教皇フランシスコの葬儀ミサに約40万人が集まりました。今年の4月21日に死去した教皇フランシスコ(88)の葬儀ミサが26日午前、ヴァチカン市国の聖ペトロ広場で執り行われた。教皇庁によると、広場とその周辺やローマ市内の通りに集まった人数は、計約40万人という。写真は教皇フランシスコの葬儀のため聖ペトロ広場とその周辺に集まった人です。「教皇フランシスコの葬儀ミサに約40万人」
午後から武蔵野公園に行き風景写真を撮って来ました。風の無い暖かい午後でした。「武蔵野の写真を撮り行った」
老人は思い出の中に生きております。思い出は次第に美化され楽しいものになります。老境が華やかになるのです。今日は私が生きた昭和という時代を写真で示そうと思います。昭和11年に仙台に生まれた私の記憶に残る光景の写真です。満州建国があり真珠湾攻撃があり、そして敗戦です。激動の時代でした。1番目の写真は満鉄の「あじあ号」の写真です。幼少時に見た絵本にありました。1932年(昭和7年)2月初め頃には、関東軍は満洲全土をほぼ占領し、3月1日、満洲国の建国が宣言されました。2番目の写真は昭和16年12月8日の真珠湾攻撃の光景です。ラジオが軍艦マーチを勇ましく放送していました。3番目の写真は昭和20年7月のB29による空襲の様子です。これで全国の都市が焼かれたのです。当時、向山という高台に住んでいた私は仙台を空襲するB2...「忘れられない昭和という激動の時代」
毎年夏になると、浅草や各地でサンバカーニバルがあります。キリスト教と関係の無い日本独特のお祭りです。その写真をお送り致します。「キリスト教と関係の無い浅草サンバカーニバルの写真」
今日のカトリック関口教会の年間第4主日のミサの風景の寫眞をお送り致します。カトリック関口教会の年間第4主日のミサのインターネットからの映像に従ってお祈りのことばを言ったり信仰宣言をして自宅であずかりました。聖歌も歌いました。「今日のカトリック関口教会の年間第4主日のミサの風景」
「カトリック関口教会の年間第4主日、東京教区ケルンデーのミサの動画配信」
今日のカトリック関口教会の年間第4主日、東京教区ケルンデーのミサの動画配信です。年間第4主日https://www.youtube.com/watch?v=IdLRCl9toJw主任司祭挨拶カトリック東京カテドラル関口教会主任司祭:天本昭好関口教会は1900年に正式に小教区として設立されました。1918年に大司教館が移転し、1920年に築地教会から関口教会に東京の司教座聖堂(カテドラル)が変更となり現在に至ります。第2次世界大戦時の東京大空襲で聖堂は消失してしまいます。戦後、ドイツ・ケルン教区の多大な支援により1964年12月8日には、丹下健三氏の設計による東京カテドラル聖マリア大聖堂が献堂されました。「カトリック関口教会の年間第4主日、東京教区ケルンデーのミサの動画配信」
常夏の八丈島のフリージアの花やブーゲンビリアの花などの写真をお楽しみ下さい。昔、冬に八丈島に行きましたら花々が豊かに咲いていました。そこは常夏の島なのです。毎年、八丈島フリージア祭りを行います。今年の2024年は、3/23(土)~4/7(日)です。この期間中にはフリージア畑に入って香り高い花を摘むことも出来るのです。フリージア祭りの詳細は、https://www.freesiafesta.com/をご覧下さい。1番目の写真は三原山の眼に広がるフリージア畑の写真です。出典は、www.hachijo.gr.jp/blogs/第52回八丈島フリージアまつり%E3%80%80325日%EF%BD%9E48日/です。haa2番目の写真は八丈島の花畑です。3番目の写真は八丈島の冬でも咲いている花です。2009年1月2...「常夏の八丈島の花々の写真」
八丈島の風景の写真の追加です。写真は「八丈島の風景の写真」を検索して、インターネットからお借りしました。「八丈島の風景の写真の追加」
ロウバイは梅と同時に咲きます。ですからロウバイの寫眞も撮って来ました。「小金井公園の満開のロウバイの寫眞を撮って来ました」
梅の開花は早いです。2.3日見ない間にもう満開になっていました。今年の小金井公園の満開の梅林の寫眞をお楽しみ下さい。「小金井公園の満開の梅林の寫眞を撮って来ました」
人間は老境に到ると元気が無くなります。体が硬くなって若い時のように活発に動けません。自然の摂理です。しかし心や精神は若い時のように活き活きとして生活することが出来ます。今日は老境を楽しく生きる方法をお願い致します。私が心がけている4つの方法です。読み易いように(1)、(2)、(3)、(4)と別けて書きます。(1)熱帯の花々や植物を見て情熱を貰う活き活きとして生活する第一の方法はいろいろな所にある温室を訪れて熱帯の植物を見ることです。温室の中ではこんな寒い冬でも花々が咲き、実をみのらせ、緑濃い葉が茂っています。それらを見ると人は自然に情熱を感じ、その情熱が自分の体に乗り移ってきます。熱帯の花々写真を2枚示します。2枚の写真は独立行政法人筑波実験植物園の温室にて2010年1月に撮影しました。熱帯の植物を見ると...「老境を楽しく生きる方法」
決して上手な写真ではありませんが、花の写真を撮るのが私の趣味です。花を眺め、写真を撮っている間が楽しいのです。花を植え、育てた人の優しさを想い、幸せな気分になります。家に帰り、撮って来た写真をほんの少し修正します。色彩は変えません。明るさだけを修正することがあります。端に余計なものが写っている場合は少しトリミングをします。それから皆様へお送りするのです。花の写真を撮った場所へ行きたい方々のためにその場所の全体の風景写真も1枚つけます。場所の名前を明記して、検索すればHPから交通の便が分かるようにいたします。私が四季折々おとずれる花園は大体決まっています。都立小金井公園、都立武蔵野公園、三鷹市花と緑の広場、都立神代植物公園、都立薬草植物園、府中市郷土の森博物館公園などです。検索するとHPがあります。それぞれ...私の趣味は花の写真を撮り、皆様へお送りすること
これ日本語ですか?次の津軽弁を聞いて理解できますか?https://www.youtube.com/watch?v=DMzhJzw8tzk寫眞は弘前城です。出典は、https://www.photo-ac.com/main/search?q=%E5%BC%98%E5%89%8D%E5%9F%8E&srt=dlrank&qt=&p=1&pt=Aです。「これ日本語?津軽弁を聞く」
父は兵庫県の田舎のお寺の出身でした。仙台の東北大学を卒業して同じ大学で一生働きました。仙台に住んでいましたが家では関西弁でした。そこで父が使っていた懐かしい関西弁をご紹介したいと思います。様々な方言のなかでも「関西弁」は、耳にする機会が多い方言の代表格といえるでしょう。関西弁はテレビのお笑い番組などでもよく登場し、おもしろくて親しみが感じられる方言です。しかし一口に関西弁といっても、関西エリアの大阪・京都・神戸などの各地で、単語や語尾、アクセントなどが違う場合があります。よく使う関西弁を中心に、例文もあわせてご紹介します。日常会話で使う関西弁【あかん】(akan)標準語の「ダメ」「よくない」などの意味で使われます。使用例「そんなことしたらあかんやん」(そんなことをしてはいけないよ)、「なんであかんの?」(...「父が使っていた懐かしい関西弁」
日本語にはいろいろな方言があります。また日本語の歴史的な変化を調べると実に多数の本や論文があります。日本語は時代の流れに従って大きく変化して来たことに驚きます。明治維新で学校では標準語を教え普及させました。そして戦後のテレビの普及で日本人全員が標準語を理解するようになったのです。しかし方言は日本語の重要な一部だったのです。しかし現在は日本各地の方言が消えゆきつつあります。そこで方言の一例として仙台弁をご紹介したいと思います。昔日常に使っていた懐かしい仙台弁です。昭和11年、1936年に生まれた私は1954年に東北大学に入るまで純粋な仙台弁を話していました。しかし東北大学へは全国からの人が入学します。純粋な仙台弁では話が通じないのです。標準語らしい日本語を使いはじめました。そして仙台弁を恥ずかしく思いました...「嗚呼、消えてしまった懐かしい仙台弁」
昔冬に蔵王山でスキーをしていた頃に見た風景のような写真をお送り致します。あの頃は若く元気があったのです。嗚呼。寫眞の出典は、「雪山とスキーの写真」を検索してインターネットからお借り致しました。「昔見たような雪山とスキーの風景」
