの表銀座コースは中房温泉ー燕岳-大天井ー槍ヶ岳です。私は槍の後に南岳ー大キレッー北穂ー涸沢-そして上高地に下りて来ました。1959年の23歳の時でした。その表銀座コースから見た槍ヶ岳と燕岳と夕暮れの写真をお送り致します。1番目の写真は表銀座コースから見た槍ヶ岳です。2番目の写真は槍ヶ岳の近景です。3番目の写真は燕岳です。4番目の写真は表銀座コースから見た夕暮れの写真です。写真の出典は、https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1147です。「槍ヶ岳を仰ぎ見る北アルプスの表銀座コース」

  • 「甲府の近所の桃の花の写真」

    全国一の生産量を誇る”桃”の産地は山梨にあります。桃源郷と呼ばれ一面ピンクに染まります。食べるだけでなく花を見て楽しむ桃畑です。写真はインターネットからお借りしました。https://www.yamanashi-kankou.jp/special/osusume_momonohana.html「甲府の近所の桃の花の写真」

  • 「美しい里の秋の風景」

    美しい里の秋の風景の写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「美しい里の秋の風景」

  • 「神津島の風景です」

    私は2006年に神津島へ旅をしました。懐かしいです。写真はインターネットからお借りしました。「神津島の風景です」

  • 「伊豆七島のは大島、利島、新島、三宅島、御蔵島の風景写真」

    伊豆七島とは大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島の七島のこです。興味大島、利島、新島、三宅島、御蔵島の写真を順々にお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。1番目の写真は大島です。2番目の写真は利島です。3番目の写真は新島です。4番目の写真は三宅島です。5番目の写真は御蔵島です。「伊豆七島のは大島、利島、新島、三宅島、御蔵島の風景写真」

  • 「春のオランダのチューリップ畑の風景」

    「春のオランダのチューリップ畑の風景」オランダと言えばチューリップ、と言えるほど国の代表となっているチューリップの花です。春の3月~5月にかけてシーズンを迎え色とりどりの美しいチューリップが咲き誇ります。そんなオランダの春のチューリップ畑の風景をお送り致します。写真の出典は、https://www.his-j.com/tabi/michikusa/flower/tulip.htmlなどです。「春のオランダのチューリップ畑の風景」

  • 「春のオランダのチューリップ畑の風景」

    オランダと言えばチューリップ、と言えるほど国の代表となっているチューリップの花です。春の3月~5月にかけてシーズンを迎え色とりどりの美しいチューリップが咲き誇ります。そんなオランダの春のチューリップ畑の風景をお送り致します。写真の出典は、https://do-cca.com/2019/04/13/11497/です。「春のオランダのチューリップ畑の風景」

  • 「5000年前の人類最古の楔形文字」

    人類がはじめての文字は中近東の楔形文字でした。やく5000年前の文字です。最古の漢字は3300年前の中国の「殷王朝」の甲骨文字です。ですから中近東の楔形文字は漢字より約2000年も古いのです。驚きです。そこで楔形文字のことを以下にご紹介致します。次の文献の要約です。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%A5%94%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%AD%97)古代ペルシア楔形文字は、古代ペルシア語を記すためにアケメネス朝で使用された文字です。紀元前6世紀から紀元前4世紀までの碑文が幾つかあります。古代ペルシア楔形文字の筆画はきわめて単純で、横棒・縦棒・「く」の...「5000年前の人類最古の楔形文字」

  • 「日本語のっ書き方の発達の歴史、万葉仮名、ひらがな、カタカナ」

    万葉仮名(まんようがな)は、主として上代に日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた文字のことです。『萬葉集』での和歌の表記に用いられたのでた万葉仮名といいます。「波奈」(花)、「也麻」(山)のように、漢字をその字義にかかわらず日本語の音節の表記のために用いるのが万葉仮名の特徴です。『古事記』や『日本書紀』は漢文主体だが、歌謡や訓注などに同様の表記が用いられており、これも万葉仮名と呼びます。平安時代に入っても「新撰万葉集」(893年、913年)では万葉仮名が用いられていました。しかし、やがて平仮名・片仮名が万葉仮名に代って広く用いられるようになったのです。平仮名は万葉仮名の草書体化が進められ、独立した字体と化したものです。一方、片仮名は万葉仮名の一部ないし全部を用い、音を表す訓点・記号として生まれ...「日本語のっ書き方の発達の歴史、万葉仮名、ひらがな、カタカナ」

  • 「今日のユキヤナギとツバキの花の写真」

    ユキヤナギのそばにレンッギョウがたくさん咲くはxずですが今年はまだ咲いていません。今日はユキヤナギとツバキの花の写真をお送り致します。「今日のユキヤナギとツバキの花の写真」

  • 「今日も雑木林の写真を撮って来ました」

    小金井市には北と南の郊外に雑木林があります。昨日は北の雑木林の写真をお送り致しました。今日は南の雑木林の写真をお送り致します。「今日も雑木林の写真を撮って来ました」

  • 「函館トラピスチヌ修道院」

    函館トラピスチヌ修道院の写真をお送り致します。日本初の女子観想修道院として1898(明治31)年に創立された「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」。函館山と中心市街地を挟んで対面する高台に、ひっそりとたたずんでいます。煉瓦の外壁、半円アーチの窓などゴシックとロマネスクの混在するデザインが印象的です。修道女らは祈り、労働、聖なる読書を日課の3本柱に共同生活を送っています。祈りは3時半の起床から、19時45分の就寝までに7回。毎年12月24日・25日の「クリスマス・ご降誕のミサ」、3月末~4月初めの「復活徹夜祭」、8月15日の終戦記念日の「平和の祈りの集い」には、一般参加者の募集があり、聖堂に招かれて臨席することができます。「函館トラピスチヌ修道院」

  • 「カトリック関口教会の四旬節第5主日のミサの風景」

    第5主日のミサの風景の写真をお送り致します。「カトリック関口教会の四旬節第5主日のミサの風景」

  • 「美しい北海道の雪の雑木林の風景」

    美しい北海道の雪の雑木林の風景写真をお送り致します。写真はインターネットの「北海道の雪の雑木林の風景」の写真からお借りしました。「美しい北海道の雪の雑木林の風景」

  • 「無宗教も仏教も神道も、そしてキリスト教も良い!」

    今日は日曜日です。毎週、日曜日には宗教に関する簡単な記事を書いています。私は宗教が好きです。しかし狂信的にはならないようにしています。無宗教も良い、仏教も神道も良い、そしてキリスト教も良い。イスラム教も良い。これが私の本音です。日本には科学的、合理的に考える人が多いので無宗教の人が半数以上いるようです。しかし人々は優しく、清潔で、住みやすい国です。ですから私は無宗教でも良いと思っています。仏教も良いものです。特に鎌倉時代以後に出来た禅宗系の宗派が好きです。祖父が曹洞宗のお寺の住職をしていたので、幼少のころから観音経や般若心経を唱えていました。本堂の祭壇の裏ではよく遊んだものです。神道もなじみ深いものです。当時住んでいた仙台市の山の上の愛宕神社へは元朝参りによく行きました。そして広と々した境内は子供の頃の遊...「無宗教も仏教も神道も、そしてキリスト教も良い!」

  • 「カトリック関口教会の四旬節第5主日のミサの動画配信」

    今日のカトリック関口教会の四旬節第5主日ミサの動画配信です。四旬節第5主日ミサ、https://www.youtube.com/watch?v=S5p3VTYjhjAカトリック東京カテドラル関口教会主任司祭:天本昭好関口教会は1900年に正式に小教区として設立されました。1918年に大司教館が移転し、1920年に築地教会から関口教会に東京の司教座聖堂(カテドラル)が変更となり現在に至ります。戦後、ドイツ・ケルン教区の多大な支援により1964年12月8日には、丹下健三氏の設計による東京カテドラル聖マリア大聖堂が献堂されました。「カトリック関口教会の四旬節第5主日のミサの動画配信」

  • 「武蔵野の雑木林の写真を撮りに行く」

    小金井公園の端には昔の武蔵野の雑木林ような林が残っています。午後から散歩しながら写真を撮って来ました。「武蔵野の雑木林の写真を撮りに行く」

  • 「雑木林に囲まれた私の小屋の風景」

    人生の中で私は自慢出来るたった一つのことがあります。それは山梨県の甲斐駒岳の麓の山林の中に小屋を持っていることです。1974年に作ってから50年間も通っています。春夏秋冬、その小屋の周囲の自然を眺め自然に魅了されてきたのです。特に2016年には11月の紅葉の美しい時に行きました。周囲の雑木林が晩秋の色になっていました。そんな雑木林に囲まれた私の小屋の写真を示します。「雑木林に囲まれた私の小屋の風景」

  • 「雑木林が大好きな私の一生」

    若い頃から何故か雑木林が大好きでした。美しい雑木林の風景を探して武蔵野や富士山の麓を歩きまわりました。そして甲斐駒岳のふもとの雑木林の中に山小屋を建てました。それは1974年でした。それ以来小屋の周囲の雑木論の風景を楽しんできました。四季折々の風景を楽しんできました。雑木林は私の一生を心豊かにしてくれたのです。今日は思い出の雑木林の写真をお送り致します。1番目の写真は雪の雑木林の風景です。出典は、https://www.totoro.or.jp/shiki/winter_2012.htmlです。2番目の写真はよく行った山中湖の湖岸とその上の雑木林の風景です。3番目の写真は山中湖の周囲の雑木林です。湖畔に喫茶店画ありコーヒーを飲みながら雑木林を眺めました。富士山もよく見えたところです。4番目の写真はよく昼ご...「雑木林が大好きな私の一生」