「横手の『かまくら』は、約450年の歴史があるといわれています。もともと民俗行事です。『かまくら』は見るものでなく、中に入って、正面にまつられた水神様にお賽銭を上げて、家内安全・商売繁盛・五穀豊穣などを祈願するものだったのです。水神様を祀るのは、この地方はもともと稲作が盛んな地域であったため、水不足にならないように、良い水に恵まれるようにと祈ります。写真と上の文章の出典は、https://weathernews.jp/s/topics/201902/140045/amp.htmlです。私も大雪の時、庭にかまくらを作りました。子供が小さかった頃でした。「雪国の風物詩「横手のかまくら」」
南信州の阿南町の即身仏「行人様」の祭典の記事を読んで私は感動しました。その素朴な信仰に心が震えました。以下は「日本唯一の禅宗の即身仏「行人様」」からの抜粋です。https://deepjapan-niino.info/2023/04/28/post-11505/【行人様とは】江戸時代初期、修行をしつつ入定し、生きながら即身仏になった僧侶のことです。出家前の名前は久保田彦左衛門。実在の新野の人物。1644年(正保元年)に新野に武士として生まれる。怪力で背丈が6尺(約180cm)の大男だったといわれている。まじめな男で多くの人に親しまれていた。若いときは、山吹(現:長野県下伊那郡高森町山吹)のお殿様にお仕えしたお侍。しかし故郷新野、妻への恋しさも募り、26歳でお暇を頂き新野に帰る。新野の戻りしばらくしたある日...「心が震えて感動したこの素朴な信仰」
春の出羽三山の風景の写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.ana.co.jp/.../japan.../yamagata/0000025.htmlなどです。「春の出羽三山の風景の写真」
出羽三山の雪景色の寫眞です。写真と文の出典は、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/howto/dewasanzan-zekkeiです。出羽三山は、山形県にある羽黒山(はぐろさん)、月山(がっさん)、湯殿山(ゆどのさん)の総称です。それぞれ、現世の幸せを祈る羽黒山(現在)、死後の安楽と往生を祈る月山(過去)、新しい生命の誕生を表す湯殿山(未来)とされ、三山を巡ることは江戸時代に「生まれかわりの旅」として広がり、「お伊勢参り」と並んで人気を博しました。「出羽三山の雪景色の寫眞」
「カトリック関口教会の年間第3主日 神のことばの主日のミサの風景写真」
カトリック関口教会の今日のミサの風景写真です。「カトリック関口教会の年間第3主日神のことばの主日のミサの風景写真」
「節分、立春、謝肉祭、灰の水曜日、四旬節、復活祭ー月日は足早に流れ行く」
老境には月日がどんどん早く流れ行きます。2月になるとすぐ節分です。次の日は立春です。節分とは各季節の始まりの日です。立春・立夏・立秋・立冬の前日のことです。季節を分ける日です。江戸時代以後は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を意味します。節分の後はいよいよ春が来て梅が咲きウグイスが鳴きます。こうして季節が廻ります。この季節になると欧米ではいろいろと宗教的な行事が続きます。謝肉祭や灰の水曜日や四旬節、そして復活祭が続きます。欧米の人々には無宗教の人もいますが、多くの人はこれらの宗教的行事を身近に感じています。欧米の人々にとっては季節の歳時記のようなものです。そこで今日は間もなくやって来る謝肉祭や灰の水曜日や四旬節、そして復活祭について簡単に説明したいと思います。やって来る順序は、謝肉祭(カーニバル)、灰の水...「節分、立春、謝肉祭、灰の水曜日、四旬節、復活祭ー月日は足早に流れ行く」
故郷、仙台で昔住んでいた向山の長徳寺と愛宕神社の風景の写真をお送り致します。1番目と2番目の写真は長徳寺です。3番目4番目の写真は愛宕神社です。写真の出典は、https://yamatsutsuji.hatenablog.com/entry/2022/07/22/231344などです。「故郷、仙台で昔住んでいた向山の長徳寺と愛宕神社の風景」
人生は夢のようでした。夢ですから楽しい夢も、悲しい夢もあります。驚きの夢も、悪夢もあります。この前の記事で美しい樹氷と白鳥の寫眞をお送り致しました。しかし私のもう一つの強烈な思い出は焼野原のなった故郷、仙台の風景です。どうしてもその風景をお送り致したいのです。故郷の仙台は1945年7月10日の123機のB29の空襲によって焼きつくされました。焼野原になってしまったのです。9歳であった僕は、向山の高台から市街地が一面の火の海になっているのを立ち尽くして見ていました。翌日は少年の単純な好奇心で、鹿落坂をくだって焼け跡を見に行きました。1番目の写真のような光景が広がり、まだ彼方此方から煙が立ち昇っていたのを鮮明に思い出します。2番目の写真はアメリカ空軍のB29です。このB29が123機、来襲して仙台市を一挙に焼...「樹氷の美しい風景と焼野原のなった故郷、仙台の風景」
毎年冬になると思い出す美しい風景があります。蔵王山の樹氷の風景と猪苗代湖の岸辺に遊ぶ白鳥のいる風景です。猪苗代湖の後には雪に覆われた磐梯山が輝いています。今日はこの2種類の風景写真をお送りして、何故冬になると思い出すか書いてみようと思います。はじめの2枚は蔵王山の樹氷で3枚目は霧氷です。続いての2枚は猪苗代湖の白鳥の写真です。樹氷と霧氷と白鳥の写真をお楽しみ下さい。はじめの樹氷と霧氷の3枚の写真は「山形蔵王の樹氷写真集」、http://www.asahi-net.or.jp/~EH5W-KRD/zao/photo.htmからお借りしました。4番目の猪苗代湖の白鳥の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/y58122001/50010408.htmlです。そして5番目の白鳥の写真の...「ロマンチックな蔵王山の樹氷と猪苗代湖の白鳥の風景」
北海道の冬景色の写真をお送り致します。写真は、「北海道の冬景色の写真」を検索して出て来た写真をインターネットからお借りしました。「北海道の冬景色の写真」
今年も梅の花とロウバイの花が咲き出しました。昨日、小金井公園で見ました。「今年も梅の花とロウバイの花が咲き出しました」
何故か私は若い頃から冬の木立の風景が好きです。生まれ育った仙台の八木山の寒々とした樹々のたたずまい、ドイツの厳冬の冬木立の黒いシルエットなどが忘れられません。年老いても冬の木立の風景を求めて歩きまわっています。昨日もそんな冬木立の黒いシルエットの写真を撮って来ました。その写真をお送り致します。冬木立の詩を添えておきます。作者はUNWIND&KOMOREBIさんです。https://note.com/unwkomorebi/n/nb090bf915740冬木立銀色の肌に刺しつらねて青空は遠かった肺のかげりを抱えた地を踏むまばらに砦から窓を幾重にもひらいて羽音を鳴らし鈴の雨にゆれて沈んでしまった孤独だろうかかたく骨の突きだした足をひきずる私のたぐりよせた道を贖いの形に立ち尽くしていた(終わり)今日は冬木立につ...「冬木立の写真を撮りながら静かに時が流れる」
利根川上流の水上温泉の雪景色の寫眞をお送り致します。写真は、「水上温泉の雪景色の寫眞」を検索して出て来た写真をインターネットからお借りしました。「利根川上流の水上温泉の雪景色の寫眞」
写真は、「利根川の上流の風景写真」を検索して出て来た写真をインターネットからお借りしました。利根川は新潟県と群馬県の県境にある大水上山(標高1,831メートル)を水源として、水上を流れ下り関東平野を北西から南東へ貫き、千葉県銚子市で太平洋へと注いでいます。「利根川の上流の風景写真」
坂東簗の料理場の外の廊下に古い写真が沢山飾ってあります。明治、大正時代に前橋の金持ちが人力車で乗り付けています。それには芸者さんの乗った人力車も続いているのです。栄枯盛衰は世のならいという言葉を思い出します。そこで坂東簗の風景の写真をお送り致します。関越道路の渋川インターを出て、前橋方向に戻り利根川を渡るとすぐにこの坂東簗があります。店の玄関を入ると直ぐに左手に広い焼き場があり、菅笠をかぶった職人たちが汗を流して熱心に数多くの鮎を焼いています。鮎料理はこの塩焼きだけでなく、味噌焼き、鮎の甘露煮、鮎のフライ、鮎のうるか、鮎のお澄まし、鮎ごはんなどが出ます。客席に座ると木を組んだ簗が見え、その向こうに利根川と榛名山が広がっています。鮎料理を注文すると、料理が来るまでしばらく時間がありますので、上の写真のような...「利根川の鮎料理、坂東簗の風景」