  • 「今日の小金井公園の花の風景」

    菜の花の他にこんな花々も咲いていました。「今日の小金井公園の花の風景」

  • 「菜の花の写真」

    菜の花の写真をお送り致します。先ほど小金井公園で撮って来ました。「菜の花の写真」

  • 「いろいろな色のチューリップの花の写真」

    光の春です。まだ寒いですが温室には花が咲いています。そんないろいろなチューリップの花の写真をお送り致します。「いろいろな色のチューリップの花の写真」

  • 「老境でも衰えぬ妻の好奇心に驚く」

    昨日、「近所にある不思議な巨大な建物」という記事を掲載しました。そうしたら妻の好奇心を刺激したらしく自分でわざわざ行って写真を撮って来ました。好奇心があるのは人間の精神が若い証拠です。妻の精神が若く、そして行動力があることに驚きました。昨日妻が撮って来ました写真をあらためて示します。この東京学芸大学の巨大な建物、Explaygroundは結局何に使うのかまったく不明です。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)「老境でも衰えぬ妻の好奇心に驚く」

  • 「今日の武蔵野公園の風景写真」

    今日の武蔵野公園の風景写真です。中村研一記念館に隣接して武蔵野公園が広がっています。武蔵野公園の風景写真をお送り致します。「今日の武蔵野公園の風景写真」

  • 中村研一画伯の特別展、「中村研一の往還」のご案内

    中村研一画伯の特別展、「中村研一の往還」のご案内です。東京美術学校以降、中村研一がずっとアトリエとしていた家は明治神宮近くにありました。パリでの修行と戦災を経て小金井市の「はけの森」に移り住み1967年に亡くなるまで小金井に22年間住んでおました。特別展、「中村研一の往還」会期:2024年3月24日(日)~5月12日(日)開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)休館日:月曜日観覧料:一般200円、小中学生100円詳しくは、https://www.hakenomori-art-museum.jp/exhibitionをご覧下さい。写真は会場になる中村研一記念館で、今日私が撮った写真です。中村研一画伯の特別展、「中村研一の往還」のご案内

  • 「昔の蒸気機関車、特急つばね、阪急電車、能勢電車の懐かしい写真」

    現在より約75年前の写真です。今日は昔の蒸気機関車、特急つばめ、阪急電車、能勢電車の懐かしい写真をお送り致します。80歳以上の方々は懐かしくご覧なさると存じます。写真はインターネットの昔の鉄道の写真からお借りしました。1番目の写真は昔全国を走っていた蒸気機関車です。現在より約75年前の日本では電化された長距離の路線は東海道線だけでした。蒸気機関車の欠点は煤煙が凄いことです。客車に冷房装置が皆無なので全ての窓を開けています。煤煙が情け容赦無く客車に入り充満します。汽車の旅は煤煙との戦いでした。2番目の写真は煤煙が後ろの方へ流れて行く様子を示す写真です。3番目の写真は昔の特急つばめ号です。電化された長距の東海道線で活躍しました。4番目の写真もつばめ号です。東京駅でつばめ号に乗ると煤煙が無いのでホットしました。...「昔の蒸気機関車、特急つばね、阪急電車、能勢電車の懐かしい写真」

  • 「近所にある不思議な巨大な建物」

    東京学芸大学は出入り自由なので時々散歩に行きます。するとキャンパスに不思議な巨大な建物があります。気になっ調べてみたらEXPG棟という名前の東8号館でした。Explaygroundの建物でした。結局何に使うのかまったく不明です。近所の子供たちが時々遊びまわっています。幅約23m、奥行き約13m、天井平均高さ約3.3m(最高軒高約6.5m)。エクスプレイグラウンドと東京学芸大学が協働で進める、新しい教育プログラムを実践するためのデジタルファブリケーション工房として、かつてない建築が誕生したのです。まあ、建築家の遊びです。詳しくは下記をご覧下さい。https://www.japan-architects.com/ja/architecture-news/jiao-yu-shi-she/vuild-manabu...「近所にある不思議な巨大な建物」