今日は私の88歳の誕生日です。思い返すといろいろなことがありました。現役で仕事をしていた頃は実に多くの人に助けて頂きました。引退後は趣味の生活で知り合った方々にご厚情を頂きました。インターネットを通じて多くの友人も出来ました。特に多くのインターネットの友人は今朝早くから、「誕生日おめでとう!」というメッセージを送ってくださいました。現在も続けてメッセージが送られています。ありがたいことです。本当にありがとうございます!!!心からお礼申し上げます。さて今日は読んで楽しく、そして心が鎮まるような内容の記事を書くことにします。いろいろ考えて楽しい思い出のある利根川と霞ケ浦のことを書くことにしました。利根川は日本で2番目に長い川です。銚子から太平洋に注いています。その河口は雄大な大河のような風格を見せています。1...「利根川と霞ケ浦の忘れられない思い出」
隣りの韓国の雪景色です。隣りの韓国の冬は日本より寒いのです。写真は、「韓国の冬景色」を検索して出て来た写真をお借りしました。始めの3枚は首都、ソウルの風景で最後のは山地の風景写真です。「隣りの韓国の雪景色」
隣りの韓国の雪景色です。隣りの韓国の冬は日本より寒いのです。写真は、「韓国の冬景色」を検索して出て来た写真をお借りしました。始めの3枚は首都、ソウルの風景で最後のは山地の風景写真です。「隣りの韓国の雪景色」
中国の文学は豊かです。長い歴史があり、広い分野があります。とても私には中国文学の全てを紹介することが出来ません。不可能です。そこで今日は自分が好きな魯迅の作品の片鱗だけをご紹介します。1番目の写真は魯迅です。写真は4枚とも出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%AF%E8%BF%85です。彼は1881年に生まれ1936年に亡くなりました。中国で最も早く近代小説を書いた作家でした。中国だけでなく日本でも広く愛読されている作家です。2番目の写真は上海にある魯迅記念館です。さて魯迅は、1904年(明治37年)9月から1906年(明治39年)3月までの約1年半、私の故郷の仙台に留学していました。その関係で仙台市や留学していた東北大学は魯迅にまつわる交流イベントを行っていま...「魯迅の作品の片鱗」
キリスト教を簡単至極に説明したいと思います。さて、ユダヤ民族だけの民族宗教として旧約聖書が前900年頃に出来ました。それから、長い年代にわたって改正が続きましたが、ユダヤ民族がバビロニアに捕囚されていた時代に大部分が編集されたそうです。この旧約聖書は長い間、ユダヤ教の基本でしたが2000年前にイエス・キリストが改正をして世界の全ての民族に通用するキリスト教を作ってしまったのです。この宗教の特徴は『神はヤハウエ神だけである。偶像崇拝は行わないこと』ということにあります。キリスト教では「この世のことに執着しないで天の神様やイエス様のことを愛せ」と教えます。佛教もキリスト教も、この世の全てのことに執着するなと教えている点は全く同じなのです。キリスト教では「神やイエスさまを愛せ」、そうすれば「神やイエスさまが貴方...「キリスト教を簡単に理解する方法」
西高東低の冬型気圧配置になると、日本海に強い季節風が吹きはじめ、荒波が多くなります。その荒波に浸食された奇岩が続く海岸で、勢いよく白波が砕け散る様子は荒々しくも美しく、心を奪われます。寫眞の出典は、https://cartrade21.jp/2015/12/15/12318/などです。「荒れる日本海の冬景色」
兼六園はゆっくり歩いていると幸福な気分になります。確かに名園です。冬に行ったことはありませんが、雪景色も素晴らしいと想像しています。兼六園の雪景色の写真をお送り致します。出典は、https://kohei-blog.com/kenrokuenなどです。「金沢の兼六園の雪景色」
能登地方は娘の夫の出身地で親類が住んでいます。能登地震が起きた日も娘夫婦は金沢の行っており今回の大揺れを体験したそうです。室内の家具はみな倒れ畳は波打って非常に怖い思いをしたそうです。私共も何度か輪島を訪れたことがあります。そんなわけで今回の能登地震は自分が体験したような錯覚を覚えました。今日は今回の能登地震を振り返ってみようと思います。最近は雪も降って犠牲者の捜索が難航している様子です。写真をお送り致します。これらの寫眞の出典は、https://www.at-s.com/news/article/national/1389376.htmlなどです。最大震度7を観測した能登半島地震の発生から1週間となった1月8日、石川県は、県内の死者が午後2時現在で前日から40人増の168人になったと発表しました。連絡の...「能登地震は積雪で捜索が難航しています」
武蔵野公園の喬木はすっかり落葉して美しい風景が広がっています。その喬木に弱々しい冬の陽が射しています。淋しい風景です。そんな風景の写真を撮ってきました。「すっかり落葉した冬木立の写真を撮りに行った」
中国の蘇州の古典園林「怡園」の梅の花の写真をお送り致します。出典は、https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/3001638/です。「中国・蘇州の古典園林「怡園」の梅」
第9代水戸藩主・徳川斉昭によって造園され、天保13年(1842)に開園した偕楽園。金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園のひとつで、約100種・3000本が咲き誇り、梅の名所として知られています。水戸の偕楽園は何度も行った懐かしい梅林です。今年はまだ咲いていませ。去年の2月の「第127回水戸の梅まつり」の写真をお送り致します。出典は、https://rurubu.jp/andmore/article/18795です。「梅の花の名所、水戸の偕楽園の写真」
強国化した中国がアメリカと争うのが21世紀です。両国が世界の覇権を争う時代です。地理的にも日本はアメリカと中国の間にあります。日本は戦後アメリカに大きく依存してきました。しかし中国は鄧小平の時代に高度成長をして経済的にも世界の大国になりました。現在の習近平の時代も経済大国です。この経済大国に依存するのが21世紀の日本です。日本の将来はどうなるのでしょうか。日本はどんな生き方をすれば良いのでしょうか。今日はこの問題を考えてみたいと思います。中国が世界の大国になり覇権主義の道を歩みだしたのは習近平の政権からです。アメリカがこの中国を恐れのには次の3つの理由があると考えられます。(1)中国の経済のGDPが間もなくアメリカを抜いて世界のトップになる。(2)中国の軍事力がアメリカの軍事力以上に成長する可能性がある。...「アメリカと中国の抗争と日本の生き方」
「ソ連に侵攻し2000万人以上を殺戮したドイツ―歴史上最大の殺戮者数」
1941年6月22日3時15分、ドイツ軍は作戦名「バルバロッサ」の下にソ連を奇襲攻撃します。ソ連は首都モスクワ前面まで攻め込まれ、ドイツ軍は2000万人以上のロシア人を殺戮したのです。しかし英米を主力とする西側連合国はノルマンデーに上陸し反撃に転じます。最後のベルリンの戦いでナチス・ドイツが完全に敗北してヨーロッパでの第二次世界大戦が終了したのです。この戦いにおいてソ連側の死者は大規模でした。独ソ戦の犠牲者(戦死、戦病死)は、ソ連兵が1,470万人、ドイツ兵が390万人でした。民間人の死者を入れるとソ連は2,000-3,000万人が死亡し、ドイツは約600-1,000万人であると言われています。ソ連の軍人・民間人の死傷者の総計は第二次世界大戦における全ての交戦国の中で最も多いばかりか、人類史上全ての戦争・...「ソ連に侵攻し2000万人以上を殺戮したドイツ―歴史上最大の殺戮者数」
アメリカのニューヨーク・セントラルパークの雪景色の写真をお送り致します。写真の出典は、下記です。https://www.photolibrary.jp/img559/25756_5411539.html「アメリカのニューヨーク・セントラルパークの雪景色」
アメリカのヨセミテ国立公園では一年を通じて絶景が楽しめますが、冬以上に幻想的な風景を堪能できる時期はあありません眩いほど白い山肌に高くそびえ立つ花こう岩の断崖や巨大なアメリカスギが段々に連なっております。写真の出典は、下記です。https://www.elle.com/jp/decor/decor-interior-design/g30636709/winter-snow-destinations-19-0105-r/「アメリカのヨセミテ国立公園の冬景色です」
蒼い空に白銀色に輝く山波、その前に広がる花園の写真を4枚お送りいたします。お楽しみ頂ければ嬉しく存じます。場所は山梨県北杜市武川町真原の牧草地帯です。後ろの山は甲斐駒です。「雪山と花園の写真をお送りします」
あなたは誰を尊敬していますか?このような問には答えにくいものです。私は返事に困ります。ところが大真面目にこの問いに対する世論調査をした会社があるのです。アメリカのギャラップ社が2019年の12月上旬にアメリカ国内で「最も尊敬する人」の名前を自由に記入する世論調査をしたのです。以下はこの世論調査の結果の報道記事です。『トランプとオバマが「最も尊敬される人物」世論調査で同点』(ニューヨーク・ポスト2019.12.30)(https://www.trumpnewsjapan.info/2020/01/02/trump-obama-tie/)トランプ大統領とオバマ元大統領は、2019年の最も尊敬される人物として大接戦を演じている。トランプがこの栄誉を得たのは初めてのことであり、オバマが第一位になったのは12回目で...「あなたは誰を尊敬していますか?、その驚くべき答!」
このブログは2007年に書き始めもう17年になります。17年間毎日記事を書いて掲載して来ました。最近は毎日、約1000人の方々が読んで下さっています.この読者の方々へ心から感謝申し上げます。そして数々の貴重なコメントをお送り下さった方々へも深く感謝申し上げます。このブログを通して皆様と交流出来た幸を嬉しく思います。ありがとうございました。以下は最近のアクセス解析です。1月8日(月)は3177417ブログ中の379位でした。987人の方々が読んで下さいました。1月7日(日)は338位でした。1004人の方々が読んで下さいました。1月6日(土)は248位でした。1298人の方々が読んで下さいました。1月5日(金)は321位でした。1030人の方々が読んで下さいました。1月4日(木)は359位でした。963人の...「このブログの読者の方々へ感謝いたします」
「足繫く通った懐かしい葉山マリーナと江島ヨットハーバーの写真」
ヨットの趣味は50歳から75歳までしました。葉山マリーナと江島ヨットハーバーに足繫く通ったものです。懐かしい葉山マリーナと江島ヨットハーバーの写真を2枚ずつ示します。「足繫く通った懐かしい葉山マリーナと江島ヨットハーバーの写真」
「足繫く通った懐かしい葉山マリーナと江島ヨットハーバーの寫眞」
ヨットの趣味は50歳から75歳までしました。葉山マリーナと江島ヨットハーバーに足繫く通ったものです。懐かしい葉山マリーナと江島ヨットハーバーの寫眞を2枚ずつ示します。「足繫く通った懐かしい葉山マリーナと江島ヨットハーバーの寫眞」
今日のは約100年前にイギリスで建造された美しい木造ヨットにまつわる思い出をご紹介したいと思います。1927年英国建造のこの帆船、「シナーラ」号は長らく三浦半島のシーボニアを母港として多くの日本人に親しまれてきました。美しさから「海の貴婦人」と呼ばれ私もその舵輪を握り帆走したこともありました。その思い出をふくめ帆船シナーラ号のまつわる話を書いてみたいと思います。1番目の写真は追い風を受けてランニングしているシナーラ号です。写真の出典は、”MALU”さんのブログ(https://malu-sailing.com/archives/4409)です。2番目の写真は向かい風の中でタッキングして帆走方向を変えているシナーラ号です。このヨットは全長約33.5m、全幅約5.7mで総トン数73.4トンです。さて「シナーラ...「よみがえった帆船シナーラ号にまつわる思い出」
ヨットの構造の見事さに私は深く魅了されました。ヨットは絶対に転覆しなく風に向かって走れる構造になっています。その構造は下の絵のように日本古来の帆舟とは非常に違います。実に巧妙な設計になっているのです。(この絵の出典はGaryJobson著、AmericanSailingAssociation監修の「SailingFundamentals」という本から転写したものです。(出版社は、Simon&ShusterInc.の1987年版です。)この構造で一番重要な部分は船底から水中へ伸びている非常に重い鉄板です。それはキール(keel)と呼ばれています。このキールのお蔭でヨットはほとんど絶対に転覆しないのです。強風で横倒しになってもキールが重いので自然に起き上ってくるのです。おもちゃに「起き上り小法師」というものが...「ヨットの絶対に転覆しない構造と風に向かって走れる構造」
「気軽にヨットの趣味を始めよう!趣味は人間の視野を広げ幸せにする」
この1月は年の始めです。今年は何か新しい趣味を始めてみませんか?趣味はいろいろありますが、「ヨットの趣味」をお勧めします。私が50歳から始めて75歳まで続けた趣味です。とにかく非常に楽しい趣味でした。今日はこの「ヨットの趣味」への入門の仕方をまず説明します。そして自分のヨットを買って相模湾や駿河湾の海を帆走しましょう。大型ヨットの購入と維持の費用の概算を説明します。ヨットは贅沢な趣味だという誤解を説明をします。小さい費用でもヨットの趣味を楽しめるのです。ヨットの趣味を始めはディンギーという小型のヨットから始めます。ディンギーという小型のヨットのヨットスクールで数週間だけヨットの構造や操船を覚えます。1番目の写真はディンギーという小型のヨットが海の上を帆走している写真です。写真の出典は、https://ka...「気軽にヨットの趣味を始めよう!趣味は人間の視野を広げ幸せにする」
バチカンのサンピエトロ大聖堂の新年のミサの風写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.ohmyua.com/.../New-Years-Mass-at-the-Vatican...です。「バチカンのサンピエトロ大聖堂の新年のミサの風景」
篠原勝之さんは1970年代のアングラ劇のポスターを描いていました。その「戯れの魔王」など、もう少しご紹介します。1番目の写真はムンク版画展のポスターです。2番目の写真は状況劇場の「腰巻おぼろ」のポスターです。3番目の写真は状況劇場の「下町ホフマン」のポスターです。4番目の写真は「うつろう」、1996年、高知県中村市の公園に常設展示してあります。この写真と続く3枚の写真の出典は、http://www.kuma-3.com/jousetsu/index.htmlです。5番目の写真は「感謝的大地」、1993年、中国.内モンゴル自治区.昭和草原に常設展示してあります。6番目の写真は「森の記憶」、2002年、高知県春野市の公園に常設展示してあります。7番目の写真は「ゆら水」、2009年、山梨県北杜市の野外に常設展示...「篠原勝之さんの「戯れの魔王」など、もう少しご紹介します」
彫刻や造形芸術に打ち込んでいる人には尊敬を感じます。芸術に生涯を捧げている人には憧れを感じます。それにしても作品が大型で自然の中に展示してあるものに感動します。今日は造形芸術家の篠原勝之さんの野外展示の作品をご紹介したいと思います。篠原勝之さんは甲斐駒岳の麓に一人で住んでいました。現在も私の山林の小屋に登る途中に大きなアトリエもあります。この篠原勝之さんのことは2019年03月03日掲載の「篠原勝之の芸術と「戯れの魔王」」と題する記事でご紹介しました。先日は篠原さんの造形作品の写真を撮って来ましたので紹介したいと思ます。1番目の写真は篠原さんの大きなアトリエです。隣に篠原さんの住居があり、西を見上げると甲斐駒岳が聳えています。このアトリエで大きな鉄板を溶断したり溶接して作品を創ります。大きなガラスの溶解炉...「芸術と自然が調和する篠原勝之さんの野外芸術作品」
以前、私はヨットを趣味にしていました。海や湖を帆走していると漁船が素晴らしいスピードで追い抜いて行きます。ジーゼルエンジンの音も軽快走り去って行きます。私は漁船の性能の良さに感動して眺めていたものです。そこで今日は日本の漁船の姿をご紹介したいと思います。そしてフィンランドとイギリスの漁船の姿もご紹介致します。それでは神奈川県の大磯港で私が撮った漁船の写真を示します。1番目の写真は一般の釣り客を乗せる遊漁船のようです。漁具が積んでいなくて、駐車場の前に係留されています。釣れる魚は鯵、鯖、平目、鯛、イナダなどいろいろです。2番目の写真は陸揚げされている漁船です。こうして陸揚げしていると船底に貝類がつかず船底の保守管理が楽になり、漁船の寿命も長くなります。次にフィンランドのフィンマルクの漁船群とイギリス、エセッ...「日本とフィンランドとイギリスの漁船の姿」
自然の風景は美しい。それを単純に愛せば幸せになれると私は信じています。ですから海や山や湖の風景を求めてあちこちに行きます。四季折々の山林の風景を愛しています。足もとを流れる小川の水に魅了されます。一面に苔むした庭にも大自然を感じます。冬の木枯らしに舞う落ち葉も何かを語っています。そして一面の原野が雪に覆われている光景にも息を飲みます。遠方に碧く輝いている雪山にも何故か感動します。自然を愛するためには理屈がいりません。そんな自然の風景を求めて山梨県の甲斐駒岳の麓の山林の中の小屋に通っています。遠方に輝いている富士山と甲斐駒岳と八ヶ岳と南アルプス主峰連峰の風景を飽かず眺めておます。富士山が美しく見える場所が2ケ所あります。中央高速道路の大月インターの先の初狩サービスエリアと山梨県西部の韮崎市の広域農道からです...「単純に自然を愛せば幸せになる」