  • 「このような絵画も面白い」

    絵画はあまりオーソドックスだと飽きます。そこで大谷太郎さんの作品をお送り致します。大谷太郎さんは1979年、神奈川生まれです。そして2004年にドイツ国立カールスルーエ造形芸術アカデミーを卒業しました。2006よりベルリンで制作活動を始めました。2013より神奈川在住です。1番目の写真は「ゴールドタウン」です。キャンバスに油彩,W:450xH:380xD:10mm2番目の写真は「THEOPENWINDOW」です。油彩x木製パネル,W:720xH:500mm3番目の写真は「雪のまち」です。木製パネルに油彩,W:450xH:380mm4番目の写真は「お月見」です。キャンバスボードに油彩,W:410xH:310mm「このような絵画も面白い」

  • 「ジプシーの写真の追加」

    ジプシーの写真の追加です。写真は「ジプシーの写真」を検索してインターネットからお借りしました。「ジプシーの写真の追加」

  • 「ジプシー民族の芸のロマンと犯罪」

    この欄では最近、「アジアの少数民族、私の少数民族への温かい気持」や「写真で見る絶滅寸前のヨーロッパの少数民族」という記事を書きました。今日はインド発祥のジプシー民族のことを書いてみたいと思います。さてジプシーの文化、特に音楽などは非常に高く評価されています。スペインでは彼らのダンスからフラメンコが生まれました。大サーカスのうち幾つかのサーカス団はジプシーが経営者です。また、戦前戦後流行ったジャズ・マヌーシュで今でも人気があるギタリスト、ジャンゴ・レナルト(Reinhart)や、ピアニストのジョルジュ・シフラがそのジプシーです。ジプシーの芸は広くヨーロッパの人々に愛されているのです。彼等の音楽をお送り致します。ジャズ・マヌーシュ、https://www.youtube.com/watch?v=KJqN0n5...「ジプシー民族の芸のロマンと犯罪」

  • 「北京から来た周栄章さんと訪れた熱海梅林の写真」

    10年以上前に周栄章さんと家内の3人で訪れた懐かしい熱海梅林の写真です。彼は数年前に旅立ました。人は年年歳歳変わりますが熱海梅林は変わりません。寫眞の出典は、https://www.city.atami.lg.jp/.../100.../1003692/1003693.htmlです。「北京から来た周栄章さんと訪れた熱海梅林の写真」

  • 「アフリカ の民族とマサイ族の写真」

    アフリカの民族とマサイ族の写真をお送り致します。アフリカの民族の一覧の一例です。ヌバ族アンコレ族トゥンブカ族グロ族...アングロアフリカンイラク族ヌエル族アルシャ族...レンディーレ族イッサ族ムーア人...ゴンベ族アムハラ人ドゥル族...アンガス族コファ族バントゥー系民族...イガラ族トングェ族クナマ族...ガモ人ショナ人ドゴン族...ネグリロンゴニ族キッシ族、その他の多数の民族。一例のマサイ族の生活、垂直ジャンプを繰り返す独特の踊り文化で有名であり、民族のアイデンティティとして知られる。村で一番高く跳べる男性が、村で一番綺麗な女性をめとることができると言われる。マサイ族はケニア南部からタンザニアの北部一帯の先住民で、元々は牛・羊・ヤギなどの家畜の遊牧をしながら暮らす遊牧民でした。しかし、現在は都市に移動...「アフリカの民族とマサイ族の写真」

  • 「人類の文化を豊かにする少数民族」

    昔、私が少年の頃アイヌ人の友人がいました。近所には朝鮮の一家が住んでいて、その家に何度も遊びに行きました。そんな影響で私はる少数民族に暖かい気持ちを持っています。そんなことを思い出しながら今日は少数民族のことを書いてみたいと思います。かつて北米大陸と南米大陸などにいろいろな原住民が住んでいました。彼等は少数民族として、独特な民族文化を持っていました。日本でも北海道にアイヌ民族もいました。共産党独裁の中国には53もの小数民族が住んでいます。中国政府は彼等を保護するためにそれぞれの自治県を設定しています。しかし世界の少数民族の運命は絶滅しそうです。ここで幾つかの少数民族をご紹介いたします。まず中国やベトナムの山地に住むミャオ族の写真です。ミャオ族は総数、1100万人位です。1番目の写真はミャオ族の伝統衣装を着...「人類の文化を豊かにする少数民族」

  • 「何故か私は広々とした草原が大好きです」

    こんな広々とした草原が東京都にあるのは奇蹟のようです。近所にあるのです。今日も行きのんびりと風景を眺めて来ました。光は春ですが冷たい風が吹いていました。「何故か私は広々とした草原が大好きです」

  • 「今日のカトリック関口教会の四旬節第4主日のミサの風景写真」

    今日はカトリック関口教会の四旬節第4主日のミサにインターネットを通じてあずかりました。ミサの風景写真をお送り致します。「今日のカトリック関口教会の四旬節第4主日のミサの風景写真」

  • 「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真」

    広島のカトリック幟町教会の今日のミサです。今日はカトリック幟町教会のミサにインターネットであずかりました。ミサの写真をお送り致します。「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真」

  • 「大き樹々と会話を楽しんで来ました」

    今日も大き樹々と会話を楽しんで来ました。大き樹々と会話を楽しむのが私の趣味です。今日もそんな趣味を楽しんで来ました。閑話休題。「大き樹々と会話を楽しんで来ました」

  • 「春の風物詩、瀬戸内海のイカナゴの釘煮の思い出」

    春の風物詩は桃の節句の雛祭り、花見、復活祭、入学式などいろいろありますが地方、地方にも特別なものがあります。今日はの風物詩の一つとして瀬戸内海のイカナゴ漁をご紹介したいと思います。イカナゴの釘煮の思い出を書きたいと思います。我が人生の小さなエピソードです。数年前にイカナゴの釘煮をはるばる送ってくださった方がいました。東京に居ながらにして春の陽に輝く瀬戸内の海の風景が眼前に広がるのです。友人の鈴木裕さんの母上が精魂込めて煮たものを送って下さいました。山椒入りのものとショウガ入りのものと2種類がハランの葉で分けてパックに丁寧に詰めてあります。解禁早々のまだ幼魚の高級なイカナゴのクギ煮です。3月になると須磨にお住いの鈴木裕さんが送ってくれたのです。これを食べると、「ああ、今年も春が来た」という温かい気持ちになり...「春の風物詩、瀬戸内海のイカナゴの釘煮の思い出」

  • 「茫々たる武蔵野の風景です」

    午後から散歩しながら風景写真を撮って来ました。「茫々たる武蔵野の風景です」

  • 「美しい瑠璃光寺の五重塔」

    美しい瑠璃光寺の五重塔の写真をお送り致します。山口市香山町にある曹洞宗の瑠璃光寺には国宝の五重塔があります。室町時代、嘉吉2年(1442年)頃の建立されました。五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐と奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%A0%E7%92%83%E5%85%89%E5%AF%BA「美しい瑠璃光寺の五重塔」

  • 「日本でもつまらない仏教画が溢れている」

    日本でもつまらない仏教画や仏像が溢れているのです。日本の仏教画を検索していろいろ調べてみました。そうしたら日本でもつまらない仏教画が溢れているのです。しかし少し感動的な絵画や仏像の写真をお送りいたします。1番目の写真は国宝の三十三間堂です。各像は、頭上に十一の顔をつけ、両脇に四十手をもつ通形で、中尊同様の造像法で作られています。2番目の写真はhttps://www.sanjusangendo.jp/sta2ば2番目の写真は掛軸【上野光明】雲上観音です。https://aucview.aucfan.com/yahoo/1040122886/3番目の写真は「初心者でも分かる仏画の描き方~」です。-奥田みきhttps://mikisya.com/hbutuga1/4番目の写真は弥勒菩薩像半跏思惟像です。http...「日本でもつまらない仏教画が溢れている」

  • 「つまらない宗教画が溢れているヨーロッパ諸国」

    以前ヨーロッパ諸国へ何度か行きました。仕事で行ったのですが週末は暇です。美術館にでも行くかと思い訪ねてみました。するとつまらない宗教画が溢れているのです。何故つまらないかというと宗教と美術は別物なのに無理して一緒にしているからです。私はカトリックの信者ですが下手な宗教画に辟易しています。出来の悪い絵画に辟易しいます。を一般的に宗教画は芸術的でなく、そに上に描かれているもののキリスト教的意味が分からないと全く面白くないのです。しかし宗教画はヨーロッパ文化にとって非常に重要な分野なのです。ですからこそ美術館に宗教画が満ち溢れているのです。これこそヨーロッパ文化の重要な分野なのです。そこで今日はヨーロパ諸美術館に宗教画が満ち溢れている宗教画をご紹介したいと思います。まず出来の良い宗教画を選んで5点お送りします。...「つまらない宗教画が溢れているヨーロッパ諸国」

  • 「今日の小金井公園の花々の写真」

    今日の小金井公園の花々の写真です。今日は晴天ですが風のつめたい日でした。しかし小金井公園の花々の写真を撮りに行きました。「今日の小金井公園の花々の写真」

  • 「ツルゲーネフとドストエフスキーの世界」

    イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフは1818年11月9日生まれ1883年9月3日に没した。ロシア中部オリョールに、地主貴族の家庭の次男であった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%84%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%95#%E8%84%9A%E6%B3%A815歳でモスクワ大学教育学部に入学する。1838年から1841年までベルリン大学で哲学や古典語を学ぶ。1843年、叙事詩『パラーシャ』を発表。その年、夫と子のあるオペラ歌手、ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドに一目惚れし、彼女を追ってパリに移り住んだ。それ以後、西欧とロシアを往復する生活が...「ツルゲーネフとドストエフスキーの世界」