雪の山林の中の小屋の写真をお送り致します。毎年一回は山林の中の小屋は雪で埋まります。そんな時の写真をお送り致します。「雪の山林の中の小屋の写真」
1972年に私をストックホルム王立工科大学の集中講義に招待してくれたエケトルプ先生が古民家を復元する趣味を持っていました。中世のスウェーデンの古民家の構造を詳しく調べ、忠実に復元していました。ストックホルムの郊外のプラタナスの大樹の下に、藁葺と白壁の中世風の農家を復元して住んでいるのです。昔の農家の設計図を探し出し、忠実に再現した古民家です。家の再現で苦労したのは釘を一本も使わないで造ることだったと言います。内装はすべて白っぽい北国の板材、柱は太い丸太の表面を磨いたもの。屋根は意外にもそんなに厚くない麦藁葺。年間雨量の少ない乾燥した北国なので、日本の合掌造りの屋根のように急斜面で部厚くはないのです。室内は、寝室、食堂、炊事場、風呂場、トイレを北欧の材木で区切り、ドアもすべて同じ板材です。木製の蝶番(ちょう...「スウェーデンの古民家、海辺の小屋と私の山林の中の小屋」
人間は高齢になると祖父母や両親が旅立って行ってしまいます。それまで目をかけて励ましてくれた恩人や友人達も何時の間にかいなくなってしまいます。自分を昔から知っている人々がみな消えてしまうのです。気が付いてみると周りには知っている人がいなくなってしまいます。老人の宿命です。老人の孤独です。淋しいです。仕事をやめた老人はよく趣味のサークルやボランティアに参加しています。そうすると自然に友人が出来ます。しかしいろいろな事情でそれが出来ない場合もあります。そんな場合にインターネットが役に立ちます。今日はインターネットを用いて新しい友人を作る方法を書いてみます。現役で働いていた時は、仕事を通じてどんどん新しい友人を作ることが出来ました。新しい友人が広がって行きました。孤独を感じないものです。もっとも仕事で出来た友人は...「老人と孤独とインターネットの利用のしかた」
伊勢神宮は初詣で賑わっている様子です。入り口の写真です。伊勢神宮は10年ほど前に家内と訪れた懐かしいところです。写真はインターネットからお借りしました。https://www.kankomie.or.jp/event/7015「伊勢神宮の初詣風景」
房総半島にはもう春の花々が満開です。そして花畑に入って自分の手で花々を摘めるのです。もちろん有料ですが都会の花屋さんと比べると非常に安価な上、自分で花を採る楽しみが素晴らしいのです。場所は「道の駅ちくら潮風王国」(http://shiokaze-oukoku.jp/)の向かい側に花摘みの受付をする出店が沢山並んでいます。その前に無料駐車場が広がっています。ストックは一本100円くらいでポピーなどの他の花は3本100円とか値段を教えてくれます。あるいは10本、20本と申し込むと格安になります。おまけに2,3本追加してくれます。キンセンカ、キンギョソウなどもあります。以前ぼ3月に撮った写真をお送りいたします。「黒潮洗う房総半島ではお正月にもう春の花々が満開です」
1月1日を英語では「NewYear’sDay」と呼び祝日にはなっていますが、日本のように初詣に行く習慣はありませんし、日本でいう凧あげなどのお正月ならではの遊びもありません。おせち料理に代わる料理もありませんし、大晦日にパーティーで大勢での飲食を楽しんだあとなので、ゆっくりと過ごす人が多いです。アメリカではクリスマス前後に長期の休みをとるので、お正月は2日から通常勤務に戻るのが大半です。https://www.gymboglobal.jp/column/266「アメリカでのお正月の過ごし方」
寒い寒い冬です。日本のあちこちの湖に白鳥の飛来する季節です。北日本の湖と言えば摩周湖、阿寒湖、屈斜路湖、洞爺湖、十和田湖、田沢湖、猪苗代湖、中禅寺湖、諏訪湖などなどと沢山ありますが、これら全ての湖に白鳥が舞っています。無数のカモ類が水面を覆っています。遥かシベリヤから4000Kmも飛来して来た冬鳥たちの遊ぶ湖の美しい風景は季節の風物詩です。湖と言えば今は亡き親友の星野君と一緒に遊んだ猪苗代湖を思い出します。この湖にも毎年、白鳥が海を渡ってやって来ます。ある年の冬に、猪苗代湖に白鳥が沢山遊んでいる光景を見ました。その向こうに白雪の磐梯山が輝いていました。その猪苗代湖と白鳥の写真をお送り致します。1番目の写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?Searc...季節の風物詩、猪苗代湖の白鳥そして想うこと
関東地方のお正月の風物詩の一つに箱根駅伝があります。関東学連加盟校の大学の学生だけに出場権があります。ですからこのイベントは関東地方のローカル文化です。この駅伝は1月2日の東京から箱根まで5人の学生が走り、今日復路をまた5人で競います。今年もこの箱根駅伝が始まりました。我が家では熱狂的に好きな家内が毎年のようにテレビを見て声援を送っています。こうして新しい年が始まります。そこでこの箱根駅伝の2020年の結果をもう一度思い出してみることにしました。2020年の往路は青山学院大学が往路新記録の5時間21分17秒で制覇しました。その結果は以下の通りです。箱根駅伝2020年の往路結果<往路結果・順位・タイム差>(1)青学大5時間21分17秒(2)国学院大+1分33秒(3)東京国際大+3分17秒(4)東海大+3分2...「今年も関東地方のお正月の風物詩、箱根駅が始まりました」
京都の正月は華やかです。色彩が豊かになるのです。そんな風景の写真をお送り致します。風景写真はインターネットからお借りしました。「京都の華やかな正月風景」
お正月は気分が明るくなる記事を書きます。風の力だけで碧い大海原を駆ける帆船の話です。爽快な気分になります。勇気が出ます。まず大海原を駆ける帆船の写真をご覧下さい。1番目の写真は29枚の帆の全てを上げた日本丸を後ろから見た写真です。総帆展帆と言います。2008年の4月27日に横浜で撮りました。2番目の写真は数多くの縦型と横型の帆の形が分るように撮った写真です。右側の縦型の三角形の帆は船が風上に上るための帆です。横型の帆は追い風を受けて快走するための帆です。この帆船日本丸は、姉妹船海王丸とともに英国のラメージ&ファーガソン社で昭和5年に建造されました。3番目の写真はスクーナーの帆船、Ami号の写真です。写真の出典は、http://www.schooner-ami.com/index.htmlです。Ami号は静...「帆船のロマン、風の力だけで大海原を駆ける」
お正月には多くの人々が神社へ初詣に行きます。家族づれで神に祈る姿は幸福そうです。写真を撮りながら幸せな気分になります。今日は近所の小金井市の稲穂神社の風景写真を撮りに行きました。今年も皆様にとって良い年になりますようにお祈りして来ました。「初詣の風景写真を撮りに行きました」
今年も皆様にとって幸多い年になりますようにお祈りいたします。今年もよろしくお願いします。後藤和弘(藤山杜人)今日は私が写してきた富士山の風景写真をお送りします。富士五湖から見上げた写真、箱根からの遠景写真、茅ケ崎海岸から見た写真などです。1番目の写真は富士五湖の精進湖から見上げた富士山です。精進湖には山田屋旅館があり家族で何度か泊まりました。そして日帰りで何十回も行ったものです。2番目の写真は河口湖から見た富士山のシルエットです。何十年も同じ場所にヨットが停泊しています。河口湖の富士ビューホテルに何度か泊まりました。戦前からあるクラシックなホテルです。3番目の写真は箱根の山から見た富士山の遠景です。裾は御殿場の町です。箱根で泊まった印象深いホテルは箱根町はずれの山のホテルと宮ノ下の冨士屋ホテルでした。4番...謹賀新年
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教皇フランシスコの葬儀ミサに約40万人が集まりました。今年の4月21日に死去した教皇フランシスコ(88)の葬儀ミサが26日午前、ヴァチカン市国の聖ペトロ広場で執り行われた。教皇庁によると、広場とその周辺やローマ市内の通りに集まった人数は、計約40万人という。写真は教皇フランシスコの葬儀のため聖ペトロ広場とその周辺に集まった人です。「教皇フランシスコの葬儀ミサに約40万人」
今日はインターネットをとうして東京のイグナチオ教会のミサにあずかりました。年間第16主日幼児洗礼式です。その動画配信は下記にあります。https://www.youtube.com/live/K4J7lftJjzMカトリック麹町聖イグナチオ教会St.IgnatiusCatholicChurch,TOKYO電話:03-3263-4584「今日は東京のイグナチオ教会のミサにあずかりました」