  • 「日本人を愛したニコライ、そしてレーピンと チ ャイコフスキーを思い出す」

    この度のロシア軍のウクライナへのミサイル攻撃と東部の占領でロシアは世界中の非難を浴び孤立無援です。その結果、ロシア人は全て悪という風潮です。しかしこれは間違った軽薄な社会風潮です。ロシアの権力者と一般のロシア人個人は別の存在です。違う性格を持っている人々なのです。今日は良いロシア人として日本に在住したニコライをご紹介します。そして画家のレーピンと作曲家のチャイコフスキーも紹介したいと思います。さてニコライとは神田にニコライ堂を建てたロシア人、ニコライ・カサートキンのことです。彼は終生日本人を愛したのです。ニコライは1836年にロシアのある農村で生まれ、明治維新の7年前の1860年、24歳の時日本へキリスト教の宣教のために行く決心をします。翌年、函館に着いてから終生日本に居ました。日本に着いた1861年はま...「日本人を愛したニコライ、そしてレーピンとチャイコフスキーを思い出す」

  • 「懐かしの蒸気機関車を見られる東京都近郊のスポット」

    懐かしの蒸気機関車を見られる東京都近郊のスポットは青梅鉄道公園、山北鉄道公園、小金井公園、秩父鉄道など。詳しくは、https://weekle.jp/blog/tokyo_train/をご覧下さい。「懐かしの蒸気機関車を見られる東京都近郊のスポット」

  • 「春の陽射す鎌倉の海の写真」

    数年前のある春の日に鎌倉に遊びに行きました。北鎌倉駅まで行って名物の豊島屋の鳩サブレー、光泉の稲荷ずしを買いました。鎌倉の中心街は車の渋滞で行けませんので、山の上を迂回して長谷寺の脇から海岸通りへやっと出ることが出来ました。鎌倉海岸の由比ヶ浜と逗子の新宿湾の海岸沿い走りました。帰りは逗子ICから横横自動車道路に乗り、帰って来ました。春の陽射す鎌倉の海の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。「春の陽射す鎌倉の海の写真」

  • 「東海道線の特急「つばめ」号と汽車の旅の思い出」

    昔の私の家は仙台にありました。父の実家は兵庫県の内馬場という田舎のお寺でした。毎年夏になると一家で仙台から兵庫県の内馬場まで旅をしました。長い汽車の旅でした。まず仙台から蒸気機関車が引く列車の乗り上野駅まで8時間の旅です。夏ですから列車の窓を開けています。煤煙が車内に入り目に沁みます。目が痛くなります。1番目の写真は東北本線の仙台から蒸気機関車が引く列車の写真です。写真はインターネットからお借りしました。蒸気機関車の煤煙のすごさがが分かる写真です。東京駅で東海道線の特急「つばめ」号に乗り換えます。煤煙の出ない電気機関車が引く列車です。9時間で大阪の梅田駅に着きます。2番目の写真は東海道線の特急「つばめ」号です。「つばめ」号の流線型に子供心に感動しました。「つばめ」号には煤煙が無いので窓を開け放って車窓の眺...「東海道線の特急「つばめ」号と汽車の旅の思い出」

  • 「近所の花屋さんの店先で撮った花の写真です」

    近所の花屋さんへ冬の花を買いに行きました。その折に撮らせてもらった花の写真をお送りいたします。「近所の花屋さんの店先で撮った花の写真です」

  • 「間もなく咲く桜やいろいろな花の花言葉のはなし」

    昨日、桜の名所の小金井公園に行ったら中央に沢山あるソメイヨシノはまだ咲いていませんでした。一斉に咲いた光景は豪華です。華麗です。以前に撮った写真を示します。1番目の写真は以前に撮った小金井公園のソメイヨシノの花です。桜の花言葉を調べてみました。桜には3つの花言葉があるそうです。「精神美」と「優美な女性」と「純潔」だそうです。花言葉は西洋で作られたので日本人には理解できないのでしょうか?そこで他の花の花言葉を調べみました。西洋の国々ではいろいろな花に対応した花言葉はを決めています。そして言葉の代わりにその花を女性に贈り、男性の気持ちを伝えるのです。勿論、その逆もあります。女性は美しい花を貰った上で男性の気持ちが分かるのです。女性にとって花言葉は楽しい、そしてロマンチックな言葉なのです。これは西洋の男女の関係...「間もなく咲く桜やいろいろな花の花言葉のはなし」

  • 「私は田舎者です、都会に疲れます、そんな時は、」

    地方で生まれ育った人が都会に住んでいると、時々、都会に疲れます。私も地方から出て来て東京に住んでいます。ところが何十年たっても都会に疲れるのです。それは不思議な感情です。私は田舎者なんです。そんな時は農家を見に行きます。その農家の昔風の風景を見ると心の疲れが消えます。元気が出てきます。今日はそんな農家の見える風景の写真をお送りいたします。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。1番目の写真は隣町の国分寺市の「お鷹の道」にある農家の風景です。2番目の写真は奥多摩の秋川の支流の養沢を最も上流へ遡った所にある家の写真です。母屋の左右に蔵があります。3番目の写真は養沢を最も上流へ遡った所にある家の左の蔵です。4番目の写真は奥多摩の養沢を少し遡った所にある家の白壁の蔵の写真です。5番目の写真は立川市の川越道緑地古民家...「私は田舎者です、都会に疲れます、そんな時は、」

  • 「深遠な愛国心は外国体験で一層強くなる」

    日本は良い国です。愛国心を特に意識していない人でも、心の奥底には自分の住んでいる日本という国を大切に思っています。そしてその無意識下の愛国心は外国に住んみると一層強くなります。愛国心とは何だろうかといろいろ考えるようになります。私も若い頃アメリカに留学し、後にドイツやスエーデンに住んだことがあります。その他、中国、韓国、台湾、香港、シンガポール、ベトナム、タイ、フランス,イギリス、ノルウェー、フィンランド、ベネズエラ、カナダなどに仕事で行ったことがあります。この外国移住の体験と外国旅行から日本は素晴らしい国だと思うようになりました。そして日本の素晴らしさを具体的に拾い上げます。素晴らしいことの一つは自然の四季折々の風景が美しいことです。例えば白馬連峰と農村風景の3枚の風景写真をご覧ください。これら3枚の写...「深遠な愛国心は外国体験で一層強くなる」

  • 「魅力的な西伊豆、戸田と三津浜の海の風景」

    半島の西海岸にも美しい風景が広がっています。そんな風景のなかでも私は駿河湾の向こうに富士山の見える風景が好きです。富士山の見える所は西伊豆の沼津から三津浜や戸田にかけてです。西浦地方と言います。東京からは交通が不便なので観光客がめったには行かない地域です。その戸田には昔、家内と泊まった楽しい思い出があります。それから駿河湾では北欧風の大きなヨットで2009年に帆走した思い出もあるのです。ある日、家内と一緒に車で西伊豆の海岸の風景を楽しむ旅に出ました。西伊豆の旅の後は宇佐美に出て湯河原温泉に泊まりました。それでは伊豆半島の三津浜から戸田にかけての西浦地方の海岸の風景写真を示します。1番目の写真は内浦湾の重須ヨット係留地の風景です。ヨットのマストの上に富士山がぼんやり写っています。晴天でしたが富士山には薄い雲...「魅力的な西伊豆、戸田と三津浜の海の風景」

  • 「今日は江戸東京たてもの園に行きました」、続き

    JR中央線武蔵小金井駅北口からバス5分西武バス:2、3番のりばより、「小金井公園西口」下車。徒歩5分。〈時刻表〉2番のりば武12(東久留米駅御成橋経由)/武13(清瀬駅南口)3番のりば武21(東久留米駅錦城高校経由)/武15(滝山営業所)「今日は江戸東京たてもの園に行きました」、続き

  • 「今日は江戸東京たてもの園に行きました」

    東京都は、1993年(平成5)東京都江戸東京博物館の分館として、敷地面積約7haを擁する「江戸東京たてもの園」を小金井公園に開設しました。当園では、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目指しています。「今日は江戸東京たてもの園に行きました」

  • 「伊豆下田の初代アメリカ領事館と日本の開国」

    伊豆半島は太平洋に突き出た半島です。アメリカから来航して来たハリスは下田の初代アメリカ領事館に着任しました。1856年でした。ハリスは黒船に海兵隊を乗せて来ました。海兵隊は領事館の玉泉寺の護衛のために3年間、交代しながら常駐します。着任するとハリスはすぐに江戸幕府へ領事館を江戸に移すように強固な交渉を始めます。江戸幕府がそんなハリスを懐柔するために美人で賢い藝者のお吉を差し出したのです。お吉は真心をこめて優しくハリスの世話をしました。しかしハリスの3年の任期が終わり、彼が帰国するとお吉の運命が暗転します。町の人々は彼女を「唐人お吉」と蔑みました。そのうえ江戸幕府はハリスの強硬な交渉ぶりに恨みを持っていました。その恨みを、お吉への意趣返しではらしたのです。下田の町の人々をそそのかせてお吉をいじめさせたのです...「伊豆下田の初代アメリカ領事館と日本の開国」