日本の旧石器時代は4万年前から12000年前までの38000年間、縄文時代は12000年前から紀元前300年前までの11700年間、そして弥生時代は紀元前300年から紀元後300年までの600年間と言われています。そしてその後は古墳時代を経て大和朝廷の時代へと続くわけです。しかしこの時代区分は全く便宜的なもので九州では弥生時代が何十年も続いているのに、東北や北海道は相変わらず縄文時代の生活をしていたと考えるのが自然です。すなはち長く南北に伸びる日本列島では地方、地方によって旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代の各時代へ変わる年号はまちまちだったと考えられます。時代区分が明瞭に意味を持って来るのは大和朝廷が全国を統一してからです。しかし奈良時代になっても稲作の出来ない山間部では縄文時代とあまり変わらない...「縄文と弥生時代は併存し、地方豪族の跋扈の時代」
人間は高齢になり悠々自適の境地に至ると心配事や悩み事が若い頃よりはずっと少なくなります。しかし時々はいろいろと心配したり悩んだりして心が疲れることがあります。生きている間は仕方がないのでしょう。そんな時、私は縄文時代の人々の見た星空を想像したり、彼らの暮らしぶりを調べてみます。すると不思議に心がおおらかになり心配事や悩みが消えてしまいます。これは毎日を幸せに暮らすための私のひとつの方法です。それでは縄文人の見ていた星空はどん様子だったのでしょうか?当時はロウソクもランプも電灯もなかったので夜は真っ暗でした。ですから月夜の時以外の晴れた夜には星達がキラキラと輝いて見えました。その上、彼らは現在の我々より視力が優れていたと想像出来ます。1番目の写真は彼らの見たような星空の写真です。この写真は星空をより鮮明に見...「縄文人の見ていた星空」
人生にはいろいろ悲しい出来事が起きるものです。例えば何十年と付き合ってきた近所の酒屋さんが廃業した時はショックを受けました。悲しい出来事でした。新婚以来、ずうっと花々を買って来た花栽培の店が突然、倒産しことも悲しい出来事でした。そしてよく行った利根川上流の坂東簗が6年前に廃業した時もショックを受けました。あれから随分たちましたが坂東簗のことは忘れられません。そこで今日は利根川上流の坂東簗にまつわる思い出を書いてみたいと思います。毎年、今頃になると坂東簗から、「今年も7月1日から9月30日まで営業を致しますのでお越しください」と案内状が来ていました。それが2015年の手紙は店仕舞いの挨拶状でした。何十年も家族とともに楽しんできた坂東簗が無くなるのです。悲しい出来事です。簗で捕った鮎を見晴らしの良い川岸で食べ...「店の廃業は顧客にとっても悲しい出来事、坂東簗の店仕舞い」
ドイツに住んでいた1969から1970年、魚をよく食べた。ニシンやマスは小麦粉をまぶしてムニエルにする。ところが魚売り場を良く見ると平べったい鯉も売っている。うろこがほとんどないドイツの鯉である。溶いた小麦粉をつけて煮え立つ油でカラリと揚げて食べる。タラの切り身はムニエルやポアレ。ノルウエー産サケの切り身は高級な塩引きになる。ニシンは香草とともに酢づけにしてガラス瓶に密閉して売っている。1番目の写真は香草とともに酢づけにしてガラス瓶に入れたニシンです。ウナギは燻製にするか、生のままぶつ切にしてアールズッペというスープにする。ある時、ライン河の生きたウナギが市場でうごめいていた。購入し、大きな期待で食べたら不味い!ライン河のウナギは小骨が硬く、蛇を想像させるような野生の嫌な匂いがして食べられたものでない。土...「ドイツ人のニシンとウナギと鯉の食べ方」
2024年に利根川の中流にある坂東梁から手紙が来ました。今年も7月1日から9月30日まで営業を致しますのでお越しくださいと書いてあります。そして次の年に廃業してしまいました。2024年までは毎年坂東梁の鮎料理を食べに通っていました。懐かしいので坂東梁の風景の写真をお送りいたします。「懐かしい坂東梁の風景」
浜名湖周辺のウナギの蒲焼きをご紹介いたします。浜名湖のウナギの蒲焼きは、肉厚で柔らかく、ジューシーな味わいが特徴です。特に、浜名湖産の活鰻を使い、白焼きにした後に、関東風に蒸して蒲焼きにする製法です。浜名湖のうなぎ蒲焼きの特徴:を列記します。肉厚で柔らかい:活鰻を丁寧に捌き、白焼きにした後、蒸すことで、ふっくらとした食感に仕上がります。ジューシーな味わい:脂がのった鰻の旨みが口の中に広がり、上品な味わいが楽しめます。関東風の調理法:白焼きにした鰻を蒸すことで、余分な脂を落とし、ふっくらと仕上げます。写真は浜名湖の風景と浜名湖周辺のウナギの蒲焼きです。「浜名湖周辺のウナギの蒲焼き」
全国各地の湖の周辺にはワカサギ、鯉、ウナギなどの川魚料理店が昔から有った。諏訪湖もその一つ。今日は諏訪湖のほとりの「うな藤」をご紹介いたします。「うな藤」の蒲焼は身が厚く、しっかりした歯ごたえです。タレは蜂蜜入りの甘い醤油味。上うな重(2300円)には厚いウナギが3切れもついていました。焼き方は焦げ目を十分つけた深い焼き方です。濃厚な味の厚い身を食べこの上ない充足感を得ました。諏訪湖の周辺のカバヤキは焼き方を十分にし、甘い濃厚な醤油味が特徴らしいです。東京の味とは違ってローカル文化の主張があるのです。食前にワカサギの唐揚と甘露煮の盛り合わせ(550円)とシジミの時雨煮(320)で生ビールを頂きました。ワカサギがまだ小さく柔らかいです。シジミは稚貝を撒くようになってから取れ出したという。酒のツマミには他に、...「諏訪湖周辺のウナギの蒲焼」
土用丑の日の頃になるとウナギの蒲焼を食べることが多くなります。今年もウナギのかば焼きの香りが夏風に乗って漂っています。暑い夏はウナギの蒲焼が一段と売れ行きが良いそうです。そこで、土用のウナギにちなんでライン河の天然ウナギを蒲焼にしたお話をお送り致します。随分と前の話です。1969年11月にドイツのスツットガルト市に住み着いて、よく農民市場で野菜を買っていました。生きたウナギも水槽に入れ売っているのです。ライン河で取れた天然ウナギだと言います。売っている人に料理法を聞くと、ブツ切りにしてウナギのスープにして食べると言います。日本のウナギの2倍くらい太いものを一匹買いました。そして自分で「かば焼き」を作ったのです。まず「かば焼き」のヤキを作ることにしました。せっかくなので日本人の男性を招待しました。ところが「...「ライン川の天然ウナギのかば焼きは生臭かった!」
昔、南ドイツに住んでいたことがあります。スイスにはよく遊びに行きました。そしてアルプスの山々と花畑を眺めたmぽのです、アルプスの山々と花畑の写真をお送り致します。写真は、「スイスのアルプスの花畑の写真」を検索してインターンットからお借りしました。「スイスのアルプスの山々と花畑の写真」
蔵王山は奥羽山脈の中にあって宮城県と山形県の県境にあります。火山活動によって出来た山です。仙台で生まれ育った私は何度も蔵王山の樹氷の間でスキーをしたことがあります。当時は仙山線で山形駅に行き、そこからバスで高湯温泉(現在の蔵王温泉)に上がりました。高湯温泉からはスキーを履いてドッコ沼の山小屋に逗留するのです。ドッコ沼の上の懺悔坂から地蔵岳までが樹氷地帯なのです。地蔵からの帰りは急坂の懺悔坂は怖いので、なだらかな大平コースを下ります。夕日を浴びた茜色の樹氷の光景が今でも私の網膜に焼き付いています。あれから茫々60年以上も経ちました。毎年、懺悔坂の怖さと夕日の樹氷の姿を思い出します。今日は皆様に蔵王山の美しい樹氷の写真をお楽しみ頂きたいと思います。お送りする写真は「山形蔵王の樹氷写真集」、http://www...「我が青春の山、蔵王山の樹氷の写真」
南アルプスの主峰3つは北岳(富士山の次に高い3193M)、間ノ岳、農鳥岳(白峰三山)です。その前山は甲斐駒、地蔵、観音、薬師です。このうち離れている甲斐駒を除き、地蔵、観音、薬師を鳳凰三山と言います。学生時代、北の穂高、大キレット、槍、常念、と縦走し、南アルプスの甲斐駒、地蔵、観音、薬師に登りました。その後、仕事が忙しくなり、南アルプスの主峰連山(上写真)に登れなくなりました。年をとり体力が衰え、もう登れません。1番目の写真は地蔵、観音、薬師の鳳凰三山です。撮影場所:中央高速道路の釈迦堂サービスエイリア(下り)裏の階段より、西方角を撮る。2番目の写真は甲斐駒岳です。「南アルプスの鳳凰三山の写真」
夏になると若い頃の北アルプス縦走を思い出します。その北アルプス縦走の思い出を写真に従ってお送り致します。しかし私は当時写真機を持っていなかったので、インターネットからお借りしました。さて縦走は大糸線の穂高駅から中房温泉への登高から始まりました。そこに一泊して燕岳、大天井、西岳、槍の肩の小屋で一泊し、南岳、キレット渡り、北穂高、涸沢、横尾と歩いて上高地に降りて来ました。歩いた行程は全部で2泊3日の山歩きでした。毎日10時間ほど歩きました。写真で説明します。1番目の写真は中房温泉から1時間ほど登ると突然見える燕岳です。この地点から槍ヶ岳を遥かに見ながら縦走路を行くのです。2番目の写真は燕岳と大天井岳の間の尾根から見える槍ガ岳です。まだ遠方です。3番目の写真は大天井岳の肩を回りこみ近くなった槍ガ岳です。4番目の...「夏の北アルプス縦走の写真」
月日の流れは早いものです。私の青春は1960年代1970年代でした。今朝はその頃のことを思い出しています。谷川岳の一ノ倉沢の岩登りが若者の胸を熱くした時代でした。今日は1960年代1970年代のことを書きたいと思います。その頃は谷川岳が流行っていました。谷川岳の一ノ倉沢の岩肌を命がけで登っている人がいる一方、街には安保闘争のデモが渦巻いていました。デモは学生の情熱でした。若者が燃えていた時代でした。そんな時代の空気が懐かしいです。あの空気は二度と来ません。その頃、ある山の遭難記事を掲載しましたところその時代の空気をまざまざと思い出させるコメントを2人の方から頂きました。非常に活き活きした文章なのでそのまま転載致します。(1)すけろくさんから2018年10月06日に頂いたコメント若い頃は毎週のように谷川岳東...「懐かしい谷川岳がはやり安保闘争デモの時代」
外国の火祭りは聖ヨハネの前夜祭です。洗礼者ヨハネの誕生日とされる「聖ヨハネの日」に世界の各地でキリスト教徒が祝う火祭りです。キリスト教と関係ない各地の夏至祭と結びつき、火祭りとして祝われる例も多いようです。「外国の火祭り」
吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表です。吉田の火祭り(鎮火祭)は北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社のお祭りで、毎年8月26日、27日に行われます。450年以上の歴史を持ち、日本3奇祭、日本10大火祭りにもなっております。全国の火祭りの一覧表オロチョンの火祭り-北海道網走市青森ねぶた-青森県青森市竿燈-秋田県秋田市松明あかし-福島県須賀川市大日向の火とぼし-群馬県南牧村愛宕社の火祭り-富山県魚津市、魚津神社滑川のネブタ流し-富山県滑川市向田の火祭り-石川県七尾市能登島、伊夜比咩神社鬼ヶ嶽火祭り-福井県越前市、大虫神社左義長まつり-福井県勝山市吉田の火祭-山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社(境内社)南部の火祭り-山梨県南巨摩郡南部町中里の火の花祭-東京都清瀬市中里、中里の富士塚秋葉の火ま...「吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表」
北海道は空気が澄んでいるので花々が生き生きと咲いています。北海道の夏の花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://prezo.jp/column/2837です。1番目の写真は大通公園のライラックです。2番目の写真は網走郡大空町の芝桜公園です。3番目の写真は紋別郡遠軽町丸瀬布水谷町のまるせっぷ藤園です。4番目の写真は北海道のシンボルフラワーはハマナスです。「夏の北海道の生き生きとした花の写真」
山梨の甲斐駒の麓に小さな山の家を作りました。1974年に作りました。その小屋を中心としたて上高地や軽井沢や白馬などへ旅行を楽しみました。今日は白馬山麓の白馬東急ホテルと周囲の美しい風景をご紹介いたしたいと思います。1番目の写真は白馬東急ホテルです。後ろの山々は白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳などです。2番目の写真はホテルの庭から見た客室です。3番目の写真は泊った客室の写真です。バルコニーに出て庭の向こうの山々を見ながらビールを何度も飲んだものです。家内の両親と一緒に泊ったこともありました。4番目の写真は八方尾根に上がるゴンドラです。このゴンドラの終点は標高が1400mと高く、その大きな展望台からは北に戸隠山や飯綱山まで見えます。5番目の写真はゴンドラの終点、標高1400mの展望台です。残雪に輝く白馬鑓...「白馬東急ホテルと周囲の美しい風景」
関東の山々ではとっくに散ってしまいましたが、白馬山の麓では大雪渓から下る水が冷温で、松川のそばだけ季節が遅れているようです。白馬山の麓に咲く小さな花の写真をお楽しみ下さい。・「白馬山の麓に咲く小さな花の写真」
パナイ島イロイロ市の西方にあるミアガオ市にあるローマ・カトリック教会で、イロイロの人気観光スポットの一つです。「サントトマスデヴィラヌエバ教会」としても知られています。1797年に建てられ、要塞としての役割も果たしていた場所でもあります。バロック様式に中国・フィリピンの様式が混ざった他に類を見ない教会で、その古い構造と歴史から「フィリピンのバロック様式教会群」のひとつとして、1993年12月11日、マニラのサンアグスチン教会とともにユネスコ世界遺産に登録されました。https://philippinetravel.jp/miag-ao-church/「フィリピンのミアガオ教会の写真」
昔、南ドイツに住んでいた頃は近くのスイスにはよく行ったものです。懐かしい風景の写真をお送りいたします。写真はインターンットからお借りしました。「スイスのルツェルン湖とアルプスの山と教会の写真」
東京のカトリック・イグナチオ教会の今日のミサの風景の写真をお送りいたします。https://www.youtube.com/live/dNiVQheuMkU「東京のカトリック・イグナチオ教会の今日のミサの風景」
東京のカトリック松原教会の今日のミサの動画配信です。https://matsubara-cath.chu.jp/ja/online-mass/写真は松原教会景です。「東京のカトリック松原教会の今日のミサの動画配信」
今日は日曜日です。日曜日には宗教に関する軽い記事を書くことにしています。今日は欧米のキリスト教と日本のキリスト教はどのように違うかということを考えてみたいと思います。まず同じ花でも植えた場所によって違ってしまうということを考えてみます。日本の楚々とした花でも西洋に移植すると派手な色の洋花になります。育つ場所の土壌と気候によって、花々は同じ種類のものでも変わるのです。樹木の場合は材質も変わります。それは自然なことです。自然現象として当然です。明治維新以来、日本は西洋文化を輸入して来ました。しかし日本の文化的土壌はヨーロッパと違います。輸入した文化が日本に入ってくると大きく変化するのが当然です。宗教も例外ではありません。佛教の場合もミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナムに伝わった仏教は出家を重視した戒律の厳し...「欧米のキリスト教と日本のキリスト教の違い」
夏になると妻が思い出すのは群馬県の下仁田小学校のことです。それは小さい、小さい昭和の歴史の一駒です。昭和20年7月頃、当時海軍の文官だった家内の父は、鎌倉の海水浴場にアメリカの上陸用舟艇が砂浜につき海兵隊が襲って来ると予想したそうです。当時、家内の一家は鎌倉に住んでいました。まだ少女だった妻は鎌倉の御成小学校に行っていました。そして1945年の夏に妻の一家は、群馬県の山の中のネギで有名な下仁田町に疎開しました。終戦後も進駐軍の横暴を恐れて昭和22年夏まで山国にひそんでいました。下仁田国民学校に転校した家内は海浜の生活から山里の生活に変わり、毎日が新鮮で楽しかったそうです。しかしそこは米が一切採れず、麦と芋と野菜しか採れない山里でした。ある地主の家に疎開したのですが、その家の毎日の主食はオキリコミでした。小...「夏になると妻が思い出す群馬県の下仁田小学校」
毎年、夏になると感動することがあります。冷蔵庫と冷凍技術の進歩です。戦後の日本の技術革新の成果です。おかげで私どもの暮らし方が随分と変わりました。戦前に家庭の冷蔵庫と言えば断熱材の木で出来た箱で中の上の段に大きな氷を入れ下の段に食品を入れておきました。しかし戦後、冷凍技術が次第に進歩して安価な冷蔵庫が出来るようになったのです。気体を圧縮して急に膨張させると温度が下がる原理を利用したのです。しかし気体を圧縮すれば温度が上がります。温度が上がった部分を外気で冷やし、温度が下がった部分を冷蔵に利用するのです。文章で書けば簡単そうですが、温度が上がった部分と下がった部分を分離するのが技術的に難しいのです。この困難を克服したのが現在の家庭用の冷蔵庫です。中の上の段は氷が出来る氷室なっていて下が食品を冷蔵するスペース...「夏になると感動する冷蔵庫と冷凍技術の進歩」
夏の海辺と山の風景です。夏といえば海水浴と登山を楽しむ人が多いと思います。そこで夏の風景の写真をお送りいたします。写真はインターネットからお借りしました。「夏の海辺と山の風景」