  • 「伊豆半島突端の石廊崎の写真」

    伊豆半島突端の石廊崎の写真です。写真の出典はhttps://www.jalan.net/kankou/spt_22304ab2050006605/photo/です。「伊豆半島突端の石廊崎の写真」

  • 「よく行った仙台の作並温泉の写真」

    仙台に生まれ育ったので作並温泉へはよく行ったものです。仙山線で40分くらいの作並駅で下車し、30分くらい歩くと着きました。懐かしいので写真をお送り致します。風景は昔と変わっていません。湯舟の下を流れる川が広瀬川です。仙台市に流れていきます。「よく行った仙台の作並温泉の写真」

  • 「郷愁を誘う銀山温泉の古い町並み」

    山形県の北東端の山地に江戸幕府天領の銀鉱山がありました。銀山川の渓流沿いに江戸時代から温泉宿があったのです。現在は写真のように大正時代、昭和初期に建てられた旅館が立ち並んでいます。2008年7月5日に家内と一緒に訪れました。その古い町並みに感動しました。何故か強い郷愁を感じました。その時家内が撮った写真をお送り致します。場所は山形県尾花沢市大字銀山、銀山温泉です。http://www.ginzanonsen.jp/index.html「郷愁を誘う銀山温泉の古い町並み」

  • 「小金井駅の南口に咲いている河津桜の写真を撮りに行く」

    どういう訳か小金井駅の南口に河津桜が3本あります。花が満開になったので写真を撮りに行きました。「小金井駅の南口に咲いている河津桜の写真を撮りに行く」

  • 「心静かに板谷波山記念館 と笠間日動画廊美術館を思い出す」

    今日は朝から静かな美術作品を思い出しています。茨城県の板谷波山記念館と笠間日動画廊美術館も思い出しました。茨城県には幾つかの良い美術館があるのです。水戸には県立美術館があり北茨城には県立天心記念五浦美術館があります。笠間市には笠間日動画廊美術館と県立陶芸美術館があります。笠間の西隣りの筑西市には板谷波山記念館があります。そして水戸の県立美術館での中村彜の特別展は印象深いものでした。そんなことを想っています。そこで今日は板谷波山記念館の陶芸作品と笠間日動画廊美術館の展示の絵画をご紹介したいと思います。まず心静まる板谷波山の白磁の壺から始めます。1番目の写真は板谷波山の白磁壺です。2番目の写真は青磁袴腰香炉です。3番目の写真は彩磁花弁紋香炉です4番目の写真は板谷波山の彩磁藤文花瓶です。5番目の写真は笠間日動画...「心静かに板谷波山記念館と笠間日動画廊美術館を思い出す」

  • 「巨匠、川合玉堂の日本画の大作の世界」

    川合玉堂は明治6年に愛知県に生まれ昭和32年に84歳で没しました。玉堂美術館は奥多摩のJR御岳駅の向かいの多摩川の畔にあります。私は何度もこの美術館を訪れ川合玉堂の数々の大作に感動してきました。玉堂はJR御岳駅のそばに昭和19年から32年まで住んでいました。奥多摩の自然を愛し、数々の傑作を世に送り出したのです。それで奥多摩の人々は郷土の誇りのように思っています。今日は巨匠、川合玉堂の日本画をご紹介いたします。1番目の写真は紅梅白梅図の一部です。大きな六曲一双のニ面です。琳派風の絢爛たる力作です。絵画の出典は川合玉堂美術館のHP(http://www.gyokudo.jp/)からです。川合玉堂の絵画は自由闊達でのびやかです。上品で穏やかです。自然の風景、草木、小鳥などを愛する心が画面に温かい雰囲気をかもし出...「巨匠、川合玉堂の日本画の大作の世界」

  • 「川瀬巴水の版画と吉田博の日本画の静謐な美しい世界」

    心が静かになる川瀬巴水の版画の写真をお送りいたします。静謐な世界です。詩的で美しい版画です。川瀬巴水は大正・昭和期の浮世絵師、版画家です。江戸時代の葛飾北斎や歌川広重のように力強くありませんが胸を打つ静かな美しさがあるのです。1番目の写真は明治期の東京湾の風景です。まだ帆船が運搬船として使われいました。2番目の写真は芝の増上寺の前の雪の風景です。和服姿の女性が傘を斜めにして歩いている様子に詩情が感じられます。3番目の写真は雪晴れの富士山の静かな風景です。忍野八海付近から見た風景でしょうか。4番目の写真は雪晴れの農村風景です。除雪した道を一人の人間が歩いています。それだけの絵ですが郷愁を感じます。5番目の写真は深川付近の木場の夕暮れ風景です。水に浸けた材木が波の無い水面に横たわっています。一般に油彩画は見て...「川瀬巴水の版画と吉田博の日本画の静謐な美しい世界」

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