暑いと何となく体を動かすのがおっくうになります。今日も朝から太陽が照りつけて暑い日になりそうです。そこで元気が出る花園の写真をお送りいたします。標高1250mの富士見高原花の里です。ここに示した写真は「富士見高原花の里の写真」を検索してインターネットにある多くの写真から選びました。富士見高原花の里の住所です。〒399-0101長野県諏訪郡富士見町境12067中央道・諏訪南I.Cから約15分中央道・小淵沢I.Cから約8分「元気が出る富士見高原花の里の写真」
白鳥は人に懐く野生の鳥のようです。今日は私自身が白鳥一家と仲良くなった不思議な体験をご紹介したいと思います。日本で見られる白鳥は冬になると遥々シベリアのアムール河の河口付近から飛んで来ます。しかし幾羽かの白鳥は日本に棲みついています。春になってもシベリアに飛んで行かないのです。私が霞ヶ浦でヨットをしていた頃、そこに棲みついている白鳥の4羽の一家と仲良くなったのです。それは不思議な体験でした。白鳥は霞ヶ浦だけでなく猪苗代湖や屈斜路湖など全国の湖や川に沢山来ます。白鳥のいる風景は日本の冬の風物詩です。さて仲良くなった4羽の一家は夏になってもシベリアに帰らないで霞ヶ浦に棲みついていたのです。当時私は土浦港にヨットを係留していました。その係留していた岸壁から湖沿いに600mほど歩いた芝生のところに2007年の春か...「白鳥は人に懐く、仲良くなった不思議な体験」
冬の日本の風物詩はシベリアから渡って来るハクチョウ、ツル、カモ、ガン、カモメなどの冬鳥が湖沼河川に群れ遊ぶ風景です。国境を自由に越えて、はるばる4000キロメートルくらいも飛んで来るそのロマンを感じ心が楽しくなります。私はカモメ類は漁港に棲んでいて冬になると内陸の湖や川に飛んでくると思っていました。しかし冬鳥、夏鳥、留鳥、漂鳥などの分類を調べてみると大部分のカモメ類は日本とシベリアの間を渡っている冬鳥なのです。毎年毎年、悪天候の中長距離を飛んで来ることを想像すると胸が締め付けられる感慨も覚えます。1番目の写真は霞ヶ浦の岸辺を飛んでいるカモメが群れです。私の車を覆うように沢山のカモメが舞っていました。2番目の写真もは霞ヶ浦の岸辺を飛んでいるカモメが群れです。岸辺の地面には鳩の大群がまかれた餌をしきりについば...「白鳥などの渡り鳥のロマン」
私たち日本人は豊かな野鳥たちに囲まれています。美しい野鳥たちに囲まれています。しかし毎日が忙しくて美しい野鳥たちに気がついていません。そこで今日は自然界に身を置いて美しい野鳥たちと一緒に遊んでみようと思いました。1番目の写真は自分で撮った写真です。霞ヶ浦の沖には無数の水鳥が列を作って遊んでいる光景です。春になるとアムール河のさらに北へ渡っていく白鳥やカモメやカモの群れです。私たちはこんなにも多くの野鳥たちに囲まれて住んでいるのです。多くの人々はこの豊かな自然に囲まれていることに気がついていません。しかしバードウオッチングを趣味にしている人々はこの豊かな野鳥の世界を楽しんでいるのです。その様子は、「日本野鳥の会」のHP(http://www.wbsj.org/about-us/summary/about/)...「豊かな野鳥たちに囲まれている日本人の幸せ」
私共は豊かな野生の鳥たちに囲まれて生活しています。渡り鳥もいますし棲み着いている留鳥もいます。日本を通過するだけの旅鳥もいます。間違って日本へやって来た迷鳥もいます。さらに渡り鳥の一部が日本に住み着いているものもいます。例えばコハクチョウは霞ヶ浦や牛久沼やあちこちの湖沼に少しずつ棲みついて日本で繁殖します。さて冬の日本で見られるオオワシは大変珍しい鳥なので少し調べてみました。日本最大の猛禽類で、1970年1月23日にオジロワシと同時期に天然記念物とされましたが今や絶滅危惧種に指定されています。(http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/bird-ohwashi_large.html)オオワシ(大鷲)は、タカ目タカ科ウミワシ属の鳥です。体は雌の方が大きいのです。全身黒褐色...「日本最大の猛禽類、天然記念物、絶滅危惧種オオワシの生態と写真」
鳥の世界は奥が深いようです。いろいろ調べてみると渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥などという言葉が出て来て混乱します。しかしその違いを簡単に言ってしまうと以下のようになると思います。渡り鳥・・・日本を中心にしてシベリアや中国大陸北部へ渡る冬鳥と東南アジア各地に渡る夏鳥のことです。夏鳥主として繁殖のために日本より南の国から渡ってきて、夏を日本で過ごし、繁殖期が終わると再び越冬のために南の国に渡って行く鳥。ツバメ、アマサギ、オオルリ、キビタキ、クロツグミ、ハチクマ、サシバなど。2、冬鳥主として越冬のために日本より北の国から渡ってきて、冬を日本で過ごし、冬が終わると再び繁殖のために北の国に渡って行く鳥。ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメ、マガモ、オオハクチョウ、マナヅル、オオワシなど。旅鳥・・・シベリアや中国大陸...「渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥・・・区別して考えて見る」
アジサイはドイツでも咲いています。アジサイはドイツ語でHortensie(ホルテンジエ)と言い、英語ではHydrangea(ハイドランジア)と言います。日本だけでなく欧州でも広く普及してます。いろいろな派生種があります。水が酸性かアルカリ性かによって、花の色が変わるのは、有名な話ですね。示した写真の出典は、https://minkara.carview.co.jp/userid/314846/blog/44079793/です。「アジサイはドイツでも咲いています」
アジサイの原産地は日本で、その元はガクアジサイです。アジサイは日本から中国にわたり、シルクロードを伝わってヨーロッパへと伝わっていき、イギリスなどで東洋の花として人気が出て、品種改良が進んだのです。写真はアジサイの原産地、日本のガクアジサイです。「アジサイの原産地は日本」
鎌倉は古都で魅力ある場所です。そのうえ家内が生まれ育った所なので何度も訪れました。アジサイが美しい古都です。鎌倉のアジサイの花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/amazing/ajisai-kamakuraです。写真は順に長寿寺、円覚寺、成就院、長谷寺のアジサイです。「鎌倉にはアジサイがあちこちに咲いている」
この季節はアジサイが静かに美しく咲ています。私の家の庭にも咲いています。梅雨が降りかかり一層あざやか色です。日本の梅雨の季節の美しい風物詩です。今日は美しいアジサイの写真をお送り致します。1番目の写真は美しい古刹として知られる鎌倉の長谷寺のアジサイです。写真の出典は、https://clubtravelerjapan.com/article/spot/9430/です。まったく余談ですが家内はこの近所で生まれ育ちました。2番目の写真は山里の梅雨の季節の霧の中のアジサイです。写真の出典は、https://ganref.jp/m/tkrphoto/portfolios/photo_detail/2156726です。3番目の写真は滋賀県長浜市のお寺の山門とアジサイです。出典は、https://www.excite...「日本の梅雨とアジサイの詩的な風景」
仙台で生まれ育ったので松島の瑞巌寺へは何度か行きました。松島の瑞巌寺は国宝で伊達家の菩提寺です。懐かしいので写真を示します。写真はインターネットからお借りしました。写真は順に、本堂、庫裏,総門、お寺の前の杉並木です。「平安時代に創建された松島の瑞巌寺の写真」
『人間国宝美術館』とは変な名前の美術館です。怪しい作品が展示してあるのではないかと恐る恐る訪れました。ところが重要無形文化財保持者(人間国宝)が創った絵画や焼き物の展示に感動しました。これらの美術品を蒐集した館主の山口伸廣さんの審美眼にと収集品の確かさに感動したのです。展示品の数も多く4階にわたる展示室も充分です。写真撮影が自由にできるのも嬉しいものです。最後に有名陶芸家の作品の中から自分の好きな茶碗を選んで、その茶碗で抹茶を楽しめるサービスに感心しました。心憎い気配りです。ホームページ(http://www.nikobi.com/cont/about.html#02)も良く出来ています。館長矢部良明さんの「ごあいさつ」をそのホームページから下に示します。「高級な美に触れて快い、時間を過ごすことは、多忙な...「箱根の麓の湯河原温泉にある「人間国宝美術館」のご紹介」